そのとおりです(賛)

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「老後不安」を解消したいならお金を貯めるな!

一度経験した暮らしは簡単に変えられない

[幻冬舎 GOLD ONLINE]

各種ご質問に対して。。。Vol.1

前回に引き続き、、、

 

SNSに関して

私が会社としても個人としても、SNSを一切使用しない理由は二つ、
一つは必要性を感じないこと、もう一つはPCワークにかかる手間と時間を可能な限り削減したいからです。

法人としても個人としても、何らか商材を仕入れたり開発して販売するような、あるいはサービス業種であれば、不特定多数の顧客獲得のためのPRも必要なのでしょうが、
私のケース、私自身の頭脳や感性や労働を提供していくうえでは、少なくとも当初はフェイストゥーフェイスが基本、ウェブを介してのやりとりは実務が開始されてからのことになり、必要性をほぼまったく感じていません。

かつては、ほぼ終日PCワークに明け暮れていた時期を長く過ごして、いかにそれが心と身体を蝕むことかを身を持って体感したことで一大決心、
以降ドラスティックにワークスタイルの変更を重ねて、PCワークを最小限に留める現状に至っています。

 

PCのスタンドアローンによる秘匿情報の管理とは

職務上重要な秘匿情報はPCでもスタンドアローン(ネットに接続しない)でのみの扱いとは、私の場合何ら特別なことをしているわけではありません。

私は、メインとしてはマッキントッシュユーザーなのですが、皆さんがおそらくご存じないような初期のデスクトップオールドマシンによるクラッシック環境MacOS 9.2環境から、MacBook Airによる最新のMacOS Monterey 12.2.1環境まで、古いデータは古い当時の環境で、最新データは現状最新の環境にて取り扱います。

ネットに接続するマシンは、最新のMacBook Airのみ、それ以前のマシンと環境ではネット接続をしません。
また、秘匿情報は、マシン本体には保存せず、すべて暗号化した外部記憶装置(フロッピーディスク、MOディスク、外付けHDD、外付けSSDなど)にて管理しており、昨今主流のクラウドも漏洩を許容できるプライベートデータでしか使用しません。

 

(撮影の)仕事のあらまし

 

私は自分自身に、カメラマンとかフォトグラファーとか写真家といった業界や世間に通りの良い呼称はあえて使用しておりません。

なぜかといえば…
そもそも専業の認識がありませんし、たまたま昨日・今日は撮影の仕事を請け負っていますが、まだ明日も続けているかは私自身にもわかりませんから…(苦笑)

 

いわゆる営業的活動も行っておりません。
何らか私自身に、あるいは私の作品に感じ通じるところがあって、周知のうえでオファーをくださる方々にしかお会いすることもありませんから、名刺すらも使用しませんし、ポートフォリオ(過去の作品アルバム)の制作もしていません。

 

Twitter、Facebook、LINE、InstagramなどSNSの類も一切使用していません。
nobとしての各種ウェブログは、気心の知れた友人知人間でシェアするプライベートなメモやダイヤリー的な意味で続けていますが、私自身が公私にわたってこれまで個人名を不特定多数向けに公開したことはありません。

例えば私をウェブ上でどなたかが検索したとしても、何らかの私に関する情報を見つけ出すことはおそらくできないであろうと思います。

 

また、私は、日常の暮らしと経済に関する情報がダダ漏れなクレジットカード、電子マネー、ポイントカードの類もごく一部の例外を除いて原則使用しません。

職務上重要な秘匿情報はPCでもスタンドアローン(ネットに接続しない)でのみの扱い、許容信頼できる特定先へのログインのためのブライベートブラウザと、履歴やcookieをその都度すべて削除するパブリックブラウザを使い分け、スマートフォンも漏洩を容認できる範囲の限定的な使い方しかしていません。

 

所有物の名義から住居まで私個人として契約することもありません。

 

