せぬ隙が、面白き。

 

万能を一心につなぐこと。

見所の批判に云はく、「せぬ所が面白き」など云ふことあり。これは為手の秘する所の案心なり。まづ二曲を初めとして、立ち働き・物真似の種々、ことごとくみな身になすわざなり。せぬ所と申すは、その隙(ひま)なり。このせぬ隙は何とて面白きぞと見る所、これは油断なく心をつなぐ性根なり。舞を舞ひやむ隙、音曲を謡ひやむ所、そのほか、言葉・物真似、あらゆる品々の隙々に心を捨てずして用心をもつ内心なり。
この内心の感、外に匂ひて面白きなり。かやうなれどもこの内心ありと他に見えて悪かるべし。もし見えば、それはわざになるべし。せぬにてはあるべからず。無心の位にて、我が心をわれにも隠す案心にて、せぬ隙の前後をつなぐべし。これすなはち、万能を一心にてつなぐ感力なり。

[『花鏡』世阿弥]

 

すなわち「せぬ隙」は、何もしないことや息を抜いて休んでいることではなく、実はその正反対。動いているとき以上の高密度のエネルギーが内部で張り詰めて、ずっとつながっていることなのです。そしてその心は気配として微塵も表に現れてはならぬ。わが心をわれにも意識させぬ、無心の境地に入ること。これはもう芸道の修練ではなく、禅の悟道そのものに思えます。充実した一念一念を、一瞬一瞬とつなぎ、積み上げ一生となる。有と無、自と他の境を超越すること。

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