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経済は所詮絵空事、止まれない自転車、、、銀行、生保、ひいては国家、ゼロ成長ですべて破綻する。。。

■スペインの銀行、最大6兆円資本不足 特別検査結果

 【パリ=竹内康雄】スペイン政府と中央銀行は28日、国内の銀行が対象の特別検査(ストレステスト)で資本不足は最大で総額593億ユーロ(約6兆円)になったとの結果を公表した。政府はこの数値をもとに各銀行への資本注入に踏み切る。中銀はユーロ圏から受ける支援は400億ユーロ(約4兆円)規模としている。

 検査は米コンサルタント会社オリバー・ワイマンに委託して実施。6月には資本不足額を最大620億ユーロとする概算を発表していたが、今回の検査では各銀行にどの程度の資本が必要かを調べた。対象は14の金融機関で、国内の預金の約9割を占める。

 このうち最大手のサンタンデール銀行やBBVAなど7つの金融機関は財務内容などが比較的健全で、追加資本は必要ないと判定された。一方、残りの7金融機関は合計593億ユーロの資本が不足する。ただこれらの金融機関の一部は貯蓄銀行(カハ)などとの経営統合が進みつつあり、その過程が終われば537億5000万ユーロになるとの試算も示した。

 金融機関ごとにみると、国有化された大手銀バンキアは247億4300万ユーロと資本不足額が最大。次いでカタルーニャバンクの108億2500万ユーロ、NCGバンコが71億7600万ユーロと続いた。

 スペイン政府は銀行部門の支援に関しては、7月にユーロ圏各国と最大1000億ユーロの支援を受けることで合意済み。10月8日のユーロ圏財務相会合で詳細な支援額を決めるとみられるが、スペイン中銀のレストイ副総裁は28日の記者会見で、「ユーロ圏から受ける支援は400億ユーロ程度になる」との見通しを示した。残りは各行が資産の売却などで資金をまかなうという。

 スペインの銀行はバブル期に建設関連や不動産に多くの資金を投じたものの、バブル崩壊後に保有資産の価値が急落。大量の不良債権を抱え、その処理が課題になっている。スペインの国内銀行の融資全体に占める不良債権の比率は7月に9.86%と過去最高を記録した。

 スペインの銀行部門の検査結果を受けて、国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事は28日、「意義深く有効だ」と歓迎するコメントを発表。欧州中央銀行(ECB)も「スペイン当局の計画を支援する」との声明を出した。

[日本経済新聞]

Posted by nob : 2012年09月30日 06:01

住民一斉避難、、、国がまず最優先して全力で取り組むべきであった対策。。。

■福島県の人口流出続く 3~8月、1万人超
宮城・岩手は流出に歯止め

 総務省は27日、東日本大震災で被災した東北3県の今年3~8月の人口移動状況をまとめた。原子力発電所事故の影響がなお大きい福島県で、県外への転出者が県内への転入者を1万1552人上回った。転出超の規模は震災があった昨年3~8月(2万5352人)からは縮小したが、依然として1万人超の大幅な人口流出が続いている。

 宮城県は差し引きで2935人の転入超となった。3~8月としては13年ぶり。震災復興の拠点となっており、総務省は「県外からの企業移転などの影響が考えられる」としている。岩手県は2875人の転出超だが、直近の6~8月に限ると350人の転入超に転じており、人口流出に歯止めがかかってきた。

 宮城・岩手両県と福島県の間で、人口の動きに差が広がっている格好だ。総務省は住民基本台帳をもとに、震災2年目の被災地の人口の動きを定期的に公表している。

[日本経済新聞]

Posted by nob : 2012年09月28日 19:34

今本当に必要なのは善悪の基準。。。

■「原発ゼロ」政府方針の矛盾

原子力平和利用における世界のリーダーであることこそ重要

柏木 孝夫

 政府は9月14日のエネルギー・環境会議で、「2030年代に原発稼働ゼロを可能にするよう、あらゆる政策資源を投入する」ことを盛り込んだ「革新的エネルギー・環境戦略」を決定した。「原発ゼロ」という数字は明記されたものの、国民的議論にかけられた3シナリオ(本コラムの7月20日付「日本の未来を決める「3シナリオ」の修正部分とは」および8月3日付「電力業界解体に切り込む電気事業法改正へ」を参照)すべてを折衷したような、いくつもの矛盾をはらんだ“玉虫色”の内容になっている。

 結局9月19日の閣議では、「革新的エネルギー・環境戦略」を参考文書の扱いにとどめ、閣議決定することは実質的に見送った。経済界や原発立地自治体などから猛烈な反発を受け、日米原子力協定を結ぶ米国や、使用済み核燃料の再処理の委託先である英国、フランスなどから強い懸念や要請があったためとされている。選挙にも決して有利には働かないと、野田佳彦首相は感じ取ったのかもしれない。

「原発ゼロ」に菅前首相の影響力

 「原発ゼロ」の政府方針は、多くの専門家やメディアなどからも指摘されているように、選挙対策の色が強く表れたものと、わたしは思っている。近いうちに行われるであろう衆議院の解散・総選挙を見据え、「ゼロ」という数字を何らかのかたちで示したかったのだと推察される。

 政府の「革新的エネルギー・環境戦略」には、民主党のエネルギー・環境調査会が9月6日に取りまとめた提言「「原発ゼロ社会」を目指して」が、大きく影響していることは間違いない。この提言には同党の原発ゼロ推進派議員による強烈な主張が反映されており、そして菅直人前首相の大きな力が働いていたようである。

 同党の代表選が告示された9月10日の夜、BSフジの「プライムニュース」に、立候補した野田首相、赤松広隆元農水相、原口一博元総務相、鹿野道彦前農水相を、それぞれ支持する同党の近藤洋介、山花郁夫、辻恵、中山義活の4議員が出演。「民主代表選のゆくえは 各候補の支持者にきく」と題し、政策について議論した。番組の後半、エネルギー政策の議論には、わたしも専門家として参加した。

 この議論でも各候補の支持者らは、当然ながら同党の提言にあり、後に「革新的エネルギー・環境戦略」にも盛り込まれた「2030年代に原発稼働ゼロを可能にするよう、あらゆる政策資源を投入する」ことを大前提に主張を展開した。原発ゼロの実現時期については候補ごとに多少の差異があり、原口候補にいたっては、さらに前倒して原発ゼロを実現すべきとの主張だった。その一方で、各支持者とも原発の代替案に関しては不明確であり、やはり選挙対策の色が強いと思わざるを得なかった。

選挙対策としては逆効果に

 原発ゼロの根拠とされた、国民による支持率の高さにも大きな疑問が残る。前々回の本コラムでも紹介したように、政府による「国民的議論に関する検証会合」では、意見聴取会やパブリックコメントの応募者の意見は、国民全体の縮図とは異なり、分布が偏る可能性が高いことが指摘された。

 わたしが出演した9月9日のNHK「日曜討論」は、「激論!どうする原発・エネルギー政策」と題して、古川元久国家戦略相、橘川武郎一橋大学大学院教授、高橋洋富士通総研主任研究員と、島田敏男NHK解説委員の司会で、改めて3シナリオについて議論した。この番組の中でも、政府主催の国民的議論と、8月に実施したNHKの世論調査では、原発ゼロへの支持率に明確な差異があることが示された。

 国民的議論の討論型世論調査では47%、意見聴取会の参加者では68%、パブリックコメントでは87%と、いずれも3シナリオの中で「ゼロシナリオ」の支持率が最も高かった。それに対し、NHKの世論調査では「ゼロシナリオ」は36%で、「15シナリオ」の39%よりも少なかった。国民による本当の支持率は、NHKの世論調査の数字に近いのではないだろうか。

 エネルギー政策の重要な論点が広く知られるところとなり、議論が深まっていくにつれ、原発ゼロを性急に求めるのではなく、じっくり考えて判断しようという意見の国民が増えてきているようにも思われる。原発ゼロを主張することは、選挙対策としては逆効果になる可能性も決して低くはないだろう。

 これまでの本コラム(8月24日付「再エネを補完するコジェネがカギに」など)でも一貫して主張してきたように、国民生活を守る上で、もちろん安全であることは不可欠だが、同様に安定供給の維持も極めて重要であることを、改めて強調しておきたい。安定供給のためには、一定の割合で原発を維持し、一次エネルギーの選択肢を減らさないことが大きな意味を持つ。原子力を手放すことで足元を見られ、天然ガスなど他の一次エネルギーの価格上昇を抑えることが難しくなり、電力コストは確実に上昇する。その結果、産業は静かに国外へと逃げ、空洞化によって雇用は減り、収入も減り、国民生活は大きな打撃を受けることになる。

 政府が実施した国民的議論では意見が偏り、原発ゼロへの支持率が高めになることは、実は織り込み済みだったのではないだろうか。民主党は、原発ゼロありきで単眼的に政策を議論してきた感がある。そこに強い影響力を及ぼした菅前首相には、極めて大きな失望を覚える。大学の同窓であり、同じ技術屋出身だからこそ、もっと複眼的な広い視野を持ってほしかったというのが正直な気持ちだ。

最終処分場の確保にこそ政治決断を

 原発ゼロが選挙対策に過ぎないと受け止められたのは、政策上の矛盾があったからでもある。例えば、原発ゼロを目指すとしながらも、使用済み核燃料の再処理など核燃料サイクルを中長期的に推進することが、「革新的エネルギー・環境戦略」には盛り込まれている。9月18日に開かれた経済産業省の総合資源エネルギー調査会の基本問題委員会では、原発ゼロを主張する委員からも、原発維持を主張する委員からも、批判的な意見が続出した。

 使用済み核燃料の問題は、極めて深刻である。今後、原発を減らすのか、維持するのかにかかわらず、その深刻さに変わりはない。

 中間貯蔵施設は、すぐに満杯になってしまう。現状では、全国の原発敷地内に付設された中間貯蔵施設の容量は約2万トン。そのうち約7割が使われており、残りは約6400トン分しかない。青森県六ヶ所村に建設中の再処理工場にも、再処理を待つ使用済み核燃料の中間貯蔵施設がある。しかし、その容量は3000トンで、すでに2860トンの使用済み核燃料が保管されている。残りは、わずか140トン分である。

 再処理事業を行う日本原燃と青森県、六ヶ所村の3者が1998年に締結した覚書には、「再処理事業の確実な実施が著しく困難になった場合には、青森県、六ヶ所村及び日本原燃株式会社が協議のうえ、日本原燃株式会社は使用済燃料の施設外への搬出を含め、速やかに必要かつ適切な措置を講ずるものとする」と記されている。

 つまり、再処理などの核燃料サイクルをやめると政府が決めてしまったならば、六ヶ所村の中間貯蔵施設に保管されている2860トンの使用済み核燃料が返還されることになる。それらは、原発に付設された中間貯蔵施設に保管するしかない。残る容量は約3500トンにまで一気に減り、すべての原発が数年稼働すれば満杯になる。政府の「革新的エネルギー・環境戦略」が、原発ゼロを目指しながら核燃料サイクルを中長期的に推進するという矛盾した内容になった背景には、こうした事情があったのである。

 青森県むつ市では、5000トン規模の中間貯蔵施設も建設中である。これが完成すれば、少しは余裕ができる。しかし、あくまでも中間貯蔵施設であり、いずれはそこから最終処分場へ、使用済み核燃料を移さなければならない。

 その最終処分場の確保が、さらに重大な問題である。直接処分するにせよ、再処理するにせよ、最終処分場は確保しなければならない。どこにするのか、地域住民の理解は得られるのか、極めて難しい問題である。その解決にこそ、政治決断が求められる。きれいごとでは解決できない。清濁併せのむ政治家の度量が必要だろう。

原子力の平和利用で果たすべき日本の役割

 我が国が原子力の平和利用を世界的に認められてきたのは、日米原子力協定があったからであり、核不拡散条約を批准し、同条約に基づくIAEA(国際原子力機関)との保障措置協定があったからである。特に、日米原子力協定を根拠とする米国との協力関係なしには、我が国の原子力政策は成り立たない。

 その米国は、日本が原発を放棄することに、極めて強い懸念を示している。

 9月13日付の日本経済新聞に寄稿した米戦略国際問題研究所(CSIS)のジョン・ハレム所長は、原発ゼロを目指す戦略が、核不拡散における日本の国際社会に対する責任の放棄になると指摘している。福島第一原発のシビアアクシデントを経験した日本だからこそ、それを乗り越え、これまでと同じく核不拡散のリーダーであり続けるべきだという。

 中国は今後30年間で、75〜125基の原発建設を計画している。日本が原発を放棄して、中国が世界最大の原子力国家になってしまったら、どうなるのか。中国をはじめ他国に対して、核不拡散に関する世界最高峰の技術レベルや安全性を要求する能力を、日本は失ってしまうだろう。国家安全保障上の観点からも、そのことをハレム所長は強く危惧する。

 わたしも全く同意見である。まさに、危機を意味する英語「crisis」のもう一つの意味である分岐点に、我が国は立たされている。原子力の平和利用における世界のリーダーとしての責務を担い続けることが、日本の進むべき道だと確信する。

閉鎖的な極限環境でのロボット技術が鍵に

 世界のリーダーであり続ける上で鍵となるのが、閉鎖的な極限環境でのロボット技術ではないかと、わたしは考える。自律制御や遠隔操作などのロボット技術を駆使し、原発施設内の放射線量が極めて高い環境下でも、円滑に作業できるようになれば、不具合を未然に防ぎ、故障を迅速かつ的確に修理することも可能になる。作業員の被曝も最小限に抑えられる。福島第一原発の廃炉作業でも活躍できるだろう。

 宇宙や地中、深海などの極限空間にも、このロボット技術は展開できる。人体内などの微小空間でも、同様の技術を生かせるかもしれない。要素技術は、さまざまな分野に応用できるだろう。

 原発の安全性を高めるための新技術の開発は、新たな産業や市場を創出し、国力を高め、国民の暮らしを豊かにする可能性を大いに秘めているのである。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年09月28日 17:06

hikaruの暮らし、、、今何処に。。。

■[橘玲の日々刻々]
書評『終身旅行者 PT』

『終身旅行者 PT』は、木村昭二さんの13年ぶりの書き下ろしです。私はこの本の帯も書いているので、これは書評というよりも友人の本の紹介です。

 木村さんは1999年刊の『税金を払わない終身旅行者』で、日本にはじめてPTを紹介しました。このBLOGの読者なら知っていると思いますが、PT(永遠の旅行者)は1990年代に、アメリカ生まれの国際投資家W.G.ヒルが提唱したまったく新しい人生のスタイルです。ヒルは(アメリカを除く)ほとんどの国の税制が属地主義で、非居住者は原則として海外所得に対して課税されないことを利用して、居住者と見なされない範囲で複数の国に滞在することで合法的無税化が実現できることを発見したのです。

 たとえばアメリカの場合、原則として1年間に183日以上、国内に滞在した者が居住者になりますから、ビザ免除で滞在できる180日以内の滞在であれば、非居住者として米国内に源泉を持たない所得に課税されることはありません。同様の規定は世界の多くの国で採用されており、理屈のうえでは、少なくとも3つの国を順番に移動すれば、どの国の居住者にもならず、どの国にも合法的に税金を納めなくてもいい立場が手に入ることになります。これが「終身旅行者Permanent Traveler」「永遠の旅行者Perpetual Traveler」と呼ばれるライフスタイルで、その頭文字をとってPTと呼ばれます(日本の税法は居住者か非居住者かを実態基準で判断するので、この例には当てはまりません)。

 もっともPTはあくまでも理念的なもので、現実的な人生設計よりも小説の方が似合います。世界にはタックスヘイヴンと呼ばれる国や地域があって、そこでは居住者であっても海外所得に課税されることはないので、4カ月ごとにせわしなく移動するよりも香港やシンガポール(あるいはモナコやチャンネル諸島)に住んだ方がずっと簡単だからです(日本の税法では、住所を持たないPTは非居住者と見なされない恐れもあります)。

 それでも、木村さんの『税金を払わない終身旅行者』が与えたインパクトは大きなものがありました。それまで、ほとんどの日本人は生涯をこの島国で暮らし、そうでなければ「国を捨てて」移民することしか思いつきませんでした。そこに世界を旅しつつ、課税負担を最適化しながら人生を楽しむ軽やかな生き方の可能性を示したからです(最近ではこうしたライフスタイルは“ノマド”と呼ばれています)。

 それから13年後に書かれた本書のテーマは「リスク」です。東日本大震災と福島第一原発の事故を経て、私たちは「日本というリスク」から目を逸らすことができくなりました(このことについては、『大震災の後で人生について語るということ』で書いています)。

 誤解のないように述べておくと、これは日本が世界のなかでとりわけリスクの高い国だということではありません。私たち日本人は、(人的資本を含む)ほとんどの資産(資本)を日本国に預けているので、ひとたび国家のリスクが顕在化すると人生設計が土台から崩壊してしまうのです。

 半世紀前なら(20年前でも)、こうした国家のリスクは天変地異のような「しかたのないもの」と観念されていたでしょう。だがいまでは金融資産は国境を越えて瞬時に移動し、法人登記を海外に移すことも自由です。留学や海外での就職も当たり前になり、新興国を中心に退職者が安価に居住権を所得できるプログラム(リタイアメントビザ)も増えました。そうした新しい「人生設計のテクノロジー」を使いこなせれば、日本というリスクにヘッジ(保険)をかけることが可能になったのです。

