■病院死より穏やかな最期 上野千鶴子の「在宅ひとり死」のススメ
人生の最期を迎えたい場所 (週刊朝日2020年6月19日号より)
新型コロナウイルスの感染拡大で、改めて人生の終わり方について考えた人は少なくないだろう。最期は一人──。『おひとりさまの老後』『おひとりさまの最期』などの著書がある社会学者の上野千鶴子さん(東京大学名誉教授)に、コロナが収束してもいつか訪れる最期の迎え方について聞いた。
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──なぜ「在宅ひとり死」がいいのですか。
「いいも悪いもない、おひとりさまのお年寄りがいや応もなく増えてきたんです。いま、高齢者の独居率は27%で、夫婦世帯が32%。夫婦世帯はいずれ死別するので、半数以上が独居になります。持ち家があるのに、入居金や家賃を払ってまで施設に入ったりサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)に転居したりする必要がありますか。日常の先に死があれば、穏やかな最期が送れます。『在宅死の安らかさは病院死とは比べものにならない』と多くの在宅医が証言しています」
──最期は皆、「おひとりさま」になる。
「そうです。介護保険が始まり20年。介護の現場では看取(みと)りの経験と自信をつけた介護職が増え、体制も整いました。地域包括ケアシステムも広がり、地域が独居高齢者を支えるように変化しました。看護職や介護職が『医師がいなくても自分たちだけで看取りができる』と言いだすようになりました」
「在宅医も高い志とビジネスを両立できるようになりました。この20年で制度と人材は充実し、選択肢は増えました。(通い、泊まり、訪問を一つの事業所が担う)小規模多機能型居宅介護も、看取りのできる看護小規模多機能型居宅介護もできました」
──その訪問介護は、コロナの影響で崩壊してしまう、という切迫した声が聞かれます。
「コロナ禍で見えてきた問題は、すでにあった問題が非常時には増幅する、ということです。今、介護保険のホームヘルプ(訪問)が崖っぷち。コロナ禍で介護業界の人たちも危機の声明を出していますが、医療に比べて介護の声はあまり届きません。防護体制は無防備に近い状態なのに……。コロナで人手不足はさらに加速しています。訪問介護の労働条件が悪いのも、政策決定者たちが介護を『女なら誰にでもできる非熟練労働』と見なしているからです」
──膨張する費用を抑えようと、要介護1、2などの軽度者の支援を縮小する案が浮上しています。サービスが使いにくくなれば在宅ひとり死も難しくなります。
「介護保険が縮小されれば、足りないところは『自費負担で』と『家族を頼りなさい』となります。制度の後退を絶対許してはいけません。介護保険を守るために、高齢者が声を上げるべきです。一人ひとりの声が政権を動かす力になります」
──介護保険の後退は心配です。ただ、誰にも看取られない死を望む高齢者はいるのですか。
「(高齢者がバリアフリー住宅に共同で暮らす)グループリビングのCOCO湘南台(神奈川県藤沢市)を立ち上げた西條節子さんが語ったエピソードです。死が近くなった人に寄り添いながら『あなたの正直な気持ちを聞かせてほしい』と聞くと、『たまには一人にしてください』と答えたそうです。『死ぬときに一人にさせてはならない』というのは、送る側の思い込み。私はこれを『看取り立ち会いコンプレックス』と呼んでいます」
「高齢者が突然死することはめったにありません。介護保険につながれば主治医もつきますし、訪問看護ステーションが24時間緊急対応をしてくれます。訪問介護が定期的に入れば、死後、長時間経って発見される心配もありません。おひとりさまで不安なら、誰かに鍵を預けることも考えましょう」
──子どもは親を24時間看護・介護してほしいという思いから、施設入居を選びがちです。
「子どもが意思決定するからですね。『在宅ひとり死』のためには、本人の意思がまず大事。家族が本人の意思を尊重して、地域の看護・介護資源を利用し、在宅で看取る。そこに訪問リハビリテーションや訪問薬剤管理、訪問歯科診療、訪問口腔(こうくう)ケアなどの連携があれば、さらに理想的です」
「残念ながら地域格差や人材格差があるのは否めません。資源のある地域へ引っ越すのも一案でしょう。例えば、『家は病室、道路は廊下、病院はナースステーション』と町全体を病院にしようと医師会が取り組んでいる広島県尾道市、在宅ホスピスのパイオニア、山崎章郎医師が率いる『ケアタウン小平』のある東京都小平市、日本在宅ホスピス協会会長で小笠原内科・岐阜在宅ケアクリニックの小笠原文雄医師がいる岐阜市など。実際に『先生のところで死なせてくれ』と来る患者さんもいるそうですよ」
(本誌・大崎百紀)
[AERA .dot/週刊朝日 2020年6月19日号]