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天命に任せる前に、、、まずは人事を尽くそう。。。

■南海トラフ地震:津波の想定高さ改定 6都県20m超

駿河湾から四国沖に延びる「南海トラフ」

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 西日本の太平洋沖に延びる海溝「南海トラフ」で発生する巨大地震について、内閣府の有識者検討会(座長・阿部勝征東京大名誉教授)は31日、想定される最大の震度分布と津波高を発表した。満潮時の津波は高知県黒潮町の34.4メートルを最大に、東京の島しょ部から静岡、愛知、三重、徳島、高知の計6都県23市町村で20メートルを超えると予測。中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)付近は21メートルで、建設中の防波壁を3メートル上回った。震度6強以上の地域も国土の約7%の2万8000平方キロに及び、国は対策のとりまとめを急ぐ。

 南海トラフの巨大地震は近い将来の発生が懸念されている。政府が03年にマグニチュード(M)8.8の想定で被害を予測した際、津波は最大17メートルだった。今回は東日本大震災を教訓に、最新の科学的知見や過去の津波の痕跡調査などから、考えられる最大級の被害を検討。震源域を約2倍、地震の規模を約3倍のM9.1とした。

 その結果、津波高は各地で前回想定の2~3倍、東京の島しょ部では5倍を超えた。震源の西端を宮崎県沖の日向灘まで延ばした結果、愛媛、大分、宮崎、鹿児島では約3倍の13~17メートルとなった。

 震度6強以上は21府県395市町村。震度7は静岡、三重、高知など10県153市町村計7000平方キロに及び、面積は前回想定の20倍以上になった。非常に強い揺れが3分近く続く地域も多いうえ、静岡、和歌山、高知の一部では最短2分で高さ1メートルの津波が来ると予測され、揺れの最中に津波に襲われる恐れもある。

 ただし、今回の発表内容は震源の想定を変えた16パターンの最大値を重ね合わせたもので、これらの被害が一度に起きることは「実際にはあり得ない」(事務局)という。

 検討会は4月以降、今回の予測を前提に浸水想定区域を公表する。政府は6月ごろまでに人的・物的な被害を算定し、夏までに当面の対策をとりまとめる。

    ◇

 各地の震度分布、津波高は内閣府ホームページ(http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/nankai_trough/15/index.html)で閲覧可。

 【ことば】南海トラフ

 駿河湾から九州沖まで延びる浅い海溝。フィリピン海プレート(岩板)がユーラシアプレートの下に沈み込み、100~150年間隔でマグニチュード8級の巨大地震を繰り返してきた。ここを震源域とする東海、東南海、南海地震について、国は今後30年間に発生する確率を60~88%と推測している。

 ◇解説 最大級の脅威提示
 従来の南海トラフの防災想定は、過去数百年間の史料などに残る地震と津波を再現することを前提とした。これに対し、内閣府の検討会が31日公表した震度分布と津波高は、証拠が乏しくても現状の地震学で考え得る最大級の「脅威」を提示した点で、根本的に異なる。東日本大震災の教訓を踏まえ、次の想定外は許されないという前提で検討された。

 ただし、今回の想定は行政の広域災害対策を念頭に置いた試算で、個別の地点では予測を上回る強い揺れや津波に見舞われる可能性もある点に注意が必要だ。また、過去に南海トラフでマグニチュード8以上の巨大地震が発生した前後には、西日本の内陸部で阪神大震災規模の直下型地震が連発した。今回の震度分布などを基に今後被害シナリオを考える際には、こうした誘発地震などさまざまな想定を含めることが求められる。

 住民個人のレベルでは、予測を冷静かつ重く受け止め、災害を「防ぎきる」のではなく、命を守ることを最優先する重要性を共有したい。揺れが収まる間もなく津波に襲われる地域などは、高台移転の本格検討を始めるべきだろう。対応には数十年の時間と巨額の費用が必要になるかもしれない。提示された超巨大地震を「西日本大震災」とさせないための知恵と覚悟が求められている。【八田浩輔、池田知広】

[毎日新聞]


■【南海トラフ新想定】
東京都、区部2・3メートル「驚く数字でもない」 島嶼部では29・7メートル

 東京都ではこれまで想定されてきた津波は高さ1・2メートル程度だったが、今回、区部で最大2・3メートルという数字が示された。昨年の東日本大震災では東京湾で1・5メートルの津波が発生しており、都の防災担当者は「江戸時代には2メートルの津波が発生したという記録もあり、高さ自体は驚くべきものでもない」と説明する。

 東京港にはこれに対応できる防潮堤が約50キロにわたって整備されているという。平成24年度予算では、津波が川をさかのぼるのを防ぐため、水門の閉鎖を遠隔操作する「高潮対策センター」を現在の1カ所から2カ所に増設する費用も盛り込まれた。昨年行われた総合防災訓練でも津波対策が一つの柱とされ、水門閉鎖や内陸への浸水を防ぐ「陸閘(りっこう)」を閉じる訓練や避難訓練が導入された。

 都では首都直下型、関東大震災のような海溝型、活断層で起きるタイプの地震を中心に、東海・東南海・南海地震も含め、都防災会議で被害想定の見直しを進めており、4月中に発表する予定だ。

 また今回、伊豆諸島や小笠原諸島など島嶼(とうしょ)部でも、最大29・7メートルと新たな想定が出された。都が昨年策定した防災対応指針では今回、検討会が発表した数字を踏まえて津波浸水予測やハザードマップの見直しに取り組むことを、あらかじめ明記している。今後、防潮堤など海岸保全施設の整備というハード面と、災害時要援護者の実態把握や避難訓練などのソフト面との両面で、島嶼地域の防災力向上を図るとしている。

[産経新聞/04.02追加]

Posted by nob : 2012年03月31日 23:59

日本ではアイドルや芸能人が政治的発言をすることはタブー、、、それが問題。。。

■木村拓哉が芸能界のタブーを超えた! 福島がれき処理問題の是非

 キムタクが山本太郎になった! それは孫正義が立ち上げた「東日本大震災復興支援財団」の3月8日の活動報告会でのことだった。孫が被災地に100億円を寄付するしないのと大騒ぎした挙句に立ち上げた財団である。この財団の発起人にSMAPも名を連ねていて、キムタクはこの報告会にサプライズゲストとしてと出席したのだ。キャー!! というコンサート会場などとは違い、スーツ姿の男性が多かったという報告会場であったが、そこで、キムタクは自分たちの被災地に対する思いや、支援について語ったという。さすが国民的アイドル。歌や踊りだけでなく、パネルディスカッションもできるのね。

 そして一般客男性から出た、“仕込みなし”“ヤラセ”でない質問が「福島のがれき処理問題に関して意見を聞きたい」というものだった。孫の指名でキムタクが一番最初に発言することになったという。かなり政治的で慎重を要する内容だ。下手なことを言えば、大問題になる可能性だってある。どうするキムタク? 会場も同じ思いだったようで皆固唾を飲んでいたという。そこで慎重に悩みながら言葉を選んだ発言がこれだ。
「がれきの中にどのくらいの放射線量が含まれているか、ってことも含めいろんな問題が関わってくる」「“福島で生まれたがれきを福島に”というのができれば一番いいとは思うんですけど。できないという現状があるんであれば、それをどうにかする方法を模索していく必要がある」

 なんと立派なご回答! 優等生的ではあるが、自分の頭で考えている様はわかる。さらには「ドラマで総理大臣役をやった時、太陽エネルギーにもっと国の政策として取り組んでは? 」ということを台本に入れたいと提案したが、拒否されたエピソードも披露したという。「この程度の発言」と思う向きもあるだろうが、影響力のある現役バリバリのアイドルにしては十分踏み込んだ発言といえる。ちなみにこのドラマはどう考えてもフジ系列で2008年に放映された『CHANGE』。震災前だしフジじゃあ無理だろうが、以前から問題意識を持っていたことも明らかになったわけでポイント高いぞ、キムタク。パンダ招致より、こうした発言こそが貴重だ(といっても今でもテレビじゃ無理だろうけど)。

 日本ではアイドルや芸能人が政治的発言をすることはタブーである。義援金寄付や炊き出し、避難所めぐりはしても、原発問題には踏み込まない。今週の「自身」ではスーダン政府の無差別爆撃に対する抗議デモで、ジョージ・クルーニーが逮捕されたことをグラビアで報じている。ハリウッドセレブは政治的発言を厭わない。いや、それが義務でさえある。日本もちょっとは見習って欲しい。ただ山本太郎の現状を見ると、それは当分無理かと暗澹たる気持ちになる。史上最悪の原発事故を機に、芸能界も少しは変っていくのだろうか。

[サイゾーウーマン]

Posted by nob : 2012年03月31日 23:55

究極の贅沢

せずにいられることと

棄てられること

Posted by nob : 2012年03月28日 11:35

見栄の克服、、、

食欲の克服の次に難しい。。。

Posted by nob : 2012年03月28日 00:44

傍で見ていても、、、

あなたの天賦の才も

日々の努力も

すべてが自分自身のためになんて、、、


そんな自分自身をまた表に前に出して、、、


かつての私自身にも身に覚えのあることでもあり、、、


何とも恥ずかしいやら情けないやら。。。

Posted by nob : 2012年03月28日 00:26

天才

完全を目指しつつも

自分自身の在り様と創作活動(物)が永遠に不完全であることを

常に感じてとれるのが才能

許容できさらには増幅して良しとできるのが天才

Posted by nob : 2012年03月28日 00:20

いよいよ正念場、、、解らない?解らないふり??解らないことが解らない、、、安全は決して担保できず地球環境を蝕み続けるのが原発、、、再稼働などありえない。。。

■東電の全原発停止

 東京電力は26日未明、新潟県の柏崎刈羽原発6号機(135万6千キロワット)の発電を停止、定期検査に入った。原子炉も完全に止め、東電は保有する17原発全ての運転を停止した。全国の商業用原発54基のうち、運転を続けるのは北海道電力泊3号機(北海道泊村)1基だけとなり、「稼働原発ゼロ」が目前に迫ってきた。夏場の電力不足への懸念は一段と強まる。

 政府の原子力安全委員会は、定検中の関西電力大飯3、4号機の安全評価(ストレステスト)の1次評価は問題ないとする確認結果を決定。野田佳彦首相は週内にも関係3閣僚と協議し、再稼働に向けた手続きを本格化させる。

[中日新聞]


■「原発検査」了承 政治が決断し再稼働を目指せ(3月24日付・読売社説)

 内閣府の原子力安全委員会が、福井県にある関西電力大飯原子力発電所3、4号機の「ストレステスト(耐性検査)」について、“合格”とする検証結果をまとめた。

 東京電力福島第一原発の事故後に政府が命じた緊急安全対策により、設計時の想定を4倍上回る高さ11・4メートルの津波に耐えられるようになるなど、安全向上で一定の効果が示されたとしている。

