自らを成長させるものは、興味のないことと嫌いなこと。。。

予防医学博士 石川善樹「人生の本番は50歳から。若いうちは興味がないことでも『修業』してみる」

 

30 歳未満の次世代を担うイノベーターを選出する企画「30 UNDER 30」では、「Business Entrepreneurs(起業家)」「Social Entrepreneurs(社会起業家)」「The Arts(アート)」「Entertainment & Sports(エンターテイメント&スポーツ)」「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」の5つのカテゴリーを対象に、計30人のUnder 30を選出。

選出にあたって、カテゴリーごとに第一線で活躍するOVER 30を迎え、アドバイザリーボードを組織。彼らに選出を依頼した。

「Healthcare & Science(ヘルスケア&サイエンス)」部門のアドバイザリーボードのひとりには、予防医学博士の石川善樹が就任。

「30 UNDER 30」の発表に先立って、石川に自身の「20代」を振り返ってもらった。

レールから外れてしまった24歳

いやー、20代でこんなに活躍している若者がいるなんて、すごいですね。あと何回生まれ変わったとしても、僕は「30 UNDER 30」に選ばれないでしょう(笑)

考えてみると、20代というのは普通、何もないですよね。スキルもない、実績もない、人脈もない。さらにいえば、凡人過ぎて「自分を信じ切る」こと もできないし、何を言っても「信じてもらえない」というのが20代でしょう。そういう意味では、「30 UNDER 30」の方々はすごいですよね。

あまり参考にならないと思いますが、僕がどんな20代だったかをお話しますね。まずざっくりいうと、こんな感じでした。

18歳~23歳 ラクロスに打ち込む
24歳~25歳 (うっかり)ニートになる
26歳~28歳 ハーバード大学公衆衛生大学院で学ぶ
28歳~   (ようやく)社会人になる

 

こうして振り返ると、何もしてないですね(笑)今でこそ予防医学研究者と名乗っていますが、最初に論文を書いたのが31歳の時ですから、まあ研究者としても遅いですよね。

あえて特徴といえば、24歳の時に進学手続きを怠ったためニートになったということくらいでしょうか。僕は本当に手続きが苦手で、たとえば未だに宅急便の出し方がわかりません。。。

もちろん、ニートになった当時は落ち込みました。というのも同級生たちは次々に就職を決め、輝いて見えました。飲み会に行っても、スーツじゃないのは僕だけ。

ただ、それは比べる対象が高すぎるだけで、その後知り合ったニートの友達には、もっと苦労されている方も沢山いて、僕なんかは本当に恵まれているのだと痛感しました。

その後一念発起し、苦手な手続きも頑張って、ハーバード大学公衆衛生大学院に入学することになります。ある意味、20代のハイライトでしょうね。とにかく2年間、めちゃくちゃ頑張りました。

これは留学された方はみなそうでしょうが、「人生で一番頑張った」と自信をもって言えます。それこそ英語一つとっても、留学当初は入国審査官のしゃべっていることが全く聞き取れないくらいだったので、慣れるまでは大変でした。

「勉強するためにハーバードへ来たのか?だからお前はだめなんだ!」と怒られる

いまでも鮮明に覚えているハーバードでの出来事は、入学直前の教授との面談です。面談で、これからの2年間をどう過ごすか尋ねられたのですが、「頑張って勉強します!」と無邪気に答えるとメチャクチャ怒られました。

「だから日本人はダメなんだ」と。

その理由を尋ねると、そんなことも分からないのかという顔で、次のように回答してくれました。

ハーバード大学の卒業式にて

「勉強なんていつでもできる。そんなことより、お前がわざわざハーバードまで来た理由は一つしかないだろう。それはハーバードを使い倒すことだ。そ のために何をすればいいか?ここにいる世界トップの研究者と仕事をすればいいんだ。教室に座ってお勉強するより、トップ研究者との触れ合いがお前の実力を伸ばしてくれる」