 本書には、日本人が日本というリスクに備えてなにをすべきかが詳細に書かれています。もちろんいますぐにPTを実現できるひとは多くはないでしょう。しかし“その時”が来たら、生き延びるためのどのような選択肢が残されているのかを考えておくことは重要です。

 日本というリスクを「分散」させて自分や家族を守る方法は、すでに欧米のプライベートバンク(PB)が盛んに日本の超富裕層に売り込んでいます。オフショア法人やオフショア信託などの“タックススキーム”の営業を受けている方たちも、本書を一読しておけば、オフショアを活用するメリットとリスクについてPBの営業担当者よりも詳しくなれるでしょう。

 執筆・作家 橘玲

[ZAI ONLINE]

Posted by nob : 2012年09月28日 16:43

まずは自らに、、、そして他人(ひと)にまかす。。。

信というは

まかすとよむなり

[建長寺]

Posted by nob : 2012年09月25日 19:10

心底腐り切っている。。。

■社説:復興財源の流用 罪深い「官」の背信行為

 「シロアリ」との批判に抗弁できるだろうか。東日本大震災の復興対策として計上された予算の多くが被災地以外に支出されていたことが表面化している。

 来年度予算の概算要求でも復興予算の約4分の1は被災地との直接の関係が不明な経費が占める。震災対策を隠れみのに中央官庁が分捕り合戦を演じているとすれば許し難い背信行為だ。過去の支出と来年度概算要求の徹底精査を求めたい。

 復興対策をめぐっては5年間で19兆円の大枠があるが、突破は確実視されている。政府は今年度予算までに原発事故に伴う除染費用や使われなかった経費を除き、約17兆円を計上している。

 ところが、被災地から遠く離れた全国の建設事業や企業の立地補助金などに相当の費用があてられていた。「全国防災」や地域経済再生などを名目とする支出が復興基本方針で認められていたためだ。

 復興財源は25年間にわたる復興増税などでまかなわれた。被災地外に支出された予算には必要なものもあるかもしれないが、少なくとも復興財源をあてることに国民の合意は全く得られていない。「復興予算」には中央官庁が所管する独立行政法人への支出もまぎれこんでいる。財政難の中で国民負担でやっと絞りだした財源に各省が群がり被災地支援を圧迫しているとすれば、罪深い。

[毎日新聞]


■基準地価 復興予算を正しく使え

 国土交通省が発表した基準地価(七月一日時点)は全国的には底入れ感が見えてきた。だが、東日本大震災の被災地では二極化が進む。“流用”が目立つ復興予算をきちんと被災地に向けるべきだ。

 被災三県のうち福島県では、今なお警戒区域などの指定で三十一の基準地で調査を休止した。それを除いても、住宅地、商業地とも下落した地点が前年より増え、地価は引き続き低迷したままだ。

 一方、宮城県や岩手県では、一部の高台や被害が軽かった住宅地で住民の移転需要が集中したことから、上昇した地点が出た。同県陸前高田市の高台住宅地は全国一位の上昇率を示したほどだ。

 しかし、同県全体でみると福島県よりも下落率は大きかった。要するに、安全な場所や都市機能が回復してきた地域と、そうでない地域とで地価の二極化が一段と鮮明になった。見方を変えれば、遅々として進まないがれき処理など「復興事業の遅れ」が、こうした二極化の傾向を強めているのだ。

 政府は震災復興に必要な費用を、当初五年間で少なくとも十九兆円と見積もり、復興増税を決めた。だが、その復興予算は実際には津波で甚大な被害を受けた沿岸被災地へ十分に行き渡っていないばかりか、被災地とはまったく関係のない原子力ムラの独立行政法人・日本原子力研究開発機構に核融合研究費として四十二億円が二〇一二年度予算で流用された。

 ほかにも沖縄県の国道工事などに充てられ、さらに一三年度予算でも計上は認められない方向だが同機構の研究費四十八億円が概算要求に盛り込まれていた。

 復興増税は二十五年間にわたって所得税に上乗せされ、個人住民税にも十年間かかる。国民は当然、被災地の復興に使われると理解しているはずだ。しかし、必要とされる被災地には届かず、遠く離れた公共工事などに流用されていた。被災地や国民に対し、許されない背信行為である。

 野田佳彦首相は年頭の施政方針演説で述べた「一日も早く被災地に復興の槌音(つちおと)を力強く響かせたい」の一節を、よもや忘れてはいるまい。

 住む土地や生計を営む場所の確保は急務だ。復興の遅れには、浸水で土地の境界や所有者が不明などの事情もある。自治体の人手も足りないだろう。土地利用に関して国や県が握る許認可の権限を、市町村に一定期間移管するなど、平時とは違う支援が必要である。

[東京新聞]

Posted by nob : 2012年09月24日 08:42

私も私自身を信じている。。。

僕は僕自身を信じている。。。

一線のレベルでまだまだやれると思うからこそ頑張れる。。。

[三浦知良]

Posted by nob : 2012年09月24日 01:27

やりきれない深い失望感、、、いつまで米国支配に従属し続けるのか。。。

■[「原発ゼロ」後退]国民的議論を広げよう

 政府は、先週決定したばかりの「原発稼働ゼロ」の御旗を、舌の根も乾かぬうちに、あっさりと降ろしてしまった。

 「2030年代に原発ゼロを目指すというのはわれわれの方針だ」と野田佳彦首相が強弁しても、閣議の決定文に盛り込んでいない以上、事実上の方針見送りだ。

 古川元久国家戦略担当相を議長に14日に決定した革新的エネルギー・環境戦略は、原発の40年運転制限や新増設をしないなどの原則を立て30年代に稼働ゼロを目指すとA4判約20ページにまとめていた。

 しかし、閣議決定文はわずかに5行。戦略の中身は具体的に記さず、「柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」と早くも戦略自体の見直しだけを強調している。

 こうした野田政権の及び腰は、原発ゼロに反対する経済界や原発が立地する自治体、原子力協定を結ぶ米国などに配慮が背景にあるとみられているが、今に始まった話ではない。

 当初、民主党は原発を減らしながらも残す考えだった。しかし、次期衆院選をにらんで同党若手議員が「ゼロ」を求め、戦略に盛り込まれたとも指摘されている。

 エネルギー政策の大方針を転換する困難さは十分理解できる。しかし、方針決定で右往左往し、結果、場当たり的な対応に終始する政権に明日の国政を任すわけにはいかない。次期政権にきっちりと民意が伝わるよう、原発政策についていま一度国民的議論を広げるべきだ。

   ■     ■

 政府が自ら作った方針を閣議でほごにした同じ日、原子力規制委員会が発足した。東京電力福島第1原発事故の反省に立ち、新たに原発の安全規制を担う組織だ。

 原発を推進する経済産業省から切り離し、内閣府の原子力安全委員会と一元化したのが特徴で、もたれ合いの構図と批判された「原子力ムラ」からの脱却を目指す。

 当初4月に発足する予定が委員の人事で国会の同意が得られず、半年遅れた。委員長の田中俊一氏自身が原子力行政に携わった「ムラの住人」と批判を受けており、互いをかばい合う関係が温存されてないか気掛かりだ。

 規制委の当面の課題は、40年で運転を制限する基準作りや再稼働を認める際の新たな基準作りだ。安全基準のレベルをどう考えるのか、時の政権との力関係や独立性の担保などの仕組みもまだ不明確で、今後も国民の目でチェックする必要がある。

   ■     ■

 日本より早く脱原発を決めたドイツでも、政策が一貫していたわけではない。運転期間の延長を決めて後、福島原発事故を受けて、政策を凍結するなど一進一退だ。

 政府は多くの国民が「原発ゼロ」を支持していることを受け止め、「今回こそ先送りせずに解決の道を見いだす」と決意した戦略を推進すべきだ。

 脱原発の流れが、原発関係者のみならず、国民生活や他産業へ悪い影響を与えないよう、改革に伴う負荷を解消する努力も求められる。

[沖縄タイムス]


■原発ゼロ「変更余地残せ」 閣議決定回避 米が要求

 野田内閣が「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが二十一日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。

 政府は「革新的エネルギー・環境(エネ環)戦略」の決定が大詰めを迎えた九月初め以降、在米日本大使館や、訪米した大串博志内閣府政務官、長島昭久首相補佐官らが戦略の内容説明を米側に繰り返した。

 十四日の会談で、米高官の国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官はエネ環戦略を閣議決定することを「懸念する」と表明。この時点では、大串氏は「エネ戦略は閣議決定したい」と説明したという。

 さらに米側は「二〇三〇年代」という期限を設けた目標も問題視した。米民主党政権に強い影響力があるシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)のクローニン上級顧問は十三日、「具体的な行程もなく、目標時期を示す政策は危うい」と指摘した。これに対して、長島氏は「目標の時期なしで原発を再稼働した場合、国民は政府が原発推進に突き進むと受け止めてしまう」との趣旨で、ゼロ目標を入れた内閣の立場を伝えていた。また交渉で米側は、核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明したという。

 エネ環戦略は十四日に決めたが、野田内閣は米側の意向をくみ取り、「エネ環政策は、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけを閣議決定。「原発稼働ゼロ」を明記した戦略そのものの閣議決定は見送った。

 大串、長島両氏は帰国後、官邸で野田佳彦首相に訪米内容を報告している。

 政府関係者は「事前に米側に報告して『原発稼働ゼロ』決定への理解を求めようとしたが、米側は日本が原発や核燃サイクルから撤退し、安全保障上の協力関係が薄れることを恐れ、閣議決定の回避を要請したのではないか」と指摘している。

◆「判断変えてない」大串政務官

 原発ゼロをめぐる米国との協議について、大串博志内閣府政務官は二十一日、本紙の取材に対し「個別のやりとりの内容は申し上げられないが、米側からはさまざまな論点、課題の指摘があった。米側からの指摘で日本政府が判断を変えたということはない」と話した。

◆骨抜き背景に米圧力

<解説> 「原発ゼロ」を求める多数の国民の声を無視し、日本政府が米国側の「原発ゼロ政策の固定化につながる閣議決定は回避せよ」との要求を受け、結果的に圧力に屈していた実態が明らかになった。「原発ゼロ」を掲げた新戦略を事実上、骨抜きにした野田内閣の判断は、国民を巻き込んだこれまでの議論を踏みにじる行為で到底、許されるものではない。

 意見交換の中で米側は、日本の主権を尊重すると説明しながらも、米側の要求の根拠として「日本の核技術の衰退は、米国の原子力産業にも悪影響を与える」「再処理施設を稼働し続けたまま原発ゼロになるなら、プルトニウムが日本国内に蓄積され、軍事転用が可能な状況を生んでしまう」などと指摘。再三、米側の「国益」に反すると強調したという。

 当初は、「原発稼働ゼロ」を求める国内世論を米側に説明していた野田内閣。しかし、米側は「政策をしばることなく、選挙で選ばれた人がいつでも政策を変えられる可能性を残すように」と揺さぶりを続けた。

 放射能汚染の影響により現在でも十六万人の避難民が故郷に戻れず、風評被害は農業や漁業を衰退させた。多くの国民の切実な思いを置き去りに、閣議での決定という極めて重い判断を見送った理由について、政府は説明責任を果たす義務がある。 (望月衣塑子)

[東京新聞]

Posted by nob : 2012年09月22日 23:59

ますます加速する富の偏在。。。

■米国民の約7割が「給料ぎりぎりの生活」=調査

[サンアントニオ 19日 ロイター] 米給与計算業協会は19日、米国民の約7割が、給料ぎりぎりの生活を送っているとの調査結果を明らかにした。

給与所得者約3万人を対象に実施した同調査によると、給与の支払いが1週間遅れた場合、生活が「若干難しくなる」もしくは「非常に難しくなる」との回答は68%に上った。同協会はこの結果について、米国民はまだリセッション(景気後退)の後遺症に悩まされていることが示されたとしている。

給料ぎりぎりの生活をしている人の割合は2006年には65%だったが、リセッションを受けて2010年には72%に上昇していた。

同協会が拠点を置くサンアントニオでファイナンシャルプランナー業を営むウェンディ・コワリク氏は、貯金が困難な労働者が増えており、今回の調査結果も「憂慮すべきだが驚きではない」と語っている。

折しも米大統領選では、共和党のロムニー候補が、国民の47%は所得税を払っておらず、政府に依存していると発言したことが明るみに出て物議を醸したばかり。

ロイターとイプソスが19日発表した世論調査によると、同発言を受け、登録有権者の43%がロムニー氏の印象が悪化したと回答している。

[ロイター]

Posted by nob : 2012年09月21日 19:10

話し合い分かち合うことこそ唯一の途、、、今確かにそこにある現実。。。

■北方領土を歩いてきた
ロシア人と一緒に領土問題を考える

 日本と国境を接する近隣諸国と、領有権を巡って緊張状態が続いている。そんな最中の8月下旬、私は北方領土への「ビザなし交流団」の一員として、択捉島を訪れた。

 北海道・根室港を出発、択捉島の北西部にある内岡(なよか)港へと向かう船旅には、今年春に新調されたばかりの4島交流のための専用船「えとぴりか」号が使われた。


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 根室・納沙布岬を右手に、その向うに歯舞諸島が見える。この海域には日露間の境界である「中間線」が引かれている。納沙布岬からそのラインまでたったの1850m。むろん、無許可の船がラインを超えるとロシア側から銃撃を受ける恐れがある。

 我々の船も中間線近くまでは、海上保安庁の巡視船が併走してくれるが、境界近くなると、くるりと向きを変えて帰っていってしまった。


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エトピリカの群れに遭遇

 航海の途中はイルカが船と並走し、日本では絶滅寸前の海鳥エトピリカの群れにも遭遇。海から見る国後島、択捉島は起伏に富み、日本の北限に残された未知の自然にうっとりした。携帯電話を取り出すと、すでにロシアの通信会社の電波に変わっていた。

 深夜0時過ぎ、錨を下ろす音がした。濃霧に包まれた択捉島の影を確認できたのは、翌朝だった。

 寝ぼけ眼の私を覚醒させたのは、船の前に停泊するロシアの国境警備船だった。よく見ると、甲板に大砲がついている。北方領土におけるロシアの実効支配の現実を、上陸前に見せつけられた気がした。


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 北方領土の開発の現状については、後日、本誌にて詳述する。ここでは少し、択捉島のロシア人の暮らしを紹介しながら、領土問題の解決の難しさについて、考察してみたい。

「北方領土」に住むロシア人の声を聞いた

 「ビザなし交流」は、ソ連崩壊後の1991年に日露両国が合意し、文字通り、双方の交流団が「パスポート・ビザなし」で訪問できる枠組みだ。平和条約が締結されるまでの間、現地ロシア人と様々な交流を通じて、相互理解を深め、民間レベルで領土問題解決の土台作りをしていくことを目的としている。

 さて、私たちが択捉島に到着した日の午後、別飛(べっとぶ)地区に住むスタリスカヤ・ナターリヤ・ニコラエブナさん(26歳)とナターシャさん(25歳)の家庭に招かれた。スタリスカヤさんは択捉島生まれの島民2世。ナターシャさんとはロシア本土で出会い、結婚して択捉島に戻ってきた。2人は、 20年ほど前に勃興した財閥系企業の子会社で働いている。


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 彼らの平屋建ての家は、赤いペンキの壁が映え、築35年の家とは思えぬほどモダン。スタリスカヤさんは、我々が到着するのを家の外に出て、待っていてくれた。

 柔和な表情で、細やかな気遣いができる若きロシア人。ウオッカの酔いも進んで、あっという間に打ち解けていった。

 部屋のインテリアや会話の隅々から、この島での暮らしぶりを感じ取ることができた。ふと、ナターシャさんがメモを取っていたノートに目がいった。私も使っているちょっとお洒落なフランス製のノート「RHODIA(ロディア)」だった。裏庭には、極東ウラジオストクで買って運んできたという ISUZU(いすゞ自動車)の四輪駆動車が置かれていた。

 「日本車は最高だよ。極東には韓国車も入っているけど、クリル(北方領土)の人は日本車びいき。韓国車は誰も買わないよ」

 こうして、3時間ほどの対話が始まった。

「マクドナルドが欲しい」

 記者「ケータイはいつ繋がったんですか?」

 スタリスカヤ「2007年頃だったと思う。択捉島にもケータイショップができた。でも、ノキア製ばかりでスマートフォンはこの島では手に入らない」

 記者「インターネットもできるんですか?」

 スタリスカヤ「できるよ。でも、通信速度はとても遅い。SNSもやっているよ。テレビはパソコンの回線を使って見ている」

 記者「不便なことはありますか? 飲食店をあまり見ないけど」

 スタリスカヤ「2〜3年ほど前に比べれば、格段に商品の数が増えて便利になっている。でも、ロシア本土に比べればまだまだ不便。若者が楽しめる娯楽施設がないのがちょっと…。せめて映画館がほしい。カフェもね」

 記者「カフェは1店もない?」

 スタリスカヤ「ちょっとした居酒屋はあるけど、若者が語り合えるような場所がない。マクドナルドとかスターバックスがほしい」

 記者「東京はどんなところか知っている?」

 スタリスカヤ「東京スカイツリーができたのは噂で知っている。ぜひ、見てみたいね」
北方領土に「色」がついた

 彼らが話すように、ここ2年ほどの間に北方領土で暮らす人々の生活は飛躍的に向上した。これは、メドヴェージェフ政権時に打ち出された「クリル諸島社会経済発展計画」(2007年〜2015年)によるもの。約550億円もの巨費が島に投入され、舗装道路や空港、港湾、学校、病院などが突貫工事で作られていった(空港と港湾は建設中)。すると急激に島の経済が回り始める。

