少量飲酒のがん罹患リスクVol.1

お酒は少量であっても健康に悪かった!?

少量飲酒のリスク【前編】2018年にLancet誌に発表された論文の衝撃

葉石かおり=エッセイスト・酒ジャーナリスト

「お酒は適量飲む分には体にいい」――。かつてこう言われてきたが、最近では「少量でも体に悪い」という話も耳にするようになった。2018年には「少量でも体に悪い」という論文が権威ある雑誌に掲載されたことをご存じだろうか。「適量ならOK」と安心して飲んでいた人にはショックな報告だ。そこで今回は、飲酒と健康についての研究を手がける筑波大学の吉本尚准教授に飲酒量の最新事情について話を聞いた。

 「酒を全く飲まないより、適量飲んだ方がカラダにいい」――。

100歳を超える長寿の方が、晩酌するシーンをニュースなどで見ることもあってか、「酒は百薬の長」という言葉は今もなお多くの人に信じられている。

また昔からそれを裏付けるデータとして多用されている「Jカーブ効果」というものがある。コホート研究から導き出されたこの「Jカーブ効果」から見るメリット面の結果がまさに、「適量を飲む分には死亡率が下がる」ということ。もちろん一定量を超えれば、死亡率は上がるのだが、いいところばかりを見てしまうのが左党の悲しい性(さが)である(もちろん筆者も)。

このコラムで2年半ほど前に取り上げたように、「Jカーブ効果」は心疾患や脳梗塞などの病気についてはその傾向が確認されているものの、高血圧や脂質異常症、脳出血、乳がんなど、飲酒量が増えると少量であってもリスクが着実に上がる病気も多くあることが分かっている(「『酒は百薬の長』はあくまで“条件付き”だった」を参照)。つまり、Jカーブ効果は全ての疾患に当てはまらず、病気によっては少量飲酒でも悪影響を受ける。そして、飲酒と総死亡率の関係性として見ると、少量飲酒による心疾患などの影響が大きいことから、トータルでもJカーブとなるということだった。

こうした報告から、酒好きにとって都合のいい「飲まないより“少し”飲んだ方が健康にいい」という説を信じてきたわけだが、正直なところ、ここに モヤモヤをずっと抱えていた。心疾患などにいい効果があるとはいえ、多くの病気ではリスクが上がるわけだし、少量とはいえ飲むのと飲まないのでは、飲まない方が体にいいのではないか――そんな疑問も浮かんでくるのである。

折しも近年、世界的にアルコールのリスクが取り上げられる機会が増えているように感じる。「タバコの次はアルコール規制が厳しくなる」と言われて いるし、左党としてはとっても心配である! 実際、海外ではアルコール規制が厳しくなっていて、海外に行くとそれをひしひしと感じることが多い。先日訪れた常夏のハワイでも、ビーチや公園など公共の場での飲酒は禁止で、違反したら罰金が科せられる。日本はお酒(そして酔っ払い)に寛容なのだ。

さて、そんなモヤモヤを抱えていたところ、昨年、少量飲酒のリスクを指摘する論文が相次いで発表された。

1つはGoodayでも紹介しているが、医学雑誌Lancet(ランセット)誌に2018年4月に掲載された英ケンブリッジ大学などの研究(Lancet. 2018;391(10129):1513-1523.)では、「死亡リスクを高めない飲酒量は、純アルコールに換算して週に100gが上限」という報告がなされている(詳しくは「『安全な飲酒量』今の基準では多すぎる?」を参照)。

もう1つの論文もLancet誌に同年8月に掲載されたもので、「195の国と地域で23のリスクを検証した結果、健康への悪影響を最小化するなら飲酒量はゼロがいい」と結論づけているという。「ゼロがいい」という結論は衝撃である! Lancet誌は世界的にも権威のある医学雑誌の1つで、その影響はとても大きく、ニュースなどでも取り上げられた。

これら最新の研究は、「安全飲酒量(≒適量)は今の基準より少ない」あるいは「少量飲酒であってもリスクがある」ことを示唆するものである。つまりは、「適量までの飲酒なら体にいいんだから…」という酒飲みの言い訳が通じないということでもある。これは健康に気を遣う酒飲みにとっては大いに気になるところである。専門家に詳しく話を聞かねばなるまい。

