言い得て妙。。。Vol.15

いずれの記事も

鳥井謙吾
合同会社FunFanLifework 代表

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★絶対に起業に失敗したくない人はコストを最小化してやってみよう

弱点はアゴとジェットコースターです。おはようございます。起業・集客コンサルタントの鳥井です。起業ってのは何かどうしても危ないものだとか、危険が付きまとうみたいに考えられている節がいまだに強いですよね。たくさんのクライアント様からご相談をうけていて、日々それを強く感じています。

そこで今回は、僕がこれまで実践してきた「絶対に失敗したくない時のビジネスの始め方」についてお伝えします。

■コストを最小化した形を考えて実際にやってみる

まずは、自分がやりたいことや、ビジネスとしてやってみたいことがあるなら、それをコストが一番掛からない形で小さく実現する方法がないかを考えましょう。

例えば、「カフェとか飲食店とかを開きたい!」みたいな人ってのは、いまだに結構いたりしますよね。でも、いきなりお店をOPENするのってお金がかかるし、失敗するかもしれないから怖くてできない……なんて状態だとします。

まぁ正直な話、カフェなんて単価とか回転率とか競合性とか色々考えてみても、個人が始めて儲かるイメージが全く湧かないからあんまりオススメしないけど、でもやりたいならやったほうがいいよね。人生は一度きりで、明日死ぬかもしれないんだから。

そういう人は、まずはコストを最小化した形で実際にやってみることをオススメします。例えばカフェでも、いきなり開業してやる必要なんかないですよね。場所や機材はレンタルすればいい。

自分が思っているコンセプトで、実際に一晩だけでもいいからカフェをOPENしてみる。スタッフも知り合いレベルでもいいから調達してみる。目標を決めて、人を集めてみる。そうすると、スターバックスで1年アルバイトするよりも、よっぽどいい経験になる。オーナーとしての、人、モノ、金、情報、時間などの資源を扱う視点が分かるから。

セミナー講師なら会場レンタルしてちょろっと開催してみればいいし、ITベンチャーなら自分でプログラム組んでみてアプリとか販売してみればいい。どんなビジネスも、コストを最小化した形にすれば、実は明日できるようなものばっかりです。

■やってみると、モチベーションの穴が分かる

例えば、カフェをやりたいと思っている人がよくやってしまうのが、「準備資金を貯める」とか、「飲食店で修行する」とか、「不動産の価格を調べる」みたいなこと。うん、もちろん資金も必要だろうし、飲食の経験も必要だろうし、エリアの相場とか価格帯とかを知ることも大切だと想います。

でも、それをいくら事前にやっても、大抵の人は失敗する。なぜかというと、やってみないと分からない細かいことが死ぬほどあるから。そして、その細かいことが自分の興味関心を奪っていき、モチベーションが死ぬ可能性があるから。

例えば、飲食店なんかをOPENしてみると、まずは労務管理で死ぬ。採用がうまくできない、もしくはできたけど辞めていってしまう。もしくはうまく育たなくてイライラする。採用に関して想像以上にコストがかかる。シフトの調整がうまくいかない。辞めた人間と給与に関してもめる。レジからお金を勝手に使ってしまう……その他その他その他……。

なんてことが当たり前に起こる。毎日。で、こういったことはオーナーとして開業をやったことが無い人には分からないし、細かい部分まではリアルに想像ができない。もしかしたら、店内のデコレーションやPOPなんかも自作しなくちゃいけなくなるかもしれない。仕入れや廃棄率のコントロールが予想以上に負担に感じるかもしれない。こういった、自分がイメージしていたのと全く関係ないいわゆる「業務」と呼ばれる部分が大量に、それはもう大量に発生する。

これにやられて、みんなモチベーションが下がってしまう。結果として、「思っていたのと違う」となって撤退する。この業務や雑務を乗り越えてもやりたいことなのかを検討できていない、つまりモチベーションに穴がある状態で、開業して失敗する人が多いです。

だからまずは小さくやってみることで、そのあたりを色々とチェックできます。できれば、継続して定期的に開催してみたらいいですね。それでもモチベーションが続くようならきっと成功しますよ。

■やってみると、顧客の目線になれる

ビジネスで一番大切なのが、顧客目線です。ちゃんとした立派な事業計画書なんかいらないです。顧客目線さえあればビジネスはうまくいく。でも、素人の状態からいきなり開業とかビジネスをスタートさせようとすると、結構この「顧客目線」をイメージできていない人が多い。

「自分がこうしたい」とか、「自分はこれが素敵だと思う」みたいな情熱とか想いが先行して、しっかりした顧客目線を醸成できずにスタートしてしまう。

カフェとか飲食店でも、「気の合う仲間が集まってワイワイできる場所を作りたい」みたいな、もう素人感満載の理念とかイメージのまま開業しちゃう人をたくさん見てきました。他にも、「自分らしい人生を送れる人を増やしたい」みたいな感じで、ライフコーチとかライフプランナーとかやっちゃう。

うん、もちろん情熱は大切なんだけど、人に評価されないとタダの変な人だからさ。人に評価されないと、起業家はホームレスだから。こういう人は、顧客とかマーケット、市場の目線になれていない。「(自分が)こういうのがあったらいいのに」とか、「(自分が)相手にこうなって欲しい」みたいな気持ちのままになってる。

だから、「自分は絶対に必要だと思うんです!こんな風に考えています!」みたいなことをガンガンアピールしてるんだけど、思ったより評価されない。当たり前だけどそれじゃだめで、「相手が本当にそれを欲しがっているのか」が大切ですよね。

熱も大切だよ。想いがないとダメだけど、それだけじゃダメという話。

小さくやってみるとその辺が顕著に分かります。意外と全然評価されないから。お金とってやってみたら分かるよ。少ない金額でもいいから、しっかり課金して定期的に開催してみると、リピート率とかアンケートの結果とかですごくリアルに分かる。

目安ですが、アンケートで「自分にぴったりの内容だった」という声が増えてきたり、同じ開催内容でもリピートしてくれたりする人が現れたら、顧客目線と自分の発信したい内容が刷り合ってきていると思っていい。

そこまでは、コストを最小化した形で、小さくやってみたほうがいいです。何が評価されるのか。自分の方向性は合っているのか。小さくスタートして、顧客の声に耳を澄ませて、調整していくことをオススメします。

■5~6回は開催してみよう

目安ですが、5回とか6回くらいは、不定期でもいいのでコストを最小化した形でやってみることをオススメします。これを経験してから起業・開業するのと、とりあえずで知識や資金を集めただけで起業・開業するのでは、成功率に天と地の差が出ます。

まずはコストを小さい形にできないか。今週末くらいに、企画を練ってみてください。なんかアイデアが湧かないなぁ……と言う人は、僕のメルマガで企画やアイデアの出し方とかも解説しています。参考にして見てください。

この次に大切なのが、「事前にリストを取ること」なんですが、そのあたりについては

絶対に失敗しないビジネスの始め方があるとしたらコレです
(引き続き以下にクリップしてあります)

こちらの記事に書いておきました。参考にしてみてください。あなたのチャレンジを応援してまーす!


★絶対に失敗しないビジネスの始め方があるとしたらコレです

元気があれば何でもできる。おはようございます。起業・集客コンサルタントの鳥井です。

将来的に自分で稼げるようになりたいと思っている人が、起業とか独立とかのリスクを最大限減らして確実に成功するための方法について、先日も

絶対に起業に失敗したくない人はコストを最小化してやってみよう

という記事を書きました。ご好評いただいてありがとうございました。今回はその続きを書きたいと想います。

先日の記事では、まず自分のプランをコストが最小化する形に直してやってみるという手法をお伝えしましたよね。でも、それだけだと足りないものがあって、それが顧客リストです。その辺のお話。

■顧客リストを取得するのに商品なんかいらない

さて、WEBの業界では当たり前なのに、みなさんがあんまり知らないことのダントツ一位が、これかもしれません。つまりですね、ビジネス始める時というのは、普通の人が思ってるのと順番が逆なんですよ。

普通は、ビジネスとか商品とか店舗とか、とにかく何でもいいから「売るもの」や「紹介するもの」が先に存在して、それを販売する先として顧客がいるという認識だと想います。

でも、外さないビジネスのやり方はその逆です。先に顧客(正確には見込み客)が集まっていて、その人達が欲しそうなビジネスや商品を後から考えて作ってるんですよ。

だから、売れる。だって、欲しい人がもう既にいるんだもん。

僕も、僕のクライアント様も、新しく参入したジャンルで実績が無い状態でも、ポンポンと商品が売れるのはこれが理由です。先に欲しい人を集めているから。それに尽きます。

このリリース前に見込み客リストを集めているかが非常に大きな差になります。

■先にリストを集めるってどうやるんじゃい

例えば、先日の記事と同じようにカフェや飲食店をOPENしたいと思っている人がいるとします。でも、色々と資金や準備が……みたいな事を考えて中々実現できないでいる。

そしたら、まずは別の記事で書いたようにコストを最小化してやってみること。それによって、モチベーションの穴と、顧客のニーズを事前に把握する。

そして同時に、OPEN前の期間で見込み客のリストを集めまくりましょう。例えばOPEN前の一年間で、イメージしている店舗と同じようなコンセプトで、イベントなどを定期開催します。規模は最初は小さく初めて、徐々にOPENまでに大きくしていく。そのイベントに来てくれた人は、全て連絡先などを入手してリストにしていきます。例えば、名前とメールアドレスを入力してWEBから申し込むような形にすればいい。

あと、僕だったらメディアのプロなのでブログなどを利用して情報を発信していきます。店舗が無い状態でも、発信できることはたくさんある。例えば定期開催しているイベントの様子などはUPできますよね。他にも、なぜ自分がその店舗をやろうと思っているのかにまつわる過去の話とか。その店舗で提供しようとしているメニューのレシピをこっそり公開するとか。自分がいいなと思う都内のおしゃれカフェの楽しみ方を紹介するとか。

結局は、自分がビジネスで提供しようとしている価値をしっかり把握できていれば、メディアでの集客なんてのはどんなビジネスモデルだろうが、商品がまだ無かろうが関係なく成功する。

この辺はちょっと文章だと説明が難しいので、youtubeとかでも発信していってるので「鳥井謙吾のB型起業人チャンネル」も是非チェックしてもらいたいですが。とにかくそうやって、先に欲しい人を集めちゃうんです。

■必要なのは事業計画書じゃなくて、見込み客リストじゃない?

想像してもらいたいですが、自分が新しく店をOPENした際に、OPENしてから初めてWEBや広告や看板を使って告知や集客を始めるのと、OPENのタイミングで既に自分の店舗に興味があって連絡まで取れる人が5,000人いるのと、どっちが成功しそうですかという話です。

単純です。どんなビジネスモデルでも一緒です。WEBビジネスとか何ビジネスとか、関係ないんですよ。ビジネスは基本、顧客がいれば成立するので。

OPEN前にアホみたいに皮算用の事業計画書を書いている人をたくさん見てきましたが、余程の経験者じゃない限り、計画書通りにいくことなんて無いです。

そんな事に時間を使うヒマがあったら、リストを取ってください。自分がやりたいことや興味のあることを利用して、事前に興味のある人を集める。ブログやソーシャルを利用すれば、月に数十万人にアプローチして、1,000名単位で見込み客リストを作ることが可能なわけです。

うまく自分に直してイメージできない人は「鳥井謙吾のB型起業人チャンネル」で今後も発信しますので、勉強するべし。

■まとめ

まぁつまり、ビジネスは始める前からほぼ決まっているということです。勝負は、始める前に決まってます。

成功するための準備としての、前回の記事と今回の記事でした。

やっぱり、顧客目線に尽きますね。なんだかんだ。

楽しんで、あんまり大げさに考えずにビジネス始めてみてください。以上。

Posted by nob : 2014年01月15日 16:21

本来の企業としてのあるべき姿、、、素晴らしい。。。

■自主管理を徹底する世界最大のトマト加工業者
マネジャーをつくらない会社
First, Let's Fire All the Managers
2012年3月12日 ゲイリー・ハメル

ゲイリー・ハメル
Gary Hamel
ロンドン・ビジネス・スクール客員教授。また、マネジメント・イノベーション・エクスチェンジ(ウェブ上でマネジメント・イノベーションを研究する組織)のディレクターを兼ねる。6冊目となる著書What Matters Now: How to Win in a World of Relentless Change, Ferocious Competition, and Unstoppable Innovation, Jossey-Bass, 2012. が2月に刊行された。

マネジメントとは組織で最も非効率な活動かもしれない。部下の仕事を監督する時間は膨大であるうえ、コストがかかり、意思決定や対応も鈍重になる。取引コストの点から、組織ではなく市場の調整力を評価する経済学者もいるが、市場は複雑な活動を処理するのは不得手である。

では、マネジャーがいなくても、調整が可能で統制を保ちながら、自由と融通性を享受できたらどうだろうか。マネジメントがマネジャー抜きで実践できれば、素晴らしいことだろう。

こんな夢のようなマネジメントを実践しているのが、世界最大のトマト加工業者のモーニング・スターである。同社で実践されている自主管理の方法と、その長所と短所を解説しつつ、この新しいマネジメント・モデルの未来を探る。

マネジャーの存在に価値はあるのか

 マネジメントは、組織で最も非効率な活動ではないだろうか。

 チーム・リーダー、部門長、バイス・プレジデントが部下たちの仕事の監督に費やす無数の時間について、考えてみてほしい。マネジャーの大半は懸命に仕事をしており、当人たちに問題があるわけではない。マネジャーの多い組織は鈍重でコストがかさむため、非効率を招く。

 幾重もの管理階層は、どんな組織にとっても重荷である。この重荷はいくつもの形を取る。

 第1に、マネジャーは間接費を押し上げる。組織の拡大とともに、マネジャーにかかるコストは絶対額が増えるばかりか、コスト全体に占める比率も高まっていく。小さな組織であればマネジャー1人で平社員10人を管理できるかもしれない。この1対10という割合を保とうとするなら、平社員10万人の組織ではマネジャーの数は1万1111人になるだろう。マネジャーを管理監督するために1111人が余計に必要なのだ。

 しかも、経理、人材開発、経営計画といったマネジメント関連の業務に数百人の社員が配置されるはずである。組織が複雑さに耐えかねて潰れてしまわないよう、支えるための仕事である。仮にマネジャーの報酬が、最下層の社員の平均3倍だとするなら、支払い給与総額の33%がマネジャーに振り向けられている計算になる。どう考えても高コストである。

 第2に、階層型マネジメントの下では、一般に、重大な判断を誤る危険が大きい。事の重大性が増すにつれて、判断権者に意見できる立場の人は少なくなっていく。どの階層においても、慢心、近視眼、無邪気などのせいで判断の誤りが起きるおそれはあるが、判断権者があらゆる面で圧倒的な権力を持っている場合には、その危険はこれ以上ないほど大きくなる。だれかに絶対君主のような権力を与えると、遅かれ早かれとんでもなく悲惨な事態が起きるだろう。

 これと関連して、最も権力の大きな人は現場の実情にだれよりも疎いという問題もある。トップによる判断を現場で実行しようにも、にっちもさっちもいかない例は多い。

 第3に、管理階層が多いと何人もの上司に承認を得なくてはならないため、迅速な対応ができなくなる。マネジャーは権限の行使に熱心なあまり、すみやかに判断を下すどころか往々にしてあえて時間をかける始末だ。偏りが生じるという問題もある。

 階層組織の下では、新しいアイデアを潰したり変えたりする裁量が、ともすれば1人に集中するため、その人物の偏った利害や関心によって判断が歪められる。

 最後に、組織の上層部に権限が集中することの弊害がある。といっても、何もかも牛耳らないと気が済まない人物が時折いる、といった話ではない。ピラミッド型の組織は底辺に近い層に権限が行き渡らないようにできており、それが問題なのである。

 たとえば、たいていの人は、消費者としての立場では自分の一存で2万ドル以上の新車を買えても、社費で500ドルの執務用の椅子を購入する権限は持たないだろう。各人の権限を狭めると、夢を持ち、想像力を膨らませ、組織に貢献しようというインセンティブを削ぐことになる。

階層制vs.市場

 市場がかねてより経済の専門家から「トップダウン型の管理をほとんど行わずに人間の活動を調整する力がある」と称えられてきたのは、驚くに値しない。ただし市場にも限界はある。

 ロナルド・コース(注1)やオリバー・ウィリアムソン(注2)といった経済学者が指摘しているように、各経済主体のニーズが単純で一定していて、具体的に表現しやすい場合には、市場はうまく機能するが、経済主体間のやり取りが複雑だと市場の機能は低下する。一例として、多くの加工処理を行う大規模な製造現場の多種多様な活動において、市場で緻密な調整が行われるとは考えにくい。

 だからこそ企業とマネジャーが必要なのである。マネジャーは市場にはできない仕事をする。何千という異なる努力を束ねて1つの製品やサービスへと結実させるのだ。これは、経営史学者のアルフレッド・D・チャンドラー・ジュニアが「見える手(ビジブル・ハンド)」と呼んだ役割である。ただし、この「見える手」には、非効率でえてして不器用だという欠点もある。

