現実はいつも、、、物語よりもドラマティック。。。

 

生まれてまもなく養子に出されたローラ・メイブリー(53)は、2019年、自分の実の親を見つけ出す。そして、その出会いが51年前の切なすぎるラブストーリーに、ハッピーエンドをもたらした。

1968年の春のある日、ホーン家とクーギル家は話し合っていた。といっても口を開いていたのは主に両家の父親たちだ。「(息子の)ジョーには、あなたが望むようになんでもさせます」。クーギル家の父親はそう言った。

高校2年生のチアリーダー、ドナ・ホーンは妊娠していた。子供の父親は学校のスター的存在、ジョー・クーギル。彼はそのとき、高校1年生だった。

「もしドナさんと結婚するよう望まれるなら、そのようにさせます。もし秘密を守れと言われれば、守ります。ドナさんが子供を産むならば、ジョーは彼女のサポートをするし、もし彼女の人生に関わらないで欲しいとおっしゃるならば、彼はそれに従います」

ドナの父は、ジョーには2度と娘と話して欲しくないと答えた。

決定権を持つのは親だ。こうしてジョーとドナは、2度と電話をしないと約束させられ、2年間の関係は涙で終わりを迎えた。

それから50年間、この約束は守られることになる。51年後のある日、彼らの間に生まれ、養子に出された女性が彼らを探し出し、引き合わせるそのときまで──。

「私にとって彼女がすべてでした」

2人の出会いは秋だった。廊下ですれ違いざまに微笑んだり、ランチ中にウインクを交わしたり……。家では毎晩、10分だけ電話で話すことが許されていた。彼らは、家族に会話を聞かれないよう、こっそりと気持ちをささやきあった。

「お互い初恋でした」。ジョーは米地方紙「インディアナポリス・スター」の取材にこう答えている。「私にとって彼女がすべてでしたし、彼女にとっても私がすべてでした」。

学校でジョーはスーパースターだった。彼は1年生ながらアメリカンフットボールのクォーターバックを務め、バスケットボールでも代表選手になり、陸上競技や野球でも活躍していた。

ドナは、チラリとしか彼を見られなくても、彼が出るイベントすべてに足を運んだ。若い2人は、週末が待ち遠しかった。ときどき、彼らはどちらかの家でだらだらと土曜日を過ごすことが許されていたのだ。

「言い合いになったことは一度もありません。すごくうまくいっていました」とジョーは振り返る。

しかし、1968年4月、ドナの妊娠が発覚すると、両家族での話し合いにより、2人は引き離された。

ホーン家は、すでに引っ越す準備ができていた。引っ越しは、行方をくらませる完璧な口実だったのだ。ジョーを失うことは、「悲しみに打ちのめされることでした」とドナは語っている。

1968年11月5日。ジョーの17歳の誕生日に、ドナは子供を出産した。悲しかった。彼女はジョーを愛しており、彼の誕生日は、彼と一緒にいられないことを思い出させる冷酷なリマインダーだった。

彼女と母親は長い時間をかけて話し合い、赤ちゃんを産んだ後、抱くこともなければ、見ることもしないと決めていた。二度と会うこともない子供だ。

ところが、「間違いが起こりました」とドナは言う。

ナースがやってきて、ドナの腕に赤ちゃんを置いた。30分間、彼女はその子を抱いていた。苦しい時間だったと言う。

一方ジョーは、自分の人生を歩んでいた。新聞記事は彼のスポーツでの活躍を褒め称えていた。もちろん噂は広まり、「みんなが真実を知りたがりました」。そ れでもジョーは無言を貫いた。彼もまた、胸を痛めており、何人の女の子に言い寄られてもデートをすることはなかったという。

ジョーはその後のことを何も知らされなかった。ドナが子供を産んだのか、女の子か男の子か、彼女が育てているのか、養子に出したのか……。彼は、彼女が精神的、肉体的に追わされた犠牲について幾度となく考えた。

「彼女の気持ちや、彼女の経験したことは、自分の100倍の重みがあることです」とジョーは語っている。

家族の誰にも似ていない自分

ドナと別れてから50年の間に、ジョーは2度結婚し、離婚した。2人の子供がいた。高校で教えながら、サングラスの会社も経営していた。2019年になったとき、彼は独身だった。

ドナも高校卒業後、2度結婚した。2011年に2人目の夫がガンで亡くなった。ドナは乳がんを乗り越え、3人の子供がいた。2019年、ドナもまた独身だった。

ドナが養子に出したローラ・メイブリーは素晴らしい養父母のもとで育ち、恵まれた人生を送っていた。彼女は、実の両親であるドナとジョーと同じように、インディアナポリスのフランクリン・セントラル高校に通った。

本当の両親はどんな人なのか……。彼女はいつも考えていた。「自分は家族の誰にも似ていないな」と。現在、彼女はアーカンソー州に暮らしている。「悩んでいたわけではありませんが、私の頭にはいつも疑問がありました」。

ローラは1995年、男の子を産んだ。1998年には、女の子も生まれた。

「生まれて初めて、自分と似た人に出会いました」。「私はこの子に似ている。そして、他にも自分と似た人がいるはずだと考えるようになったのです」

自分のルーツを知りたい、生物学上の両親を見つけたいという彼女の好奇心は、ますます強くなった。だが、ときは1990年代。まだ、インターネットは整っておらず、捜索活動は現在よりはるかに難しい。

彼女はその思いを意識の奥に押しやったが、頭から消え去ることはなかった。

50年越しのハッピーエンド

2019年6月29日、ジョーはメールを受け取った。

「こんにちは。ドナからあなたの名前を聞きました。なんと言えばいいかわからないけど、あなたは私の生物学的な父親だと思います。あなたから何かをもらったりするつもりはありません。ただ、自分のルーツを知りたいと思っています」

きっかけは、ローラの夫がプレゼントとして「23andMe」のDNAテストキットを贈ったことだった。彼は、テレビで生き別れた家族が再会するシーンを見ながらむせび泣くローラの姿を見てきた。

ローラは、検査結果をベッドに座って読んだ。親戚がいることがわかった。叔父の苗字は「ホーン」だ。彼女は何度も何度もそれを読んだ。それから、ドナの姉妹の存在が浮上した。彼女は手紙を書き、連絡先を知らせた。

こうしてドナから連絡が来たのだ。「私があなたの実の母です。聞きたいことはなんでも聞いて」。そしてドナはローラに、父親の名前を伝えた。

運命のいたずらだろう。ローラはすでにジョーを知っていた。彼女の高校時代の親友が、ジョーの甥と結婚していたのだ。

彼女が初めて電話でジョーと話したとき、彼がまずこう言ったという。「なんてことだ、もしあなたがドナに似ているなら、ものすごく可愛らしいに違いない」。

その声から愛が感じられて、ローラは素敵だと思った。そして、ローラはドナとジョーが連絡をとれるよう計らった。彼らは話し始めると止まることがなかった。彼らが再会し、抱き合ったとき、50年の年月が吹き飛んだように思えた。

「出会って、抱き合って、泣きました」。ジョーは言う。

2020年5月、彼らは結婚した。ドナはいま70歳、ジョーは69歳だ。

彼らを結びつけることは、ローラが意図したことではなかった。ただ、ルーツを知りたかっただけだ。自分が愛によって生まれたのか知りたかった。

50年前のラブストーリーの完結に立ち会えて嬉しいとローラは言う。

それに、彼女も答えを見つけた。そう、彼女は愛ゆえに生まれたのだ。

[COURRIER]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です