そこで今回は、飲酒と健康についての研究を手がける医師で、北茨城市民病院附属家庭医療センターの「飲酒量低減外来」で診療を行っている、筑波大学地域総合診療医学の吉本尚准教授に、「適切な飲酒量」の最新事情について話を伺った。

「どれだけたくさん飲んだら体に悪いのか」から研究が始まった

まず吉本さんに、これまでの飲酒と健康についての研究の経緯、そして、近年まで「少量のお酒は体にいい」と言われていた説が、最近になって否定されるケースが出てきたのはなぜか、このあたりの事情から聞いた。

すると、吉本さんはこれまでの経緯を丁寧に説明してくれた。

「アルコールと健康に関する研究では、『どれだけたくさん飲んだら体(健康)に悪いのか?』についての研究が先になされてきました。その研究の結 果から、毎日60g以上飲むとがんをはじめとする全ての病気のリスクが高まることが分かり、それによって飲む量を減らした方がいい(減酒)ということに なったわけです。この60gという数字は以前から知られていました」(吉本さん)

そして、次に検討されたのが、どのくらいまで減らせばいいのか、つまり適量についての議論だったのだという。「日本人男性を7年間追跡した国内で のコホート研究(JPHC Study*1)の結果や、欧米人を対象とした海外の研究の結果(*2)などを基に、厚生労働省が2000年に発表した『健康日本21(第1次)』において、『節度ある適度な飲酒』として1日平均純アルコールで約20g程度(*3)という数字が明文化されたわけです。いわゆる『適量』と言われる20gという数字が出たのは、画期的なことでした」(吉本さん)

上記の海外の研究(*2)の結果が下のグラフである。男性については1日当たりのアルコール量が10~19gで、女性では1日9gまでが最も死亡率が低く、アルコール量が増加するに従って死亡率が上昇することが示されている。

*1  Am J Epidemiol.1999;150:1201-7.
*2  Holman CD,et al. Med J Aust. 1996;164:141-145.
*3 純アルコールで約20g程度とは、日本酒1合、ビール中ジョッキ(500mL)、ワイン2~3杯に相当する。
アルコール消費量と死亡リスクの関係(海外)
海外の14の研究をまとめて解析した結果。適量を飲酒する人は死亡リスクが低い傾向が確認できる。(Holman CD,et al. Med J Aust. 1996;164:141-145.)

また、前述した国内のコホート研究(JPHC Study)では、その後、2005年に国内の40~79歳の男女約11万人を9~11年間追跡した結果を発表している。それによると、総死亡では男女と もに1日平均23g未満で最もリスクが低くなっている(Ann Epidemiol. 2005;15:590-597.)。

なるほど、こうして適量20gという指標ができたわけだ。左党としては、「この結果で満足してよ」と思うのだが、そうはいかないのが研究者たちである。

先ほど、Jカーブについて簡単に解説したが、研究者の間では「これはちょっとおかしいのでは?」と疑問視する声も挙がっていたのだと吉本さんは話す。

具体的には、「『全く飲まない人の死亡リスクがこんな高くはならないのではないか』という指摘です。詳しくは後述しますが、飲酒が血管に対していい効果があるのは確かとはいえ、他の病気についてはリスクが上がることから、トータルで見たら『(飲酒量は)少なければ少ない方がいいのではないか』と研 究者の間ではずっと言われてきたのです」(吉本さん)

なお、こうした疑問が挙がった背景には、コホート研究において、飲酒量の測定が不十分であったこと、また飲まない人の中には元々飲んでいてやめた人もいるのではないか、などといった指摘もあったのだという。

「こうした流れから、ここ10年ほどの間に『少量飲酒のリスク』に特化した研究が増えました。昨年、Lancet誌に掲載された論文などがそれにあたります。ただし、日本において少量飲酒に関する論文はほとんど出ていません」(吉本さん)

「基本的に飲酒量はゼロがいい」という驚きの結論

いよいよ本題に突入、左党にとっては“爆弾”、あるいは悲報ともいえる論文である。先生、昨年8月にLancetに掲載になった論文 (Lancet. 2018;392:1015-35.)には、「基本的に飲酒量はゼロがいい」と言い切っているとか。これはどういうことなのでしょうか。