 管理監督を担う上層部なしに優れた調整ができるなら、さぞかし素晴らしいではないか。隙のない階層制と同じような統制を保ちながら、開放的な市場並みの自由と融通性を享受できたら、夢のようではないか。マネジャーがいなくともマネジメントを実践できたら──。

 オープン・ソース型のソフトウエア開発プロジェクトの様子をうかがうと、こうした特性を備えた夢のような組織を垣間見た気分になるかもしれない。プログラマーは何百人にも上るのに、マネジャーはいたとしてもごくわずかである。

 もっとも、オープン・ソース型のプロジェクトでは、みずから志願した人々がインターフェースが明確に決まった状況でモジュール化された作業をこなすうえに、技術面のブレークスルーは期待されていない。調整は臨機応変に行われる。

 これを、ボーイングがまったく新しい機種を開発する際の難題と比べてみよう。ボーイングの新機種開発では、最先端の設計・製造に伴う何千という課題に取り組むために、多数の専門家が力を合わせなければならない。ボーイングが悟ったように、開発工程をぶつ切りにして外注しても煩雑な調整は少しも楽にならない。市場の力に委ねたのでは〈ボーイング787〉(通称ドリームライナー)は開発できないのだ。

 では、トレードオフの罠に陥るしかないのだろうか。弊害を伴わない形で調整と管理を実現する方法はないのか。悲観的な見方がされるかもしれない。なぜなら、権限の分散が徹底していてなおかつ全体の統制が一糸乱れぬ会社など、大多数の人はお目にかかったことがないのだから。

【注】

1)
Ronald H. Coase。イギリス生まれのアメリカの経済学者で、1991年にノーベル経済学賞を受賞した。外部性の分析や取引費用の概念についての業績が認められたものである。

2)
Oliver Eaton Williamson。2009年にエリノア・オストロムとともにノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者。取引費用の経済学の権威。

型破りなマネジメント手法

 人間はだれしも慣れ親しんだものにとらわれている。初代〈iフォーン〉、J. K. ローリング(ハリー・ポッター・シリーズの作者)が描いた魔法使いの世界、レディー・ガガの生肉ドレスなど、目にしたり触ったりしない限り想像できないものは多い。組織についても同じである。

 以下のような組織を思い描くのは難しいのだ。

●上司なる者がいっさいいない。
●同僚との相談を通して各自の責務を決める。
●全員に支出権限がある。
●仕事に必要な道具をだれもが自分で手に入れなくてはならない。
●地位に伴う肩書きも昇進もない。
●同僚の判断に基づいて報酬額を算定する。

「ありえない」と思うかもしれないが、そんなことはない。これらは、とある資本集約的な大企業の特徴なのである。この企業では、各地に散在する工場に1時間当たり数百トンの原材料が運び込まれ、厳格な基準に沿って何十もの加工処理が行われている。フルタイム従業員400人の力で7億ドル超の売上げを稼ぎ出している。ちなみに、この型破りな企業はグローバル市場に君臨している。

 皆さんはおそらく信じられない思いだろう。私もそうだった。だから、この企業、ザ・モーニング・スター・カンパニーの評判を耳にした時は、1も2もなくカリフォルニア州サンホアキンバレーの工場を訪問させてもらうことにした。

 ピザ、ケチャップのたっぷりかかったハンバーガー、トマト・ソース・スパゲッティなどを食べたことがある人なら、モーニング・スターの製品を消費した経験があるはずだ。カリフォルニア州サクラメント近くのウッドランドに本社を置くモーニング・スターは、世界最大のトマト加工業者であり、アメリカの年間加工量の25~30%を扱っている。

 1970年に当時カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のMBAコースに在席していたクリス・ルーファー(現社長)により、トマト輸送を手がけるために創業されたのが発端である。現在では3つの大工場でトマトを加工処理している。

 顧客が指定するレシピは合計で数百種類に上り、おのおの細かい点で異なる。大口向け製品のほかに缶入りトマトを製造して、スーパーマーケットやレストランなどに納めている。くわえて、年間200万トンを超えるトマトを運ぶ輸送業、トマト栽培といった事業も傘下に置いている。

 ルーファーによると、モーニング・スターはこの20年というもの、取引量、年商、利益とも2桁増を続けてきたという。かたや業界全体は平均年率 1%の成長に留まっている。非公開企業であるため財務業績を開示していないが、成長資金をほぼすべて自力で賄っているといわれており、そうだとすると収益性はきわめて高いことになる。独自のベンチマーキング・データを基に、世界一効率のよいトマト加工業者を自任している。

 モーニング・スターはよい意味での「逸脱した企業」(positive deviance)だといえる。事実、これほど素晴らしい変わり種に出会った経験はほとんどない。

 従業員(モーニング・スターの社内用語では「同僚」)の裁量の大きさは唖然とするほどだが、にもかかわらず彼ら彼女らは、あたかも綿密な振り付けに合わせて踊るダンス・グループのように、結束して仕事に当たっている。モーニング・スターの独自のマネジメント・モデルを支える原則や慣行を掘り下げると、マネジャー層を抱えることによる弊害を避けるか、せめて軽減する方法を学ぶことができる。

モーニング・スターのマネジメント・モデルを解剖する

 組織ビジョンに示されたモーニング・スターの目標には、「全員が自主管理の達人になり、だれからの指示も受けずに同僚、お客様、サプライヤー、業界関係者とのコミュニケーションや調整を図る会社になること」という一節がある。

「だれからの指示も受けずに」という箇所に引っかかりを感じなかっただろうか。指示の出し手、受け手とも不在の会社を、いったいどう舵取りするというのか。以下にモーニング・スターの手法を紹介する。

使命(ミッション)を上司の代わりにする

 同社は「トマト関連の製品やサービスを提供して、品質や対応の面でお客様の期待に確実にお応えする」という目標を掲げており、従業員は皆、この実現にどう貢献するかを自分のミッション・ステートメントに記す義務を負っている。たとえばロスバノス工場で働くロドニー・リガートが選んだ自分の使命は、「効率がよく環境に優しい方法でトマト・ジュースをつくる」である。

 各自がミッション・ステートメントを持つことが、モーニング・スターのマネジメント・モデルの土台である。

「みんなが自分の使命の達成に責任を持つのです。そのために必要な訓練を積んだり、経営資源や協力を手に入れたりするのも、各自の責任ですよ」とルーファーは説明する。

 工場のベテラン技術者、ポール・グリーン・シニアが「私は自分の使命と誓いを糧に、仕事をしています。マネジャーに尻を叩かれるわけではありません」と言い添えた。

従業員同士で合意を形成させる

 各従業員は毎年、自分が仕事上きわめて大きな影響を及ぼす同僚たちと相談しながら、合意書(CLOU(クルー): Colleague Letter of Understanding)を作成する。CLOUとは要するに、各自のミッションを達成するための業務計画である。

 これを作成するために、10人以上の同僚と、おのおの20~60分ほど話し合う。できあがったCLOUでは最大で30もの活動分野に言及し、それらに関連する成果尺度を残らず説明する。CLOUをすべて合わせると、そこにはフルタイム従業員同士のおよそ3000にも上る業務上の関係性が示されている。

 CLOUの中身は、本人の能力や関心に応じて年ごとに変化していく。ベテラン従業員は経験を積むにつれてより複雑な業務を担い、初歩的な業務を社歴の浅い同僚に引き継ぐのだ。

 CLOUを作成する理由としてルーファーは、従業員同士が自主的な合意を基に仕事をすると、うまく足並みがそろう点を挙げている。

「CLOUを土台にして仕事の体制ができるのです。報告書を見せる、容器をトラックに積む、特定のやり方で機械を操作する、という約束を同僚と交わすわけですね。言わば自発的な取り決めが命令の役目を果たすため、自在な対応がしやすくなります。上から押しつける場合よりも、業務上の関係性を改めやすいでしょう」

 印象深いのは、ルーファーが自由を協調の敵ではなく味方と見なしている点である。モーニング・スターでは、従業員同士がクモの巣状の多面的な関わりを持ちつつ、そのなかで各自が独立請負業者に近い仕事のやり方を取っている。

 ある従業員は「当社では、上司は存在しません。自分以外の全員が上司のようなものですよ」と語ってくれた。

 23の事業部も毎年、CLOUのような手順により、互いの交渉を通して取引条件を決めている。事業部ごとに損益を管理しているから、折衝では激しい火花が散ることもある。一例として栽培事業部と加工工場の間では、トマトの取引量や価格、納入スケジュールをめぐって丁々発止のやり取りがあるだろう。

 背後にあるのは、CLOUの場合と同じく「上から『こうするように』と命じるよりも、おのおのが自主的に取り決めたほうが、同じ目的に向けて一丸になったり、現実に根差した仕事をしたりしやすい」という発想である。

全員に本当の意味で権限を与える

 たいていの企業では、権限委譲は掛け声だけでほとんど実現していない。しかし、モーニング・スターは例外である。事業開発のスペシャリスト、ニック・キャッスルは、以前の勤務先との好対照について語ってくれた。

「前の会社では私の上にバイス・プレジデント(VP)がいて、その上にさらにシニアVP、エグゼクティブVPがいました。ところがモーニング・スターでは、1人ひとりが会社を動かさなくてはなりません。だれかに命令するわけにはいきませんから、必要なことはすべて自分でやらなくては」

 仕事に使うツールや機器を手配するのもその1つである。モーニング・スターには、購買部門もなければ支出を承認する上級幹部もおらず、だれもが発注権限を持つ。保全技術者は、必要なら8000ドルの溶接機を自分で注文する。請求書が届いたら、注文の品を受け取ったことを確認したうえで、支払い処理のために経理部に回す。各自に購入権限があるからといって、全体の統制が取れていないわけではない。類似の製品をまとめ買いしている者、あるいは同じメーカーと取引している者が複数いる場合は、定期的に会合を持ち、購買力を最大限に活かそうとしている。

 このような仕組みを取り入れた理由をルーファーが説明してくれた。

「ある日小切手にサインをしていて、『責任は私が取る』という言葉を思い出しました。この言葉は間違っています。目の前の書類には、注文通りの納品があり、請求額は正しいと書かれていました。小切手も用意されていました。この状況では、サインしないという選択肢はありません。ですから、肝心なのはだれが支出を承認するかではなく、発注者、つまり、だれがその品を必要とするかですよね。私が注文書を吟味するのはふさわしくないし、購入者がマネジャーの承認を得なくてはいけないのもおかしな話でしょう」

 時として案件が込み合って現金が不足すると、購入を延期する。それでもやはり、資金の割り当てよりも調達こそが財務部門の役割である。

 自主管理は人材採用にも及んでいる。「仕事が多すぎる」「新しい役割をこなすために人材が必要だ」と感じたら、自分たちの責任で採用活動に乗り出すのである。モーニング・スターは、最前線の従業員に会社の小切手帳を渡して率先して人材探しをするよう期待する、稀有な企業である。もっともルーファーに言わせれば、これが良識あるやり方なのだ。

「適切な機械がないから、あるいは有能な同僚がいないから仕事がうまくいかない、という思いをだれにも抱いてほしくないのです」

 私がモーニング・スターを訪れていた間、「権限委譲」という言葉はだれの口からも出なかった。なぜなら権限委譲という概念は、上に立つ人が適宜、部下たちに権限を譲り渡すという前提に立っているからである。自主管理の原則を拠り所とする組織では、権限は上から与えられるのではなく、各自が最初から持っているものなのだ。

従業員を枠にはめない

 モーニング・スターでは会社側が従業員の役割を決めるわけではないから、技能を伸ばしたり、経験を積んだりした従業員には、より大きな責務を引き受ける機会がある。研修・育成責任者のポール・グリーン・ジュニアは、こう述べている。

「みんな自分の得意な仕事をすべきでしょう。ですから、特定の業務を押しつけようとはしません。結果として、従業員たちの役割の幅広さと複雑さでは、他のどんな会社をも凌ぎますよ」

 全員があらゆる分野の改善提案を出してよいとされている。他社の従業員は、変革はトップダウンで進められるものだと考えがちだが、モーニング・スターでは、変革は自分たちの責任で起こすものだと心得ている。引き続きグリーンの言葉を紹介しよう。

「『自分の技能を活かせば付加価値を生める』と思うなら、何にでも関わってかまわないと、私どもでは考えています。このため、自分の担当とは別の分野で変革を起こす例も少なくありません。自然発生的なイノベーションも多いですし、変革のアイデアは意外なところからもたらされます」

昇進するためではなく、影響を及ぼすための競争を奨励する

 モーニング・スターでは、階層や地位を示す肩書きがないのだから、昇進の階段も存在しない。

 だからといって、全員が対等というわけではない。どの専門領域においても、周囲よりも高い評価を受ける人はおり、その評価は給与水準に反映される。社内の競争はあるが、焦点はだれが日の当たるポストに就くかではなく、だれが最も大きく貢献するかに置かれている。

 この競争で優位に立つには、新しい技能を身につけたり、同僚の役に立つために新しい方法を見つけたりしなくてはならない。

「うちの会社では昇進はありません」と語るのは、ITスペシャリストのロン・カウアである。「立派な肩書きを得るよりも大きな責任を担ったほうが、箔づけになるのです」

 ルーファーは、ゴルフの世界になぞらえながら、モーニング・スターでの栄誉とは何かを説明してくれた。

「現役時代のジャック・ニクラウスは、肩書きや地位を求めてプレーしていたわけではありませんよね。彼は、優れたプレーをすればみんなが望むもの、つまり達成感を得られるとわかっていたはずです。偉業を成し遂げれば希望通りの人生を送るだけの収入が得られることも、知っていたでしょう。頂点に近づくとは、肩書きではなく実力や評判の問題なのです」

自由が成功をもたらす

 モーニング・スターの風変わりだが効果的なマネジメント・モデルの核心には、「自由」というシンプルな概念がある。

 ルーファーは「自由にしてよいなら、人々は『これを好きになりなさい』と説得された対象ではなく、本当に好きなことに引かれるでしょう。すると成果が上がるから、さらに熱を入れますよね」と述べている。従業員たちも同じような意見を持っており、ある人は「命令に沿って動くのでは機械と変わらないでしょう」と言っていた。

 ここにジレンマがある。大規模な事業を舵取りするうえでは時として、人材に機械のように動き、信頼性、正確性、勤勉さを発揮してもらう必要があるのだ。監督者やマネジャーは一般に、ノルマを設け、それを大きく下回る者がいないか目を光らせ、該当者を叱咤する。

 では、監督者もマネジャーもいない場合はどうするのだろう。モーニング・スターでは、従業員同士が約束を交わして優れた協調性を発揮するだろうが、規律ははたしてどうだろうか。統括者のいない組織では、どうすれば手綱を締めることができるのか。

 責任を伴わない自由は無秩序につながる。ところが、モーニング・スターの巨大で複雑な工場のなかを歩くと、無秩序とは逆の状況が目に入ってくる。従業員たちは、あれほどの自由を与えられながら高い成果を上げている。いったいなぜだろう。

明確な目標とガラス張りのデータ

 冬のリゾート地を訪れると、何百人ものスキー客がだれの助けも借りずに急傾斜を直滑降しているだろう。しかし、目の不自由な人が滑り降りるには、だれかから大声で指示を受ける必要がある。自主管理を実践するには情報が欠かせないのだ。モーニング・スターは、自分の仕事ぶりを把握して賢明な判断を下すのに必要な情報すべてを、従業員に与えようとしている。

 CLOUには必ず、里程標が細かく記される。それを拠り所にすれば、同僚のニーズにどれだけ応えているかを各自が確かめられる。くわえて、事業部ごとの詳しい収支が月に2回、全従業員に公表される。「同僚が責任を果たしているかどうか互いに注意を払おう」という意識が植えつけられているため、支出が予想外に跳ね上がったら見過ごされるはずがない。これだけ透明性が高いと、愚行や怠慢はすぐに見つかる。

 モーニング・スターの事業は垂直・水平両方向に統合されているから、全社についての情報がない限り、自分の判断が他の分野にどう影響するかを見極められない。ルーファーは、全社についての同一情報を全員に伝えないことには、総合的な視点での発想は期待できないと心得ている。だからこそ、情報の囲い込みなど起きないし、「(彼または彼女に)なぜ知らせる必要があるのか」といった疑問も持ち上がらないのだ。

計算と協議

 従業員は自分の裁量で社費を支出してかまわないが、ROIやNPV(正味現在価値)を計算するなどして、事業上の妥当性を示さなくてはならない。同僚と協議することも期待されている。

 一例として、300万ドルの投資を考えているなら、行動を起こす前に意見を交わす相手は30人にも上るかもしれない。事業部の給与枠を増やしたい場合も、やはり同僚たちを説得して回らなくてはならない。