 耐性検査は、定期検査で停止した原発を再稼働させるかどうかを判断する条件として、政府が昨年7月、各電力会社に実施を課していた。安全委の了承を得たのは大飯原発3、4号機が初めてだ。

 技術的検討は終わり、この2基の再稼働は野田首相と関係閣僚の政治判断にゆだねられる。速やかに結論を出すよう求めたい。

 国内の原発は次々に定期検査に入っており、5月にはすべて止まる。原発抜きでは当面、電力の安定供給は望めない。

 合理的な理由もなしに、再稼働を先送りしている余裕はない。

 安全対策に問題がないと判断される原発は、再稼働すべきだ。

 課題は、福井県など地元の同意をどう得るか、である。

 今回のストレステストでは、炉心冷却用の電源を喪失すると重大事故につながるという原発の最大の弱点を十分補強できた、ことを確認したのがポイントだ。

 非常用電源、蓄電池まで失った福島第一原発のような事故のリスクは低減されたと言える。それを政府は丁寧に説明すべきだ。

 もちろん、安全確保には各原発で不断の努力が欠かせない。

 安全委も、もっと詳しく安全性を検証するストレステストの「2次評価」を全原発を対象に早急に実施し、継続的な改善を目指すよう注文をつけている。

 心配なのは、原子力規制庁の4月発足が大幅に遅れることだ。原子力の規制と推進が分離されていないなど、多くの欠陥が指摘された今の体制が中途半端に続く。

 原発の地元には、再稼働を求める声と同時に、規制庁が発足しないままでは判断できないとの不満もある。国会は、規制庁法案の審議を放置してはならない。

 福井県は、今回の事故を踏まえた「暫定的な安全基準」や、原発の必要性に関する政府の見解を提示してほしいと要望している。

 政府は、事故時に原子炉圧力を下げて破損を防ぐ装置の強化などすでに30項目の安全対策をまとめている。これを基準化し、実施工程とともに示す必要がある。

[読売新聞]


■格納容器内7万2900ミリシーベルト 福島2号機 6分で人死ぬ量

 東京電力は二十七日、福島第一原発2号機の格納容器内で、最大で毎時七万二九〇〇ミリシーベルトの極めて高い放射線量が計測されたと発表した。この値の場所に六分ほどいるだけで人間は100%死亡する。炉心溶融(メルトダウン)した核燃料が原子炉を壊し格納容器にまで溶け落ちていることが、高線量の原因。これほどの値だと、ロボットでも長時間の作業は難しい。政府や東電は三十〜四十年後に廃炉を実現する計画だが、大きな狂いが生じる可能性もある。

 格納容器に開けた穴から線量計を入れて計測した。底部からは四〜七メートルの高さで、内壁から五十センチと一メートル離れた位置の上下計八カ所で測ったところ、三万一一〇〇〜七万二九〇〇ミリシーベルトを計測した。

 通常、原子炉が停止した状態では、格納容器内の線量は〇・一ミリシーベルト程度で、いかに異常な状態かが分かる。

 二十六日に内視鏡で撮影された映像を見ると、上にある原子炉から大量の水が降り注いでおり、炉に穴が開いている状況がうかがえる。水は格納容器の損傷部から高濃度汚染水となって建屋地下に流れ込んでいる。

 格納容器の壁面では塗装がはがれたり、浮き上がっている場所も多く、事故当初の過熱や腐食の影響とみられる。カメラが水をかぶっている間は映像はクリアだが、水がなくなると画面いっぱいにノイズが広がる。高い放射線によるものだ。

 問題は、この高い線量が廃炉に与える悪影響だ。東電は格納容器内の作業にはロボットを多用する計画だが、ロボットも本体は耐えられても、作動を制御する電子回路などが放射線で壊れる。今回の計測に使った内視鏡も十四時間程度しか耐えられない。

 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「高線量に耐えられる機器を開発する必要がある」と語った。

 政府は昨年暮れ、原発内では事故が収束したと宣言したが、実情は厳しい。

[東京新聞/28日追加]


■超党派で「原発ゼロの会」発足

 原子力発電に依存しないエネルギー政策への転換を目指す与野党の有志議員が27日、超党派の勉強会「原発ゼロの会」を発足させた。原子炉廃炉に向けた地方自治体支援や使用済み核燃料の処分策、再生可能エネルギーの促進などをめぐって意見交換し6月をメドに政府に提言する。民主党の近藤昭一、自民党の河野太郎、みんなの党の山内康一、社民党の阿部知子の各衆院議員と公明党の加藤修一参院議員が発起人に名を連ねている。

[日本経済新聞/28日追加]

Posted by nob : 2012年03月26日 09:13

狂おしいほどの孤独を受け容れることができてこそ、、、

はじめてかけがえのない人生の連れ合いを心から慈しみ

多くのささやかな幸せを感じられる充実した日々を過ごしていける。。。

Posted by nob : 2012年03月25日 06:22

諸行無常

■仏教用語で、この世の現実存在はすべて、姿も本質も常に流動変化するものであり、一瞬といえども存在は同一性を保持することができないことをいう。

[Wikipedia]


■仏教のテーゼのひとつ。「この世のあらゆるものはすべて移ろい行く」 の意。「形あるものは必ず壊れる」というようにあらゆるものは生じそして滅するという理。

[はてなキーワード]


■この世にあるものは、すべてお互いに因となったり縁となったりして成り立っています。すべては因と縁によるものですから、その因や縁が変われば必然的に滅するものもあり、また生ずるものもあるのです。この世のすべてが移ろい行くのは、すべての存在がつながりあい、支えあっているからなのです。

[正圓寺]


■私のフォトブログのテーマ

Everything is a once-in-a-lifetime chance...

The river current never stops flowing, and its water keeps changing...

The blowing wind will never be able to come back to the present same place...

日々巡り会うすぺての光景は一期一会

せせらぎの水は同じに見えても流れ続けて留まらず

常にもはや眼前の水ではない

今吹き過ぎる風もまたこの同じ場所には戻れない

CLIPS/Day-to-day pics and words by nob...

Posted by nob : 2012年03月25日 06:15

真実は、、、

常に敬遠されるもの。。。

Posted by nob : 2012年03月25日 06:01

精神科医に限ったことではないけれど、、、「臨機応変」を実践できる人物の減少が本質的な問題。。。

■万人に通用する方法論はない。
「臨機応変」は果たして死語なのか

人間的治療から機械的治療への大転換

 2月12日、NHKスペシャル「ここまできた!うつ病治療」が放送されました。

 うつ病の診断と治療の最前線を紹介するというテーマで、番組では大きく分けて2つのトピックが語られます。

 一つは脳の血流が画像に表示される装置「光トポグラフィー」による診断です。

 何らかの言葉を復唱させた場合、躁うつ病に罹患している人は脳のある部分の働きが弱いといいます。この特性に目をつけ、光トポグラフィーで脳の血流量を測定して得られたデータに基づき、うつ病か否かを診断しようというものです。日本でも、神奈川県の病院などが装置を保有しています。

 もう一つは、磁気発生装置で脳に刺激を与える治療方法です。

 感情を司る扁桃体に刺激を与えて機能を回復させれば、うつ病患者の感情が爆発するのを抑えられるという理屈です。番組では、何十年にもわたって薬を飲み続けても治らなかったうつ病患者が、頭にヘッドギア状のものを装着してわずか30分ほどの治療を受けただけで症状が好転したとする事例が紹介されます。

 放送の翌日から、私の患者さんたちも口々に番組について語り始めました。

「光トポグラフィー検査をやっている病院を紹介してほしい」
「磁気刺激による治療はいつ日本に入ってくるのか」

 そう言われても、うつ病は番組で紹介されたような科学的な手法だけで診断できるものではなく、問診という医師と患者の人間的な関わりを踏まえる必要があります。しかもかつて機械的な治療、薬だけに頼った治療が主流だったころ、患者さんの多くがもっと心の通ったきめ細かい人間的な治療をしてほしいと訴えておられました。

 もちろん人間ですから、多少の矛盾はあって当然です。しかし、極端から極端に振れる危険性を感じざるを得ません。

被災者ケアでも起こる極端から極端への揺り戻し

 光トポグラフィー装置を持つ神奈川県の病院には、番組放送後から問い合わせの電話が殺到したそうです。

 その病院では、現在はまだ一般の治療には使われていません。まだ一部の人への使用の段階にすぎないので、要望には応えられないというコメントを出さざるを得なかったといいます。

 ただ、番組で紹介された装置は決して特殊なものではなく、民間の医療機器メーカーが製作したものなので、日本でも購入しようと思えば手に入ります。自費診療で診察に使う病院も遅かれ早かれ登場してくることでしょう。

 しかし、こうした極端な機械的診断と治療が普及したら、かつてのように「私たちは人間だ。ロボットのように扱わないでほしい」というもう一方の極端への揺り戻しが必ずやって来ると思います。

 極端から極端への揺り戻しは、災害被災者のケアの現場でも起こっています。

「被災者のこころの中にあるショックや悲しみを吐き出させるのが良いケアだ」

 日本では、およそ10年前にアメリカから入って来たこの「デブリーフィング」という考え方に基づいて災害ケアが進められてきました。1995年の阪神・淡路大震災のときに被災者支援に関する明確な指針がなかったので、何か作らなければならないと模索していたところにデブリーフィングという考え方が持ち込まれたのです。

 ところが、ちょうど日本に入って来たころ、9・11事件を経験したアメリカでその手法が有害だという研究結果が出てしまいます。過酷な体験を吐き出させることは、かえって記憶を定着させてしまうというのがその理由です。デブリーフィングを提唱した学者でさえ、自分の考えは誤っていたと公表したのです。

 それでも、入って来たばかりの手法が誤っているという情報は、しばらくの間日本では徹底されませんでした。そのため、今回の東日本大震災の被災者ケアは混乱を来たしてしまったのです。

状況を見て臨機応変に対処する姿勢を

 数年前の古い情報を基に勉強を積んだ人は、東日本大震災後に現地に入って被災者のこころの中にあるショックや悲しみを吐き出させようとしました。しかし、その行為に対していくつかの学会から「危険だからやめてくれ」と警鐘が鳴らされます。

 一方、アメリカでデブリーフィングを否定する学会が提唱するのは「サイコロジカル・ファーストエイド」と呼ばれる手法です。

 これは、災害によって受けたこころの傷には直接触れず、「そばに寄り添う」「毛布を与える」「現実的な情報を与える」などといった身の回りの世話が中心となるケアです。むしろ、専門家である必要はなく、誰でもできるごく当たり前の支援活動と言えるものです。

 名称には「サイコロジカル」という言葉を冠していますが、そこには心理的なケアの側面はほとんど含まれていません。つまり、デブリーフィングとはまったく正反対で、こころの内側の話を絶対にさせてはならないという考え方に基づいているのです。