 ライフスタイルにも変化が起きた。インターネットが使えるようになると、世界中からモノが届くようになった。人々のファッションはカラフルになり、表情も明るくなった。そもそもロシア人の美意識は高い。建物の外壁にはペンキで色が塗られ、ヨーロッパの小村のような佇まいに変わった。

 だが、たった3年ほど前は別世界だった。トタン屋根に褪せた壁、そして窓ガラスの替わりにビニールを貼った粗末な建物ばかり。褐色に支配され、「負」のイメージが漂う島だった。

 1945年8月に旧ソ連が日ソ中立条約を破棄し、北方4島を占領して67年が経過する。しかし、「戦勝国」の立場で北方領土に進出して以降は、ロシアの最果ての島は、モスクワから見放され続けた。北方領土で暮らすロシアの人々の暮らしは、苦難の連続だったに違いない。しかしそれも、近年の「クリル発展計画」による投資効果で、「過去の話」になりつつある。

消える「日本遺産」

 スタリスカヤさんは、この地が領土問題の渦中にあることを知っている。しかし、旧ソ連時代は、1945年まで日本人が暮らしていた事実すら知らない住民が多かった。「領土問題について、まだ何も知らずに暮らしている人もいる」(スタリスカヤさん)。

 それもそのはず、旧ソ連による占領後、日本建築物のほとんどは壊された。現時点で北方領土に残る戦前の日本の名残は、択捉島にある鉄筋コンクリート造りの地震観測所と、ソ連兵が侵略してきたことを打電した郵便局の2つだけ。その郵便局も私が訪れた時には、屋根や壁がなくなり、強風でも吹けば跡形もなく飛んでしまいそうな有様だった。


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 訪問団は今回、択捉島の地区長宛に、郵便局の保全を求めた。しかし、ロシア側から見れば、「日本遺産」はなくなってしまったほうが、「実効支配」を進めるうえで都合がよい。当然ながら、先方から明確な回答は得られなかった。

 紗那地区の林の中にある墓地も訪れた。かつて日本人が埋葬されていた墓地だ。しかし、現在はロシア人墓地となっている。そのロシア人もあまり訪れた形跡がない。

 草をかき分け、林の中に入ると、草に覆われたいくつかの墓石を見つけることができた。割れたり、土や草に埋もれているものもあったが、刻まれた戒名や「明治」「大正」の没年を確認することができた。


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 私もうっかり倒れた墓石を踏んでしまったほど、ひどい有様だ。いずれ、ここも郵便局同様、完全に林に飲まれてしまうことだろう。島が豊かになればなるほど、ロシア色は濃くなり、同時に、日本の面影は失われてゆく。

 さて場面は、スタリスカヤさん宅に戻る。日本人墓地の存在について、彼は知らなかった。

 そこで、思い切って私は、領土問題についての考えを彼らにぶつけてみた。「あくまでも個人的な考え」と前置きした上で、以下のようなやりとりがあった。

領土返還は「悩ましい問題」

 記者「領土問題について、どう思っているか」

 スタリスカヤ「私達にはどうしようもない問題だ。政府間で交渉してもらうしなかない。日本とロシアは隣人同士。クリル(北方領土)はなおさら距離が近い。領土問題でもめているのは、好ましいことではない」

 記者「仮にここが日本に返還されたら?」

 スタリスカヤ「とても難しい質問だ。日本がここより豊かな場所だということは分かっている。日本人がこの島に来て、お隣さんになるというのは面白い考えだし、歓迎する。日本人は大好きだし、友人になれる。しかし、ここがロシアでなくなり、日本領になるということになると、それは想像できない。仮に我々が追い出されないとしても、悩ましい問題だ」

 記者「日本とパートナーになれれば、生活はどう変わると思う?」

 スタリスカヤ「想像できないくらい便利になるだろうね。大きなショッピングセンターや娯楽施設ができるといいね。今、大陸から多少は日本のモノが入ってきているけれど、日本で買う3倍くらいの値段がする。Meijiのチョコレートは美味しいけれど、300円くらいするからね」


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 択捉島訪問から2週間後の9月8、9日。ウラジオストクで、APEC(アジア太平洋経済協力会議)が開かれた。極東で、各国の首脳会談が行われるということの意味、それはロシアの目が「西側(欧米)」ではなく、完全に「東側(アジア)」に向いていることを表す。

 ウラジオストクは北方領土同様、かつては自国民ですら立ち入りが制限されていた。しかし、今や世界でも有数の大規模な橋が掛けられるなど、モスクワ、サンクトペテルブルクに次ぐ第3の都市に名乗りをあげようという勢いだ。

 北方領土も、やがては本格的な極東開発の流れに飲み込まれていくことだろう。世界中からモノやカネ、ヒトが、島に入っていく。その中で、日本は領土問題でにらみ合っている限り、かの地に立ち入ることすらできない。

 グローバルに飲み込まれていく北方領土。スタリスカヤさんのいう「日本人はよき隣人」の関係は、いつまで続くというのか。

 北方領土は、間もなく、長い冬眠から目覚めようとしている。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年09月20日 11:14

理解し合い協調し合うこと、、、成長から成熟した自由競争社会づくりへの第一歩、、、セーフティーネットがあってこそ健全な自由競争社会は成立する。。。

■えっ、「日本は中国と戦争したがっている」って?
中国人は日本の“異常さ”がまだ分かっていない

「もしかしたら、また(日中戦争のときと同じように)日本軍が中国を攻めてくるんじゃないか。日本人は、本当は中国と戦争したいと思っているんじゃないか。実は、そう思っている中国人は非常に多いんですよ」

 81年前に柳条湖事件が起きた9月18日の前夜、都内の大学院で学ぶ中国人留学生の張成(仮名、24歳)は、切れ長の目をまっすぐ私に向けながら、きわどいことを語り始めた。

 この日、北京、上海、広州など全国約100都市で大規模な反日デモが繰り広げられたが、中国人にとって(日本人にとっても)、日常生活には何の影響もないと思われる尖閣諸島が、なぜ、これほどまでにナショナリズムに火をつけるのか、不思議に思う人は少なくないのではないだろうか。

 私は領土問題を巡る「中国VS日本」という国家間の構図だけではどうしても説明しきれない、中国人をこれほどまでにデモや暴動へと突き動かす心理について、これまで私が自著『中国人エリートは日本人をこう見る』の取材を通してつき合ってきた20代のエリート中国人たちに取材し、率直な意見を聞いてみたいと思った。

 それは、平和でのんびりとした日本に暮らす日本人の多くが抱いている、「なぜ一部の中国人はあんなにも烈火のごとく怒っているのか?」という、まるで他人事のような素朴な疑問への答えの糸口となるものであろうし、日本人と中国人の温度差を少しでも埋め、相互理解につながるきっかけになるものだと思うからだ。

エリート層は冷静

 普段から、ミクシィやフェイスブックを利用して情報収集している張成は、数日前、あることに気がついた。

「デモが暴徒化するにつれ、数日前からネット上では、中国でも日本でも、そうした行動をいさめる動きが自然発生的に湧き上がりましたね。理性的に行動しようとか、暴力反対とか、同じ中国人として情けないだとか。でも、そうした意見をきちんと整理して書き込める人間というのは、ごく限られた人々で、いわゆる中間層以上。知識人がほとんどだったことに、今さらながら気がついたのです」

「今回デモに加わっている人々は、そのネットワークに参加していない階層の人々が中心でした。つまり、いくらSNSにそうした常識的な書き込みをして拡散し、理性の輪を広げよう、よりよい方向に向けようと努力しても、その声を真に届けたい人々は、そうした書き込みや、それに対する大人の反応を目にすることもないのだ、ということがわかり、私は愕然としたのです」

 実際、そうした知識階層の輪に入りこめない若者たちは、ネット上の掲示板などにうっぷんをまき散らす。張成が「中国の2ちゃんねる」ともいわれるサイト「天涯」をのぞいてみたところ、日本への憎悪や憎しみが、これでもかというほど書き連ねられていたという。

 だが、彼らはそこまでの罵詈雑言を書いておきながら、真に日本人が憎いのかといえば、「そうではないだろう」と張はいう。

 というのも、彼らの多くは日本人と会話したこともなければ、日本人と一緒に仕事をしたこともない、もっといえば、生身の日本人を(繁華街で見かけたことくらいはあっても)真近で接したこともない人々だからだ(事実、日本に留学にやってきた中国人の多くが驚きの表情で口にするのは、日本人の優しさや穏やかさである)。

 ただ、日頃の生活の不満が限界点にまで達しており、日中戦争の歴史もあることから、「愛国無罪」といえばたいていのことは許されることを知ってこうした破壊行動に出ているのだろう、と張成は分析する。その中には、日本のデモにも見られるような「友だちが参加するから、自分もなんとなく参加した」という人も大勢いることは想像に難くない。

 私もこの取材で、なんとかデモ参加者を見つけて、デモに参加する動機を聞いてみたいと思ったのだが、中国人の知り合いがかなり多いと思われる私(つまり外国人)でも、接点のある中国人とその友人たちは、ひとりもデモに参加していなかった。この事実だけとっても、同じ中国人とはいえ、出身地や学歴、経歴によって形成されるネットワークや人脈はほぼ同じサークルの中で決められており、彼らの間には、決して交わることのない大きな隔たりがあることがわかる。

逆転できない社会構造が鬱憤をためる

 人口13億4000万人の中国で、若者の中心となる80年代と90年代生まれは3億8000万人〜9000万人といわれる。中国はすべての国民が農業戸籍と非農業戸籍に分けられているが、不満を持ちやすい人の多くは農業戸籍を持つ人々だ。

 中国の大学入試制度では、大都市の戸籍を持つ学生が優遇され、農業戸籍の学生の合格点は都市の学生よりも高く設定されているという矛盾がある。就職にしても同様で、たとえば北京の企業は北京出身者を求める傾向が強く、日本の何倍もコネが重んじられる。地方出身者で、かつコネがなければ、より激しい競争に巻き込まれ、厳しい人生を覚悟しなければならない。中国人の人生に「一発逆転」はほとんどないのだ。

 こうした「自分自身の努力だけではどうしようもできない」構造的不平等が若者の強い不公平感と無力感につながっており、その気持ちをどこにも発散させることができないまま、日々を鬱々と過ごしている。

「デモに参加している人の多くは、自分たちが焼き討ちにした日本企業が中国法人で、破壊したあと、同じ中国人の従業員が困るだろうということもあまり理解できていないんだと思います。いや、ひょっとすると、日系企業に定職を得ている中国人のことがうらやましいから、わかっていて、あえて破壊しているとも考えられる。日本車を叩き壊したというけれど、自動車を持っていること自体が憎いのです。だからあの破壊行為は、映像でしか見たことがない日本に対する怒りというより、富を持つすべての人への怒りともいえますね。急速に経済発展した中国社会が生んだひずみでしょう」

 こう語るのは、滞日4年になる呉政(仮名、29歳)だ。呉と中華料理店で議論しているとき、偶然にも日本の自民党の次期総裁立候補者の顔ぶれが出揃い、店内に設置されたテレビに映し出されていたのだが、呉はその画面を指さしながら「あ、でも日本だって官二代(親の七光りで成功する二世)ばかりですね。中国と同じですね」といって大笑いした。

 呉も、張と同じく中国のエリートといえる存在であり、何事にも先入観を持たずに話ができる人物だ。そんな彼もお酒が進み、舌鋒鋭くなってきたところで、冒頭の張成と同じようなことを語り出した。

「多くの中国人は強い被害者意識を持っていると思います。それはかつて日中戦争で日本にひどく痛めつけられたという被害者意識であり、そうした意識は戦後70年近く経っても、まだ中国人の心の奥底から抜けていません。そう思い続けるのは教育のせいもあるかもしれない」

日本ともう1回戦争して、今度こそ勝ちたい

「でも、たとえそうであったとしても、そうした敏感な中国人の心に日本人は少しも気づこうともしない。中国人の中には、日本人ともう1回戦争してみたい。そして、今度こそ勝ちたいという潜在意識を持っている人がいるのも事実です」

 日本人にとっては耳を疑うような、信じられないような話だが、こうした話は以前も断片的に複数の中国人から聞いたことがある。張もある屋台の店主が「今日釣魚島を盗られたということは、明日は海南島を盗られるかもしれないということだ。そして、あさっては私が住むこの家も日本に盗られるかもしれないんだぞ。うかうかしてはおれん」と口から泡を飛ばして話していたのを見たと話していた。

 日本でも「1日でも早く国有化しないと中国に沖縄県も乗っ取られる。日本の森林も土地も、何から何まですべて中国人に買われてしまう」と危機感を感じている人が一部にいるのと、似たような構図なのかもしれない。

 以前にも日本に長期滞在したことがあり、日本人の性格をよく知っている張から見れば、こうした屋台の店主の意見は「日本に対する大いなる誤解だ」とすぐにわかる。

 だが、日中国交正常化から40年という月日が経ち、これだけ多くの要人や留学生、経済人が行き来してもなお、お互いに誤解し、猜疑心を持ち、こんなにも心が通じ合っていなかったのだろうかと思うと、私は暗澹たる気持ちになった。そして、戦争で攻めた側の人間はその事実を忘れても、攻められ傷つけられた側の人間は、そう簡単には忘れないのだという、至極当たり前のことを改めて痛感した。

 私は日中を行き来する張に「一般の中国人が、日本について最も誤解していると思うことは何だと思うか?」と問いかけてみた。すると、「日本の『異常さ』を理解していないこと……ですかね」という奇妙な答えが返ってきた。

 その真意はこうだ。普通の国家ならば、常に国益を主張し、経済発展すれば世界での発言力も増し、自らの国に対して自信を深めていくものだが、日本人はここまで経済発展し、優秀な民族であるにも関わらず、日本人であるということに、なかなか自信を持てないでいる。そして、とことん平和を愛している国でもある」という。

 まさしく、その通りだと思った。だが、ここまで鋭く日本を見る張のようなエリートが大勢いるわけではなく、日本をよく知らない中国人は「中国は日本から再び侵略されるのではないか」とうたぐり、「もし日本人がもう一度戦争をするというならば受けて立つ」とさえ真剣に思っている。

「これだけは書いてほしい」

 そこまで日本を意識するのは「中国人が唯一、引け目を感じている国が日本であるから」だという。戦争で中国人に大打撃を与えておきながら、こんなにも小さな国・日本は文化大革命で大混乱に陥った中国のすぐ隣にいてコツコツと働き、はるかに速いスピードで経済発展を果たし、GDPで世界第二位の座に40年間も君臨した。それが中国人のコンプレックスとなっているというのだ。

 しばし黙りこくった私に対して、張は、珍しく少しだけ強い口調で「中島さん、これだけは書いていただけませんか?」といって、ある情報番組のコメンテーターの話を持ち出した。

 尖閣問題を取り上げたあるテレビ番組の中で、「日系企業が危険にさらされている。なぜ中国政府はすみやかに対応できなかったのか」という話題の流れで、ある日本人コメンテーター(タレントではなく社会的地位の高い人)の口から信じがたい発言を聞いたのだという。

「中東の『アラブの春』のときはフェイスブックを一時遮断したでしょ。今回、中国政府はなんで中国の微博(中国版ツイッター)を遮断しなかったんでしょうね?(遮断すれば、日系企業が攻撃されなくて済んだかもしれないのに)」

 この言葉を聞いて、どこがおかしいのか、と思う日本人もいるかもしれない。
 張に解説してもらった。

「中国国民はデモという手段ではあったけれど、自分の心にある怒りや不満、どうにも押さえられない気持ちをあそこで表現したんです。そうした下層の若者たちの苦悩の気持ちの一端は、ぜひ日本人にわかってほしい」

「そして、このコメンテーターに代表されるような人々は、自分たちに無害な遠くで発生している(アラブの春のときのような)民族の感情には「民主化」の観点から、武力で鎮圧する側の政府を批判した。しかし、今回の反日デモのように、民衆の怒りの矛先が自分たち(中国の日系企業)に向くとわかったら、今度は抑え込まない中国政府を批判するのか。ウイグル、チベットの運動も一部は暴徒化や略奪があったが、そのときは鎮圧した中国政府を批判した。(西側民主主義国家にとっての是である形式の)民主化に向かっていってほしいはずの中国に対して、脳天気にインターネットを遮断すればいいじゃないか、とまでいい放ったのです。これはあまりにも中国人を見下した、自分たちにとって都合のよいダブルスタンダードとはいえないでしょうか」

中国はもがき苦しんでいる国だ

 張の言葉を通して、中国人の日本に対する静かな怒りが伝わってくるような気がした。

「今回の問題で、日本人は、自分たちは当然買うべきものを買っただけで、何も悪いことはしていないと思っているかもしれません。でも、あの時点での購入は、あまりにも中国人の心理が読めなさすぎたといわざるを得ない。そして、ここまで中国人を怒らせた。日本人は中国人の気持ちが理解できないと思っているかもしれないが、中国人も日本人の気持ちが理解できないのです」

