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また旅立つ君へVol.78
続けていく先に答えがある
Posted by nob : 2014年09月30日 14:27
理にかなっています。。。
■アンチエイジングには
食後1時間の運動が効果あり!
久保 明
[東海大学医学部 抗加齢ドック教授/慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科 特任教授]
アンチエイジングにとって、食事や睡眠とともに大事なのが運動です。いや、運動を抜きにしたアンチエイジングなどありえないと言っていいくらいです。といってもただやみくもに身体を動かせばいいのではありません。効果的なタイミング、適切な運動というものがあるのです。
まずは何度も紹介した老化の大敵「糖化」と運動です。過剰な糖が体内で蛋白質と結び付き、発生したAGE(最終糖化産物)が血管や内臓、皮膚などに沈着して機能低下を引き起こす、これが糖化です。糖化を予防するには、食べる順序を工夫する(第3回の懐石食べ)やGI値の低い食品を摂る(第4回)などがありますが、食後1時間に軽く運動するのも大変効果があります。
食後の運動、最適なのは?
食事をして血糖値が上昇し始めるのは血管の中にブドウ糖が入ってからです。食べた食事は胃、小腸に入ってでんぷんなど糖質がブドウ糖に分解されます。それから血管の中に入っていくわけですが、15~20分で血糖値が上昇し始め、1~1時間半程度でピークに達し、2時間位で下がり始めます。このピークの時にブドウ糖をエネルギー源として使う運動を行うと、糖化が抑えられるのです。ただし、激しい運動をしては消化を妨げることになりますので、軽い運動がお勧めです。
具体的には15分ウォークとハーフスクワット20回程度をすればいいでしょう。歩くことで有酸素運動、ハーフスクワットで筋肉を使う。この組み合わせが糖化を抑制するのです。ハーフスクワットは腰を軽く落とすくらい、膝も90度曲げれば十分です。
ハーフスクワットの代わりに階段の上り降りでもかまいません。15分ウォークは昼食を外に食べに行って歩いてもいいし、食後に散歩をして7~8分くらいの距離を往復してもOKです。朝なら朝食後、通勤で駅まで歩いたり、また駅の階段を上り降りすれば、糖化防止に役立ちます。
一番手軽な運動と考えられているのが歩くこと、ウォーキングです。皆さんの中にもポケットや鞄の中に万歩計を入れたり、スマホで歩数をカウントしている人もいらっしゃるのではないでしょうか。歩くことは大変いいことです。有酸素運動であるウォーキングは生活習慣病の予防や心肺機能アップ、ストレス解消にも役立ちます。
ただし、最近は「歩く」ことが多少、過大評価されているきらいがあります。毎日歩いてさえいれば、健康長寿につながる、と考える人が結構います。でも、だらだら漫然と歩いていても駄目。
アンチエイジングには歩行スピードが重要なのです。「歩行スピードが速い人は、遅い人に比べ、寿命が長い」というデータがあります。アメリカのピッツバーグ大学などのグループが行った調査で、65歳以上の高齢者約3万人を対象に歩行スピードと生存率の関係を調べたところ、ある範囲では歩行速度が毎秒10cm速くなるごとに死亡リスクが12%低下することが判明したのです。
やってみると分かりますが、歩行スピードを上げて歩くのはなかなか大変です。心肺機能はもちろん、足腰に筋肉がついていないと歩行スピードが上がりません。ウォーキングでは足腰に筋肉がつかないので、別に日常生活で筋力をつけるための体操や動作、トレーニングを取り入れて、足腰を鍛えながら歩行スピードを上げていくべきなのです。
足腰を鍛える代表的な運動がスクワットです。スクワットとは、直立したまま膝関節の屈曲、伸展を繰り返す運動です。プロレスの鍛錬などでおなじみですよね。プロレスラーは目一杯腰を落としたスクワットを1000回以上もやるという話も聞きますが、アンチエイジングでは膝を90度ほど曲げるハーフスクワットを20回~30回やるくらいでOKです。これでも足腰の衰えを防ぐには十分効果があるはずです。
認知症と運動の深い関係
運動は認知症予防にも効果があります。脳の視床下部のBDNF(脳由来神経栄養因子)には、脳の細胞を増やし認知症やアルツハイマーの予防作用があることが分かっています。このBDNFを増加させるのが軽い有酸素運動です。1日3.2km歩けばいいとされています。1日0.4kmしか歩かない人は、3.2km歩いた人に比べて1.8倍認知症のリスクが増すというデータもあります。
握力が弱くなると、認知症になるリスクが増えます。第1回でもお伝えしましたが、老化の度合いを測るバロメーターの一つが握力なのです。握力には全身の筋肉の衰えが顕著に表れてきます。筋肉の活動が衰えると、脳の活動も衰えるのです。厚生労働省の調査では、握力の強い人は脳卒中になりにくいという結果も出ています。最近、瓶の蓋やペットボトルの蓋を開けるのに苦労するようになったという人は要注意です。
WHO(世界保健機関)は健康長寿のためには、以下の4つを鍛えるべしという勧告案を出しています。(1)筋力、(2)持久力、(3)関節の柔軟性、(4)バランス力です。
筋力は、筋肉に力を込めるトレーニングで強くなりますし、持久力は有酸素運動のウォーキング、関節の柔軟性には各種ストレッチ、バランス力には閉眼片足立ちなどの動作が有効です。
ただし、運動をするにはそれなりの準備が必要です。狭い障害物のある場所で発作的に閉眼片足立ちなどはしないこと。鍛えるにも徐々に自分のペースでやることがお勧めです。また、駅の階段があればエスカレーターを使わずに上ったり、家で風呂の掃除を買って出たり、日常生活の中でこまめに身体を動かすように、「生活の活動度」を上げていくのもアンチエイジング的にはポイントが高くなります。
筋肉を保つための食事法
食事の点では、筋肉を保つためには蛋白質が必要です。高齢になり、筋肉量の低下が気になったら、肉を食べた方がいいのです。年を取ると、肉はよくないのではと思っているとしたら、むしろそれは逆。年を重ねると、筋肉量は加速度的に減っていきますので、運動とともに蛋白質の摂取が欠かせません。
肉の蛋白質には体内で合成されないアミノ酸が含まれています。肉を食べれば体に必要なほとんどのアミノ酸が摂れると言っていいほどです。中高年の蛋白質摂取の目安は体重1kgにつき1g、60kgの体重なら60gになります。肉のほかにも魚や大豆、豆類、卵などからバランスよく摂ってください。
今回のメディカル・トピックスは、「身体の機能評価と予後」の関係です。
(1)握力、(2)歩行スピード、(3)椅子からの立ち上がり、(4)片足立ちバランスは、将来の骨折リスク、認知機能低下とどう関係するか、という調査(2011年)です。握力、歩行スピード、椅子からの立ち上がり能力、片足立ちバランス、それぞれの低下と骨折リスクは関係していました。
一方、認知機能低下と握力低下は最も関係があり、歩行スピードの低下とも大きく関係があり、片足立ちバランスとは若干相関が認められる一方、椅子から立ち上がるとはほぼ無関係という結果が出ています。中年のうちからこれらの能力の低下には注意した方がいいでしょう。
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2014年09月30日 14:19
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」、、、どちらを選ぶかは自明のことと思いますが。。。
■もしもあなたが職場で「嫌われる勇気」を持てたら
嫌われて出世する人、ダメになる人の違いを大調査
宮崎智之 [フリーライター]
「嫌われる勇気を持ってこそ、人生を自由に生きられる」と説く、アドラー心理学に改めて注目が集まっている。その火付け役となった書籍『嫌われる勇気』はベストセラーを記録。ヒットの理由として、嫌われることに萎縮し、本来の自分を出せずに悶々としている人が世の中に溢れていることが推察される。我々が人目を最も気にするビジネスの現場を見ると、周囲に嫌われていても尊敬される人、出世する人がいる一方、嫌われて自らの立場を危うくしている人もいる。この差はいったい何なのか。ビジネスパーソンへのアンケート調査を基に、職場で嫌われることのメリットとデメリットを考察しよう。(取材・文/フリーライター・宮崎智之、編集協力/プレスラボ)
みんな、人目を気にせずに生きたい
でも「嫌われる勇気」を持てない現実
あなたは自由な人生を送るために、嫌われる勇気を持つことができるか――。
書籍『嫌われる勇気~自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎、古賀史健著/ダイヤモンド社)が、話題となっている。同著は、オーストリア出身でフロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨匠の1人、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)の思想を、哲人と青年の対話形式でまとめたものだ。
「人間の悩みは全て対人関係の悩み」「嫌われる勇気を持ってこそ、人生を自由に生きられる」という旨を説くアドラーの教えは、多くの日本人に深く刺さった。同著は、昨年末の発行以来大きな話題となり、40万部を超えるベストセラーとなっている。
これほどまでに同著が受け容れられた背景には、嫌われることを恐れる人が世に溢れているという現実がうかがえる。誰もが人の目を気にせず自由に生きたいと思うものだが、実際には嫌われることに萎縮して、本来の自分を出せずに悶々としている人が大勢いる。
それも無理はない。世の中の景気は上向いてきたとはいえ、多くの日本企業を取り巻く事業環境は依然として厳しい。一時は「追い出し部屋」などという言葉が流行り、成果主義的評価制度の定着も相まって、多くのビジネスパーソンは「なるべく失敗をしないように」「上司や同僚に嫌われないように」と、周囲の顔色をうかがいながら仕事をしている。
プライベートでも気が抜けない。特に最近ではSNSの普及もあり、自由な発言の場が増える一方、投稿によって人間関係のトラブルに発展するケースが相次いでいる。「ツイートの内容を、いつ誰にチェックされているかわからない」と、警戒心を抱くユーザーが増えている。こうして見ると、現代はかつてなく人の目を気にする機会が多い時代だと言える。
嫌われても出世する人と
嫌われてダメになる人の違いを大調査
しかし、このへんでちょっと考えてみたい。他人に嫌われないように気を配り続けることが、本当に全て自分のためになっているのだろうか、と。
我々が人目を最も気にするであろうビジネスの現場を例にとると、職場には「嫌われても尊敬されている人」「嫌われても出世している人」が、少なからずいるのではないだろうか。彼らのなかには、「嫌われないように」と八方美人に徹しているあなたよりも、よほど周囲からの評価が高い人もいるはずだ。もし、あなたの周囲にもそうした人がいるとすれば、それは自分なりの「嫌われる勇気」を実践して、成功している例なのかもしれない。
もちろん一方で、周囲に嫌われて自らの立場を危うくしている人も、数多く目につくだろう。この「差」はいったい何なのだろうか。嫌われることはリスクが大きいが、単に嫌われないことだけでもダメだとしたら、我々はいったいどうやって世渡りをすればいいのか。これは、私たちが考えるべき処世術としては、最も高度な判断力を要する課題の1つと言えるだろう。
そこで今回は、リサーチ会社「リビジェン」の協力を得て、全国の男女200人に対してアンケートを実施し、「職場における嫌われる勇気」に対する意見を聞いた(対象は20~50代/経営者・役員、会社員、公務員、自営業)。その結果を基に、職場で嫌われることのメリットとデメリットを考察しよう。
まず世間の人々は、ビジネスの現場で「嫌われる」ことに対して、どんな感想を持っているのか。「あなたは、職場で嫌われることが怖いですか?」という質問には、68.5%が「はい」と回答した。男女別で見ると、男性が64.1%、女性が73.4%となっており、女性のほうが嫌われることを恐れる傾向があるようだ。
さらに「嫌われることが怖い」と回答した人を年代別で見ると、20代が79.3%で1位となり、30代の65.2%、40代の61.5%、50代以上の33.3%と続く。年齢を重ねると人目が気にならないこともあるのか、はたまた自分の実力に自信を持てるようになるからなのか、いずれにせよ年齢を重ねるにつれ、嫌われることへの恐怖が薄れる人が増えていくことは確かなようだ。
「仕事が円滑に進まなくなる」
7割の人は嫌われる勇気を持てない
嫌われるのが嫌な理由としては、以下のような声が上がった。
「嫌われると、仕事が円滑に進まなくなる」(37歳・男性/営業職)
「職場に1人、絶対的な存在の人がいて、その人に目を付けられたくない」(24歳・女性/事務系)