『何者にもならず、何処にも属さず、何も遺さない』

これは長年私が首尾一貫して徹底してきたポリシーですが、実際には自らの興味と成り行き上で関わってきた何らかの案件において、相応な立場で求められる責務を果たす場合には、必要に応じて一定契約期間一時的に何者にでもなり、何処にでも属し、報酬をいただく以上その都度相応の成果も遺すことになります。

が、それらも大抵は、クライアントである個人のサポート、あるいは法人の一員として黒子的に動く立場ですから、私の会社や私個人が全面に出ることもありません。

 

前年は、やや規模の大きいいくつかの新規コンサル案件が同時進行しましたので、そのクライアント数社から信用調査が入りました。

大手の実力のある調査会社が個々に調べても、ほとんど私に関する情報は見つけられませんので、どの調査会社も最終的に私本人から直接ヒアリングするしかありません。

どの調査会社にもほぼ同一の必要情報を提供しますが、各調査会社がどのチャンネルから私にコンタクトしてくるかによって、それぞれがどのクライアントの依頼を受けているのかも私には自明のことですので、自己判断力が欠落した根源的な信頼関係の構築が困難であろうそうしたクライアントとは、いずれ何らかのトラブルの元ですから、事前にこちらから丁重に取り引きをお断りしています。

 

私は、そもそも大学の芸術学部写真学科出身で、在学時より報道写真の分野で、その後大学を中途退学し商業写真の分野に転向して、ごく常識的な一フォトグラファーであった時期もありましたし、二十代半ばで写真業界への希望と意欲を喪失し、撮影と暗室機材一切を処分して引退、その後はさまざまな業種の事業(起業)に携わりましたが、15年ほど以前より趣味も本気でベースでの撮影(ならびにコーディネート事業)を再開したため、お付き合いのお相手によっては、私はフォトグラファー(あるいはキュレーター)と認識されておられる方々も少なくありませんが、逆にそれ以外の事業上のお知り合いで、私が撮影をすることをまったくご存じでない方々のほうが圧倒的多数かと思われます。

 

一般的常識の外にある「何者にもならず、何処にも属さず、何も遺さない」私の、その実はシンプル極まりない暮らしと仕事のあらましをご理解いただけたでしょうか〜(^-^)?

次回は、いただいた質問にお答えしたいと思います^^;

 

何をやるかではなく、どうやるかということ。。。

「食べさせられませんから」通話中に冷めたラーメン 若い店主の行動に客は驚き

 ふらりと立ち寄った、あるラーメン店。こだわりのスープが売り物とか。まだ若い店主の元気な声が響く。ラーメンを注文した客の携帯電話が鳴った。込み入った内容らしい。客は話しながら店の外へ。出来上がったラーメンが席に置かれた。客はなかなか戻ってこない

▼しばらくして席に着いた客がラーメンに手を伸ばそうとした。その時、店主はさっとラーメンの器を引いて、湯気の立つ作りたてに取り換えた。驚く客に「お客さんに、冷めたラーメンは食べさせられませんから」

▼「2杯分の料金を」との申し出を固辞した店主。そのTシャツの背中に書かれた文字に目が留まった。「一杯入魂」。野球の「一球入魂」のもじりだろうか。なるほど。この店のラーメンがうまい理由が分かった

▼仕事帰りに乗った、ある路線バス。停留所に止まるたび、運転手が車内アナウンスを繰り返す。「週末の金曜日です。1週間、お疲れさまでした」

▼バスを降りるお年寄りには「寒いですから気を付けて」「自転車にご注意ください」。あえて言えば「一停入魂」か。学生たちが「ありがとうございました」と笑顔で降りていった。外の風は冷たいが、車内は何だかポカポカと

▼ラーメン店主とバス運転手。仕事は違っても、心を込めて最良のサービスを提供しようというプロ意識には通じるものが。料金はいつもと同じなのに、すごく得をした気分にしてくれた。

[西日本新聞朝刊]

まずは始めてみる、、、本当にやりたいことかもやってみなければわからない。。。

 

