■70代で死ぬ人、80代でも元気な人 第3回
70代で老け込む人、80代でも輝く人―決定的な差を生む、「衰え」に対する考え方の“違い”とは
人生100年時代――充実した老後のためには老後資金計画など“準備”も欠かせませんが、年齢を重ねるなかで、はつらつと過ごせる体とマインドを維持することも同じくらい重要です。
では、どうしたら、はつらつと年齢を重ねることができるのか?30年以上にわたって高齢者専用の精神科医として、医療現場に携わってきた和田秀樹氏は、70代が「ターニングポイント」だと指摘。70代を無事乗り越えることができれば、元気な80代を迎えられると言います。ただ、裏を返せば、70代には注意すべき危険が潜んでいることを意味します。
そんな70代を乗り越えるための「習慣」と「心がけ」についてのアドバイスがまとめたれた話題の書籍『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』から、第1章の一部を特別に公開します(全3回)。
※本稿は和田秀樹著『70代で死ぬ人、80代でも元気な人』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。
若いころのようにはいかないことを、逆に面白がる
これは仕方のないことですが、70代になれば、体力も集中力もそれなりに衰えてきます。
「昔はこれくらいの作業なら1時間でできたのに」「一日中、本を読んでも集中できたのに」など、50代、60代のころまでならできたことが思うようにいかなくなってきます。
すぐに疲れてひと休みしたくなる、集中できなくて眠くなったり頭に入ってこなくなる。その程度のことならほとんどの70代が自覚していると思います。
でもそこで、「もう好きな本を読むなんてできないんだな」と考えるとどうなるでしょうか? 「体力を使うことはムリだな」と諦めたらどうなるでしょうか?
その時点で、テレビの前に座り込んでしまう、無気力な70代の仲間入りです。
少しぐらい体力が落ちても、時間をかければできないことはありません。体力が半分に落ちたのなら、倍の時間をかければできる計算です。そこで「やってられないな」と考えるのではなく、「面白いな」と考えてみてはいかがでしょう。
実際、面白いのです。
あんなにテキパキできたことがゆっくりしかできない。そのかわり、のろのろやってみると「そうか、こういう仕組みだったのか」とか「この作業がポイントだったのか」と気がつくことが出てきます。
以前だったら、おそらく休みたいと思っても「これくらい一気にやらなくちゃ」と頑張り続けたのでしょう。つまり若いころというのは、何をやる場合でも楽しんだり面白がったりする余裕がない。「時間」や「効率」にどうしてもこだわってしまうからです。
高齢になれば違います。
体力が落ちた、集中力も記憶力も落ちたとなると、これはもうできないことを面白がるしかないのです。
本を読んでいても「あれ、ここは昨日読んだページじゃないか」といったことがよくあります。「まあ、面白いから何回読んでもいいか」「昨日は読んでも頭に入らなかったけど今日は入るな」などと思い直せば、何か新しい発見をしたり、いままでとは違う読み方ができるかもしれません。
そういう面白さに気がつけば、たとえ時間がかかるようになってもとにかく読みたい本を最後まで読み通すことができます。少なくとも「一気に読めないから止めよう」とはならないはずです。
できなくなったことを面白がるというのは、やりたいことをやり続けるためのコツなのです。
いまできていることは、何も諦めなくていい
時間がかかろうが体力や集中力が衰えようが、いまできていることを諦める必要はありません。まったくできないというのならともかく、ペースを落としても休みながらでも、やればできることはこれまで通りに続けてみる。
「もう歳なんだから、疲れることや負担になることはやらなくていい」と考えてしまうと、結局は何もしない暮らしになってしまいます。楽には違いないでしょうが、そういう諦めの境地はまだ70代には早過ぎます。
もっと老いに逆らう気持ちになっていいし、それが70代のフェーズだというのが私の考えです。
ですから、大きな目安として、老いに逆らって70代を乗り切り、それで元気に80代を迎え、その80代も後半になったら少しずつ老いを受け容れてムリはしない、好きなことだけのんびり楽しんでやっていく、そんな考え方でいいような気がします。
もし70代のうちに「歳だから」といろいろなことを諦めてしまうと、80代になったころにはできることがほとんどなくなってしまいます。というより「やってみようかな」という気持ちすら消えてしまいます。
本を読むようなことでも、庭いじりのような軽い作業でも、10年も遠ざけてしまうと興味がなくなってしまう可能性があるのです。
私はこの本を主に70代の団塊世代を意識して書いていますが、理想は80代になっても輝いて生きていることです。10年先の高齢期になっても輝き失わないために、危険な70代をどう過ごせばいいのかを考えています。
80代になっても輝いている高齢者には、まだまだ自分が楽しめる世界が残されています。趣味や日常生活の中で大事にしている時間がいくつもあって、出かけたり人と会ったりすることを苦にしません。といっても忙しく動き回るようなこともしませんから、一日がゆったりと流れていきます。
そういう80代の人がよく口にする言葉に、「退屈することはありません」というのがあります。周囲から見ればのんびりゆっくり過ごしているようでも、本人には一日の中に好きな時間や夢中になれる時間が散らばっていて、その一つひとつを楽しんでいるうちに一日があっという間に過ぎてしまうのでしょう。
そういう毎日を送れるのは、70代にいくつも自分にとって楽しみなこと、好きなことをやり続けてきたからです。
80代になって新しい趣味ややりたいことが見つかるというのはあまりありませんから、70代のうちはいつでも楽しめる世界を身に周りにできるだけ多く残しておくということが大事なことなのです。
70代になって似合ってくる世界がある
私は70代の男性を羨ましく感じることがあります。
それなりにシワが刻まれ、髪の毛も白くなったり、髭にも白いものが目立つような男性が、着慣れたジャケットでバーの片隅に座っているようなときです。
もう長く通っている店の、いつも座っているカウンターなのでしょう。ゆったりとくつろいでいます。
夕刻、早い時間の寿司屋でも同じです。70代らしき男性が悠然と好きな寿司をつまみ、日本酒をゆっくりと飲んでいる場面に出くわしたりすると、「いいなあ」と羨ましくなります。
旅行もそうですね。若いころは慌ただしいスケジュールに追われていますから、新幹線で地方に出かけるようなときでも、窓の外をのんびり眺める気持ちにはなかなかなれませんが、70代と思しき年代の旅行客は違います。とてもゆったりと構えて窓の外の景色を眺めたり、本を読んだりしています。
そういうさまざまなシーンに共通するのは、一人だということです。
70代になると、一人が似合ってくるのです。
べつに寂しそうでもないし、拗ねているようでもないし、かといって気負いも緊張している様子もありません。ごく自然体です。一人でいることが様になっています。
若い世代はそうもいきません。同じことを一人でやってもどこか固くなっていたり、落ち着かなかったりします。そもそも周りから見て浮いた感じがします。要するに、一人が似合わないのです。
これが80代となると、そこに飄々とした雰囲気さえ生まれてきます。
杖を手にしたおじいちゃんやおばあちゃんが、馴染みの蕎麦屋さんでゆったりと蕎麦を食べている様子というのは、これもまた高齢にならなければつくれない独特の雰囲気があります。
老いることは悲観的なことばかりではありません。
老いることを何もかも否定的に受け止めるのも間違いです。
老いてはじめて似合ってくる世界や様になる世界もあります。そのことに気がつけば、格好いい70代でありたいという気持ちも生まれてくるはずです。
[フィナシー]