自らにとっての真実の欠片は、迷い悩み考え抜いて決断した自らの完全な満足を目指す過程でしか見つけられませんが、それらで組み上げていく真の納得という幸福の美しい景色のパズルは、その時々での自らをあるがままに受け容れるということにより、それまでの自分自身から離れることでしか決して完成させることはできないのです。
自分自身に拘ることが自由への入口ですが、その自分自身が実はまた最大の束縛であり足枷にもなるからです。。。
そして、またその時々の一つの達成という納得の積み重ねを手放して、またゼロから次の達成を目指してコツコツと納得を積み重ねていく、、、
そうした繰り返しのすべての過程が、日々何時どんな時にも自らの納得に包まれた真の幸福な人生なのだと私は確信しています。
自分自身と真っ直ぐに向き合い、自らの内なる心の声に無条件に従って生きる限りのすべてが正しい、、、
人の数だけある自由な人生、自らを救える人生における正誤の基準は、いつも自分自身の納得の有無です。。。
本当のことや大切なことは、いつも隠れていて、自ずと見えてくるものがあるとすれば、それらは何処かの誰かにとっての願望や都合に過ぎません。
具体的にどんな人生を創り上げていくのかを、迷い抜き考え抜いたうえでの選択決断により、自分自身にしか決して見つけられない人生の扉を開け、試行錯誤を重ねながら一つ一つ探し出していく真実の欠片というパズルで、自らの納得という幸福な景色を組み立てていく道筋を進み続ける限りは、その過程におけるすべてが正しいのです。
こうした視点考察については、かつて2000年初頭に執筆したコラムにて詳述していますので、よろしければどうぞ〜
長いです。。。(苦笑)
巡り巡ってまたふりだしに(中段)
巡り巡ってまたふりだしに・続編2
巡り巡ってまたふりだしに・続編3
〜Vol.5に続く