 モーニング・スターの従業員は大きな裁量を持っているが、独断を下すことはまずない。他方、アイデアを握り潰す権限を持つ人もいない。ベテラン従業員は、物事を決めつけたり断固たる措置を取ったりするよりも、むしろコーチ役を果たす。大胆な発想をする若手は、何人かのベテラン従業員に助言を求めるよう背中を押される。先輩からはたいてい、「このモデルを使って君のアイデアを分析してはどうか。検討して準備が整ったら、また相談に来てくれ」といった手短な指導があるだろう。

対立の解消と適正手続き

 裁量の濫用、恒常的な成果不振、同僚との喧嘩などには、どのような対処がなされるのだろうか。モーニング・スターには、対立を収拾する役回りのマネジャーはおらず、だれも「こうしろ」と強制する権限を持たない。商取引の当事者間で衝突が起きると、調停や裁判で決着をつける場合が多いが、モーニング・スターでもこれと似たような仕組みを用いている。

 仮に別の事業部のだれかが私について、「CLOUに記した約束を果たしていない」と考えたとしよう。まずは差しで相手の主張を聞くことになるだろう。こちらの対応としては釈明する、改善を誓う、反論するなどが考えられる。2人だけで解決できなければ、双方が信頼する社内のだれかに仲裁を頼み、その人におのおのの主張を伝えるだろう。

 仲裁者が相手の意見に同調し、私は提案された解決策をはねつけたとする。ことここに及ぶと、収拾を助けるために従業員六人による委員会が設けられ、仲裁者の提案にお墨付きを与えるか、別の解決策を示すだろう。それでも私が納得しないようなら、社長が当事者を集めて双方の言い分を聞き、有無を言わせず判断を下す。ただし、ルーファーの元に問題が持ち込まれる例はきわめて稀である。

 だれかの業績がパッとせず懸念が深刻な場合、解決を模索した末に解雇に至る場合も考えられる。ただしモーニング・スターでは、上司の気まぐれのせいで部下が割を食うことはありえない。この仕組みの長所をルーファーはこう説明する。

「委員会が開かれれば、公正で理にかなった手順が踏まれることがみんなに伝わりますよね。イザという時にも頼みの綱があるのだと、だれもが知るわけです。当社では、上司の部下いじめは起きないようになっています。だれしも大切な人生があるのですから」

同僚による評価と異議の申し立て

 モーニング・スターの遺伝子には責任感が刻み込まれている。入社時には全員が自主管理の基礎についてのセミナーを受講し、自由や裁量と責任は表裏一体だと学ぶ。相談はいくらしてもよいが、最後は自分の責任で判断しなくてはいけない、という教えである。苦渋の決断を避ける道はないのである。

 年末には全従業員が、CLOU上でつながりのある同僚からフィードバックを受ける。1月にはすべての事業部が前年の業績の妥当性を説明することになっている。1つの事業部について議論するだけで丸1日近くかかりかねないため、全事業部を網羅するには何週間も要する。各事業部のプレゼンテーションは、言わば株主向けの報告のようなものである。経営資源を適正に使っていることを説明し、至らない点については認め、改善プランを示さなくてはならない。

 事業部は業績によるランク付けの対象となるから、最下位あたりを低迷する事業部はあれこれ問い質されるだろう。ルーファーが言う。「投資が回収できていなければ、それ相応の冷笑を浴びるでしょう。今後の投資に際しても、同僚の協力を取りつけるのはきっと難しくなりますよね」。ある従業員も「周りから『浅薄だ』と思われるようなことをしたら、仲間を失いかねません」と語っていた。

 毎年2月には戦略会議があり、これもまた社内評価の機会となる。全従業員を前に各事業部が20分をかけて年間の事業計画を説明する。聞き手たちは「これは有望そうだ」と思う戦略に仮想通貨を投じる。このバーチャル投資で十分な資金が集まらないと、社内からの厳しい視線を覚悟しなくてはならない。

互選制の報酬委員会

 モーニング・スターでは、製造業らしからぬ方法で報酬を決めており、むしろプロフェッショナル・サービス企業に近い。各従業員は年末になると、 CLOUで掲げた目標やROI目標などの指標に照らしながら、業績の自己評価を作成する。次いで互選によって地域ごとに報酬委員を決める。毎年、全社で合計八つほどの委員会が設置される。委員会は従業員の自己評価を吟味して、そこから漏れた成果をも掘り起こす。そして、これらの情報を慎重に検討したうえで、付加価値に見合うよう留意しながら1人ひとりの報酬額を決める。

自主管理の長所

 モーニング・スターには他社での勤務経験を持つ従業員も少なくない。彼らに自主管理の長所を尋ねると、身を乗り出すようにしてとうとうと語ってくれる。具体的に挙がるのは、以下の諸点である。
マネジャーをつくらない会社の長所
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主体性が強まる

 モーニング・スターでは簡単な方法で従業員の主体性を引き出している。つまり、役割を幅広く定め、各自に行動の権限を与え、仲間に力添えしたら忘れずにほめ称えるのだ。

 ある工場技術者に「皆さんがだれからも言われなくても同僚に手を差し伸べるのは、なぜですか」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。「ここでは評判を糧に組織が動いています。別の部門に対して有益なアドバイスをすれば、評判が上がりますよね」

専門性が深まる

 自主管理を実践すると技能向上への意欲が生まれる。モーニング・スターでは、高い専門性を備えた人もマネジャーや上級スタッフになるのではなく、現場の業務に携わる。

 一例として、工場の包装ラインで無菌容器に中身を詰める作業に従事するのは、微生物学への造詣が深い人々である。品質エキスパートのスコット・マーノックによれば、「この会社ではだれもが自分の仕事の出来栄えに責任を負っています」ということだ。「自負のほどは半端ではありません。それに、失敗しても尻拭いしてくれる上司はいないですから」

融通が利く

 モーニング・スターのマネジメント・モデルの下では、迅速性と融通性が発揮されやすい。ルーファーが例えを用いながら説明してくれた。

「雲ができたり消えたりするのは、大気の状態、温度、湿度に応じて水分子が凝結と蒸発を繰り返すからですよね。組織も同じはずです。外からどんな力が加わるかによって、体制を整えたり、壊したりする必要があるのです。みんなに行動の自由を与えておけば、どんな力が働いているかを察知して、その時々の実情にいちばん合った行動を取るでしょう」

 ポール・グリーン・ジュニアによると、同僚たちは使命をよりよく果たす方法を模索するなかで、互いに力を合わせて毎年何百もの変革を起こそうと立ち上がるという。

協調性が高まる

 階層を取り払うと、組織の弊害をかなりの程度まで除去できる。昇進競争があると各人の成果志向は強まるが、限られた昇進枠を争うせいで社内政治が横行して敵対意識がはびこる。他方、完全に水平(フラット)な組織では、上司へのゴマすりも同僚同士の追い落としもない。

「フォーチュン500」企業2社での勤務経験を持つポール・ターペルクは、昇進のない会社の美点をこう語る。「中傷の類は少ないですよ。昇進という狭き門をめぐってしのぎを削るわけではないですから。最高の成果を上げたり、同僚を助けたりすることに全力を注げばよいわけです」

よりよい判断ができる

 大多数の組織では、重要な判断は事業分析の訓練を積んだ幹部が担うのが通例である。彼らは豊富なデータと洗練された分析力を持っているが、文脈、つまり現場の実情については理解していない。このような理由から、上層部に受けのよい判断は往々にして、現場の従業員にしてみれば見当違いもはなはだしいのだ。

 モーニング・スターでは、上層部が判断を下すのではなく、現場の人々に専門性を備えさせている。たとえば、従業員のおよそ半数はサプライヤーとの交渉法についての研修を終えている。財務分析の研修を受けた人も多い。自分で考えて実行するのだから、タイミングを逃さずに賢明な判断を下せるはずである。

忠誠心が厚くなる

 モーニング・スターから競合他社への転職はほとんどないが、逆の事例はたびたび起きている。そのうえ、臨時雇いまでもが献身的に仕事をする。各加工工場はトマトの収穫期に合わせて毎夏、合計800人を超える季節労働者を雇う。翌年の継続率は9割に達し、会社では彼らに自主管理の原則についての研修を施している。外部の研究者が先頃これら臨時雇いの権限や当事者意識を調べたところ、他社の上級幹部並みの高水準だったという。

 なお、マネジャー職を設けないやり方はコスト面でも有利である。浮いたコストの一部はフルタイム従業員に配分され、彼らは他社の同等職よりも10~15%高い報酬を得ている。マネジャーを抱える負担を避けることで、事業成長への投資を増やせるという利点も生まれる。

マネジャー職の撤廃は若干の不都合を伴う

 モーニング・スターは、マネジャーを抱えないことでコストや弊害を軽減しているが、逆に不都合もある。
マネジャーをつくらない会社の短所
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 第1に、だれもがこの流儀に適するわけではない。これは能力ではなく適応の問題である。階層の多い組織で何年も働いていた人は、なかなか適応できない場合が多い。

 ルーファーの見たところ、新たに入社した人が自主管理の下で十分に実力を発揮するまでには、平均で1年以上を要するという。

 こうした事情から採用には余計に時間がかかり、手順も込み入ったものになる。会社の規模が小さかった当時は、ルーファーがすべての応募者に半日をかけて面接していた。しかも、たいていは相手の自宅にまで足を運んでいた。会話のほとんどは、モーニング・スターの哲学と応募者の期待内容が一致するかどうかに主眼を置いていた。

 最近では、応募者にまず2時間をかけて自主管理の説明を施したうえ、10~12人ほどの従業員が面接する。ここまでしても、適性を見抜けるとは限らない。ポール・グリーン・ジュニアによると、社会人経験の長い人物を採用した場合、およそ半数は思うままに振る舞えない状況への適応に苦しみ、2年以内に退社するという。

 第2に、互いの目配りによってみんなに責任を果たさせる仕組みも、難しさをはらんでいる。トラブルメーカーや成果を上げない従業員がいる場合、階層型の組織では上司が対処に当たる。

 しかしモーニング・スターでは、方針や規範を破った者を問い質して、品質、効率、チームワークを守るのは全員の責任とされている。もし従業員たちがこの責任を果たさず、必要な時に厳しい態度を取るのを怠ったなら、自主管理はたちどころに、全員で申し合わせたようにほどほどの成果で妥協する仕組みに成り下がってしまう。

 この危険については社内研修で正面から取り上げ、「みんなが勇気を奮い起さない限り、同僚が互いを律するやり方は成り立たない」と強調している。

 第3として、成長が妨げられるという不都合もある。モーニング・スターは業界平均を上回るペースで成長を続けているが、ルーファーや従業員たちは社風が希薄になるのを恐れている。他社の買収に消極的なのも、この点を心配しているからだ。事業拡大の道を探ってはきたが、これまでのところ、マネジメント上の強みを犠牲にしてまでさらなる高成長を目指すのは避けている。

 各自の進歩を見極めるのも難しい。たいていの企業には昇進の階段があり、それが目安となる。ところがモーニング・スターには階層がないため、同業他社の人との比較で自分たちの進歩を測るのが難しいおそれがある。会社での地位をアピールできないことは、転職を目指す際には不利に働きかねない。

マネジャーとマネジメントの実践

 私がルーファーに「御社はマネジャーを置かずにマネジメントを実践する術を見つけたのですね」と言うと、即座に訂正された。

「当社では言わば全員がマネジャーなのです。石を投げればマネジャーに当たりますね。マネジメントには経営計画、業務の段取り、指示、人材の手配、管理・監督が含まれ、全従業員にこれらすべてを期待しています。だれもが自分の使命をマネジメントするわけですよ。同僚との取り決めや、仕事をこなすのに必要な経営資源についてもしかり。同僚に責任を果たさせるという意味でも、全員がマネジャー役を担っています」

 それでも、ルーファーはこちらの言葉の意図を読み取ってくれた。この数十年というもの、マネジメント業務については「マネジャーという正式な肩書を持った人々に、上役という立場でこなしてもらうのが最も効果的だ」とされてきた。ところが、モーニング・スターの長年にわたる試みからは、全員にマネジメント業務を担わせるのが可能であるばかりか、収益性もよいことがうかがわれる。適切な情報、インセンティブ、ツール、責任が与えられれば、たいていは自分たちでマネジメントを実践できるのである。

 市場と階層制にはそれぞれ長所があり、二者択一の必要はない。モーニング・スターは独立請負業者の緩やかな集合体でもなければ、人々の能力ややる気を損なう官僚組織でもない。市場と階層制、両方の特徴をそれとなく合わせ持っているのだ。

 一方、モーニング・スターを、「当事者間のつながりが濃い市場」としてとらえることができる。各人には、市場取引に似た取り決めを同僚と交わす裁量が与えられている。これでは利害が対立しやすく仕事の進め方が込み入ってしまうのではないか、と思われるかもしれない。しかし、いくつかの要因によってそのおそれは和らいでいる。

 第1に、交渉や取り決めに加わる全員が、同じ判断基準に従っている。本物の市場では、消費者は売り手の利益など気にかけない。他方モーニング・スターの従業員は、会社が傾いたら素晴らしい勤務先を失うことを承知している。

 第2に、同僚を踏み台にしたり、約束を守らなかったりしたら、その報いを受けるのは自分だと、みんなが理解している。このため、業務上の取り決めよりも関係性を重視する姿勢が培われる。

 最後に、従業員のほとんどは長年トマト関連の事業に携わっているから、だれが何をすべきかをよくわかっている。新年度になっても、あらゆる取り決めの細部を逐一改める必要はない。これら共通の目標、長期の関係性、事業知識によって人々が結びついていなかったなら、モーニング・スターの仕組みははるかに低い成果しか上げられないはずである。

 モーニング・スターは、「自然発生した活力ある階層の集まり」でもある。形の上では階層は存在しないが、非公式の階層はいくつもあるのだ。どの問題についても、専門性や「周りの力になろう」という意欲に応じて、発言力の大きさには開きが出る。これは地位ではなく影響力に基づく階層であり、ボトムアップでできあがる。

 この会社では、専門性を示し、同僚に力を貸し、付加価値を生み出すと、権限を増やしていくことができる。これらを実践しなくなったら、影響力が衰え、給料も減るだろう。

 大多数の企業では、階層は自然発生するわけでもなければ活力も持たない。リーダーはおのずと頭角を現すのではなく、上からの指名によって決まる。腹立たしいことに、重要な任務はえてして、最も有能な人物ではなく、政治的な嗅覚がだれよりも発達した人物に与えられる。

 それだけではない。権力はポストに伴うものであるため、有能な人物に権力が集まるとは限らないのだ。1度マネジャーになってしまえば、解雇されない限り権力を失うことはまずない。それまでは、成果が上がらない状態が続いてもおとがめなしである。

 モーニング・スターでは、「全員がすべての問題について対等に発言権を持つべきだろう」という発想は皆無だが、同時に、「上司である以上、その人だけが決定権を握るべきだ」と考える人もいない。

*  *  *

 マネジメントの将来がどうなるかはまだわからないが、モーニング・スターの人々による幕開けは刺激に満ちている。ただし疑問も残る。

 同社の自主管理手法は、従業員数1万人や10万人の企業でも成り立つのか。文化の異なる国や地域にも適用できるのか。低コストを武器にした海外の競争相手が出現するといった、深刻な脅威に対処できるのか。ルーファーや従業員たちはこれらの課題を考えると夜も眠れないと言い、自主管理が未完成であることを潔く認める。

「理念としては90%くらい完成していると思います。ですが、実務面ではわずか70%でしょう」(ルーファー)

 私は、モーニング・スターの手法はあらゆる規模の企業で使えるだろうと考えている。大企業のほとんどはチーム、部門、職能の集合体であり、それらすべてが同等の自律性を持つわけではない。企業規模がどれほど大きくても、たいていの事業ユニットにとって社内取引の相手は少数に限られるはずだ。年商7 億ドルのモーニング・スターは、けっして小粒ではないが巨大企業でもない。

 モーニング・スターがもっとはるかに大きな企業の1事業部だと仮定しよう。この場合、「他の事業部が同じ経営哲学を掲げる」という条件が満たされる限りは、「自主管理手法を全社的に運用するのは不可能だ」などと考える理由はない。巨大グローバル企業の各事業部を代表する人々同士が話し合いをして、モーニング・スターの事業部間で毎年交わされるのと同じような合意に至るのは、想像を絶するほどのことではない。

 実のところ本当の問題は、自主管理が規模の大きな企業で通用するか否かではなく、伝統的な階層組織に導入できるかどうかである。これについても私は肯定的な見方をしているが、適応には時間、労力、熱意を要するだろう(囲み「自主管理への道のり」を参照)。

 どんな不確実性があろうとも、はっきりしている点が2つある。

 1つには、少し想像力を働かせれば、自由vs. 統制のような、長く組織を悩ませてきた、克服できそうもないトレードオフを克服できる。

 2つ目として、マネジメント権限がごく一部の過大評価された人々に集中するのではなく、全員の責任とされる組織を思い描くのは、もはや現実離れした空想ではない。

コラム 自主管理への道のり

 あなたの組織はおそらく自主管理の原則を柱に据えてはいないだろう。十中八九は、官僚的な仕組みになっているはずである。複雑な決まり、幾重もの階層、多数のマネジメント・プロセスなどを設けて、全体の足並みと予測可能性を確保しようというのである。