「この論文は、1990~2016年にかけて195の国と地域におけるアルコールの消費量とアルコールに起因する死亡などの関係について分析したものです。この論文では最終的に、健康への悪影響を最小化するアルコールの消費レベルは『ゼロ』であるとしています。つまり、『全く飲まないことが健康に最もよい』と結論づけているのです」(吉本さん)

吉本さんによると、かなりインパクトがある論文として研究者の間で話題になったそうだ。「かつての研究のグラフではJカーブを描いていましたが、 今回の研究結果を見ると緩やかにLカーブになっているんです。下のグラフにあるように、飲酒量1(アルコール換算で10g)くらいまでは疾患リスクの上昇 はあるものの緩やかで、それより多くなると明確に上昇傾向を示しています。つまり、『飲むなら少量がいいよ、でもできたら飲まないほうがいいよ』ということですね」(吉本さん)

アルコール消費量とアルコール関連疾患のリスクの関係
縦軸は相対リスク。横軸はアルコールの消費量。1単位は純アルコール換算で10g。(Lancet. 2018;392:1015-35.を基に編集部で作成)

なぜ、ゼロの方がいいのか? 心疾患などについては適量の飲酒がリスクを減らすのですよね? 納得いかずに吉本さんに食い下がると、

「ご指摘のように、この論文でも虚血性心疾患(心筋梗塞など)については以前と変わらず、『少量飲酒で発症リスクが下がる』という結果が出ており、Jカーブが確認されています。しかし、飲酒量が増えればがん、結核など他の疾患のリスクは少量飲酒においても高まっていくので、心疾患などの予防効果が相殺されるのです」と吉本さんは説明してくれた。

以前の記事でも「少量飲酒においては、飲酒によってリスクが上がる疾患より、心疾患などリスクが下がる疾患の影響が大きいためJカーブになる」と説明したが、最新研究ではより多くのデータからこの両者のバランスが再検証され、Jカーブから緩やかなLカーブになったということか。

「もちろん、1つの論文で結論を出すのは危険です。色々なデータを見て判断する必要があります」と吉本さんは前置きしつつも、「この論文の登場で、多くの医師・研究者が『少量飲酒が体にいいとは言えなくなってきた』と感じるようになっていると 思います。特に、これまで研究者の中で『全く飲まない人の死亡リスクがこんな高いわけないよね?』と疑問に思われていた部分がクリアになったのは大きいでしょう。また、飲む人より、飲まない人の方が、がんの発症リスクが低いという点についても裏付けの1つになったと考えています」(吉本さん)

「この結果を見ると、『健康にいいから』と大手を振って飲むことはできなくなりますね」(吉本さん)

……。満面の笑顔でそんなこと言われても(涙)。

なお、吉本さんは、「少量の飲酒が心疾患などのリスクを減らすことはアメリカ心臓協会(American Heart Association)も認めていながら、それでも飲まない人に飲酒を推奨しているわけではありません」と話す。「健康日本21においても『飲酒習慣のない人に対してこの量の飲酒を推奨するものではない』と明記されています」(吉本さん)

「死亡リスクを高めない飲酒量は、週100gが上限」という報告も

前ページのグラフをよく見ると、アルコール消費量とアルコール関連疾患のリスクの関係は直線的な比例関係ではなく、緩やかなL字に近いもので、酒量レベル1(アルコール換算で10g)までの上がり方は緩やか。つまり、できることなら酒量はゼロの方が望ましいものの、日本酒半合、ワイン1杯程度までの飲酒であれば、リスクは“さほど”上昇しないということは言えそうだ。

また、冒頭でも少し触れたが、同じLancet誌に2018年4月に掲載されたケンブリッジ大学などの研究では、19の高所得国の住民を対象とし た3つの大規模研究を解析した結果から、「死亡リスクを高めない飲酒量は、純アルコールに換算して週に100gが上限」という報告がなされている。こちらの論文では、アルコール摂取量が週に100g以下の人では死亡リスクは飲酒量にかかわらずほぼ一定だったが、週に100gを超えると、150gくらいまで は緩やかに上昇。さらにそれ以上では急上昇している。

