新型コロナウイルス・ワクチンをファイザーなどのビッグファーマーと並んで世界へ供給する、2010年に設立されたばかりのベンチャー企業モデルナ。
モデルナは「製薬業界のアマゾン」である、私はそうみています。
拙著『モデルナはなぜ3日でワクチンをつくれたのか』でも詳しく解説していますが、例えば、モデルナは創業以来、自動化やロボティクス、アナリティクス、データサイエンス、AIなどに1億ドル以上を投資してきた、最先端のテクノロジー企業であること。また、製品・サービス単独ではなく、それらを生み出すプラットフォーム戦略に注力していること。これらはいずれも、アマゾンが既存のEC(電子商取引)小売りと一線を画し、世界最強のエブリシングカンパニーへと成長したポイントと重なります。
そして、何より私が強調したいのは、モデルナの企業としてのポテンシャルです。
オンライン書店として創業したアマゾンですが、その後は家電にアパレル、生鮮食品、デジタルコンテンツなども販売する「エブリシングストア」へ、そして今では物流やクラウドコンピューティング、金融サービス、宇宙事業までカバーする「エブリシングカンパニー」へと変貌を遂げました。アマゾンにとって書店は、ほんの足がかりでしかなかったのです。
製薬業界を一変させうるモデルナの潜在力
モデルナにとっての新型コロナウイルス・ワクチンは、いわばアマゾンにとってのオンライン書店にあたります。モデルナが開発した新型コロナウイルス・ワクチンは「mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン」と呼ばれる種類のもので、「mRNA -1273」というプログラムIDが付けられています。そしてmRNAテクノロジーは、コロナなど感染症ワクチンのみならず、がん治療用のワクチンや、再生医療などにも応用が期待されているのです。
モデルナにとって新型コロナウイルス・ワクチンは、これから開発されるmRNA医薬品の第1弾に過ぎません。新型コロナウイルス・ワクチンのみならず、製薬業界そのものを一変させるポテンシャルを、モデルナは秘めているのです。
mRNAとは「自分の細胞が自らタンパク質を作るための設計図」です。
タンパク質は私たちの生命活動を支えていますが、そのタンパク質の異常は病気や身体の不調につながります。ウイルスもタンパク質からできています。とすると、タンパク質が正常に機能する仕組みは病気や不調を治療・治癒するような機能を持つはずです。製薬企業が製造した薬を口から飲むのではなく、人体の細胞に病気を治すためのタンパク質、つまり薬を作ってもらう。そのための設計図がmRNAです。
モデルナのmRNAプラットフォーム戦略
一方、製薬業界そのものを一変させるモデルナのポテンシャルの源がプラットフォーム戦略です。私は、アマゾンやアップルなどテクノロジー企業のプラットフォームを「商品やサービスの提供者、商品やサービスの購入者が取り引きするための、共通の場のようなもの」として捉えています。
では、モデルナのプラットフォーム戦略でいう「共通」とは何か。それこそが、mRNAです。mRNAを「自分の細胞が自らタンパク質を作るための設計図」と言いましたが、その設計図の概念がプラットフォームという共通の土台になってくるのです。
モデルナの新型コロナウイルス・ワクチンはmRNAワクチンなので、予防接種として体内に投与されるのはあくまで「設計図」ということになります。インフルエンザなどに対する従来のワクチン接種では、病原性を消失させた、または病原性を弱めたウイルスを投与することが一般的です。
ウイルスもタンパク質などからできているので、その点、ウイルスそのもの、タンパク質そのものを投与するのと、「自分の細胞が自らタンパク質を作るための設計図」を投与するのとでは、発想がまったく異なるように思われます。
もしこのmRNAテクノロジーを使用した手法が他のワクチンや医薬品の開発にも広く応用されるなら、そしてそうした手法が従来のワクチンや医薬品と比較して開発期間を大幅に短縮できたり、あるいは予防や治療の効果をより広範囲に及ぼすことができたりするなら、既存のワクチン市場や製薬業界を破壊する可能性も出てくるでしょう。
つまり、モデルナのmRNAプラットフォーム戦略とは、mRNAという共通の開発手法を採用することによって、開発期間の短縮や開発コストの削減はもちろん、予防や治療の効果をより広範囲に及ぼしたりすることで、ワクチンや医薬品の開発において競争優位を確立することなのです。
モデルナのデジタルトランスフォーメーション
モデルナのポテンシャルを読み解くには、mRNAプラットフォーム戦略の他にもう1つ、重要なキーワードがあります。それが、デジタルトランスフォーメーション(DX)です。