 マックス・ウェーバーがおよそ100年前に指摘したように、管理こそが官僚制の哲学的な拠り所である。官僚的な組織におけるマネジャーは、決まりや基準の遵守、予算目標の達成などを部下に徹底させる監視役である。

 官僚制と自主管理は、全体主義と民主主義のように、対立するイデオロギーに根差している。自主管理型の組織を築くには、官僚制の弊害を取り除くだけではなく、官僚制そのものと決別しなくてはならない。

 アメリカの建国者たちは、君主制の行きすぎを和らげようとしたのではなく、それに代わる仕組みを取り入れようとした。これと同じように、自主管理を採用するなら強い覚悟で臨まなくてはいけない。さもないと、さらなる徹底を目指すべき時にそれができずに中途半端で妥協してしまうだろう。

 とはいっても、古くからの仕組みを壊すことが容易に許容されるわけではない。自主管理はマネジメント不在とは違う、極端なまでに分権化を推し進めるからといって無秩序を生むわけではない、と示す必要があるだろう。

 まず、従業員に自分の使命を書き出すよう求めよう。1人ひとりに「同僚のためにどんな価値を生み出したいか。彼らのために解決したい問題とは何か」と問いかけよう。どんな活動をするかよりも、どういった便益を生み出すかに焦点を当てるよう、はっぱをかけることだ。

 全員が短いミッション・ステートメントを書き上げたら、彼らを少人数のグループに分けて互いに批評させよう。この過程のおかげで、決められたルールに従う姿勢から、同僚同士の話し合いを通して責任を果たす姿勢への移行を始めるのである。

 次いで、従業員の自主性を広げるささやかな方法を探そう。みんなに「あなたの使命実現を妨げている手続きは何ですか」と問いかけるとよい。最も煩わしい手続きを特定できたら、それらを部分的に取りやめて、どうなるか様子を見てみよう。管理を緩めることは可能なのだから、自主管理の導入を真剣に考えているなら、段階を追って緩めていけばよい。

 さらに、チームごとにP/Lを持たせよう。裁量を賢く使うには、1人ひとりが自分の判断の影響を数字でつかむことができなくてはいけない。自主管理への道は情報によって開かれる。

 仕上げに、管理する側とされる側との分け隔てをなくす方法を見つけなくてはいけない。

 あなたがマネジャーなら、手始めに自分がチームにどんな責任を負っているかを列挙するとよい。そして部下全員に、そのリストに注記をしてもらおう。リーダーが統率相手に対してより大きな説明責任を持つことが、全員が互いへの責任を果たす仕組みをつくるうえで欠かせないのである。

 伝統的企業にとって、自主管理への道は長く険しいだろう。しかし、この分野の双璧を成すモーニング・スターとW. L. ゴア(注3)(〈ゴアテックス〉のメーカー、同社もマネジャーを置いていない)の実績は、努力するだけの価値があることを示している。いずれは、高い成果を上げ、しかも人間味にあふれた組織ができあがるだろう。

【注】

3)
W. L. Gore & Associates, Inc. デラウェア州ニューアークに本社のある、〈ゴアテックス〉で知られるメーカー。同社は、アソシエートと呼ばれる従業員の主体性や判断を重視し、従業員同士のコミュニケーションや信頼関係を基礎に、チームとして協働することで事業の成功を実現しようとする。

有賀裕子/訳
(HBR 2011年12月号より、DHBR 2012年4月号より)
First, Let's Fire All the Managers
(C) 2011 Harvard Business School Publishing Corporation.

[DIAMOND/ハーバード・ビジネス・レビュー]

Posted by nob : 2012年03月21日 19:56

そのとおり!!!Vol.18/納得は自ら創っていくもの。。。

■「働きがいを求めてはいけない」
ワークスアプリケーションズ 牧野正幸CEOに聞く

 「働きがいのある会社」とはどのような会社なのだろうか。それを検証するため、日経ビジネスでは2007年以降、「Great Place to work® Institute Japan(GPTWジャパン)」(contact@greatplacetowork.jp)の協力を得て働きがいのある会社」という企画を続けている。

 この調査において、ソフトウエア開発のワークスアプリケーションズは2010年にトップに輝き、昨年と今年はグーグルに続く2位と上位の常連になっている。同社はなぜ、社員の働きがいを常に意識するのか。そのために、経営者や現場は何をしているのか。社員の働きがいと組織の成長について、牧野正幸CEO(最高経営責任者)に聞いた。

牧野 正幸(まきの・まさゆき)氏
ワークスアプリケーションズCEO(最高経営責任者)
1963年兵庫県生まれ、49歳。大手建設会社、ソフトウェア会社役員を経て、システムコンサルタントとして94年に独立。銀行などと共同で中堅企業向けシステムを開発。海外ERPパッケージの日本向け適用のコンサルティングを行う。96年、ワークスアプリケーションズを設立。2001年、ジャスダックに上場し、代表取締役CEOに就任。人事・給与システムでは国内シェアトップを誇る。2011年、MBO(経営陣による企業買収)により上場廃止。

 冒頭から矛盾していると思われるかもしれないが、働きがいを求めるという行為自体、良くないと私は考える。そもそも、働きがいを求めている時点で、自分以外の誰かが「与えてくれる」という甘えの発想が生まれているからだ。

 「教育環境が整っているところで教えを乞いたい」「優秀な上司がいるところで自分の成長を引っ張ってもらいたい」――。

 このような考えを持つ人は、そもそも自己成長ができないタイプ。そんな社員ばかりになると、会社の成長はなくなり、結果的に働きがいを感じられない組織になってしまいかねない。

 「明るくて風通しの良い会社に入りたい」と語る学生がいる。でも、私の経験値から言えば、明るい職場を条件に掲げる人に、根が明るい人は少ない。そもそも根が明るい人は、職場が明るいかどうかなんて気にせず、周りを巻き込んで楽しい職場を作っていく。つまり、自分でそういう場を作れない人が、理想の職場を掲げるわけだ。

「今いる社員に働きがいをアピールしたい」

 そういう人ばかりがたくさん入ってくると、明るい職場ではなくなってしまう。当社を志望する学生には、「働きがいのある会社だから」というイメージを持ってほしくない。入社してくる人ではなく、今いる社員に「働きがいがある」とアピールしたい。

 7年ほど前のこと。新卒入社から3年目くらいで退職する社員に理由を聞いたところ、半数以上が「ワークスよりも働きがいのある会社があるかもしれない」と言って辞めてしまう状況だった。上場を果たした(昨年、MBOで非上場化)とはいえ、まだまだベンチャー企業。隣の芝生は青く見えるようで、若い人材が流出してしまう。そして、「転職して失敗した」という後悔の言葉も聞くようになった。これは当社にとっても、辞めた当人にとってもマイナスでしかない。

 「うちの会社は君が成長できる環境だよ」と私が言っても、うまく伝わらないだろう。であれば、第三者が客観的に評価することで、当社がどれくらい働きがいのある会社なのかを示せばいい。そこで、「働きがいのある会社」の調査に応募した。

 新卒で入る社員からすれば、自社がどれだけ働きがいがある会社なのか、そのモノサシがない。外部の意見であれば、より信頼できる。そのうえ、「あの企業と同等なんだ」と誇りを感じることもできる。

 よくある勘違いなのだが、「働きがいのある会社=誰もが居心地の良さを感じる会社」という考えは、間違いだ。正しくは、常に成長したいと意欲的な人材にとって、居心地の良い会社である。会社は安住の地ではない。自己成長意欲のない人にまで優遇する会社は、よほど余裕がある会社か、未来がない会社のどちらかだろう。成長したい人をサポートし、さらに成長を求めるステージを用意する。これが、真の働きがいのある会社ではないだろうか。

 だから、成長意欲がない人には苦しい環境だと思う。このミスマッチで会社を辞める人もいるのが現状だ。

 ただ、優秀な人材に辞めてほしくはない。これはどの会社も同じだろう。もし、辞めてしまったとしても、また戻れる仕組みを作ればいい。当社では2005年12月に「カムバックパス」という制度を作った。在職中の評価によって、認定を受けた者であれば最長5年以内に「復帰=再就職」できる制度です。

 これにより、一度は退職した社員が堂々と帰ってこられるようになった。一度外に出た社員が戻ってくるのを見れば、隣の芝生の青さを気にしていた社員も「やはりワークスが良い」と思えるはずだ。

 カムバックパスと同時期にできた制度で「ワークスミルククラブ」というものがある。これは、最長13年にわたり、出産や育児を支援する制度だ。

「課題解決の道筋は提示しない」

 こういった制度は、私が独断で決めているものではない。現場から声が上がってきて、現場主導で作られるものがほとんどだ。

 経営者やマネジャーに「他社の制度を導入したい」とか「この状況を改善する制度の創設を」と希望する社員がいる。当社の場合、「じゃあ、自分で作ってみて」と返す。経営者に頼るだけでなく、まずはどうすれば課題が解決できるのかを自分で考えてもらう。

 まずはコストを度外視して、考えさせる。そこででてきた提案について、アドバイスをしたり、承認したりする。最初から私が入ってしまうと、依存型の社員ばかりになってしまうから。こうすることで、問題を見つける能力に加え、それを解決するチカラが社員につく可能性も高まる。

 自己成長意欲が高い人は、それを阻害する要因をも特定して解決する道を切り開く。それが、当社の働きがい向上に役立っていると考える。

 新人教育やインターンシップ(就業体験)でも、課題解決に向けた道筋の提示は極力しないようにしている。「どうすればいいですか」。この一言だけで先輩が解決まで導いてしまうと、受け身な姿勢が習慣づけられてしまいかねない。だから、新人は必ず失敗する。それでも、他社では考えられないような負荷を新人にかける。それはなぜか。失敗した時こそ、人は成長するからだ。

「成長とモチベーションは比例しない」

 成長とモチベーションは比例するように思われているが、私の考えは逆。反比例ではないだろうか。成功を通してモチベーションが高いときというのは、成長しているように本人は錯覚するが、ここでは成長はしていない。1つの成功を通して、その余力で成果を出しているだけ。成功は人を思考停止にさせてしまう。つまり、成功の果実をただ食べているだけに過ぎず、次の種まきができない。

 失敗した時はどうか。なぜうまくいかなかったのか、どうすれば成功するかを必死に考える。これまでのやり方を改め、試行錯誤を繰り返す。そこで、人は成長する。成功を通してモチベーションが高い時期が続くと、人の成長は止まる。だから、最初から成功するのは良くない。

 ただ、失敗はモチベーションを下げる。それが尽きてしまっては元も子もないので、モチベーションが底をつく前に成功を経験させる。これが人を育てるコツではないだろうか。

 働きがいのある会社とは何か。私自身の考えは、「個人の成長意欲に対して、最大限の機会を与えることをコミットする会社」だ。

 社員の期待に対して裏切っていないか。「働きがいのある会社」の調査で客観的な評価を得ることは、経営者としての通知簿をもらうようなものだ。社員の成長をけん引するには、私自身がこれからも成長しなければいけない。これからも、成長意欲の高い社員にとって、その機会を与えられる経営を目指していく。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年03月18日 23:47

まずは何もしない何も持たない自らを受け容れることから、、、私はもう長く携わるどんな仕事にもパートナーを有しています、、、これは誰にでもできる真の平和への第一歩。。。

■「かけがえのない存在」にならなくてもいい。
「代えのきく」人になろう

かけがえのない存在にならないと価値がないのか

 いま、かけがえのない存在になる生き方を目指そうという風潮があります。
確かに、家族にとっての自分、恋人や友人にとっての自分など、プライベートの局面ではそうした考えに同意できる部分があります。しかし、仕事とは分けて考える必要があるのではないでしょうか。

 仕事の局面でかけがえのない存在になることは、確かにその時点ではハッピーかもしれません。しかし、長期的に見た場合、かけがえのない存在だけで成り立っている職場は自分にとっても組織にとってもやっかいなことが出てきます。

 たとえば、会社にとって非常に苦しい事業を誰かひとりが3年間かけてどうにか立て直したとします。その過程でほかの人の支援や協力を得られていなければ、引き継ぎたいと思う人も出てこないでしょう。結果的にその事業から離れられなくなり、ほかの部分に発揮されたであろう能力を無駄になってしまいます。仮に誰かが引き継いだとしても、再びうまくいかなくなる可能性も否定できません。

 先ほどプライベートは別と言いましたが、人生は何が起こるかわかりません。自分にとってかけがえのない家族が亡くなった場合、残された家族の悲しみは計り知れません。とはいえ、もう生きていけないということになってしまっては困るのです。

 いま、社会や誰かにとっての「かけがえのない存在」になることこそ、生きる意味や自己実現の賜物と思う人が増えているのではないでしょうか。かけがえのない存在であるかどうかを確認できないといって深く悩む人も多くなっています。

 しかし、かけがえのない存在になるという考え方そのものが「作られた感覚」のように思えてならないのです。社会における自己の確立とかけがえのない存在になることが、同義語のように語られているのではないでしょうか。

かけがえのない存在になることは自己陶酔か

 ビジネス書の世界では、新入社員に向かって「なくてはならない存在になれ」と語られています。しかし、その人がいないと仕事が回らないという状況になったとしたら、息苦しさが募り、生きるのがしんどくなってしまうと思うのです。

 大組織の会社ではなく、小さな個人商店ではそういう人が現実に存在します。

 うつ病になってしまったその人は、仕事を休んだほうがいい状態でした。でも、その人は絶対に休めないといいます。

「いまは肉体的には大丈夫ですが、急に盲腸になったりしたらどうするのですか?」

 そう尋ねても、患者さんは絶対に無理だと繰り返すばかりです。

「私がいないと、従業員は何もできないのです。お金の計算ひとつとっても、満足にできないのが現状です」

 結局、その患者さん自身が、自分がいないと業務がまったく進まないシステムを作り上げてしまったのです。現実にはこの患者さんは会社にとってかけがえのない存在になっていますが、患者さんにとっても従業員の方にとっても、これが望ましい姿だとは思えません。この例では、かけがえのない存在になるということが自己陶酔につながっているように見えてしまいます。

かけがえのない存在になることは
美学ではない

 かつては、かけがえのない存在になることが美学になっていた時期があります。

 最近になって、雑誌アエラでもそれに関する特集が掲載されました。テーマは「親の死に目と仕事」です。

 企画の発端は、フィギュアスケートの浅田真央さんのことだったようです。お母さまが危篤状態になったという連絡を受けた真央さんは、国際大会を棄権してお母さまのもとへ急いで駆けつけました。その行動に対して、賛否両論が湧き上がったのです。

「ほかに出たくても出られない人がいるなかで選ばれて参加したのだから、最後まで大会にとどまるべきだった」
「国を代表して派遣された選手なのだから、日本代表としての責任を全うすべきだった」
「いや、世界に2人といない大切な母親が危篤なのだから、ひとりの人間として日本に帰ったのは支持したい」

 私の知り合いにこの話しをしたら「親の死に目に会えなくても仕事を続けるべきだ」という考えの人がいます。しかし、その一方では「親の死に目に会えなくても続けなければならないような仕事が果たしてあるのだろうか」という意見もありました。

 結局、「本人の自己満足なのではないか」という意見が大勢を占めることになりました。よく考えれば、その人が1日や2日休んだからといって、それで破滅的な事態に陥る仕事などそれほどないのではないでしょうか。

「代えのきく存在」でも社会貢献はできる

 現在の就職難の時代、どの会社でもいいと考える学生が増えてきました。

 しかし、あるときまでは自分の好きな仕事、自分にしかできない仕事、生きがいを感じられる仕事を求める傾向が強く残っていました。

 かけがえのない存在になろうとこだわるあまりチャンスを逃し、入社3日目にして「私の居るところじゃない!」と辞めてしまう若者があとを絶ちませんでした。

 関西のある葬儀会社の社長さんと対談したときに聞いた言葉が印象的でした。

「私の会社に入ってくる学生は、誰ひとり第1希望ではありません。ほかに希望していた会社に落ちた学生がさしたる関心も持たずに入ってきます。最初はみんなしょんぼりしているのですが、仕事をやり始めると人に感謝され、礼儀も身につき、社会生活を送るうえで非常に役立つということを感じるようになると、この会社に入って良かったと言う若い者が多いのですよ」

 社長さんの言う通り、その世界に身を置いてこそ良かったと思えることは、人生において多々あるのです。

 地位が人をつくるという言葉もあります。

 ある組織のトップが辞める事態になったとき「あの人がいなくなったらこの組織は終わりじゃないか」と考えてしまう人は多いと思います。

 しかし、実際にはトップの陰に隠れていたナンバー2が頭角を現し、改めてナンバー2だった人の能力の高さに気づかされる経験をしたことはないでしょうか。ナンバー2だった人は、トップがあまりにも強かったせいで、活躍する機会を得られなかっただけなのです。組織というものは、多くの人が想像する以上に図太いものです。