「中国国内には、日本人には想像もできないほどさまざまな問題が山積しています。中国は一見、膨張して大国化したかのように見えますが、建国からの歴史も浅く、未熟な点も多い。中国政府も人民も苦しみもがいている最中なのです。どうか、そのことをわかってください」

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年09月20日 11:02

羞恥心と自尊心の完全欠落。。。

■「近いうち解散」見直しを示唆 野田首相

 野田佳彦首相は18日夜のTBSの番組で、自公両党と消費増税法成立と引き換えに合意した「近いうち」の衆院解散について、見直しを示唆した。合意後に自民党が首相問責決議案に同調したことで「状況の変化がある」と指摘。民主、自民の両党首選後の党首会談次第では、合意をほごにする可能性が出てきた。

 首相は、自民党の谷垣禎一総裁と約束した「近いうち」解散について「言ったことは事実で、言葉は重たい」とする一方、「野党として行政府に対する異議申し立ての一番の武器は内閣不信任案と問責だ。その武装解除をするという話があった中での会話だ」と強調。民主党代表選と自民党総裁選後に党首会談を開き、「もう一回、3党合意の確認、仕切り直しをしたい」との考えを示した。

 首相は民主党代表に再選された場合、自民党の新総裁と3党合意に盛り込まれた社会保障制度改革を議論する国民会議創設や次国会での問責決議の効力などを協議し、「近いうち」とした解散時期の約束の効力を改めて判断する考え。党首会談で特例公債法案や衆院選挙制度改革法案の成立への協力も求める意向だ。

[朝日新聞]

Posted by nob : 2012年09月19日 15:11

原発廃止への途に再処理は不要。。。

■核燃料再処理工場完成を来年10月に延期 日本原燃

 日本原燃は19日、原子力発電所から出る使用済核燃料の再処理工場(青森県六ケ所村)の完成予定時期を1年延期し、来年10月にすると発表した。東日本大震災の影響で、確認試験などに遅れが出ているため。ただ、国による最終検査方針は、同日発足した原子力規制委員会の判断に委ねられるため、実際の操業開始はこれよりさらに遅れる可能性がある。

 工事計画の変更方針を同日、青森県と六ケ所村に報告した。平成5年の着工当初は12年の完成を予定していたが、相次ぐトラブルで計画は遅れ、完成予定時期の延期は今回で19回目となる。建設コストも当初の7600億円から2兆1930億円に増加した。

 日本原燃は、震災のため10カ月間中断していた高レベル放射性廃棄物のガラス固化試験を今年1月に再開し、8月末に終了した。変更後の計画では、12月にも操業試験に着手し、来年8月に国へ報告書を提出し、最終検査を受ける予定。

[産経新聞]

Posted by nob : 2012年09月19日 15:03

愚かしさの根源は人民の無知と格差、、、そして権力層の独裁。。。

■中国の反日デモ続く、日系企業が工場の操業停止も

香港(CNN) 日本政府による尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化をめぐる抗議デモが中国各地に広がるなか、一部が暴徒化したことで、工場の操業停止を余儀なくされる企業も出てきた。

地元メディアの報道によれば、日系企業に対する暴力行為は、西安や長沙、広州で発生している。週末には、青島にあるトヨタ自動車の販売店が襲われたほか、パナソニックの工場は放火された。パナソニックは中国にある3カ所の工場を18日まで操業停止すると発表している。広州ではホテルの日本食レストランが被害に遭った。

反日デモの影響は中国国内だけにとどまらないようだ。昨年の東日本大震災を受け観光客の減少に苦しんでいる観光業界も影響を受けている。富士山近くのホテルはCNNの取材に対し、ビジネスの30~40%を占める中国からの観光客のキャンセルが相次いでいると語った。

日本を訪問している米国のパネッタ国防長官は17日、両国に平和的な解決策を見つけるよう求めた。パネッタ長官は森本防衛相との共同記者会見で、良好な関係を維持し、一層の緊迫化を避けることが日中双方にとっての利益になるとの見方を示した。一方で、主権論争に関しては、米国は、特定の国を支持する立場を取らないと改めて強調した。

[CNN]


■中国、日本飲食・文化にも反対…反日を越えて排斥に

「日本料理は食べない」「日本商品を排斥しよう」。

日本の中国侵略が始まった満州事変(1931年)発生日の18日、中国全国の100都市で反日デモが続いた。デモ参加者は北京の1万人など、合わせて数万から最大数十万人にのぼると推定される。

1週間続いた中国の反日デモは「日本排斥運動」に拡大する様相を見せている。前日まで「釣魚島(尖閣諸島の中国名)は中国領土」というスローガンが主流だった。この日デモに参加した趙達さん(人民大学2年)は「友達と一緒に、日本に関するすべての製品はもちろん、料理や文化までも排斥するキャンペーンを行う予定」と述べた。

デモには抗日運動を率いた毛沢東の肖像画も登場した。反日デモや抗日運動記念式場でよく登場し、中国民族主義や中華主義を喚起させる写真だ。こうした雰囲気は中国内の日本人にはほとんど恐怖のレベルだ。路上で会った日本人記者1人は「デモ現場で取材内容を手帳に書いていたが、ある中国人が日本語を見て『日本鬼子』と言いながら蹴ってきた」と話した。

報復を避けるために韓国人のふりをする日本人も増えている。日本のJ-Castニュースは、中国人の攻撃を避けるため、日本語の最後に“スムニダ”“ハムニダ”を付けて韓国語のように話す在中日本人もいる、と紹介した。

駐中日本大使館はこの日、中国に居住する約13万人の自国民に外出を控えるよう呼びかけた。北京・上海・広州・青島などの日本人学校も一日休校し、1000以上の日本関連会社も休業に入った状態だ。一部のデモ隊で暴力も発生し、広東省深セン市では中国人が所有する日本料理店がデモ隊の襲撃を受け、破壊されたと、共同通信が伝えた。

デモ現場には台湾旗が見られた。1949年に国民党が共産党に敗れ、台湾に追われて以来、北京の道路で台湾の国旗が見られたのは今回が初めてだ。台湾連合報は、台湾と連合して日本に圧力を加え、両岸統一意識を高めようとする中国当局の工作とみられる、と分析した。

尖閣海域の日本と中国接続水域にはこの日一日、中国の海洋監視船10隻と漁業監視船2隻の計12隻が進入したと、日本メディアが報じた。このうち少なくとも3隻は日本領海に入った。日本巡視船が中国漁業監視船に日本領海に入らないよう警告すると、中国側は中国語で「釣魚島は中国固有の領土だ。この海域から退け」と応酬したという。

この日正午には共同通信のヘリコプターが魚釣島の北北西25キロの海域で、中国漁船と推定される船舶5隻を撮影した。船体には中国式の漢字が書かれていたが、国旗がなかったため、台湾の船である可能性も提起された。

野田佳彦日本首相はこの日、「緊張感を持って対応に万全を期す」と強調した。これを受け、日本政府内の関係省庁は随時対応策を協議した。特に防衛省は尖閣諸島周辺海域に対する一般監視・警戒活動のためにP3C哨戒機を飛ばした。海上保安庁は武装工作船拿捕に使う1000トン級の大型巡視船(警備艦)「あそ」を尖閣諸島周辺海域に派遣した。「あそ」には40ミリ機関砲が搭載されている。中国側の挑発が海上保安庁の能力を超過する場合に備え、日本政府は自衛隊艦艇を尖閣周辺海域に移動・配置した。

中国国家図書館は17日午後、「釣魚島は中国の領土」と記録された史料8件を公開し、対日圧力を強化した。この日公開された「日本一鑒」(1555年)には、「明が海洋調査を行い、釣魚島を台湾付属島嶼に含めた」という内容を記録している。また民国34年(1945年)の「中韓日形勢図」を見ると、尖閣諸島がすべて中国領土に属しているという主張だ。

[中央日報/19日追加]

Posted by nob : 2012年09月18日 09:58

根拠も覚悟もない選挙公約に終わらせないために、、、私達一人一人の意識とライフスタイルの転換、、、そしてたゆまざる注視が必要。。。

■「原発ゼロ」世界に説明 IAEA総会開幕

 【ウィーン=宮本隆彦】国際原子力機関(IAEA)の年次総会が十七日、ウィーンの本部で始まった。日本代表団の山根隆治外務副大臣は「二〇三〇年代に原発稼働ゼロを可能とする」ことを目標にした東京電力福島第一原発事故後の新たなエネルギー政策を説明した。

 山根氏は日本政府が事故後「国民が安心できるエネルギー構成を目指し、国民的議論の中で政策を見直してきた」と説明。原発ゼロ方針は国民の広範な支持を得ていると訴えた。一方で「情勢の変化に柔軟に対応する」と見直しの余地も残した。脱原発の過程でも、安全確保の人材育成や技術開発を約束した。

 日本の表明を受け、フランス政府代表は報道陣に「日本の決定を尊重する」と述べた。フランスは使用済み燃料の再処理で日本の核燃料サイクルに関わっており「率直な議論の必要がある」と述べた。韓国代表団は「日本の決定には驚いた。われわれには依然として原子力は重要だ」と述べた。

 原発ゼロ方針にはこれまでに、二二年までの脱原発を決めたドイツが「助言や支援が可能だ」(政府報道官)と歓迎。原子力分野の政策、産業の両面で日本と密接な関係がある米国はゼロ方針に懸念を表明している。

 IAEAの天野之弥事務局長は冒頭演説で、福島原発事故の包括的な報告書を一四年中に作成すると表明した。原発の安全確保には「昨年の総会で承認された原発の安全指針『行動計画』の実施が焦点となる」と指摘。事故を教訓に原子炉冷却のための代替電源の重要性が広く世界で認識されるなどの成果もあったと述べた。

 十七日の総会では、福島原発の現状を説明する特別会合も開かれた。総会は二十一日まで五日間の日程で開かれ、軽水炉建設が進む北朝鮮の核問題やイランの核開発疑惑なども協議する。

[東京新聞]


■原発ゼロ 空手形に終わらせるな

 政府が原発の将来の姿などを示した新エネルギー戦略を決定した。「2030年代に原発稼働ゼロを可能とする」との目標を盛り込んでいる。

 「原発ゼロ」を掲げた点は評価できるが、はっきりしない表現や矛盾した内容が目につく。経済界などが反発しており、努力目標に終わる恐れがある。実現には、法律に裏付けられた目標と具体的な工程表が欠かせない。

 次期総選挙の争点でもある。各党が曖昧さを排した明確な理念と政策を打ち出し、さらに論議を深める必要がある。

   <法律の裏付けが要る>

 新戦略の特徴の一つは、原発ゼロ目標を打ち出したことだ。

 (1)40年運転制限を厳格に適用(2)原子力規制委員会の安全確認を得たもののみ再稼働(3)原発の新設・増設はしない―の3原則を掲げ、「30年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と宣言した。

 政府は、30年の総発電量に占める原発の比率について、「0%」「15%」「20~25%」の三つの選択肢を掲げ、全国11都市で意見聴取会を開いたり、意見公募をしたり、かつてない規模の「国民的な議論」を試みた。

 新エネルギー戦略は、脱原発を望む強い世論に後押しされ、ようやくまとまったといえる。

 だが、「30年代」「可能とするよう」の表現は玉虫色だ。脱原発に向けた具体策も先送りされた。22年末までに全原発を閉鎖する法律を成立させたドイツのメルケル政権と比べ、野田佳彦政権の方針の危うさは一目瞭然だろう。

   <核サイクルを棚上げ>

 このままだと、政権が代われば方針が反故になりかねない。まして民主党には「公約破り」の前例がある。本気で原発ゼロを目指すというのであれば、首相は根拠となる法律の成立に「政治生命を懸ける」べきだ。脱原発を掲げる他の政党とともに、国会で成立にこぎつけてもらいたい。

 新エネルギー戦略の特徴の二つ目は、核燃料サイクルの維持を盛り込んだことだ。

 青森県六ケ所村の使用済み核燃料の再処理工場を継続し、同県を廃棄物の最終処分地にしないとの約束を明記している。一方、福井県の高速増殖炉「もんじゅ」は、廃棄物を減らす研究施設にするとした。存廃について不透明となった印象は拭えない。

 原発で使用されたウランやプルトニウムを再処理し、利用するのが、核燃料サイクルである。このサイクルを担う主な施設が、青森県の再処理工場だ。「もんじゅ」は使った以上のプルトニウムを生産する「夢の原子炉」と位置付けられてきた。

 だが、再処理工場は高レベルの放射性廃液をガラス固化体にする過程に問題が生じ、本格操業に入れないままだ。「もんじゅ」も、ナトリウム漏れ事故をはじめトラブルが絶えず、再稼働にめどが立っていない。

 再処理工場は着工から19年、「もんじゅ」は27年である。巨額の投資を続けても、技術的な壁を越えられない現状に、核燃料サイクルは破綻しているとの声が高まり、見直しが求められていた。

 青森県は核燃料サイクル路線からの撤退によって、使用済み核燃料や高レベルの放射性廃棄物の最終処分地になることに強い警戒感を抱いている。再処理事業の継続には、国策に協力してきた同県への配慮がある。

 核燃料の再処理など原発の技術は、米、英やフランスとの連携で進められてきた。関係国とのこれまでの経緯も、サイクル路線維持の背景とみていいだろう。

 だが、「30年代にゼロ」というのであれば、その時点で核燃料は不要になる。燃料確保の観点からは、核燃料サイクルにこだわる理由はなくなる。

   <曖昧さ排した論議を>

 原発ゼロを宣言しておきながら再処理を続ければ、核兵器の原材料となるプルトニウムの生産と受け取られる懸念がある。原子力の平和利用という点でも、国際社会に対して説得力を欠く。

 中途半端な姿勢をあらため、政府・民主党は路線転換に向けた姿勢を示すときである。踏みこんだ決断を求めたい。

 福島第1原発の事故から1年半。大事故を起こしながら、原因や責任の所在も明確になっていない。再稼働や核燃料サイクルの是非、将来のエネルギー計画などをめぐる国会の議論も、国民の目から見て不十分だ。

 「曖昧な日本」という言葉が思い浮かぶ。作家の大江健三郎さんがノーベル文学賞を受賞した際の講演「あいまいな日本の私」からの連想である。あれだけの事故を起こしながら、多くのことが曖昧なまま時が過ぎてきた。

 野党の責任も大きい。原発停止を求めて、かつてない規模のデモが起きている。国会は、国民の声を正面から受け止めているのだろうか。事故を踏まえた新たな制度の構築は、国会の責務である。

[信濃毎日新聞]


■米紙ワシントン・ポスト、日本政府の「原発ゼロ」に懸念表明

 【ワシントン=中山真】米紙ワシントン・ポストは17日付の紙面で「日本の原発ゼロの夢」と題した社説を掲載し、2030年代に原発稼働ゼロを目指す日本政府のエネルギー・環境戦略について「経済コストや地球温暖化への深刻な犠牲を伴う」などと懸念する見解を表明した。

 同社説は昨年の福島第1原子力発電所事故によって多くの日本人が(原発事故による)土壌汚染や緊急避難への危機意識を持ったと説明。日本人が原発がない将来を夢見るのは理解できるとしながらも、代替エネルギーに関する日本政府の説明は「反原発活動家の主張を取り込んだ」実現性の低いものと批判した。

 特に地球温暖化への取り組みには日本の原子力の設備やノウハウが安全性を維持できる限り「貴重な資産」となると強調。原発によって日本が温暖化ガスの排出量をより抑制できる点を指摘し、原発を稼働しておくことの重要性を強調した。

 ただ、社説では今回の決定は単なる政治的なもので、民主党が次期衆院選での大敗を防ぐために強硬姿勢を示したとの見方があるとも指摘。「その場合、国民は政府によって踊らされただけということになるが、世界第3位の経済大国の電力供給に柔軟性が残るという利点もある」と締めくくった。

[日本経済新聞]


■原発ゼロ目標後退:憤る市民、被災地 「全くひどい」

 「国民をばかにしているのか」−−。2030年代に原発稼働ゼロを目指すとした「革新的エネルギー・環境戦略」を政府が決定してわずか5日。この戦略の閣議決定が見送られたことに、原発に反対してきた市民や東京電力福島第1原発事故の被災地の首長らから怒りの声が噴出した。

 「パブリックコメント(意見公募)で国民の多くの人が『原発0%』を求めていた。閣議決定の見送りは国民の声の無視に他ならない」。首相官邸前での反原発デモを呼びかけている市民団体「首都圏反原発連合」のスタッフ、原田裕史さん(45)はこう憤った。

 核燃料サイクルの継続など矛盾をはらんでいた政府の戦略。19日に発足した原子力規制委員会の人事に抗議している国際環境NGO「FoE Japan」理事の満田(みつた)夏花(かんな)さん(45)は「目標自体があいまいで矛盾を抱えていたが、政府として決めたことを閣議決定しないとは」。

[毎日新聞/19日追加]


■上関原発建設「認めない」

 革新的エネルギー・環境戦略が19日、閣議決定に盛り込まれたことを受けて、枝野幸男経産相は、閣議後の会見で、中国電力上関原子力発電所(山口県上関町)など着工前の原発について、建設を認めない方針を明らかにした。

 枝野経産相は「原発の新増設はしない」などと掲げた革新的エネルギー・環境戦略を挙げ、「新たな建設の許可を与えることは原則に反する」と強調。計画段階の原発について事業者側が許可を申請した場合も、認めない考えを明らかにした。