「精神的に弱いので人から嫌われるのは怖い」(35歳・女性/事務系)
「会社に居づらくなってしまう」(25歳・男性/営業職)
「必要なときに助けてもらえない可能性がある」(29歳・男性/事務系)
「皆に好かれたい」(29歳・男性/技術系)
「嫌われると、契約を切られるのではと心配になる」(30歳・女性/事務系)
「1日のうちで職場にいる時間は長いので、周りとうまくやっていきたい」(29歳・女性/事務系)
このように全体を俯瞰すると、おおよそ7割近い人が「嫌われる勇気」を持てずにおり、またその理由は「嫌われること」に対する潜在的な恐怖心に端を発していると言える。
もちろん、ただ単に「嫌われる勇気」を持てばいいというものではない。そもそも嫌われることは諸刃の剣である。「嫌われる勇気」を実践するなら、嫌われることを気にせずに自分の流儀を貫いてもなお、尊敬される人物になることが理想であるはずだ。アンケート結果を見ると、意外なことに、全体の46.5%が「周囲にそのような人物がいる」と回答している。
明暗を分ける2つのキーワード
一貫性のある人は結局尊敬される
では実際に、「嫌われても成功する人」と「嫌われて失敗する人」との違いとは、何なのだろうか。アンケート結果からは、その明暗を分ける2つのキーワードが浮かび上がった。
1つ目のキーワードは「一貫性」だ。まずはこのキーワードにあてはまる、「嫌われても成功する人」の人物像や理由を見てみよう。事務系の女性(44歳)は、アンケートに対してこんなコメントを寄せている。
「意志が強く、他人の意見でふらふら振り回されず、正しいことを正しいと、上司・部下に関係なく発言する人がいます。始めは疎んでいた周りの人も『その人の言うことなら間違いない』と、その人を規範とするようにさえなっていきました。結果的には、我が社で最年少の役員へと上り詰めていきました」
さらに事務系の女性(27歳)からは、こんな意見も。
「たまに厳しすぎるときもあって、敬遠されがちの上司。でも、いつも他人を思いやり、決して他人の悪口を言わず、必ず会社が良くなるために行動していて一貫性がある」
他にもこんな声があった。
「甘えを見極めて、厳しく人を育てる先輩を尊敬しています。『甘えでできない』と『一生懸命やっているができない』とでは全然違います。『本当の一生懸命は人に伝わる』ということを教えてくれた方でした。いつも皆を平等に見てくれていました」(30歳・男性/自営業)
「嫌われてもしっかり筋の通ることを貫いて、信用を得ている人がいる」(27歳・女性/事務系)
つまり、どれだけ自分の意見を押し通そうが、厳しく振る舞おうが、その根底に「一貫性」があり、それが周囲のためになっていると認識されている人は、尊敬され、出世するということなのだろう。
逆に、「嫌われるだけ」のタイプについては、こんな意見が寄せられた。
「有言実行じゃない人、言葉に行動が伴ってない人、矛盾している人」(24歳・女性/事務系)
「活躍している人にはゴマをすり、努力しているけれど芽が出ない人には冷たい態度を取っていた同僚が、そのことが原因で仕事がなくなった」(28歳・男性/自営業)
「人に言うだけで、自分が実践できてない人」(36歳・男性/自営業)
人には厳しいのに自分には甘い、人によって態度が変わるなど、一貫性のない言動は嫌われる原因になるようである。
どんなに嫌われていようとも
業績さえ上げれば文句を言われない
2つ目のキーワードは「成績」だ。少し身も蓋もない話になってしまうが、利益を上げることが至上命題の会社組織では、どんなに嫌われようと業績さえ上げていれば文句を言われないという側面もある。
「営業成績がズバ抜けて良かったので、周りから嫌われていても部の中では大事な存在になっていた」(34歳・男性/技術系)
「ハッキリとものを言うから同僚からは非難されているが、営業成績がトップのため出世した人がいる」(33歳・女性/自営業)
「意見についていけない人であっても、仕事ができれば尊敬されると思う」(38歳・男性/技術系)
逆に、ただ単に嫌われるだけのパターンは次のようなものだ。
「仕事ができないのに、下の人に対してかなりの上から目線!」(28歳・女性/技術系)
「性格が悪い上、仕事ができない人がいます。特に実績がないのに態度がデカく、人に注意することを自分のほうがちゃんとできていないので、みんなに嫌われています」(29歳・女性/営業系)
実力主義の会社では成績を残している限り、「あの人はできる」と一目置かれるということだろう。しかし、このタイプはひとたび成績が下がれば一気に嫌われ者となってしまう可能性があるので、注意が必要だ。
嫌われる勇気を持つ以前に
ただ嫌われるだけのタイプは要注意
これら2つのポイントをよく研究し、地雷を踏まないように注意すれば、「嫌われる勇気」を実践しつつも、順風満帆な会社員人生を送れる可能性は高そうだ。
ちなみに、嫌われる勇気を持つ、持たないという問題以前に、「ただただ周囲から嫌われるだけ」というタイプも参考までに紹介しておこう。
「責任逃れをするタイプ」(45歳・男性/技術系)
「自分の非を認めない、他人の批判ばかりする、約束を守らない、口先だけで行動しない、という人が嫌われています。尻ぬぐいをするのは周りなので」(34歳・女性/事務系)
「嘘をつく人はダメです。最初は騙される人も多いのですが、最後はどこかでその嘘がばれ、辻褄が合わなくなり、結果、周りにも多大な被害をもたらすことになって、降格、解雇といった処分を受けた人が数人います。本人もそのことによりウツになり、会社に出て来られなくなったりしたこともありました」(44歳・女性/事務系)
「責任逃れ」「約束を守らない」「批判ばかり」「陰口」「嘘」などは、ここで紹介したコメント以外にも多く見られるキーワードだった。決して、そういうイメージを周囲に与えてはいけない。心当たりのある人は、すぐに改善したほうがいいだろう。
変わることで生まれる不安と
変わらないことでつきまとう不満
最後に、書籍『嫌われる勇気』からこんな文言を引用したい。
「あなたはご自分のことを、不幸な人間だとおっしゃる。いますぐ変わりたいとおっしゃる。別人に生まれ変わりたいとさえ、訴えている。にもかかわらず変われないでいるのは、なぜなのか?
それはあなたがご自分のライフスタイルを変えないでおこうと、不断の決心をしているからなのです。(中略)新しいライフスタイルを選んでしまったら、新しい自分になにが起きるかもわからないし、目の前の出来事にどう対処すればいいかもわかりません。未来が見通しづらくなるし、不安だらけの人生を送ることになる。(中略)
つまり人は、いろいろと不満はあったとしても、『このままのわたし』でいることほうが楽であり、安心なのです。(中略)ライフスタイルを変えようとするとき、我々は大きな“勇気”を試されます。変わることで生まれる『不安』と、変わらないことでつきまとう『不満』。きっとあなたは後者を選択されたのでしょう」
嫌われるリスクを背負ってまで、職場で自分の意見や流儀を貫き通すことには勇気がいる。しかし、「自由な人生」を送るためには、一歩踏み出さなければならないこともある。前述の引用に従うなら、「嫌われても評価される人物」になりたくてもなれないでいるビジネスパーソンは、自ら「『嫌われても評価される人物』にならないでおこう」と決心していると言えそうだ。
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。どちらを選ぶことが正しいかは、人それぞれ価値観の違いがあるので、一概に答えを出すことは難しい。
1つだけ言えるのは、成功や失敗の可能性から逆算して「嫌われる勇気」を持つか否かを考えるのではなく、自分が正しいと思う信念に基づいて「嫌われる勇気」を持てる人こそが、結果的に周囲から尊敬される人になれるのではないか、ということである。このことを、よく肝に銘じておきたい。
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2014年09月29日 08:39
自然環境破壊、ウイルスの蔓延、放射能の拡散などと同様に、過度な情報という害悪から心身を護るのは、現代社会を生き抜く基本的な力。。。
■ドラえもんで描かれた道具を手にしつつある社会にもたらされた光と影。デジタルの恩恵は私達を幸せにするのか?
第1章 デジタル社会の光と影【前編】
僕は、デジタルは人間に恩恵を与えるものだと信じている。だから今日も、僕はデジタルの領域で活動する。(中略)その一方で、僕は不思議な違和感を覚えるようになっている。はじめは小さかったこの違和感は、デジタルが世を覆い尽くすにつれ大きくなっている。(中略)人間はもちろん人間のためにデジタルを駆使し、進化させようとしているはずだ。……にもかかわらず存在する違和感。その違和感の正体を突き止め、真摯に対峙しなければ、訪れる未来は必ずしも明るいものにはならないだろう。このような予感が、本書を執筆する原動力になっている。――小川和也・著『デジタルは人間を奪うのか』「はじめに」より
* * *
ドラえもんのひみつ道具が次々と実現
世界の総人口は70億人を超えた。
2050年には96億人、2100年までに100億人を上回る見通しだ。世界の人口が増すにつれ、デジタルの存在感、それが及ぼす影響力も増す一方だろう。
デジタルは、人類の歴史の中でもとりわけ大きな変革を起こそうとしている。あらゆるものの効率化を促し、これまでの不可能を可能にする。人間の脳や身体を補完し、労働を肩代わりする。漫画の中のつくり話を、どんどん現実のものとする。
実は、ドラえもんがポケットから出したひみつ道具の多くがもはや夢ではなくなっている。たとえば、糸電話の紙コップを模した道具である「糸なし糸電話」。離れたところで話ができるこの道具はまさしく携帯電話として世の中に普及している。
鉛筆状の筆記用具に六角形をしたコンピュータらしきものがついている「コンピューターペンシル」。これを使えば、量の多い仕事や勉強でもあっという間にすらすらと終わらせられる。これはまさに、いまのパソコンに置き換えられる。ディスプレイの世界地図から描きたい地点を指定し、そこの風景などを描くことができる「いつでもどこでもスケッチセット」は、グーグルのストリートビューに近い。紙の上に物を載せるとその物と同様の立体的な複製が紙から出てくる「立体コピー紙」などはまさに3Dプリンターだ。
「こんなこといいな できたらいいな」というアニメの『ドラえもん』の主題歌にノスタルジーを感じるほど、かつての空想の話もいまや現実の話になりつつある。近い未来には、さらに多くのひみつ道具が実現されることになるだろう。
これらの空想を現実のものとしているのは、まさにデジタルだ。
デジタルの恩恵を味わえば味わうほど、もはやデジタルのない世界へさかのぼることは難しくなる。デジタルはこれからますます社会を覆い尽くし、人間が100億人を超えているであろう2100年の世界では、デジタルの影響はいまの比ではないものとなっている。降りることのできないデジタルの船はいまよりずっと先に進み、その時にはその中で暮らす人が100億人を超える。そういう日が、やがて訪れることになる。
デジタルが発展途上国の50億人に光をもたらす
フェイスブックは「internet.org」をテクノロジー企業6社(Ericsson, MediaTek, Nokia, Opera, Qualcomm, Samsung)と共同設立、主に次の3つの課題にフォーカスし、発展途上国のネット利用の実現を進めている。(参照元:フェイスブックによるプレスリリース http://newsroom.fb.com/News/690/Technology-Leaders-Launch-Partnership-to-Make-Internet-Access-Available-to-All)
(1) データ伝送の効率化によるインターネットアクセス料金の減額
(2) アプリの効率化による使用データ量の低減
(3) インターネット普及の新モデル構築
フェイスブックのCEO(最高経営責任者)であるマーク・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)氏は、これに関して次のように発言している。
「不公正な経済の現実とは、すでにフェイスブックにいる人々は、それ以外の世界すべてを合わせたよりも多くのお金を有しているということだ。我々が今後非常に長い期間にわたってインターネットの恩恵に浴していない数十億人の人々に仕え続けることは、可能であったとしても、利益にはつながらないかもしれない。それでも我々は、誰もがネットに接続できるようにすべきだと信じている」
彼らは既にそのための素案を公開し、その改良意見を世に求め始めている。
現在のインターネットユーザーは27億人で、世界の総人口のおよそ3分の1にあたる。
しかしその増加率は毎年9%以下で、インターネットが成長過程の初期段階にあることを鑑みれば、低い成長率だということを彼らは危惧している。(参照元:“Is Connectivity A Human Right?”)
