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無償であろうが報酬が低かろうが、やりたければ(やってあげたければ)やるし、やりたくなければやらない。。。

 

■プロに「タダでやってくれない?」と仕事を依頼する人が、たくさんいる理由

いるよね、プロに無償で仕事を頼んでくるヤツ。

「ちょっと○○するだけでいいから」

「これやってもらえない?」

って無邪気な顔でさぁ。

こっちはそれで飯食ってるんだから、タダなんてありえないっつーの! 非常識! 搾取反対!

……という気持ちは、よくわかる。

電気屋で「このパソコンをタダでください」なんて言う人はいないのに、世の中には、無償の仕事依頼をしてくる人がたくさんいるのだ。

それはいったい、なぜなんだろう?

プロに無償で仕事を依頼する「罪深き人たち」

先日、こんなツイートがバズっていた。

探してみれば、「プロに無償で仕事を依頼する不逞のやからとの遭遇事件」は、いくらでも見つかる。

わたし自身、

「ドイツ語サイトが読めないので翻訳してくれませんか」

「ブログの相談に乗ってほしいです」

「お礼に著者プロフィールを入れるので記事を書いてください」

なんて無償依頼のお問い合わせをいただくことがある。テレビ局からの取材協力依頼もしょっちゅうだ。

なんで、他人の知識や経験、技術をタダで利用できると思うんだろう?

この「プロに無償で仕事を依頼」問題について、『プロ』に『無償』で『仕事』を依頼するという、3つの要素に分けて順番に考えていきたい。

「プロのアマチュア」と「アマチュアのプロ」の混在による無償依頼

まず一番のキーになるのが、『プロ』という言葉だ。

知識や経験、技術を売りにしているプロは、残念ながら軽く見られることが多い。

そのスキルは目に見えるものではないし、特殊な資格が必要な場合を除いて、「(実際がどうであれ)がんばれば自分でもできるもの」に映るからだ。

たとえば、魚屋さんは魚を取り扱うプロ。

どんな魚でも、こっちが望むようにキレイにさばいてくれるだろう。

一方わたしの父は釣り好きで、たいていの魚は自分でさばくことができる。

素人のわたしとしては、おいしく魚をいただけるのであれば、魚屋さん(プロ)と父(アマチュア)のどちらがさばいた魚でも問題ない。

要は、素人でもある程度できる人がいる分野……もっと率直にいえば、「プロレベルの素人」や「プロよりうまい素人」がゴロゴロいる分野において、『プロ』への無償依頼問題は起こりやすいのだ。

なぜって、この「プロのアマチュア」さんたちは、無償でバンバンその技術を提供していくから。

無償依頼問題でよく槍玉に上がるイラストレーターは、その最たるものだろう。

お絵かき垢(自分の絵をアップしているSNSアカウント)界隈を覗いてみると、「リツイートしてくれた人のうち10人のアイコンを描きます」なんてキャンペーンを毎日だれかしらやっているし、「これで飯食えるんじゃ?」と思うほどうまい人もたくさんいる。

ほか分野でも、たとえば子どもの運動会でプロ顔負けの写真を撮る写真好きママ、結婚式の余興で生演奏する元プロ志望のバンドマン、海外メディアを翻訳・解説するバイリンガルブロガーなど、「プロがやっていることをタダ&高クオリティで提供する素人」はいくらでも見つかる。