 また、多くのボランティアが被災地の子どもたちに絵を描かせた行為に対し、日本心理臨床学会が「危険だからなるべくやらないように」という指針を出しました。

 ボランティアの方々としては、被災地では何も遊び道具がないので、子どもたちを楽しませようとお絵描きを始めたにすぎません。それなのに、指針が出たことによってボランティアの方々にも不安が広がってしまいました。

 もちろん、被災者にデブリーフィングを押しつけるのはナンセンスです。子どもたちが絵を描きたくないというのに無理に描かせるのも意味がありません。

 しかし「たいへんでしたね」と被災者に声をかけたとき、こころの中にある辛い感情を語り始めたのを無理にやめさせるというのもおかしな話です。子どもたちが無邪気に絵を描き始めたのに、無理にやめさせるのもかわいそうです。状況や人に応じて、もっと臨機応変に融通をきかせた対応をすればいいだけの話ではないでしょうか。

すべての人に通用する方法論などない

 アメリカの場合、誤った手法に基づくケアを受けたから悪い結果になったなどと訴訟問題に発展する可能性が非常に高くなります。それを避けるためには、ある一定のマニュアルを作る必要があるのでしょう。マニュアルに忠実な行動をとったという言い訳が訴訟リスクを下げるのです。

 私が主張するような臨機応変な対応によって、アメリカではむしろ莫大な損害賠償を抱えてしまう可能性は否定できません。しかし、果たしてそれでこころの通ったケアができるのでしょうか。

 日本でも、あらゆる人に通用する方法論を求めすぎているように感じられます。

 そもそも、すべての人に共通する方法論などあるのでしょうか。人によって、ある方法論が良い場合もあれば、良くないこともあると思います。

 診察室でも、多くの話を聞き出したほうがいい患者さんもいれば、何も聞かないほうがいい患者さんもいます。同じ患者さんでも、状況によって対応を変えなければならないケースは日常的に起こっています。それを見極めるには何回かおつきあいしなければならないと思います。対応を変えて相手の反応を見たうえでなければ、正しい判断は下せないと思っています。

 臨機応変。バランスをとる。こうした方法論は今や見向きもされません。

 これさえやれば治る、これさえやれば成長する、これさえやればうまくいく。その人に合っているかどうかわからないのに、極端な方法論しか受け入れられません。そしてその方法論は、やがて正反対の方向にある極端へと振れていきます。結局のところ、何を求めているのかわからないという釈然としない思いだけが残ってしまうのです。

[DIAMOND online/香山リカの「ほどほど論」のススメ]

Posted by nob : 2012年03月25日 05:55

依存従属心が、、、

健やかな心をただただ蝕んでいく。。。

Posted by nob : 2012年03月23日 16:11

大人の条件

未来の世代に負の遺産を残さないことと

未来をつくる子供逹を守ること

Posted by nob : 2012年03月23日 00:35

そのとおり!!!Vol.19/全面的に賛同します

■がれき受け入れ、徳島県の説明が核心を突く

 環境省が、震災被災地のガレキ処理について、全国の自治体に協力を呼び掛けているが、反対意見を表明している徳島県が、ユーザーから寄せられた意見に対して、明確な反対理由を述べている。

 質問は「60歳 男性」から寄せられ、「徳島県の市民は、自分だけ良ければいいって言う人間ばっかりなのか。声を大にして正義を叫ぶ人間はいないのか? 情け無い君たち東京を見習え」などというもの。

 これに対しての徳島県の答えは次のようなもの(一部省略)。

 【環境整備課からの回答】
 徳島県や県内のいくつかの市町村は,協力できる部分は協力したいという思いで,国に対し協力する姿勢を表明しておりました。

 しかしながら,現行の法体制で想定していなかった放射能を帯びた震災がれきも発生していることから、その処理について、国においては1キロあたり 8000ベクレルまでは全国において埋立処分できるといたしました。(なお、徳島県においては,放射能を帯びた震災がれきは,国の責任で、国において処理すべきであると政策提言しております。)

 放射性物質については、封じ込め、拡散させないことが原則であり、その観点から、東日本大震災前は、IAEAの国際的な基準に基づき、放射性セシウム濃度が1キロあたり100ベクレルを超える場合は、特別な管理下に置かれ、低レベル放射性廃棄物処分場に封じ込めてきました。(クリアランス制度)

 ところが、国においては、東日本大震災後、当初、福島県内限定の基準として出された8000ベクレル(従来の基準の80倍)を、その十分な説明も根拠の明示もないまま、広域処理の基準にも転用いたしました。(したがって、現在、原子力発電所の事業所内から出た廃棄物は、100ベクレルを超えれば、低レベル放射性廃棄物処分場で厳格に管理されているのに、事業所の外では、8000ベクレルまで、東京都をはじめとする東日本では埋立処分されております)

 ひとつ、お考えいただきたいのは、この8000ベクレルという水準は国際的には低レベル放射性廃棄物として、厳格に管理されているということです。

 例えばフランスやドイツでは、低レベル放射性廃棄物処分場は、国内に1カ所だけであり、しかも鉱山の跡地など、放射性セシウム等が水に溶出して外部にでないように、地下水と接触しないように、注意深く保管されています。

 また、群馬県伊勢崎市の処分場では1キロ当たり1800ベクレルという国の基準より、大幅に低い焼却灰を埋め立てていたにもかかわらず、大雨により放射性セシウムが水に溶け出し、排水基準を超えたという報道がございました。

 県民の安心・安全を何より重視しなければならないことから、一度、生活環境上に流出すれば、大きな影響のある放射性物質を含むがれきについて、十分な検討もなく受け入れることは難しいと考えております。

 余りにも当たり前すぎる回答だが、環境省から提示された8000ベクレルの基準の理由は説明がないまま。放射能は封じ込めが原則であり、それを地方自治体に押し付けるのは酷でしかない。徳島県の説明は、ひじょうに核心を突いたものだ。

[YUCASEE MEDIA]

Posted by nob : 2012年03月23日 00:18

再生可能エネルギー社会への転換は可能。。。

電力自由化と「発・送・配電」の分離、当面の石油火力発電や天然ガス発電から、市町村単位での波力と個人単位での太陽光による小規模自家発電の全国的拡充による電力事業者への絶対電力需要量の削減により、再生可能エネルギー社会への転換は充分に可能であると確信しています。。。


■天然ガスが恒久的に原発を代替できるこれだけの理由
ホルムズ海峡への依存はゼロに近づく
石井 彰

 2カ月以内に日本のすべての原子力発電所が稼働停止する可能性が非常に高くなってきた。

 この事態に、「原発が3基しか動いていない状況で何とか厳冬期を乗り切ったので、このままでも脱原発は十分可能だ」という楽観論が、一部で声高に言われるようにもなっている。

 しかし、夏の電力ピーク需要は冬場よりずっと高く、このままでは夏場に電力不足で工場などの操業に大きな障害が生じる可能性は高い。しかも原発代替の突発的な火力発電所フル稼働で、日本の発電コストは大きく上昇し、これが今後電力料金の大幅値上げとなってツケが近いうちに国民全体に回ってくることになる。

 3.11前は全電源の約3割であった天然ガス・LNG(液化天然ガス)発電は、現時点で日本の全電源の約4割、東京電力や中部電力管内では5割前後にまで急上昇している。自家発電の急遽のフル活用も同様だ。

原発停止による発電コスト上昇は一時的

 ここで誤解していけないのは、この大幅コストアップは元来、原発のコストが安く、火力や自家発電が高いということでは全くないことだ。

 原発の発電コストの大半は設備コストという固定費用(=埋没費用)であり、発電量に応じて新たにコストがかかる燃料費(=可変費用)ではない。逆に、火力発電、特に石油火力発電や天然ガス発電、自家発電は、設備コスト=固定費用は安く、燃料コストが高い。

 既に設備投資が終わっていて、発電の有無にかかわらず発電コストはさほど変わらない、いまだに使用可能な原発をわざわざ止めて、発電量に応じて燃料費が比例的にかかる火力や自家発電を急きょフル稼働させれば、当然発電コストは一時的に大幅に上昇する。

 しかし、原発停止によって発電コストが上昇するというのは短期の一時的現象であって、中長期の構造的な問題では全くない。中長期的に、老朽原発や危険度の高い原発を次々と廃炉にして、すべて火力や自家発電に切り替えても、コスト上昇は原理的に生じない。まず、このことをしっかり認識する必要がある。

 意識的かどうか知らないが、この短期の一時的問題と中長期の問題を一緒くたにした議論をよく見かける。

北米や極東ロシア、東アフリカから調達

 もう一つの短期的な問題は、イランの核開発問題が夏場にかけてこじれ、万が一ホルムズ海峡が一定期間以上、通行不能な事態に陥った場合に、日本中で大電力危機になる可能性である。

 3.11以降、特に昨年夏の菅首相(当時)による定期点検後の原発再稼働のストレステスト評価の条件づけによって、秋以降に日本中の電力会社が、スポット物LNGの世界最大の輸出力を持っていた中東湾岸のカタールに殺到して購入し、原発の大規模な突発停止の穴を何とか埋めようとした。このために、現時点で日本の電力業界のLNG輸入の3割以上がホルムズ海峡内からという事態になった。同海峡が10日間以上も封鎖される可能性は、世界の中東専門家や軍事専門家によって非常に低いと評価されているが、絶対ないとは言い切れない。

 しかし今後、数年以内にはカタールに代わって豪州が世界最大のLNG輸出国に躍り出ることが確実であり、しかもカナダ、米国本土、アラスカなどの北米、および極東ロシアからも大量にLNGが輸出開始される。さらにその先には東アフリカからも大量のLNG輸出が計画されており、日本のLNG輸入のホルムズ海峡依存度は数年以内に劇的に低下し、比率としては限りなくゼロに近づく。

 しかも、現時点でホルムズ海峡依存が高いのは日本の電力業界だけであり、日本の都市ガス業界の依存度は非常に低い。万が一の同海峡危機の場合でも、電力業界へ一定の融通も可能だ。したがって、これも特殊状況下における一時的な問題にすぎず、中長期的な構造的問題では全くない。

 このへんの事情も、短期的な一時的問題と中長期の問題を混同した、エネルギー安全保障論議が無きにしも非らずであるが、大きな誤解をしないように注意したい。

 今後の中長期の原発依存については、「全面廃止=脱原発」かどうかは別として、少なくとも省原発、縮原発にならざるを得ないことは、ほぼ日本のコンセンサスと言ってよいだろう。では何で代替するのか?

