自らを成長させるものは、興味のないことと嫌いなこと。。。

予防医学博士 石川善樹「人生の本番は50歳から。若いうちは興味がないことでも『修業』してみる」

 

30 歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「30 UNDER 30」では、「Business Entrepreneurs(起業家)」「Social Entrepreneurs(社会起業家)」「The Arts(アート)」「Entertainment & Sports(エンターテイメント&スポーツ)」「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」の5つのカテゴリーを対象に、計30人のUnder 30を選出。

選出にあたって、カテゴリーごとに第一線で活躍するOVER 30を迎え、アドバイザリーボードを組織。彼らに選出を依頼した。

「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」部門のアドバイザリーボードのひとりには、予防医学博士の石川善樹が就任。

「30 UNDER 30」の発表に先立って、石川に自身の「20代」を振り返ってもらった。

レールから外れてしまった24歳

いやー、20代でこんなに活躍している若者がいるなんて、すごいですね。あと何回生まれ変わったとしても、僕は「30 UNDER 30」に選ばれないでしょう(笑)

考えてみると、20代というのは普通、何もないですよね。スキルもない、実績もない、人脈もない。さらにいえば、凡人過ぎて「自分を信じ切る」こと もできないし、何を言っても「信じてもらえない」というのが20代でしょう。そういう意味では、「30 UNDER 30」の方々はすごいですよね。

あまり参考にならないと思いますが、僕がどんな20代だったかをお話しますね。まずざっくりいうと、こんな感じでした。

18歳~23歳 ラクロスに打ち込む
24歳~25歳 (うっかり)ニートになる
26歳~28歳 ハーバード大学公衆衛生大学院で学ぶ
28歳~   (ようやく)社会人になる

 

こうして振り返ると、何もしてないですね(笑)今でこそ予防医学研究者と名乗っていますが、最初に論文を書いたのが31歳の時ですから、まあ研究者としても遅いですよね。

あえて特徴といえば、24歳の時に進学手続きを怠ったためニートになったということくらいでしょうか。僕は本当に手続きが苦手で、たとえば未だに宅急便の出し方がわかりません。。。

もちろん、ニートになった当時は落ち込みました。というのも同級生たちは次々に就職を決め、輝いて見えました。飲み会に行っても、スーツじゃないのは僕だけ。

ただ、それは比べる対象が高すぎるだけで、その後知り合ったニートの友達には、もっと苦労されている方も沢山いて、僕なんかは本当に恵まれているのだと痛感しました。

その後一念発起し、苦手な手続きも頑張って、ハーバード大学公衆衛生大学院に入学することになります。ある意味、20代のハイライトでしょうね。とにかく2年間、めちゃくちゃ頑張りました。

これは留学された方はみなそうでしょうが、「人生で一番頑張った」と自信をもって言えます。それこそ英語一つとっても、留学当初は入国審査官のしゃべっていることが全く聞き取れないくらいだったので、慣れるまでは大変でした。

「勉強するためにハーバードへ来たのか?だからお前はだめなんだ!」と怒られる

いまでも鮮明に覚えているハーバードでの出来事は、入学直前の教授との面談です。面談で、これからの2年間をどう過ごすか尋ねられたのですが、「頑張って勉強します!」と無邪気に答えるとメチャクチャ怒られました。

「だから日本人はダメなんだ」と。

その理由を尋ねると、そんなことも分からないのかという顔で、次のように回答してくれました。

ハーバード大学の卒業式にて

「勉強なんていつでもできる。そんなことより、お前がわざわざハーバードまで来た理由は一つしかないだろう。それはハーバードを使い倒すことだ。そ のために何をすればいいか?ここにいる世界トップの研究者と仕事をすればいいんだ。教室に座ってお勉強するより、トップ研究者との触れ合いがお前の実力を伸ばしてくれる」

・・・目が覚める思いでした。おっしゃる通りだなと。

また別の教授になるのですが、親切にも次のようなアドバイスをしてくれました。

「共同プロジェクトをするなら、有名教授より、若手の先生がいいと思う。なぜなら有名教授は忙しくて時間を取ってもらえないし、あなたのような若者が思い付きのアイデアを出しても相手にしてもらえないでしょう。それより、これから伸びると思える若手の先生と仕事をして一緒に成長した方が、後々のことを考えても断然いいでしょ!?」

・・・素晴らしい助言でした。人間は弱いもので、すぐ権威や流行になびいてしまいがちです。しかし、自分の眼でしっかりと本質を捉え、これから来るであろう分野を見極めなさいというアドバイスは、その後の留学生活を支える指針になりました。

人生100年時代、いつからが本番か?

こうして28歳の時にハーバードを卒業するのですが、確かに研究スキルは向上したものの、「これがしたい!」という目標が見つかったわけではありません。かといって焦りもありませんでした。

というのも、全く根拠があるわけではないのですが、「50歳くらいにならないと、本当にやりたいことは分からない」と思っているからです。いまは人 生100年時代とも言われますから、楽しみは50歳までとって置くくらいがちょうどいいのかなと(笑)それ故、20代~40代は修行の期間だと捉え、たと え自分に興味がないことでも、ご縁があれば積極的に取り組もうと考えています。

そういう意味でいえば、31歳の時に大きなご縁がありました。それは東京大学で行われたTEDxTodaiというイベントに呼んでもらったことで す。最初は「司会者」として呼んでもらったのですが、設立者の本多正俊志くん(2018年にForbesアジア版の30UNDER30に選出)から、「つ いでにプレゼンもしてください!」と声をかけてもらったのです。

