■体の介護はプロに任せよう 家族はむしろ「心の介護」を
前回は「自分が介護をしてあげたい」という気持ちが生み出してしまう課題について考えました。愛されて育ったから、その恩返しとして、親の介護は自分がしてあげたい。親には迷惑をかけたから、介護くらいはやってあげたい。そうした気持ちが、かえって、介護の品質を下げてしまうとするなら、問題です。
何事もそうですが、品質を担保するのは知識と経験に裏付けされた専門性です。介護の世界にも多数のプロフェッショナルがいて、それぞれに、日々、知識と経験を積み上げています。「自分が介護してあげたい」という気持ちだけで、素人が直接、介護の中身に手を出してしまうことによるリスクについて、認識しておくことが大事です。
「自分が介護をしてあげたい」という気持ちの功罪を見つめつつ、介護の品質について考える必要があるわけです。今回は、そうした前回の記事に対して頂戴した様々なコメントをベースとして、さらに、この問題と対処法について考察してみたいと思います。
家族で介護をすることに対する喜びもある?
自分で介護をすることは、介護を必要とする人に対して、素人の品質を押し付けることにもなりかねません。品質の低い介護は、介護を必要とする人の状態を悪化させることにつながります。結果として、金銭的、肉体的、精神的、時間的に、介護の負担が上がってしまうことが多くなるわけです。それだけでなく、自分で介護をすると、家族との適度な距離が失われてしまうというのは、Makitaさんのコメントにもある通りです。
だからといって、いざ、プロに介護をお願いしようとすると、私たちは罪悪感を持ってしまうのです。愛する相手が介護を必要としているなら、なんとか自分で介護してあげたいという気持ちは、とても自然な感情です。介護を必要とする人もまた、家族による介護を希望するケースもあるでしょう。
家族での介護を継続している人の意識調査の結果を以下に示します。この意識調査では、昭和大学保健医療学部看護学科が、プロによる介護への介入に消極的な家族へのヒアリングを行っています。この意識調査から見えてくるのは、介護を継続することが、ある意味で、家族の幸福感にもつながっているということです。
プロにお願いすることによる罪悪感をどうするのか
様々な理由から、家族で介護をしたいという気持ちになるのは、仕方のないことです。それが幸福感にもつながっているとするなら、なおさらでしょう。しかし、そうした介護の結果は負担の増加であり、介護を必要とする人の状態の悪化にもつながってしまうのです。くまくまさんのコメントは、ここにヒントを与えてくれています。
これは、介護をプロにお願いすることによる罪悪感は、家族にしかできない「心の介護」を担うことで楽になるという経験談です。「体の介護」はプロに任せつつ、お互いが家族であることを喜び合えるような「心の介護」は、家族にしかできないものでしょう。ある意味で、介護をする家族もまた、プロによるケアを必要としているとも言えるかもしれません。
にゃおんさんのように、介護に対する親の希望を理解しつつ、将来の「体の介護」はプロにお願いするための財源を確保するというのが鉄則ではないでしょうか。その上で、自分は「心の介護」を担っていくことに集中すれば、罪悪感は減らせるはずです。そもそも自分に余裕がなければ「心の介護」は難しくなることと合わせて考えると、こうした考え方の重要性が認識されます。
みんながプロに頼っているという事実を武器にしたい
実際に、どれだけの人が、介護をプロに頼っているのでしょう。よく「親が地方に暮らしていると、介護はプロにお願いしにくい」と聞きます。それは本当なのでしょうか。福島県いわき市が、介護方法に関する調査をしていますので、それを見てみましょう。
色々な角度から考察できるデータですが、まず注目してもらいたいのは、行政や外部のサービスに頼らず自宅で介護をしているケースは、全体の14.3%にすぎない(全体の8割以上がプロに頼っている)という事実です。そして、男女の格差があるところは見過ごせません。女性だと、家族から介護を押し付けられることが多い実態も見えてきます。私たちは、この点を特に意識して、女性が不利にならないようにしなければなりません。
Mさんのように自らの老後について準備をしてくれている親は多くはないと思われます。だからこそ、行政や外部のサービスに頼らず自宅で介護をするのは少数派であるという事実を家族で共有することが、負担の少ない、品質の高い介護を実現するための第一歩となるのではないでしょうか。
[日経ビジネス]