 以前のコラムで突出した個人がひとりで組織を支えるよりも、システム化された組織を作ったほうが社会としては健全なのではないかと書きました。

 かけがえのない存在を目指すのも悪いことではありません。ただ、代えのきく存在として人生を生きることも、十分社会に貢献していることになるのです。

[DIAMOND online/香山リカの「ほどほど論」のススメ]

Posted by nob : 2012年03月12日 07:35

本当に良い仕事をしていると、、、

報酬を受け取る際に

ありがとうと感謝されます。。。

Posted by nob : 2011年12月12日 22:26

知っていることやできることに創造性はない。。。

知らないことやしたいことを求めて、、、

初めて進歩や革新がある。。。

Posted by nob : 2011年12月12日 22:12

クリエイティブな仕事は、、、

限りなく遊びに近い。。。

Posted by nob : 2011年10月31日 11:10

、、、それは昨今健全な若者が増加しているということ。。。

■「収入さえあればいい」や「出世したい」派は1%、今どきの就職事情
個人は何を目指し、企業は何を用意すればいいのか
武田 斉紀

不況、震災下にあっても、大手企業志向が減っている

 新卒学生の就職状況は、昨年以上に厳しい。2012年3月卒の大学生では、7月時点の内定率は54.4%(昨年7月は6月は55.8%)と昨年より約1カ月遅れている(2011年8月8日、リクルート発表)。

 これには東日本大震災のために、大手企業を中心に採用活動時期を遅らせたこと、被災地での採用活動が進んでいないことの影響も大きい。特にここにきて数字が伸び悩んでいるのも気になる。内定をもらって他の企業を回らないとする活動終了率は、まだ40.9%にすぎない。

 例年なら10月あるいはそれ以前から、現大学3年生(2013年3月卒)に向けた企業からのアプローチが始まる。今年は申し合わせで新卒向け情報サイトのリクナビも12月開始となっている。現4年生の戦いは3年生向けの採用活動が始まっても終わりそうにない。

 ところがこうした不況や震災の影響で、学生の間ではますます大手企業志向が強くなっているのかと思いきや、そうでもないようなのだ。

 毎日コミュニケーションズの調査によれば、大手企業志向は前年比5.6%減って41.4%(「絶対に大手企業がよい」+「自分のやりたい仕事ができるのであれば大手企業がよい」)。一方、中堅・中小企業志向(「やりがいのある仕事であれば中堅・中小企業でもよい」+「中堅・中小企業がよい」)は、前年比5.8pt増えて、53.4%と過半数となっている。

 経団連の会員企業に対して行った調査によれば、選考時期を遅らせたり震災学生に配慮するとした企業は5割程度あるものの、87.5%の企業は「東日本大震災発生後も2012年春の採用計画を変更していない」と回答した(日経新聞2011年9月28日)。

 これは大手企業が採用を絞ったことで大手をあきらめる学生が増えたのでは、必ずしもないことを証明している。むしろ、中堅・中小企業に目を向ける学生が増えてきているのだ。リクルートによる調査でも、中小企業を希望する学生は増加傾向にあるという。

 そもそも大手企業に勤めることのメリットとは何だろう。私は4つの「S」と捉えている。「信用・仕事・資金・サラリー」だ。「信用」は「大手に勤めているんだ、すごいね」という親や友だち、恋人、周りの評価。お金を借りる時などにも表れる部分だ。

 「仕事」は「信用」にもつながるが、「(中小に比べれば)それほど苦労をして取りに行かなくても仕事がある」こと。大手企業にずっといると分からないものだが、中小企業に移った途端に肌身で感じる部分だ。

 3つ目の「資金」は「仕事」にもつながるが、資金があると「大きな仕事ができる可能性が高い」、「高度な教育、育成が行われる」といったところだ。4つ目の「サラリー」は給料だけではない。休日などの勤務条件、住宅などの福利厚生なども含むが、大手の中には福利厚生などは多くを廃止したところも目立ち、以前ほどのメリットにはなっていないようだ。

 大手企業のメリットばかりが気になって、子どもたちに大手を目指させているのはむしろ親の方かもしれない。しかしながら、親自身が大手企業のメリットだけでなく、デメリットにも気づいているはずなのだ。

 大手企業は組織が大きい分、一人の存在価値は埋没しがちだ。異動の可能性も大きい。異動がすべて悪いわけではない。新たなキャリアや経験は仕事の幅や能力を高めてくれるだろう。

 しかし大手企業の方が異動の頻度は高いだろうし、関連会社や子会社も多い分、出向や転籍となる可能性も高い。そのたびに自身のキャリアを見直す必要に迫られる。

 大手企業には転勤も多い。突然の転勤や海外赴任で家族や友人、恋人と離れ離れになる。結婚して子供がいれば、単身赴任か、家族ごとの転居の選択を迫られる。転居は家族の負担を強いることになる。共働きの場合はどちらかがキャリアを失うか、遠距離夫婦を選ばなければならない。

もはや「大手か中小か」でも、「勤め人か独立起業か」でもない

 また最近は、大手企業のリストラが止まらない。日本の象徴とされてきた「終身雇用」を大事にしているのはむしろ中小企業の方だと感じる。

 東日本大震災と福島第1原子力発電所事故の渦中にある東京電力(東京都千代田区)は、グループ社員の約14%に当たる7400人を削減する方針を発表した(asahi.com2011年9月28日)。大手企業ならではのメリットとされてきた企業年金についても、現役・OBともに給付利率の引き下げを求めることになるという。

 富士フイルム(東京都港区)は2005年以降、2度にわたる大幅なリストラで1万人以上を削減している。私はそれ以前に同社の関連会社を担当したことがある。窓口の課長は事あるごとに福利厚生の良さと、安定した雇用環境を自慢していた。隔世の感だ。

 同社は写真フイルムなどに頼っていた収益源が、デジタルカメラの出現によって根底から覆された。事業を根本的に見直し、カメラ本体にも本格的に進出、さらには基礎技術を応用して化粧品分野にまで拡大するなど、常識を覆す戦略で生き残りを図ってきた。大所帯を揺るがした環境変化に、短期間で対応して生まれ変わった姿には驚かされる。そして人員削減も同じようにドラスティックだった。

 かつては「雇用にだけは手をつけない」で知られたパナソニック(旧松下電器産業)の人員削減も止まらない。今年4月には2013年3月末(約1年半後)までに、全体の約1割に当たる4万人を削減すると発表した。

 もちろん中小企業の場合は、会社の存続自体がままならず、100%解雇となる場合もある。だが昨今「あそこだけは大丈夫」と言われた大手企業の破綻も相次いでいる中、学生たちが「必ずしも大手にこだわらない」とする理由も理解できる。

 会社勤めではなく、起業独立を選ぶケースも珍しくはなくなった。だが一時期注目されたほどには行動を起こす人は、欧米ほど増えていない。背景にはいくつかの理由があるだろう。

 1つは「起業してもうまくいく確率が低いと思われていること」。人を雇い、会社組織としてやるとなると、10年継続することが簡単ではないことは確かだ。だがもうすぐ10年を迎える立場から言えば、無理な拡大やリターンを狙わず、顧客を大切にしていれば続くものでもあると思う。

 また起業ではなく独立した個人としてやっていく選択肢もある。後ほど触れるが、それなりの力さえあれば元気にやっていける。

 2つ目は「雇用の安定が以前ほど望めないとはいえ、まだまだ最初に就職した会社で仕事人生を終える人が多い」という現実だ。リストラされた人は身の回りに珍しくはなくなったが、雇用を確保できている人の方が多数派だ。たとえ異動、転勤、出向や転籍となろうとも、家族のために我慢しようとする。結果「うつ」を訴える人が増え、働き盛りの自殺者は一向に減らないが。

 3つ目は2つ目とも関係するのだろうが、「日本人にはリスクを負ってチャレンジしようと考える人が少ない」ことだ。格差は広がりつつあるが、依然平均的に豊かな国なのだ。欧米や中国では、一発勝負をかけて起業する傾向にある。リスクがあろうとも、大金持ちになれるチャンスと考えられているからだろう。

 起業や独立には「自分で決められる自由を手にできる」という、約束されたメリットもある。実際に行動した人しか実感できないのであまり知られていないが、「楽しく働きたい」も「個人の生活と仕事を両立させたい」も「人のためになる仕事がしたい」も、自分次第だ。

 学生に就職観を聞いた調査では、「収入さえあればよい」「出世したい」を選んだ学生は、各々1.6%、1.1%しかいない(毎日コミュニケーションズ「2011年度就職戦線総括」 46P)。上位は「楽しく働きたい」(32.6%)、「個人の生活と仕事を両立させたい」(21.2%)、「人のためになる仕事がしたい」(17.5%)だ。

 突き詰めれば、今どきの学生の就職観はもはや「大手か中小か」でも、「勤め人か独立起業か」でもないのだろう。

「やりたい仕事」「感謝される仕事」をやり続けるために必要な力

 今どきの学生の就職観は会社規模や勤務形態以上に、「個性」や「多様性」がキーワードになっているようだ。

 他の調査を見ても、彼らが企業選びで重視する点の第1位は、「やりたい仕事ができる」だ。ポイントが高いのは他に「仕事もプライベートも充実させられる」「一緒に働きたいと思える従業員がいる」「自分を大きく成長させられる」など。一方で低いのは「家族・友人などに自慢できる」だそうだ(リクルート「就職活動中の大学生の就職活動に関する意見について」 5P)

 「やりたい仕事」は個人によって異なる。「仕事とプライベートのあり方」もしかり、「一緒に働きたいと思える従業員」も、「自分の成長を何で感じられるか」もしかり。これらの「個性」と「多様性」の背景には、一人ひとり異なる働く目的や価値観が存在する。

 「就職先の企業を選ぶ基準」について、40年前の1971(昭和46) 年に1位だった「会社の将来性」(27%)は、2010(平成22)年には8.3%にまで減少している。ダントツの1位となっているのは「自分の能力、個性が生かせるか」(34.8%)だ(日本生産性本部「働くことの意識調査」)。

 毎年「学生の就職人気企業ランキング」を発表して話題を作ってきたリクルートが、今年(2012年3月卒業対象)から発表をやめると宣言した。理由は「学生の価値観の多様化によって、一律で人気企業ランキングを発表する意義が薄れた」と説明する。学生による仕事選びが変化していることを裏づけている。

 新入社員の就労意識=何のために働くか、も変化している。1 位は「社会や人から感謝される仕事がしたい」(96.5%)、以下2 位「仕事を通じて人間関係を広げていきたい」(95.8%)、3 位「どこでも通用する専門技能を身につけたい」(93.4%)、4 位「これからの時代は終身雇用ではないので、会社に甘える生活はできない」(85.4%)。

 彼らは仕事より生活を優先しているわけではない。努力を放棄して、楽な生き方を選ぼうとしているわけでもない。むしろ「社会や人から感謝される仕事」を志向し、会社に甘えることなくどこでも通用する専門技能を身につけたいと考え、仕事を通じて人間関係を広げたいと考えているのだ。

 まとめると、今どきの若者は一人ひとりの基準「個性」や「多様性」の下に、「やりたい仕事」「感謝される仕事」を求めていると言えるだろう。過半数は「面白い仕事であれば、収入が少なくても構わない」(同8位、58.1%)とまで言い切る。

 働く環境は「大手か中小か」、「勤め人か独立起業か」にこだわらないとしても、「やりたい仕事」「感謝される仕事」をやり続けるためには、「個性」や「多様性」だけでは足りない。

 そこで求められるのは、私の言葉で表現すれば「ビジネス力」だ。

 「ビジネス力」を定義するなら、「働く環境によらず、お金に変えられる力」となるだろうか。お金の程度は人それぞれであり、ビジネス力の結果だと考えているが、生きていくためには必要なものだ。

 「ビジネス力」を「付加価値力」としてもよいが、最終的にはお金に変えられないと、継続して提供することができなくなる。ビジネスとしての価値を認められたとは言えないだろう。

 「ビジネス力」は会社に勤めていても十分に磨くことができる。大手企業か、中小企業かにもよらない。それぞれに力のつけ方がある。

 大手の場合は大きな仕事を経験できるし仕事はある、資金力によって選べる選択肢も多い。中小の場合は仕事は小さいかもしれないが、その全体を早くに任され把握することができる。責任あるポジションにも早くつけることで、「ビジネス力」は鍛えられる。

 「ビジネス力」の定義に「働く環境によらず」とつけたのには訳がある。1社で身につけた「ビジネス力」は、他でも生かせなければ異動や転職の際に「お金に変えられる力」にはならない。

個人は「ビジネス力」を鍛え、会社は働き続けたくなる魅力を用意する

 起業や独立をしなくても、「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」を身につけることはできる。既に身につけている人も少なくないのだ。だが気がついている人は少ない。具体的な事例で紹介しよう。

 Aさんは長年、いくつかの広告代理店を渡り歩きながらコピーライターをしていた。しかしながら50代になって新たな職場を探すことになった。Aさんには、業界内での選択肢はほとんどなかった。私は彼の相談を受けて次のように話した。

 「“コピーライティングなら任せてください”とか、“○○業界には詳しいです”といった狭い捉え方をしない方がいいですよ。俯瞰してみればAさんの強みは、“社外に向けたコミュニケーションの企画立案ができるだけでなく、表現までできる”ことではないでしょうか。これならどこの会社でも通用するし、ニーズは無限にあります。そのうえで“○○業界は特に得意です”と言えば、貴重な人材として迎えられますよ」

 コピーライターだけにこだわるのであれば、その世界で探すしかないが、彼はそれだけでなくプランニングの力をもっと伸ばしたいと考えていた。Aさんは、ある消費財メーカーの広報宣伝の責任者として迎えられた。

 Bさんの例も興味深い。彼は大手ファストフードとチェーンレストランで店長をしていたが、次第に業界と仕事を変えたくなった。そしてプライベートでも興味のあったIT業界を目指そうと考えるも、これまでのキャリアと接点がないと悩んでいた。

 ところがある日のこと、店のカウンターに置かれた普段使っているPOS(販売時点情報管理)端末に目が留まった。早速POSを扱う会社にアプローチしたところ、“システムも分かり、かつ外食チェーンの現場にも詳しい”貴重な人材として採用された。

 「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」という前提があれば安心して働ける。あとは該当する中から自分にとってより「やりたい仕事」や「感謝される仕事」を選べばいい。

 勤める側は「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」を鍛えたい、そして一人ひとりの仕事に求める目的や価値観の下、「やりたい仕事」や「感謝される仕事」をしたいと考えている。では、会社側はどのようなスタンスで臨めばいいのだろう。

 まずは、自社の目指す目的や価値観を明確にして打ち出すことだ。目的や価値観が異なる人は、いくらうまいことを言ってくどいても、いずれは去ってしまう。ならば最初から万人にいい顔をするのではなく、自社のブレない姿勢を見せた方がいい。より近い人材、共感する人材が集まってくることになる。

 最近の学生が会社説明会で最も聞きたいことの第1位は「他社との違い」だという(ジョブウェブ調べ)。会社の考え方、社風や雰囲気、企業理念やビジョンを知りたがる。だから社長が直接語りかける説明会は人気がある。彼らは会社の目指すそれが、自分の目指す目的や価値観と合っているかどうか、また本気かどうかを見極めているのだ。

 次に会社が目指す目的や価値観に共感して集まった人材に対してするべきこと。それは「働く環境によらず、お金に変えられるビジネス力」を鍛えるチャンスを用意することだ。

 私の知る社長には、「社員に商売感覚、経営感覚がない」と嘆いている人は多いが、社員の「ビジネス力」を鍛えることは答えの一つになる。任せる仕事の規模は最初は小さくてもよい。仕事だけでなく、お金の入り口から出口までも含めて管理させることで、商売感覚や経営感覚は磨かれる。

 ただしそのまま辞められてしまっては、会社としてはもったいない。競合になる可能性だってあるだろう。育てた社員を引きとめるためには、「この会社で働くことのメリット」を強く感じてもらうことだ。

 例えば、ブレない目的や価値観の下で、「やりたい仕事」や「感謝される仕事」がずっとできること。頑張ったら評価される、大きな仕事ができる、社風や仲間がいいといった働きやすい環境が用意されることなどが挙げられる(このあたりの詳しい話は、また別の機会にお話ししてみたい)。

 自分の働く目的や価値観での会社選びは、若手社員だけでなく広がっていくであろうと想像する。雇う側と雇われる側。双方が対等な立場で、目的や価値観を共有できる仲間として集い、成長を目指す。一人ひとりが「ビジネス力」を養い自立できれば、それは今後日本企業が戦っていくうえでの強みとならないだろうか。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2011年10月05日 13:34

知っていることやできることに逡巡し続けるなら、、、

サイクルなんて要らない。。。

解らないことやしたいことをする創造性のために。。。

cyclellc.jp

Posted by nob : 2011年07月23日 22:20

自身のための作品なのか?