こちらの論文の結論は前述のものとは多少異なるものの、Jカーブの形になっておらず、L字に近くなっているところなどは似ている。そして残念なこ とに、死亡リスクを高めない飲酒量が週100gまでというのは、前述した厚労省の健康日本21の指針である「節度ある飲酒量」の1日当たり20g(=週 140g)より、週当たり40g(日本酒に換算して2合)も少ないではないか。

つまり、いずれの論文に拠るにしても、本連載で繰り返しお伝えしてきた「1日当たりの適量20g」という数字は多すぎる、健康に配慮するなら減らす方向が望ましいというのは確かなようだ。

20gを死守するのさえ大変なのに、これ以上、量を減らさなくてはならないなんて殺生な…。

◇       ◇       ◇

私たちは、このまま日本基準の20gを信じたまま飲み続けていいのだろうか? やっぱり減らす? それとも論文が示唆するように、いっそのことゼロにしてしまうのが最善なのか? 後編では、吉本さんに具体的な飲み方について聞いていこう。

(図版:増田真一)

吉本 尚(よしもと ひさし)さん
筑波大学医学医療系 地域総合診療医学 准教授/附属病院 総合診療科

[日経GOODAY]

私も毎晩就寝前に。。。

一日二分爪をもむだけで不調が解消!?どこでもできる「爪もみ」療法

「爪もみ」療法とは、爪の生え際を押して刺激し、働きすぎや悩みごとなどによる心身のストレスで、交感神経優位に傾いた自律神経を整えること。でも、なぜ爪をもむといいのでしょうか?実は、爪の生え際には神経線維が密集していて、刺激が自律神経に伝わりやすいのです。

誰でも手軽にできる 免疫力を回復させる健康法

自律神経とは、全身の血管や内臓の働きを無意識のうちに調整する神経のこと。リラックスしている時に働く副交感神経と、緊張・興奮している時に働く交感神経があり、その両者がバランスを保ちながら働いています。

免疫が低下するのは、交感神経が緊張し、リンパ球が減少(顆粒球が増加)するためです。交感神経と副交感神経の働きのバランスが取れている状態を、「健康」と呼ぶのです。

「爪もみ」療法は、爪の生え際を押して刺激し、働きすぎや悩みごとなどによる心身のストレスで交感神経優位に傾いた自律神経を整えます。そしてリンパ球を増やして(顆粒球を減らして)、免疫力を回復させる健康法です。

でも、なぜ爪をもむのでしょうか?実は爪の生え際には神経線維が密集していて、刺激が自律神経に伝わりやすいのです。一日たった二分でOK。まずは気軽に始めてみましょう。

◇爪のもみ方
爪の生え際を、反対側の手の人さし指と親指で挟み、少し痛いと感じる程度に刺激する。親指から順番に両手とも10秒ずつ。その後、症状に対応する指を20秒ずつ刺激する。一日2〜3回、毎日行うことが大切です。

各指と症状の関係

■親指=肺などの呼吸器
■人さし指=胃や腸などの消化器
■中指=耳の症状
■薬指=交感神経
■小指=心臓や腎臓などの循環器

薬指は交感神経を刺激し、残りの四指は副交感神経を刺激します。複数の症状を改善したい場合は、最もツライ症状に対応する指を刺激しましょう。

腹式呼吸を加えると、リラックスしている時に働く副交感神経が優位になり、自律神経のバランスが整いやすくなります。息を吐きながら、指に力を入れましょう。

一時的に痛みが出たり、症状が悪化することがありますが、これは病気がよくなる前の反応です。心配せずに毎日続けましょう。

【親指】
アトピー/せき/ぜんそく/リウマチ/円形脱毛症、など

【人さし指】
胃・十二指腸潰瘍/胃弱、など

【中指】
耳鳴り/難聴、など

【小指】
肩こり/腰痛/椎間板ヘルニア/頭痛/不眠/生理痛/子宮筋腫/子宮内膜症/更年期障害/腎臓病/高血圧/糖尿病/肝炎/うつ状態/物忘れ/目の病気、など

気づいたら、常に指をもむようにしていれば、全身のバランスが取れるようになりますよ。

ライター:幸雅子

[YOU ONLY LIVE ONCE]

すべては小さな一つ一つの積み重ね。。。

1日1万歩は歩き過ぎ?ハーバード大の研究で明らかになったウォーキングの新常識

 

皆さん日頃どのくらい運動していますか?