・・・目が覚める思いでした。おっしゃる通りだなと。

また別の教授になるのですが、親切にも次のようなアドバイスをしてくれました。

「共同プロジェクトをするなら、有名教授より、若手の先生がいいと思う。なぜなら有名教授は忙しくて時間を取ってもらえないし、あなたのような若者が思い付きのアイデアを出しても相手にしてもらえないでしょう。それより、これから伸びると思える若手の先生と仕事をして一緒に成長した方が、後々のことを考えても断然いいでしょ!?」

・・・素晴らしい助言でした。人間は弱いもので、すぐ権威や流行になびいてしまいがちです。しかし、自分の眼でしっかりと本質を捉え、これから来るであろう分野を見極めなさいというアドバイスは、その後の留学生活を支える指針になりました。

人生100年時代、いつからが本番か?

こうして28歳の時にハーバードを卒業するのですが、確かに研究スキルは向上したものの、「これがしたい!」という目標が見つかったわけではありません。かといって焦りもありませんでした。

というのも、全く根拠があるわけではないのですが、「50歳くらいにならないと、本当にやりたいことは分からない」と思っているからです。いまは人 生100年時代とも言われますから、楽しみは50歳までとって置くくらいがちょうどいいのかなと(笑)それ故、20代~40代は修行の期間だと捉え、たと え自分に興味がないことでも、ご縁があれば積極的に取り組もうと考えています。

そういう意味でいえば、31歳の時に大きなご縁がありました。それは東京大学で行われたTEDxTodaiというイベントに呼んでもらったことで す。最初は「司会者」として呼んでもらったのですが、設立者の本多正俊志くん(2018年にForbesアジア版の30UNDER30に選出)から、「つ いでにプレゼンもしてください!」と声をかけてもらったのです。

そこで行った「本当に寿命を延ばすのは何か?」というプレゼンがきっかけとなって、色々な業界の人と知り合うことが出来ました。結果として、多様な プロジェクトに関わらせてもらうことになり、もはや自分が何者なのか自分でも分からなくなっていますが(笑)、そんな状況はありがたいことだなと思ってい ます。

最近、友人のドミニク・チェンに勧められて、「江戸はネットワーク(平凡社ライブラリー、田中優子)」を読み驚きました。江戸時代の文化人は、生涯 に20や30を超える「号」を持ち、様々な顔でクリエイティブなことをしていたというのです。つまり、「一貫した自己などない」という前提に立ち、華麗に 自分を変化・進化させていたのです。

今回の30UNDER30で選出したのは、若くして一つの「号」を確立できた方々ばかりです。しかし、ノーベル賞を取った直後に研究分野をがらっと 変えてしまった利根川進先生のように、決してこれまでの業績に捉われることなく、様々な「号」を持って自分の道を進んでいってもらいたいです。

何しろ、わずか10年前にiPhoneが登場したことを考えると、これからの10年、20年でどのような変化があるか予想もつきません。「一貫した 自己」という幻想に惑わされることなく、人生100年時代をしなやかにたくましく生きていって欲しいですし、またそんな姿をこれからも応援したいと思います!

[FORBES CAREER]

私もすっかり“ひな湯”好き♥

高級温泉旅館もいいけど”ひな湯”もいいぞ!ひなびた温泉の味わい方をマニアに聞いた

Q.ひなびた温泉ってナニ?
A.ズバリ、“せわしない現代の時間の外”にある温泉です。

 

 

昨今注目の「ひなびた温泉」という言葉。大辞林によると「ひなびる」とは<田舎らしい感じがする。野暮である。いなかびる。>を意味する。つまり、ゴージャスやラグジュアリー、はたまた超便利で快適、という温泉宿とは真逆の存在なのである。

10年ほど前から、ひなびた温泉の魅力を発信してきた「ひなびた温泉研究所」 によると、ひなびた温泉の定義は「この“せわしない現代の時間の外”にある温泉」となる。ひなびた温泉研究所ショチョー・岩本薫さん曰く、「かつて、某ウイスキーのCMで“時は流れない。それは積み重なる”とあったように、ひなびた温泉には、過去から綿々と流れてきた時間が積もっている」そうだ。

わかるような? わからないような? もっと具体的には?