再生可能エネルギーの導入は究極の自己矛盾に陥る

 マスメディアやネット・ブログなどでは、太陽光発電や風力発電などの導入が本格し、いずれ大半の原発、あるいは化石燃料も含めて既存のエネルギー源の大半を代替できるというような議論もよく見かける。だが、それは既に筆者が様々なところで述べたように原理的に不可能であり、エネルギーの専門家で可能だと思っている人はまずいない。

 その具体的な理由をここでは繰り返さないが、要すれば、日本は国土が非常に狭くて人口密度が非常に高く、またその国土の67%が森林傾斜地であり、国土面積当たりの経済規模、経済活動密度が北欧などとは比較にならないほど高いので、原理的に出力密度(地表面積当たりの出力)が非常に低い再生可能エネルギーを主軸にすることが不可能であるということだ。

 無理に導入すれば、大規模な自然環境破壊にならざるを得ず、何のために無理して再生可能エネルギーを導入するのかという究極の自己矛盾に陥る。この原理を理解していない脱原発論は、ほとんど無意味である。同時に再生可能エネルギーはコストや使い勝手(不安定性)の問題も非常に大きい。

 太陽光発電や風力発電に関しては、日が照り、風が吹かなければ発電できないので、見かけの発電容量と実際の発電可能量に非常に大きな格差があることに要注意だ。前者は設備能力の約1割、後者は2割しか発電できない。例えば、「日本の太陽光発電設備の合計が原発6基分に相当する見込み」という記事は、実際の発電能力は0.6基分と読み替える必要があるが、果たしてどこまで一般の人が理解しているだろうか?

 二酸化炭素排出の増加なしに、リーズナブルなコストで、かつ確実に、大量に、速やかに原発を代替する方法は、天然ガス・コンバインドサイクル発電(天然ガスを燃焼させてタービンを回し、排気ガスを利用して蒸気でタービンを回転させる複合発電)による、旧型石炭火力発電所を主とした発電効率の悪い旧式火力発電所の代替(同じ二酸化炭素排出量で2〜3倍の出力を得られる)と、天然ガスによる分散型コジェネレーションしかない。

 したがって、天然ガスによる原発代替を主軸に、再生可能エネルギーを補助的な代替策とせざるを得ない。天然ガスによる原発代替は、現在の緊急避難的な状況だけでなく、中長期的にも全く同じである。「いずれ再生可能エネルギーが主力になるまでの、つなぎとしての天然ガス/LNG」という発想は、根本的に誤っていることを認識することが大事だ。

腰を据えた調達コスト低減戦略が必要

 しかし、その場合に日本が世界一高いLNGを購入し続けていることが大問題となる。

 現在の日本のLNG・天然ガス購入価格は、平均で百万Btu(英国熱量単位)当たり16ドル以上である。シェールガス革命が進行中の米国の天然ガス価格はわずか2.5ドル、欧州の天然ガス価格平均は8〜9ドル、ドイツがロシアから長期契約で輸入している欧州では割高な価格が10〜11ドルで、いかに日本が飛びぬけて高い価格で調達しているか一目瞭然だ。

 さらに、ドイツやイタリアなどは購入価格が既に日本よりはるかに低いにもかかわらず、ロシアなどに対し、欧州平均価格より高い天然ガスはこれ以上購入できないとして、現在、長期購入契約の改定を求めて仲裁裁判に訴えている。

 この世界一高いLNGの購入を3.11後、特に菅総理のストレステスト発言後、日本の電力業界がさらに一挙に拡大せざるを得なかった。このため、日本の LNG購入額は2011年全体で、前年比1兆3000億円増となった。日本が石油危機以来、30年ぶりに経験した貿易赤字額の半分以上にも相当する莫大な金額に上った。

 今年は、輸入額はさらに大幅に増加する。昨年は、中国や韓国など、日本と同様にアジア太平洋地域のLNGに依存する諸国にも、日本の電力業界による高価格購入の急拡大の悪影響が波及し、これらの国から傍迷惑であるとの非難を受けた。

 一方で、中・韓は、日本より一歩早く、LNG・天然ガス購入価格の大幅引き下げを狙って、様々な戦略を既に打ち始めている。例えば、今年1月に韓国勢は米国シェールガス・ベースの新規LNGの大量購入に踏み切った。この調達コストは、韓国着で現行の日本の半値以下だ。中国も、北米から最新技術を導入して国内シェールガス資源の開発に本腰を入れ出し、かつ安価な中央アジアからのパイプライン・ガス輸入を戦略的急拡大中だ。

LNG調達コストが高くてもよい理由はなくなった

 なぜ、日本のLNG・天然ガス調達戦略が、欧州はもちろんのこと、中韓にも大きく後れを取っているのか?

 それには、これまで様々な理由があった。エネルギー市場の自由化がなされていないために、欧米勢のようにコスト低減圧力が弱かったこともあるし、日本の電力業界にとっては、原子力推進が最優先であり、その次の優先順位が石炭、天然ガスは3番目に過ぎず、戦略的な対応のインセンティブを大きく持っていなかったこともある。LNG・天然ガスが高ければ、原子力、石炭を増やせばよいという発想が濃厚だった。原発推進が可能であり、二酸化炭素排出量が多い石炭でも拡大使用が可能な、二酸化炭素排出規制がない条件下では、この考え方にも合理性があった。

 しかし、3.11後は状況が一変している。原発はこれから大幅減にならざるを得ないし、先進国である日本が石炭依存を増やして二酸化炭素排出を大幅に増加させることは、事実上不可能である。今や、日本のエネルギーの最重要課題は、LNG・天然ガスの調達コストをいかにして諸外国並みに低減するのかということになったのである。

 この調達戦略の構築にとって最大の障害は、日本の電力業界の原発推進・維持への未練ではないだろうか。例えば、韓国勢がいち早く確保した極めて安価な米国産LNG第1号案件を、日本勢がむざむざ見逃したのは、原発が今まで通り維持できれば、長期購入契約で輸入する米国産LNGは結果的に不要になるのではないかという懸念というか、未練が二の足を踏ませた様相が強い。

未練がある限り、調達で負け続ける

 このような未練が続く限り、腰の入った調達コスト低減戦略は構築できず、日本のLNG・天然ガス調達は負け続ける。これまでの延長線上の場当たり的な受け身の対応では、抜本的低減は無理だ。

 抜本的改善には、北米でのLNGのガス田権益取得とパッケージにした北米LNG調達、極東ロシアからのプイプラインやCNG(圧縮天然ガス)による輸入、新規参入のLNG中小開発業者や浮体型LNGやCBM(炭層メタン)などの新規ビジネスモデルからの優先購入といった、これまで若干のリスクがあるとして敬遠してきた新機軸の戦略的採用が不可欠だ。

 中韓など利害が共通な諸国との連携も必要だろうし、日本国内でも、企業同士、電力・ガス業界同士の連携プレーも必要になってくる。電力・ガス業界による、今まで以上に積極的なガス田・LNG権益参加も必要不可欠だ。

 これまでと次元が異なる新機軸の腰の据わった戦略を採用するには、原発に対する一定の見切り、ミニマム・ディフェンスラインまでの撤退戦の思い切った覚悟が絶対に必要だろう。

 筆者は必ずしも原発全廃論者ではないが、日本の電力業界の原発維持に対する未練が大きいほど、天然ガス戦略は脆弱で、中途半端になり、結果的に日本経済は大打撃を受けることになる点を強調したい。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年03月22日 07:19

地に足が着いている国家。。。

■ドイツ政府、財政均衡化を2年前倒しで実現へ

 ドイツ政府は21日、財政均衡化を2年前倒しで実現する計画を明らかにした。ザイベルト政府報道官は記者会見で、財政緊縮が経済成長の妨げにはならないことをこの計画は証明していると語った。

[THE WALL STREET JOURNAL]


■ドイツ経済はなぜ絶好調なのか
ユーロ危機をものともせず、絶好調に推移する独経済
2011年度の成長率は3%でユーロ圏平均の2倍に
熊谷 徹

 「ドイツの輸出産業は、2012年も好調なスタートを切った。わが国の企業は、世界経済が直面する困難な状況に対し、果敢に立ち向かっている」。ドイツ連邦経済技術省のフィリップ・レスラー大臣は、3月9日にベルリンでこう語った。彼がコメントしたきっかけは、連邦統計庁が発表した名目輸出額である。 2012年1月の輸出額は、前年の1月に比べて9.3%増加した。興味深いことに、輸出だけではなく内需も好調で、2012年1月の輸入額は同6.3%増えている。

 日本では昨年以来、ユーロ危機に関するニュースが頻繁に報じられている。多くの日本人が「ヨーロッパは大変な状況になっている」と認識している。だがその陰で、ドイツ経済が絶好調であることは意外と知られていない。

 ドイツは2009年、リーマンショック後の世界同時不況に直撃され、マイナス5.1%という戦後最悪の景気後退を体験した。しかし2010年にはGDPを3.7%増やして、不況の後遺症から急速に立ち直った。

 2011年の成長率は前年にやや劣るものの、EU主要国の中では最高の水準である。そのテンポは、ユーロ危機もどこ吹く風と言わんばかりである。

 欧州統計局によると、2011年のドイツの国内総生産(GDP)は2010年に比べて3%増加し、ユーロ圏の平均成長率(1.5%)を大幅に上回った。フランス、英国、スペイン、イタリアなど他の西欧諸国は、ドイツに大きく水を開けられている。


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 2011年の第4四半期だけを見ても、ユーロ圏全体のGDP成長率が前年同期比で0.7%であるのに対して、ドイツは2%で群を抜いている。

輸出が経済成長を推進〜過去最高の1兆601億ユーロに

 ドイツの力強い経済成長の原動力は輸出だ。連邦統計局によると、2011年のドイツの輸出額は前年比で11.4%増えて、過去最高の1兆601億ユーロ(116兆4000億円)に達した。貿易黒字も2%増加して1581億ユーロ(17兆4000億 円)に拡大。フランスが、700億ユーロ(7兆7000円)という、同国の歴史で最悪の貿易赤字を記録したのとは、対照的である。

 輸出増に大きく貢献したのが、この国の産業の屋台骨である機械メーカー。この国では輸出額の85%が機械製品である。ドイツ工作機械工業会(VDW)によると、この業界の2011年の生産額は前年比で33%も増えて、131億ユーロ(1兆4000億円)を記録。輸出額も中国と米国向けを中心に33%増加した。

 自動車業界の輸出も、大きく拡大した。ドイツ自動車工業会(VDA)によると、2011年の乗用車の輸出台数は、前年比6.6%増えて約452万台となった。2010年の前年比23.7%という驚異的な伸び率には及ばないものの大きな伸びである。

 EU以外の地域向けの輸出台数が伸びた。アジアへの輸出台数は21.9%も増加。そのうち中国向けは22.5%、台湾向けは44.9%、インド向けは 60.8%も増えている。VDAのマティアス・ヴィスマン会長は、2012年1月16日にベルリンで開いた新年祝賀パーティーで、600人の参加者を前にこう語った。「2011年は我々にとって素晴らしい年だった。西欧で新しく認可された乗用車の2台に1台は、ドイツ製だった。中国におけるドイツ車のマーケット・シェアは20%になった。『メイド・イン・ジャーマニー』は、多くの国で高品質の代名詞となっている」。