そこで行った「本当に寿命を延ばすのは何か?」というプレゼンがきっかけとなって、色々な業界の人と知り合うことが出来ました。結果として、多様な プロジェクトに関わらせてもらうことになり、もはや自分が何者なのか自分でも分からなくなっていますが(笑)、そんな状況はありがたいことだなと思ってい ます。

最近、友人のドミニク・チェンに勧められて、「江戸はネットワーク(平凡社ライブラリー、田中優子)」を読み驚きました。江戸時代の文化人は、生涯 に20や30を超える「号」を持ち、様々な顔でクリエイティブなことをしていたというのです。つまり、「一貫した自己などない」という前提に立ち、華麗に 自分を変化・進化させていたのです。

今回の30UNDER30で選出したのは、若くして一つの「号」を確立できた方々ばかりです。しかし、ノーベル賞を取った直後に研究分野をがらっと 変えてしまった利根川進先生のように、決してこれまでの業績に捉われることなく、様々な「号」を持って自分の道を進んでいってもらいたいです。

何しろ、わずか10年前にiPhoneが登場したことを考えると、これからの10年、20年でどのような変化があるか予想もつきません。「一貫した 自己」という幻想に惑わされることなく、人生100年時代をしなやかにたくましく生きていって欲しいですし、またそんな姿をこれからも応援したいと思います!

[FORBES CAREER]

あるがままの自らを受け容れる入口は“開き直り(=覚悟)” Vol.4

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一生折れないビジネスメンタルのつくり方 第4回

身体と心の状態をチェックする簡単エクササイズ

仕事がうまくいかないとき、やる気が出ないときに、気分転換をする人は多いと思います。インターネットで動画を見る人もいれば、マッサージ屋さんに行く人もいるでしょう。あるいは漫画を読んだり、美味しいものを食べたりと、気分転換の方法は人それぞれだろうと思います。

ただ、数ある気分転換の方法のなかでも、私がおすすめするのは、「身体を動かす」ことによる気分転換です。スポーツジムに行ったり、ジョギングをしたりといった本格的なものもありますが、デスクの周りで手足を伸ばしたり、首や肩、足首などをゆっくり大きく回すなど、ちょっとした体操やストレッチも効果的です。

なぜ、身体を動かことがいい気分転換になるのか。それは、身体と心は「一体」だからです。不安や怒り、ねたみや焦りを感じているとき、私たちの身体 には必ずどこかに、不自然な緊張やこわばり、鈍い痛みなどの違和感が生じています。逆に、全身がリラックスしているときには、私たちはネガティブな感情に とらわれることはありません。

身体と心が一体であることは、次のような簡単なエクササイズでも確かめることができます。

まず、蹲踞(そんきょ)という姿勢を取ってみましょう。つま先立ちでしゃがむ、お相撲さんや剣道の人が、試合の前にやっている姿勢です。やってみるとわかりますが、この姿勢を取ること自体が、西洋式の生活に馴染んだ現代人にとっては意外に難しいものです。

やり方は極めて簡単、蹲踞の姿勢でどれくらいの時間、安定を維持できるかを試してみるわけです。年齢によっても違いますが、少しでも心ここにあら ず、つまり何かを上の空で考えた瞬間、バランスを崩す人が多いのではないでしょうか。特に心に不安があったり、心配事があって落ち着きのないときには、 10秒もしないうちにバランスを崩し、姿勢を維持することができなくなってしまいます。

蹲踞の姿勢を取るとき、私たちは身体の重心を背筋に沿って真っ直ぐ降ろすことでバランスをとっています。心が乱れていると、必ず身体の重心の位置も乱れます。そうするとすぐさま、蹲踞の姿勢は崩れるのです。

つまり、蹲踞の姿勢をどれくらいの時間保てるかということで、そのときの精神状態の良し悪しを、ある程度、測ることができるのです。また、これは逆も成り立ちます。つまり蹲踞の姿勢をしばらく維持することによって、心はある程度落ち着くのです。

身体を観察するだけで調子が上がる!?

特にデスクワークの方にありがちですが、仕事に夢中になっていると、自分の心身の調子の変化に気づきにくくなります。自分では無理をしているつもりはなくても、疲労をたくさん溜めて仕事をしている人は少なくありません。

そういう人は、目をつむって、自分の身体を観察してみてください。呼吸が浅くなっていないか、背中がこわばっていないか、肩に力が入りすぎていない か……。身体のどこがだるいか、胃腸に違和感はないか、姿勢がかたよっていないか……。特に身体を観察してみて驚くのは、身体の中にはいつもどこかに微か ではありますが、「痛み」や「痺れ」や「気持ち悪さ」というものがあり、それが絶えず現れたり消えたりしていることです。

初めはあまりコツがつかめないかも知れません。でも何度か試みているうちに、あるときフッと、体の中の動きを捉えられるようになるでしょう。

焦りや不安で精神状態が悪いときというのは、必ず身体のどこかに、その兆候が出ています。そして、その兆候を、実際に症状が出る前に感じ取れるよう になると、不思議なことに、毎日ほんの5分でも目をつむって自分を観察しているだけで、しだいに身体の調子が崩れにくくなり、好不調のブレがなくなり、仕事のパフォーマンスが底上げされてくるんです。

ターゲットは「不安」

先ほど述べたように、自分の身体を観察すること自体、身体の調子を整える力強い作用があります。しかしそれだけではありません。もう1つ、仕事のパーフォマンスを確実に上げる要因があります。それは、自分の心身の調子をモニタリングすることによって「不安」が軽減されるからです。