この視点を持つのはフェイスブックだけではない。
2012年11月8日、米グーグルは発展途上国の利用者を対象としたGoogle Free Zone(グーグルフリーゾーン)というサービスを発表している。その1つ目のパイロットプログラムとしてフィリピンの通信キャリアであるGlobe Telecomと提携し、同国での提供を開始している。
このフリーゾーンは、インターネット接続機能を持つ携帯端末のユーザーが、検索、Gmail、Google+等のグーグル主要プロダクトを無料(データ通信契約も不要)で利用できるサービスだ。検索結果に表示されたリンク先のページにも無料でアクセスできる。
フィリピンのモバイルマーケットは既に飽和状態にあり、97%のユーザーがSMS(ショートメッセージサービス)を利用しているものの、モバイルインターネットの利用はわずか9・8%だ(2011年度World Bankデータ)。フリーゾーンを通じてフィリピンでモバイルインターネットの利用を普及させる取り組みは、より高性能な端末への買い替えとグーグルの利用を促す狙いはあるが、これもフェイスブックと同じく大義によるものだといえるだろう。
「デジタル・ディバイド」という言葉がある。
これは、インターネットを中心とした情報通信技術を利用できる人とできない人の間に生じる経済格差を指す言葉として使われている。
米国では1996年、当時の大統領であったビル・クリントン(Bill Clinton)氏と副大統領のアル・ゴア(Al Gore)氏がこの言葉を公式に使用し、クリントン政権ではすべてのアメリカ国民がコンピュータとインターネットを利用できるようにすることを国家的な目標とした。そしてここ日本においては、2000年前後からこの言葉が使われ始めている。
僕は数年にわたり、スリランカの児童養護施設の支援に携わらせていただいているが、その子供たちが将来活躍するための武器として、デジタルスキルが重要な意味を持つことを目の当たりにしている。
ちなみにスリランカのインターネット普及率は15・0%だ。さらに普及率が低い国では、バングラディッシュ5・0%、カンボジア4・4%、ミャンマーになると1・0%というのが実情(参照元:Internet World Stats / Internet Users 30-June-2012)であり、そのような国々でデジタル・ディバイドの解消がなされる意義は大きい。
たとえば、電子メールの送受信や様々なデータベースの利用、商品の購入や音楽の受信配信、金融取引などが可能になることで、生活やビジネスの利便性が上がる。さらには新しい産業も生まれて育つ。これらにより、経済的には労働生産性の向上、文化的には相互理解が深まることにつながる。
また、国民が等しく国際情勢を把握できれば、政治的には民主化の推進を促すと考えられる。
デジタルが、発展途上国の50億人に光をもたらし、成長を促す。もちろんそこで必要なのはデジタルだけではないが、デジタルが放つ光の力は計り知れない。発展途上国におけるデジタルの普及がその国や人々の姿を大きく変え、さらにそれが世界全体の発展にも寄与する。僕はそう考えている。
18歳女子高生の大発明
スマートフォンなどの携帯型デジタル機器を四六時中利用するようになったことで逆に不便を感じるようになったことがある。それはその稼働電力だ。小さなデジタル機器の中には、長い期間それを稼働できるようなバッテリーは入れられない。だからいまはまだ、そのバッテリーをこまめに充電する必要がある。しかし一定量の充電をするには概ね数十分から数時間を要し、そのためのコンセントがある場所も限られる。これはデジタルの利便性と表裏一体の不便さであるが、そこにもちゃんとデジタルテクノロジーが解決にあたってくれようとしている。
たとえばそのひとつが、2013年に開発された非常に小さなスペースに大量のエネルギーを保持できるテクノロジーだ。開発したのはなんと当時18歳の米国の女子高生で、インテル国際学生科学技術フェアの準優秀賞を獲得した。この技術を応用すれば、様々な電子機器などを短時間で効率よく充電することが可能になるという。
また、街の中を飛び交うWi-Fiに含まれているエネルギー波を電流に変換するテクノロジーが米国の学生によって開発されている。太陽電池パネルに相当する実用性が得られるとのことだが、天候に左右されない安定した電力で、どこからでも給電できるようになるのも時間の問題だろう。
このようなデジタルテクノロジーが毎日のように生み出されては進化をし、われわれが不便に感じるところには、すかさず新しい光が射す。それにより、われわれの生活の中にある不便という穴はどんどん埋められていくだろう。
光が射す一方で、つくられる影
デジタルがもたらす光、その力と功については、もう既に目の前にあるものだけでも充分過ぎるほど理解できるだろう。
しかし一方で、その光に伴ってつくられる、影のようなものの存在を感じることがある。その影は、さりげない日常生活の中にも見え隠れしている。
朝起きたらすぐにベッドの中で、おはようの挨拶の前にスマートフォンを手にとる。朝の散歩でもスマートフォンをチェックする。気づいたら散歩道の景色の記憶が薄い。友達との食事中も頻繁にスマートフォンのチェックをし合っている。デートの時も、旅先でも、ゴルフのプレイ中も、誕生会でも、そこにはスマートフォンに関心を奪われる自分やみんながいる。
誰かといるのに、みんなといるのに、すぐそばにいるのに、とても遠く感じる。そのような感覚の中にこそ、この影が潜んでいる。
デジタルが光をもたらす一方で、つくられる影。この影は光を遮り、われわれの社会に歪みを与えようとしているのだろうか。
毎日ムダな情報と出会っている?
われわれはいま、溢れんばかりの情報の中で生きている。
その中から縁あって出会い、毎日触れている情報は、あなたにとって本当に有益なものなのだろうか。もしかしたら、不必要な情報の陰で本当は必要な情報が埋没してしまっているかもしれない。
米EMCが調査会社の米IDCに委託して実施したデジタルユニバースに関する調査結果(http://www.emc.com/collateral/analyst-reports/idc-the-digital-universe-in-2020.pdf)はインパクトがあるものだった。
2020年にはデジタルユニバースの規模は40ゼタバイトに達し、世界の全人口1人あたりではおよそ5247ギガバイトのデータを保有する量に相当するという。「ゼタバイト(Zettabyte)」といわれても、ピンとこない人が大半だろう。これはデジタルデータの容量の単位で、単位の小さい順に並べてみると、「バイト→キロバイト→メガバイト→ギガバイト→テラバイト→ペタバイト→エクサバイト→ゼタバイト→ヨタバイト」となり、単位が1つ上がるごとに1024倍(2の10乗)という仕組みだ。
ゼタバイト、とてつもなく大容量であることくらいはすぐに想像がつく。累乗で表すと2の70乗、約11垓8059京と聞くと、また想像からはみ出てしまう数字になる。これはDVDで2500億枚に相当し、少し馴染みのあるギガバイトをコーヒーカップ1杯分とすれば、ゼタバイトは万里の長城の体積に匹敵する。
2006年時点では0・161ゼタバイトであったが、その増大スピードは加速の一途、デジタルユニバースは2年ごとに倍増するペースの中にある。
一方、その膨大なデータを活用しきれずにいる状態にあり、2012年時点のデジタルユニバースの23%(643エクサバイト)はビッグデータとして活用可能であるものの、タグ付けされているデータはそのうち3%、さらに分析まで行われているデータの割合は1%未満だといわれている。
この膨大な情報の源として成長を続けているのがソーシャルメディアだ。
ソーシャルメディアが実生活とウェブをつなぐインターフェイスとなり、世界中のユーザーが日常の細かな出来事をそこへ集積するようになった。検索がウェブ上の情報を収集してインデックス化する速度を、世界中のユーザーがソーシャルメディア経由でウェブに情報をアップロードする速度が凌駕してしまった。
その中でもフェイスブックのニュースフィードは、毎日7億人以上が見る情報フィルターになった。それにもかかわらず、このニュースフィードに表示される投稿がどのような仕組みで選択されるかというアルゴリズムはあまり明らかにされていない。自分がつながっている友達の投稿が全てそこに表示されている訳ではないし、むしろ目に触れられる機会すらないまま、多くの投稿が流れ去っている現実がある。
いずれにせよ、われわれが膨大な情報の中で生活するようになったことで、それらを捌いて必要な情報を目の前に運んでくれる何らかのフィルターが不可欠になった。
しかし、どんなフィルターであっても、それがあらゆる情報から一部を抽出するフィルターである限り、自分が必要とする情報に100%出会えることは保証されない。いまの社会において、情報との出会いはセレンディピティ(役に立ったり必要なものを、偶然の出会いから発見すること)次第なのだ。
残念ながら、情報量と接触する情報の質は比例しない。どれだけ情報が増えても、その増えた分だけあなたにとって必要な情報と出会える確率が高まるとは限らない。われわれはこれから、爆発的に増えていく情報の価値を、本当に享受しきれるのか試され続けることになる。
〝嘘の戦争〟にも気づかないまま
もはやインターネット上の事典として、世界中で使われるようになったウィキペディア。英語版からスタートしたが、その後多くの言語に展開され、いまや270言語以上に及ぶ。
調べごとにこれを使う人が増えたことで、市販の事典の売れ行きが減少しているという話も聞く。ネット利用がアクティブになるにつれ、〝調べごとはウィキペディア〟という人が増えるのは当然の流れだろう。
誰もが新規記事の執筆や既存記事の編集に参加できることが特徴で、主立った用語はかなり網羅されるようになった。公的なニュースや書籍などでも、ウィキペディアから引用されることも多くなり、情報の信頼性や信憑性は増している。
しかし過去には、このような出来事があったことを思い出す。ウィキペディアで〝嘘の戦争〟がつくり上げられ、しばらく気づかれずに放置されていたのだ。
「ビコリム戦争(Bicholim conflict)」という2007年に作成されたページがそれだ。
1640年から41年にかけ、植民地支配を目指したポルトガルと当時インドの大部分を支配していたマラータ王国との間で起きたのがビコリム戦争であると説明されていた。戦争の名前の由来から、最後は平和条約を締結したという結末まで記述されており、5年間ほどこの〝嘘の戦争〟が閲覧されていた。
米国のユーザーの一人がこの情報に疑問を持ち調査を行ったことから、このビコリム戦争自体が一切なかったことが判明、申し立てを受けたウィキペディアがページを削除した。
まさに、誰かのいたずらでつくられた〝嘘の戦争〟が事典の中に収められ、長いこと閲覧されていたのだ。編集への参加は実名を明かさなくても可能であり、このようないたずらの書き込みへの対処は実際難しい。