 経産省は2013年度の概算要求で立地自治体への交付金を従来通りの基準で計上しているが「建設前の原発にもいろんなプロセスや状況がある。交付金などは今後、精査する必要がある」とした。

[中国新聞/19日追加]

Posted by nob : 2012年09月18日 09:47

外交力以前の対話力の、、、いや根本的な人間力の欠落。。。

■有本さん両親「必ず助ける」拉致解決へ決意新た

 1983年に欧州で消息を絶った拉致被害者・有本恵子さん(52)の父・明弘さん(84)と母・嘉代子さん(86)は17日、神戸市長田区で記者会見し、「何としてでも、もう一度、娘の顔が見たい」と訴えた。

 明弘さんは会見で、署名や講演のために各地を走り回ったこの10年を振り返る一方で、「日本の政治家が信用できないとの思いを植え付けられた日々でもあった」といらだちをみせた。嘉代子さんは「早くも10年という印象。『恵子が帰るまで生きていられるかな』とばかり考えている」と苦しい胸の内を語った。

 日朝政府間協議は4年ぶりに再開される見通しになっており、嘉代子さんは「恵子には『必ず助けるから希望を捨てないで』と伝えたい。政府には毅然とした対応をしてほしい」と話した。

[読売新聞]

Posted by nob : 2012年09月18日 09:36

開けるべき扉を見つけたところ、、、諸々問題はあれど方向性は是。。。

■30年代原発ゼロ政策 ブレないと野田総理

  野田佳彦総理は16日のNHK日曜討論で「2030年代に原発をゼロにする政策はブレない」と語った。国民世論の過半が原発ゼロ社会を指示する一方で、財界・経済界を中心に一部マスコミも社説で現実的でないと見直しを求めている。

  これら反発に加え、政府のエネルギー・環境会議が原発の依存しない社会への道筋検証の中で「グリーンエネルギー拡大の状況、国民生活・経済活動に与える影響、国際的なエネルギー情勢、原子力や原子力行政に対する国民の信頼度合い、使用済み核燃料の処理に関する自治体の理解と協力の状況、国際社会との関係などの点について、常に関連する情報を開示しながら検証を行い、不断に見直していく」としていることから政府のエネルギー・環境政策がブレていくのではないかとの懸念が国民の間に広がっており、これに答える発言にもなった。

  政府のエネルギー・環境会議は14日、「原発に依存しない社会の1日も早い実現」を柱として「2030年代に原発稼動ゼロを可能にするようあらゆる政策資源を投入する」とした。

  一方で「(原子力規制委員会で)安全性が確認された原発は(原発ゼロ社会をめざす過程で)重要電源として活用する」と代替エネルギーへのシフト途中の過程では原発を活用する考えを示した。

  また40年運転制限制を厳格に適用すること。原発の新設・増設は行わないことも原則とした。

  電力システム改革の断行も明記した。「エネルギー需給の仕組みを抜本的に改め、国民が主役となるシステムを構築する」とし、具体的には市場の独占を解き、競争を促すとともに、発送電を分離し、分散ネットワーク型システムを確立、低廉で安定的な電力供給を実現するなどとしている。

  電力料金には当然、人件費が入るが、地域独占企業化している電力業界では他の産業に比べ従業員の給与が2割近く高くなっていることにも疑問の声がある。独占状態が解消されれば、全産業平均に近づくことも考えられ、結果的に電力コスト低減になるとの見方もある。(編集担当:森高龍二)

[サーチナ]

Posted by nob : 2012年09月17日 09:28

話し合いと分かち合いこそが紛争解決への唯一の途、、、国としての大きな一歩も私達一人一人の意識の変革から。。。

■中国警察、暴力デモ放置…日本製品不買運動へ導く戦略

倭人は消えろ(日本鬼子滾出去)--。誰かが叫ぶと、瓶や卵、バナナ、トマトなどが日本大使館内に投げ込まれた。これを見た数百人の群集は一斉に拍手した。出動した警察およそ約500人は放置した。16日午後2時(現地時間)、北京朝陽区亮馬橋路にある日本大使館前の風景だ。

日本が尖閣諸島(中国名・釣魚島)国有化を宣言した11日以降、6日連続で日本大使館前では中国人の反日デモが続いている。この日のデモ隊は約1万人。趙晶さん(北京師範大2年、女性)は「中国はあらゆる手段を動員し、この島を取り戻さなければと思って、デモに参加することになった」と述べた。

日本大使館から約100メートルほど離れた好運街は、北京の代表的な日本人街。日本飲食店だけで10カ所ほどあるが、先週末から休業状態だ。中国デモ隊が押し寄せ、営業を続ければ黙っていないと脅迫したからだ。

反日デモはすでに全国80都市に広がっている。しかし内面を見ると、デモ拡散というよりも、尖閣諸島の国有化に対する中国政府の段階的な対日対応措置と分析される。中国は日本の尖閣諸島国有化措置後、外交的な強硬措置を出した。尖閣に対する領海基線宣言(11日)-領海基線の国連提出、海洋巡視船6隻の尖閣領海巡視(14日)などの措置を取り、日本に圧力を加えた。続いて中国は経済報復措置も予告した。

商務省国際貿易経済合作研究院の金栢松研究員は14日、「中国政府が日本製品不買措置を取る可能性があり、この場合、中国に依存している日本経済は危機を迎えることになるだろう」と分析した。この日から中国インターネットでは、中国に進出した100余りの主要日本企業リストが出回っている。こうした状況で中国政府は全国的な反日デモを黙認しながら、対日警告を強化する姿勢だ。

中国ではすべてのデモは公安当局に申告しなければならないが、事実上、認められたケースはほとんどない。しかし今回のデモについて中国公安当局はほとんど手をつけていない。デモを通じて中国人の反日感情を高め、これを日本商品不買運動へと自然に結び付けようという戦略と解釈される。中国国有企業の場合、すでに日本製品不買運動に入ったと伝えられている。国有企業の中国中鉄株式有限公司が7月から子会社に日本製品を購入しないよう指示したことが確認された。

その一方で中国当局はデモが過度に拡大するのを警戒する雰囲気だ。中国メディアが反日デモを大きく扱っていないところに表れている。中国メディアは16日、反日デモを写真記事で紹介し、「秩序正しく行われた」と報道した。こうした態度は来月予定された党大会を控え、デモが手の施しようもなく広がる場合、矛先が自国の政界に向かうと判断したと分析される。

一方、日本は中国にいる自国民の安全が非常事態となった。16日、NHK討論番組に出演した野田佳彦首相は中国内の日本人と日本企業の安全に危害が及ばないよう中国政府に要求した。野田首相は「日本の国旗が燃やされるなど一連の事態に対して強く抗議している」とし、「個別の事件で両国間に深刻な問題が生じても、大局的な観点を持てば克服できる。両国間で緊密な情報交換が重要だ」と強調した。

◇日中を歴訪する米国防長官

アジア歴訪初日の16日に日本に到着したパネッタ米国防長官は、日中両国が感情を自制できない場合、領土紛争が戦争につながると強い懸念を表したと、AFP通信が報じた。パネッタ長官は「米国は紛争領土については関与する位置にない」としながらも、「中国政府にこういう問題を解決するフォーラムに参加するよう促す予定」と述べた。

[中央日報]


■尖閣や竹島以外にも「領土問題」で懸念 沖ノ鳥島へ攻勢、離島の土地にも中韓が触手

尖閣諸島に竹島と、日本は中国、韓国を相手に領土をめぐる問題を抱える。だがほかにも、この2国が「ちょっかい」を出してきている場所がある。

代表的なのが日本の最南端、沖ノ鳥島だ。中韓両国は国際法上の「島」ではなく「岩」だと主張し、日本の権益に「待った」をかけようとしている。ほかにも、国内の離島で中韓が「存在感」を示しているケースがあるようだ。

「人間の居住」実態のない「岩」だと主張

沖ノ鳥島は東京から南に約1700キロ離れた太平洋上の島だ。北小島と東小島の2島からなるが、満潮時には海面上にわずかに露出する程度と小さい。それでもこの島が日本にとって重要なのは、ここを基点とした排他的経済水域(EEZ)を主張できるためだ。そのため政府は、島が完全に海中に沈まないように周囲を消波ブロックの設置やコンクリートで浸食を防ぐ工事を行った。

2008年11月、政府は大陸棚限界委員会(CLCS)に大陸棚の延長を申請した。国連海洋法条約では、海岸線から200海里(約370キロ)の範囲でEEZを認めるが、大陸棚が200海里を超えて延伸している場合は、申請によってEEZを最大350海里(約648キロ)まで延長することができるためだ。この時の申請には、沖ノ鳥島も含まれた。

だが中国と韓国は、沖ノ鳥島を「島」と主張してEEZを広げようとする日本を苦々しく思っているようだ。国連海洋法条約の第121条1項は、「島とは自然に形成された陸地で、水に囲まれ、高潮の際にも水面上にある」としている。だが同条3項には、「人間の居住または独自の経済的生活を維持することのできない岩は、排他的経済水域または大陸棚を有しない」ともある。中韓は、沖ノ鳥島に居住者の実態がなく、条文に沿わない「岩」だとしてEEZを認めるべきではないとの立場をとる。

これに対してCLCSは2012年4月、日本の大陸棚延伸申請に対して、沖ノ鳥島の北方海域について認めた。中韓の主張を退けた形だが、一方で同島南側海域については決定が先送りされたため、今後の動向は流動的ともいえる。

自国から遠く離れた沖ノ鳥島に関して「難癖」をつける中韓の狙いは何か。海洋安全保障に詳しい小谷哲男氏は2012年6月19日付の日経ビジネス電子版で、日本が不当に「岩」を基点にEEZと大陸棚を宣言し、海洋資源をかすめ取ろうとしていると批判し、竹島や尖閣の領有権の主張にも国際法上の裏付けがないとのイメージを生みだそうとしている、と説明。さらに中国にとっては、対米戦略で沖ノ鳥島周辺が重要な海域となるが、日本のEEZが認められると海域調査にも日本の許可が必要となり、これを恐れているともしている。

[JCASTニュース]

Posted by nob : 2012年09月17日 09:11

自らの保身に終始する両親の元には同様な子供たちが、、、もはや社会にも学校にも公正公平さが欠落している。。。

■いじめを同級生の半数が知っていた

兵庫県川西市で高校2年生の男子生徒が自殺し、その後の高校の調査で複数の生徒からいじめを受けていた問題で、高校の調査に対し、同級生の半数が男子生徒へのいじめを知っていたと回答していことが分かりました。

今月2日、兵庫県川西市で県立高校2年生の17歳の男子生徒が自宅で自殺し、その後の高校の調査で、男子生徒が教室のいすに死んだ虫を置かれたり、複数の生徒から「虫」とか「ばい菌」などと呼ばれたりしていじめられていたことが明らかになりました。

高校の調査は、自殺の4日後に2年生全員を対象にアンケート形式で行われましたが、この中で同級生の半数が男子生徒へのいじめを知っていたと回答していたことが分かりました。

また、男子生徒が2年生になってから1人で昼食をとるなど、クラスの中で孤立する姿を見かけたと答えた同級生もいたということです。

この問題を巡って、高校は生徒の両親に調査結果を説明し、「いじめがあった」と認め、謝罪しましたが、「いじめと自殺との関連は判断できない」と説明したということです。

高校では近く緊急の保護者会を開き、調査結果やいじめの状況などについて説明することにしています。

[NHK]

Posted by nob : 2012年09月16日 23:56

相変わらず。。。

■東京 世界3番目に物価高い

世界70余りの主な都市の物価や賃金の水準を比較したところ、ノルウェーの首都オスロなどに続いて、東京が世界で3番目に物価が高いという調査結果がまとまりました。

スイスの大手金融グループ「UBS」は、ことし4月から5月にかけて世界72の主な都市の物価や賃金の水準を調査し、アメリカのニューヨークを「100」とした場合の指数を公表しました。

それによりますと、世界で最も物価が高いのはノルウェーのオスロで116.0、2位はスイスのチューリヒで110.1、3位が東京で108.9でした。

ニューヨークは6位、ロンドンは10位でした。

一方、賃金については、最も高いのがチューリヒ、2位が同じスイスのジュネーブ、3位がデンマークのコペンハーゲンで、ニューヨークは6位、東京は8位でした。

また、物価に比べて賃金がどのくらいの価値をもっているかを推し量るため、各国でハンバーガーを1個買うために何分間働く必要があるかという分析も行われました。

こちらの分析では、東京は最も短い9分で、ニューヨークが10分、北京が34分などとなり、東京は物価に比べて賃金が比較的高いという結果になりました。

[NHK]

Posted by nob : 2012年09月15日 23:43

利害は善悪の判断をも捩じ曲げる。。。

■30年代原発ゼロ:立地自治体、被災地に戸惑い

 政府が14日に決定した「30年代原発ゼロ」のエネルギー戦略。原子力政策見直しの発端となる事故が起きた東京電力福島第1原発の地元では批判的な住民も多い半面、評価する町長もおり賛否は相半ばした。また、その他立地自治体の首長の多くは「理解できない」「現実性に欠ける」と政府への怒りや困惑をあらわにした。【まとめ・袴田貴行】

 「私たちが事故で受けた被害を思えば当然」と原発ゼロに理解を示したのは福島県富岡町の遠藤勝也町長。松本幸英楢葉町長も「妥当な判断だ」と評価し、渡辺利綱大熊町長は「原発政策に協力してきた立地町としては複雑な思いだが、事故の経験からやむを得ない」とした。これに対し、埼玉県加須市に集団移転している井戸川克隆双葉町長は「国民の受益や負担を議論しないまま原発の是非は語れないのではないか」と疑問符を付けた。

[毎日新聞]


■「原発ゼロ再考を」経団連、日商の両トップが18日に会見実施へ

 政府のエネルギー・環境会議が「2030年代の原発ゼロ」方針を盛り込んだ新たなエネルギー戦略を決めたことに反発し、米倉弘昌経団連会長と岡村正日商会頭が18日午後1時から東京・大手町の経団連会館で共同会見を開くことが14日、明らかになった。経済3団体のうち、2トップだけがそろって会見するのは極めて異例。両氏は会見で原発ゼロは日本経済の成長を阻害し、空洞化や雇用縮小などで国民生活にも悪影響を及ぼすと改めて表明し、政府に再考を促す方針だ。

[産経新聞]

Posted by nob : 2012年09月15日 01:40

それそれ、、、生涯労働社会の構築こそこれから進むべき途。。。Vol.2

■98歳ガール、パリに出張撮影
人生三転の女性報道写真家、笹本恒子氏

 2012年9月1日、フォトジャーナリストの笹本恒子さんは98歳の誕生日を迎えた。「60歳で還暦を祝うなんて早すぎるわよね。お祝いはもう少し先でもいいんじゃない?」と笹本さんは笑う。そう言うのも無理はない。笹本さんは、普通なら引退を考えそうな71歳という年齢から写真家としての人生を再スタートさせ、何度目かの「大輪」を咲かせたところだからだ。

 2012年8月中旬、笹本さんは東京・蔦谷書店にいた。写真集『恒子の昭和』の出版記念ミニ・トークショーとミニ写真展が開かれたからだ。歴史上の人物や出来事を独特の構図と目線で写した傑作写真の数々を、スライドで見せながら笹本さんが解説するこのイベントには、開始の数時間前からファンが押しかけ列をなした。

 ここ1年ほど毎日、メディアの取材やトークショー、講演などに引っ張りだこで、本業の撮影に取り組む暇がないのが悩みだ。「忙しすぎて、撮影の仕事をする暇がないの」。少女の頃から香水が好きで、笹本さんに近づくと、このところ愛用しているジバンシィの香水がほのかに優しく香る。

自伝が5万部の大ヒット

 笹本さんは日本で最初の女性報道写真家とされ、98歳の今も愛用のライカを手に仕事を続けている。「最近になってデジタルカメラも使い始めたの」。以前から総合誌や生活情報誌などに写真を掲載したり寄稿したりしていたが、2010年に開いた写真展「恒子の昭和」が話題を呼んだのをきっかけに人気がブレーク。2011年に出版した自伝的著作『好奇心ガール、いま97歳』(小学館)は5万部のヒット作品となった。

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トークショーで話す笹本恒子さん

 勢いに乗り、多忙なスケジュールを縫いながら、2012年9月下旬にはパリの撮影出張に旅立つ。国籍を問わずフランスに貢献した芸術家が入居できる、郊外の老人ホームを取材・撮影するという。「年相応に見られるなんて、損よね。ありがたいことに私はいつも20〜26歳ぐらい若く見られるのよ」。穏やかな笑顔を浮かべる笹本さんだが、写真家、洋服の仕立て、フラワーデザイン講師など、まさに時代の空気を読んで「手に職」をつけながら、困難をものともせず、長い道のりをこつこつと歩んできた。

 笹本さんは現在、規則正しい生活を守っている。毎朝5時に自然に目覚める。テレビをつけて英会話の講座を見る。その後「みんなの体操」で硬くなった体をほぐして、しゃきっと体を目覚めさせる。新聞の朝刊に目を通す。取材したい人を見つけると切り抜き、1980年頃から毎日の出来事や考えたことなどを書き留めてきたメモ帳に挟む。時には、新しく覚えた英会話のフレーズを書き込むこともある。