「お湯の表面や湯船、蛇口、カラン、浴室全体、建物や温泉街全体にも、そうした“時間”が積もっているのが“ひな湯”なワケで。それらを、五感を総動員して感じるべし!」とのこと。

副ショチョーの上永哲矢さんによると、「再開発や後継者不在により、廃業せずにはいられない昨今、そのままの姿でいることが素晴らしく、われわれにできるのは愛すること、応援すること!」という。どこに“ひな湯愛”を感じるかはヒトそれぞれ。身を“湯”だねてみよ!

つまり ————
ひなびた温泉=ひな湯は、
ゆるくておおらか、ガツガツしていない。
ゴージャスな湯船も最高級のおもてなし、いっさいなし。

ひなびた温泉=ひな湯の味わい方

高級なお宿やスーパー銭湯のように、なんでもかんでも整っているなんてことは絶対にありえないのが「ひな湯」というもの。

不便であったり、キレイとは言い難い……なんてコトは瑣末な問題。ともかく、湯のよさと、そこに蓄積された時間を堪能することに注力しよう。

1 湯に染みた“時”を感じよ。
2 ボロくたって、いやボロさを楽しめ。
3 不便だからこその満足感にひたれ。

湯が違えば蛇口も異なる
蛇口をチェック!

 

群馬県
四万温泉「積善館」

見事なまでに、温泉の析出物(白とエメラルド色)で彩られた蛇口は積善館の「元禄の湯」で。

 

島根県
東郷温泉「寿湯」

この路地裏隠し湯系で見つけた蛇口に出会うには、7、8mほどの狭〜い通路をくぐり抜けねばならない。

 

栃木県
「日光澤温泉」

最寄りのバス停から徒歩2時間。山好きのオアシスとしても知られる宿の蛇口は無骨でかっこいい。

 

静岡県
熱海温泉「竜宮閣」

源泉成分が付着するため、年に一度は交換するという。んー、ストイック。

 

全文はこちらで。。。

 

[ディードットサンロクゴ]

私も長年思い描いてきたスタイル、、、実在していて驚きました。。。さらに協力会社や取引先などにまで、広く社外に拡大していっていただきたいものです。。。

■上司も役職も部署も存在しない。型破りすぎる会社がうまくいっている理由

職場での人間関係に悩む人は多いもの。CanCam.jpが以前ご紹介した仕事の悩みに関するアンケートでも、「上司・同僚との人間関係」は2位にランクインしていました。とくに上司との関係性については、本当にたくさんの人が悩んでいる様子。たとえ理不尽な指示でも、上司が相手ではなかなかノーと言えません。また非効率的な仕事をしている上司に対して、「そこはこうしたほうが……」なんてアドバイスもしづらいですよね。

 

もしも立場が平等なら、もっとテキパキ仕事が進むのに。上司も部下も存在しない、フラットな会社があればなあ……。と感じている、あなた。なんと「上司がいない会社」は、現実に存在します!

100名以上の社員から役職や肩書きを全部なくしてしまった、その会社。「上司が存在しない職場」は、いったいどんなふうに仕事をしているのでしょうか? 詳しい様子をご紹介します。

 

▼肩書きも部署も一切なし!フラットすぎる会社とは?


株式会社ISAOは、大手ゲーム会社であるセガ(現株式会社セガホールディングス)とCSK(現SCSK株式会社)のグループ企業として1999年に創業しました。今は企業向けのクラウドマネジメントや社内SNSの開発・運営など、IT分野で幅広く活躍中です。

従業員は100名以上。にもかかわらず、この会社には上司と部下という関係性が一切存在しません。なぜならこの会社、2015年から役職・部署・階級といった仕組みを一切なくしてしまったから(!)。

通常の会社では、部長、課長、係長……といった上司から仕事を任されるのが当たり前。でもこの会社には、上司どころか部署の区別もありません。一般的な感覚では、ちょっと想像が追いつかないかも。ここではいったいどうやって、日々の仕事を行っているのでしょうか?