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 ドイツ最大の自動車メーカー・フォルクスワーゲン(VW)社は2011年、当期利益を前年の2倍に増やして158億ユーロ(1兆7000億円)を計上。これは、ドイツ株式指数(DAX)市場に株式を公開している企業が計上した利益の額としては過去最高である。

 株主たちも満足しているに違いない。VW社が2月24日に発表したところによると、取締役は、優先株の配当を2.26ユーロから3.06ユーロに引き上げることを提案している。この提案が4月の株主総会で承認されれば、配当額が実に35.3%増えることになる。BMWグループの取締役会も、優先株の配当を75.8%引き上げることを提案している。

 収益を増やした多くのメーカーの取締役たちのポケットには、業績に連動する特別ボーナスがころがりこむだろう。実際、VW社のマルティン・ヴィンターコルン社長は、2011年に1660万ユーロ(18億2000万円)の報酬を手にした。これは、2011年の社長の年収の中で最高額である。ドイツ銀行など金融機関の業績が、ユーロ危機の影響でふるわなかったのに対し、物づくり企業は中国など新興国からの需要急増で、破竹の進撃を続けている。
失業率を過去20年間で最低に

 好景気は2011年の雇用状況を大幅に改善した。ドイツ連邦統計局によると、2011年のドイツの勤労者数は4100万人を突破し、史上最高の水準に達した。ウルズラ・フォン・ライエン労働大臣によると、2011年に約70万人分の新しい雇用が創出されている。2011年の平均失業者数は298万人。失業率は7.9%で、過去20年間で最低の水準を記録した。

 この国が深刻な不況に襲われていた2005年には、486万人が路頭に迷い、失業率は13%という高水準だった。このことを考えると、雇用状況は過去7 年間でめざましく改善したことになる。人材不足の兆候すら出ている。機械製造やIT、化学工業などの分野では、高いノウハウを持った技術者を見つけるのが非常に難しくなっている。


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 レスラー経済大臣は、2011年を振り返って「ドイツ経済の状態は健全で、活力に満ちている。ヨーロッパの状況は厳しいものの、国内経済が成長率を下支えするようになってきている」。

 2009年から経済専門家会議の座長を務める、マンハイム大学のヴォルフガング・フランツ教授も、経済大臣の楽観的な見方に同意する。「私は、ドイツ経済の2012年の成長率が0.5%前後にとどまると思います。しかし、勤労者の数が戦後最も多くなっているほか、産業界の設備稼働率も平均を上回っています。また多くの企業が将来について明るい見通しを持っています。このため、GDPが5%も減った2009年ほどひどい不況にはならないと思います」。経済専門家会議は、経済問題に関する連邦政府の諮問機関で、ドイツのトップクラスの経済学者で構成する。

 ドイツ経済は、ユーロ危機の逆風にもかかわらず、なぜ好調なのか。次回からその背景についてお伝えしよう。(続く)

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年03月22日 07:03

いつも道草ばかり、、、

ある道草をしているうちに

そこからまた別の道草へと

気付けば、思わぬ場所に驚くこともしばしば。。。


ぐるっと廻って元の途に戻ろうとする途中で

ついまたあらぬ道草を

永遠に目的地に辿り着けない感、、、

でもいつも目的地は忘れずに想い描いている。。。


道草は悪くない。。。

今までコレだという直感と想像力を直撃するようなひらめき的出逢いは

たいていたまたま通りすがりの道草の途中に、、、

だから道草は止められない。。。

Posted by nob : 2012年03月22日 06:38

できうる限り医療から離れて健康に。。。

外科的な傷害ならばいざしらず、、、


自分でかかった内的疾患なのだから、、、

自分自身で治療できる。。。

Posted by nob : 2012年03月21日 20:21

山登りも人生も、、、

迷ったら、、、

もと来た道を戻ればいいだけのこと。。。


しかしそれだけの選択が

最も難しい。。。

Posted by nob : 2012年03月21日 20:16

本来の企業としてのあるべき姿、、、素晴らしい。。。

■自主管理を徹底する世界最大のトマト加工業者
マネジャーをつくらない会社
First, Let's Fire All the Managers
2012年3月12日 ゲイリー・ハメル

ゲイリー・ハメル
Gary Hamel
ロンドン・ビジネス・スクール客員教授。また、マネジメント・イノベーション・エクスチェンジ(ウェブ上でマネジメント・イノベーションを研究する組織)のディレクターを兼ねる。6冊目となる著書What Matters Now: How to Win in a World of Relentless Change, Ferocious Competition, and Unstoppable Innovation, Jossey-Bass, 2012. が2月に刊行された。

マネジメントとは組織で最も非効率な活動かもしれない。部下の仕事を監督する時間は膨大であるうえ、コストがかかり、意思決定や対応も鈍重になる。取引コストの点から、組織ではなく市場の調整力を評価する経済学者もいるが、市場は複雑な活動を処理するのは不得手である。

では、マネジャーがいなくても、調整が可能で統制を保ちながら、自由と融通性を享受できたらどうだろうか。マネジメントがマネジャー抜きで実践できれば、素晴らしいことだろう。

こんな夢のようなマネジメントを実践しているのが、世界最大のトマト加工業者のモーニング・スターである。同社で実践されている自主管理の方法と、その長所と短所を解説しつつ、この新しいマネジメント・モデルの未来を探る。

マネジャーの存在に価値はあるのか

 マネジメントは、組織で最も非効率な活動ではないだろうか。

 チーム・リーダー、部門長、バイス・プレジデントが部下たちの仕事の監督に費やす無数の時間について、考えてみてほしい。マネジャーの大半は懸命に仕事をしており、当人たちに問題があるわけではない。マネジャーの多い組織は鈍重でコストがかさむため、非効率を招く。

 幾重もの管理階層は、どんな組織にとっても重荷である。この重荷はいくつもの形を取る。

 第1に、マネジャーは間接費を押し上げる。組織の拡大とともに、マネジャーにかかるコストは絶対額が増えるばかりか、コスト全体に占める比率も高まっていく。小さな組織であればマネジャー1人で平社員10人を管理できるかもしれない。この1対10という割合を保とうとするなら、平社員10万人の組織ではマネジャーの数は1万1111人になるだろう。マネジャーを管理監督するために1111人が余計に必要なのだ。

 しかも、経理、人材開発、経営計画といったマネジメント関連の業務に数百人の社員が配置されるはずである。組織が複雑さに耐えかねて潰れてしまわないよう、支えるための仕事である。仮にマネジャーの報酬が、最下層の社員の平均3倍だとするなら、支払い給与総額の33%がマネジャーに振り向けられている計算になる。どう考えても高コストである。

 第2に、階層型マネジメントの下では、一般に、重大な判断を誤る危険が大きい。事の重大性が増すにつれて、判断権者に意見できる立場の人は少なくなっていく。どの階層においても、慢心、近視眼、無邪気などのせいで判断の誤りが起きるおそれはあるが、判断権者があらゆる面で圧倒的な権力を持っている場合には、その危険はこれ以上ないほど大きくなる。だれかに絶対君主のような権力を与えると、遅かれ早かれとんでもなく悲惨な事態が起きるだろう。

 これと関連して、最も権力の大きな人は現場の実情にだれよりも疎いという問題もある。トップによる判断を現場で実行しようにも、にっちもさっちもいかない例は多い。

 第3に、管理階層が多いと何人もの上司に承認を得なくてはならないため、迅速な対応ができなくなる。マネジャーは権限の行使に熱心なあまり、すみやかに判断を下すどころか往々にしてあえて時間をかける始末だ。偏りが生じるという問題もある。

 階層組織の下では、新しいアイデアを潰したり変えたりする裁量が、ともすれば1人に集中するため、その人物の偏った利害や関心によって判断が歪められる。

 最後に、組織の上層部に権限が集中することの弊害がある。といっても、何もかも牛耳らないと気が済まない人物が時折いる、といった話ではない。ピラミッド型の組織は底辺に近い層に権限が行き渡らないようにできており、それが問題なのである。

 たとえば、たいていの人は、消費者としての立場では自分の一存で2万ドル以上の新車を買えても、社費で500ドルの執務用の椅子を購入する権限は持たないだろう。各人の権限を狭めると、夢を持ち、想像力を膨らませ、組織に貢献しようというインセンティブを削ぐことになる。

階層制vs.市場

 市場がかねてより経済の専門家から「トップダウン型の管理をほとんど行わずに人間の活動を調整する力がある」と称えられてきたのは、驚くに値しない。ただし市場にも限界はある。

 ロナルド・コース(注1)やオリバー・ウィリアムソン(注2)といった経済学者が指摘しているように、各経済主体のニーズが単純で一定していて、具体的に表現しやすい場合には、市場はうまく機能するが、経済主体間のやり取りが複雑だと市場の機能は低下する。一例として、多くの加工処理を行う大規模な製造現場の多種多様な活動において、市場で緻密な調整が行われるとは考えにくい。

 だからこそ企業とマネジャーが必要なのである。マネジャーは市場にはできない仕事をする。何千という異なる努力を束ねて1つの製品やサービスへと結実させるのだ。これは、経営史学者のアルフレッド・D・チャンドラー・ジュニアが「見える手(ビジブル・ハンド)」と呼んだ役割である。ただし、この「見える手」には、非効率でえてして不器用だという欠点もある。

 管理監督を担う上層部なしに優れた調整ができるなら、さぞかし素晴らしいではないか。隙のない階層制と同じような統制を保ちながら、開放的な市場並みの自由と融通性を享受できたら、夢のようではないか。マネジャーがいなくともマネジメントを実践できたら──。

 オープン・ソース型のソフトウエア開発プロジェクトの様子をうかがうと、こうした特性を備えた夢のような組織を垣間見た気分になるかもしれない。プログラマーは何百人にも上るのに、マネジャーはいたとしてもごくわずかである。

 もっとも、オープン・ソース型のプロジェクトでは、みずから志願した人々がインターフェースが明確に決まった状況でモジュール化された作業をこなすうえに、技術面のブレークスルーは期待されていない。調整は臨機応変に行われる。

 これを、ボーイングがまったく新しい機種を開発する際の難題と比べてみよう。ボーイングの新機種開発では、最先端の設計・製造に伴う何千という課題に取り組むために、多数の専門家が力を合わせなければならない。ボーイングが悟ったように、開発工程をぶつ切りにして外注しても煩雑な調整は少しも楽にならない。市場の力に委ねたのでは〈ボーイング787〉(通称ドリームライナー)は開発できないのだ。

 では、トレードオフの罠に陥るしかないのだろうか。弊害を伴わない形で調整と管理を実現する方法はないのか。悲観的な見方がされるかもしれない。なぜなら、権限の分散が徹底していてなおかつ全体の統制が一糸乱れぬ会社など、大多数の人はお目にかかったことがないのだから。