 実は、英語は女学校時代に習って以来、独学で学び続けている特技の1つだ。社会の中で女性に対する偏見が強かった時代に、「職業婦人」として生き残る上でも、大きな武器になった。8時頃に自炊する朝食は、毎日、カフェオレとパン。女学生時代から、無類のパン好きなのである。そして、化粧をして身だしなみを整える。数年前まではテニスも楽しんでいた。

 「かつては女人禁制の神域と思われていた職業の分野すらも、ぢりぢりと女性の侵蝕を蒙っている」。後に日経連初代専務理事となった前田一氏は1929年(昭和4年)、自著『職業婦人物語』にこんなことを記していた。そもそも女性が働くこと自体が煙たがられた時代だったが、少女のころの笹本さんは「絵描き、小説家、新聞記者」のどれかになりたいと本気で夢見ていた。長い人生の中ではいったん写真から離れざるを得なくなった時もあった。「自殺を考えたことも2度ありました」(笹本さん)。だが、持ち前のガッツで新しい技術を次々と吸収して世の中を渡り、幾度も職を変え、2度の結婚を経験した。時代を全力で駆け抜けた笹本さんの姿に、とりわけ中高年女性は熱い視線を送る。

 そんな笹本さんが報道写真家の仕事に携わるようになったのは、ごく身近な出会いがきっかけだった。

「お嬢さんカメラマン」の意地

 笹本さんは、東京の呉服商「豊田屋」の番頭の次女として生まれた。「恒」は、両親が「恒久平和」の願いを込めて付けた。生家では1920年代後半、自宅の離れを報知新聞記者である小坂新夫さん夫婦に貸していた時期があった。

 「当時、作家や新聞記者は社会の中で格下の仕事とされていたので、家を借りるのが大変だったようでした」(笹本)。この小坂氏が後年、高等女学校を中退して絵の勉強に励む笹本さんに、新聞の社会面でカットを描く仕事を紹介してくれたのだった。

 さらに1939年、小坂さんが林謙一さんというジャーナリストを笹本さんに紹介した。内閣情報部などを巻き込んだ日本の宣伝のための「写真協会」を立ち上げた人だ。

 「戦争でも、日本は写真による宣伝戦に負けている。日本はもっと正しく自分の国を宣伝しなければいけない」と力説する林さんの言葉に、「イラストの仕事でもいただければ」という軽い気持ちで事務所を訪れた笹本さんは感銘した。林さんはさらにこう言った。「日本にはこうしたフリーの報道写真家が少ない。女性は1人もいない。女性の報道写真家になりませんか?」。

 技術革新が進む中で、カメラの世界ではライカが登場し、これまでにない社会派の「グラフ誌」が次々と生まれた。先鞭をつけたのが1936年、写真でニュースを伝える雑誌として登場した米国の「ライフ」誌だ。創刊号の表紙は、マーガレット・バーク=ホワイトさんという女性写真家が撮った写真だった。笹本さんは、兄が時々買っていたライフ誌で見た彼女の作品を思い浮かべながら、幾度か逡巡しながらも「女性でもきっとできる」と、報道の世界に身を投じる決意をした。27歳の時のことである。

 小柄な笹本さんが写真を撮る姿は、当時、好奇の目で見られることも多く、周囲からは「お嬢さんカメラマン」と呼ばれた。だが休日返上で仕事に臨み、夜の撮影も引き受けた。そして外国人に対しても得意の英語を生かして臆さず話しかけてシャッターチャンスをとらえる笹本を、周囲はやがて一目置くようになった。

 終戦後には結婚し、地方紙や婦人紙での記者経験を経て、1947年にはやはり写真家だったと夫と2人でフリー写真家としての活動を始めた。国民が活字を渇望した戦後の出版ブームに乗ったことで、自分から売り込みをしなくても、仕事が舞い込んでくるほど多忙だったという。

 「仕事ができる人間は大いに仕事をするべきだ」。そう考えた夫は仕事の面でも数々の助言をしてくれ、理解のある人だった。だが後、あまりの忙しさに、笹本は後に、自ら夫婦関係に終止符を打つことになった。「とても立派な人でした。でも、仕事も家のことも、忙しくて忙しくて、どこかに逃げ出したくなっちゃったの」と、笹本さんは言う。

 順調だったかに見えた仕事も転機が訪れた。毎日、現場に通ってトラックに乗り、撮影したという「60年安保闘争」が終わった頃、長年写真を提供してきた雑誌が次々と廃刊になったのだ。この頃、皇太子夫婦の成婚パレードをきっかけに、テレビが一般家庭に普及しつつあった。また写真家の数が増え、競争は激しくなる一方だった。気がつけば積極的に売り込まないと、仕事が得られない時代に突入していた。

 写真だけでは食べていけない。そこで、確実な収入を得るため1962年、49歳の時に開いたのが注文服のサロン「ササモト・デザイン・ルーム」だ。女学生時代に学んだ洋裁の腕を生かした。「芸は身を助けるって本当よ。お勤めしながらだって、何か勉強していれば絶対に将来役に立つ」。景気も上向き、2人の従業員を雇って3年ほど経営は順調だったが、既製服が大量に市場に投入されると、利益が薄くなってきた。

 そろそろ次の仕事を探さなければ。そこで笹本さんは52歳からデザイン学校に通い、欧米から入り込んだ「フラワーデザイン」の勉強にゼロから取り組んだ。「人の3倍は勉強したのよ」(笹本さん)。やがて教えてほしいという友人が現れ、1967年、53歳の時に『フラワーデザイン教室』という本を出版するまでになった。

 フラワーデザインがブームになったこともあり、講師の仕事が増えていった。やがて、写真の撮り方からカラーコーディネートまで、教える仕事を10年近く続けることになった。フラワーデザインが下火になると、今度はアクセサリーなどを作って稼ぐなど、次々と稼ぐ技術を身につけていった。気づくと1970年以降、写真の世界からは完全に遠のいていた。

パリ出張や被災地支援にも意欲

 とはいえ、45歳ごろからの約20年間は、再婚した夫をめぐる人間関係や家庭の事情などで精神的につらい時期だったという。1980年には恩人である林謙一氏が死去。笹本さんが写真家としての復活を遂げるきっかけは、夫が末期がんで亡くなった後の71歳の時、1985年のことだった。昭和時代に撮りためた写真を素材にした写真展開催の話が、にわかに持ち上がったのだ。

 貴重な写真の数々を紹介した写真展は新聞でも紹介されて大成功。それをきっかけにフリーの写真家として再始動した笹本さんは、やがて明治生まれの女性がまだ健在である間に、撮影していこうと思うようになった。「昔の女性は、男尊女卑の厳しい時代に、すべてをこなしながら才能を開花させていった。本当にすごいと思います」。1992年には写真集『輝く明治の女たち』を出版、同名の写真展も開くこととなり、思いを形にした。東日本大震災の後は復興が遅れていた大船渡まで足を運び、被災者のため、持ち前の洋裁の技術を生かした洋服作り教室を開いた。

 さて、98歳の今。笹本さんの頭の中は、出発準備を進めているパリ郊外の芸術家向け老人ホームを撮影する海外出張をはじめ、今後の撮影計画でいっぱいだ。「地方でいい仕事をしている、無名の方々を撮影させていただき、たくさん紹介したいの」。その視線は、平和だが不確実な時代を彩る、新たな出会いへと向けられている。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年09月14日 12:58

寂しくて悲しい。。。

■デジタル化進み…富士フイルム 映画フィルムの生産終了

 富士フイルムは12日、映画用フィルムの生産を終了することを明らかにした。国内で唯一生産していたが、来年春ごろをめどに終える。映画業界ではデジタル化が急速に進んでおり、採算が取れなくなったという。

 映画用フィルムには、主にカメラでの撮影用と映画館での上映用の2種類があるが、両方の生産から撤退する。

 映画業界では、映像の編集や加工、配給のしやすさなどからデジタルカメラでの撮影が広がり、フィルム需要が急減している。原材料価格の高止まりもあり、富士フイルムが7月に値上げを発表したところ、十分な需要が確保できなくなったという。

 富士フイルムは1934年の創業時から約80年間、映画用フィルムを生産してきた。ただ今後も、映画の長期保存向けに専用フィルムの生産は続けていくという。

 海外では、米イーストマン・コダックや欧州のアグフアなどが映画用フィルムを生産しているという。

  ▼フィルムとデジタルの両方で映画を撮影した経験のある大林宣彦監督の話 残念というより悔しい。フィルムは「行間を読む」といったしみじみとした味わいの作品を生んできた。映画は科学文明が生んだ芸術なので、技術の進歩に伴う社会情勢の変化として、経済効率の悪いフィルムがなくなる事情は分かるが、映画文化にとっては大きな損失だ。フィルムとデジタルそれぞれに良さがあり、選択肢があることが豊かな文化だ。文化が失われる象徴的な出来事であり、企業も犠牲者だ。国の文化政策に関わる問題ではないか。

[SPONICHI ANNEX]

Posted by nob : 2012年09月13日 22:27

じつは上機嫌などというものは存在しない

正確に言えば

機嫌というものはいつだって悪いものである

だから

幸福は意志と自制の賜物と言える

Posted by nob : 2012年09月11日 22:49

それそれ、、、生涯労働社会の構築こそこれから進むべき途。。。

100歳まで働く時代がやってくる

高齢者が生む活力「隠居ペーション」・・・アラ100という働き方

[日経ビジネス]


■100歳現役サラリーマンの長〜い社会人生活
福井福太郎さんが歩んだ日本の近現代史

 日経ビジネス2012年9月10日号では、100歳まで働かなければならない未来を想定した特集「隠居べーション」を掲載している。そこで紹介したのが、100歳の現役サラリーマン、福井福太郎さんだ。100歳という長い人生を共に振り返ることは、日本の100年を振り返ることにつながるだけでなく、今を読み解くカギにもなる。紙幅の都合で本誌には一部しか掲載できなかった、福井福太郎さんの1世紀を紹介する。

 大型ショッピングモール「湘南テラスモール」が2011年に開業して、平日もにぎわうJR東海道線辻堂駅。蒸し暑い盛夏の午後、大勢の乗降客の中に、全身をパリッとしたスーツに身を包んだ1人の老紳士の姿があった。慣れた手つきで通勤定期を自動改札機に「ピッ」とかざしながら、にこやかに出て来たその足取りは力強い。

 この紳士、福井福太郎さんは今年5月、100歳になった。宝くじを委託販売する東京宝商会の顧問を務め、毎日辻堂から東京のオフィスまで通って働く「現役のサラリーマン」である。辻堂から神田のオフィスまで、快速電車と山手線を乗り継いで毎日の電車通勤。「70歳から働いている今の会社が、人生で一番長く務めていることになるよ」。そう笑う福井さんだが、100年の人生は、その穏やかな笑顔からは想像もつかないほど波乱に富んでいた。

 1912年(明治45年)5月、福井さんは東京・京橋に生まれた。まだ東京駅も開業しておらず、松下電器産業やトヨタ自動車も存在していなかった時代であり、「サラリーマン」という言葉も、今ほど一般的ではなかった。

 父の仕事は毛皮を扱う貿易商だった。事業は順調で、現在の東京・八重洲のブリジストンホールがある辺りに店舗を構えていた時期もある。豊かな親の元に生まれた福井さんだが、当時、社会情勢はきな臭いにおいが漂っていた。

格差拡大、慢性的な不況、就職難の中で大学進学

 福井さんが2歳の時、1914年(大正2年)には第1次世界大戦が勃発した。このころの日本は重化学工業による軍需景気に沸く一方、貧富の格差が広がっていた。本格的に日本経済が混乱していったのは、この後からだ。1920年には、東京株式取引所の株が大暴落。さらに大戦における反動などから日本は慢性的な不況に苦しみ続けることになった。深刻な不況が長引く中で、福井さんは10代の多感な時期を過ごした。

 11歳だった1923年には死者が10万人に上った関東大震災に遭い、町中が炎で真っ赤に染まる光景を呆然と眺めた。さらに格差が拡大し、深刻な不況、自然災害と社会的な不安が続いていたのだ。一方で、産業の進歩が着々と日常生活を変えていた。世界では技術革新が加速度的に進んでおり、13歳だった 1925年にラジオ放送が始まった。

 このころの日本は、企業数が増えるのに伴い、企業内労働者の数も増えていた。1926年(昭和3年)、後に日本経済団体連合会となる日経連(日本経営者団体連盟)の初代専務理事となる前田一氏が『サラリマン物語』を発表し、ベストセラーになった。前田氏はサラリーマンを「兎にも角にも『中産階級』とかいう大きなスコープの中に祭り込まれている集団を指したものに違いない」としたうえで、当時の世相をこんな風に描写している。

「大学さえ出たら、羽が生えて飛ぶ時代は過ぎ去った」

 「大学さえ出たら、羽が生えて飛ぶという時代は遠(とお)の昔にすぎ去った」「一体、何がこんなに就職を困難にしたのであろうか」「(財政緊縮や企業の整理淘汰による不況だけでなく、教育方針の欠陥などによる)卒業生自身の『質』の下落とがあいより相まって、ますます就職難を深刻にするもののようである」「尤も、今日の学生は、昔の学生よりも、色々のことを余計に知っている(中略)。しかし、仕事に当たって熱心と誠意がない」

 「こういう学生に育てあげた今日の教育方法がよろしくない」「学生は嫌なときは、講義にも出ない。ひどいのになると、試験前2週間ぐらい友達のノートを借り受けて読んでおく」「(ある会社の重役が言うには)『アメリカでは例えば経済学の学生なら、現在の金融はどうだ、現在金が下がりつつあるが、その原因は何であるか…(中略)…とかいうようなことを、実例を捉えてやっている。(中略)高邁な理論ばかりを詰め込んで、結局、頭がふらふらになるまで試験でいじめつけて、それから社会に送り出すようでは、実社会に出て能率をあげて働きうる訳がない』と」

 「米国では1銭2銭の会計が帳尻上は会わなくとも、それは会社全体の膨大なる会計に何等の影響を来すものではないという理由で、深く探求することをしないところもある。日本では、1厘の勘定違いでも、これを発見するために100円の給料取りを1日2日かからせる」(注:現代語表記に修正して引用)。

 サラリーマンが広く一般的な存在になったのは、大正から昭和にかけて、恐らく福井さんが10代のころだろう。高学歴で大企業に勤める者が中心だった「サラリーマン」に、様々なタイプの会社、様々な立場のサラリーマンが増えてきた。その一方で不況はなお続き、福井さんが15歳の時、1927年には金融恐慌、1929年には世界大恐慌が起こった。

 世界大恐慌の翌年1930年、金解禁を引き金とする昭和恐慌により、「エリート」であるトップクラスの大学卒業者でさえも就職先が見つからない本格的な就職難の時代となった。都市には失業者があふれ、小津安二郎監督のサイレント映画「大学は出たけれど」が大ヒットした。

 同時に、日本は飢饉(ききん)にも襲われていた。この時期から東北地方の農村では所得が減少して生活が苦しくなっていた。そのうえ、都市から大量に帰郷した失業者を地元農家が受け入れ切れず、経済苦による娘の身売りなどが社会問題になった。「当時、東北で大勢の人が餓死しました。でも、それを何とかするという状況ではなかったのです」と福井さんは振り返る。

大学教員の職を得るも軍隊生活に突入、その後毛皮業に

 そんな社会情勢だったが、福井さんは、慶応義塾大学経済学部にトップの成績で入学した。この時の同級生として出会い、生涯の友となったのが元勧角証券(現みずほインベスターズ証券)相談役、故・望月玉三さんだった。2人そろって成績が優秀で、すぐに「ブクちゃん」「玉ちゃん」と呼び合う親友同士になった。福井さんの入学は1年遅れたので年齢は1歳違ったが、望月さんと福井さんはなぜかとても馬が合い、文字通り「どこに行くのも一緒」だった。望月さんと切磋琢磨しながら、勉学に励む福太郎さん。だが一方、社会情勢は緊迫していった。

 1931年には満州事変が起こり、1933年には日本が国際連盟を脱退。1936年、大学の卒業試験のころ、青年将校による2・26事件が起こった。大卒者にとっては、深刻な就職難が続いていたが、成績優秀な福井さんは、望月さんと共に慶応義塾大学経済学部の助手として採用され、経済学の研究をしながら教壇に立つことになった。

 しかし仕事を得てほっとしたのもつかの間、第2次世界大戦が福井さん達の人生を激しく揺さぶった。1937年、25歳の時に日中戦争が勃発、福井さんは徴兵され、第1師団歩兵第57連隊入隊することになったのである。

 福井さんは一兵卒からスタートし、満州へ渡る。だが試験を受け、間もなく陸軍経理学校で幹部教育を受けることになった。満州と日本を行ったり来たりする中で、妻・れいさんと27歳で結婚した。戦況が逼迫する1944年ごろには陸軍参謀本部に移り、英国とオーストラリアの経済分析に携わるようになった。

 「私は、戦争でも結局最後まで危ないところには一度も行かなかった。でも、もし最初に配属された第一師団にいたままだったら、人生、本当に分からなかった」と福井さんは振り返る。東京大空襲や2度の原爆を経て敗戦、日本が焦土と化した1945年、陸軍主計大尉まで昇進したところで召集解除となった。