ソーシャルメディアが普及し、自身をより魅力的に見えるように着飾って投稿をしたことがある人は、実に2人に1人はいるという調査などもある。もしもその脚色が度を超えてしまっていた場合、真実とは異なる情報を受け取ってしまうこともあり得るということだ。
豊富で便利な情報の背後にある信憑性のリスク。
もちろん多くの項目において役に立つ情報が記述されているし、思いがけず面白い情報に出会えたりもする。しかし一方で、そこには一切の保証がないことも理解しておいた方がよいだろう。
つまり、あなた自身が最終的に正しい情報のフィルターを持たなければ、嘘の情報に飲み込まれかねないということだ。
<以下、【後編】に続く>
■つながり依存、脳腫瘍発生の危険性、経済損失・・・デジタルの影の部分にも明るい領域をつくらなければならない
第1章 デジタル社会の光と影【後編】
SNSが生む経済損失
手元のスマートフォンのアラートに頻繁に喚起され、それに手を伸ばしてはチェックを繰り返す。たとえ仕事の打ち合わせ中でも、である。そのアラートは、フェイスブック上で更新が生じたことやメッセージ受信のお知らせだ。また、仕事でパソコンに向かうことが多い職業だと、画面上でフェイスブックやツイッターに常につながったままの状態の人も少なくない。
ワシントン・ポスト紙の元スタッフ・ライター、ウィリアム・パワーズ(William Powers)氏は、自著の中で次のことを指摘している。
「心理学の知見によると、頭を使う仕事をやめて横から入ってきた用事に対応すると、感情や知覚はたちどころに肝心な仕事から離れはじめ、別件に長いあいだ気を取られていると、元に戻るのに要する時間も長くなるという。いくつかの推定によると、集中力を回復するのにかかる時間は中断時間の10~20倍にもおよぶこともある」(引用元:『つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方』有賀裕子訳)
あらためて言われてみると、身に覚えがある人も少なくないだろう。
パソコンに向かって上司への報告書を作成している。すると同じパソコン画面上で接続しているフェイスブックのニュースフィードにちょっと目をやると、友達の投稿がどんどん流れてくる。ちょっと一瞬のつもりでフェイスブックの投稿を眺める。いくつかの投稿を眺めてコメントをしたりで滞在5分。たった5分の寄り道だ。しかしどうだろう。作成中の上司への報告書に戻ったものの先ほどの投稿が頭にちらつく。「ああ、投稿にあったイタリアンレストランはよさそうだな。今度行ってみよう」。そんなことを頭の中でもやっと思いながら、作業を進める。そう、実は集中力という観点では、5分の寄り道では済まなくなっている。先のデータを基にすれば、集中力を回復するのに、下手したら中断時間である5分の10〜20倍の時間を要することだってあるのだ。物理的にはたった5分でも、作業効率という観点ではなかなかのダメージだ。
この〝なかなかのダメージ〟についてはこんなデータもある。
BaseX(http://basex.org/)が2008年に行った推計では、情報過多により年間9000億ドルもの経済損失が生じているという。以降、ソーシャルメディアの利用者数と利用時間が飛躍的に伸びていることを考えると、現時点ではもっと多くの経済損失の源になっている可能性がある。みんなの「ちょっと一瞬」が積もりに積もると、経済損失という観点ではとんでもない数字に膨れ上がるという試算だ。これはもう、〝なかなか〟と言える次元ではない。
「新しい病」を生むデジタル
「友人からのSNSへのコメントやメールにすぐに返答しなくては、と思うとなかなか寝つけないんです」
SNSでのやりとりに没頭し、やめられなくなる「ネット依存」の悩みを抱えて医療機関にかかる人が増えている。スマートフォンやソーシャルメディアの普及がネットから片時も離れられないという「新しい病」を生み出しているというのだ。
厚生労働省の科学研究費で行われた成人対象抽出調査(2008年)で、インターネット依存の恐れがあるとされたのは全国で推計271万人、子供の数を加えると500万人を超えていた。この調査以降、フェイスブックやツイッターなどのソーシャルメディアの利用者が急増し、2012年の段階では5000万人を突破、加えてスマートフォンの普及も一気に進み、LINEのような新しいコミュニケーション手段も増えた。それにより、ネット依存症を訴える人の数や症状はより深刻になっている。
その多くがソーシャルメディア上のコミュニケーションにのめり込み過ぎて生活や仕事に支障をきたす〝つながり依存〟だと言われている。日本でもフェイスブックが普及し始めていた2011年6月、フェイスブックに夢中になった滋賀県の主婦が、高熱を出していた1歳の息子を放置して死なせるという事件が起きて大きな議論を呼んだ。逮捕されたこの母親は調べに対し、「インターネットのチャットに熱中し、昼夜逆転の生活をしていた」と供述している。このような状況を受け、国立久里浜医療センターでは薬物と同様の依存性に着目し、専門の外来を開設し治療法の開発に着手している。
インターネット依存は、「自分の意思でインターネットの利用(時間)をコントロールできない」「常にそれに気を奪われる」「人にやめるように言われてもやめられない」「現実から逃避したい心理状況などにより、過度に利用してしまう」などの症状があり、日常生活に支障を及ぼす。これはまさに、薬物やアルコール依存にも近く、だいぶ深刻だ。
程度の差こそあれ、自分もこの「新しい病」に罹患しているのではないか? と思われた方もいるだろう。
さらにこの依存性は、人間の精神面だけではなくその肉体にも影響を与え始めている。
長時間のパソコン作業やスマートフォンの使用が原因で、腱鞘炎に悩む人が増加している。マウスのクリックやキーボードのタイピングなど、決まった動作を何度も繰り返すことで手指の腱に炎症を引き起こす〝反復運動過多損傷(RSI)〟を主な原因とする、「キーボード腱鞘炎」「マウス腱鞘炎」といわれる症状がそれだ。最近はスマートフォンの操作により親指を使い過ぎる人が多い。その結果、手首の親指側にある腱鞘が炎症を起こし、親指を伸ばすと痛みを感じるドケルバン病という症状に悩む人も続出している。
ビジネスマンが一日にキーボードを叩く回数を試算してみよう。ローマ字入力の場合で1文字あたり2回キーを叩くとする。一日に10通、メール1通あたりの平均文字数を200文字とすれば、400回×10通=4000回。メール以外にも、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアに投稿したり、コメントを寄せたりする機会も増えているし、ビジネスマンであれば書類作成などで毎日万回単位でキーボードを叩いているはずだ。それに、スマートフォンでのフリック入力という新しい動作も加わっている。
かくいう自分に置き換えてみるとぞっとする。僕はパソコンとスマートフォン、それにタブレット端末を併用し、優に100通を超えるメールを毎日のようにやり取りしている。メール以外にも、大量の書類作成や原稿執筆を常態的に行っている。こまかいメッセージのやり取りは、スマートフォンでのフリック入力で対応する。これでは、「キーボード腱鞘炎」「マウス腱鞘炎」にいつなってもおかしくないという状態だ。フリック入力を大量に行うことで、親指の付け根の違和感も頻繁に感じているから他人事ではない。
デジタルは、大きな利便性を提供していると同時に、人間の心身に新たな病巣をもたらしてもいる。これも現実だ。
携帯電話で脳腫瘍が増加する
携帯電話で一日30分以上の通話を5年間継続すると、脳腫瘍が発生する危険性が2〜3倍に増えるとの調査結果をフランスの研究者がまとめたことを、AFP通信等の仏メディアが報じて(2014年5月13日付)話題になった。
2004〜2006年に、仏ボルドーの公共衛生研究所(ISPED)が脳腫瘍の一種であるグリオーマや髄膜腫を患った約450人を調査したところ、他の健常者と比較し、携帯電話の利用が少ない人ほど脳腫瘍の発生が少ない傾向が認められたのだという。
調査をした同研究所のイザベル・バルディ(Isabelle Baldi)博士は、脳腫瘍の発生率上昇が携帯電話を最も頻繁に利用する人だけに確認されたことを強調し、電話を耳から離して通話するハンズフリー機器の使用を勧めている。
人間の活動の利便性向上に大きく寄与している携帯電話が、人間の脳に病巣をつくる道具にもなっているのだとすれば、なんと皮肉な話なのだろう。
評判を求め過ぎる子供たち
メディア、特にソーシャルメディアを多く使う子供たちは、評判を重要視する傾向が強いという調査結果がある。
米国の団体「Children’s Digital Media Center in Los Angeles」(子供のデジタルメディア・センター)が全米の9歳から15歳までの子供に対して行った調査(2013年4月19日、米国発達心理学会会議にて発表)によると、13歳未満の子供たちの約4分の1がソーシャルメディアを使っており、それが子供たちの価値観に大きな影響を与えているという。
子供たちがソーシャルメディアを使うようになったことで(フェイスブックなどはアカウント開設時に13歳以上であることを条件としているのだが)、友達の反応(いいね! やコメント等)を求める習慣がつく。その結果、子供たちが「評判を求める行動」へと傾倒している。
日本の内閣府が2010年に行った「国民生活選好度調査」によると、幸福度を判断する場合に重視した事項について、15〜29歳の60・4%が友人関係と回答している。
日本においても、若者が友達からの評価を気にし、そこに承認欲求を求めている実態がうかがえるが、ソーシャルメディアの利用がそれに拍車をかけている。
友達の評判を気にすること、友達からの承認を求めること、それ自体はある種の本能ともいえる。しかし、その度が超えてしまった場合、自分の価値評価を他者による評価に委ね過ぎ、ストレスの要因となってしまう。
社会のデジタル化が進む中で、子供の頃から、自分ありきではなく他者ありきで自分が成立する傾向が強まるとすれば、本当の自分らしさというものを見失いかねない。自分の価値は、もっと「自分による自分のもの」であってもいい。
デジタル写真を撮影するほど記憶が薄れる
日常生活、旅先、様々なイベントでデジタルカメラを手にし、思い出に残そうと撮影に勤しむ。
多くの人が心当たりのある行為ではないだろうか。
しかしこれが、イベントなどへの参加度を減らし、記憶を薄れさせることにつながるという研究結果がある。
2013年12月、米フェアフィールド大学の心理学者であるリンダ・ヘンケル(Linda Henkel)氏が米心理学専門誌「Psychological Science」(サイコロジカル・サイエンス)で発表した研究によると、博物館でのガイドツアー中、展示品を見学しているだけの人よりも、撮影していた人の方が詳細を覚えていなかったという。