タダでやってもらった人はうれしいし、やってる人は楽しいし、みんなハッピーな優しい世界。

が、しかし。

その「プロのアマチュア」が親切に高い技術をバラまくことによって、「プロ」はより軽い存在になってしまう。

相手にとって大事なのは「自分の要望を叶えてくれるかどうか」であって、その人が「プロ」を自認しているかどうかは関係ないしね。

そのうえさらに厄介なのは、「プロのアマチュア」と同時に、「アマチュアのプロ」がいるということだ。

それで生計を立てたいと思ってはいても、まだ駆け出しのひよっこで、「タダでいいので仕事をください!」と頭を下げて回る人は少なくない。

そうすれば、「プロ」の価値はそれだけ下がる。

「プロのアマチュア」と「アマチュアのプロ」が混在する以上、「プロに無償で仕事を依頼する」人はきっと、いなくはならない。

タダで受けるプロがいる以上、無償提供を期待するのは当たり前

「プロに無償で仕事を依頼する」問題の2番目、『無償』という部分も、なかなか扱いがむずかしい。

きっとあなたも、ニュースやSNSなどで、

「電車が遅延したけど乗っていた歌手が歌って車内を盛り上げた」

「偶然会ったお笑い芸人に声をかけたら一発芸をしてくれた」

「ピアニストがストリートピアノで演奏、大喝采を受ける」

なんて心温まるエピソードを聞いたことがあるんじゃないだろうか。

プロ自身、気まぐれやサービス精神、売名で自分の「商品」をタダで配ることがあるのだ。

そして、タダでもらえる可能性がある以上、「ダメもとで頼んでみよう」と思う人がいるのも理解はできる。

無償依頼に腹を立てるあなただってきっと、「プロ」というステータスを、コミュニケーション手段として日常的に使っているはずだ。

たとえばまわりの人は、不動産関係の仕事をしている夫に、雑談の一環で「家を買おうと思うんだけど」「最近の不動産投資はどうだ」と相談をする。

ある意味それは「プロの知識や経験を無料で引き出そうとしている行為」だけど、そこに一切の悪気はない。ただのコミュニケーションだ。

そこで夫が相談料を請求したら、

「いやいや、ちょっとした世間話だし、そんな本気で相談に乗ってほしいなんて思ってないし、この程度で報酬払うなんて……」

と相手は困惑するだろう。

でもそれは結局のところ、

「いやいや、ちょっと絵を描いてもらいたいだけだし、何時間もかけて本気で描いてくれなんて言ってないし、この程度で報酬払うなんて……」

という無償依頼人の主張と同じだ。

みんな日常的にタダで提供したりされたりしてるから、相手は「無償依頼」で怒る人がいるなんで、想像すらしていないのかもしれない。

「ちょっと手伝って」vs.「プロならハンパなことはできない」

「プロに無償で仕事を依頼する」問題の3番目、『仕事』という部分。

これは、依頼側と受注側で一番意識が異なるところだろう。

そもそも依頼している側は、「仕事」してほしいだなんて思っていない。

「ボランティアとして手伝ってくれ」と言っているだけなのだ。

プロとしてクオリティを保証してくれなくていいし、そのためにきっちりとした準備もしてくれなくていい(そもそも準備が必要だと想定していない)。

「カメラマンなの? 子どもの運動会で写真撮ってもらえない?」

というのは、「自分がスマホで撮るより本職の人に撮ってもらったほうがいい写真になってうれしいな♪」くらいの意味でしかないのだ。

でもカメラマンにとって撮影依頼=仕事だから、手を抜けない。

「パンフレットのスケジュールと校庭の位置を考えてここに三脚を置きたい」「レンズはこれとこれを持って行かないと」「撮影後は数百枚の写真から数十枚をピックアップし、フォトショで加工してデータを渡して……」と考える。

依頼者が望むものと受注者が目指すものがちがうんだから、そりゃかみあわないよね。

依頼者に「仕事を頼んでいる」意識がないかぎり、その人は今後も同じ依頼を続けるだろう。悪気なく。

プロに無償で仕事を依頼する人はきっと、いなくならない。

「無償依頼」はないほうがいいとはいえ、自分も深く考えず「これってどう?」とプロに聞いたり、気まぐれで「いいですよー」と無償で取材協力したりしているわけで。

赤の他人相手には慎重になるけど、それでもYouTube動画で「次はこれを見たいです」「これについて教えてもらいたい」とコメントすることはあるわけで。

きっと、だれだってそうだろう。

「無償依頼」という言葉の響きはとても悪いけど、「無償依頼」自体は特別でもなんでもない、日常生活にいくらでもあるコミュニケーションのひとつなのだ。

だから、たとえばこういうツイートに8万5000ものいいねがついているのを見ると、「お互い様の部分もあるんじゃないかなぁ」と思う。正論に聞こえるけどね。

家族だろうが友人だろうがプロに無料で仕事を依頼するの禁止。たとえ30分で終わる作業だとしてもだ。30分で作業が終わるのはその人がそれ以前に何千時間もの努力を積み上げて、必要な設備に金を投資してきたからこそ。無料で仕事を依頼することはそのプロセスをリスペクトせず踏みにじる行為に等しい。

