■瀬戸内寂聴さんが「好きなことがその人の才能」と語る深すぎる真意
瀬戸内寂聴さんが2021年11月9日に99歳でこの世を去りました。故人をしのび、その3か月前に行われた66歳年下の秘書、瀬尾まなほさんとの最後の対談を掲載します。寂聴さんは「続けられることも才能だ」とよく言います。自分の才能や、子どもの才能の見つけ方・育て方とは?人から言われて、やりたいことをあきらめそうな人や「エイッ」と踏み出せずにいる人…そんな人たちに向けたメッセージです。
※本記事は『今を生きるあなたへ』を再構成したものです。
●好きなことがその人の才能、何歳になろうが見つかります
瀬尾まなほさん(以下、まなほさん):先生はよく、「続けられることも才能だ」と言います。
瀬戸内寂聴さん(以下、寂聴さん):そうです。そもそも好きなことでなかったら、ものごとは続けられません。ですから続けられるということは、それだけでそれが好きだということであり、それがその人の才能なのです。子どもであれば、とにかく好きなことを見つけてやることです。それが、その子どもの才能です。どうせやるなら才能を育てたほうが成功します。
まなほさん:でも、才能を持っていたとしても、成功するかしないかはその人次第ということはありませんか?
寂聴さん:本当に好きなことであれば、おそらく成功するでしょう。
まなほさん:一に才能、二に才能、三、四がなくて、五に努力でしたっけ?
寂聴さん:いいえ、一から五まで全部、才能です。と言うか、そもそも何の才能もない人などいません。人間には、必ず何らかの才能があります。それを見つけてくれる人が近くにいるかどうかで、ずいぶん違います。
例えば、お母さんやお父さんが子どもの才能を早く見つけてくれれば、それだけ早く道が開けるでしょう。逆に見つけてくれる人がそばにいなければ、なかなか才能を見つけてもらえず、それを開花させるのが遅くなるでしょう。ですが、いずれにしろ、才能が何もないという人はまずいません。
まなほさん:自分で自分の才能に気づくことはできますか?
寂聴さん:それは好きなことです。好きなことが才能です。最近はどうかわかりませんが、そろばんが好きという子どもがいたら、それだけで才能です。将棋が好き、囲碁が好き、それも才能です。毎日、野山を駆け回ったり、運動で飛んだり跳ねたりしているのが好きだというのも全部、才能です。才能がなければ、そんなことはしません。負けて泣いたり、投げ飛ばされてケガをしたりしながらでもやっているじゃないですか。それも結局は好きだからであって、それが才能なのです。
まなほさん:ということは、好きなことを見つけるのが一番大事だということですね。
寂聴さん:本当に好きなことは、無理に見つけようとしなくても自然に湧き出てくるものです。気がついたら、それをしています。それを親が「そんなことをしたらケガをするからやめなさい」とか、「やってもムダだからやめなさい」とか、いらないことを言うからダメになります。好きでやっているのなら、そのままやらせておけばいいのです。
でも、本当に好きなことでなければ、いくらやってもダメです。子どもを育てるときは、子どものやることをジーッと見ていて、この子はこれが好きだとわかったら、それをやらせてあげればいいと思います。
まなほさん:先生も書くことが好きだったから、こうしてずっと書くことを続けていられるのですか?
寂聴さん:そうです。今の若い人は知らないでしょうが、私が小さいころは「つづり方」という作文のような授業がありました。それが小学二年生のときからありました。私は最初から、そのつづり方の成績が一番でした。だから好きだったのです。もちろん、最初のうちは自分にそうした才能があるかどうか、自分ではわかりません。でも作文を書いたら、よく先生がほめてくれました。先生にほめられたら、「ああ、そうか、自分はこれが上手なのか」ということがわかります。それで自信がつきます。
ですから、まわりの親や大人は、子どもが絵を描いていたら、「絵ばかり描いていないで」などと言わずに、「あなたは絵が上手ね」とほめてあげればいいのです。そうすれば、その子は絵がますます好きになるし、上手にもなります。
まなほさん:今は子どもについての話ですが、それは歳を取ってからでもいいのですか。歳を取ってからでも好きなことが見つかるし、それがその人にとっての才能になると言えますか?
寂聴さん:言えます。たとえ八十歳だろうが、九十歳だろうが、何歳だろうが関係ありません。いくつになっても好きなことは見つかるし、何歳から始めても遅すぎるということはありません。
何でもいいのです。お料理が好きならお料理、編み物が好きなら編み物、絵が好きなら絵、書道が好きなら書道と、とにかく何でもいい。小説が好きな人なら、大切な思い出を小説にしてもいいでしょう。
人に何を言われようが、年齢なんか気にしないで、自分が好きだと思うことをすればいいのです。そのうち才能が花開くかもしれません。仮に花開かなかったとしても、好きなことを一生懸命やったというだけで生きたかいがあるというものです。好きなことをして自分を幸せにすること、それも立派な才能と言えるかもしれません。
●いい波が来たら見逃さずに乗りなさい
まなほさん:人生には転機というか、変化の潮目というものがあると思います。それを上手にとらえるコツのようなものはありますか?
寂聴さん:チャンスをつかむということですか?
まなほさん:はい。人生にはいろいろな変化があったり、これはチャンスだと思う瞬間があったりすると思います。先生は以前、「いい波が来たら、それを見逃さずに乗りなさい」と、私に言ってくれました。世間でも、「幸運の女神には前髪しかない」とか、「チャンスの女神には後ろ髪がない」などと言われています。
寂聴さん:そうした波を見逃さないで、それにしっかり乗ることも才能の一つです。
まなほさん:そもそも、いい波が来ているかどうか、それが自分にとってチャンスなのかどうか、それを見極める方法というものはあるのですか?