作品のための自身なのか?

Posted by nob : 2011年03月04日 00:41

TPP Vol.3 もちろん段階的戦略的移行を前提として、、、私は賛成です。。。

それぞれの立場でのご都合論理に帰結はない。。。

公正かつ公平なグローバリズムこそが唯一の判断基準、、、

究極目指すべきなのは全世界的関税の完全撤廃と

日本の基準では$1=¥50あたりで存続可能な組織と社会構造の構築。。。


もう10年以上も以前のコラムですが

以下をご参照いただけたらと思います。。。

≪CONSIDERATION≫
二十一世紀は、持てるより持たざることがクールな時代

≪CONSIDERATION≫
二十一世紀は、持てるより持たざることがクールな時代〜続き

≪CONSIDERATION≫
ブレイクイーブンの経営

≪CONSIDERATION≫
ブレイクイーブンの経営・その2

≪CONSIDERATION≫
ブレイクイーブンの経営・その3

≪CONSIDERATION≫
ブレイクイーブンの経営・その4

Posted by nob : 2011年02月12日 12:51

天才

自分自身で認識できる程度の感性など

たいしたものではない


自分自身で活用できる程度の感性は

ただ器用というべきもの


才能とは

自らへのそして第三者に向けての可能性の大きさ

可能性は未知のもの


才能があればあるほど

自らが認識できないから自信も持てない

天才は自らと取り巻くすべてに迷い悩み

沸き起こる魂の叫びを形にしていく

Posted by nob : 2011年02月02日 22:07

仕事とは本来、、、Vol.4

クライアントの完全な満足を目指す過程で

選び工夫し創っていくことで

自らの仕事に満足は出来ずとも

充実感という納得を得ることができる。。。

Posted by nob : 2011年01月11日 12:41

仕事とは本来、、、Vol.3

自らのそれよりも

常にクライアントの満足を優先することが最低限のルール。。。

Posted by nob : 2011年01月11日 12:37

仕事とは本来、、、Vol.2

探すものではなく

そこにあるもの、、、

そしてやってくるもの。。。

Posted by nob : 2011年01月11日 12:31

仕事とは本来、、、

本当に必要であれば

何処にでも幾らでもあるもの。。。

Posted by nob : 2011年01月11日 12:24

最良の宣伝は、、、

宣伝しないこと。。。

Posted by nob : 2010年12月26日 18:30

凡人がしゃにむに一を語らんとする間に、、、

優れた芸術家の作品は雄弁に百を語る。。。

Posted by nob : 2010年12月23日 00:32

何かを極めんとするのなら、、、

誰にも称賛されないほどに極めたい。。。

Posted by nob : 2010年12月16日 18:59

自分を評価できるのは自分自身だけ。。。

自分を賞賛してくれるのは

自分と同類あるいは未満か

利害があるか

悪意がある人々だけ。。。

Posted by nob : 2010年12月16日 18:54

開き直れるか趣味に生きられる人はそれはそれで良しとしても。。。

■「お金のために会社にしがみつく」自分に嫌気が差す瞬間
夢や希望を共有できなくなった企業と働く個人のすれ違い
河合 薫

 「情けない話なんですけど、結局、僕はお金のために働いてるんです。いや、お金のために会社にしがみついているって言った方が正確かもしれません。恐らくこれ以上、僕は出世することはないでしょう。だったら人生の後半戦くらい自分のやりたいこと、好きなこと、やりがいを感じられることをやってみたいって気持ちはあります。でもね、今の給料を放棄してまでやる覚悟があるかっていうとないんですよ。夢だの希望だのよりも、現実から離れることができない。ホント情けない話です」

 こうこぼすのは48歳のA氏。大手メーカーに勤める部長の男性である。

 生きるためにはお金が必要である。お金を得るためには働かなくてはいけない。だからお金のために働いて何ら問題はない“はず”である。

 誰だって、心の奥底では、どうせ働くなら、できるだけ稼いでみたいと思う。キンキンキラキラのぜいたくな暮らしである必要はないが、そこそこいい暮らしはしてみたい。おいしいものだって食べたいし、たまには旅行にだって出かけてみたい。趣味にお金をかけてもみたい。そう思うことはある。

 ところが、「お金のためだけに働く」と聞くと、何となくさもしい気持ちになる。

お金のためにだけに、働きたくない?

 今年の初めに成人式を迎える新成人に関する調査結果が発表され、仕事に対して「お金を稼ぐためのもの」とする考えを持つ人が85.4%に達していることが分かった時にも、オトナたちは一斉に、「何だか夢も希望もないなぁ」と嘆いた。また、大企業を希望する学生が多い理由の一つに、「生涯賃金」が挙げられることに関しても、「金がすべてなのか?」と嘆く人もいる。

 そして、自分自身も「お金のため」に働いていると悟った時、誰から責められるわけでもないのに、罪悪感にも似た感情に陥ることがある。恐らくA氏も、そんな気持ちから「情けない」と自己嫌悪に陥っていたのだろう。

 お金のためだけに、働きたくない──。なぜ、私たちはそう思ってしまうのか。

 たかが金。されど金。働く一番の目的はお金なのに、お金のためだけに働くことに私たちは、なぜ、抵抗感を感じてしまうのか?

 「お金がすべて」とか、「金儲けして何が悪い」とか、「お金で買えないものはない」と豪語するような拝金主義者にはなりたくないという気持ちがあるから?

 そもそもお金のためだけに働いたり、お金のために会社にしがみつくことは、「情けない」と落ち込むほど、いけないことなのか?

 そこで今回は、「お金と仕事」について、改めて考えてみようと思う。

本人が一番よく分かっている

 「自分のこれまでのキャリアを振り返ってみると、若いころの方がもっと自由だったような気がするんです。つまり、純粋に自分が仕事をすることで成長していることに、満足感を覚えたし。いろんな人と知り合ったり、新しいプロジェクトに参加できたりするとそれだけでうれしかった。つまり、お金以外のことがモチベーションになっていたんです」

 「ところが、40を過ぎると、仕事もマンネリ化してくる。そんなに目新しいことはないですし、若いころのように成長を実感できるような仕事もない。それで気がつくと、そこそこもらえている自分がいるわけです。確かに昔のようにベースアップはないですし、ボーナスだって下がりました。20代のころに自分が想像していたほど、もらえてはいません。でも、中小企業に比べるとやっぱり大手はいいんですよ」

 「おまけに子供の教育費や家のローンだってある。そうなると、今の会社は絶対に辞められないよな、って思うわけです。するともう一人の自分がたしなめる。金のためにしがみついているなんて、カッコ悪いって。何か自分がすごいせこいヤツになっているみたいで。たまにやるせない気分になることがあるんです」

 こう語るA氏を、“ただ乗り社員”と呼ぶ人もいるだろうし、「何をウダウダぜいたくなこと言ってるんだ。要は一生懸命働いていない自分への言い訳じゃないか」と非難する人もいることだろう。

 でも、恐らく本人が一番そのことを分かっている。だからこそ、何とも言えない情けない気分に苛まれているのだ。

 A氏が指摘するように企業規模による賃金格差は、明らかに存在する。昨今の不景気の影響からか、その格差は広がる傾向にさえある。

 日本生産性本部が今春発表した、「能力・仕事別賃金実態調査(2009年)」によれば、大企業(従業員1000人以上)の部長相当の平均月例賃金は69 万4000円。小企業(同100人未満)の部長相当は50万5000円で、両者の間には18万9000円もの差がある。課長相当での差額は14万円で、いずれも前回調査より拡大していることが分かった。

 また、大企業の課長相当の平均月例賃金は52万8000円で、小企業の部長相当の50万5000円を上回っていることも明らかになった。

 一方、一般職・大卒初任給クラスでは、大企業と小企業との格差が急速に縮小して、1万円を切った。「ヒラ社員」レベルであれば、大企業でも中小企業でも給料の違いはほとんどない。

お金は働くモチベーションであり続けてきた

 お金は仕事のモチベーション要因の中でも非常に重要な要因であることは、古くから世界各地で多くの研究者によって実証されてきた。と同時に、人は仕事の対価である報酬が、自分の期待したものに見合っているかどうかで満足感が変わる。米国の心理学者レオナード・ベルコヴィッツはそれを「賃金公平感」という言葉で説明した。

 つまり、自分と同じような仕事をしている人がもらっている賃金と、自分の賃金を比較し、「何で似たような仕事をしているのに、あの人はあんなにもらえるんだ」と感じると不満が募り、逆に、「同じ仕事でも自分の方がもらっている」と感じると満足感が高まる。それは、自身の誇りとなり、社会的評価と同じ価値を持つ。

 従って、A氏が今の会社にしがみついてしまうのは、企業規模による格差に加え、他者への優越感も関係しているのだろう。

 私たちはお金のためだけに働いているわけじゃない。いや、お金のためだけじゃないはずだと、どこかで思っているだけかもしれない。それでもやはり実際に働いてみると、お金以上に“価値ある報酬”を体感することがあるし、お金ではない“報酬”を期待することだってある。

 それは、いわゆる、「やりがい」と呼ばれるものだったり、「働きがい」と言われ、多くの場合は、「自分の存在」を実感できる報酬である。

 私がまだ学生のころ、知人である年配の男性にこう言われたことがあった。

 「最初はね、お金のためにみんな働く。でもね、働いているとお金よりももっと大切で価値のあるものに気づくよ」

 当時、私は彼の言っている意味が分からなかった。誤解を恐れずに言うならば、「お金のために働く」ということもよく分からなかった。

 何しろ自宅だったし、完全にパラサイトしていたから、「生活のためには働かなくてはいけない」という意識も希薄。知人の助言の意味するところが何一つ分からなかったのだ。

働き始めてすぐに分かったお金を稼ぐ喜び

 だが、働き始めてすぐに「お金のために働く」という意味が分かるようになった。最初にお給料をもらった時の満足感。自分の仕事に対する報酬を得られたことは、想像以上にうれしかったのである。

 うまく言えないけれど、自分が必死に汗を流せば、ちゃんとお金がもらえるということが単純にうれしかった。労働に対する報酬としてのお金に感動したのだ。少ない初任給で、パラサイト先の母や父にプレゼントを買い、喜んでもらえたことで、より満足感は高まった。お金を稼ぐ喜びを知ったのだ。 

 それからというもの、給料日はやたらと待ち遠しかったし、どんどんと物質的な物を手にしたいという欲もわいてきた。もっとおいしいご飯を食べに行きたいとか、もっと素敵な洋服が欲しい、1年に1回くらいは友人と旅行に行きたい、そう思った。つらい仕事の時には、「お金のためだ」と自分に言い聞かせることもあった。まさしく、お金のために働くようになっていたのである。

 ところが、である。ある時に「お金よりも大切な価値あるもの」を、いや、正確には「仕事のやりがい」、「仕事の面白さ」を感じたのだ。

 それが“いつ”だったのかは覚えていない。だが、例えば、お客さんが飛行機を降りていく時に、「いいフライトでしたよ。ありがとう」と言ってくださったり、ちょっとしたサービスをした時にお客さんから感謝されたりすると、何だか無性にうれしく、仕事そのものに「やりがい」を感じるようになった。

 恐らくそういったねぎらいの言葉は、新人の時にもいただいていたはずだし、そういったねぎらいの言葉でしんどい仕事にも耐えるエネルギーをもらっていたはずである。ところがいつしか、お金を得る喜びよりも、自分が認められている、自分の存在意義がある、と感じる瞬間の満足感の方が、お金を得る喜びを上回った。働くことそのものが楽しくなったのだ。

 だから、もっとやりがいのある仕事を求めて、もっと自分の存在意義を感じられる仕事を求めて客室乗務員(CA)を辞めたのである。その後、民間の気象会社に勤めることになったわけだが、賃金はCA時代の半分。でも、楽しかった。自分の進む方向に光が見えたし、それに向かって歩いているという満足感があったから、お給料が下がってしまっても、充実感が得られたのだと思っている。

 米国の心理学者アブラハム・H・マズローは、「個人の成長という観点から見た場合、企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である。私の知る幸福な人々は、いずれも自分が重要とみなす仕事を立派にやり遂げている人である」と説き、ユーサイキアン・マネジメント(働く人々が精神的に健康であり得るためのマネジメント)という造語を作った。

 すなわち、職場は単なる労働の場にとどまらず、人間のさまざまな欲求を満たすために最適な場所であり、やりがいを感じられる労働・職場とは仕事の枠を超えたライフをも満足させる職場となる。

 社会とつながっていると実感し、社会に自分が認められたような、ちょっとだけ成長できたような、何とも言えないあの快感。それはどんなにプライベートを充実させても、なかなか得ることができない満足感だ。

働きがいがないと、「お金のために働く」人が増える

 当然ながら、高い報酬を得ることでも、その快感を得ることはできる。だが、お金がそこに存在しなくとも、それは時に自分の能力を発揮できた瞬間であり、誰かとつながった瞬間であり、社会から認められた瞬間であり──。

 永遠に続くものではないけれど、その瞬間に出合うことができる最適の場が、仕事なのだ。 お金以外で感じる満足感には、心の豊かさがある。それを私たちは、「やりがい」とか、「働きがい」という言葉で表現し、働きがいがあると、お金は大切なことではあるけれど、最大最強のモチベーション要因ではなくなる。お金では買えないものに快感を得る自分、お金のためだけには働いていない自分──。そんな自分を実感できることは心地よくもある。

 また、働きがいややりがいは、お金に関する欲求を弱める効果を持つことが、これまでいくつかの実証研究で確認されている。つまり、今の職場(あるいは仕事)に「働きがいがある」と答える人の場合、お金への関心が薄れる傾向が認められ、逆に、「働きがいがない」と答える人ほど、「働くのはお金のため」と答える傾向が強まるのである。

 働きがいさえあれば、お金はすべて、ではなくなるのだ。

 冒頭で新成人の9割近くが「仕事=お金を得るため」と答えたと記したが、実はこれは若い世代に限ったことではない。

 昨年、一般の労働者を対象に行われたあるアンケート調査でも、「仕事はお金を稼ぐ手段に過ぎない」と答える割合は、一般社員では44.5%、課長職38.5%、部長職33.9%と、役職が上がるにつれて減少してはいるが、3割以上もの部長職が肯定的に答えているのだ。また、仕事に対するモチベーションについて聞くと、一般社員から部長職までは「給料」が最も多く、全体の半数前後を占めた。

 つまり、今、ほとんどの労働者が「働きがい」を感じられない状況にあり、「お金のためだけに働いている」意識が高まっていると見ることができる。

すれ違い始めた企業と働く人の価値観

 なぜ、働きがいを持てない人が増えてしまったのか?