「プロ」と名乗る人が例外なくアマチュアより格上で、「いかなる事情、関係性の相手であっても商品やサービスは絶対にタダでは提供しない」という鉄の意志をもっているのであれば、「無償依頼」はなくなるかもしれない。

でもそんなこと、現実的にはありえないよね。

そもそも、「依頼」自体は自由だ。

依頼されて納得がいかない、条件が合わないのであれば、交渉するか断ればいいだけ。

断ったあとグダグダと文句を言ってくるのであれば、それは「無償依頼」のトラブルではなく、相手の人間性の問題だ。

まぁ、移動や宿泊に身銭を切れだの、数日間拘束しますだの、本業を休んでくれだの、訴訟リスクを抱えますだの、負担が大きすぎる「無償依頼」はちょっと引くけども。

どうせ「無償依頼」はなくならないのだから、依頼の段階は「相手の自由」と割り切り、イヤなら断る、でいいんじゃないだろうか。

「無償依頼なんて失礼だ!」と腹が立つ気持ちもよくわかるけど、怒るなら、その後文句を言われてからでも遅くはない。というのが、わたしの結論だ。

そしてそれと同時に、ちょっとした依頼や、親密なあいだからでも、しっかりと報酬を払ってくれる人を、よりいっそう大切にすればいいだけである。

雨宮紫苑
ドイツ在住のフリーライター
小説執筆&写真撮影もやってます

[yahoo! JAPAN]

心と身体は深く密に繋がっている。。。

 

■65歳以上では6人に1人!認知症をブロックする筋肉の「すごい力」

フィジカルから、ココロを整えよう

「運動は健康によい」と言われる。その鍵を握っているのが、筋肉だ。筋肉は脳の指令を一方的に受け取るだけでなく、脳に大きな影響を及ぼすこともわかってきた。その脳と筋肉の間を取り持つのが、マイオカインという物質だ。果たして、どんなものなのだろうか。(マガジンハウス『ターザン』2021年6月10日号特集「運動は、なぜ脳に効くのか?」より転載)

筋肉が分泌する物質が
認知症をブロックする

メンタルの在り処は、突き詰めると脳。運動は、その脳にもさまざまな刺激を与えてくれる。その鍵を握っているのも、筋肉だ。

「筋肉は、脳の指令を一方的に受けるだけだと思われていましたが、筋肉も脳に大きな影響を及ぼすことがわかってきたのです」(筑波大学人間総合科学学術院の久野譜也教授)

 脳と筋肉の間を取り持つのが、マイオカインという物質。筋肉を作る筋細胞が分泌するもので、筋トレなどの運動で増えてくる。

なかでも、イリシンというマイオカインは、脳の神経細胞を活性化。脳の活動性を高め、認知症の予防につながることが示唆される。現在、65歳以上の高齢者の認知症の有病率は16.7%。6人に1人に上るから、運動で認知症が抑制できるなら、何ともありがたい話である。

さらに大切なのは、運動を介して仲間を作り、会話を楽しむこと。

「人とのふれあいは脳を活性化する。8000人以上を対象とした私たちの調査では、コロナ前と比べて60歳以上の約27%に認知機能の低下が見受けられました。外出自粛で運動量が落ち、人との会話も減ったことが関係していると考えられます」

運動すると脳内でも
メンタルを整える物質が出る

運動とメンタルの関わりを解き明かすうえでは、脳を作る神経細胞が分泌する神経伝達物質にもスポットを当てるべき。

「神経伝達物質は気分を左右します。なかでも重要なのが、セロトニンとドーパミンです」

セロトニンが不足すると、不安やうつに陥りやすく、うつ病患者ではセロトニンの分泌量が低下していることがわかっている。このセロトニンを増やすのに有効なのが、ウォーキングやジョギング、ダンスなどのリズミカルな有酸素運動である。

ドーパミンも、有酸素などの運動で分泌が増えてくる神経伝達物質。快楽や多幸感をもたらし、やる気や集中力を上げる作用が知られている。

 セロトニンやドーパミンを増やすなら、辛すぎない負荷で運動するのがポイント。辛すぎる運動は長続きしないので、セロトニンやドーパミンを増やす効果も限定的だ。隣の人と笑顔で会話できるくらいの負荷を上限に、30分以上続けよう。

(取材・文/井上健二、監修/久末伸一【千葉西総合病院】)

[DIAMOND online]

好きなひとには望まず与える喜びを、、、嫌いなひととはかかわらないという最低限の尊重を知る。。。

 

