■日本有事に安保で米軍は動くのか 法哲学者や元自衛隊幹部が語る懸念
ロシアによるウクライナ侵攻は、日本人にも大きな危機意識を芽生えさせた。他方、それでもどこか「安全」を感じているのは、日米安全保障条約があり、「いざとなったらアメリカが守ってくれる」という考えがあるからだろう。だが、もしもの際、本当に日米安保条約は機能するのか。状況によっては難しいと語る法哲学者と陸上自衛隊の元陸将に話を聞いた。(ジャーナリスト・小川匡則/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
井上達夫・法哲学者、東京大学名誉教授
<日米安保条約第五条 各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する。>
「この安保第5条は日本の安全保障の基本条文です。アメリカで大統領が代わるたびに、日本政府はこの5条が尖閣諸島にも適用されることの確認を求めます。もし尖閣に何かあれば、アメリカは助けてくれますよねという確認です。歴代の大統領は尖閣も適用対象だと応じてきました。でも、尖閣に中国が侵攻したとき、本当にアメリカが軍を出すでしょうか。実のところは難しいと私は考えます」
「なぜか。安保第5条に秘密がある。ここには、日米が共通の危険に対処すると定められていますが、よく読むと、『自国の憲法上の規定及び手続に従つて』とある。合衆国憲法は、開戦決定権が連邦議会にあると定めている。つまり、連邦議会で承認されなければ日米安保は発動されないのです」 「在日米軍基地やアメリカの戦略上の要衝が攻撃を受ければ、米軍はすぐに動くでしょうが、尖閣については『あんな無人の岩島を守るために米軍が出動するのはナンセンスだ』と考えている米軍関係者もいる。そこに中国が侵攻したとして、アメリカが中国との全面戦争のリスクを冒してまで、在日米軍を出動させるでしょうか。尖閣の有事で、日米安保によって米軍が日本のために戦ってくれるというのは願望思考だと言わざるを得ません。自衛隊に任せて米軍は背後に回るでしょう」 「もともとアメリカは自国の世界戦略上の利害を最優先します。それに合致すると思えば、議会の開戦決定なしの戦争も実際にはやってきた。要するに『議会の承認』というのは、参戦を断る理由として便宜的に使えるのです」
アメリカに有利な「片務条約」
法哲学者の井上達夫氏は日米安保の誤った認識が広まっていることに苦言を呈す。同条約はアメリカに日本防衛義務を課すが、日本にはアメリカを防衛する義務がなく片務的だと言われている。しかし、じつは日本のほうが重い負担を負っていると井上氏は語る。 「日米安保はアメリカのメリットのほうが圧倒的に大きい。日本はアメリカに日本領土のどこにも米軍基地を設置する権限を与え、首都東京の上空も含む広範な空域の航空管制も米軍横田基地に与えている。また、アメリカは日本防衛以外の戦闘目的のために在日米軍基地を使用できる。しかも、基地の使用について日本政府は実効的に統制できない。これはものすごく危険な状態です」 「国際法上、戦争している国に基地や兵站(へいたん)を提供した国はその交戦国に加担したと見なされ、中立国ではなくなります。例えばかつてのベトナム戦争で、北ベトナムが日本を攻撃したとしても、それは北ベトナムの『正当な自衛権行使』ということになっていたでしょう。つまり、アメリカが日本の防衛とは関係ない世界戦略のために軍事行動をして、それに日本が巻き込まれてしまうリスクがあるのです」
「一方、日本のメリットは、日本が攻撃されたらアメリカが守ってくれるというものですが、既に言ったように、アメリカの戦略的利害にかなう限りでしか米軍は動かない。日米安保は日本がただ乗りしていると言われることが多いですが、実態は逆で、アメリカが日本にただ乗りできるという意味で『片務的』なのです」
交戦法規がない現行憲法の問題
井上氏はリベラルな立場として「憲法9条削除論」を提唱、9条に代えて戦力の濫用を抑止する戦力統制規範(国会事前承認手続など)を憲法に明文化する立場だ。 「自衛隊は世界有数の武装組織です。しかし、憲法9条2項が戦力は持たない、交戦権は行使しないと定めているため、自衛戦力の濫用を抑止する戦力統制規範が、憲法にはない。自衛隊の交戦行動を国際人道法の交戦法規に従って規律する国内法体系もない。憲法が交戦権行使を否定しているのだから、そんな法律は制定できない。自衛隊は憲法と法律でがんじがらめに縛られているから使えない軍隊だと思っている人が多いが、これは逆。戦力統制規範も交戦法規もないため、危なすぎて使えない軍隊なのです。戦力放棄した憲法9条が皮肉にも、自衛隊を法的統制に服さない危険な戦力のまま放置する状況を産み出しているのです」 「今回、ウクライナはロシアの侵攻に対して降伏せず、徹底抗戦してきました。これは大事なことです。自分の国を自分たちで守ろうとしない国を、他国が助けてくれるわけがありません。世界各国がウクライナを支援し、既に830万人以上の難民を受け入れているのは、ウクライナ国民が戦っているからです。この冷厳な現実を日本人も直視し、自衛隊を立憲主義的統制に従って自衛戦力を行使する組織にするために、憲法改正問題と向き合うべきです」
山下裕貴・千葉科学大学客員教授、元陸上自衛隊・陸将