同大学内にある博物館のツアーに学生を参加させ、写真を撮影するか、見学だけをするかの2通りに分けた。そして、いくつかの展示品を覚えておくよう指示を与えた。翌日、指定した展示品に関する記憶を調査すると、見学だけしていた学生と比べ、写真を撮影していた学生の方の対象物に関する認識が正確さを欠いていた。
同氏はこれを「写真撮影減殺効果」と称し、「物事を覚えておくために技術の力に頼り、その出来事をカメラに記録することで、自分自身で積極的に参加しようとする必要がなくなってしまい、経験したことをしっかり覚えておこうとしてもマイナス効果を与えかねない」と説明している。
さらに、写真を撮影した学生のうち、被写体の特定部分をズームアップして撮影した学生は、拡大した部分だけではなく、写真のフレームに収まらない部分の記憶も良く残っているようだとしている。
同氏は「この結果は〝心の眼〟と〝カメラの眼〟が同じではないことを示している」とし、写真は何かを記憶する助けにはなるものの、それは時間をじっくりかけて鑑賞したり見直した場合に限り、過剰に写真撮影をすると鑑賞が疎かになる可能性を指摘している。加えて、「思い出を残すためにデジタル写真を撮影しても、量が多過ぎ、整理もしなければ、多くの人が写真を見直したり思い出す気もなくなることを調査結果が示している。記憶にとどめるためには、写真を撮りためるよりも、撮った写真を眼にする機会を持つ必要がある」と述べている。
デジタルカメラの時代になり、一枚一枚が消化されるフィルムよりも、気軽にパシャパシャと撮影するようになった。スマートフォンのようなモバイル端末にカメラが内蔵されていることで、その気軽さは加速している。条件反射のように何も考えず、カメラのシャッターを切り、ソーシャルメディアで写真を共有する。
無闇にシャッターを切り記録を残そうとする前に、ちょっと立ち止まって顧みる必要があるのかもしれない。「目の前のもの、目の前で起きていることは、自分の脳裏にちゃんと焼き付けられているのだろうか」と。
ソーシャルメディアが失言を誘発する
「最近、政治家や著名人の失言や暴言が波紋を呼ぶことが増えている」と感じる人は多いだろう。
もちろん、失言や暴言自体はいまに始まった話ではなく、これまでの歴史の中で政治家や影響力のある人々が公の場にて数々の失言や暴言を重ねてきた。
その昔、ひとつの失言が大きな金融恐慌を引き起こした。
1927年3月から発生した昭和金融恐慌は、同年3月14日の衆議院予算委員会の際の片岡直温蔵相の失言をきっかけに金融不安が表面化し、中小銀行を中心に取り付け騒ぎが起こったことに端を発している。東京渡辺銀行が破綻したという事実とは異なる発言により、預金者の不安が一気に広がり、中小銀行に殺到し預金が引き出された。たった一つの失言が大きな恐慌を生み出すきっかけになったのだから、もはや、「すみません、失言でした」と言い訳のできる次元ではない。
1953年2月28日の衆議院予算委員会において、当時の吉田茂首相と右派社会党の西村榮一議員の質疑応答中、吉田首相が西村議員に対して「バカヤロー」と暴言を吐いたことをきっかけに衆議院が解散されるまでに至ったこともある。このバカヤロー事件(解散)なども、うっかりではすまない失言だ。
ちなみにこのバカヤロー事件、吉田首相が大声で叫んだ訳ではない。吉田首相が席に着いた際にとても小さな声で「ばかやろう」と〝つぶやいた〟だけだった。そのつぶやきを偶然マイクが拾い、気づいた西村議員がそれをとがめたことで騒ぎに発展したのだ。
このマイクの機能を、ツイッターなどのソーシャルメディアが担うようになったのがいまの社会だ。さりげないつぶやきを拾い、そして拡散する力は、吉田首相のつぶやきを拾ったマイクの性能よりも格段に上だ。
「王様の耳はロバの耳」という有名な寓話がある。
王様はロバの耳をしていて、それをひた隠しにしていた。その王様の髪を刈っていた理髪師は、王様はロバの耳であることを知っていたが口止めされていた。しかし理髪師はどうしても黙っていることができずに、井戸の奥に向かって「王様の耳はロバの耳」と大声を出して叫んでしまう。その声が伝わって、井戸という井戸から「王様の耳はロバの耳」と聞こえ、皆に王様の耳はロバの耳であることが知られてしまうという話だ(ささやいた言葉が風に乗って広まってしまうというストーリーなども存在する)。
この井戸も、いまとなってはまさにソーシャルメディアがその代役を果たしている。井戸から井戸へ伝搬するくだりなどは、やがてソーシャルメディアのような拡声器が生まれることを予見していたようにすら感じる。
人間は、失言につながりかねないことを、腹の中で思っていることがままある。多くの場合、それを腹の中だけでコントロールし、公言しない。
しかし時として、感情というせき止めのきかない〝魔物〟によって理知を超え、口から失言を吐き出してしまうことがあるのもこれまた人間だ。
それが参加者の限られた会議室、井戸端の世間話であればまだ救いようがある。しかしソーシャルメディアの中での失言はそうもいかない。発言は記録化され、その記録はソーシャルネットワークをとめどなく駆け巡る。しかも記録は完全に消すことができず、残り続ける運命にある。
そしていまの社会には、ソーシャルメディアの中で生まれた失言をマスメディアが取り上げることで、「王様の耳はロバの耳」という失言を井戸の外へ持ち出し、街中へ強烈に拡散するという構造がある。
厄介なことに、ソーシャルメディア、さらにその拡散力を補強するマスメディアが失言を伝搬する中で、その失言自体に様々な尾ひれはひれ、バイアスが加わることがある。失言は、それが口から吐かれたものとは違った形でより負の方向へ肥大化していく場合もある。
ソーシャルメディアは、〝失言を誘い出す魔性〟のようなものを持っているのかもしれないと思うことがある。
人はソーシャルメディアを前に、腹の中にはあるけれど本当は口に出すべきではないことをいとも簡単に吐き出してしまうようになった。言わない方が無難であることくらい、たいていの場合は判断がついているはずだ。しかし、目の前のスマートフォンの中から「今どんな気持ち?」とささやかれて、その判断力は思わずなし崩しにされてしまうようだ。
サイバー攻撃で死者が出る
サイバー攻撃。
これはデジタル社会が生んだ新たな脅威である。
インターネットやコンピュータが普及しその重要度が増すにつれ、コンピュータウイルスのばらまきやデータの書き換えや破損、通信やサーバーをダウンさせるような破壊活動が相次ぐようになった。人や社会に大きな危害や打撃を与えるような深刻なもの、政治的な示威行為として行われるものもある。大きな企業や組織に対し、または不特定多数を無差別に狙った高度なサイバー攻撃は増加の一途で、世界中でそれらに対する不安と警戒が強まっている。米McAfeeと米シンクタンクの戦略国際問題研究所(CSIS)が2014年6月9日に発表した推計によると、サイバー犯罪がもたらす経済損失が世界で年間最大5750億ドル、少なく見積もっても3750億ドルに上るという。サイバー攻撃による犯罪が世界経済に与える悪影響は極めて大きい。
そして遅かれ早かれ、「サイバー攻撃で死者が出る」可能性を示唆している専門家も多い。それは、軍事兵器、電力や通信設備、医療機器、車のナビゲーションなどの安全装置を対象とした攻撃が大規模でなされた時に起こるとされている。
もはや国家安全保障のレベルで対応せざるを得なくなった「サイバー攻撃」は、まぎれもなくデジタルがつくる影のひとつである。
インターネット墓地を受け入れられるか
お墓参りはインターネットで─。
インターネット上に仮想のお墓を設け、スマートフォンやパソコンの画面上には、戒名や生前の写真が現れ、そこでお墓参りを行う。デジタルにより、そのような新しいお墓参りの形態が生まれ、存在する。
少子高齢化やお墓が遠方でなかなか行けない、実際のお墓だと管理が難しい、そのような背景の中で、この「インターネット墓地」のニーズがあるようだ。海外では日本以上に広まっているところもあるという。
一方、これに対しては批判もある。
サーバーの不具合等でデータが消滅してしまったらどうするのか、お墓は実際に行って拝むべきもの、というような類いだ。遺体や遺骨を葬り、故人を弔う場所としてのお墓は古代からの慣習であり、「インターネット墓地」のような新しいアプローチに関して賛否両論が巻き起こるのは当然のことであろう。
いまのところ、この「インターネット墓地」はあくまでも従来通りのお墓の付随物としての位置づけだが、果たして未来の人間は、このインターネット墓地というものをもっと受け入れ、主たるお墓の形態に据えてしまうだろうか。それとも拒絶し、消滅させてしまうだろうか。インターネット墓地の未来は、まだ未知の段階だ。
忘れられる権利
一度インターネット上に露出した写真や文書を完全になかったことにするのは難しい。露出した途端に画面をコピーされたり、写真を保存できてしまう。
皆がソーシャルメディアを使うようになってからは、それらを人から人へ一気に拡散する環境が整い、いざ引っ込めたい情報を完全に封印することは困難になった。その不可逆性に苛まれるようになった人間は、インターネット上の情報を消し去ることの権利を「忘れられる権利」と称し、その権利を求めるようになった。
しかし、「忘れられる権利」は、なかなか正式な権利として認められないまま時が経過してきた。そんな中、個人情報やプライバシーに敏感なヨーロッパではこの権利の必要性の議論が活発に行われ続け、2014年5月13日、ついに司法が重要な判断を下した。EU(ヨーロッパ連合)司法裁判所は、グーグルに対し、自分の情報へのリンクを検索結果から削除するよう求めたスペイン人男性の請求を認める判決を言い渡したのだ。
判決は「忘れられる権利」を認め、情報が不適切、既に関連性がない、過度である場合には削除を求められるとした。この判決は、「忘れられる権利」が公のものとなっていくきっかけになることだろう。
とはいえこれは、検索結果にヒットしないようにする対応に過ぎず、一度出た情報を過去にさかのぼって取り消すこと自体がかなえられた訳ではない。
「忘れられる権利」は、デジタルの船が前に進むほど、人間にとってますます尊いものとなるだろう。デジタルは、光としてみんなで共有する優れた方法を提供し、一方で忘れられたいのに忘れられない苦しみの影をつくっている。
デジタルは、こうして光と影を同時につくっている。そもそも光と影は表裏一体、光があれば必ず影があるものだ。われわれは、デジタルがもたらす光と影の両方の影響を同時に受けなければならない。だからこそ重要なのは、その影の存在に気づき、向かい合うことだ。それにより、影を暗闇にせず、影の中に少しでも明るい領域をつくれるはずだ。いや、つくらなければならない。
<第1章 了>
小川和也(おがわ・かずや)
アントレプレナー、デジタルマーケティングディレクター、著述家。
[いずれも現代ビジネス]
Posted by nob : 2014年09月29日 08:30
へえ〜っ(驚)
■「顔ダニ」は美容の味方だった!?