【注】

1)
Ronald H. Coase。イギリス生まれのアメリカの経済学者で、1991年にノーベル経済学賞を受賞した。外部性の分析や取引費用の概念についての業績が認められたものである。

2)
Oliver Eaton Williamson。2009年にエリノア・オストロムとともにノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者。取引費用の経済学の権威。

型破りなマネジメント手法

 人間はだれしも慣れ親しんだものにとらわれている。初代〈iフォーン〉、J. K. ローリング(ハリー・ポッター・シリーズの作者)が描いた魔法使いの世界、レディー・ガガの生肉ドレスなど、目にしたり触ったりしない限り想像できないものは多い。組織についても同じである。

 以下のような組織を思い描くのは難しいのだ。

●上司なる者がいっさいいない。
●同僚との相談を通して各自の責務を決める。
●全員に支出権限がある。
●仕事に必要な道具をだれもが自分で手に入れなくてはならない。
●地位に伴う肩書きも昇進もない。
●同僚の判断に基づいて報酬額を算定する。

「ありえない」と思うかもしれないが、そんなことはない。これらは、とある資本集約的な大企業の特徴なのである。この企業では、各地に散在する工場に1時間当たり数百トンの原材料が運び込まれ、厳格な基準に沿って何十もの加工処理が行われている。フルタイム従業員400人の力で7億ドル超の売上げを稼ぎ出している。ちなみに、この型破りな企業はグローバル市場に君臨している。

 皆さんはおそらく信じられない思いだろう。私もそうだった。だから、この企業、ザ・モーニング・スター・カンパニーの評判を耳にした時は、1も2もなくカリフォルニア州サンホアキンバレーの工場を訪問させてもらうことにした。

 ピザ、ケチャップのたっぷりかかったハンバーガー、トマト・ソース・スパゲッティなどを食べたことがある人なら、モーニング・スターの製品を消費した経験があるはずだ。カリフォルニア州サクラメント近くのウッドランドに本社を置くモーニング・スターは、世界最大のトマト加工業者であり、アメリカの年間加工量の25~30%を扱っている。

 1970年に当時カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のMBAコースに在席していたクリス・ルーファー(現社長)により、トマト輸送を手がけるために創業されたのが発端である。現在では3つの大工場でトマトを加工処理している。

 顧客が指定するレシピは合計で数百種類に上り、おのおの細かい点で異なる。大口向け製品のほかに缶入りトマトを製造して、スーパーマーケットやレストランなどに納めている。くわえて、年間200万トンを超えるトマトを運ぶ輸送業、トマト栽培といった事業も傘下に置いている。

 ルーファーによると、モーニング・スターはこの20年というもの、取引量、年商、利益とも2桁増を続けてきたという。かたや業界全体は平均年率 1%の成長に留まっている。非公開企業であるため財務業績を開示していないが、成長資金をほぼすべて自力で賄っているといわれており、そうだとすると収益性はきわめて高いことになる。独自のベンチマーキング・データを基に、世界一効率のよいトマト加工業者を自任している。

 モーニング・スターはよい意味での「逸脱した企業」(positive deviance)だといえる。事実、これほど素晴らしい変わり種に出会った経験はほとんどない。

 従業員(モーニング・スターの社内用語では「同僚」)の裁量の大きさは唖然とするほどだが、にもかかわらず彼ら彼女らは、あたかも綿密な振り付けに合わせて踊るダンス・グループのように、結束して仕事に当たっている。モーニング・スターの独自のマネジメント・モデルを支える原則や慣行を掘り下げると、マネジャー層を抱えることによる弊害を避けるか、せめて軽減する方法を学ぶことができる。

モーニング・スターのマネジメント・モデルを解剖する

 組織ビジョンに示されたモーニング・スターの目標には、「全員が自主管理の達人になり、だれからの指示も受けずに同僚、お客様、サプライヤー、業界関係者とのコミュニケーションや調整を図る会社になること」という一節がある。

「だれからの指示も受けずに」という箇所に引っかかりを感じなかっただろうか。指示の出し手、受け手とも不在の会社を、いったいどう舵取りするというのか。以下にモーニング・スターの手法を紹介する。

使命(ミッション)を上司の代わりにする

 同社は「トマト関連の製品やサービスを提供して、品質や対応の面でお客様の期待に確実にお応えする」という目標を掲げており、従業員は皆、この実現にどう貢献するかを自分のミッション・ステートメントに記す義務を負っている。たとえばロスバノス工場で働くロドニー・リガートが選んだ自分の使命は、「効率がよく環境に優しい方法でトマト・ジュースをつくる」である。

 各自がミッション・ステートメントを持つことが、モーニング・スターのマネジメント・モデルの土台である。

「みんなが自分の使命の達成に責任を持つのです。そのために必要な訓練を積んだり、経営資源や協力を手に入れたりするのも、各自の責任ですよ」とルーファーは説明する。

 工場のベテラン技術者、ポール・グリーン・シニアが「私は自分の使命と誓いを糧に、仕事をしています。マネジャーに尻を叩かれるわけではありません」と言い添えた。

従業員同士で合意を形成させる

 各従業員は毎年、自分が仕事上きわめて大きな影響を及ぼす同僚たちと相談しながら、合意書(CLOU(クルー): Colleague Letter of Understanding)を作成する。CLOUとは要するに、各自のミッションを達成するための業務計画である。

 これを作成するために、10人以上の同僚と、おのおの20~60分ほど話し合う。できあがったCLOUでは最大で30もの活動分野に言及し、それらに関連する成果尺度を残らず説明する。CLOUをすべて合わせると、そこにはフルタイム従業員同士のおよそ3000にも上る業務上の関係性が示されている。

 CLOUの中身は、本人の能力や関心に応じて年ごとに変化していく。ベテラン従業員は経験を積むにつれてより複雑な業務を担い、初歩的な業務を社歴の浅い同僚に引き継ぐのだ。

 CLOUを作成する理由としてルーファーは、従業員同士が自主的な合意を基に仕事をすると、うまく足並みがそろう点を挙げている。

「CLOUを土台にして仕事の体制ができるのです。報告書を見せる、容器をトラックに積む、特定のやり方で機械を操作する、という約束を同僚と交わすわけですね。言わば自発的な取り決めが命令の役目を果たすため、自在な対応がしやすくなります。上から押しつける場合よりも、業務上の関係性を改めやすいでしょう」

 印象深いのは、ルーファーが自由を協調の敵ではなく味方と見なしている点である。モーニング・スターでは、従業員同士がクモの巣状の多面的な関わりを持ちつつ、そのなかで各自が独立請負業者に近い仕事のやり方を取っている。

 ある従業員は「当社では、上司は存在しません。自分以外の全員が上司のようなものですよ」と語ってくれた。

 23の事業部も毎年、CLOUのような手順により、互いの交渉を通して取引条件を決めている。事業部ごとに損益を管理しているから、折衝では激しい火花が散ることもある。一例として栽培事業部と加工工場の間では、トマトの取引量や価格、納入スケジュールをめぐって丁々発止のやり取りがあるだろう。

 背後にあるのは、CLOUの場合と同じく「上から『こうするように』と命じるよりも、おのおのが自主的に取り決めたほうが、同じ目的に向けて一丸になったり、現実に根差した仕事をしたりしやすい」という発想である。

全員に本当の意味で権限を与える

 たいていの企業では、権限委譲は掛け声だけでほとんど実現していない。しかし、モーニング・スターは例外である。事業開発のスペシャリスト、ニック・キャッスルは、以前の勤務先との好対照について語ってくれた。

「前の会社では私の上にバイス・プレジデント(VP)がいて、その上にさらにシニアVP、エグゼクティブVPがいました。ところがモーニング・スターでは、1人ひとりが会社を動かさなくてはなりません。だれかに命令するわけにはいきませんから、必要なことはすべて自分でやらなくては」

 仕事に使うツールや機器を手配するのもその1つである。モーニング・スターには、購買部門もなければ支出を承認する上級幹部もおらず、だれもが発注権限を持つ。保全技術者は、必要なら8000ドルの溶接機を自分で注文する。請求書が届いたら、注文の品を受け取ったことを確認したうえで、支払い処理のために経理部に回す。各自に購入権限があるからといって、全体の統制が取れていないわけではない。類似の製品をまとめ買いしている者、あるいは同じメーカーと取引している者が複数いる場合は、定期的に会合を持ち、購買力を最大限に活かそうとしている。

 このような仕組みを取り入れた理由をルーファーが説明してくれた。

「ある日小切手にサインをしていて、『責任は私が取る』という言葉を思い出しました。この言葉は間違っています。目の前の書類には、注文通りの納品があり、請求額は正しいと書かれていました。小切手も用意されていました。この状況では、サインしないという選択肢はありません。ですから、肝心なのはだれが支出を承認するかではなく、発注者、つまり、だれがその品を必要とするかですよね。私が注文書を吟味するのはふさわしくないし、購入者がマネジャーの承認を得なくてはいけないのもおかしな話でしょう」

 時として案件が込み合って現金が不足すると、購入を延期する。それでもやはり、資金の割り当てよりも調達こそが財務部門の役割である。

 自主管理は人材採用にも及んでいる。「仕事が多すぎる」「新しい役割をこなすために人材が必要だ」と感じたら、自分たちの責任で採用活動に乗り出すのである。モーニング・スターは、最前線の従業員に会社の小切手帳を渡して率先して人材探しをするよう期待する、稀有な企業である。もっともルーファーに言わせれば、これが良識あるやり方なのだ。

「適切な機械がないから、あるいは有能な同僚がいないから仕事がうまくいかない、という思いをだれにも抱いてほしくないのです」

 私がモーニング・スターを訪れていた間、「権限委譲」という言葉はだれの口からも出なかった。なぜなら権限委譲という概念は、上に立つ人が適宜、部下たちに権限を譲り渡すという前提に立っているからである。自主管理の原則を拠り所とする組織では、権限は上から与えられるのではなく、各自が最初から持っているものなのだ。

従業員を枠にはめない

 モーニング・スターでは会社側が従業員の役割を決めるわけではないから、技能を伸ばしたり、経験を積んだりした従業員には、より大きな責務を引き受ける機会がある。研修・育成責任者のポール・グリーン・ジュニアは、こう述べている。

「みんな自分の得意な仕事をすべきでしょう。ですから、特定の業務を押しつけようとはしません。結果として、従業員たちの役割の幅広さと複雑さでは、他のどんな会社をも凌ぎますよ」

 全員があらゆる分野の改善提案を出してよいとされている。他社の従業員は、変革はトップダウンで進められるものだと考えがちだが、モーニング・スターでは、変革は自分たちの責任で起こすものだと心得ている。引き続きグリーンの言葉を紹介しよう。