朝晩めっきり涼しくなり、ウォーキングやランニングしている人をよく見かけるようになってきました。

私は特に日頃からスポーツをしているわけではないのですが、唯一毎日気にしてチェックしているのがその日1日の歩数です。

これまでライフハッカーでも、健康のためには1日1万歩、または1万歩じゃ少ない、1万5000歩は歩いたほうがよい、など歩数と健康について取り上げてきました。

1日に4000歩の人が、1万歩を達成するための具体的なシミュレーション

「1日1万5000歩」が健康維持の新常識!?

私もとりあえず1日1万歩を目指そうと、電車に乗ったときは一つ前の駅で降りてみる、マンションでは階段を使う、日中の歩数が少なかった日は夜のウォーキングを長めにちょっと遠回りする、などと、とにかく常に歩数を稼ぐことを日課にしていました。

ただ、毎日1万歩歩くのってなかなか大変なんです。結構歩いたかな、と歩数を確認しても5000歩ほどしかいってなかったり、挙句の果てには歩数カウントがプレッシャーになってしまって夜ウォーキングに出るのがなんだか億劫になる、なんて日も。

なんて本末転倒なんでしょう…!

年配女性の歩数と死亡率の関連性が明らかに

そんなとき私を救ってくれたのが、NEW YORK POSTに掲載されていたハーバード大が発表した新たなウォーキングに対する研究結果です。

実験では60歳前後から100歳前後の女性約16000人を4年間に渡って観察。日中の歩数やスピード、またそれぞれのライフスタイルやこれまでの健康状態などを掛け合わせてみると面白い事実が浮き彫りになりました。

4年間の実験中に504名の死亡が確認されたが、毎日平均して4400歩程度歩いていた女性たちはその半分ほどしか歩いていない女性たちと比べて死亡率が格段に低くなっていたことが分かった。また、7500歩、もしくはそれ以上歩いていた女性たちはおおむね全員死亡率が低かったが、1万歩歩いたからといって特段目立ったメリットはなかったという。

「NEW YORK POST」より引用翻訳

これってなかなか衝撃的な発表じゃないですか。

もちろん年齢やその人の健康状態などにもよりますが、60歳~100歳前後の女性であれば4400歩~7500歩が死亡率の低下に繋がる目安と考えて良さそうです。

1万歩は歩いちゃだめ、ということでは決してありませんが、毎日1万歩絶対に歩かなきゃ!と躍起になることはないのかも。

なんとなく1万歩と思っていたけれど…

私自身は今回の研究対象者より年齢が若いため、やはりもう少し歩数は必要なのかもしれません。

けれど今回なんとなく1万歩、とよく聞く情報を鵜呑みにしすぎていたり、着用しているウェアラブルデバイスからの推奨目標歩数に言われるがまま何も疑いを持たずに目標を設定していたりしたのは事実。

この記事を読んで、改めて自分にとって運動することの目的、それに応じた歩数やウォーキング以外の運動方法にも目を向けるきっかけになりました。

現在自宅で仕事をしている私にとってウォーキングの時間は大切な気分転換。歩数に追われるよりも距離が短くても、まずはリラックスして体を動かすことが何より大切だと気付きました。

何より大切なのは継続すること

少し肩の荷が降りた今は夜のウォーキングが楽しみに。日課にしている分のウォーキングコースの距離は自分が気持ちよく歩ける長さなので、これなら毎日続けていけそうです。

また、これまでは昼間外出をして疲れていても1万歩に届いていない日は無理してウォーキングに出ていましたが、今は昼間よく歩いた日は夜のウォーキングは休んでもOKとしました。

ダイエットや何か新しく勉強を始める際など何事もそうですが、気負いすぎて目標を高く設定すると長くは続かないもの。

一番大切なのは日常の生活に溶け込むくらいの自然さで無理なくできることを、長く続けることなんだと身に沁みて実感しています。

皆さんもこれをきっかけにご自身の運動習慣を一度見直してみるのもよいかもしれません。

ポイントは自分の目的をしっかりと明確にしておくこと、そして何より自分が楽しんで続けられること、ですよ!