僕たちの体には、目に見えない様々な微生物が共生している。そのなかには、健やかに生きていくために必要なものもいれば、害をもたらすものもいる。
そうした肉眼では確認できない微生物の1つに、人の顔の皮膚などに棲息するという「顔ダニ」がある。テレビやネットでその拡大写真を見ると、いかにも虫っぽい容貌にゾッとさせられるのだが…。この顔ダニ、健康や美容の面でどのような影響をもたらすものなのだろうか? 用賀ヒルサイドクリニックの鈴木稚子先生に聞いてみた。
「あらためてビジュアルで確認すると気持ち悪いかもしれませんが、顔ダニは誰もが持っているもの。人の顔を厳密にチェックすれば、顔ダニの死骸や糞がたくさん存在しているはずですが、基本的には無害なのであまり気にする必要はありません。ただし、増えすぎるとニキビなどの肌荒れの原因になるので要注意です」
顔ダニは別名を「ニキビダニ」と呼び、ニキビダニ科ニキビダニ属に属する生物。主に毛根に寄生するものや、皮脂腺に棲みついているものなど、複数のタイプがあり、顔ダニとはその総称なのだ。
「顔ダニは必ずしも悪いものではなく、その存在によって皮膚が弱酸性の状態に保たれ、美容に貢献している一面もあります。ただ、ストレスなど何らかの理由で免疫力が低下したり、極端に皮脂が多い状態のままでいると、顔ダニが大量発生してしまい、バランスが崩れて肌荒れを起こすことがあるんです。美容のためには、こまめな洗顔をお勧めしたいですね」
なお、洗顔によって洗い落とすことができるのは、棲みついている顔ダニのせいぜい2〜3割程度だそうだが、普通に毎日洗顔していれば、顔ダニの棲息数を適量に保つことができると鈴木先生は語る。
ダニという名称に拒絶反応を起こしがちだが、顔ダニと上手に付き合うことが美容の秘訣でもあるのだ。
(友清 哲)
[R25]
Posted by nob : 2014年09月24日 05:32
私のブレンド/自家製乳酸菌溶液に、ミント・ヒバ・ユーカリアロマを適宜加える。。。
■デング熱から身を守る蚊よけアロマ
とにかく蚊を排除する!
ワクチンのないデング熱は対症療法のみと言われています。蚊を除けることが第一ですよね。
エッセンシャルオイルのなかには蚊が嫌う成分を含む種類があります。これを使えば、殺虫はできなくても、蚊を寄せ付けない効果は期待できます。例えば、蚊取り線香には、除虫菊というキク科の植物から作られているものが今も販売されています。これと同じように、植物の忌避効果を活用して蚊を追い払います。
市販の虫よけ剤に含まれている薬剤はもっと作用が強烈。同じような効果は望めませんが、古くから「自然のものは、自然のもので対処する」というスタイルのひとつとして、市販のものと使い分けてみてください。 蚊がものすごく多い場所(山、公園など)に行く場合は市販の虫よけ剤を。普段の生活(通勤やお買いものなど)ではアロマスプレーを使う、といった具合です。
蚊よけに良いアロマでアロマ蚊よけスプレー
家に置いておくのは100mlサイズ持ち運びは20mlサイズなど使い分けていつも携帯しましょう
では用意したいアロマをご紹介します。
* シトロネラ
* レモングラス
この2つはハーブとレモンもミックスしたような爽やかな香り。含まれるシトラールという成分が蚊よけに役立ちます。同じくレモンのような香りをもつユーカリの1種もあります。
* ユーカリキトリオドラ
いずれもきつい香りではありませんが、虫が嫌う香りのような印象を受けます。そのためもう少し「良い香り」に仕上げたい場合はゼラニウムをブレンドするといいでしょう。
これでお肌につけることのできる、アンチ・モスキート―のスプレーを作りましょう。
■作り方(100mlサイズ)
* 前述のエッセンシャルオイル(1種でも全てでも)…合計20~30滴
* 無水エタノール…5~10ml
* ミネラルウォーターまたは精製水…約90ml
無水エタノールにエッセンシャルオイルを加えて、最後に水を入れれば完成。
霧吹きやスプレー容器に移します。外出時に使う場合は小さな容器に入れ替えます。
エッセンシャルオイルは天然100%の素材です。揮発しやすいため数時間置きにスプレーした方がいいでしょう。
■使い方と留意点
* よく振ってからスプレーします。肌の弱い方、傷のある方、子どもなどは気を付けて使ってください。肌に合わない場合は使用を中止してください。髪の毛もOKです。
* 衣類やかばん、ベビーカーなどにつける場合、ほとんどのエッセンシャルオイルは色がついています。事前に了承の上、使いましょう。
* 赤ちゃんの肌にはつけないでください。
* 目、口のなかに入らないように気を付けましょう。
ベランダの蚊よけ対策
見た目もかわいい素焼きストーンにアロマを垂らして
私は蚊に刺されやすいようです。なので、洗濯ものを干したり、植木に水やりをしてる間も対策を講じています。
ベランダやテラスには素焼きストーンに先ほどのアロマをしみこませて置いています。蚊取り線香のように煙に乗って広がるわけではないので、何か所かに置いておくのは無駄ではないと思います。
避けたいアロマ
花の香りに誘われて虫が寄ってきます
蚊にも種類がありますが、花の香りを好むものもいるとか。フローラル系のアロマ香水は蚊の多い場所では控えた方がよさそうですね!
からだの抵抗力をアップさせて重症化を防ぎましょう!
ディフューザーやアロマライトを使って
さて、デング熱は、デングウイルスが感染しておこる急性の熱性感染症で、発熱、頭痛、筋肉痛や皮膚の発疹などが主な症状です。インフルエンザや風邪と同じで、重症化するかしないかは体の抵抗力にも関係すると思います。
普段から、体の免疫力を高めると言われるアロマを使っておくことで予防しましょう!
■おすすめのエッセンシャルオイル
ティートゥリーのエッセンシャルオイルは体の免疫力を高めると言われます。ベッドサイドでディフューザーで香りを広げてゆっくりと休みましょう。
レモンのエッセンシャルオイルは感染症の予防に使われることがあるといいます。リビングなどに香りを広げて家族全員の健康を守りましょう。上述のティートゥリーとブレンドしてもOKです!
ハーブティも活用できます
コーヒー3杯のうち1杯をハーブティに変えてみませんか
キク科のエキナセアは乾燥したものがハーブティ用として売られています。風邪の予防などにまずチョイスされる有名なお茶です。毎日欠かさず、というわけではなく、1週間ほど飲んで、また少し休んで飲む、といった感じで飲みましょう。
エキナセア小さじ1杯に熱湯120~150ccほどを入れて、紅茶を出すように3~5分蒸らして濾して飲みます。
デング熱と地球温暖化
子どもたちの未来のために
地球温暖化が進むことで、日本ではあまり見られなかった感染症が増えることが懸念されるます。今回のデング熱やマラリアなど、蚊が媒体となって感染する熱帯性の病気は、地球温暖化も関係してるのではないでしょうか。今後、このような感染症による被害が拡大しないためにも、地球環境を真剣に考えなさいというメッセージのように思われます。
アロマはナチュラルなもので、環境にも負荷が少ないはずです。人にも地球にも優しいアロマがお役に立てるといいですね。
[All About]
Posted by nob : 2014年09月16日 19:04
情報の取捨選択と整理、、、現代を生き抜く必携の力の一つ。。。
■自分の心とつながるために。スイッチオフの習慣
どこにいくにもスマートフォンが手放せない、そんなあなたはもしかして「フォーモ・シンドローム」かも。これは英語でFOMO(Fear Of Missing Out)といい、つねに世の中から取り残されてしまうのではないかという不安に苛まれ、食事中だろうと入浴中だろうと、スマートフォンをチェックしている人たちのことを指します。
そんな人に、スマートフォンからちょっとだけ離れることの効果をご紹介したいと思います。
スイッチを切ることでつながる絆
大事なニュースが世界中どこにいてもすぐに入手できる便利さ、災害時につながるネットワークなどを考えると、スマートフォンは確かにとても便利で、世界中がポジティブに変化していることは事実です。
スマホは「使い方次第である」という意見もありますが、まさにその通り。つけっぱなしではなく、毎日決まった時間に、自分の時間を作るために「スイッチを切る」という、シンプルなルールを自分で設けてみてはどうでしょうか。
一緒に誰かとカフェに行き、相手が横に座っているにもかかわらず、新聞や雑誌を広げたり、スマートフォンに夢中になったりするのはマナー違反です。
食事の時間は、食事をゆっくり楽しむ。外に出て散歩をして新鮮な空気を吸う。静かに本を読む時間を設ける。あるいは子どもと一緒に台所に立って学校での出来事を話す。「ながら」のない、ひとつのことに集中する時間を持ち、人と、空間と、時間と、そして自分との対話してはどうでしょうか?
これは、昔の人たちは当たり前のこととしてしてきたこと。人の表情を見ることに集中したり、相手との会話の内容を掘りさげたりすることの方がはるかに大切です。
情報を得ること=しあわせ、ではない
絶え間なく入ってくる情報は、自分にとってどれほど役に立ったのだろうか、と考えたことがありますか? びっくりするほどその内容を思い出せなかったり、じつは情報をプライオリティーにそって振りわけて処理することの方が面倒くさいと感じることがしばしばあります。
心理学からの側面で考えると、「自分のいま」という時間を大事に使うことを真剣に考える人は、遠くの将来について不安を抱えることが少なく、総じて幸せである、という調査結果が出ています。つまりは"Carpe Diem"、ラテン語で「君の今を生きろ」のコンセプトです。さらに、幸せ度の高い人というのは、いわゆる「バランスの取れた時間へのとらえ方」を持っている人のことをいうのだそう。
これはつまり、過去・現在・未来という時間の明確な区切れがないために、緩やかに時が流れているということ。過去の失敗を思い出しては、これからの自分のために活かすことをしたり、未来のいつかに成し遂げたいことを逆算して、今からできる努力を重ねていくこと、等。
(Boniwell and Zimbardo 2004 より抜粋)
どうしてもスマートフォンを「いま、いじらなくてはいけない必要性」にとらわれないために、いつも肩の力が抜けている感覚を持っていることが大切なのです。
スイッチを切ることで、他人との絆だけでなく、もう一度自分が何をしたいのか、自分とは何か?を見直す。いつも何かをしなくてはならない必要性からちょっと抜けだす。そうすることで自分のこころとつながることができるのです。
[Positive Psychology UK/MY LOHAS]
Posted by nob : 2014年09月13日 21:07
今さらながら、、、水について。。。Vol.2/おまけにレモン
■「水の飲みすぎでむくむ」は嘘!? 水分補給のホントのところとは
継田理恵
9月がスタートしましたが、まだ日中は暑い日も多いですよね。あなたは、しっかり水分を補給していますか?