 そこには、企業と働く人の労働に対する価値観のずれが生じ始めていることが関係しているように思う。

 かつての日本は、企業も、個人も、同じ「夢」と「希望」を持っていた。金儲けして、裕福になろうと思い、実際にそうなるためにみんな働いていた。悲惨な戦争経験から立ち上がって生きていくためには、希望を持たなきゃやっていられなかったし、みんな貧しかったから、働くことは希望に向かうための最高の手段だった。

 企業は、同じ希望に向かって頑張る労働者を大切にした。豊かになりたいと一生懸命働いた分だけ褒めてくれた。同じ希望に向かうために働いてくれる労働者は会社にとって、「大切な宝物」。だから、何も心配しなくてもいいようにと、1年ごとに給料を上げ、年を取れば偉くなるような制度を設けた。

 働く人にとっても同じ光に向かう会社は大切な存在。だから、会社がうまくいった時の喜びは、自分の喜びでもあった。価値観の共有がなされていると、会社=経営者は、いわば働く人の同志だったのである。

 そして、夢がかなって日本は豊かになった。豊かな社会に住む人は、お金などの物的な価値ではなく、自分の存在価値を求めるようになる。ところが、会社は豊かになっても、利益を上げなくてはいけない。会社の「金儲け主義」と、存在欲求を求める働く人との間に価値観がずれが生じ始める。

 さらにオートメーション化が進む一方で、バブル崩壊後には経済が低迷し、企業にとって働く人は、もはや「大切な人」ではなくなった。価値観が共有されていない職場、大切に扱われない職場で、やりがいや働きがいを感じることは難しい。昔のようにただ会社の求めるように働くだけでは、働きがいがなかなか得られなくなったのだ。

 完全なる働き手と企業との価値観の不一致。逆説的に考えるならば、マズローが考えたような「企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である」という現実が消えてしまったのである。

 もちろんそうでない会社はたくさんある。従業員を大切に扱う会社の労働者は働きがいを感じ、仕事への満足感も高い。そういった会社が必ずや賃金が高いかというと、そういうわけではない。

 そして、私の知る限り、そういった会社のトップは容易に従業員を切ることがないし、トップと従業員が同じ光に向かい、希望を持って、価値観を共有して働いているケースが多いように思う。

「働きがいのある職場づくり」を主導するのはトップ

 働きがいややりがいは、トップ、すなわち企業の「働かせ方」に多大な影響を受ける。かといって、すべてを経営者に委ねて成し遂げられるものでもない。そこで働く人々が「職場を変えたい」と願い、「変えよう」と一人ひとりが参加する取り組みが求められる。

 そのためには、働く人たちにとって、働くうえで何が最も困難なのか、どんなことにやりづらさや働きにくさを感じているのか、どういう改善が必要とされているのかなど、それぞれが感じていることや意見を互いに出し合い、職場の声を集め、職場のストレッサーとストレスを働く人々の間で共有し、意思疎通を図ることが重要であると考えられている。

 それでもやはり現実は、その意思疎通を図るためにも、トップの「働きがいのある職場をつくりたい」という意識なくして成し得ないのである。

 ひょっとすると、今の世の中、「お金のためにだけに働いている」のは、トップの方なのかもしれない。 トップ自身が、働きがいを忘れているのかも、などと思ったりもする。

 仕事は人生を満足なものにするための、最高の手段。だから仕事は大切でもある代わりに、その手段になり得ない場合には、単なるお金を得るための手段に成り下がる。

 もし、働きがいをどうやったって持てない職場、従業員に働きがいを持たせることがない職場であるならば、「お金のためだけに働いても」ちっとも恥じることなどないのではないか。

 あくまでも企業は「自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場」であって、満足のいく人生を送るための最適の場所になり得る“手段”でしかないのだ。

生きがいを仕事以外に求めることは恥ではない

 最適の場に企業がなり得ない以上、お金のためだけに働き、それまで会社にあると信じていた「生きがい」を、仕事以外に求めた方がいい。いや、職場には必ずや「働きがい」があるという思い込みを捨てた方がいいのだ。

 その代わりにボランティアに参加したり、生活はできないけれどやりがいのある第2の仕事を見つけたり、あるいは家族のためだけに生きることに光を見いだし、仕事をそれらのライフを充実させるための手段と割り切ればいい。

 お金が人生のすべてになってしまっては、人生の真理も、自分の存在価値の真理も、見失うことになりかねない。だが、仕事は人生の大切な一部ではあるけれど、すべてではないと考え、仕事以外の部分に光を見いだすことさえできればいいのではないか。

 実際に若い世代はそういう価値観を持ち始めている。40代以上の世代も新しい価値観で仕事というものをとらえ、仕事以外の部分を充実させることで、「お金がすべて」というような、さもしい感覚を払拭することは可能だろう。

 仕事がお金のためになったとしても、人生がお金のためだけにならなきゃいいじゃないか。自分の人生を豊かにするために、自分の希望に向かうために、お金が必要ならば、お金のためだけに働いたって何ら恥じることはないし、誰に何と思われようとも、しがみつくだけしがみつけばいい。カッコ悪かろうか、何だろうが、満足のいく人生のための手段だと割り切ればいい。とことんしがみつけばいい。

 とはいえ、やはり一度でも仕事で「お金以上の価値あるもの」を体験してしまうと、その快感が忘れられないのもまた事実。できることなら、仕事で、かつてのストレスとは無縁だったお父さんたちがイキイキと働いていたような経験ができると、日本ももう少し元気になるんじゃないか、などと思ってしまうわけで。先人たちの、「働くことの大切さ」「働きがいのある仕事は、人生を最高にする」といった言葉を、いまだに信じたいと願う自分がいる。

 恐らくそんな私は、昔の価値観に引きずられているってことなのか、それとも欲張りなのか。仕事って悪くない。結構、楽しいよね。そんな風に言えたらいいなぁと、私自身はやはり願う。でも、なかなかそうならない現実がある以上、そう“思い込む”ことは、ストレスの雨を強めることになる。

 だから、今は「しがみつくだけしがみつけ」と言うほかない。時には、逃げるが勝ちということだってあるのだから、と。それでも、多くの人が仕事に働きがいを感じられるような職場づくりを、トップに期待してしまうのであった。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2010年12月12日 17:26

入り口を見誤れば、、、努力するほどに真に自らが望む場所から遠く離れる。。。

直感と想像力よりも

知識と経験を優先させると

すべてを見誤る。。。

Posted by nob : 2010年12月11日 01:00

生涯プロローグ、、、

そうしようとは思わないまでも、、、

それでも構わないと思う、、、

そう思えてしまうと心が解放される。。。

Posted by nob : 2010年12月10日 02:55

オンオフの区別なし

好きなことを

好きなように

好きなだけしているから

仕事を遊び

遊びが仕事になる

年中無休

Posted by nob : 2010年12月10日 01:05

幸福と納得と充実

まずは自らをあるがままによしと許容できて幸福に、、、

内なる心の声にしたがって自らに附した記号に沿いそして実現できて納得が得られ、、、

さらにその符号を含めた自らを望む第三者にあるがままに許容されてはじめて充実感が得られる。。。

Posted by nob : 2010年11月24日 10:04

まずは直感と創造力、、、さらに知識と経験。。。Vol.2

直感と想像力で本質を捉えることはできる、、、

さらにそれを確信的に裏付けるのが知識と経験。。。

Posted by nob : 2010年11月24日 00:45

自分は探すものではなく、、、

いつもここにあるもの、、、

そしてさらに自ら創り上げていくもの。。。

Posted by nob : 2010年11月23日 23:58

真実を見通す目

対象に付随している様々な記号に囚われているうちは何も見えてはこない。。。

真実を見通す目、、、それはただそれを感じる心の目。。。

Posted by nob : 2010年11月23日 09:00

まずは直感と創造力、、、さらに知識と経験。。。

そしてようやく隠された物事の本質が見えてくる。。。

Posted by nob : 2010年11月23日 08:40

人はどうしたって

やりたいことはやる

Posted by nob : 2010年11月17日 00:16

信じる自分がここにいないのであれば、、、

むしろここに留まる方が

逃げている気がした。。。

[Roots]

Posted by nob : 2010年11月15日 23:32

本質はいつも限りなくシンプル Vol.4

他人と過去は変えられないけれど、、、

自分と未来は変えられる。。。

Posted by nob : 2010年11月14日 22:52

自らに足枷をかけるのは Vol.2

世に出たいと思う、、、

そして自らの足跡を残したいと思う、、、

自己顕示欲。。。

Posted by nob : 2010年11月13日 12:09

人としての真の強さ Vol.4

何もしないでいられること。。。

Posted by nob : 2010年11月13日 12:03

青い鳥

いつまでも

何処にもいるはずのない

自分自身を探し求めることはやめて、、、


今ここにいるあるがままの自分自身と向き合い

そして受け入れることから。。。

Posted by nob : 2010年11月05日 21:02

ホントに好きで楽しいことなら、、、

途中でやめたくなるくらいのことなら、、、

はじめからしない。。。

Posted by nob : 2010年10月31日 12:12

そんな自らの視点をいつも大切にしていたい。。。

他人から見て「平凡」でも、、、

自分にとっては「特別」。。。

Posted by nob : 2010年10月28日 22:00

これもまた言えてる。。。

■日本は本当に「起業家に冷たい国」なのか?

2010年10月18日にVivek Wadhwa氏の「日本へ:経済を立て直すには失敗した起業家を尊重せよ」という記事を読んでツイッターでいくつかコメントをさせていただいたところ、西田編集長から「TechCrunch JAPANに反論記事を」というオファーをいただいたので、いくつかコメントさせていただきたい。

私も今月はじめに、「起業のファイナンス」という本を出しており、Wadhwa氏の「起業を活性化させることが日本経済の立て直しのために最も重要だ」という主張とは全く同意見である。

しかしWadhwa氏の元記事の記述には事実誤認も多い。翻訳のニュアンスの問題もあるかも知れないが、「"失敗した企業の設立者は社会的被差別者となる。(the founders of failed businesses become social outcasts)"」や「"誰も彼らと仕事をしようとせず、資金提供をする者もいない。(no one will work with them again or fund them)"」というのは事実に反するし、明らかに行き過ぎた表現だ。

「"さらに悪いことに、日本やドイツの起業家は、刑事処分の対象となり投獄されることもある。(What’s worse: the Japanese and German entrepreneurs may also face criminal penalties and go to jail.)"」という記述もそうだ。犯罪を犯した経営者が罰を受けるのは、世界各国、法治国家ならどこでも当然のことである。日本の法令の解釈が堅苦し過ぎるのは事実だと思うが、少なくとも日本では、事業に失敗したという事実だけをもって犯罪になるということはない。

日本は20世紀末に証券ビッグバンがあったばかりで、自由化した証券市場の経験がまだ10年しかない。人々の耳目を集めるのは不祥事なので、それが目立つのは仕方がないが、この10年の間に、日本は多くの成功したベンチャー企業を生み出し、起業の知識をもった実務家や専門家等の層も、格段に厚くなっている。

元記事に取り上げられているドイツも日本も、ともに第二次世界大戦における敗戦国であり、銀行が預金を集め、それを企業に貸し付けるという間接金融によって、戦後の焼け跡から急速な復興を遂げた。このため、金融を中心とする社会のしくみや考え方全体が「銀行的な考え方」に偏っているのは事実だ。すなわち、「確実に」収益を生むものに資金を回し、返済や利払いが行えないものにはペナルティを与えるという銀行的なファイナンスの考え方が、社会のあちこちに浸透している。

しかし、戦後の復興期や高度成長期と違って、銀行は株式市場からのプレッシャーやいわゆるBIS規制を受け、取れるリスクは限定されてきている。また今、世界は国境なきグローバルな競争に突入しており、日本において「確実に成長する事業分野」などというものにはほとんどお目にかかれない時代となっている。こうした時代に、これ以上銀行から資金を既存企業に流そうとしても無理があるのだ。今必要とされているのは「確実に収益があげられる(リスクの小さい)事業」ではなく「やってみないと結果は誰もわからない革新的な(そしてリスクが非常に大きい)事業」なのだから。

そして、そうした事業においては、「銀行からの借入れ(デット)」でなく、大きなリスクが取れる「株式(エクイティ)による資金調達」を志向しなくてはならない。

またそもそも、私の周囲では事業に失敗して社会的に冷遇されているという人というのには、ほとんどお目にかかったことがない。実態は逆なのだ。従来の日本では、高齢になってからでないと会社全体を統括する「経営」を行うポジションに付くことは困難だったので、(Piku Mediaの取締役会でいつもお会いしているJeff Char氏も元記事内で述べているように)、経験ある経営者は圧倒的に不足している。

事業がうまくいかなかった経営者が「今度会社をたたむことになりました」と挨拶して回っている段階で、「うちに来ない?」と何社からも引く手あまたになるケースが、私が知っている限りでもいくつもある。

一言で起業家といってもいろんな人がいる。犯罪に手を染めたり、苦難に陥った時に責任放棄して逃げ出したり、何も知らない取引先に実態をごまかし、債務の額を膨らませるだけ膨らませて倒産するようなアンフェアな起業家をも含めて、「失敗」のすべてを尊敬しろと言っても、それは無理というものだ。それは日本に限らず、どこの国でも同じはずである。

資本主義社会なら当然だが、どんな「風土」の国であれ、「前の事業に失敗したから」というだけで次に起業できるチャンスが生まれるはずがない。「次の起業が成功しそう」であってこそ周囲の協力も得られるのである。次の起業が成功するために、過去の失敗の経験やノウハウ、以前の会社で形成された人脈が生かせることもあるし、投資家等の付き合いの中で「君のスキルセットには、こういう事業が向くのではないか?」とお呼びがかかることもあるだろう。しかし、アンフェアなことをやって倒産した会社の元経営者や、「どうせ俺なんて」と、ひがみ根性が染み付いてしまった取り柄の無い元経営者を、前途洋々な事業の経営者に据える必要なんてあるだろうか? 日本には、いくらでもほかにいい人材が隠れているはずなのだ。

元記事のWadhwa氏の「"失敗した起業家を尊重せよ(Honor Your Failed Entrepreneurs)"」というメッセージはありがたいが、それ自体は、日本が直面している問題の解決策にはならない。民主国家である日本には、「何を尊重するか」といった個々の人々の思想を強制的に統制する手段は存在しない。

問題は、Wadhwa氏が指摘するような思想の変更や法律の改正というよりも、日本の社会人や学生全体に「新しい時代に必要なファイナンスの知識が無いこと」なのだ。

リスクを大きく取るために株式で投資を受けられないか? 必要な設備投資を減らして銀行の借入れを減らせないか? 借入れをどうしてもしなければいけない場合には、社長が個人保証しなくていい方法は無いか? そもそも全く別の、銀行から資金を借りなくていいタイプの事業をやった方がよくないか……?

まずは、そういったことを考え、専門家や経験者の指導もあおいで、できる限り、「失敗しても大丈夫な態勢」を整えるべきなのである。

知識がないために取ってはいけないリスクを取って失敗してしまったら、いくら「失敗した起業家を尊重する風土」なるものが存在しても、経営者は契約に従ってペナルティーを受けるだけである。つまり、社長が「個人保証します」という契約をしていて失敗したら、保証の履行を要求されるのは当然。日本はアメリカ同様、「法治国家」なのだから。すべてのケースでうまくいくとは限らないが、経営者があらかじめ「個人保証しなくていい方法」を模索することが重要なのだ。

どんな社会にも改善の余地はある。しかし、私は日本はすでに「起業家(特に非常にイノベーティブなことを志向する起業家)に冷たい国」ではなくなっていると思う。

日本はとにかく起業家の数が少ない。しかしそれは「日本が失敗した起業家を尊敬しないから」ではなく、「まさか自分が起業できるなんてありえない」「日本では事業で失敗したら個人破産するしかない」と思い込んでいるからだ。「知識」がないのだ。

つまり、必要なのは、誤った事実に基づいて「日本はダメだ」と煽ることではない。

「どうすればうまくいくか」という知識を広げること、そうした知識をもった経験者や専門家を見つけ出すこと、そして優秀な人材をベンチャー企業の生態系に呼び込み、1つでも多くの成功例を作り出すこと。それらこそが、起業の生態系を活性化させ、日本社会の体質を改善し経済を立て直していくことに繋がるのだ。

[磯崎哲也/TechCrunch]

Posted by nob : 2010年10月28日 21:54

なかなか言えてる。。。

■なぜ私たちは先延ばししてしまうのか?

先延ばししないためにはどうしたらいいか? と尋ねたら、おそらく多くの人が「もっと働けばいい」と答えるでしょう。先延ばしせざるをえないのは、その人が十分に働いていないからだとか、要領が悪いからだ、と考えているからですよね。

「The Now Habit」は、先延ばしをしないための方法が書かれた自己啓発本としては、当時革命的なものでした。心理学者が著者であるため、やる気が出なくて先延ばししてしまうのには、心理的な理由があるというアプローチで書かれています。

Fiore氏は、先延ばしを、鍛え直したら治るような「なまけ病」とは捉えていません。違った視点から先延ばしを定義し、それを段階的に治していく方法をとっています。「先延ばしとは、タスクや決断に関する不安に対処するためのメカニズム」であるとのこと。

本の前半部分では、先延ばしの定義、要因、私たちの何が先延ばしをさせるのか、ということについて書かれています。ここでの要旨を3つにまとめると、先延ばしとは、

1. 上司など権力のある人からの圧力に、間接的に抵抗するための方法。
2. 期待された結果を出せなかったときの言い訳にして、失敗への恐れを緩和する方法。
3. わざと本気を出さないで、うまくいき過ぎないようにするための防御策。

■先延ばしをしないために:観察、考え方を変える、予定を見直す

先延ばしの癖を直すためには、まず自分に正直になり、なぜその行動を起こしてしまうのか? をよく考えてみてください。これは変化するためのプロセスの一つです。それから、実際に新しい習慣を身につけるためには、しっかりとした足場と、確かなツールが必要になってきます。Fiore氏は、そこからの手順をいくつかに分けて説明しています。

* 観察:自分がどのような時間の使い方をしているかを知る

予算を組んだり、ダイエットしたりするのと一緒で、自分がどんな風に時間を使っているかは、まず自分の一日を観察してみることです。ある一日をスケジュールに残しましょう。紙でもデジタルでもかまいません。大切なことは、記録することです。

* 話し方を変える:「先延ばし屋」から「プロデューサー」トークへ

言葉の力は偉大です。Fiore氏は、「先延ばし屋」はマイナス思考である傾向にあるとしています。知らず知らずのうちに、ネガティブトークをしていませんか? 仕事があり、家庭があり、「リラックスする時間なんてない!」と言ったりしていませんか? こういう先延ばしトークは、あなたを「だからもっと働かなければ!」という方向にひっぱっていってしまいます。一方「リラックスする時間を持たねば!」とプロデューサートークをすれば、おのずと時間を作るという行動が導かれますよね。やらなければいけない仕事はなくなりませんが、話し方を変え、どこにフォーカスするかを変えれば、自分の時間が仕事に蝕まれてしまうのを防げます。