▼やりたい仕事は自分で見つける。ひとりひとりが主役の職場


株式会社ISAOでは、社員が自分でやりたい仕事を見つけて会社に提案し、プロジェクトを立ち上げる形で仕事が進みます。

ほとんどの社員は複数のプロジェクトを掛け持ちしていて、あらゆる情報が社内SNSで共有されています。今どんなプロジェクトが動いているのか、どんな成果が挙がっているのか。それが誰にでも分かるよう公開されているわけです。

どうしても必要な仕事(たとえば経理や総務など)も、部署ではなくプロジェクトとして設けられ、スキルを持つ社員が他の業務と掛け持ちで担当しています。

人間関係はすべてフラット。意見やアイデアは年齢や経歴にとらわれることなく、自由に発信でき、フェアな目線で検討されます。「偉い人が言ったから 実行する」とか、「若手のアイデアだから取り合わない」なんて場面はありません。新入社員のアイデアだろうとベテラン社員のアイデアだろうと、平等に扱わ れます。

 

なんだか会社組織というよりは、目的を達成するための大規模なチームのようなイメージが浮かんできますね。

ただ、大きな疑問も浮かびます。上司がいないということは、仕事で困ったときには誰に相談すれば良いのでしょうか? また、給与に関わる社員の査定は、誰が行っているのでしょうか?

 

▼自分で選べる「コーチ制度」が上司の役割をカバー


一般的な会社では、困ったことが起きたり判断に迷ったりしたときには、まず上司に相談することができます。上司がいないこの会社では、それができません。

しかし、「相談相手がいない」というこの課題を見事に解決してしまったのが、この会社独自の「コーチ制度」です。株式会社ISAOでは、社員全員に「コーチを持つ義務」があります。

なんだ、それじゃ結局上司がいるのと同じでは?……と、思った方もいるでしょう。でもコーチと上司はかなり違います。どこが違うのかと言うと、なんとコーチは自分で選べるのです!

この会社では、仕事のノウハウを持っている相手や適切な指導・アドバイスをしてくれそうな相手を、自分で選んでコーチに任命することができます。ちなみにコーチにも年齢や経歴は一切関係なし。そのため、50代のベテランが30代の若手をコーチに任命する、といった素敵な実例もあるのだとか。

そして昇給・減給につながる自分の査定、いわゆる「人事考課」をお任せする相手も、自分で選ぶことができます(すごい!)。

評価担当に任命できるのは最大7人までで、不正やえこひいきにつながらないよう、任命相手と評価内容がすべて社内に共有される仕組みになっています。

肩書きをなくした上、査定の担当者まで自分で決められるだなんて……かなり思い切った社風です。いったいどうしてこのような環境になったのでしょうか?

 

▼「楽しむ」を最優先したら、肩書きが消えた


これらのユニークな仕組みを作り上げたのは、株式会社ISAO代表取締役・中村圭志さん。ちなみに中村さんの名刺にも「代表取締役」の文字はありません。

中村さんがこの仕組みをつくったきっかけは、赤字続きだった会社の経営を立て直すためでした。社長になった当初、社内には無意味な派閥争いが横行していたそうです。経営陣の仲は悪く、全社員を対象にしたアンケートでも会社に対するネガティブな意見ばかり。外部コンサルタントからは「この会社は死にかけている。(人間に例えれば)体力がないので、手術をしたら即死する状態」とまで言われたのだとか。

それを挽回するために中村さんが打ち出したのが、「楽しむことを大切にする人たちが集まる会社」というコンセプト。このコンセプトに基づき、試行錯誤しながら改革を重ねていった結果、現在の「上司も部署もいない状態」「コーチや査定担当者も自分で選ぶ制度」が出来上がっていきました。

中村さんが肩書きに疑問を感じたのは、社内に生産性の低い中間管理職がたくさんいると気づいたとき。会社にぶら下がるだけの中間管理職は、事業に とっても大きな問題。そもそも、そんな状態の本人たちは楽しいのか? 幸せなのか?……と考えていった先に、「役職も肩書きもない会社」というモデルが待っていました。