[lifehacker]

愛憎は表裏一体、同じ苦、、、“和して同ぜず”を目指しつつ、まずは“離れて和す”ことから。。。

 

心が楽になる「どうしても嫌な人」のあしらい方

しんどいときの対処法を仏教で考えてみた

チクチク嫌味を言ってくる上司に、感じの悪い隣人、マウンティングしてくるママ友……。誰 しも1人や2人くらい「苦手」「嫌い」と感じている人がいるのではないでしょうか。仏教マニアのお笑い芸人、笑い飯・哲夫氏によると、「人を嫌うこと」 は、四苦八苦で言うところの八苦に入るほどの苦痛なのだとか。
そんな大きな苦痛とどう向き合うべきなのでしょうか。NHKをはじめ多数のテレビ番組に出演し、河合隼雄学芸賞も受賞した浄土真宗の僧侶、釈徹宗氏と、哲夫氏との往復書簡『みんな、忙しすぎませんかね?』から、嫌いな人との付き合い方を考えてみます。

108の煩悩があるから四苦八苦が生まれる

哲夫:諸行無常で考えます

高校の先生に四苦八苦のお話を教えてもらった時の衝撃は、今でも忘れることができません。幾度となくその話をパクって人にしゃべっておりますが、いつもあの時のような衝撃を与えることができております。

その先生がおっしゃったのは次のとおりです。「苦しみの原因は煩悩で、苦と煩悩は因果関係にある。煩悩は108あって、108の煩悩があるからこそ 四苦八苦が生まれる。四苦八苦を読んだとおりに数字で書いてみると、4989になる。ここで、4×9、8×9と掛け算してみる。すると、36と72にな る。これを足すと、108になるでしょ」。教室内に「うおお」と歓声が上がりました。

大人になって調べてみると、このおもしろい話は、お釈迦さんがおっしゃったことではないのだとわかりました。そもそもお釈迦さんは日本人ではないので、四苦八苦をシクハックとは発音されていませんよね。でも、おもしろいからこの話は後世に伝えていきたいと思っています。

またその先生は、四苦とは生、老、病、死だと教えてくださいました。そして大人になっていろいろ調べてみると、八苦とは、四苦に愛別離苦(あいりべ つりく)、怨憎会苦(おんぞうえく)、求不得苦(ぐぶとっく)、五蘊盛苦(ごうんじょうく)の4つを加えたものを指すのだと知りました。

やっぱり若いときに教えてもらったことが興味深いことであれば、それがきっかけとなっていろいろ深追いしたくなるわけですから、子どもたちにおもしろい話を教えてあげるのって大切ですよね。

嫌いな人に会うのは、なかなか強い苦しみ

さて、八苦の中の怨憎会苦とは、大まかに説明しますと、嫌いな人や物に会ってしまう苦しみのことです。大きな8つの苦しみの中に、嫌いな人に会うこ とがノミネートされているのです。高校野球でいえば甲子園の準々決勝まで残った高校に匹敵する「苦」なわけですから、嫌いな人に会うのは、なかなか強い苦 しみということになります。

確かに生活を営んでおりますと、いろんな場面で嫌な人に遭遇しますよね。バイトの先輩にいびられ、その人を嫌い、それでも会わなければならない日々 もありました。着てる服からは半乾きの悪臭を放出し、両脇からは目の痛くなる尖った刺激臭を発散させ、なおかつ口から腐臭を噴出させる人と話さなければな らなかった時間もありました。電車の中でじろじろ見てくるやつに会ったこともありました。

ただ、バイトの先輩はやがていいおじさんになり、楽しくおしゃべりができるようになりました。臭い人はメンテナンスを始めてそこまで臭くなくなり、 清々しく呼吸をしながらおしゃべりできるようになりました。じろじろ見てくるやつは、見てくれなくなりました。つまり、嫌な人って一時的なものなんですよ ね。これこそ諸行無常ですよね。

だから、いつも人を嫌いになった時には自分に言い聞かせています。言い聞かせている文言は次のとおりです。「この人のことめちゃめちゃ嫌いやけど今だけやし」。

このように、諸行無常を自身の観念に少し取り入れることによって、だいぶ生きやすくなると思っています。財布を失ったときも、諸行無常をしがむことによって、かなり楽になりました。ただ、はかないことを大前提とする教えですから、捉え方によっては誤解を招くかもしれません。