■自分は何を心配しているのかと現実的に考える

先延ばし屋でない人は、先延ばしなんて怠け者で、おおざっぱな人がする態度だと思っていますが、実際はそうでもありません。

先延ばししてしまう人は、いろいろなことを気にしすぎる傾向があります。自分は満足な仕事ができていないと思ったり(だから先延ばしして、時間がないからうまくできなかったという言い訳にする)、これがうまくいかなかったら万事休すと思ったり(クビになるかもしれない、みんなが自分のことをダメな人間だと思うかもしれない)してしまうわけです。

Fiore氏はここで問いかけます。「考えうる最悪の事態は何?」、「そうなったらあなたはどうする?」、「どうやってその難局を乗り切る?」あれこれ心配するから、その心配事に圧倒されてしまって先延ばししてしまうのです。

たくさんの心配事はあってもいいので、友人の相談に乗っているような要領で、それらを分割して一つ一つ吟味してみましょう。友人にだったら、そんなの取り越し苦労だ、心配はいらないよ、きっと大丈夫さ、と言いますよね。それを自分に対してするのです。ただし、上に挙げた質問に対しては、現実的に答えてください。

■スケジュールを見直す

表面的に見ると、先延ばしは、ちょっとしたお楽しみの時間を生むように感じられます。目の前のタスクを片付けないでしていることといえば、ゲームやネットサーフィンなどですからね...。でも、あとから感じるのは罪悪感ではないでしょうか?仕事を後回しにして遊んでしまった、と。もしかしたら、ゲームをしている時間も頭の片隅には仕事のことがあって、思いっきり楽しめなかったかもしれません。いろんな意味で、自分に嘘をついていることになるのです。

Fiore氏が提案しているのは、予定を入れるのではなく、予定を外すことです。そんな恐ろしいことを...と思いますよね。しかし、これでタスクの見直しができるのです。

やりたいと思っている仕事でスケジュールを埋めていくのではなく、既に決まっているものと遊びから書き込んでいくのです。一日のうちで、少なくとも一時間のリラックス&遊びタイムと、一週間のうちで少なくとも一日の休みは必要ですよね。前から決まっているタスクや、睡眠、通勤、食事、エクササイズにかける時間などを、先に設定してください。これで、ずいぶん空きができることと思います。

なぜこのようなことをするのでしょうか? Fiore氏は、先延ばし屋さんたちは、時間の測り方が上手ではないことを指摘しています。

一日は24時間ですが、24時間働けるわけではないのです。一日の中には、家族と過ごしたり、犬の散歩をしたりと、「生きる」時間が必要なのです。あなたのスケジュールの中には、そんな「生きている」時間が入っているべきなのです。これを認識することによって、より現実的な仕事のゴールが見えて、それに向かって進んでいけます。

では、実際のタスクはどのようにスケジュールするのでしょうか? 答えは、そのタスクに関して、30分間しっかり取り組んでから書き込む、です。つまり、月曜日の9時から11時までをタスクA、と書き込んでおくわけではありません。月曜日オフィスに来て、しばらくタスクAに取り組んでから、書き込みます。業者さんが請求書を出すような要領というば、わかりやすいのではないでしょうか。実際にちゃんと働いた分しか請求できないですよね?そうすれば、あなたのスケジュール帳は、先が見えないタスクで埋まっている場所ではなく、あなたの輝かしい達成の記録になります。これを一週間ほど続ければ、あなたが達成できる現実的な仕事量が見えてくることでしょう。

Fiore氏はまた、タスクを分割して、集中してとりかかる時間は短く設定することを、お勧めしています。「今日帰るまでにこれを終わらせる」ではなく「休憩時間まであと30分ある。この30分間で自分は何ができるのだろうか?」と考えるわけです。

「生きる」ことを最優先し、残りの時間でよく学び(働き)、よく遊べ、ということのようですね。

Jason Fitzpatrick(原文/訳:山内純子)

[ライフハッカー]

Posted by nob : 2010年10月28日 21:41

どんな存在という結果の背景にも様々に表層からは見えない原因がある

咲き誇る花を見れば

土の下の根を思え

[Roots]

Posted by nob : 2010年10月26日 23:45

自らに足枷をかけるのは、、、

競争意識と所有意識。。。

Posted by nob : 2010年10月25日 01:34

苦手なもの Vol.4

様々な業種における業界。。。

Posted by nob : 2010年10月24日 11:33

相手との隔たり

時として想像もつかないような理解と反応をしている。。。

Posted by nob : 2010年10月24日 02:00

上を向いて歩こう

横を見ても

下を見ても

見えるのは今いる場所とこれまで通ってきた途、、、


これから進まんとする明日への途は

上を向いてこそ初めて見えてくる。。。

Posted by nob : 2010年10月14日 00:46

ブライド、、、

それは自らに課す最大の呪縛。。。

Posted by nob : 2010年10月13日 00:06

自らを語らんとすればするほど、、、

相手との間の溝は広がり深まるばかり。。。


想いの幾許も伝えられないし、、、

たとえ伝えられたとしても想うように理解されることはない。。。

Posted by nob : 2010年10月12日 23:08

人としての真の強さ Vol.3

また新たな自らを探し求めて試行錯誤を重ねること、、、

それが冒険心。。。

Posted by nob : 2010年10月09日 15:10

人としての真の強さ Vol.2

自らの在り様をあらためて見つめ直してみること、、、

それが探求心。。。

Posted by nob : 2010年10月09日 15:03

出発点と到達点は同一

一つ一つ積み重ねて

まさに極めんとする最後の一歩は

それまでのすべての蓄積に囚われない

諸行無常を知ること

結局はぐるりと廻ってまたふりだしに

いかなる行為や成果も泡沫の夢

そのことに気付くことさえできれば

極めんとしていくすべての過程に学びと悟りがある

Posted by nob : 2010年10月09日 01:42

人としての真の強さ

自らを疑ってかかることができる、、、

それが好奇心。。。


拘らず

留まらず

流されながら漂い生きていける勇気、、、

それが真の強さ。。。

Posted by nob : 2010年10月09日 01:35

芸術とは、、、Vol.4/似て非なるもの Vol.20

アートレベルのクリエイティビティーと

コマーシャルレベルのクリエイティビティー、、、


アートとビジネスは

創作の過程においては相容れない。。。

Posted by nob : 2010年09月28日 02:10

芸術とは、、、Vol.3

あくまで

自らの内なる絶対的価値基準に照らした一つの結果に

後から第三者の共感が得られるものがアートワーク。。。


第三者の客体的価値基準に照らして創作されるものに

真の共感は得られない。。。


何故なら

アートワークはアーティスト自身とその在り様そのものに他ならないのだから。。。

Posted by nob : 2010年09月26日 01:43

芸術とは、、、Vol.2

人がその人であるための指標。。。


創作のベクトルが

あくまで自らの内に向かえば

創造性も高まるけれど、、、


自らの外に向かえば

それだけ創造性は失われていく。。。

Posted by nob : 2010年09月26日 01:16

芸術とは、、、

人にとって、、、


肉体的生存のためには

最も不必要なものだけれど、、、


精神的成長のためには

最も必要なもの。。。

Posted by nob : 2010年09月24日 23:19

成熟していくこと

それは、、、

自らのなかの

自らにとっての無駄を削ぎ落としていくこと。。。

Posted by nob : 2010年09月21日 10:48

いずれにせよ、それらの前段階第一歩として、自立独立心を持って自らそれぞれの現況に臨むことから。。。

■「若者に起業勧めるのは嘘つき」 ひろゆきがホリエモンに反論?

2ちゃんねる開設者のひろゆき氏(33)が、就職氷河期だからといって、若者に起業を勧めるべきではないとブログで説いている。ホリエモンがブログで起業の勧めを書いていただけに、それを意識した可能性はあるが、どうなのか。

「若者に起業を勧める嘘つきな大人たち」

ひろゆきこと西村博之氏が、自らのブログで2010年3月14日、いきなりこんな刺激的なエントリーを更新した。
「素人いきなり参入しても失敗確率かなり高い」

ひろゆき氏によると、不況で就職できないなら起業しろという文章をよく見かけるとして、思い立ったという。そして、「こういうことを言う人は嘘つきか、バカか、無責任な人」と挑発している。

その理由として、ひろゆき氏は、社会人の経験も資本金もないのに、商品を作ったり、売り上げを上げたりするのは難しいことを挙げる。ITバブルの時期とは違って、今はどこの会社もITや商売の知識があるとして、「素人がいきなり参入しても失敗する確率はかなり高い」と断じた。

もし素人の出番があるとしても、マルチ商法など一部に限られるという。

ひろゆき氏は、不況時に起業を勧める人を「実業家ではない社会人」など3タイプに分けている。しかし、ブログのコメント欄には、ホリエモンを意識しているのでは、との声が相次いでいる。

ホリエモンこと元ライブドア社長の堀江貴文氏(37)は、自らのブログで2月1日、この時代は起業するのが「一番安全で確実」と論じていた。その理由として、既存の会社の半分が「溺死」していく中で、自らの会社なら制御可能で氷山にぶつかりにくいことを挙げていた。そして、搾取されるフランチャイズオーナーはダメだが、「利益率の高い商売」などを兼ね備えた業種を選べばよいとしていた。

いわば、こうした起業お勧め論について、ひろゆき氏の主張はアンチテーゼになっているということだ。

実際は、ひろゆき氏がホリエモンを意識したのかどうかは、ブログでは分からない。とはいえ、ネット上では、不況下での起業の是非を巡って激論が交わされているのは事実だ。

「起業は、自立への最大のチャンス」

例えば、人気ブロガーのChikirin氏は、2010年3月9日のエントリー「就職氷河期 サイコー!」で、不況下で若者が「『雇ってもらう』ことをあきらめ、起業する」などすれば、日本の未来は明るいとした。若者がITや創造性や語学などに夢を賭けるようになるからだという。

一方、アメリカにMBA留学中の女性は同14日、自らのブログ「My Life in MIT Sloan」で、起業を助けるプロがいて凡人でも起業できるアメリカと違って、日本では、周到なビジネスプランと資金調達策がある「マッチョ」でなければ起業できない、などと指摘している。

J-CAST会社ウォッチで「『稼げる人』の仕事術」を連載中の高城幸司セレブレイン社長は、社会経験がある程度あれば起業を考えてもいいとの立場だ。

「日本では、大学を出てすぐの起業は早急過ぎます。社会のルールを学んだ方がいいからです。そこが、社会経験のある大学生が多いアメリカとは違います。しかし、起業は、一つの選択肢として頭の中に入れていた方がよいと思っています」

その理由として、高城氏は、日本でもはや会社が頼れない存在になっていることを指摘する。

「50歳以上の生活保証の見込みがある人は会社に残ってもいいですが、今は、会社でだらだら過ごしていると40代でリストラされる可能性があります。それで、起業しなかったことを後悔する人も多いんです。起業は、自立への最大のチャンスなんですね。将来が確約されてなくて、やりたいことが漠然とでもある人は、起業を考えて損することはありません」

今後、若い人が増大する高齢者を支えられなくなったり、デフレでお金が稼げなくなったりすれば、生き残り術としての起業の重要性はますます高まるという。

「20年前と違って、制度整備などで劇的に資金調達しやすくなりました。ネットの普及で初期費用も下がっています」。ただ、高城氏は、ベンチャー企業にオープンでない商習慣がまだネックになっているという。「日本で、フランチャイズが多いのはそのためですね。お金を出すよりむしろ、仕事を出すようにすべきです」と話している。

[JCASTニュース]

Posted by nob : 2010年03月20日 18:22

学ぼうとするのであれば、、、成功者からではなく 、、、失敗者を(反面)教師に。。。

なんか、美味しい儲け話ない???

あったら、誰にも教えずに私がやります。。。


これは、世の中の定理、、、

本当に価値のある情報は、少なくとも相応な対価なしに手に入るものではありません。。。


また、成功に近道などありませんし、簡単に真似できるほど安直なものでもありません。。。


それに、もはや、成功という基準も、イコール報酬や社会立場の向上といったような単一的なものではなくなって久しく、、、

何より、成功は次の失敗への、さらには、その次の失敗もまたその次の成功への一過程に過ぎないのです。。。


それでも何らか他者から学ぼうとするのであれば、、、

失敗者、あるいは再起の過程であがく人達を学習の対象にすることが、ネガティブな側面を除外した成功者の空虚な自慢話からよりも、はるかに実のある学びを得られます。。。


百聞は一見にしかず、、、

自らの経験に優る学習はありませんし、、、

急がば回れ、、、

試行錯誤を重ねつつ自らの方向性と方法論を積み上げていくこと、、、

(自ら納得できる)なにものかへの終わりなき旅を続けていくことこそが、本来すべての人の進むべき途だと、私は確信しています。。。

Posted by nob : 2010年03月20日 18:12

世界を変えていくこと、、、それは自分自身を変えていくこと。。。

第三者や組織や社会に依存従属することから脱却し、

個人としての自立をはかるところから、

自由へのそして各人の幸福への扉は初めて開きます。


自立した個人の総合のうえにこそ、

公正かつ公平な社会は初めて成立しうるのです。


自分自身が変われば、

周りが変わり、

さらにその周りが変わり、

やがて世界が変わっていくのです。


いつの世もあてになるのは自分自身だけ、

会社や国に頼っても、結局は裏切られるだけ、

会社に依存従属して、賃金をあてにしても、いつ切り捨てられることやら、

退職後は、退職金とすでに破綻している年金をあてにしたところで、よくて切り詰めた倹約だけの何もないことをひたすらに願い、健康不安に日々おののき、蓄財と余命を量りにかけ続けるだけの人生、悪ければ将来の国家破綻も絵空事ではありません。


自分自身以外のすべての呪縛から自らを解放し、

人生とは明日をも知れぬそもそも不安定なものという真理を受け容れたその日から、

私達一人一人の本来の人生の扉は開かれるのです。

安定、それは従属の対価なのですから、

自由を手に入れるためには、明日は明日の風が吹くと開き直る勇気を持つしかありません。


人は誰も、自己を実現していく過程においてしか、心からの幸せを感じることはできないのです。

自分が何処に行きたいのか、何を手に入れたいのか、これは最も身近なそして同時に最も深淵な人生のテーマです。

たとえそれが錯覚だったとしても、少なくともその時々においては、それと信じる目的に向かって実現への道筋を自ら描き、そして修正し、日々歩を進めていきさえすれば、いつの日か最も奥底にある内なる本当の心の声を聞くこともできるかもしれません。

たとえ、それを聞くことができなくとも、自らの内なる心の声に耳を傾け続けようとする限りは、日々のすべての過程に対して、あわよくば充足感を、少なくとも納得することだけはできることでしょう。


私達が自由競争資本主義社会に生き続ける限りは、

まずは、自由を手に入れ、自己を実現していくために、それが何であれ自らが必要とする資金を得るための生涯労働を前提としたライフデザインが不可欠でしょうし、

公正で公平、そして平和な社会を創っていくためには、

例えば自らがもしも首相だったとしたなら、どのように社会を変革していくのかという具体的な視点を常に持ち続けることが第一歩です。

自らのために社会を、そして社会のための自らを考える二つの視点をバランスしない限りは、決して自らも社会も救うことなどできようはずもないのです。

Posted by nob : 2010年01月12日 01:15

世界は個人一人一人からしか、、、さらにまたボトムからしか変わってはいかない。。。

組織が主役の高度経済成長時代20世紀から、、、

個人を核とした21世紀を迎えてはや10年。。。


新しい個人の時代に即した新たな経済構造とビジネスモデルを模索しつつも、

未だ何ら明確な方策はおろか、進むべき方向性すら、どこからも提示されてはいません。


進むべき道筋を示すべき立場の政府や企業経営者の多くは、

すでに失われて久しい過去の安住の地という幻想にすがりつき、

政治家や官僚は、そもそも返済の見通しのつかない税金のという国家破綻までは無尽蔵の借り入れ金に群がり、

企業経営者の多くは、まるで貯蓄を切り崩して倹約をする失業者のように、自らの最後の宝であるところの労働者すら切り捨ててしまっています。


強い者同士は手を取り合って砦をつくり、弱い者は日々切り捨てられて、ますます貧富の格差は拡がるばかりです。

どの時代においても、社会の強者と競争の勝者という既得権益者達は、変化というものを嫌います。

閉塞硬直化し、破綻を迎えた体制を打破し、新たな時代を創るのは、何時の時代においても、どの国においても一般民衆の下からの総合力に他なりません。

時代は上からは決して変わらない、、、そもそも本心では変える気などないのですから。。。

Posted by nob : 2010年01月12日 01:10

2010年、CYCLELLC始動します!

スタッフ個々の基準、プロジェクトベースにおいては、既に様々な取り組みが開始されてきていましたが、

トータルコンセプトに基づき、合同会社サイクルとしてのコラボレーションを、2010年開始していきます。

まずは第一弾、

CYCLELLC / ART COLLABORATION AND COOPERATION UNITから始動します。

Posted by nob : 2010年01月12日 01:07