美と健康のためには、1日に2リットルもの水を飲むべきだという説がありますが、飲みすぎはむくみや水太りの原因になるともいわれます。
水をたくさん飲むべきか控えるべきか、一体どちらが正解なのでしょうか。今回は水分不足にならず、むくまない水の飲み方をご紹介します。
■1日に飲むべき量と正しい飲み方
1日に飲むべき水分量は、”体重÷30”で算出できます。体重が50kgなら、50÷30=1.6666……約1.7リットルを目安に水を飲むのがベストということです。
食べ物からも水分を摂ることができるので、算出した数字よりやや少なめでもよいのですが、思っているよりも多くの水を飲まなくてはなりません。
カフェインを含む飲み物やアルコールは、水分補給にはならないので要注意。水分を摂った気になってしまうので、1杯のコーヒーやお酒につき1杯の水を飲むようにしましょう。また、スポーツドリンクは砂糖や甘味料などの添加物がたっぷり。太る原因になるので気をつけてくださいね。
水では飽きてしまうという方には、ココナッツウォーターがおすすめ。ココナッツウォーターに含まれる成分は、人間の血漿に非常に似ているといわれているので、運動後の水分補給にも最適です。
また、ココナッツには優れた抗酸化作用があるので、年齢が気になりだした方にもぴったり。中鎖脂肪酸やビタミン・ミネラルも豊富なので、美肌やダイエットにも。いいことづくしです!
■むくんでしまう理由は腸にあり
水分をしっかり摂るとむくんでしまうという方は、腸のはたらきが弱くなっていることが考えられます。腸のはたらきを整えることから始めましょう。
(1)起き抜けに一杯の水を飲む
眠っている腸を目覚めさせましょう。
(2)朝バナナを食べる
食物繊維やカリウムが豊富なバナナで、朝のスッキリを促しましょう。
(3)ココナッツウォーターを飲む
食物繊維を含むココナッツは整腸作用も期待できます。
(4)適度な運動
運動不足でも腸のはたらきは鈍ります。30分のウォーキングや腹筋など、続けられる運動を毎日行いましょう。
1日に飲むべき水の量は意外と多いです。むくみが気になる方は、腸のはたらきを整えることも意識して行ってみてくださいね。
■甘く見ちゃダメ!酸っぱい「朝レモン水」の美容効果はスゴすぎる
佐藤まきこ
ストレッチにヨガ、グリーンスムージー……。誰もが惹かれるような美人は必ずといっていいほど、何か朝に習慣として行っていることがあります。
そんな中でも、明日の朝からすぐに始められそうで、しかも女性にとってうれしい美容効果がたくさんあるのが、”レモン水”です。
驚くべきレモン効果を知ったら、必ずレモンを常備したくなるはずですよ。
■1:腸の働きがよくなる
朝起きたときに水を飲むと刺激となって、腸も目覚めて活動を始めます。ビタミンCには腸の運動を活発にさせる働きがあるため、レモンを絞ったレモン水ならばその効果がアップするというわけ。しつこい便秘解消にも効果が期待できます。
■2:デトックス効果
ビタミンCは抗酸化作用があることでも知られ、不要な老廃物を排出してくれます。さらにレモンには利尿作用もあるため、朝のレモン水が前日や寝ている間に溜まってしまった老廃物を、排出するよう促してくれます。
■3:疲労回復効果
レモンに含まれるクエン酸は疲労の原因となる乳酸の生成を抑え、エネルギーを効率よく作れるよう促してくれます。そのため、疲れが溜まってツライ朝や休み明けの朝などに飲むと、疲れが軽減しているように感じられるでしょう。
■4:爽やかな目覚めになる
これまで述べてきたとおり、レモンにはさまざまな効果がありますが、やっぱり口にするときに一番強い印象を残すのは、あの酸っぱさと独特の香り。
そんなレモンの香りをかぎ、心地良い酸っぱさを感じると、爽やかな目覚めをもたらしてくれるでしょう。コーヒーを多飲している方には特に、コーヒーの代用としておすすめします。
レモン水の作り方は、水にレモン一切れ分を絞るだけ。冷たすぎる水は体を冷やしてしまうので、白湯を用意していればなおベターです。また寒い季節なら、温かいお湯にレモンを絞ってホットレモンにしてもOKです。
このほか、『美レンジャー』の過去記事「あなたはいくつ知ってる?レモンの超おいしい飲み方5つ」でもご紹介していますが、レモンには体内時計のリセットやダイエット、体臭を抑える効果などもあります。朝起きたときだけでなく、レモンはヘルシー美人にとってぜひ活用したいアイテムですね。
[いずれも美レンジャー]
Posted by nob : 2014年09月13日 21:04
今さらながら、、、水について。。。
■水の飲み方次第では老化も!?正しい水分摂取のポイント3つ
前田紀至子
美肌や健康に対する意識が高い人なら、当たり前のように飲んでいるミネラルウォーター。ですが、飲み方次第で老化の原因にもなり得ることをご存知ですか? 健康のためのつもりがマイナスに……なんてことになってしまわないよう、正しい水分摂取のポイントを押さえておきましょう。
■加齢と共に減って行く体内の水分量
人間の身体の60%は水分でできていると言われています。それだけではなく、実は骨の3分の1も、水でできています。体内の水分量は新生児で 80%、幼児は70%と、成長とともに減ってゆき、成人すると男性は60%、女性は55%まで減少します。さらに60歳以上になると50%くらいになってしまいます。
■水分量の摂り方を間違えると意味が無い!
水は血液として身体をめぐり、栄養素を運び、老廃物を排泄するという大きな役割があります。水が不足していると、血はドロドロになってしまい、血の巡りが悪くなったり、便秘がちになったり、疲れやすくなってしまいます。だからと言って、水を大量に一気飲みしても、意味がありません。人の身体は、水を一気に吸収することができず、単に身体に負担をかけることにしかなりません。
大切なことは身体にとって必要な水分量を知り、こまめに飲むこと。汗や尿として排出する水分を含めて考えると、1日に補填したい水分量は2.5Lですが、水だけではなく、お茶や食事からも水分を摂取するので、ミネラルウォーターで摂取したい水分量は1日に1L~1.5Lが目安であると覚えておきましょう。
■美肌のためにも覚えておきたい水飲みポイント3つ
1:カフェインを摂取する時はお水も忘れず!
カフェインは胃腸に負担がかかる他、利尿作用があり、体内の水分を排出してしまいますので、コーヒーやお茶を1杯飲んだら、水を2杯飲むというように、カフェインを含んだ飲み物を飲む場合は、水もセットにして飲むようにしましょう。
2:500mlペットボトル3本を朝昼夜に分けて飲む
水を一気に飲んでも意味が無く、大切なのは少しずつこまめに飲むこと、とは言っても、習慣にするまではなかなか難しいもの。リズムをつかむためにも、1日に500mlを3本飲みきることを意識し、デスクの上に置いたり、鞄の中に入れたりして、のどが渇いたときはもちろん、小腹がすいたときに間食の代わりに飲むなど、水を身近な存在にするのがおすすめです。
3:常温の水で肌のコンディションを整える
常温の水は身体に吸収されやすく、代謝を上げる作用も期待できるため、疲れが気になる時や、肌のコンディションが優れない時、ダイエット中などは、常温の水を飲むようにしましょう。
健康と美肌のお供として欠かせないミネラルウォーター。正しい飲み方で頼りになる相棒になって欲しいものですね。
[Life & Beauty Report]
Posted by nob : 2014年09月13日 20:47
言い得て妙。。。Vol.21/直感と想像力こそが肝要。。。
■自分を論理的だと思っている人へ/論理的思考は魔法の杖ではないって話
匿名ブロガー
ここ数年、「論理的思考」がバズワードになっている。
論理的思考を磨かなければと誰もが強迫観念にかられ、今では「ロジカルな人」が最高の褒め言葉だ。40年前のサラリーマンが「モーレツ」であることを誇りに思い、10年前のビジネスマンがチーズはどこに消えたのか頭を悩ませていたように、現在の日本では「論理的思考」が尊ばれている。まるで、魔法の杖のように。
論理的思考さえ身につければ何もかも解決できる。あらゆる失敗の原因はロジカル・シンキングの不足にある。そんな「論理的思考万能説」が、今の日本には蔓延している。こうした万能説を唱えること自体が論理的思考の不足なのだが、そのことに気づかない人も多いようだ。「論理的思考」への絶対の信頼は、もはや信仰に近い。
たしかに論理的思考は便利だ。しかし、万能ではない。
そこで今回は、論理的思考へのよくある誤解を4つ取り上げたい。論理的思考に何ができて、何ができないのか、一度ハッキリさせておこう。
1.「論理的である」とは「遠慮がない」という意味ではない。
どういうわけか、「気を遣わないこと」を「論理的だ」と思っている人はとても多い。感情面に配慮せずに議論することを「論理的な議論」だと信じている人には、なんというか、もう、げんなりさせられる。
言うまでもなく、論理的であることと、他人の感情に配慮することは、対立概念ではない。論理的に事実の分析を積み重ねながら、同時に他人の感情に配慮することも可能だ。論理的思考と感情的配慮は両立できる。
ただし、極端に論理的でありながら感情面にも気が回る「ほんとうに頭脳明晰な人」は、とても希少だ。
そういう人物に、私は今までの人生でたった2人しか出会っていない。私はむしろ運がいいほうで、1人も出会わずに生涯を終える人も少なくないだろう。「ほんとうに頭脳明晰な人」の存在を知らなければ、論理的思考と感情的配慮が両立することを理解するのは難しいかもしれない。
自分は論理的だと思っている人は、まず「ただ遠慮がないだけ」なのか、それとも、ほんとうに頭脳明晰な人を目指しているのか、自省してみるといいだろう。
2.論理的思考力は、物事を単純化して考える力ではない。
三段論法は論理的思考の入り口だ。AならばB、BならばC。したがってAならばC……というアレだ。しかし現実の問題はA、B、Cのたった3つの要素に分解できるほど単純ではない。例外と確率的要素に満ちている。したがって単純な三段論法だけでは、本来、複雑な現実の問題に対処できない。
そのため、論理的思考力を実用する場合には、さまざまな事実と予想を列挙して、優先順位をつけていくしかない。複雑な事象を複雑なまま扱うことこそ、論理的思考力を身につける究極の目的だ。
ところが世の中には、論理的思考=三段論法だと思っている人が珍しくない。複雑な事象をそのままでは扱えず、カリカチュアライズしなければ理解できない人が驚くほど多い。
現実は複雑だ。
例外はいつでもある。結果を確率的にしか予想できない場合もある。そういう現実世界の複雑さを無視すれば、自分を論理的な人間だと信じていられる。勝手に創造したルールの中で、いくらでも論理性を維持できるからだ。優勢遺伝の法則という現実を無視すれば、「子の性質は神が決める」という主張は充分に論理的だ。
自分は論理的だと思っている人は、まず「ただ現実を単純化しすぎているだけ」ではないか自省してみるといいだろう。
3.論理的思考力とコミュニケーション能力は違う。
おそらく自己啓発系の書籍やセミナーでは、「論理的なプレゼンをしましょう」「商談では論理的思考が役立ちます」と繰り返されているのだろう。これらの主張は、おそらく事実だ。論理的思考力がある人は、プレゼンも交渉もそつなくこなせるだろう。しかし論理的思考力は、プレゼン能力や交渉力――広義のコミュニケーション能力ではない。
論理的思考力を、プレゼン能力・交渉力と混用している人は多い。
下手くそなプレゼンを見たときに「あいつは論理的思考が弱い」と笑い、商談に失敗した部下に「論理的思考を磨け」と叱咤する。論理的思考力とコミュニケーション能力を混同した典型的な例だ。