 ようやく慶応義塾大学に戻った。親友で同僚の望月さんとも再会した。大学を離れて既に9年近い時間が経過し、33歳になっていた。

 研究室に戻ると、経済学部助手のポストは、そのまま残っていた。だが、福井さんも、親友の望月さんも専門は中国研究だった。それが、2人の人生にまた大きな転機を与える。「学生の方が頭が良くなっていてねぇ。望月さんと相談して一緒に辞めたんだよ」。福井さんはその時のことを冗談まじりに振り返る。

 米軍管理下で復興することになった日本。戦前、要職に就いていた多くの人が、「公職追放」にあった。2人も、「大学で中国の研究をしていたら追放されるかもしれない」と心配した。「追放される前に辞めよう」。2人一緒に、大学を去ることにした。

 実は、中国に関する研究は、兜町で身を立てた実業家であり晩年は教育振興に力を注いだ望月さんの父・望月軍四郎氏が、晩年、私財を投じて力を入れた分野だった。慶応義塾大学三田メディアセンターには、現在も「望月文庫」が残っている。

 「父は、私を教育者にしたかったんです」。望月さんは1962年5月、経済誌のインタビューで、そう振り返っている。そんな背景がありながらも、福井さんと望月さんは相談して一緒に助手の職を辞し、中国の研究を断念し、それぞれ実業の世界に入ることを決意したわけだ。

 福井さんは貿易商の父・菊三郎さんの事業パートナーの力を借り、1945年、東京・京橋に毛皮の小売店を立ち上げた。袋に毛皮を詰めて、進駐軍などに売り歩くことからスタートした。恋人に毛皮を送りたい進駐軍の米国人などに、毛皮は大いに売れたという。

親友からの誘いで証券業界の再編の渦中に

 日本は米国の管理下で復興へと立ち上がり始めていた。福井さんは商売で忙しく暮らす中でさらに2人の男子にも恵まれ、忙しくても充実した30代を過ごした。一方、親友の望月さんも、証券市場で富を築いた父・軍四郎氏に倣い、証券会社を買収して「望月証券」を創業、証券業界で華やかに活躍していた。

 福井さんが41歳になった1953年にはシャープが国産白黒テレビ第1号を発売するなど、このころからテレビの普及が始まった。43歳だった1955 年、福井さんは京橋から拠点を移し、恵比寿に「福井ファー」を開店した。1958年には当時の皇太子夫婦の婚約報道でミンクのストールがテレビで報じられ、毛皮がにわかに注目を浴びた。毛皮も徐々に庶民にも手の届く衣料品となっていった。日本人は戦後の急速な復興の中で、岩戸景気を謳歌していた。

 経済学者から軍人へ、さらに毛皮業へと時代の荒波の中で職業を変えていかざるを得なかった福井さん。ところが、池田内閣が「所得倍増計画」を発表した 1960年、福井さんの人生にさらなる転機が訪れる。「会社を手伝ってくれないか」。一緒に能の謡(うたい)も習い、変わらず親密に付き合っていた望月さんから誘われたのである。既に48歳になっていた。

 気心が知れまじめで頭脳明晰、文章力にも長ける福井さんは望月さんにとって理想的な参謀であり、「女房役」だった。福井さんは快諾し、学者、軍人、自営業を経て初めての「サラリーマン生活」へ踏み出すことになった。「望月さんをはじめとして社員はみな、アイデアを自由にいろいろ言うけれど、なかなかまとまらない。私はアイデアのまとめ役だったんだよ」。福井さんはこうして、証券業の世界に飛び込んだ。

 やがて望月証券取締役として活躍し始める福井さん。「今日の資本主義と共産主義・社会主義国の思想戦は経済戦であるとも言えよう」「少なくとも、 1960年代の日本の経済というものは、大きく上向く経済であるという結論を出してもいいのではないかと思う」。例えば1963年3月、経済誌「先見経済」にそう書いている。商売や企業経営に携わりつつ、一度は目指した「経済学者」としての視点を、福井さんはさび付かせることなくずっと保ち続けていた。

 一方で、「この頃が人生で一番大変だった」と福井さんは言う。主力行の主導で、証券業界の再編の渦に、実務担当者として飲み込まれていったからだ。「社長が胃を悪くして入院してしまい、急きょ実務を引き受けることになってね…」。1965年、比較的財務内容の良かった望月証券が、赤字に陥っていた角丸証券と合併し、望月さんが社長に就任した。だが1967年、55歳の時には、さらに日本勧業証券と合併、会社の名前は日本勧業角丸証券となった。

 「実務を担当したが、完全に銀行主導。その中でぎりぎりの交渉をするのは実に大変だった」と福井さんは振り返る。「大赤字を出して救われる立場なのに、銀行などから経営再建のため来ていた専務が偉そうでね。思わず正面から詰問したりしたよ」。理詰めで交渉に臨む福井さん。合併後は常務に就任する予定だったというが、銀行出身幹部の強い反対により、かなわなかった。

豊かになっていく日本で過ごした50代

 1968年になると、日本のGDP(国内総生産)は世界2位になった。福井さんは50代、豊かになっていく日本を中堅証券会社の役員として、最前線で見つめながら過ごしていった。61歳の時には為替が固定相場制から変動相場制になる。証券会社に転じて以来、日々の株式市場の動きや経済分析などを毎日ノートに記して残してきた。だが、60歳前後からは日記の内容も日常生活や家族のことが増え、孫にも恵まれた。やがてサラリーマンとしての最初の引退時期を迎え、子会社の金融会社に役員として転職した。

 子会社に転じても、こつこつと、働き続ける福井さん。82年には、望月さんの父・軍四郎さんが設立したという宝くじ委託販売の「東京宝商会」に、再び転職した。もう70歳になっていた。「人のあまり多くない職場がいい」というのが、福井さんの希望だったという。

 福井さんの、こぢんまりとした現職場での、サラリーマン生活は30年を超えた。仕事をしてはいるが、70歳以降が、人生で一番安定した時期と言えるかもしれない。「ストレスはないねえ」と笑う。この間、福井さんは、実に規則正しいサラリーマンとして生きてきた。勤務時間は朝9時半から午後1時半まで、宝くじの整理や売上金の管理などに携わる。月給は30万円。通勤途中に、時々、駅で若者にぶつかって倒れたり、転んであざを作ったりするのが家族の心配のタネだが、本人はひるむ様子もなく会社に通い続ける。販売所から上がってきた売上金の計算が合わない時は、自分の給与からそっと補てんする。数年前からは、月3万円を補てん用に積み立てている。

 こうした生活を続ける一方、望月さんと一緒に40代から楽しんできた能の謡(うたい)の稽古を欠かさず続け、時折ステージにも上がっている。食べたいものは肉でも何でも食べる。「今もしっかり声が出るのは、謡を続けたおかげだね。長生きできたのも、毎日働いていたからでしょうね」。万歩計をつけて毎日最低でも7000歩は歩くことにしている。

 結果として100歳になっても勤め続けているが、迷いや危機がなかったわけではない。1998年、苦楽を共にしてきた親友の望月さんが亡くなった。84 歳だった。その約10年後、96歳になった時、もうそろそろ引退すべきだろうと考え、東京宝商会に1度「もう辞めたい」と申し出た。加齢に伴って、耳もすっかり聞こえにくくなった。だが望月さんの妻の節(せつ)さんは、「ずっといてほしい」と言った。

 「経営者だった主人は国から褒章をいただいたけれど、表舞台に出なかった福井さんには何もありませんでした。主人もよく私に、『自分ばかり申し訳ない』と言っていました。でも、福井さんが気に留めている様子は本当に全くなくて。あんなに仲の良い友人同士って、ほかにあるのかしら。本当にお世話になった」(望月節さん)。福井さんに宿る鮮明な記憶や明晰(めいせき)な頭脳、そしてたたずまい。それは苦楽を共にしてきた者たちにとって、何者にも代え難い宝なのだろう。

 加齢に伴って耳の聞こえが悪くなっただけではなく視界も狭くなったためか、90代になって2度、歩行中に交通事故に遭った。「幸い、軽いけがで済んだけれどね。車のミラーが壊れちゃったよ」(福井さん)。身の回りの世話をしていた最愛の妻・れいさんを97歳の時に失った時は、一時すっかり衰えてしまい、息子夫婦らをやきもきさせた。「妻と毎年、全国を旅行して回った80代以降の10年間が、人生で一番楽しかった」(福井さん)。しかし、長男喜久夫さんの妻・伸子さんの献身もあり、元気を取り戻して今に至る。

 それにしてもなぜ、100歳の今も、働き続けることができるのだろうか? 

「人の道を外さない経済活動」が重要

 福井さんは、「人の道を外さない経済活動」が人間社会にとってきわめて重要だと考える。経済学研究者を目指していた福井さんの大学の卒業論文のテーマは「経済倫理学」だ。「神の見えざる手」で市場に任せることを説いた『国富論』を著した経済学の祖、アダム・スミス氏が、その前提として「社会秩序を導く人間本性とは何か」を突き詰めた倫理学の著書『道徳感情論』で考察したことでもある。

 「人間、自分勝手はいけないよ。人間は、人のために行動しなければね。ずっとそう思ってきた。私は証券会社時代、望月さんのためだけを考えて行動していたよ」。常に自分のことより周囲を優先し、前向きに明るく生きている福井さん。若い頃から苦労と波乱続きの人生だったが、今、100歳まで生きられる国・日本に生まれて本当に良かったと思っているという。

 「封建制度でしょ、資本主義でしょ。次は何がくるんだろうね。ずっと続く制度なんてないからね」。自らも歴史に翻弄されながらも、そう「経済学者」の視線でつぶやく100歳の福井さんの目には、危機を繰り返している今の経済情勢など、大きなうねりの中で現れた小さなエピソードの1コマにすぎないのかもしれない。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年09月11日 15:05

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■ヤクルトおばさんお手柄トイレの女性救出

 北海道室蘭市に住む80歳の女性が、自宅のトイレで便器と壁の間に挟まって動けなくなり、3日後に救助されていたことが8日、分かった。室蘭署によると、約70時間飲まず食わずだったために弱っているが、命に別条はないという。

 女性は今月1日午後8時ごろ、洋式便器から立ち上がろうとした際に転倒。壁との約20センチの隙間に上半身が挟まり抜け出せなくなった。4日午後6時ごろになって、郵便物がたまっているのを不審に思ったヤクルト販売員の60代女性が訪ねて気付いた。

 販売員は呼び鈴を押しても反応がなかったため、家の裏に回って開いた窓から呼び掛けたところ、壁をたたくかすかな音が聞こえたという。近所の人を通じて110番し、トイレで動けなくなっている女性を発見した。同署によると、女性はかつてヤクルトの宅配を受けており、販売員とは旧知の間柄だったという。

 救助された女性は息子と同居しているが、事故発生からはずっと1人だった。警察関係者は「残暑が厳しく、発見が遅れていたら危なかっただろう」と話している。

[日刊スポーツ]

Posted by nob : 2012年09月10日 07:30

カネは命より重い人達の発想。。。

■「廃炉なんてとんでもない」 東京・石原慎太郎知事

 石原慎太郎知事は6日、事故で現在停止している高速増殖炉原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を視察した。

 「高速増殖炉は政治家になる最初の選挙、参院全国区に出るとき(昭和43年)に主題にした」と、こだわりをみせた石原知事。「画期的な技術体系。絶対にフランスにもアメリカにも先んじて完成しなくてはいけない」と語った。

 廃炉も取り沙汰されているが、「画期的な技術が不具合で止まっているのは残念。廃炉なんてとんでもない。後でほえ面をかく。危ないから、という短絡的なものの考え方はやめた方がいい」という石原知事。

 その上で、多くの原子力発電所が再稼働していない状況について、「経済を疲弊させて失業者を出し、社会の混乱につながる」と指摘。「お遊戯みたいな原子力発電の反対運動はナンセンス、とても危ない」と述べた。

[産経新聞]

Posted by nob : 2012年09月10日 07:09

・・・。

■100億光年のかなたにブラックホール数百万個 NASA

black-hole-quasar-dust.jpg

(CNN) 米航空宇宙局(NASA)の広域赤外線探査衛星(WISE)が、数百万個のブラックホールと、約1000の非常に高温で塵粒子(ダスト)に覆われた銀河を発見した。

これらの銀河はこれまでに発見された銀河の中で最も明るいと見られる。NASAはこれらの銀河を「Hot Dust−Obscured Galaxies(高温のほこりに覆われた銀河)」の頭文字を取って「ホットドッグ」と名付けた。

研究者らによると、このホットドッグの中心には巨大なブラックホールが存在し、放出する光の量は太陽の100兆倍だという。画像で見ると明るく見えないのは、各銀河がダストで覆われているためだ。

NASAの科学者らはWISEのおかげで、約100億光年のかなたにある250万個のブラックホールを発見した。従来の技術で発見できなかったのは、ガスやほこりでブラックホールが隠れていたためだ。

NASAは次の段階として、ブラックホールの動きや、ブラックホールがガスやダストを吸収する際に発生する高エネルギーのX線放射の分析を行うとしている。

また、ホットドッグの温度が赤外線を放射しながら燃える他の銀河の2倍以上であることも分かった。この理由として考えられるのは、ホットドッグの内部では、ブラックホールの強力かつ集中的な活動により銀河内のダストが熱せられるというものだ。

NASAのジェット推進研究所のピーター・アイゼンハルト氏によると、ホットドッグ内で、ブラックホールと銀河の他の星群のどちらが先に誕生するのかはまだ不明だという。ブラックホールが先に誕生することを示す証拠もあるが、立証にはさらなる研究が必要としている。

[CNN]


■地球の「100兆倍」の水、120億光年のかなたに発見

(CNN)  地球からはるか120億光年離れたクエーサー(准恒星状天体)に、地球上の海水の100兆倍の水が存在することが、科学者らの研究で明らかになった。

地球の340億倍の質量を持つこのクエーサーを分析していたコロラド大学ボルダー校のジェーソン・グレン准教授らが、数百光年の範囲に広がる大量の水蒸気を発見した。カリフォルニア工科大学がハワイ島マウナケア山に設置している天体望遠鏡で、分光器を使って観測された。

120億光年離れた天体を観測すると、見えるのは120億年前の姿だ。宇宙は136億年前のビッグバンで誕生したと考えられているが、その16億年後にはすでに水が存在していたことになる。

これほどの量の水が見つかったのは観測史上初めて。銀河系内で数光年の範囲に分布する水を全部合わせても、同クエーサーに比べれば4000分の1にすぎないという。

研究には両大学のほか、航空宇宙局(NASA)のジェット推進研究所、カーネギー天文台、ペンシルベニア大学や日本の宇宙科学研究所(ISAS)が参加している。

[CNN]

Posted by nob : 2012年09月10日 07:01

すべてはカネで動く。。。

■石原知事無念、尖閣地権者に「翻弄されたかも」

 「翻弄されていたのかもしれない」。

 東京都の石原知事は7日の定例記者会見で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入を巡る埼玉県の地権者との交渉を、自嘲交じりに振り返った。

 石原知事は4月に購入計画を発表してから、一貫して「地権者は都が買うことに同意している」と語っていた。地権者が都を袖にして国と売買契約を結ぶことになり、石原知事はこの日の会見で、「こちらはちゃんと覚書も用意して、話をしようと(地権者に)言うんだけど、だんだんと狂っていった。お互い納得する形で決着したいと考えていたんだけど」と無念さをにじませた。

 「個人的な友情の話もしたが、地権者の利害損得もあるでしょうから」と、地権者に配慮をみせながらも、「今ひとつ何を考えているか分からないところがあります」とも語った。

 一方、購入資金として全国から都に寄せられた14億7000万円を超える寄付金の使途については、「もうちょっと時間をもらいたい」と述べ、地元の漁業者のための施設整備に充てたい考えを重ねて強調した。

 その上で「政府が代わって、あそこにちゃんとしたインフラを造るということになったら、ちゃんと上陸もして、都の責任で調べる」と同諸島の再調査に意欲を見せた。

[読売新聞]

Posted by nob : 2012年09月08日 23:55

人は望まない限り幸福にはなれない、、、だから幸福を欲しなければならない、、、そして幸福を作り出さなければならない。。。

 不幸になることや不機嫌になることはむずかしくない。楽しませてもらうのを待っている王族のように、ただ座っていればよい。幸福を待っていて品物のように値踏みする人には、すべてのものが退屈に見えてしまう。こういう人は、さし出されたものに片端からけちをつけるだけの権力を持っていて、威厳だけはたっぷりある。だがそこに焦りや怒りも潜んでいるのを、私は見逃さない。子供が花壇を作るように、ほんの少しのものから幸福を作り出す術を知っている人々への焦りと怒りである。

 こういう人たちから、私は逃げ出そう。自分から退屈している人を楽しませることはできないと、経験からよく知っているからだ。

 一方、幸福は見るだけでもすてきだ。幸福ほど目を楽しませてくれるものはなく、とりわけ子供を見ているのは楽しい。それにしても、子供というものはどうしてあれほど遊びに夢中になれるのだろう。それに、誰かに遊んでもらうのを待ったりはしない。たしかに、機嫌の悪い子はふくれ面をするし、どんな楽しみにもそっぽを向く。だがありがたいことに、子供はすぐ忘れる。ところが誰でも知ってのとおり、いつまでも拗ねている「大人子供」もいる。

