■堀江貴文「やりたいことがない人」3つのパターン
まずは自分に正直であれ、損得勘定は挟むな
自分に正直になる習慣
フランスの哲学者アランは名言を遺している。
「幸福だから笑うのではない。笑うから幸福なのだ」
そのとおりだと思う。アクションから本質が生まれる。本質はあくまでも事後的に発生するものであって、本質という抽象はそれ単独で先行的に存在するものではない。
ぼくは中学生時代、プログラミングに夢中になった。よくわからないまま手さぐりでパソコンを使っているうちに、多彩な処理システムを構築できるプログラミングの魅力にどんどんのめり込んでいった。それがやがてビジネスにつながり、ぼくはそのビジネスでさらに成功を収めるべく野心をたぎらせていった。
要するに今日にいたるぼくのキャリアは、プログラミングとの出合いがすべてだ。プログラミングに出合わなければ、それはそれでまたまったく別のキャリアを描いていただろう。
あらかじめ目指すキャリアがあって、プログラミングに足を踏み入れたわけではないのだ。まずアクションがあって、結果的にキャリアがある。
アクションを起こさなければ、なにもはじまらない。では、あなたにとって正しいアクションとはなんなのか?答えはシンプルだ。まず自分の胸に手をあててほしい。そして自分が夢中になれるものはなんなのか。それを問いかけることからすべてははじまる。
スマホでソシャゲをするのが好き。マンガやアニメを見るのが好き。アイドルが好き。──あなたが夢中になれるものはあるはずだ。ところがそこまで自問して、投げ出すひとが多い。好きだし夢中になれるけど、やっぱりそれは生産的ではなさそうだ、そう退けてしまうのだ。でもほんとうにそうか? ほんとうにそれは生産的でないのか?
ビデオゲームが好きなら、ゲーム実況をしてみればいい。noteでその楽しさを記事にするのもありだ。あるいはゲームの作り手に回るのはどうか。アイドルが好きなら、握手会に行くだけではなく、イベントを企画してそのアイドルを呼んでしまえば、それはもう立派な仕事である。
自分に正直になれ、とは使い古された言葉だ。でも使い古されているのは時代や環境を超えた普遍的な正解だからだ。自分に正直にあろうとするとき、損得勘定を挟むべきではない。先々の生活のことをちまちま考えるのもやめよう。そもそも生活というものは無限の変数に満ちている。先読みして心配したところで意味はない。生活なんてどうにでもなる。
もし窮したら生活水準をぐんと落とせばいい。知り合いに頭を下げてお金を借りればいい。ここは日本だ。最後の最後には公的なセーフティーネットも用意されている。
長期目標はいらない
あなたがまず身につけるべきなのは、自分に正直になる習慣である。ぼくはかつて会社経営にあたって、MBAを取得したわけでもなければ、経営指南書のたぐいも読んだことがなかった。ぜんぶ試行錯誤の自己流でやってきた。それで一時は時価総額で世界クラスの大企業にまで成長させた。これがもしあれこれ知識を詰め込んでからとりかかっていたら、そうはならなかったかもしれない。
頭でっかちになるあまり好機を逃したかもしれないし、なにより楽しくなかっただろう。退屈なことをやり続けること以上の苦痛はない。技術やセンスなんていうものは事後的にあとから自然についてくるものだ。
42キロのフルマラソンは大変だ。やり抜くには体力と精神力を要する。でも100メートル走ならどうだろう。ぼくは走れる。あなたも走れる。だれでも走れる。100メートル走を何度も何度も繰り返しているうちに、やがて42キロに到達する。だから遠くを見てはいけない。長期目標はいらないし、それはあなたにとって妨げになるだけだ。
ひとは元々、集中力が散漫で、怠け者なのだ。もちろんぼくにもそういった面はぞんぶんにある。だからまずは、いけそうな距離まで走ってみること。いまの自分の足元だけ見て走ろう。
生活はどうにでもなる。損得勘定で自分を縛っていないか?
