自分が考えたとおりに生きなければならない、、、そうでないと、自分が生きたように考えてしまう。。。Vol.3

 

自由な人生…
自分自身を救える人生…
人の数だけあるそれらは、具体的にどんな人生なのかをよく考え抜いて、そんな人生を送れるように必要な準備を始めなければなりません。

そうでなければ、人は自由に、自らの心に忠実に生きるのではなく、単によく慣れて安定感を得られる事柄ばかりに囲まれた、これといった変化も挑戦も成長もない人生を送り逝くことになるやもしれません。

 

「これからたくさん時間があるのに、何も急ぐ必要はない。ゆっくり考えればいいだろう」
もしもこんなふうに考えている人のために、以下は十余年ほども前に新聞で紹介されたある95歳の方(103歳で逝去)の告白です。

『私は、若い頃、熱心に働きました。
その結果、私は認められ、尊敬されるようになりました。

そのお陰で、65歳のとき堂々と引退することができました。
そんな私が30年後の95歳の誕生日に、どれほど後悔の涙を流したかしれません。

私の65年の生涯は、誇らしく堂々としていましたが、その後の30年の人生は、恥ずかしく悔やまれる悲痛な人生でした。

私は引退後、「もう十分生きた。残りの人生は、おまけみたいなものだ」と考え、
ただ苦しまずに死ぬことだけを待っていました。

むなしい希望のない人生、
そんな人生をなんと30年も過ごしました。

30年という時間は、今の私の年齢、95歳の1/3にあたる、とても長い時間です。
もし私が引退したときに、
あと30年生きられると思えば、
こんな風には生きてこなかったはずです。
そのとき私は、自分は年老いた、
何かを始めるにはもう遅いと思っていたのが、大きな過ちでした。

私は今95歳ですが、意識は明瞭です。
あと、10年、20年、生きるかもしれません。

私はこれから、やりたかった語学の勉強を始めようと思います。
その理由は、ただ一つ。

10年後に迎える105歳の誕生日に、
95歳のときになぜ何も始めなかったのかと後悔しないためです』

 

長い時間でも、短い時間でも、意識的に生きなければ、時間はただ流れていきます。

「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私は林檎の木を植える」
「すべてのことは願うことから始まる」
『「今でなくても」が、「やらなかった」になるのは実に早い』
場所や時間を超えて相通じるこれらは、ドイツの宗教改革者ルターが遺した名言です。

 

さらに過日のウェブ記事ファイルから、
脳科学者・中野信子氏のコラムも再度ご紹介します。

 

Vol.4に続く

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