仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふというは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり。
萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落(とうらく)せしむるなり
[道元『正法眼蔵』「現成公案」]
〔現訳〕
仏道をならうというのは、自己をならうことである。
自己をならうというのは、自己を忘れることである。
自己を忘れるというのは、天地宇宙の一切のものの働きによって証り(悟り)がわが上に現れることである。
天地宇宙の一切のものの働きによって証(悟り)が我が上に現れるというのは、自他の身心をしてそっくり束縛から脱せしめることである。