「『自分の技能を活かせば付加価値を生める』と思うなら、何にでも関わってかまわないと、私どもでは考えています。このため、自分の担当とは別の分野で変革を起こす例も少なくありません。自然発生的なイノベーションも多いですし、変革のアイデアは意外なところからもたらされます」

昇進するためではなく、影響を及ぼすための競争を奨励する

 モーニング・スターでは、階層や地位を示す肩書きがないのだから、昇進の階段も存在しない。

 だからといって、全員が対等というわけではない。どの専門領域においても、周囲よりも高い評価を受ける人はおり、その評価は給与水準に反映される。社内の競争はあるが、焦点はだれが日の当たるポストに就くかではなく、だれが最も大きく貢献するかに置かれている。

 この競争で優位に立つには、新しい技能を身につけたり、同僚の役に立つために新しい方法を見つけたりしなくてはならない。

「うちの会社では昇進はありません」と語るのは、ITスペシャリストのロン・カウアである。「立派な肩書きを得るよりも大きな責任を担ったほうが、箔づけになるのです」

 ルーファーは、ゴルフの世界になぞらえながら、モーニング・スターでの栄誉とは何かを説明してくれた。

「現役時代のジャック・ニクラウスは、肩書きや地位を求めてプレーしていたわけではありませんよね。彼は、優れたプレーをすればみんなが望むもの、つまり達成感を得られるとわかっていたはずです。偉業を成し遂げれば希望通りの人生を送るだけの収入が得られることも、知っていたでしょう。頂点に近づくとは、肩書きではなく実力や評判の問題なのです」

自由が成功をもたらす

 モーニング・スターの風変わりだが効果的なマネジメント・モデルの核心には、「自由」というシンプルな概念がある。

 ルーファーは「自由にしてよいなら、人々は『これを好きになりなさい』と説得された対象ではなく、本当に好きなことに引かれるでしょう。すると成果が上がるから、さらに熱を入れますよね」と述べている。従業員たちも同じような意見を持っており、ある人は「命令に沿って動くのでは機械と変わらないでしょう」と言っていた。

 ここにジレンマがある。大規模な事業を舵取りするうえでは時として、人材に機械のように動き、信頼性、正確性、勤勉さを発揮してもらう必要があるのだ。監督者やマネジャーは一般に、ノルマを設け、それを大きく下回る者がいないか目を光らせ、該当者を叱咤する。

 では、監督者もマネジャーもいない場合はどうするのだろう。モーニング・スターでは、従業員同士が約束を交わして優れた協調性を発揮するだろうが、規律ははたしてどうだろうか。統括者のいない組織では、どうすれば手綱を締めることができるのか。

 責任を伴わない自由は無秩序につながる。ところが、モーニング・スターの巨大で複雑な工場のなかを歩くと、無秩序とは逆の状況が目に入ってくる。従業員たちは、あれほどの自由を与えられながら高い成果を上げている。いったいなぜだろう。

明確な目標とガラス張りのデータ

 冬のリゾート地を訪れると、何百人ものスキー客がだれの助けも借りずに急傾斜を直滑降しているだろう。しかし、目の不自由な人が滑り降りるには、だれかから大声で指示を受ける必要がある。自主管理を実践するには情報が欠かせないのだ。モーニング・スターは、自分の仕事ぶりを把握して賢明な判断を下すのに必要な情報すべてを、従業員に与えようとしている。

 CLOUには必ず、里程標が細かく記される。それを拠り所にすれば、同僚のニーズにどれだけ応えているかを各自が確かめられる。くわえて、事業部ごとの詳しい収支が月に2回、全従業員に公表される。「同僚が責任を果たしているかどうか互いに注意を払おう」という意識が植えつけられているため、支出が予想外に跳ね上がったら見過ごされるはずがない。これだけ透明性が高いと、愚行や怠慢はすぐに見つかる。

 モーニング・スターの事業は垂直・水平両方向に統合されているから、全社についての情報がない限り、自分の判断が他の分野にどう影響するかを見極められない。ルーファーは、全社についての同一情報を全員に伝えないことには、総合的な視点での発想は期待できないと心得ている。だからこそ、情報の囲い込みなど起きないし、「(彼または彼女に)なぜ知らせる必要があるのか」といった疑問も持ち上がらないのだ。

計算と協議

 従業員は自分の裁量で社費を支出してかまわないが、ROIやNPV(正味現在価値)を計算するなどして、事業上の妥当性を示さなくてはならない。同僚と協議することも期待されている。

 一例として、300万ドルの投資を考えているなら、行動を起こす前に意見を交わす相手は30人にも上るかもしれない。事業部の給与枠を増やしたい場合も、やはり同僚たちを説得して回らなくてはならない。

 モーニング・スターの従業員は大きな裁量を持っているが、独断を下すことはまずない。他方、アイデアを握り潰す権限を持つ人もいない。ベテラン従業員は、物事を決めつけたり断固たる措置を取ったりするよりも、むしろコーチ役を果たす。大胆な発想をする若手は、何人かのベテラン従業員に助言を求めるよう背中を押される。先輩からはたいてい、「このモデルを使って君のアイデアを分析してはどうか。検討して準備が整ったら、また相談に来てくれ」といった手短な指導があるだろう。

対立の解消と適正手続き

 裁量の濫用、恒常的な成果不振、同僚との喧嘩などには、どのような対処がなされるのだろうか。モーニング・スターには、対立を収拾する役回りのマネジャーはおらず、だれも「こうしろ」と強制する権限を持たない。商取引の当事者間で衝突が起きると、調停や裁判で決着をつける場合が多いが、モーニング・スターでもこれと似たような仕組みを用いている。

 仮に別の事業部のだれかが私について、「CLOUに記した約束を果たしていない」と考えたとしよう。まずは差しで相手の主張を聞くことになるだろう。こちらの対応としては釈明する、改善を誓う、反論するなどが考えられる。2人だけで解決できなければ、双方が信頼する社内のだれかに仲裁を頼み、その人におのおのの主張を伝えるだろう。

 仲裁者が相手の意見に同調し、私は提案された解決策をはねつけたとする。ことここに及ぶと、収拾を助けるために従業員六人による委員会が設けられ、仲裁者の提案にお墨付きを与えるか、別の解決策を示すだろう。それでも私が納得しないようなら、社長が当事者を集めて双方の言い分を聞き、有無を言わせず判断を下す。ただし、ルーファーの元に問題が持ち込まれる例はきわめて稀である。

 だれかの業績がパッとせず懸念が深刻な場合、解決を模索した末に解雇に至る場合も考えられる。ただしモーニング・スターでは、上司の気まぐれのせいで部下が割を食うことはありえない。この仕組みの長所をルーファーはこう説明する。

「委員会が開かれれば、公正で理にかなった手順が踏まれることがみんなに伝わりますよね。イザという時にも頼みの綱があるのだと、だれもが知るわけです。当社では、上司の部下いじめは起きないようになっています。だれしも大切な人生があるのですから」

同僚による評価と異議の申し立て

 モーニング・スターの遺伝子には責任感が刻み込まれている。入社時には全員が自主管理の基礎についてのセミナーを受講し、自由や裁量と責任は表裏一体だと学ぶ。相談はいくらしてもよいが、最後は自分の責任で判断しなくてはいけない、という教えである。苦渋の決断を避ける道はないのである。

 年末には全従業員が、CLOU上でつながりのある同僚からフィードバックを受ける。1月にはすべての事業部が前年の業績の妥当性を説明することになっている。1つの事業部について議論するだけで丸1日近くかかりかねないため、全事業部を網羅するには何週間も要する。各事業部のプレゼンテーションは、言わば株主向けの報告のようなものである。経営資源を適正に使っていることを説明し、至らない点については認め、改善プランを示さなくてはならない。

 事業部は業績によるランク付けの対象となるから、最下位あたりを低迷する事業部はあれこれ問い質されるだろう。ルーファーが言う。「投資が回収できていなければ、それ相応の冷笑を浴びるでしょう。今後の投資に際しても、同僚の協力を取りつけるのはきっと難しくなりますよね」。ある従業員も「周りから『浅薄だ』と思われるようなことをしたら、仲間を失いかねません」と語っていた。

 毎年2月には戦略会議があり、これもまた社内評価の機会となる。全従業員を前に各事業部が20分をかけて年間の事業計画を説明する。聞き手たちは「これは有望そうだ」と思う戦略に仮想通貨を投じる。このバーチャル投資で十分な資金が集まらないと、社内からの厳しい視線を覚悟しなくてはならない。

互選制の報酬委員会

 モーニング・スターでは、製造業らしからぬ方法で報酬を決めており、むしろプロフェッショナル・サービス企業に近い。各従業員は年末になると、 CLOUで掲げた目標やROI目標などの指標に照らしながら、業績の自己評価を作成する。次いで互選によって地域ごとに報酬委員を決める。毎年、全社で合計八つほどの委員会が設置される。委員会は従業員の自己評価を吟味して、そこから漏れた成果をも掘り起こす。そして、これらの情報を慎重に検討したうえで、付加価値に見合うよう留意しながら1人ひとりの報酬額を決める。

自主管理の長所

 モーニング・スターには他社での勤務経験を持つ従業員も少なくない。彼らに自主管理の長所を尋ねると、身を乗り出すようにしてとうとうと語ってくれる。具体的に挙がるのは、以下の諸点である。
マネジャーをつくらない会社の長所
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主体性が強まる

 モーニング・スターでは簡単な方法で従業員の主体性を引き出している。つまり、役割を幅広く定め、各自に行動の権限を与え、仲間に力添えしたら忘れずにほめ称えるのだ。

 ある工場技術者に「皆さんがだれからも言われなくても同僚に手を差し伸べるのは、なぜですか」と尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。「ここでは評判を糧に組織が動いています。別の部門に対して有益なアドバイスをすれば、評判が上がりますよね」

専門性が深まる

 自主管理を実践すると技能向上への意欲が生まれる。モーニング・スターでは、高い専門性を備えた人もマネジャーや上級スタッフになるのではなく、現場の業務に携わる。

 一例として、工場の包装ラインで無菌容器に中身を詰める作業に従事するのは、微生物学への造詣が深い人々である。品質エキスパートのスコット・マーノックによれば、「この会社ではだれもが自分の仕事の出来栄えに責任を負っています」ということだ。「自負のほどは半端ではありません。それに、失敗しても尻拭いしてくれる上司はいないですから」

融通が利く

 モーニング・スターのマネジメント・モデルの下では、迅速性と融通性が発揮されやすい。ルーファーが例えを用いながら説明してくれた。

「雲ができたり消えたりするのは、大気の状態、温度、湿度に応じて水分子が凝結と蒸発を繰り返すからですよね。組織も同じはずです。外からどんな力が加わるかによって、体制を整えたり、壊したりする必要があるのです。みんなに行動の自由を与えておけば、どんな力が働いているかを察知して、その時々の実情にいちばん合った行動を取るでしょう」