■曽野綾子さん90歳が、人間関係に悩む人に贈ることば5選「初めから諦めればいい」

一切、初めから諦めればいい

ただ静かに遠ざかればいい

変わった人でも、会えてよかった

要求したら得られないものとは

誰かに「必要とされる」ことの幸せ

ひとつの言葉がお守りになる

年金の世代間不平等について

 

「高齢者は年金をもらいすぎだ」世代間不平等を訴える人の根本的勘違い若者でも保険料の倍以上もらえる

若い人々の中で、「年金は払い損だ」と考える傾向が高まっています。しかし、それぞれの世代において自分が負担する保険料と年金給付額は、本当に不公平なのでしょうか? 経済コラムニストの大江英樹氏は「実際には決してそういうわけではないのです」といいます――。

※本稿は、大江英樹『知らないと損する年金の真実 2022年「新年金制度」対応』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。

世代間対立を煽るメディア

「おじいちゃんの世代は年金をたっぷりもらっているけど、僕らの時代にはきっと年金なんかもらえなくなるに違いない」とか「60歳以上の人は“逃げ切り世代”だけど僕らは絶対無理だよね」といった具合に世代間で大きな不公平が存在するということが話題になります。特にテレビの番組などでは、年代別に払ったお金と受け取るお金を面白おかしく漫画で棒グラフにして、いかに若い人が損をしているか、ということをこれでもかとばかりに見せます。

しかしこれは、かなり悪意に満ちた表示だと思います。数字自体は全く嘘ではないでしょうが、色んな数字を都合良くピックアップして見せている可能性が高いからです。

「2人に1人ががんになる」は80歳以上の人の話

たとえばがん保険の広告で「日本では2人に1人ががんに罹る時代です」と言われますが、これはあくまでも生涯罹患率の話で、そのほとんどは70歳以上の人です。国立がん研究センターの「がん情報サービス」サイト(※1)によれば、40歳の人が向こう20年間に罹患する確率は6.9%、70歳の人でも向こう10年間で罹患する割合は31.7%となっています。そして80歳以上の人がそこから罹患する割合が56.6%ですから、現実には2人に1人ががんになるというのは80歳以上の人の話だと言ってもいいでしょう。

※1 国立がん研究センター「がん情報サービス

後ほど、年金保険料の負担と年金支給額の関係を解説しますが、がん保険の広告と同様に数字自体は間違っていなくてもその利用の仕方でとんでもない誤解を招きかねないということが起こり得ます。

これはとても大事なことなので、これから先も繰り返し言いますが、公的年金で大事なことは「できるだけ多くの人が制度に参加し、その制度を支える」ということなのです。にもかかわらずマスメディアがこうした「世代間対立」を煽るような番組を作っているのは残念でなりません。

実際にどうなのかを見てみよう

では、実際に若者は払い損なのかどうかを数字で検証してみましょう。図表1をご覧ください。

世代間の給付と負担の関係

出所=『知らないと損する年金の真実 2022年「新年金制度」対応』より

これはそれぞれの世代において自分が負担する保険料と年金給付額がどのようになっているかを一覧表にしたものです。このデータは平成26年の「財政検証結果レポート」に記載されていたものを私が抜粋して作り並べ替えたものです。

負担額と受け取る額だけ見ると高齢者が得だが…

現在働いている人の9割は給与所得者(サラリーマン)なので、サラリーマンが加入している厚生年金を例に挙げて見てみましょう。ここで言う年金給付額は、年金保険料を払い終わった時点の年齢(多くは60歳です)からの平均余命までの合計額で計算をしています。

私的な扶養から年金による社会的な扶養

出所=『知らないと損する年金の真実 2022年「新年金制度」対応』より

現在66歳の人の多くは年金を受け取り始めたばかりだと思いますが、保険料の負担額は1400万円、それに対して受け取る金額の合計は4600万円ですから負担した保険料の3.44倍となります。これが76歳の人だと5.2倍になるのに対して、26歳の人の場合は2.3倍ですから、この倍率だけを見るとたしかに現在高齢の人の方が得をしているように見えます。「ほら見ろ、やっぱり高齢者の方が良い思いをしているじゃないか」と思うかもしれません。でも実際には決してそういうわけではないのです。この理由は図表2をご覧いただくとわかります。