「日本が有事となるシナリオはいくつかあります。例えば沖縄の尖閣諸島に中国軍が上陸し、自衛隊が中国軍と衝突するというケースです。偽装した民兵が尖閣に上陸して発砲してきた。海上保安庁・警察が対応するなかで、中国側は武装した海警局、さらに軍が出てくる。そうなると、日本も海上自衛隊が出ざるをえず、全面衝突になる──。問題はこうしたケースで日米安保が発動されるかどうかですが、結論から言えば難しいでしょう。アメリカの国内世論や連邦議会で『無人のちっぽけな島のためにアメリカの若者の血を流すのか。核保有国と戦争するのか』という意見が出る中、政府がそれを押し切って軍を派遣するとは思えません」
「では、日本の北はどうか。いまはロシアが北海道に攻めてくるような状況ではありませんが、将来的にどうなるかわかりません。たとえば米露の緊張度が高まったとき、ロシアがオホーツク海を要塞化するために、北海道に限定侵攻してくる可能性はあります」 陸上自衛隊で中部方面総監などの要職を務めた元陸将の山下裕貴氏も、実際の有事を想定すると「日米安保があれば大丈夫という状況ではない」と語る。
北海道では米軍が来るまで厳しい戦い
(図版:ラチカ)
「かつてロシアがソ連だったころの米ソ冷戦時代は、ソ連の地上軍が稚内から侵攻してくることが想定されました。サハリンから稚内の宗谷岬までは42キロという近さです。稚内や天塩に上がり、国道40号で旭川を目指す。地上軍はもう一つ、北方領土の国後島から侵攻することも考えられていました。国後から根室海峡までは17キロ。標津や斜里に上陸し、帯広に向かってくる。どちらもロシアの最終目標は札幌です」
(撮影:編集部)
「このときロシア軍は大隊戦術群という作戦運用単位で侵攻してくるでしょう。いまウクライナにも使用しています。1個大隊戦術群は600~800人規模。1個戦車中隊、3個機械化歩兵中隊、砲兵中隊などを組み合わせて編成する。ロシア軍の作戦基本部隊は大隊戦術群2個基幹の旅団(1500人規模)です。ロシア軍は大隊戦術群を170個も持っていると言われています」 「では、こうしてロシア軍が攻め込んできたとき、日米安保は発動されるのか。北海道がここまでの状況になれば、発動されないということはないでしょう。しかし、いつの段階で発動されるのかはわかりません。あくまでアメリカの意思決定だからです。また、発動しても手続きと準備があるので、すぐには来られない。つまり、米軍が来るまでの間、自衛隊が戦い、可能な限りの防衛をしていくことになる。重要なのは領土に侵攻してくるときは、地上戦になるということです。戦争とは基本的に相手の領土を獲得することです。ミサイルを撃ちこんだからといって領土を支配できるわけではないのです」
隊員同士の信頼関係を
日米安保が発動されたとき、米軍はどの部隊が来援するかは決まっているという。その部隊との演習も行われており、例えば陸自では「YS=ヤマサクラ」という名の日米共同指揮所演習が毎年行われている。こうした共同での演習は、実際に日米安保を機能させるうえで、非常に重要だと山下氏は指摘する。 「日米安保といっても、紙切れの条約文にすぎません。結局動くのは人間です。人間同士のしっかりとした絆がなければ、真の同盟は機能しません。加えて、日米安保も『日本が攻撃されたときはアメリカが助ける』といういわゆる片務的なものではダメで、『アメリカが攻撃されたときにも自衛隊は助ける』という双務性にすべきです」
「私が指揮官のときに部下には『我々は勝てないかもしれないが、負けない戦をやる』とよく言っていました。有事で相手に勝つためには、米軍に来てもらうしかない。陸上自衛隊が血だらけになって戦い、何とか持ちこたえている、そこに米軍が助けに来る。そうなるには、日米のミリタリー間での信頼が必要です。アメリカとの共同演習の際には、隊員同士仲良くして、親友をつくれと指導していました。私自身、カウンターパートの軍団司令官とは会う機会を多くしました。食事をしたり、ワインを飲んだり、親交を深めて信頼関係をつくった。いざというときに『ヤマシタが血だらけになって一生懸命頑張っている。早く助けに行かないと』と思ってもらえるような強い信頼関係が必要なんです」 「そして、日米安保を実効性のあるものにするうえで、何より重要なのは『自分たちで守ろうとする意志』です。これがなければ、誰も助けてはくれません。それは自衛隊員だけの話でもありませんし、自衛隊にすべて任せたという話でもありません。国民も一緒になって守る、一緒に戦うという気持ちが必要なのだと思います。そうでなければ、自衛隊だって戦えないし、ましてや米軍が助けに来てくれることはないでしょう。それは、いまのウクライナ国民の姿と世界の支援を見てもわかることだと思います」
安保の重要性は両国で認識
2020年度に外務省が米ハリス社に委託して行った「米国における対日世論調査」(18歳以上の一般人1013人と、有識者200人)では、日米安保条約を「維持すべき」と評価する一般人は70%、有識者は88%にのぼった。また、米国の安全保障にとって日米安保条約は重要かという有識者への問いには、「極めて」と「ある程度」という回答を合わせると94%だった。 一方、2020年3月に外務省が日本国民を対象に行った世論調査(18歳以上の1000人)では、発効60年の日米安保条約が「評価できる」とした回答は「どちらかと言えば」(46.7%)を含めて、68.9%だった。 このように、日米安保条約の重要性は両国で広く認識されている。ただ、それがどんな状況のとき、どのように発動されるのかは未知数だ。そして、安保が機能するかどうかは、日本の防衛体制も深く関わっている。力による現状変更を迫る国に対して、日本はどう向き合うのか。アメリカより前に日本の国民が問われている。
小川匡則(おがわ・まさのり) ジャーナリスト
[YAHOO Japanニュース]