調子の悪いときというのは、私たちは「調子の悪い自分」を「自分の実力」だと思いこんでしまいがちです。

「こんな簡単なミスばかりをしている自分は、仕事ができないダメな人間ではないか」
「この仕事には向いていないんじゃないか」

実際、ミスを繰り返したり、仕事の成果もあがっていなければ、こういう不安にとらわれるのも無理はありません。しかしながら、この「不安」こそが、実は「調子を落とす」最大の原因なのです。

本当は、どんな人であっても、好不調の波があります。つまり不調は固定したものではなくて、時間の波の一部なのです。どれほど調子が悪くても、ずっと悪いままではありません。いつか必ず、いや、案外早い時期に調子は上向いてきます。ところが、「自分は仕事ができない人間なんじゃないか……」という不安が強すぎると、ちょうど心に悪いイメージの“レッテル”を貼ってしまうような効果が生じて、不調が続いてしまいやすくなります。また、こういう不安にと らわれているときは「なんとか挽回しなければ」と焦って余計な仕事に手を出し、かえってミスを招き、さらに自信を失ってしまうという悪循環に陥ることも少 なくありません。

調子を落としているときに必要なことは「このまま不調が続くのではないか」という不安を払い、「なんとかなるさ」という、ある種の楽観主義を持つことです。
ただし、不安を払うためには「不安はよくないのだ」などと“心がけ”るだけでは、十分な効果は期待できません。それよりは、ほんの10分ほどでも休憩して、その間に深呼吸を数回する、身体を動かす、お茶やコーヒーブレイクをする、など具体的に節目の時間を持つのがよいのです。

そうして一度でも不安の軽減を実際に経験すれば、再び不調で落ち込んでしまっても、

1)これは本来の自分ではない
2)不安から解放された明るい自分に戻ることができる

という2点を、筋道を立てて思い出すことで不安は減少します。こうして1日のうちで不安に陥る時間が減少していけば、不調に陥る回数自体も減ってい きます。なぜなら「このままずっと、調子が悪いままだったらどうしよう」という底なしの不安こそが、実は不調を引き起こす最大の原因だからです。

「いまは確かに調子が悪いけれど、時間が経てば必ず、いいときがやってくるさ」という楽観的な希望を信じる。その信じる根拠となる鍵が、自分の心身の状態をモニタリングすることなのです。

心身の状態を常日頃からモニタリングしていると、自分の調子の「波」が把握できます。1日の間の変化はもちろん、1週間、1ヵ月……、といった、ま とまった期間の「波」を自分なりに把握することができれば、多少調子を落としたところで、「また調子が上向いていく」ということを信じられるようになるのです。

波を捉える練習

自分なりに「調子の波」を捉えておくことは、長期的に仕事のパフォーマンスを高いレベルで保ち続けるためには大切な習慣です。ただ、調子の波を感じ取るには、ある程度、自分自身を観察する「訓練期間」が必要です。

先に述べたとおり、身体の違和感を手がかりに、自分の調子の変化をチェックすることを日々の習慣のなかに取り入れてみてください。たとえば、1日のうちで、午前中と午後の調子の違いを比べてみる。お昼ご飯を食べたあとすぐと、数時間後の調子はどうか、人と会う前と、会ったあとではどう変化しているか……。あるいは一週間のなかでどう変化しているか、1ヵ月周期でみるとどうか……。

「調子の波」というのがどういうものかわかりづらい、という人は、風邪をひいたときなど、体調を崩したときにこそ、自分の体調の変化(体の内側の変化)を観察してみてください。というのも、調子が悪いときというのは、「波」が大きくなり、観察しやすくなるからです。

熱が上がっていくときのだるさ、しんどさ、関節のこわばりの変化を観察してみる。そうすると病気のときでも、ただ痛みやだるさやしんどさが物質のよ うにそこにあるのではなくて、たとえば、たった5分でも特にズキンズキンと痛いときと、そうでもなくて少し軽快してぼんやりしているときとが繰り返し訪れていることがわかります。

そうやって自分の身体の状態に生じる「波」を観察することで、だんだんと心身の調子の「波」を感知するセンサーが磨かれていきます。「苦痛は波を描 く」ということを知っていると、それだけでかなり楽になります。それは結局、「この苦しさが“ずっと続いたら”どうしよう」という不安がいつのまにか軽減 するからです。

まずは睡眠

いくら調子の波を捉えても、どうしても調子が低下してしまうことももちろんあります。そういうときに手をつけるべきことは「睡眠」と「運動」、その 次には「栄養」です。この順番は、大半の日本人にとっては、ということです。ここでは詳しく述べませんが、3つ目の栄養については、特に野菜嫌いの人は要注意です。そこだけはチェックしてくださいね。

さて、特に睡眠は何よりも大切です。質のよい睡眠を取ることさえできれば、たいていの不調は解消されてゆくとさえ言えると思います。

では、質のよい睡眠に必要なことは何か。いくつかあるのですが、最近、質のよい睡眠のために重要だということがわかってきたのが「午前中の運動」で す。質のよい睡眠のためには、副交感神経優位の状態で睡眠に入ることが必要なのですが、副交感神経を働かせるメラトニンという脳内物質は、運動をした15 時間後に分泌されることがわかっています。つまり、夜23時頃に就寝する人は、朝7~8時頃に運動しておけば、就寝しやすくなるというわけです。

また、朝、身体を動かしておくことも、その日1日のパフォーマンスを上げるうえで重要なポイントです。朝起きたときに気持ちが沈んでいると、その日1日の仕事のパフォーマンスが低下します。

私自身、朝起きたときに、軽いうつ状態といっていいぐらい、気分がすっかり落ちこんでしまっていることがあります。人生に対する強い空虚感があって、世界が色あせて見えてしまうのです。

そういうときでも、15分ほど体操をして身体を動かしているうちに、いつのまにか何事もなかったかのように気分がよくなり、調子を取り戻すことができることを実感しています。