寂聴さん:それも、その人の才能です。わかる人には、パッとわかります。
まなほさん:それは努力ではない?
寂聴さん:はい。努力とは違います。
まなほさん:あとは行動力ですか。そのときに、思い切って「エイッ」と踏み出す行動力……。
寂聴さん:行動力とか、そういうものでもないような気がします。もうそうせざるを得なくてするという感じではないでしょうか。
まなほさん:いい波が来ていることが仮に才能でわかったとしても、そこで「いいのかな?」、「悪いのかな?」と考えていたら、あっという間にその波が通り過ぎてしまうこともあると思います。だから思い切りではありませんが、やはり大胆な行動力も必要だと思います。
寂聴さん:だから、チャンスだと思ったらパッとつかまえなくてはなりません。
まなほさん:先生のことを見ていて思うのは、行動力があるということです。何に対してもあまり深く考えずに、とりあえずやってみるという姿勢で、自ら人生を切り開いてきたのではないかという気がします。
寂聴さん:失礼なことを言いますね。
●都合が悪いことは忘れても構いません
まなほさん:えっ、なぜですか?
寂聴さん:深く考えない、なんて(笑)。
まなほさん:でも、考えるよりもまず、体が動いているという感じがします。安保法案反対デモや脱原発十万人集会などに参加したときもそうでした。
寂聴さん:デモや抗議集会などに参加するのは、ずっと前からそのことについて考えているからできることです。
まなほさん:でも、車椅子でないと移動できないし、その日にお客さんが来ることが決まっているのに、それをなげうってでも出かけて行くというのは、やはり行動力のたまものだと思います。国会議事堂の前で行われた安保法案反対のデモのときは、「死んでもいいから行く」とまで言いました。
寂聴さん:これは絶対にやっておかなくては後悔することになると思うから、そうするのです。これまでもずっとそうしてきました。
まなほさん:原稿を書くときも、そう思ってくれたらうれしいです。たしかに、月に四本も五本も連載を抱えて書き続けるというのは大変でしょうが……。
寂聴さん:原稿を出さなかったことは、私は一度もないはずです。
まなほさん:いいえ、何回か落としたことがあります(笑)。「しんどい」とか、「もう書けない」とか言って、連載を休載したこともありました。
寂聴さん:本当?
まなほさん:自分にとって都合のいいように考えています。
寂聴さん:都合の悪いことは、すぐ忘れます。
まなほさん:本当にそうです(笑)。でも、それが長生きするコツかもしれませんね。都合の悪いことはさっさと忘れる。私などはイヤなことを言われると、それがいつまでも心に残って、精神的によくありません。
寂聴さん:忘れるのも、一つの才能です。人間には忘却という不思議な才能が与えられています。
●やらないで後悔するよりも やって後悔するほうがいい
まなほさん:「どうせ運命なのだから、やってもムダ」と人から言われて、やる前にものごとをあきらめる人もいます。
寂聴さん:人から言われて、やりたいことをあきらめるほど、つまらないことはないと思います。他人の言うことなど、全部いい加減だと思って聞き流せばいいのです。その人のためになることを言ってくれる人など、めったにいません。言うことといえば、やきもちやおだてから生じたことがほとんどですから、他人の言葉で自分のやることを決めたりしてはいけません。
まなほさん:そもそもやってみなくてはわからないことだから、「やってもムダ」、「意味がない」などと思わず、とにかくやってみるということですね。他人の言葉で、自分の可能性を狭める必要はない。 寂聴さん:その通りです。他人が何を言おうが、やってみたら案外うまくいくかもしれません。やはり、ものごとはやってみなくてはわからないのです。どうしようか迷ったときは、一か八か、やってみるほうに賭けたほうがいいと思います。私はそのほうが好きですし、そう思って、自分がやりたいと思ったことは何でもやってきました。覚悟して何でもやってみる。そのほうが後悔をしなくて済みます。
まなほさん:やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがいいということですね。
寂聴さん:私はもう百歳になりますから、明日、死ぬかもしれません。死ぬ間際になって「あれをやっておけばよかった」という、やらなかったことに対する後悔と、「あれをやらなければよかった」という、やってしまって失敗したことに対する後悔の二つがあったとしたら、私は「あれをやっておけばよかった」という後悔のほうがイヤですね。
まなほさん:たしかに、やってもいないのにあきらめていたら、「どうしてあのときにやらなかったのだろう」という後悔が、一生、つきまとうかもしれません。例えば、好きだった人に対しても、「もしかして、あのときに思い切って告白をしていたらどうなっていただろう」と思うことがあります。ですから、何でもかんでもとりあえずやってみるということですね。
寂聴さん:何でもかんでもじゃありませんよ(笑)。
まなほさん:でも、自分が思ったことは、やってみたほうがいいということですよね。
寂聴さん:どうしてもやりたいことは、やってみたほうがいいということです。
まなほさん:結局、それがムダかどうかなんて考えないことですね。何がムダかわかるほど、人は賢くはないとも言えます。だから、やりたいことはやってみたほうがいい。
寂聴さん:そうです。何でもやってみたほうがいいです。
※本記事は『今を生きるあなたへ』を再構成したものです。続きをお読みになりたい方はぜひ本屋でも手に取ってください。
語り手:瀬戸内寂聴、聞き手:瀬尾まなほ
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