医薬品の開発は、病気の原因物質に対して治癒の効果がある化合物を見つけ出す作業です。病気の原因物質とそうした化合物の組み合わせは無数にある上、基礎研究の段階で効果がありそうな化合物を見つけることができたとしても、その後、実験や臨床試験などのプロセスを必ず経なければなりません。もちろん、実験で失敗に終わることもありますし、臨床試験の段階で有効性や安全性が必ず確認されるというわけでもなく、認可されるという保証もありません。となると、開発期間は長期化し、かかる開発コストも膨大なものとなってしまいます。
モデルナはクラウドやAI、アナリティクス、データサイエンス、ロボティクスや自動化への投資を強化することで、研究開発、実験・臨床試験、製造、出荷など業務全般をデジタルにシフト。デジタルテクノロジーを使い、開発にかかる期間とコストを抑制すると同時に、より適確なアルゴリズム、より効果のあるmRNAの医薬品や手法の開発、より多くの実験や臨床試験、より多くのデータの集積と解析、さらにより適確なアルゴリズム―といったサイクルを回し続けることによって、mRNAプラットフォーム戦略を強化していこうというわけです。これがモデルナのDX化です(図参照)。
考え方として、mRNAは「設計図」なので書き直しや編集が可能です。そして、書き直しや編集はより適確なアルゴリズムに基づきますが、それにはより多くの集積データとその解析が求められます。さらに、データの集積には現状の「設計図」についての実験や治験が必要となります。これが、mRNAプラットフォームが機能するということです。
一方で、先に述べたように、モデルナのDX化とは、クラウドやAI、アナリティクス、データサイエンス、あるいはロボティクスや自動化を重視し、ワクチンや医薬品の研究開発、実験・臨床試験、製造、出荷など業務全般をデジタルシフトすることで、より適確なアルゴリズム、より効果のある医薬品や手法の開発、より多くの実験や臨床試験、より多くのデータの集積と解析、そしてさらにより適格なアルゴリズム――といったサイクルを回し続けるというもの。つまり、mRNAという「設計図」の書き直しや編集、言い換えればmRNAプラットフォームがいかに機能するかは、モデルナのDX化と大いにリンクしているのです。
「モダリティ」とモデルナの成長戦略
モデルナの成長戦略における重要なキーワードが、モデルナが「モダリティ」と呼んでいるものです。モデルナでは医薬品やワクチンを開発するパイプライン(プロジェクト)が複数同時に進行していますが、モダリティとはそうしたパイプラインをある共通項ごとに束ねる単位です。
もともとモダリティには「様式」「様相」「法性」などの意味がありますが、モデルナはモダリティを「mRNA医薬品の開発にいたる可能性のある、共通の特徴を持ったmRNAテクノロジーのグループ」と定義しています。共通の特徴とは、例えば、望ましい用量反応、投与レジメン(計画)、安全性の目標、あるいは製造手法などに類似性があるということです。
モダリティはmRNA医薬品の開発群と捉えることもでき、「設計図」としてのmRNAが持つそうした共通の特徴を活用して、1つのモダリティ内で複数のmRNA医薬品を効率的に開発することが可能になるという意味合いです。
現在モデルナには、コーポレートサイトによると、2つのコア・モダリティ――「予防ワクチン」「全身性分泌及び細胞表面治療」――と4つの診査モダリティ――「がんワクチン」「腫瘍免疫」「限局性再生治療」「全身性細胞内治療」――が存在し、これら6つのモダリティのもとに合計26 のパイプライン(プロジェクト)が走っています(2021年10月時点)。
モデルナが開発した新型コロナウイルス・ワクチン「mRNA -1273」は「予防ワクチン」モダリティのパイプラインの1つで、2020年度に商用化され製品販売にまで結びつきました。これまでも、「予防ワクチン」モダリティはBARDA (米国生物医学先端研究開発局)やDARPA(米国国防高等研究計画局)との助成金事業やメルクとの協業事業に結び付いています。
モデルナの成長戦略の本質
mRNAプラットフォーム戦略の目的は2つ。1つは新しいモダリティを見つけ出して特定すること、つまりモダリティを増やすことです。もう1つは既存のモダリティの有用性を拡大すること、つまり1つのモダリティのもとでのパイプラインを増やすことです。
先に“mRNAは「設計図」なので書き直しや編集が可能”と言いましたが、その意味するところは新しいモダリティの特定であったり、既存のモダリティの有用性・応用性の拡大であったりします。そして、それらを通して、新しい治療法を発見したり、既存の治療法の有用性や応用性を拡大したりする。そうした作業を、DX化によって構築した好循環の自動化サイクルにできるだけ乗せていく。これがモデルナの成長戦略です。
新型コロナウイルスは変異を繰り返すため、モデルナの新型コロナウイルス・ワクチンは、変異に対応するための同パイプライン内プログラムを増やすことで、今後も研究開発が継続されなければなりません。また、一部に異物混入があったように、製造やサプライチェーンを含むオペレーションの過程ではまだまだ課題が出てくる可能性もあります。これらを含めて、引き続きモデルナの成長戦略を注視していく必要があるでしょう。
[東洋経済ONLINE]