ヨガでもピラティスでもラジオ体操でも、自分に合ったものでかまいませんが、朝の運動のコツは、いきなり全身を動かすのではなく、「身体の末端」か ら少しずつ、順を追って動かすことです。そういう意味で、私は足助體操(あすけたいそう)という体操を毎朝やっています。これはとても理にかなっていて、 簡単で安全で、体調が整います。たとえば朝目覚めたら、足首を左回し右回し各10回ほど、ゆっくりと回してみてください。そうやって少し身体が温まってき たら、次に違うストレッチ系の動きをやってみればよいと思います。

朝からしっかりと身体を動かし、まとまった時間、質のよい睡眠をとること。そうすれば、心と身体の調子は確実に上向いて行きます。

[アルファポリス]

あるがままの自らを受け容れる入口は“開き直り(=覚悟)” Vol.3

一生折れないビジネスメンタルのつくり方 第3回

「なんだか調子が悪い」ときに身につけるべきこと

いつもと同じようにやっているはずなのに、どういうわけか、あまり作業がはかどらない。営業先に行っても、なぜか会話が弾まない。いくら頭をひねっても、なかなかいいアイデアが降りてこない。何をやっても集中できない……。

これといってはっきりとした理由もないのに「なんだか調子が悪い」ときというのは、誰にでもあります。そういうとき、日本人の多くは仕事がはかどらない分、いつもよりも残業したり、少しでも調子が悪い分を帳消しにしようと踏ん張りがちです。風邪をひいて熱があるなど、明らかに病気であるときならとも かく、「なんとなく調子が悪い」というあやふやな理由で休むことはできない。むしろ、調子を落とした分を「根性」で穴埋めしたい……。生真面目な気質の日本の会社員の場合、そう考える人が圧倒的に多いと思います。

ただ、このように「不調時に無理して頑張る」ことには、多くの問題があります。

そもそも、調子が悪いときにいくらがんばっても、さほど、よい成果は出ないものです。どれほど自分にムチを入れても妙案は出ず、ミスは増え、効率は上がらない。そして、そういう状態のなかでがんばり続けることによって生じる最大の問題は、人間の感覚が、どんどんレベルダウンしてしまうということで す。

最初はちょっとした不調でも、無理をしているうちに感覚が鈍ってきます。自分が疲れていること、イライラしていること、不調に陥っていること自体が、わからなくなってきます。そうやって、自分の心身の調子を観察する余裕がなくなっていくと、結果的に、立ち直れないぐらい、心身の調子を崩してしまう ことにもつながるのです。

「調子が悪いときに無理をしてがんばる」ということは、百害あって一理なし、なのです。

「そんな甘いことを言っていては、社員の力が伸びない」
「自分が休むことで、同僚や得意先に迷惑をかけることはできない」

そうおっしゃる方の気持ちも、もちろんわかります。

しかし、仕事をするうえで大事なことは「身を削ってがんばる」ことよりもむしろ、「できるかぎりいいコンディションで働き続ける」ということではないでしょうか。

調子が悪いときには、しっかりと休む。感覚をしっかりと働かせて、自分の心身の状態を観察する。そうすることによって、不調から立ち直るだけではなく、不調を、人生を変える好機に変えていくこともできるというのが、精神科医として多くの方を見てきた、私の意見です。

「不調のサイン」に早めに気付く

不調のときには、休んだほうがいい。ただ、ひと口に不調といっても、さまざまなレベルがあります。「今日の打ち合わせはちょっと億劫だなあ」というぐらいのときと、「目の前が真っ暗で何もする気が起きない」というのは、まったく違いますよね。

本当に何もする気が起きない、仕事のことを考えただけでも暗い気持ちになる。このレベルの不調になると、別に私に言われなくても、多くの人が「ちょっと休もうかな」と考えはじめるのではないでしょうか。

一方で、「ちょっと気が重い」とか「なんだか集中力がない」という程度の不調では、なかなかそれが問題だという認識を持つ人は少ないでしょう。

実は、ビジネスマンの皆さんが自分で気をつけるべきポイントは、前者よりもむしろ、後者のような「ちょっとした不調」のときに、見逃さずに対応しておくということなんです。絶不調に陥る前の「ちょっとした不調」を早めに察知する。その「観察力」を発揮することが、不調を好機に変えていく鍵となりま す。

小さな不調のサインを察知することさえできれば、1時間早めに寝たり、喫茶店で30分ポカーンとしたり、整体を受けたり、つまりはそれぞれのライフスタイルに合う気分転換や身体の調整をすることもできます。それだけで、仕事のパフォーマンスは劇的に上がるのです。

近年、「未病」という漢方医学の言葉が、一般にも広まりつつあります。これは「病気になる前」の段階で予防、治療をするという考え方です。実際、身 体の病気も心の病気も、なるべく早めに対応したほうが回復にかかる時間が格段に早いし、負担も軽いということがわかってきています。

一般の方が「なんだか調子が悪い」と自覚して医者のもとを訪れたときには、医者から見ると「かなり調子が悪い」状態であることが多いものです。特に、20代、30代の、若くて、仕事を一生懸命やっている人ほど、そういう傾向があります。

仕事でミスを連発したり、夜、まったく眠れなかったり、寝坊して大事な仕事に遅刻したり、昼間、あくびばかりが出て、ほとんど仕事にならない……。 多くの人は、そういう「絶不調」な状態になってようやく、調子が悪くなっていたことに気付きます。でも、それでは手遅れなんですね。