 

ユニークな試みで会社を立て直すことに成功した、中村さん。そんな彼に「より良い職場環境づくりのためにできること」を尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきました。

「この仕組みを実現できたポイントは、情報のオープン化と、徹底的な無駄の排除にあります。無駄の排除というのは、たとえば無駄な報告や会議をなくしたことです。そうして得られた最大のメリットは、会社の生産性が上がっただけでなく、社員ひとりひとりが成長に向かうための環境が整ったことだと感じています」

会社の業績はもちろん、社員の成長を何よりも大切にしている、誠実な姿勢が伝わってきます。自分の会社にもこんな経営者がいてくれたら……なんて、つい他人任せな考えが浮かんでしまいますが、中村さんは私たち従業員の立場からもできることを教えてくださいました。

「日本の会社員がより良い働き方を獲得していくためには、従業員ひとりひとりが少し視点を上げて、経営目線から会社や事業のことを考えることを心がけると良いのではないかと思います」

そう、経営者だけでなく、従業員も自分の目線を上げていくこと。それがより良い職場づくりのために必要だと、中村さんは考えているのです。上司がひ とりもいない職場は、そこにいる社員ひとりひとりが自主性や積極性をきちんと持っているからこそ、きちんと回っているのでしょう。

 

株式会社ISAOのバリフラットモデルは、2019年2月、リクナビNEXT主催の「第5回GOOD ACTIONアワード」にも選ばれ、ユニークな成功事例として注目され始めています。今後こうした仕組みを持つ会社が増えていくことも、充分あり得ます。

将来こんな会社で働きたい!と感じた方は、日々ちょっとだけ目線を上げて、経営目線でものを見る練習をしてみると……ひょっとしたら、素敵な結果につながるかもしれません。
(豊島オリカ)

取材協力:リクナビNEXT

[CanCam.jp]

何と柔軟な発想なのでしょう!

■ここまできた!「車中泊」の奇想天外な利用実態

車に住む人が増えれば社会が変わる可能性も

大型バンなどを、暮らしや仕事の場に利用する人たちがじわじわと増えている。写真は旅をしながら旅行アプリを作っているON THE TRIP のバン(写真:筆者撮影)
車離れが言われて久しい。その一方で移動するツールとして以外に車を使おうという動きが加速している。わかりやすいのは車中泊だ。リーマンショック後の節約志向を受け、安く旅する手段としての車中泊に注目が集まり、2008~2009年には車中泊をテーマにした雑誌が登場した。
さらに民主党政権下で行われた2010年6月から1年弱の高速道路無料化の社会実験は車中泊経験者を増やすことになった。2011年の東日本大震災以降、熊本地震、西日本豪雨災害、北海道胆振東部地震と時代を追うごとに被災地でのトレーラーハウスの利用が拡大し、北海道では仮設住宅として使われるまでになったことも車内で暮らすことへのイメージを変えた。さらに最近では泊まるだけにとどまらない使い方も出てきている。車中泊はこの先、どこへ向かうの か。

インバウンド旅行者が使う例も増えている

現在、国内にあるキャンピングカーは約11万台。10年ほどで約2倍に増えており、ここ数年は年間数千台ずつ増加している。一般社団法人日本カート ラベル推進協会のアンケート調査によると車中泊経験者のうちの46%がキャンピングカー以外で宿泊していることを考えると、市場規模はそれよりはるかに大きい可能性もある。近年の特徴はレンタルが増えていること。インバウンドも含め、旅行者が借りて使うケースが増えているのだ。

だが、問題がある。キャンピングカーを借りても停めて泊まれる場所が少ないのだ。よく利用されるのはオートキャンプ場や道の駅だが、オートキャンプ場は数が限られているし、道の駅は夜間、照明が点いておらず見つけられない、トイレが利用できないなどと宿泊できないケースが少なくないのである。