堀江貴文「やりたいことがない人」3つのパターン

まずは自分に正直であれ、損得勘定は挟むな

自分に正直になる習慣

フランスの哲学者アランは名言を遺している。

「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」

そのとおりだと思う。アクションから本質が生まれる。本質はあくまでも事後的に発生するものであって、本質という抽象はそれ単独で先行的に存在するものではない。

ぼくは中学生時代、プログラミングに夢中になった。よくわからないまま手さぐりでパソコンを使っているうちに、多彩な処理システムを構築できるプログラミングの魅力にどんどんのめり込んでいった。それがやがてビジネスにつながり、ぼくはそのビジネスでさらに成功を収めるべく野心をたぎらせていった。

要するに今日にいたるぼくのキャリアは、プログラミングとの出合いがすべてだ。プログラミングに出合わなければ、それはそれでまたまったく別のキャリアを描いていただろう。

あらかじめ目指すキャリアがあって、プログラミングに足を踏み入れたわけではないのだ。まずアクションがあって、結果的にキャリアがある。

アクションを起こさなければ、なにもはじまらない。では、あなたにとって正しいアクションとはなんなのか?答えはシンプルだ。まず自分の胸に手をあててほしい。そして自分が夢中になれるものはなんなのか。それを問いかけることからすべてははじまる。

スマホでソシャゲをするのが好き。マンガやアニメを見るのが好き。アイドルが好き。──あなたが夢中になれるものはあるはずだ。ところがそこまで自問して、投げ出すひとが多い。好きだし夢中になれるけど、やっぱりそれは生産的ではなさそうだ、そう退けてしまうのだ。でもほんとうにそうか? ほんとうにそれは生産的でないのか?

ビデオゲームが好きなら、ゲーム実況をしてみればいい。noteでその楽しさを記事にするのもありだ。あるいはゲームの作り手に回るのはどうか。アイドルが好きなら、握手会に行くだけではなく、イベントを企画してそのアイドルを呼んでしまえば、それはもう立派な仕事である。

自分に正直になれ、とは使い古された言葉だ。でも使い古されているのは時代や環境を超えた普遍的な正解だからだ。自分に正直にあろうとするとき、損得勘定を挟むべきではない。先々の生活のことをちまちま考えるのもやめよう。そもそも生活というものは無限の変数に満ちている。先読みして心配したところで意味はない。生活なんてどうにでもなる。

もし窮したら生活水準をぐんと落とせばいい。知り合いに頭を下げてお金を借りればいい。ここは日本だ。最後の最後には公的なセーフティーネットも用意されている。

長期目標はいらない

あなたがまず身につけるべきなのは、自分に正直になる習慣である。ぼくはかつて会社経営にあたって、MBAを取得したわけでもなければ、経営指南書のたぐいも読んだことがなかった。ぜんぶ試行錯誤の自己流でやってきた。それで一時は時価総額で世界クラスの大企業にまで成長させた。これがもしあれこれ知識を詰め込んでからとりかかっていたら、そうはならなかったかもしれない。

頭でっかちになるあまり好機を逃したかもしれないし、なにより楽しくなかっただろう。退屈なことをやり続けること以上の苦痛はない。技術やセンスなんていうものは事後的にあとから自然についてくるものだ。

42キロのフルマラソンは大変だ。やり抜くには体力と精神力を要する。でも100メートル走ならどうだろう。ぼくは走れる。あなたも走れる。だれでも走れる。100メートル走を何度も何度も繰り返しているうちに、やがて42キロに到達する。だから遠くを見てはいけない。長期目標はいらないし、それはあなたにとって妨げになるだけだ。

ひとは元々、集中力が散漫で、怠け者なのだ。もちろんぼくにもそういった面はぞんぶんにある。だからまずは、いけそうな距離まで走ってみること。いまの自分の足元だけ見て走ろう。

POINT
生活はどうにでもなる。損得勘定で自分を縛っていないか?