「明らかな不調」の一歩前、できれば二歩、三歩前の「些細なサイン」に気付き、はやめに対応する。それができると、数年単位で見たとき、仕事のパフォーマンスを大きく向上させることにつながるのです。

なんだかイライラしている。

「不調のサイン」というのは、一般的に考えられているよりもずっと微妙で、相当注意しておかないと、気づき辛いものです。ここではいくつか、気をつ けてほしいサインをあげてみます。どれも一般的には「不調のサイン」とは考えられていないものですが、こういったサインをキャッチして「ちょっと調子が悪いかも?」と疑ってみることで、絶不調に陥ることを避けたり、不調からの回復を早めることにつながります。

・なんだかイライラしている

どんな人でも、「なんだかイライラしている日」ってありますよね。実はこのイライラというのは、典型的な「不調のサイン」です。これは医学的にいう と、副交感神経(リラックスを作り出す自律神経)の力が減退している状態とほぼ符合しています。つまり「目に見えない疲労が蓄積している」指標として捉え ることができるのです。

小学生ならともかく、成人して仕事についている皆さんは、「イライラしている」からといって、誰かれ構わず怒鳴り散らすということはないはずです。 ただ、たとえばエレベーターの順番待ちをしているとき、焦らずに順番を他の人にすっと譲れるときと、横入りをしてでも先に乗りたくなってしまう(実際には そんなことはしないにしても)ときというのがあります。

普段だったら何でもないような場面で感じる、ちょっとした「焦り」や「イライラ」。これは、実はあなたのメンタルに「ゆとり」がなくなってきている 「不調のサイン」です。まだ直接的には仕事上のミスにはつながっていないかもしれない。でも、こういう状態を放置していると、遠からずミスにつながってい くのです。

・決められない

喫茶店やランチでお店に入ったとき、席についてすぐにメニューを決められるときと「どれにしようかな」と迷って決められないときというのがあります。「決められない」というのは、結局のところ直感力が鈍ってきているということです。些細なことのようですが、これを「少し調子が落ちているサイン」と して捉えられるようになると、日々のコンディションの整え方が変わってきます。

・話を盛りたくなってしまう

会議での議論や同僚との雑談の際、そんなつもりはなかったのに、気付くと思いのほか熱弁をふるっていた、ということはないでしょうか。相手の話の腰を折ってしまったり、たいした根拠もないのに、自分の主張を大きく、声高に押し付けてしまったりしたことはないでしょうか。

こういった行動も、実は不調のサインである可能性が高いと考えられます。もちろん、仕事上の議論のなかで、本当に譲れない意見があるなら、熱弁をふるい、相手を説得しようとすることもあるでしょう。それは別に、不調のサインではありません。問題は、それほど強い意見があるわけでもないのに「口が勝手にしゃべっている」ような状態で話してしまっているケースです。これは不調のサインと考えられます。

事実をしっかりと検証し、証拠を確かめることなく、なんとなく自分の話を大きくしてしまう。いわゆる「話を盛る」ということをやってしまっていたら、不調のサインだと捉えたほうがよいと思います。

いつもに比べて考えが浅い、十分に思考を巡らせていることができていない。そういうとき、私たちは無意識のうちに「まずいぞ、これでは相手を説得できない」「相手に自分の意見がちゃんと伝わっていないかもしれない」という焦りにとらわれています。

こうした無意識の焦りこそが、「話を盛る」背景にある心の動きです。実際よりも話を大きく、飾り立てるようになってしまっていることに気づいたら、速やかにブレーキを踏むことが必要です。

・仕事を辞めたい

ここまで紹介したサインと少し性質が違いますが、実は「仕事を辞めたい」というのも、不調のサインのひとつとして覚えておいてもらうとよいと思います。

もちろん、辞める理由がはっきりしているなら、辞めてもいいんです。他にやりたい仕事がある。あるいは、今の職場にいると、どうしても自分がダメになってしまう。そうした理由が自分のなかではっきりと判断できているなら、仕事を辞めることには、まったく問題ありません。

ただその一方で、単純に「調子が悪い」ことによって「辞めたい」という気持ちが生じている、というケースも少なくありません。

調子が悪い状態が続くと、仕事のパフォーマンスが落ちます。すると当然、同僚から好意的な視線を受けなくなる。そうやって同僚や上司との関係が悪化してしまっていることで「なんとなく辞めたい」という気持ちになっている……。

こういうケースでは、生活のリズムを整えて、早寝早起きを取り戻すだけで、つまり身体のコンディションを上向きにしていくことで、「辞めたい」とい う気持ちが自然と消えていくことも少なくありません。本当に辞めたいと思っているのか、ただ「不調の結果」として「辞めたい」という気持ちが生じているのかは、区別が必要です。

不調のサインに気付けば8割解決する

人は常にベストパフォーマンスを出せるわけではありません。仕事をしていれば必ず、好調のときもあれば、不調のときもあります。ただ、自分の調子の よしあしをもう少し頻繁に感じ取ってチェックすることで、仕事のパフォーマンス(成果)をある程度、コントロールできるようになります。

調子が悪いときには、ミスしやすい仕事や、ミスが大きな問題に結びつくような仕事を避ける。あるいは、重要な案件は、睡眠を十分とって調子が戻ってから改めて判断する。こうやって対策を取ることができれば、常にある程度のパフォーマンスを維持することができます。

大切なのは、実際に大きなミスや失敗を犯す前に、自分の不調に気付いておくこと。大きな不調に陥る前に、日頃から、自分の状態をもう少しだけ正確に モニタリングしておくこと。これは、一見些細なことに見えるかもしれませんが、ストレスの多い現代の社会で働いていくうえでは、文字通り生命線といっていいくらい、大切なことだと私は考えます。