 なるほど立派な理由があることはわかる。幸福でいるのはいつだってむずかしい。いろいろなこと、いろいろな人と戦わなければならないし、負けてしまうこともある。ストア学徒のような賢者にだって、乗り越えられない災難や打ち克てない不幸は必ずあるのだ。だが全力で戦ってからでなければ、けっして負けたと言ってはいけない。たぶん、これほどわかりやすい義務はあるまい。

 さらに私にとってとりわけはっきりしているのは、人は望まない限り、幸福にはなれないということである。だから、幸福を欲しなければならない。そして幸福を作り出さなければならない。

愛されることは幸福な人に与えられるべき報償

 幸福であることは、他者に対する義務でもある。このことは、十分に語られてきたとは言えない。幸福な人しか愛されないとは言われるけれど、愛されることが幸福な人に当然与えられるべき報賞であることは、忘れられている。私たちが呼吸する大気には、不幸や憂鬱や絶望が満ちている。だから、この有毒な空気を分解し、颯爽と手本を示して言わば社会を浄化してくれる人には、感謝と月桂樹の冠を捧げなければいけない。

 こう考えれば、幸福になるという誓いは、愛の中で最も重いと言えるだろう。愛する人の悲しみや不幸や憂鬱を乗り越えるのは、何よりもむずかしい。幸福は、つまりここで言う自らのために勝ちとる幸福は、最高にうれしく、だから最高に気前のいい贈り物である。男も女も、いつもこのことを考えていなければいけない。

幸福を決意した人々には市民勲章を授けたらよい

 私はさらに一歩進めて、幸福でいようと決意した人々には、何か市民勲章のような報賞を授けたらよいとさえ考えている。と言うのも、私の見るところ、あのたくさんの死骸や廃墟を生み出し、ばかげた浪費や先制攻撃を仕掛けたのは、けっして幸福になれない連中だったからだ。しかもこの連中は、幸福になろうとする人々に我慢ならなかった。

 子供の頃の私は相撲取りタイプで、腕っ節は強いが動きがのろく、かなり鈍感だった。だからよく、神経質でやせ細った身軽な連中から馬鹿にされ、髪を引っ張られたりつねられたりしたものである。けれども、最後はいつも私が本気の一発をお見舞いしてけりがついた。

 いまでも、戦争を予告し準備する醜い小人に気づいたら、私はけっして彼らの言い分など詮索しない。人々が平和に暮らすことが我慢できない性悪な小人のことは、もう十分に知っている。私から見れば、平和なフランスも平和なドイツも、一握りの悪童にいじめられて最後はかっとなってしまう頑丈な子供と変わらない。

[アラン幸福論/日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年09月06日 22:51

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■フクシマウォッチ:原発ゼロを目指す古川戦略相

政府のエネルギー・環境会議は近く中長期のエネルギー戦略を決めるが、古川元久国家戦略相は脱原発に向けたキャンペーンを強化している。

古川戦略相は6日、自然エネルギー財団主催の国際シンポジウムで講演し、「何年もふるさとに帰れないような事故を起こすリスクのある原発からは一日も早く脱することのできる社会を作っていくため、その大きな方向性を指し示すことが使命だ」と語った。

エコノミストや政府当局者のなかには、こうした動きは日本経済に深刻な打撃を与えることになると指摘する向きもいる。実際、経済産業省は今週、調査報告書を公表し、原発ゼロとする場合、家計の電気代は2倍になるとの見方を示した。

しかし、古川戦略相は再生可能エネルギー生産の促進につながるという点で、脱原発が日本経済に利益をもたらす可能性があると指摘する。同相は講演で、「グリーンエネルギー革命を実現することが、長期の低迷に苦しんできた日本の新しい時代をリードしていく」と語った。

「イノベーション」の定義を試みることから、秋葉原型の創意工夫、酒の輸出促進に至るまで、低迷の続く日本経済の復活につながり得るアイデアを模索する古川戦略相に、JRTは注目してきた。

古川戦略相は講演で、日本経済を10年前の米国と比較した。同相は、米国は情報技術産業の繁栄を通し景気拡大に成功したと指摘。再生可能エネルギーを推進するとともに原発を脱することで、日本もこれと同じことを行うべき時だと語った。

[THE WALL STREET JOURNAL]

Posted by nob : 2012年09月06日 22:42

あの秀麗な姿が消え去るなんて。。。

■震災で富士山マグマに圧力 研究チーム「警戒を」
1707年の宝永地震より強い力

 昨年3月11日の東日本大震災と4日後に静岡県東部で起きたマグニチュード(M)6.4の地震によって、富士山のマグマだまりに噴火を引き起こしかねないほどの大きな圧力がかかったことが防災科学技術研究所(茨城県つくば市)などのチームの研究で6日、分かった。

 圧力の高まりだけが噴火の要因ではなく、現在のところ、噴火の兆候は観測されていない。ただ富士山の直近の噴火である1707年の宝永噴火で直前の宝永地震により富士山に加わった力より、今回の力は強く、チームは「地震から数年たってから噴火する可能性もあり警戒が必要」としている。

 チームは昨年3月の2つの地震で生じた地殻の変動をもとに、富士山の直下でマグマが滞留しているマグマだまりにかかった力を推定。マグマだまりの中心が地下約15キロにあると仮定した場合、2回の地震により最大で計約1.6メガパスカル(約15.8気圧)の力がかかったとの結果を得た。

 力の向きはマグマを上下に押しつぶす方向と、東西に引っ張る方向だった。静岡県東部の地震はマグマだまりの近くで起きたと推定されることから、大震災より影響は大きかったらしい。

 富士山も含め、過去には0.1~数メガパスカル程度の力で噴火した例もあるという。マグマだまりの状態が違うとみられるが、同研究所の藤田英輔主任研究員は「1.6メガパスカルというのは小さくない」と指摘している。

 噴火に至っていない理由としては、十分な量のマグマがたまっていなかったことや、マグマに含まれるガスが十分ではなかったことなどが考えられるという。

 国は2004年、富士山の噴火による経済的な被害は最大で約2兆5千億円に上るとの想定を報告。山が大きく崩れた場合、被災者数は約40万人になるとの専門家の試算もあり、噴火による被害は甚大とみられる。〔共同〕

[日本経済新聞]

Posted by nob : 2012年09月06日 16:09

ちっぽけな悩みや苦しみというものは、、、それを口にせずにおればずっと忘れていられる。。。[アラン]

幸福になる技術

それは自分の不幸を絶対に人に言わないこと

愚痴はいつも相手を鬱陶しくさせる

誰もが生きようとしていて死のうとはしていない

だから誰もが生き生きと生きている人

つまり満足を口に出し行動にも表す人を求めている

Posted by nob : 2012年09月05日 21:38

愛してくれる人のためになしうる最善のことは、、、自らが幸福になることである。。。[アラン]

意志を伴わないただの願望は悲しい

ただ贈り物を待つように幸福を待っている生活は憂鬱なばかり

Posted by nob : 2012年09月05日 21:31

自分自身の力で得た幸福はしっかりと身についており、、、羊毛が赤く染まるよりも濃く私たちを染め上げている。。。[アラン]

自らの力で幸福になる人は

他の人によって一層力を得て

また一層幸福になる

Posted by nob : 2012年09月05日 21:26

将来幸福になりたいと考えること、、、

もう今すでに幸福だということ。。。

Posted by nob : 2012年09月05日 21:13

幸福な人は、、、何ものをも怖れない。。。

自らの在り様を許容し納得できる者は

たとえ世間から忘れ去られたとしても怖れない

死んで何十年かすれば名声の方が追いかけてくる

Posted by nob : 2012年09月05日 21:06

すっかり考え尽くす前に、、、考えを打ち切って決めなければならない。。。[アラン]

行動を始めることで

ものごとのつながりはすっかり変わる

頭の中で行動するだけでは何も変わらない

どんな行動にも賭けの要素がある

Posted by nob : 2012年09月05日 20:54

誰かの背中を追いかけているうちにはわからない、、、

自らが先頭を走ってこそはじめて目に映る

無限に広がる可能性に満ちた世界がある。。。

Posted by nob : 2012年09月05日 12:52

今後早期開発に期待。。。

■細胞増殖因子「FGFC」は高線量の放射線被ばくに対して有効 - 産総研など

産業技術総合研究所(産総研)は、放射線医学総合研究所(NIRS)の協力を得て、高線量の放射線被ばくによる障害の予防・治療に効果があると見られる新たな細胞増殖因子「FGFC」を創製し、マウスによる実験で、事前投与の方がより有効だが、事後投与でも生存日数が延長されることが確認され、致命的な放射線障害に対する予防・治療として有効である可能性が示されたと発表した。

成果は、産総研 バイオメディカル研究部門 シグナル分子研究グループの浅田眞弘主任研究員、同・今村亨研究グループ長、NIRSの明石真言理事、同・重粒子医科学センター・先端粒子線生物研究プログラムの中山文明主任研究員らの研究グループによるもの。今回の成果の詳細は、2012年9月6~8日に東北大学で開催される「日本放射線影響学会第55 回大会」にて発表される予定だ。

2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、放射線障害を予防・治療する方策の必要性が広く社会に認識されている。しかし、これまで、治療薬としては甲状腺への「放射性ヨウ素」の蓄積を阻害する「ヨウ化カリウム」や、白血球数の低下を防止し合併症を防ぐ目的の「G-CSF」などしか知られていなかった。

米国で放射線療法に伴う口腔粘膜炎の治療薬として承認されており、日本では未承認の組み換えヒト角化細胞増殖因子「パリフェルミン(FGF7)」は、繊維芽細胞増殖因子(FGF)ファミリーの一員だ。しかし、「上皮細胞」にだけ作用を示すなど作用範囲(標的細胞特異性)は限定的で、またこの因子そのものが不安定であるため煩雑な反復投与が求められている。

このような状況から、より安定で適用範囲の広い放射線障害の予防・治療薬の開発が待ち望まれているのが現状だ。

FGFの活性は主に、標的となる細胞表面のFGF受容体を介して細胞内に伝達されるため、生理的な活性は、FGF自身の発現制御と、対応する複数種のFGF受容体や補助受容体の発現制御によって決まる。

「真皮細胞」に特異的に作用するのが、「褥瘡(じょくそう)治療薬」として認可されている塩基性繊維芽細胞増殖因子「トラフェルミン(FGF2)」だ。一方、酸性繊維芽細胞増殖因子「FGF1」は広範な細胞に作用するが、活性を示すためには「ヘパリン」などの糖鎖が必須である。

そこで、産総研では、FGF1とFGF2の一部を入れ替えたキメラ分子を数種類作成した。それらの内、広範な細胞に作用し、増殖にヘパリンを必要としない細胞増殖因子FGFC(画像1)は、耐酸性やタンパク質分解酵素に対する抵抗性、吸着性といった点でも、これまでのFGFにはない特性を持っているのが判明したのである(画像2)。

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画像1。FGF1およびFGF2、FGFキメラタンパク質(FGFC)の模式図

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画像2。FGFキメラタンパク質FGFCの優位性

今回、このような優位性を持つFGFCについて、放射線障害の防護剤としての有効性を検証する一環として、高線量の放射線被ばくによる個体の生存率に対する効果が調べられた。BALB/cマウス(約8週齢、オス、一群8匹)の腹腔内にFGFCを投与し、その24時間後にX線を全身照射した。そして、個体の生存率の時間変化の測定を実施した形だ(画像3)。

X線の照射線量とFGFCの投与量の、生存率への影響が調べられた結果、X線照射の24時間前にFGFCを投与すると、8GyのX線照射の場合、3μg~30μgの範囲で、投与したFGFCの量が多いほどX線照射後の生存日数が延びることが判明(画像4)。

また、6GyのX線照射の場合には、生理食塩水だけを投与したマウス群は照射後30日までに38%が死亡するのに対し、30μgのFGFCを投与したマウス群ではすべての個体が生存した。一方、10Gyの照射では有意な効果は認められなかった具合だ。

なお、ヒトの場合の急性な全身被ばくにおいて、線量4~6Gyで重症、6~8Gyで「非常に重症」で、8Gy以上は「致死的」とされている。

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画像3。実験方法の模式図

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画像4。FGFCを腹腔内投与し、その24時間後に8GyのX線を全身照射したマウスの生存曲線。赤線は生理食塩水だけを投与した場合。青線はFGFCを3μg、緑線はFGFCを10μg、黒線はFGFCを30μgそれぞれ投与した場合

次に、放射線被ばく後の投与、すなわち、被ばく後の治療薬としての効果を検討した。X線照射の2時間後、24時間後にFGFCを投与し、生存率への影響の調査を実施。6Gy照射したマウス群では、照射2時間後、24時間後のいずれの投与によっても、生存率の向上が認められた(画像5)。しかし、 8Gy、10Gy照射群では、有意な効果は認められなかった。

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画像5。6GyのX線を全身照射し、その2時間後にFGFCを腹腔内投与したマウスの生存曲線。赤線は生理食塩水だけを投与した場合。青線はFGFCを3μg、緑線はFGFCを10μg、黒線はFGFCを30μgそれぞれ投与した場合

研究グループは今後、FGFCの作用メカニズムをより詳細に解析すると共に、投与回数やほかの処置との併用などを検討し、その効果を最大限利用できる方法を確立したいと考えているという。また、安全性などの評価も行っていく予定であるとした。

[マイナビニュース]

Posted by nob : 2012年09月05日 12:41

話し合い、、、分け合いましょう。。。

■韓国軍、海兵隊の独島上陸訓練を突然中止

韓国軍が7日に予定されていた海兵隊の独島(ドクト、日本名・竹島)上陸訓練を突然中止した。軍は定例独島防御訓練中にCH-47(チヌーク)ヘリコプター2機を利用し、海兵隊捜索隊員およそ100人を独島に上陸させる訓練を準備していた。

韓国政府当局者は3日、「外国軍の独島占領を前提に国家戦略機動軍である海兵隊の上陸訓練を準備してきたが、日本右翼団体の民間人が奇襲上陸する可能性が高い状況で海兵隊を動員するのが適切かという問題提起があった」と述べた。これを受け、海兵隊の代わりに海洋警察が外国人の独島奇襲上陸を阻止する訓練を実施することにした。

韓国型駆逐艦(3200トン)と護衛艦(1800トン)、潜水艦、海上哨戒機(P-3C)、F-15K戦闘機、海洋警察警備艦(3000トン)などを投入し、実際の状況を想定して実施する予定だった訓練は、海洋警察中心に行われる。日本も中国との領土紛争地域である南中国海(南シナ海)の釣魚島(日本名・尖閣諸島)に香港の住民が上陸した当時、海上自衛隊ではなく海上保安庁が対応した。

訓練中止決定には軍当局よりも青瓦台(チョンワデ、大統領府)の判断が作用した。訓練を企画・監督する合同参謀本部と該当訓練部隊の幹部は3日の報道で中止を初めて知ったという。

匿名を求めた軍当局者は「国の戦略的な判断に基づき、軍事訓練内容はいくらでも変わる可能性がある」としながも「大統領の独島訪問(8月10日)以降、韓国軍の領土守護意志を誇示できる良い機会がなくなって残念だ」と述べた。

特に最近、韓日間の葛藤を懸念した米国が仲裁に入ったという観測が出ている中、軍の一部では「2015年に戦時作戦統制権が移譲すれば、韓国軍が独自で訓練と戦争をしなければならない状況だが、あまりにも周囲を気にし過ぎている」という指摘も出ている。

訓練を準備してきた軍部隊では「韓国軍が自国の領土で訓練もできないか」「しないのか、できないのか」という不満も出ている。

軍は1990年代初めから年に2回、海洋警察と合同で、艦艇と戦闘機を動員した独島防御訓練を実施してきた。

[中央日報]

Posted by nob : 2012年09月04日 22:30

変えたのではなく、、、変わっただけのこと。。。

必然的な理由による変化に

ただ立ち会っただけのこと。。。

Posted by nob : 2012年09月03日 23:57

真実とは、、、

本当か嘘かではなく

本当と信じるか嘘と疑うかである。。。

Posted by nob : 2012年09月03日 23:54

変えられるのは自分自身だけ。。。

他人(ひと)も

社会も

決して変えられない。。。

Posted by nob : 2012年09月03日 01:50

あの時、、、

確かに

貴方は

そこにいた。。。

Posted by nob : 2012年09月03日 01:49

愛せる理由

人は変わってしまっても、、、

想い出は変わらない。。。

そしてまた人は変わる。。。

Posted by nob : 2012年09月03日 01:40

それが戦争。。。

■「軍の命令で山本さん殺害」男が供述の映像公開

【カイロ=貞広貴志】8月20日に起きたジャーナリスト山本美香さんの殺害事件で、シリアの反体制派組織「アーシファ・シマール旅団」は1日、銃撃に関与した政府軍兵士とされる男性が軍による殺害命令があったと供述するビデオ映像をネット上に公開した。

 映像は49秒間で、「(政府軍)170旅団所属のマフムード軍曹」を名乗る男が、北部アレッポで開かれた会合で少佐の上官から「ジャーナリストを殺害し、(反体制派)自由シリア軍の仕業のように見せかけろ」と指令を受けた、と述べた。男は、白い肌着風のシャツを着ており、映像では負傷や拷問の痕は認められなかった。

 男は、山本さん殺害の際に2人のジャーナリストを拘束したとも述べた。行方不明になっている、米政府出資のアラビア語衛星テレビ「アル・フッラ」の記者を指しているとみられる。

[読売新聞]

Posted by nob : 2012年09月02日 00:44