悪く生きようと思ってる人が諸行無常の感覚を取り入れると、どうせこの便所の戸もはかないものなんだから、いつかは壊れるわけだし、今ここでパンチ して壊しても構わないだろう、となるかもしれません。それはいけませんよね。それが、よく生きようとしてる人なら、この便所の戸は大切なものだから本当に 機能しなくなる最後の瞬間まで大事に使おう、となりますよね。

しかし、よく生きようとしてる人でもめちゃめちゃ漏れそうで、やっと駆け込んだ便所の戸が閉まっていて、いくらノックしても返答がなく、いよいよ門の辺りに顔を覗かせるかという苦痛に迫られたときは、戸を壊すかもしれません。

結局はみんないい人になってしまう

だから、いつでも漏れそうなんだと思って、その時に自分はどういう行動に出るかと予想して、そのうえで反省するのがよりよい反省なのかなと考えています。結果的に想像上の自分はいつも悪人になるんですよね。

対人もそうで、自分が究極の苦痛に見舞われたときに、横にいる嫌いな人はどんな行動に出るのかと予想して接するのがいいと思っています。大概の嫌い な人は、想像上でちゃんと助けてくれるんですよね。結局はみんないい人になってしまうわけです。自分は悪人なのにですよ。これが、想像するだけで嫌いな人 にちょっと優しくなれるイメトレだと考えています。

釈:精神的に離れましょう

このお題は、まさに「怨憎会苦」の問題ですねえ。哲夫さんの言うとおり、八苦の中の1つです。八苦に代表されるような根源的な苦は、生きている限り 必ず出会うものなのです。怨憎会苦も避けられません。自分の好きな人ばかりに囲まれて一生を送る人はいません。大なり小なり、誰もが好きでもない人と付き 合いながら暮らしています。

好きになれない人との付き合いですが、例えば『論語』に「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」(子路第十三)という言葉があります。「立派な 人は、周囲との和を保ちながら、けっして付和雷同はしない。器の小さな人は、付和雷同しながら、周囲との和が保てない」といった意味です。

「和して同ぜず」とは、なかなか味わい深い言葉ですね。安易に同調はしないし、意見も言うし、議論もするけど、争いはしません、協働していきます、 そんな内容の言葉です。儒教というのは社会実践について深い思想をもっていますので、こういう視点の言葉が多くておもしろいです。

さて、仏教はどのように説くのでしょうか。中世の念仏者・親鸞聖人は、生きる方向性が異なる人からは、「つつしんで遠ざかれ」と説いています。同じ 方向を向いて生きる人と歩みをともにするのは、私たちにとって大きな喜びです。しかし、向いている方向が違う人もいます。そういう人からは「離れろ」とい うことです。離れるのが仏教の基本的態度となります。

まあ、「離れたくても、同じ職場なんだからどうしようもないよ」という人もいるでしょうが、そこは精神的に離れるように工夫してみましょう。哲夫さ んの手法である、「この人のことめちゃめちゃ嫌いやけど、今だけやし」「そのうち腹立たんようになるんやし」とやり過ごしています、といった態度はかなり 参考になると思います。堪忍(耐え忍ぶ、他者を許す)の実践を心がけましょう。

所詮独りと理解すれば誰とでも付き合える

最初期の仏典『スッタニパータ』には、「四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々の苦難に堪えて、恐れることなく、 サイの角のようにただ独り歩め」とあります。私、この言葉、好きなんです。つらく苦しいとき、この言葉を口にすると、ふつふつと体の奥底からわき上がって くるものがあります。

インドでは、2つの比喩に”牛の角”を使い、1つの比喩に”サイの角”を使うことがあるようです。アフリカのサイとは違って、インドのサイは角が1 つですからね。仏教はとてもクールな宗教ですので、「つきつめれば、人は独りで生きて、独りで死んでいかねばならない」ことを強調します。このことを本当 にしっかりと自覚することができれば、むしろイヤな人や嫌いな人ともつき合えるわけです。だって、所詮独りだ、と理解しているのですから。

この理解のうえで、おつき合いするのです。ということは、好きな人とおつき合いする時も同じになってきます。どれほど好きな人がいても、”つきつめれば独り”なんですね。「愛別離苦」です。これも避けることができません。