信号でいえば、赤信号に変わる前の、黄色信号の段階で手を打っておく。普通だったら気付かないぐらい何気ない不調のサインに気づける人は、不調から回復するのは早いし、不調の間も、パフォーマンスをある程度の範囲に収めることができるのです。

[アルファポリス]

Vol.4に続く

あるがままの自らを受け容れる入口は“開き直り(=覚悟)” Vol.2

一生折れないビジネスメンタルのつくり方 第2回

名越康文「ダメな自分」を受け入れることが、本当の自信を生む

社会に適応することで、かえって自信を失ってしまう

前回、「社会に適応しているかどうか」ということが、自分に自信を持てるかどうかに大きく関係している、ということをお話しました。実は「自信を持てるかどうか」ということを考える時、この要素は日本の風土において、とりわけ大きな問題となります。

ビジネスの場面では、学歴や会社の知名度、職階、年収。プライベートに目を向けると、友人がいるか、恋人がいるか、結婚しているか、子供がいるか……、などなど。日本社会で生きていると、本当に多種多様な基準から「あなたは社会に適応できていますか?」というプレッシャーが与え続けられていま す。

「これをやらないと、あなたは社会に適応できませんよ?」という<脅し>に、24時間365日さらされ続けている。大げさなようですが、そして個人差はもちろんありますが、この心理的プレッシャーは日本社会の現実の一つでしょう。そして、この<脅し>によって、多くの才能や能力が削り取られ、摩耗し、埋もれてしまっているというのが、日本社会の大問題だと私は捉えています。

もちろん、社会に適応すること自体は、大切なことです。若いビジネスマンの皆さんであれば、会社に貢献し、成果を上げ、しっかりとお金を稼いで家族を養ったり経済を回したりして、次世代へとバトンをつないでいくということは、何に重きを置くかはともかく、誰もが考えなければならないことです。そし て、それらをあるレベル以上でこなしていくことは、その人が生きていく上での大きな自信につながるのも事実です。

ただ、そういった現実をすべて踏まえたうえで、「いったん、社会に適応できているかどうかということを、忘れてみませんか?」とアドバイスしたくなるくらい、「社会に適応することに疲れ果てた人」がたくさんいらっしゃる、というのも事実なのです。

日本社会ではあまりにも「社会に適応せよ」「社会に所属せよ」という要請や、細々とした「基準」に自分を合わせなければいけないというプレッシャーが強い。そのことによって疲弊し、才能や能力をやせ細らせ、自信を失っている人があまりにも多いのです。

ダメな自分を「直す」のではなく「受け入れる」のが出発点

「社会に適応しなければいけない」というプレッシャーを受けたとき、私たちはほとんど自動的に、自分自身を「社会が求める形」に整形しなければ、と考えます。

暗くて、引っ込み思案な自分は、いつも会議や打ち合わせで勇気を出して発言することができない。もっと開放的で、社交的な自分にならなくちゃ……。

僕はいつも、飽きっぽくて根気強く物事に取り組めない。もっと地道な努力を続けられる自分にならないと……。

「失敗したらどうしよう」というネガティブな発想ばかりな私は、もっと勇猛で、チャレンジ精神にあふれた自分に生まれ変わらなくては……。

残念ながら、こうした「もともとの自分」を生まれ変わらせようとするチャレンジは、往々にして、その人の自信を失わされる結果につながりがちです。 というのも、持って生まれた資質を削ったり、変形させたりすることは、どうしても「もともとの自分」を否定することになってしまうからです。これでは、自分に自信が持てなくなるのも当然です。

しかし、だからといって「ありのままの自分」や「もともとの自分」のままでいいのかと考えると、おそらく、多くの人が「否」とおっしゃることでしょう。

実際問題、「ありのままの自分」のままでは、私たちは社会に適応することができません。ありのままの自分というのは、他人に嫉妬したり、いらいらしたり、自己中心的になったり、面倒臭がったりという「自分」です。私たちは一皮むけば、誰もが「そのまま」では社会に適応できない「自分」を抱えています。ある意味では、私たちの本性は多かれ少なかれ「社会不適合者」なのです。

ではどうすればいいのでしょうか? 素の自分のままでは、仕事で成果を上げたり、同僚と仲良く、協調することができない。しかし一方で、ありのままの自分を無理やり変えてしまえば、自己否定につながってしまう。この矛盾を、どうすればいいのか。

実は、この矛盾を超えていく第一歩が「ありのままの自分は、(実は)社会不適合者である」という現実を認めることです。実は、「自分に自信がある人」の中には、これができている人が少なくないんです。

もちろんこれは、「自分に自信が持てない人」にとっては、苦しいステップです。しかし、どれほどダメな自分であっても、まずはそのまま、受け入れてみる。そうすることで「本当の自信」を手にするための2つの道が開かれることになります。

持って生まれた資質を「そのまま」活かす

「本当の自信」を手にするための道のひとつは、「持って生まれた自分」をできる限りそのままに、社会の中で生かしていくことです。

「え? 自分にもともと備わっている資質なんて言われても、自分には人に誇れるような才能なんて何もありません……」

そうおっしゃる気持ちはよくわかります。

でも、「もともと備わっている資質」というのは、必ずしも「すごい能力」とか、「役に立つスキル」である必要はないんです。

僕の恩師でありカウンセリングの師匠である方があるとき、「自分には<意地悪>という才能がある」ということを言ったことがあります。「自分ほど、 根っからの意地悪な人間はいない。でもだからこそ、人の短所を見抜き、その人が失敗をしでかしそうな場面を予測して助言することができるんだよ」というのです。