「Rootportは人間である」という命題は正しい。しかし「人間はRootportである」という命題は正しくない。同様に、「プレゼンが上手い人は論理的思考ができる」という命題はおそらく正しいが、しかし「論理的思考のできる人はプレゼンが上手い」とは限らない。ロジカルでもプレゼンが下手な人は存在しうるし、プレゼンが下手だからといって非論理的な人だとも限らない。
一つの命題が正しいからといって、その命題の逆・裏が正しいとは限らない。ある事象と別のある事象とに因果関係が認められるとして、因果を逆にできるとも限らない。プレゼン能力や交渉力からは、その人のロジカルさを推し量ることはできない。それを無視して、論理的思考力とコミュニケーション能力を混同することこそ、非論理的な態度だと言わざるをえないだろう。
ロジカルであることと、コミュニケーション能力があることは違う。たしかに、ロジカルでない人は、コミュニケーション能力にも限界がある。しかし、ロジカルだからといってコミュニケーション能力があるわけではない。この世でもっともロジカルな人種は、無言の哲学者と笑わない数学者だ。
自分を論理的だと思う人は、ほんとうに論理的な意思疎通をしているのか、それともただ口が上手いだけなのか、自省してみるといいだろう。
4.論理的思考を身につけても、仕事が早くなるとは限らない。
「ロジカルな人間を集めれば仕事がスピーディーに進む」というのは誤解だ。論理性を重視する人間を集めたら、話はなかなか前に進まず、仕事はむしろ遅くなる。仕事をすばやく進められるのは、同僚がロジカルなのではなく、ただ、あなたと気が合うだけだ。
論理性を重視する人間は、たとえば言葉の定義にこだわる。「○○という施策を打てばおいしい状況になりますね」と言われたら、「おいしい状況って、どういう状況ですか?」と考えてしまう。売上げが伸びるのか、利益が伸びるのか、それとも時間的なメリットがあるのか。定義を詰めないと話が進まない。
定性的で主観的な評価は、定量的で一般的な評価に変えなければ気が済まない。「この広告はイマイチですよね」と同意を求められた時に、「いつのどの広告に比べて、どこがどれぐらいイマイチですか?」と考えてしまう。たとえ、自分自身もイマイチだと感じていたとしてもだ。
なぜ定量化・一般化を求めるのかといえば、論理的な人間は自分を信用していないからだ。自分の「感性」よりも、論理を信じているからだ。「この広告はイマイチですね」という意見が全会一致だとしても、会議室のメンバーにとってイマイチなのか、顧客にとってイマイチなのか、多数決では区別できない。
論理的な厳密さを求めれば、会議は遅々として進まなくなる。作業は正確になるかもしれないが、どこまでも遅くなる。そして時間という最も重要なリソースを失ってしまう。論理的な人間を集めれば仕事が早く終わるというのは幻想だ。
論理性は、意思決定の「正確さ」「緻密さ」を左右するものであって、「速さ」にはあまり効果がない。正確で緻密な判断は欠かせないが、そのためにいつまでも時間を費やしていいわけではない。
「論理的な人を集めれば仕事が早く終わる」と信じている人は、結局のところ「論理的であること」と「気を遣わないこと」を履き違えているだけだろう。気を遣わずにズバズバと意見交換できる間柄なら、たしかに仕事は早い。仕事の早い仲間に恵まれたら、自分たちがほんとうに論理的なのか、それともただ気が合うだけなのか、自省してみるといいだろう。
論理的であるとは、遠慮がないという意味ではない。ものごとを単純化して考える方法でもない。論理的思考とコミュニケーション能力は違うし、ロジカルな人を集めても仕事が早く進むとは限らない。論理的思考は、万能な魔法の杖ではない。
たとえば仕事が遅い人には「あなたは仕事が遅い」と指摘するべきだし、プレゼンが下手な人には「あなたはプレゼンが下手だ」と指摘すべきだ。「あなたは論理的思考が足りない」と指摘するのは、やめておいたほうがいいだろう。プレゼンにはプレゼンの技術がある。交渉には交渉の技術がある。それらを無視して論理的思考を磨こうとするのは、ただ遠回りしているだけだ。
論理的思考を身につけなくていいと言いたいわけではない。
論理的思考は万能ではないが、有用だ。
むしろ、できないことがたくさんあると理解したうえで、ほんとうの論理性を磨くべきだと私は思う。
[ハフィントンポスト]
Posted by nob : 2014年09月12日 18:17
神頼みならぬ(実体が伴わない)株頼み、、、虚構の先に未来はない。。。
■アベノミクスの神通力に陰り
消費税増税に赤信号が点滅!
田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]
4~6月のGDPは7.1%減!
7~9月も予想以上に悪化か
政府は9月8日、本年4~6月のGDP(国内総生産)の改定値を発表した。
それによると、8月発表の年率換算前期比6.8%減の速報値をさらに下回り、7.1%減となった。
消費税率を8%から10%に上げる最終決定は年末12月初旬に予定されている。来年10月に10%に上げるなら、来年度予算編成前に決めなければ歳入の見積もりなどに支障が出るからだ。
だが、ここに来て示されるさまざまな経済指標は、実体経済が想像以上に弱含みであることを示し、年末の増税決定に不安感を増幅させている。
本年の1~3月期の駆け込み需要や、4~6月期の反動減は想定内のこと。ただ、4~6月期の落ち込みは大きく、当初の予想を越えるものであった。
問題は、年末の最終決定に際して最重要の判断材料となる7~9月期の経済の実績が、官民の予想よりかなり悪くなりそうなことだ。
政府は「4~6月が悪くても7~9月は良くなる」と楽観していたようだが、7月、8月の景況を示す個別の経済指標が示され始めると、とても楽観できるようなものではない。
8月末に発表された7月の家計調査では、前年同月と比べて実質で5.9%も減少し、何とその下げ幅は6月の3.0%減の倍の大きさとなった。それに7月の完全失業率は6月より0.1ポイント上昇し、好調だった雇用状態にも陰りが生じている。
さらに、消費者物価指数は昨年7月比で3.3%も上昇、賃金の伸びがそれに追いつかないため実質賃金が低下し続けている。
4~6月のGDPが下方修正された要因は個人消費の伸び悩みとともに設備投資の不振も大きな原因だ。設備投資は、速報値の2.5%減から5.1%減にまで下方修正されたのである。
GDPは、民需の柱である個人消費と民間設備投資でその7、8割を占められる。この2つの柱が不調であれば、GDPの数字が持ち直さないのは当然だ。
モノの売れ行きが良くなれば生産が増加し、雇用も賃金も増加し設備投資が活発になる。この初歩的な経済法則にアベノミクスは応えていないのだろう。
百貨店が好調で、コンビニが不調。これもふしぎな現象だが、株高頼みの政策がなせるわざなのかもしれない。
消費増税は見送りの方向か?
谷垣幹事長就任で「経済の内閣、財政の党」に
7~9月と言ってももう9月。この短期間に劇的に改善する特効薬はない。後追いで巨額の経済対策を講じても間に合わなくなっている。
増税推進派は「法律に書いてあるから」というが、そんなことは理由にならない。このまま経済が推移すれば、年末の決定を先送りするのは当然だろう。
おそらく、安倍晋三首相は増税先送りに傾きつつあるだろう。彼は、財務省に取り込まれていない数少ない首相だから、経済が不調なら増税を見送ることができよう。
首相は内閣改造後の会見で、あらためて「経済最優先」を強調した。私はこれを「増税見送りもあり得る」とのメッセージと受け取った。
党や内閣の幹部の中で最も「何が何でも増税断行」と考えているのは、谷垣禎一自民党幹事長かもしれない。それに歩調を合わせるのは党内の財務省OBなどの有力者だろう。
こう考えると、今後は「経済の内閣と財政の党」という奇妙な逆転対立構造になることもあり得るだろう。
世論調査では、谷垣幹事長に対する期待は大きい。それは消費税増税に対してではなく、特定秘密保護法、原発再稼働、安保政策などに対して、彼に軌道修正を主導してほしいということにある。それをしっかり受け止めてほしい。
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2014年09月12日 18:02
また旅立つ君へVol.77/常識は、、、
だれかの都合。。。
Posted by nob : 2014年09月01日 15:15
そもそも至極当然のこと。。。
■自分の命を人に預けない
石崎 公子
広島をはじめ、多くの地域の土砂災害被害は大変なものになっている。テレビ画面に映るあり得ないような惨状に、言葉もない。朝になったら、家の状況や周りの状況が一変しているというのは、どれだけ大きなショックだろう。この蒸し暑い中で、土砂と格闘されるのは想像するだけで気が遠くなる。
被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。
この状況を見て、私たちはいったい何を学べるのだろう。このような災害による被害をどう防いだらいいのか、どのような対策ができるのか、どうしたらいいのか……?
それに対して、NHKの防災担当記者がテレビで言っていたのが、「自分の命を人に預けない」ということだった。
今や、自然災害の大きさは、想定範囲を大きく超える。大雨も洪水も、地震も津波も、竜巻も台風も。少し前ではありえないような異常気象が頻発している。
「自分の命を人に預けない」とは、「自分の命を自分で守る」ということだ。
何が起きるかわからないから、いろいろなことを想定しながら、自分はどうすればいいかを自発的に自律的に考えること。自ら情報を取りに行き、自ら想像力を働かせて、自ら何をしたらいいかを考える。そういうことだ。
これを聞いて思った。これは、防災だけではない。人生も、仕事も、何もかも。そういう時代になったのだな、とつくづく思うのだ。
会社だって、仕事だって、明日はどうなるかわからない。今日安泰なことが、明日安泰であるかどうか、どんどんわからない時代になってきたと思う。しかも、何をすれば安心、という「100%」が、今の時代にはないのだ。
自分で自分をどう守るかなど、かつてはそうそう考える必要などなかったのではないか。それはきっと、会社が、ご近所が、家族が、支えてくれていたのかもしれない。そこまで急激に変化するようなことが多くなかったこともあるだろうが、変化に対して、周りが守ってくれたことも大きかったし、会社や地域の人が考えてくれたり、専門家の人が考えてくれたりしていたのだと思う。
今は、かつてよりも情報はたくさんある。情報源も増えた。危険を予知する方法だって以前よりも増えているかもしれない。
しかし、情報がたくさんあったとしても、どの情報を取りに行くかを決めるのは自分。選ぶのも自分だし、情報を取りに行くのも自分。さらに、その情報を元にどう考えるかも自分だ。
医療だって、お医者さんにお任せだったのが、今ではどのお医者さんに診てもらうか、どこで診てもらうかを自分で探し、選ぶことで、より良い医療が受けられるし、治療法だって選ぶ時代だ。
どれを選ぶかを一緒に考える人や教えてもらう人との関係性まで、以前よりも自発的に作ることが求められつつあるように思う。
そういうことを自由自在にできる人はいい。誰もがそういう人ではない。そうはできない。何をどうしたらいいか迷う人、わからない人には、とても厳しい時代になったと言わざるを得ない。でも多くの人がそうなのではないだろうか。
命も人生もすべて、人任せにするな。自分が自分で決める、考える、そうしなくてはいけない時代。自己責任という言葉が話題になってからずいぶん経つが、もはやそれは当たり前で話題にすらならないのかもしれない。わかるけれど、厳しい。
人生を人に預けない。
防災を考えることで厳しい時代を再確認し、自分自身の人生についてもしっかり自分で考えることが、今、求められているのだと改めて思う。
[newsdig]
Posted by nob : 2014年09月01日 15:09