あなたが夢中になれるものをやる。それが正しいアクションの第一歩だ。だが一方で、ちまたには「やりたいことの見つけ方」みたいな本があふれている。
ぼくには理解しがたいのだが、やりたいことがなんなのか、夢中になれるものがなんなのか、その第一歩でさまよっているひとが多いらしい。そんな事態に陥るひとにはいくつかのパターンがあると思う。
1つ目は、自分に正直になれていないというパターンだ。自分の内面をろくに点検せず、安易にだれかを真似ようとする。いま世のなかで輝いているように見える仕事や趣味にだけ限定して、自分のやりたいことを選ぼうとするわけだ。それは違う。
たとえばユーチューバーが楽しそうに動画を配信しているからといって、あなたがそれと同じ立場や状況を楽しめるわけではない。あたりまえの話である。「楽しそう」と「楽しい」はまったくの別物だ。そこをごっちゃにするから目が曇る。
「あのひとが楽しそう」なのはどうでもいい。大事なのはあなただ。あなたのなかにしか選択肢はない。そしてそこに必ず答えはある。
2つ目のパターン
2つ目は、夢中になれそうなもの、やりたいことはあるが、どうしたらいいかわからないというパターンだ。
そうなってしまう原因はシンプルだ。情報不足である。アクションを起こすのに気合いや根性はいらない。でも情報は必要だ。スマホを覗けば膨大な情報があなたに流れ込んでくる。もちろんその情報はあなただけのものではなく、だれもが等しく共有しているものだ。だからたまに、真に重要な情報はネットのなかにはないのだとか力説するひとがいるがそうではない。
それは人間の個性を軽視した考えである。同じ情報であっても、通すフィルターによって、その意味合いや価値はがらりと変わる。ネットのどこかにきっとあなたの背中を押してくれるような、実例や体験談がある。
さらには、手の込んだ動画編集の仕方、目を引くブログ記事の書き方、はたまた秘境を探検するための手筈、──なんだってノウハウが記されている。もしあなたが将棋好きなら、オンラインで対局相手をマッチングしてくれるサービスだってある。
あなたのやりたいことはいくらでもかたちにできるし、いくらでも拡張できる。そのためのとっておきの情報なんていうものはない。そんな幻想は捨てることだ。ごくありふれた情報のなかに解法はあるのだと気づいてほしい。
3つ目は、やりたいことを溜め込んでしまうパターンだろう。あれもやりたい、これもやりたい。その精神はいい。でもならばすぐやればいいものを、いまは忙しいからと「いつかやる」タグをつけて脳内に保留してしまう。そして未処理のままタグを溜め続け、「いつかやる」はだんだん「やれたら、やりたい」に変わり、最後には「やりたいことなんて特にないなあ……」と思考停止に陥る。
ぼくはいままでやりたいことはひとつ残らずやってきた。23歳で起業し、4年後には東証マザーズに上場させた。プロ野球界再編のときは、新球団の設立に乗り出しプロ野球マーケットの活性化を狙った。そしてニッポン放送とフジテレビを買収し、歴史的なメディア革命を起こそうと試みた。衆議院総選挙に立候補し、本気で日本を変えようとも志した。
自覚はないが、ひとに言わせれば、ぼくの行動力は並みはずれているらしい。だからぼくもできたのだからあなたも、と言うつもりはない。そうではなくて、ぼくはぼくの時間のひとつひとつを最大限に使ってきたことをあなたに誇りたいのである。そしてあなたもそうあってほしいと思う。
明日の自分を当てにするな
「いつかやる」は機会損失にほかならない。みすみす自分の可能性をしぼませるだけだ。その意味では、あなたは明日のあなたを当てにすべきでない。未来の時間は予測できないからだ。あなたが期待をかけるのは、今日のいまここにいるあなたである。やりたいことにすぐ手をつけられる、いまこの瞬間のあなただ。
「いつかやる」ではない。いまやろう。時間に対してケチになろう。わたしには夢中になれるものがない──。そんなことはありえないのだ。あなたはロボットではない。人間である。人間であるかぎり趣味嗜好がある。あなた固有の世界がある。それを強みと呼ぶ。「夢中」のとば口はすぐ目のまえにあるのだ。
流行りに飛びつかず、自分の心を点検しよう
[東洋経済 ONLINE]