このお話をお聞きしたときは、正直なところ、冗談をおっしゃっているのだろう、と思っていました。でも、年月を重ねて自分なりにカウンセラーとしての経験を積んでから振り返ってみると、これはある意味、本気でおっしゃっていたんじゃないかと思うようになりました。

多くの人は、才能とか能力といったものを「最初から光り輝いている何か」として捉えています。しかし、才能や能力の本質というのは、社会や、周囲の人との関係性の中で「元々持っていた資質」が生かされることによって、初めて輝きを持つものなのです。

師匠の例で言えば「意地悪」という持って生まれた資質を、そのまま相手を攻撃したり陥れるような形で使ってしまったら、害にしかならなかったでしょう。とても、社会に貢献するどころではありません。

ところが、同じ資質を、「相手の問題点を鋭く見抜き、そこをいかにサポートしていくか」という観点で使えるようになれば、それは他の人に真似できない「カウンセラーの才能」になるのです。

「ダメな自分」を受け入れる

「才能がない」「能力がない」「だから自信が持てない」と多くの人が口にします。でも、どんな人にだって能力はあるし、才能はあるんです。なぜなら、人間は社会の中で生きる動物だからです。どんな資質も、「どこで」「いかに」使うかによって、花開き、輝く場合もあれば、問題を引き起こす要因になってしまうこともある。これは安っぽいヒューマニズムの標語とは別次元の、厳粛な事実です。

いつも納期に仕事を間に合わせることができずに「自分は仕事が遅い」と悩んでいるあなたは、実は自分のペースで忍耐強く物事に取り組むことで成果を出せる、研究者タイプの人材なのかもしれません。あるいは、飽きっぽくて一つのことに集中できない人は、もしかすると、誰も思いもしなかった新しい事業を 開拓していく、起業家精神にあふれた人なのかもしれません。

私たちはみな、なんらかの資質を持って生まれてきます。一見、どれほど役立たずで、無意味な資質に見えたとしても、それを一度、「ありのままの形」 で見据えてる時間が必要なのです。そうすればその資質を社会のなかで「いかに使うか」という道も見えてくる可能性が高いのです。

普通だったら役にたたないような資質であっても、それを活かす場所や、活かし方、捉え方を変えることで、まったく違う見え方ができます。そういうふうに見ていくことで、自分を決して否定せずに、社会での居場所を見つけることができるんです。

「社会不適合者」だと自覚するから、人は協力することができる

「ありのままの自分では、社会に適応できない」という現実を受け入れることによって開かれるもうひとつの「道」。それは、「他人と協力する」という道です。

私たちはみな、ひとり残らず社会不適合者である。そのことがわかって初めて、私たちは素直に人を頼ったり、任せたりできるようになるのだと僕は考えています。

これは一見、矛盾しているように聞こえるかもしれません。「人と協力することができない人のことを、社会不適合者と呼ぶのではないか」と。

でも、私がいう「他人と協力する」というのは、別に「誰とでも社交的に、楽しく会話を交わすこと」ではありません。そうではなく、「自分だけでは何事をなすこともできない」という現実を謙虚に認め、他人に興味・関心を向ける、ということです。

光岡英稔(みつおかひでとし)さんという武術家がいます。光岡さんは韓氏意拳(かんしいけん)という中国武術の第一人者で、武術の世界の多くの人が 認める天才的な武術家なのですが、私がいつも「すごい」と感心するのは、あれほど強い光岡さんが、いつも「他人から学ぶ」という姿勢を忘れないことです。

光岡さんが学ぶ相手というのは、一般的にみて「強い人」「すごい人」という枠に収まりません。例えば光岡さんは、重度の身体障害者の施設である菖蒲園というところと、深い親交を持たれています。武術を深く追求し、身体を動かすことのプロフェッショナルである光岡さんだからこそ、常識的にみてしまえば 身体を自由に動かせない障害を持つ人の身体の中に、何か無限の可能性のようなものを学び取っておられる気がします。

「人と協力する」ということの本質は、別に仲良く言葉をかわしたり、目に見えるかたちでコミュニケーションを取ることではなく、「自分の外側」に関 心を向け、自分とのコラボレーションの可能性を探るということです。これをやるためには、自分に「足りないところ」「欠落しているところ」があると深く自 覚している必要があるのです。そうじゃなければ、他人に関心を向けたり、他人の強みや弱みを感じ取ることができないからです。

いくらお金を稼いだり、友人をたくさん作ったとしても、他人と協力できない人というのは、どうしても本当の意味での自信を持つことができません。自己完結するのではなく、他人とコラボレーションすること。これによって、人は初めて、本当の自信を手にできるのです。

「自分はそのままでは社会に適応できない」と知ること

社会の中で役割を果たし、評価を高めていくことは、基本的には自信を高めていくことにつながります。そういう意味では、仕事はがんばらないよりはがんばったほうがいいし、子育て中の人は子供に愛情を注いだほうがいいし、友達とはより友人関係を結んだほうがいいし、素敵な恋愛ができるなら、やったほうがいいでしょう。

でも、そうやってあらゆることを「がんばる」なかで、「ありのままの自分」を否定してしまうのは、心の奥底の、深いところで自分自身を傷つけてしまうことにつながります。そうすると、いくら社会的評価を高めたとしても、「自信」という意味では、プラスマイナスで、マイナスのほうが多くなってしまうん です。

まず「ありのままの自分」は、そのままでは社会に適応できない、ということを認める。

私は、気が回らずロクに人の役にも立てないし、特に魅力もない人間かもしれない。でも、そんな自分でも「かわいいやつだな」というぐらいの気持ちで、大切にする。そのうえで「でも、こんな駄目な自分でも、こんなふうにすれば、みんなの役に立てるんじゃないか?」「こういう強みを持っている人とコラボレーションすれば、何かを生み出すことができるんじゃないか」と工夫してみる。