訪日外国人向けの情報発信、体験コンテンツを企画するNPO法人を主催している宮下晃樹氏がその問題解決のために思いついたのが、車中泊可能な場所 のマッチングアプリ「Carstay」だ。夜間使っていない駐車場や空地を登録してもらい、泊まりたい人がアプリ上で予約・利用するというもので、登録から予約、決済までをオンラインで行う。

民泊と違い、部屋はもちろん、寝具などを用意する必要もなく、現時点では旅館業法など該当する法律がないため、許認可も不要。遊んでいる土地が車1台分あり、駐車したところから500m以内に利用可能なトイレがあれば誰でも、どこででも簡単に始められるのが特徴だ。

しかも、このビジネス開始にあたり、三井住友海上火災保険が車中泊旅行者、車中泊事業者向けの保険を業界に先んじて開発し、自動的に付帯する仕組みに。これにより、貸す側、借りる側とも安心して車中泊ができるようになった。

宮下氏が座っているのは軽トラの荷台部分を利用したもので2人分のベッド、仕事用のデスク、収納式のソファ、エアコン、バッテリーが備え付けられており、断熱性能も高い(写真:筆者撮影)
訪日客の困りごと解決から思いついたサービスだったわけだが、このサービスが変えるのはそれだけにとどまらない。

「地方の花火大会やコンサートなど一時的に多くの人が集まるイベントで宿泊施設が足りない場合、あるいはそもそも宿のない場所でもCarstayを導入すれば、一時的に安価に宿泊場所を増やせる。日帰り客より宿泊客が多くお金を落とすことを考えれば、経済効果は大きいはずです」(宮下氏)

イベントには実際にバンで暮らす「バンライファー」が多数集まった。たとえば、つくば市の担当者が1年前に出会い、イベント開催のきっかけになった という渡鳥ジョニー氏は2018年春から永田町のシェアオフィスの駐車場に置いたバンで暮らしている。離婚を機に10年ぶりに戻った東京で家賃の高さや、 満員電車にうんざりし、人生に最低限必要なモノは何かを自問自答した結果、それほど多くはないことに気づき、以前から気になっていたバンでの暮らしを選択したという。

10年前と違い、都会ではさまざまなものをシェアする暮らしができる。オフィスやキッチンはシェアオフィスで、洗濯はランドリーサービスで、風呂はジムで、ネットはスマホ、電源はカフェでと考えると、自宅に必要な機能はさほど多くはない。コーヒー、音楽、上質なベッドがあればいいと割切れば中古のバンで十分なのである。

6人乗りバンをDIYし、旅しながら暮らす

しかも、思いついたら好きな場所に移動することもできる。海を眺めながら、鳥のさえずりを聴きながら仕事することも、仕事帰りに温泉に寄ることもでき、眠くなったらそのまま寝てしまえばいい。書いていてうらやましくなる暮らし、働き方である。

渡鳥氏よりもさらに移動を常としてバンに暮らしている人たちもいる。2年前にトラベルオーディオアプリ「ON THE TRIP」というサービスを立ち上げた成瀬勇輝氏と志賀章人氏だ。観光地に滞在して取材するとなると宿泊費や交通費が高くつくが、バンをオフィス兼住宅に してしまえば金銭的な問題が解決する。そこで6人乗りのバンをDIY、旅しながら仕事をし、暮らしているという。

1カ所での滞在は1~2カ月というが、オフィス(!)の面白さに興味を持ち、取材した人たちをはじめ、地元の人たちがバンを訪ねてくることも多く、ホテル滞在時とは違う、深い付き合いになるという。これこそ、まさに関係人口増である。

先端の暮らしを実践する人たちの話を聞いていて思ったのは最近増えている二拠点居住、多拠点居住にバンライフを組み合わせれば関係人口増に加え、空き家などの地域の問題にも解決の糸口が見えるのではないかということだ。

例えば空き家問題については、1人が複数の家を使うという考え方がある。地方の家賃や、住宅価格が下がればほかの地域から「別宅」を求めてくるようになるかもしれないが、そこで問題になるのは移動にかかる費用と時間だ。

