他人との比較で悩む人に教えたい4つの心得 「抜け道を行く」ような心持ちが武器になる
私は精神科医として、45年間、延べ10万人以上の患者さんと向き合ってきました。その中には、
・自分は能力が低く、誰にも評価されない
・あの人はズルくて要領がいいのに、自分は不器用で損ばかりしている
・友人たちは、充実した生活を送っていてねたましい
という思いを抱えた人たちがたくさんいました。
そういった悩みや不安の根本的な原因は、どこにあるのでしょう?
拙著『人生に、上下も勝ち負けもありません 精神科医が教える老子の言葉』でも解説していますが、大きな理由の1つは「いつも他人と比べてしまっている」というところにあると、私は考えています。「他人と自分」という関係に悩み、過分に苦しめられているのです。
優劣をつけない老子の哲学
紀元前8世紀ごろの中国の春秋戦国時代と呼ばれる動乱期に活躍したといわれる古代中国の思想家・老子(ろうし)は、こんな言葉を残しています。
琭琭(ろくろく)として玉のごとく、珞珞(らくらく)として石のごときを欲せず。
これは、こういった意味の言葉です。
ダイヤモンドのような存在になったらなったで、それもいい。
石ころのような存在になったのなら、それもまたいい。
それが自然の姿なら、受け入れて、ただ生きていくだけ。
そもそも何かになりたいとかなりたくないとかではなく、自然のままでいいじゃないか。ダイヤモンドと石ころに優劣をつけて、ジャッジしたりはしないよ、というスタンスを老子は説いています。
老子に言わせれば、世の中にある物事について、いちいち「よい、悪い」「偉い、偉くない」「すごい、すごくない」というジャッジをすること自体がおかしい。
これを老子は「無為(むい)」という概念で説明していますが、どんな存在でも、自然のままにいれば、ただそれだけでいい、わざとらしいことをせず、自然に振る舞え、ということなのです。
私は精神科医ですから、カウンセリングをしたり、薬を処方したりするなどの医療的対処で、患者さんと向き合ってきました。
しかし、ときにそうしたアプローチより「老子の教え」が効くことがありました。
精神科医として現場で感じた「老子哲学」の効果
ある日、患者さんにポロッと老子の言葉を話すと、泣き出してしまったのです。
「効く」というのは、その人に生きる希望を与えたり、自らの環境や境遇のとらえ方を変える大きな気づきを与えたりするということです。
も ちろん私も最初から「老子の言葉がうつ病に効くだろう」なんて思っていたわけではありません。患者さんと向き合っている過程で、私が好んで読んでいた老子 の言葉をたまたま紹介したら、それがすごく心に刺さり、実際に症状がよくなっていく人がいる。そんなケースを何度も経験することになったのです。
こうした現場の体験を積み重ねていくと「老子の言葉が『心に効く』合理的な理由があるのではないか」と考えずにはいられません。
近年の精神療法といえば、認知行動療法、対人関係療法に代表される西欧由来の技法が重要視され、その効果が広く認められています。
もちろんその価値は揺るがないのですが、一方で、西欧的な精神療法が先進的であればあるほど、それに適応しにくいと感じるケースもじつは存在しています。
考えてみれば当然の話で、そもそもヨーロッパやアメリカと日本やアジアを比べれば、文化や価値観、思想などさまざまな違いがあります。
西欧はどちらかというと合理的で、父性的。オバマ前大統領の「CHANGE」のように「変わらなければならない」という思想が強いといえます。
一方、東洋のほうは母性的な「なんとかなるさ」といった思想が強く、ある意味「甘え」を許し、肯定してくれる。一概には言えませんが、こういった傾向があると思います。
ここ何十年かのうちに、とりわけ日本人は文化や価値観がかなり欧米化し、ライフスタイルも欧米に近づいたのは事実でしょう。しかし、根底には日本人ならではの感じ方や考え方がありますし、西欧の文化、文明とは異なる「東洋の価値観や思想」というものも当然あるわけです。
「心」という領域を扱う精神医療において、やはりそこを見過ごすことはできません。意義や効果が証明されている西欧由来の医療にも、やはり「日本らしいカスタマイズ」や「東洋思想に見合ったアプローチ」というものが、どうしたって必要なのです。
そういったアプローチの1つとして期待されるのが老子哲学。そんなふうに私はとらえています。
悩める人が陥りやすい「4つの心的傾向」
そもそも人はどんな種類の「心の問題」を抱えてしまうのでしょうか?
よく見られる心の傾向というのは次の4つに分類することができます。ちなみに、これはうつ病の心理特性を表したものです。
① 自分は弱い = 劣等意識
② 自分は損をしている = 被害者意識
③ 自分は完璧であるべきだが難しい = 完璧主義
④ 自分のペースにこだわる = 執着主義
これを踏まえて、老子哲学の要諦を私なりにまとめてみると、おもしろいくらいこれらの心的傾向に対応していることがわかります。
① 劣等意識
「自分は弱い」「ダメな人間だ」「あの人はすごいのに、自分には何もとりえがない」というのはとてもよくある心的傾向です。こうした劣等意識は、自分の内側に向けられた感情ということができるでしょう。しかし老子は……、
強い者が勝つ、弱い者が負けるというのは思い込み
② 被害者意識
「あいつはズルくて、要領がいいから得をするが、自分はいつも割を食っている」という、いわゆる被害者意識は、自分の外側に向けられた感情ということができます。①の劣等意識と②の被害者意識を同時に持っているという人もけっこう多いと思います。しかし老子は……、
多くを望まなくていい
③ 完璧主義
「自分は完璧でなければならない」「こう、あらねばならない」という完璧主義もよくある傾向の1つです。「完璧を求める」ということ自体が必ずしも悪いというわけではありません。その向上心がいいほうへ向かえば、仕事のクオリティーを高めることもあるでしょう。
ただしそれが、自分自身を追い詰めているというのはよくあるパターンです。その結果として「自分はダメな人間だ」という①の劣等意識につながるということも、もちろんあります。しかし老子は……、
しょせん、価値は相対的なもの。絶対的な価値基準など存在しない
④ 執着主義
③の完璧主義と似ているようで、少し違う心的傾向に「執着主義」「こだわり主義」というものがあります。
自分の考えや価値観に固執するあまり、他人や自分と異なる考え方を受け入れることができない。そうやって孤立してしまったり、人間関係のトラブル、ストレスを抱えてしまうというパターンです。しかし老子は……、
自然のまま、流れに任せて生きるのがいい
老子哲学とは「弱さを承認する思想」
もし老子が生きていたら、これらの心的特性について、このように話していたかもしれません。
いずれにしても、まず「自分はどういう心的傾向を持っているのか」ということを知っているだけでも、何かしらの対処をする一助になるので、この4つを覚えておくのはいいと思います。
私は精神科医として、こうした4つの心的傾向を(極端に)持つ人たちと日々向き合っているのですが、そうした人たちにも「老子哲学」が何かしらのきっかけとなり、気づきを与える可能性があると、現場を通して強く感じています。
老子哲学というのは、ある意味では「弱さを承認する思想」ですから、「甘えを認める哲学」と取られかねないところがあるのも事実です。
でも、今という時代を生きるには、老子のように「抜け道を行く」ような、ひょうひょうとした心持ちが、むしろ武器になるとすら思うのです。
著者:野村 総一郎
[東洋経済オンライン]