もちろん、ときには、自分自身を変えていくこともあるかもしれません。しかし、無理やり自分自身を変えるのではなく、常に、元々の自分を出発点にして、社会に貢献したり、他人とコラボレーションする道を模索すること。これこそが、「ありのままの自分を受け入れる」ということの真意なのです。

[アルファポリス]

Vol.3に続く

あるがままの自らを受け容れる入口は“開き直り(=覚悟)” Vol.1

一生折れないビジネスメンタルのつくり方 第1回

「答え」がはっきりしていたとしても「納得」するのは難しい

答えがわかっていても、それを受け入れ実行するのは難しいことが、人生にはたくさんあります。

「自分に自信が持てるようになるにはどうすればいいか?」というのも、そうした問いのひとつです。この質問には、過去、何百回と繰り返されてきた「正解」があります。しかし、多くの人はその答えを聞いても、なかなかそれを実行することができません。

それは、「ありのままの自分を受け入れる」ということです。

仕事であれば、会社での評価や売上、プライベートなら友達の数や恋人の有無。そういった「自分の外側の基準」に惑わされるのではなく、ただありのままの自分自身を受け入れる。それこそが本当の自信を手にする、ただひとつの道である……。

おそらく、多くの人が、これと同様の答えを見聞きしたことがあるはずです。というのも、古今東西、多くの賢人たちの答えも、枝葉の部分に違いはあれど、最大公約数を見ると、だいたいこのあたりに落ち着くんです。

そして、僕の答えも「結論」としては同じです。いくら仕事で成果を上げても、出世をしたとしても、人はどこかで「ありのままの自分を受け入れる」ことなくして、「本当の自信」を手にすることはできません。これはおそらく間違いなく、人間の本質に沿った鉄則なんです。

ところが、です。この「答え」は、「自分に自信が持てない」と今まさに悩んでいる渦中の人の心には、決して響きません。どれほど懇切丁寧に教え説いたとしても、きっと納得してはくれないし、変わることはできません。

当然ですよね。だって「自分に自信が持てない」と悩んでいる人は、今の自分が嫌いだから、自信が持てないんです。仕事がうまくいかない、周囲からの 評価もかんばしくない。何をやっても「自分ならやれる」と心から自信を持つことができない。そんなふうに悩んでいる渦中の人が、「ありのままの自分を受け入れなさい」なんて言われても、「そんなの無理!」となってしまって当たり前ですよね。

というわけで、今回はひとつずつ階段を登っていくように段階を追って、自信について、考えてみることにします。なかなか本題に近づかなくてじれったく感じるかもしれませんが、読み進めていただければ、きっとそのほうが「早道」だということに気付いていただけると思います。

本当の自信と、ハリボテの自信

さて、そもそも「自分に自信がある」って、どういうことなんでしょう。

「自信満々の犬」とか「いまひとつジャンプ力に自信が持てないバッタ」みたいなものを、たぶん私たちはうまく想像することができません。実際に彼らがどうなのかはともかくとして、自信があるかないかということが生活の中で問題になるのは、人間だけと言っていいでしょう。

いつもバリバリと仕事をこなす同僚のAさんは、自信に満ちあふれているように見えます。実際、Aさんは能力的にも優れた部分を持っているかもしれませんが、それ以上に「自信がある」ことによって、成功を引き寄せているように見えます。

それに比べて、なかなか出世できないBさんは、いつもどこか自信なさげです。スキルや知識がないわけではないはずなのに、自信がないから会議でも発言しません。だから結局、成果を上げ、出世するチャンスを逃しています。

こんなふうに、自信というのは、ただその人の内面の問題というより、仕事の成果や人生の成功を左右する、大きな要素になっています。

また逆に、仕事の成果や家族、友人関係や恋愛が、その人に自信をつけさせたり、失わせたりする要因にもなります。「自分に自信が持てない」と悩んで いる人は、自覚しているかどうかはともかく「自分はどの程度社会に適応できているのだろう?」ということに不安を覚えている人なのです。

では、仕事で成果をあげ、同僚や上司、あるいは家族から高い評価を得ることができれば、私たちは「自信を持つ」ことができるのでしょうか? 仕事で 成果をあげれば自信がつき、自信がつけば、さらに仕事の成果もあがっていく。そういう「成功のループ」に入っていけば、それで自信の問題は解決なのでしょ うか?

もしかすると、世間一般では、自信というのはそういうものだと考えられているかもしれません。しかし、精神科医という立場で多くの人と接してきた私が感じているのは「それだけでは十分ではない」ということです。

「社会に適応すること」は自信を持つための「必要条件」ではあります。ただ、残念ながら「十分条件」とはいえません。客観的に見れば、バリバリ仕事 をして、十分な社会的評価を得て、友人もたくさんいるにもかかわらず、なぜかいまひとつ「自分に自信が持てない」という人が少なくないのです。

もちろん、社会の中での居場所や評価を得ることは、自分に自信を持つうえで大切です。自信を持ちたければ、私たちは普通、仕事を頑張ったり、勉強し たり、あるいは人付き合いをして関係を深めようとし、実際そうやって成果を積み上げていけば、ある程度、自信を持つことはできるはずです。

ところが、「自分にどうも自信が持てない」という悩みは、まさにそうやって頑張っている人の中で、芽を出してくる傾向があるんですね。少なくとも 「社会に適応している=自信が持てる」という図式が単純に成り立つほど、自信というのは、一筋縄で手に入れることができないものなんです。

[アルファポリス]

Vol.2に続く