亡き田部井淳子氏も曰く「私は登山家ではなく、登山愛好家だ」

“好き”に“引退”はない?生涯現役のススメ
才色健美~強く、そして美しく〜 with Number
俳優・田辺誠一さんが番組ナビゲーターを務め、ゲストの「美学」=信念、強さ、美しさの秘密を紐解き、そこから浮かびあがる「人生のヒント」を届ける、ス ポーツグラフィックマガジン「Number」と企画協力したドキュメンタリー&インタビュー番組『SHISEIDO presents才色健美 ~強く、そして美しく~ with Number』(BS朝日、毎週金曜22:00~22:24)。9月13日の放送は、マラソンランナーの谷川真理さんが登場。マラソンを始めたきっかけ や、“生涯現役”を掲げることへの思いなどについて語った。
■夢が叶わなかったからこそ、続けることができた
通常、体力は年齢と共に衰えていくもの。しかし、ときにその常識が当てはまらないこともある。谷川さんは、「少しずつでも練習を頑張っていくと、走る距離 も少しずつ伸びていく。年齢を重ねているのに、記録をどんどん短縮している自分がいる。走れば走るほど“私って意外と走れるんだ”と、進化していることを 実感します」と力説する。
現在56歳の谷川さんは、今も現役のランナーとして走り続ける。初めて走ったのは、30年以上前。場所は、多くの人で賑わう皇居の外周だった。「24歳の 春に、当時勤めていた会社の同僚から皇居でのお花見に誘われて。行ってみたら、たくさんの人が走っていたので、私も明日から走ってみようと思ったのがきっ かけ。会社から皇居までは直線の距離で2~300mくらい。毎日、会社のお昼休みの時間帯に走っていました」と振り返る。
皇居から始まったランナー人生。市民マラソンで頭角を現し、1991年の東京国際女子マラソンで初優勝。翌年に開催されるバルセロナオリンピックの代表候 補にも選出されたが、惜しくも出場の夢は叶わなかった。谷川さんは「結果論ですけど」と前置きしつつ、「実は、オリンピックに行けたら辞めてもいいかなっ て思いもちょっとあって。行けなかったからこそ、マラソンをここまで続けさせてもらえた、ということだと思います」と打ち明けた。
■好きなことに“引退”はない
そして、4年後の1996年。谷川さんは、アトランタオリンピック代表を目指して最終選考会となる名古屋国際女子マラソンに出場するが、順位は奮わず落 選。谷川さんは、「翌週くらいに、市民マラソンにゲストランナーとして呼んでもらったけれど、どんな顔をして行けばいいのか分からなくて」と、当時の心境 を語った。「でも、実際に行くと、本当にたくさんの方が温かく迎えてくださって、“真理ちゃん、これからも一緒に走っていこうね”と声をかけていただきま した。別に辞める必要はないし、マラソンが好きだったら、市民ランナーとして走り始めた頃の自分に戻ればいいんじゃないかと思えました」。
谷川さんは「そもそも引退ってなんだろう。走ることが好きなら、そのまま走り続ければいい」と考えるようになり、それ以降、どんな苦境に立たされても、どんなに結果が悪くても、頭の中に“引退”の文字が浮かぶことはなかったという。
谷川さんは、2019年6月に開催された「第5回いしのまき復興マラソン」で撮った一枚の写真を手に、あるエピソードを披露した。映っているのは、谷川さんと、80~84歳部門の世界記録保持者である83歳の市民ランナー・中野陽子さん。ゴールした後の2ショットだ。
「陽子さんは早く歳をとりたいとおっしゃるんですよ。年代別のカテゴリーをもう一つ上がって、そこでまた世界記録を出したいと。年齢に関係なく挑戦されている、陽子さんのハートが素晴らしいんです」。
中野さんと出会い、“生涯現役”との思いをより強くした谷川さんは、マラソンを「人生を充実させる手段」だと表現。練習の苦しさも、完走し終えた喜びも、 そのすべてが自身の人生に彩りを与えてきた。今も様々な大会にゲストランナーとして参加している谷川さん。胸を張って“生涯現役”と言える何かを見つけ、 “走り続ける”ことの大切さを、現在進行系で伝え続けている。

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