あなたが夢中になれるものをやる。それが正しいアクションの第一歩だ。だが一方で、ちまたには「やりたいことの見つけ方」みたいな本があふれている。

ぼくには理解しがたいのだが、やりたいことがなんなのか、夢中になれるものがなんなのか、その第一歩でさまよっているひとが多いらしい。そんな事態に陥るひとにはいくつかのパターンがあると思う。

1つ目は、自分に正直になれていないというパターンだ。自分の内面をろくに点検せず、安易にだれかを真似ようとする。いま世のなかで輝いているように見える仕事や趣味にだけ限定して、自分のやりたいことを選ぼうとするわけだ。それは違う。

たとえばユーチューバーが楽しそうに動画を配信しているからといって、あなたがそれと同じ立場や状況を楽しめるわけではない。あたりまえの話である。「楽しそう」と「楽しい」はまったくの別物だ。そこをごっちゃにするから目が曇る。

「あのひとが楽しそう」なのはどうでもいい。大事なのはあなただ。あなたのなかにしか選択肢はない。そしてそこに必ず答えはある。

2つ目のパターン

2つ目は、夢中になれそうなもの、やりたいことはあるが、どうしたらいいかわからないというパターンだ。

そうなってしまう原因はシンプルだ。情報不足である。アクションを起こすのに気合いや根性はいらない。でも情報は必要だ。スマホを覗けば膨大な情報があなたに流れ込んでくる。もちろんその情報はあなただけのものではなく、だれもが等しく共有しているものだ。だからたまに、真に重要な情報はネットのなかにはないのだとか力説するひとがいるがそうではない。

それは人間の個性を軽視した考えである。同じ情報であっても、通すフィルターによって、その意味合いや価値はがらりと変わる。ネットのどこかにきっとあなたの背中を押してくれるような、実例や体験談がある。

さらには、手の込んだ動画編集の仕方、目を引くブログ記事の書き方、はたまた秘境を探検するための手筈、──なんだってノウハウが記されている。もしあなたが将棋好きなら、オンラインで対局相手をマッチングしてくれるサービスだってある。

あなたのやりたいことはいくらでもかたちにできるし、いくらでも拡張できる。そのためのとっておきの情報なんていうものはない。そんな幻想は捨てることだ。ごくありふれた情報のなかに解法はあるのだと気づいてほしい。

3つ目は、やりたいことを溜め込んでしまうパターンだろう。あれもやりたい、これもやりたい。その精神はいい。でもならばすぐやればいいものを、いまは忙しいからと「いつかやる」タグをつけて脳内に保留してしまう。そして未処理のままタグを溜め続け、「いつかやる」はだんだん「やれたら、やりたい」に変わり、最後には「やりたいことなんて特にないなあ……」と思考停止に陥る。

ぼくはいままでやりたいことはひとつ残らずやってきた。23歳で起業し、4年後には東証マザーズに上場させた。プロ野球界再編のときは、新球団の設立に乗り出しプロ野球マーケットの活性化を狙った。そしてニッポン放送とフジテレビを買収し、歴史的なメディア革命を起こそうと試みた。衆議院総選挙に立候補し、本気で日本を変えようとも志した。

自覚はないが、ひとに言わせれば、ぼくの行動力は並みはずれているらしい。だからぼくもできたのだからあなたも、と言うつもりはない。そうではなくて、ぼくはぼくの時間のひとつひとつを最大限に使ってきたことをあなたに誇りたいのである。そしてあなたもそうあってほしいと思う。

明日の自分を当てにするな

「いつかやる」は機会損失にほかならない。みすみす自分の可能性をしぼませるだけだ。その意味では、あなたは明日のあなたを当てにすべきでない。未来の時間は予測できないからだ。あなたが期待をかけるのは、今日のいまここにいるあなたである。やりたいことにすぐ手をつけられる、いまこの瞬間のあなただ。

「いつかやる」ではない。いまやろう。時間に対してケチになろう。わたしには夢中になれるものがない──。そんなことはありえないのだ。あなたはロボットではない。人間である。人間であるかぎり趣味嗜好がある。あなた固有の世界がある。それを強みと呼ぶ。「夢中」のとば口はすぐ目のまえにあるのだ。

POINT
流行りに飛びつかず、自分の心を点検しよう

[東洋経済 ONLINE]