高齢者がすごく得をしているわけではない

年金は“共助”の仕組みであり、公的年金制度がなかった時代は子供が親の面倒をみるという「私的扶養」の時代でした。そして国民全員が加入する国民年金制度ができたのが1961年でした。先ほど「たくさんもらって良いなぁ」と思われる76歳の人は当時16歳でした。当然彼らの親は公的年金には入っていませんから、現在70歳以上の人たちは親を養いながら、かつ年金保険料も払うという言わば二重の負担をしていたわけです。

図表2の下半分が年金制度による社会的な扶養で、上半分は家族による私的な扶養です。すなわち現在の高齢者が現役であった昭和30~40年代はまだまだ私的な扶養のウエイトが高く、年金制度による“共助”はそれほど機能していませんでした。

親世代を子が支えていた

厚生年金保険料は、始まった当初は給料の3.5%でしたが、現在は18.3%になっています。しかし二重の負担を強いることになる当時の若者(現在70歳以上の人)には公的年金の保険料をそんなに高く負担させることができなかったのです。

事実、65歳以上の人がいる世帯の内、三世代で同居している世帯の割合は1970年には44.4%でしたから、約半数近く、そして65歳以上で夫婦のみとか単身世帯は16.8%しかいなかったのです。ところが2010年になりますと、この数字は完全に逆転し、三世代同居世帯は16.4%と大幅に減少した反面、夫婦のみ・単身世帯は53.3%と半数を超えています。この数字を見ても昔はおじいちゃん、おばあちゃんの生活をお父さんが見ていたということがわかると思います。

したがって、公的年金の保険料の負担だけを見れば世代間による格差があるのは事実ですが、決してそれが世代間不公平にはなっていないのです。

20代の若者でも払い込んだ保険料の倍以上が受け取れる

図表1に目を向けてみましょう。今26歳のサラリーマンであれば、生涯に自分が負担する保険料の金額は3400万円、それに対して平均余命まで生きた場合に受け取る年金給付額の合計は7900万円ですから、その割合は2.3倍になっていますね。自営業やフリーランスの場合は国民年金しかありませんからそれほどたくさんは受け取れませんが、それでも自分が負担した金額の1.5倍が受け取れるのです。

にもかかわらず、テレビなどではどうして若者が払い損みたいなグラフを作るのでしょうか? 一つ一つの番組を検証したわけではありませんし、そもそも根拠となる数字が示されていないケースも多いのでなぜそうなるのか、たしかなことはわかりませんが、想像するのは自分が負担する保険料だけではなく、国や会社が負担する保険料も含めているのではないかという気がします。

サラリーマンであれば厚生年金の保険料は労使折半です。つまりみなさんが毎月の給料から天引きされている厚生年金保険料(給与明細に載っていますね)と同じ金額を会社も負担しています。また、国民年金の場合は半分が国庫負担なので税金でまかなわれています。

そういう部分まで全部入れて計算すると、あるいは負担した保険料よりも少ない年金しか給付されないというケースも出てくるかもしれませんが、直接自分が負担していない保険料まで加えて比較をするというのはフェアではありません。中には「会社が負担すると言ってもそのお金は社員が稼いだものなのだから、当然本人が出したという具合に考えないといけない」というやや無理なこじつけ的な論拠を展開する人もいますが、それは違います。年金に限らず、健康保険も雇用保険も社会保険料を企業が負担するというのは、企業としての義務であり、会社が儲かっていないから出せないという性格のものではありません。ボーナスのように「今期は赤字だったから出さない」というわけにはいかないのです。

「誰が得か」と煽ると全員が不幸になる

本当は、年金を損得では考えるべきではないのですが、もし損得で言うのならやはり自分が負担した金額と自分が給付される金額で比較するのが妥当ではないでしょうか。

さらに言えば、図表1で示した負担額と年金給付額は、それらを今後の賃金上昇率を用いて65歳時点の価格に換算し、さらにそれを物価上昇率を用いて平成26年時点(この試算が作られた時)の現在価値に割り引いて計算されたものですから、ほぼ現時点での価値になっています。実際に受け取る時の名目額はもっと高いものになっていると思います。

年金制度は多くの人が参加して支える仕組みですから、「誰が得だ」とか「損だ」といって世代間対立を煽るようなことは誰にとっても不幸なことだと思います。実際に数字のデータを見て判断することが大切ではないでしょうか。