予防医学博士 石川善樹「人生の本番は50歳から。若いうちは興味がないことでも『修業』してみる」
30 歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「30 UNDER 30」では、「Business Entrepreneurs(起業家)」「Social Entrepreneurs(社会起業家)」「The Arts(アート)」「Entertainment & Sports(エンターテイメント&スポーツ)」「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」の5つのカテゴリーを対象に、計30人のUnder 30を選出。
選出にあたって、カテゴリーごとに第一線で活躍するOVER 30を迎え、アドバイザリーボードを組織。彼らに選出を依頼した。
「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」部門のアドバイザリーボードのひとりには、予防医学博士の石川善樹が就任。
「30 UNDER 30」の発表に先立って、石川に自身の「20代」を振り返ってもらった。
レールから外れてしまった24歳
いやー、20代でこんなに活躍している若者がいるなんて、すごいですね。あと何回生まれ変わったとしても、僕は「30 UNDER 30」に選ばれないでしょう(笑)
考えてみると、20代というのは普通、何もないですよね。スキルもない、実績もない、人脈もない。さらにいえば、凡人過ぎて「自分を信じ切る」こと もできないし、何を言っても「信じてもらえない」というのが20代でしょう。そういう意味では、「30 UNDER 30」の方々はすごいですよね。
あまり参考にならないと思いますが、僕がどんな20代だったかをお話しますね。まずざっくりいうと、こんな感じでした。
18歳~23歳 ラクロスに打ち込む
24歳~25歳 (うっかり)ニートになる
26歳~28歳 ハーバード大学公衆衛生大学院で学ぶ
28歳~ (ようやく)社会人になる
こうして振り返ると、何もしてないですね(笑)今でこそ予防医学研究者と名乗っていますが、最初に論文を書いたのが31歳の時ですから、まあ研究者としても遅いですよね。
あえて特徴といえば、24歳の時に進学手続きを怠ったためニートになったということくらいでしょうか。僕は本当に手続きが苦手で、たとえば未だに宅急便の出し方がわかりません。。。
もちろん、ニートになった当時は落ち込みました。というのも同級生たちは次々に就職を決め、輝いて見えました。飲み会に行っても、スーツじゃないのは僕だけ。
ただ、それは比べる対象が高すぎるだけで、その後知り合ったニートの友達には、もっと苦労されている方も沢山いて、僕なんかは本当に恵まれているのだと痛感しました。
その後一念発起し、苦手な手続きも頑張って、ハーバード大学公衆衛生大学院に入学することになります。ある意味、20代のハイライトでしょうね。とにかく2年間、めちゃくちゃ頑張りました。
これは留学された方はみなそうでしょうが、「人生で一番頑張った」と自信をもって言えます。それこそ英語一つとっても、留学当初は入国審査官のしゃべっていることが全く聞き取れないくらいだったので、慣れるまでは大変でした。
「勉強するためにハーバードへ来たのか?だからお前はだめなんだ!」と怒られる
いまでも鮮明に覚えているハーバードでの出来事は、入学直前の教授との面談です。面談で、これからの2年間をどう過ごすか尋ねられたのですが、「頑張って勉強します!」と無邪気に答えるとメチャクチャ怒られました。
「だから日本人はダメなんだ」と。
その理由を尋ねると、そんなことも分からないのかという顔で、次のように回答してくれました。
ハーバード大学の卒業式にて
「勉強なんていつでもできる。そんなことより、お前がわざわざハーバードまで来た理由は一つしかないだろう。それはハーバードを使い倒すことだ。そ のために何をすればいいか?ここにいる世界トップの研究者と仕事をすればいいんだ。教室に座ってお勉強するより、トップ研究者との触れ合いがお前の実力を伸ばしてくれる」
・・・目が覚める思いでした。おっしゃる通りだなと。
また別の教授になるのですが、親切にも次のようなアドバイスをしてくれました。
「共同プロジェクトをするなら、有名教授より、若手の先生がいいと思う。なぜなら有名教授は忙しくて時間を取ってもらえないし、あなたのような若者が思い付きのアイデアを出しても相手にしてもらえないでしょう。それより、これから伸びると思える若手の先生と仕事をして一緒に成長した方が、後々のことを考えても断然いいでしょ!?」
・・・素晴らしい助言でした。人間は弱いもので、すぐ権威や流行になびいてしまいがちです。しかし、自分の眼でしっかりと本質を捉え、これから来るであろう分野を見極めなさいというアドバイスは、その後の留学生活を支える指針になりました。
人生100年時代、いつからが本番か?
こうして28歳の時にハーバードを卒業するのですが、確かに研究スキルは向上したものの、「これがしたい!」という目標が見つかったわけではありません。かといって焦りもありませんでした。
というのも、全く根拠があるわけではないのですが、「50歳くらいにならないと、本当にやりたいことは分からない」と思っているからです。いまは人 生100年時代とも言われますから、楽しみは50歳までとって置くくらいがちょうどいいのかなと(笑)それ故、20代~40代は修行の期間だと捉え、たと え自分に興味がないことでも、ご縁があれば積極的に取り組もうと考えています。
そういう意味でいえば、31歳の時に大きなご縁がありました。それは東京大学で行われたTEDxTodaiというイベントに呼んでもらったことで す。最初は「司会者」として呼んでもらったのですが、設立者の本多正俊志くん(2018年にForbesアジア版の30UNDER30に選出)から、「つ いでにプレゼンもしてください!」と声をかけてもらったのです。
そこで行った「本当に寿命を延ばすのは何か?」というプレゼンがきっかけとなって、色々な業界の人と知り合うことが出来ました。結果として、多様な プロジェクトに関わらせてもらうことになり、もはや自分が何者なのか自分でも分からなくなっていますが(笑)、そんな状況はありがたいことだなと思ってい ます。
最近、友人のドミニク・チェンに勧められて、「江戸はネットワーク(平凡社ライブラリー、田中優子)」を読み驚きました。江戸時代の文化人は、生涯 に20や30を超える「号」を持ち、様々な顔でクリエイティブなことをしていたというのです。つまり、「一貫した自己などない」という前提に立ち、華麗に 自分を変化・進化させていたのです。
今回の30UNDER30で選出したのは、若くして一つの「号」を確立できた方々ばかりです。しかし、ノーベル賞を取った直後に研究分野をがらっと 変えてしまった利根川進先生のように、決してこれまでの業績に捉われることなく、様々な「号」を持って自分の道を進んでいってもらいたいです。
何しろ、わずか10年前にiPhoneが登場したことを考えると、これからの10年、20年でどのような変化があるか予想もつきません。「一貫した 自己」という幻想に惑わされることなく、人生100年時代をしなやかにたくましく生きていって欲しいですし、またそんな姿をこれからも応援したいと思います!
[FORBES CAREER]