定住者ではなく、関係人口を増やす

公共交通機関利用の旅と違い、車での旅には時間の制約がない。そこに泊まるという機能が加われば、旅はさらに自由になる。好きなときに好きな場所に行き、そこに好きなだけ滞在できるようになるのだ。

とすれば、車中泊には地方に人を移動させ、活性化させる力があると言える。車に泊まれるなら、公共交通機関のない、宿もない場所にも行ける。それに泊まれるなら、そこで働ける、暮らせるということにもなる。

Wi‐Fiさえあれば働ける人が増えている今、車中で仕事をする人、なんだったら、そのまま車中で暮らそうという人が出てきても不思議はないのだ。 その人たちがあちこちを移動しながら暮らすとしたら、それによって地方は定住とは異なるものの、その地域に関心や愛着を持ち、関わってくれる人の数=関係 人口を増やせるのではなかろうか。

実際、そこに思い至り、イベントを開いた自治体がある。茨城県つくば市だ。2019年3月21~22日に開かれたのは「VANLIFE(バンライフ)」をテーマにした「つくばVAN泊2019」なるイベント。バンライフとはバンタイプの車で働き、暮らす人たちやライフスタイルのことである。

つくば市は「世界のあしたが見えるまち」を標榜しており、同イベントはこれからの生活、社会を考えるための実験の1つ。具体的に意図したのはズバ リ、関係人口の増加。つくば市の人口はつくばエクスプレス沿線では増加しているが、広大な市内では人口減少、高齢化、少子化が進むエリアがある。そうした エリアで関係人口を増やすためにはバンライフを送る人達に選ばれるまちという手があるのではないかという考えである。

あらゆる交通費をまとめて月額定額制にするなど大胆な施策があれば、人は移動するようになると思うが、それはあくまでも個人の妄想。行政がそんなこ とを考えるわけはないだろうから、現実的なのは車利用である。泊まれる車で仕事しながらなら長時間の移動も無駄にはならない。さらに自動運転が実現したら、寝ているうちに別宅に到着という日がくるかもしれない。

もちろん、問題も多数ある。不動産を所有するという経済的、精神的な負担からは自由になるものの、モノへの執着も同時に断ち切らなければバンライフ は難しい。最近では断熱材をしっかり入れた一般の住宅以上の性能のあるモバイルハウスも出てきてはいるものの、それ以外では夏は暑く、冬は寒い。ソーラー パネル普及で電気はだいぶ、自由になったというが、まだまだバッテリーは高く、性能も十分ではないという声もある。

オフィス、サウナ、スナックに使っている人も

さらに現時点ではどうしようもないのが水とトイレ。とくにトイレ問題は大きく、バンライファーに女性が少ないのはそのためだ。ポータブルトイレもあるが、狭い空間でのにおい、衛生面の問題を考えると現状の商品では無理がある。

研究機関の集まっているつくばである、一瞬にして排泄物が分解されて粉末になるような技術を開発してくれたりはしないだろうか。災害時にもトイレ問題が深刻であることを考えると、これは決して冗談ではない。バンライフを快適にする技術は災害時の避難生活を快適にする技術でもあるのだ。

また、1人でのバンライフは快適だとしても、それが2人になり、子ども連れになったときにどうするか。住民票や税金その他行政的な問題も多々あるは ずで、すべてがすべてバラ色とは思わないが、バンライフに未来の暮らしの糸口があることは確かだ。そこに目をつけ、かつ1985年のつくば科学万博をもじったイベントを開いたつくば市の慧眼(けいがん)には参加者同様、敬意を表したいところである。

ちなみにイベントではバンをオフィス、サウナ、ライブ演奏の舞台、スナックなどとして使っている人が参加しており、ほかの場所では茶室を見たことも ある。かくあるべしを取っ払ってしまえば、車は想像以上に自由で楽しく、社会を変える力にもなる。それが売れないというのはどうしたことか。自動車メー カー各社もつくばVAN泊に参加すべきではなかったかと思う。

[東洋経済ONLINE]