また、さらに哲夫さんは「この便所の戸は大切なものだから、本当に機能しなくなる最後の瞬間まで大事に使おう、となりますよね」とも書いておられま す。そのとおりです。独りで生きる覚悟というのは、自我を肥大させて、自分勝手に生きろということではありません。逆です。とてもはかない人間関係だから こそ、みんなで大切に扱わなければならないのです。すべての存在も現象も、刻々と流れていきます。だからこそ自ら手を添えてケアするのです。

[東洋経済ONLINE]

亡き田部井淳子氏も曰く「私は登山家ではなく、登山愛好家だ」

“好き”に“引退”はない?生涯現役のススメ
才色健美~強く、そして美しく〜 with Number
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、スポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。9月13日の放送は、マラソンランナーの谷川真理さんが登場。マラソンを始めたきっかけ や、“生涯現役”を掲げることへの思いなどについて語った。
■夢が叶わなかったからこそ、続けることができた
通常、体力は年齢と共に衰えていくもの。しかし、ときにその常識が当てはまらないこともある。谷川さんは、「少しずつでも練習を頑張っていくと、走る距離 も少しずつ伸びていく。年齢を重ねているのに、記録をどんどん短縮している自分がいる。走れば走るほど“私って意外と走れるんだ”と、進化していることを 実感します」と力説する。
現在56歳の谷川さんは、今も現役のランナーとして走り続ける。初めて走ったのは、30年以上前。場所は、多くの人で賑わう皇居の外周だった。「24歳の 春に、当時勤めていた会社の同僚から皇居でのお花見に誘われて。行ってみたら、たくさんの人が走っていたので、私も明日から走ってみようと思ったのがきっ かけ。会社から皇居までは直線の距離で2~300mくらい。毎日、会社のお昼休みの時間帯に走っていました」と振り返る。
皇居から始まったランナー人生。市民マラソンで頭角を現し、1991年の東京国際女子マラソンで初優勝。翌年に開催されるバルセロナオリンピックの代表候 補にも選出されたが、惜しくも出場の夢は叶わなかった。谷川さんは「結果論ですけど」と前置きしつつ、「実は、オリンピックに行けたら辞めてもいいかなっ て思いもちょっとあって。行けなかったからこそ、マラソンをここまで続けさせてもらえた、ということだと思います」と打ち明けた。
■好きなことに“引退”はない
そして、4年後の1996年。谷川さんは、アトランタオリンピック代表を目指して最終選考会となる名古屋国際女子マラソンに出場するが、順位は奮わず落 選。谷川さんは、「翌週くらいに、市民マラソンにゲストランナーとして呼んでもらったけれど、どんな顔をして行けばいいのか分からなくて」と、当時の心境 を語った。「でも、実際に行くと、本当にたくさんの方が温かく迎えてくださって、“真理ちゃん、これからも一緒に走っていこうね”と声をかけていただきま した。別に辞める必要はないし、マラソンが好きだったら、市民ランナーとして走り始めた頃の自分に戻ればいいんじゃないかと思えました」。
谷川さんは「そもそも引退ってなんだろう。走ることが好きなら、そのまま走り続ければいい」と考えるようになり、それ以降、どんな苦境に立たされても、どんなに結果が悪くても、頭の中に“引退”の文字が浮かぶことはなかったという。
谷川さんは、2019年6月に開催された「第5回いしのまき復興マラソン」で撮った一枚の写真を手に、あるエピソードを披露した。映っているのは、谷川さんと、80~84歳部門の世界記録保持者である83歳の市民ランナー・中野陽子さん。ゴールした後の2ショットだ。
「陽子さんは早く歳をとりたいとおっしゃるんですよ。年代別のカテゴリーをもう一つ上がって、そこでまた世界記録を出したいと。年齢に関係なく挑戦されている、陽子さんのハートが素晴らしいんです」。
中野さんと出会い、“生涯現役”との思いをより強くした谷川さんは、マラソンを「人生を充実させる手段」だと表現。練習の苦しさも、完走し終えた喜びも、 そのすべてが自身の人生に彩りを与えてきた。今も様々な大会にゲストランナーとして参加している谷川さん。胸を張って“生涯現役”と言える何かを見つけ、 “走り続ける”ことの大切さを、現在進行系で伝え続けている。