 ポール・グリーン・ジュニアによると、同僚たちは使命をよりよく果たす方法を模索するなかで、互いに力を合わせて毎年何百もの変革を起こそうと立ち上がるという。

協調性が高まる

 階層を取り払うと、組織の弊害をかなりの程度まで除去できる。昇進競争があると各人の成果志向は強まるが、限られた昇進枠を争うせいで社内政治が横行して敵対意識がはびこる。他方、完全に水平(フラット)な組織では、上司へのゴマすりも同僚同士の追い落としもない。

「フォーチュン500」企業2社での勤務経験を持つポール・ターペルクは、昇進のない会社の美点をこう語る。「中傷の類は少ないですよ。昇進という狭き門をめぐってしのぎを削るわけではないですから。最高の成果を上げたり、同僚を助けたりすることに全力を注げばよいわけです」

よりよい判断ができる

 大多数の組織では、重要な判断は事業分析の訓練を積んだ幹部が担うのが通例である。彼らは豊富なデータと洗練された分析力を持っているが、文脈、つまり現場の実情については理解していない。このような理由から、上層部に受けのよい判断は往々にして、現場の従業員にしてみれば見当違いもはなはだしいのだ。

 モーニング・スターでは、上層部が判断を下すのではなく、現場の人々に専門性を備えさせている。たとえば、従業員のおよそ半数はサプライヤーとの交渉法についての研修を終えている。財務分析の研修を受けた人も多い。自分で考えて実行するのだから、タイミングを逃さずに賢明な判断を下せるはずである。

忠誠心が厚くなる

 モーニング・スターから競合他社への転職はほとんどないが、逆の事例はたびたび起きている。そのうえ、臨時雇いまでもが献身的に仕事をする。各加工工場はトマトの収穫期に合わせて毎夏、合計800人を超える季節労働者を雇う。翌年の継続率は9割に達し、会社では彼らに自主管理の原則についての研修を施している。外部の研究者が先頃これら臨時雇いの権限や当事者意識を調べたところ、他社の上級幹部並みの高水準だったという。

 なお、マネジャー職を設けないやり方はコスト面でも有利である。浮いたコストの一部はフルタイム従業員に配分され、彼らは他社の同等職よりも10~15%高い報酬を得ている。マネジャーを抱える負担を避けることで、事業成長への投資を増やせるという利点も生まれる。

マネジャー職の撤廃は若干の不都合を伴う

 モーニング・スターは、マネジャーを抱えないことでコストや弊害を軽減しているが、逆に不都合もある。
マネジャーをつくらない会社の短所
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 第1に、だれもがこの流儀に適するわけではない。これは能力ではなく適応の問題である。階層の多い組織で何年も働いていた人は、なかなか適応できない場合が多い。

 ルーファーの見たところ、新たに入社した人が自主管理の下で十分に実力を発揮するまでには、平均で1年以上を要するという。

 こうした事情から採用には余計に時間がかかり、手順も込み入ったものになる。会社の規模が小さかった当時は、ルーファーがすべての応募者に半日をかけて面接していた。しかも、たいていは相手の自宅にまで足を運んでいた。会話のほとんどは、モーニング・スターの哲学と応募者の期待内容が一致するかどうかに主眼を置いていた。

 最近では、応募者にまず2時間をかけて自主管理の説明を施したうえ、10~12人ほどの従業員が面接する。ここまでしても、適性を見抜けるとは限らない。ポール・グリーン・ジュニアによると、社会人経験の長い人物を採用した場合、およそ半数は思うままに振る舞えない状況への適応に苦しみ、2年以内に退社するという。

 第2に、互いの目配りによってみんなに責任を果たさせる仕組みも、難しさをはらんでいる。トラブルメーカーや成果を上げない従業員がいる場合、階層型の組織では上司が対処に当たる。

 しかしモーニング・スターでは、方針や規範を破った者を問い質して、品質、効率、チームワークを守るのは全員の責任とされている。もし従業員たちがこの責任を果たさず、必要な時に厳しい態度を取るのを怠ったなら、自主管理はたちどころに、全員で申し合わせたようにほどほどの成果で妥協する仕組みに成り下がってしまう。

 この危険については社内研修で正面から取り上げ、「みんなが勇気を奮い起さない限り、同僚が互いを律するやり方は成り立たない」と強調している。

 第3として、成長が妨げられるという不都合もある。モーニング・スターは業界平均を上回るペースで成長を続けているが、ルーファーや従業員たちは社風が希薄になるのを恐れている。他社の買収に消極的なのも、この点を心配しているからだ。事業拡大の道を探ってはきたが、これまでのところ、マネジメント上の強みを犠牲にしてまでさらなる高成長を目指すのは避けている。

 各自の進歩を見極めるのも難しい。たいていの企業には昇進の階段があり、それが目安となる。ところがモーニング・スターには階層がないため、同業他社の人との比較で自分たちの進歩を測るのが難しいおそれがある。会社での地位をアピールできないことは、転職を目指す際には不利に働きかねない。

マネジャーとマネジメントの実践

 私がルーファーに「御社はマネジャーを置かずにマネジメントを実践する術を見つけたのですね」と言うと、即座に訂正された。

「当社では言わば全員がマネジャーなのです。石を投げればマネジャーに当たりますね。マネジメントには経営計画、業務の段取り、指示、人材の手配、管理・監督が含まれ、全従業員にこれらすべてを期待しています。だれもが自分の使命をマネジメントするわけですよ。同僚との取り決めや、仕事をこなすのに必要な経営資源についてもしかり。同僚に責任を果たさせるという意味でも、全員がマネジャー役を担っています」

 それでも、ルーファーはこちらの言葉の意図を読み取ってくれた。この数十年というもの、マネジメント業務については「マネジャーという正式な肩書を持った人々に、上役という立場でこなしてもらうのが最も効果的だ」とされてきた。ところが、モーニング・スターの長年にわたる試みからは、全員にマネジメント業務を担わせるのが可能であるばかりか、収益性もよいことがうかがわれる。適切な情報、インセンティブ、ツール、責任が与えられれば、たいていは自分たちでマネジメントを実践できるのである。

 市場と階層制にはそれぞれ長所があり、二者択一の必要はない。モーニング・スターは独立請負業者の緩やかな集合体でもなければ、人々の能力ややる気を損なう官僚組織でもない。市場と階層制、両方の特徴をそれとなく合わせ持っているのだ。

 一方、モーニング・スターを、「当事者間のつながりが濃い市場」としてとらえることができる。各人には、市場取引に似た取り決めを同僚と交わす裁量が与えられている。これでは利害が対立しやすく仕事の進め方が込み入ってしまうのではないか、と思われるかもしれない。しかし、いくつかの要因によってそのおそれは和らいでいる。

 第1に、交渉や取り決めに加わる全員が、同じ判断基準に従っている。本物の市場では、消費者は売り手の利益など気にかけない。他方モーニング・スターの従業員は、会社が傾いたら素晴らしい勤務先を失うことを承知している。

 第2に、同僚を踏み台にしたり、約束を守らなかったりしたら、その報いを受けるのは自分だと、みんなが理解している。このため、業務上の取り決めよりも関係性を重視する姿勢が培われる。

 最後に、従業員のほとんどは長年トマト関連の事業に携わっているから、だれが何をすべきかをよくわかっている。新年度になっても、あらゆる取り決めの細部を逐一改める必要はない。これら共通の目標、長期の関係性、事業知識によって人々が結びついていなかったなら、モーニング・スターの仕組みははるかに低い成果しか上げられないはずである。

 モーニング・スターは、「自然発生した活力ある階層の集まり」でもある。形の上では階層は存在しないが、非公式の階層はいくつもあるのだ。どの問題についても、専門性や「周りの力になろう」という意欲に応じて、発言力の大きさには開きが出る。これは地位ではなく影響力に基づく階層であり、ボトムアップでできあがる。

 この会社では、専門性を示し、同僚に力を貸し、付加価値を生み出すと、権限を増やしていくことができる。これらを実践しなくなったら、影響力が衰え、給料も減るだろう。

 大多数の企業では、階層は自然発生するわけでもなければ活力も持たない。リーダーはおのずと頭角を現すのではなく、上からの指名によって決まる。腹立たしいことに、重要な任務はえてして、最も有能な人物ではなく、政治的な嗅覚がだれよりも発達した人物に与えられる。

 それだけではない。権力はポストに伴うものであるため、有能な人物に権力が集まるとは限らないのだ。1度マネジャーになってしまえば、解雇されない限り権力を失うことはまずない。それまでは、成果が上がらない状態が続いてもおとがめなしである。

 モーニング・スターでは、「全員がすべての問題について対等に発言権を持つべきだろう」という発想は皆無だが、同時に、「上司である以上、その人だけが決定権を握るべきだ」と考える人もいない。

*  *  *

 マネジメントの将来がどうなるかはまだわからないが、モーニング・スターの人々による幕開けは刺激に満ちている。ただし疑問も残る。

 同社の自主管理手法は、従業員数1万人や10万人の企業でも成り立つのか。文化の異なる国や地域にも適用できるのか。低コストを武器にした海外の競争相手が出現するといった、深刻な脅威に対処できるのか。ルーファーや従業員たちはこれらの課題を考えると夜も眠れないと言い、自主管理が未完成であることを潔く認める。

「理念としては90%くらい完成していると思います。ですが、実務面ではわずか70%でしょう」(ルーファー)

 私は、モーニング・スターの手法はあらゆる規模の企業で使えるだろうと考えている。大企業のほとんどはチーム、部門、職能の集合体であり、それらすべてが同等の自律性を持つわけではない。企業規模がどれほど大きくても、たいていの事業ユニットにとって社内取引の相手は少数に限られるはずだ。年商7 億ドルのモーニング・スターは、けっして小粒ではないが巨大企業でもない。

 モーニング・スターがもっとはるかに大きな企業の1事業部だと仮定しよう。この場合、「他の事業部が同じ経営哲学を掲げる」という条件が満たされる限りは、「自主管理手法を全社的に運用するのは不可能だ」などと考える理由はない。巨大グローバル企業の各事業部を代表する人々同士が話し合いをして、モーニング・スターの事業部間で毎年交わされるのと同じような合意に至るのは、想像を絶するほどのことではない。

 実のところ本当の問題は、自主管理が規模の大きな企業で通用するか否かではなく、伝統的な階層組織に導入できるかどうかである。これについても私は肯定的な見方をしているが、適応には時間、労力、熱意を要するだろう(囲み「自主管理への道のり」を参照)。

 どんな不確実性があろうとも、はっきりしている点が2つある。

 1つには、少し想像力を働かせれば、自由vs. 統制のような、長く組織を悩ませてきた、克服できそうもないトレードオフを克服できる。

 2つ目として、マネジメント権限がごく一部の過大評価された人々に集中するのではなく、全員の責任とされる組織を思い描くのは、もはや現実離れした空想ではない。

コラム 自主管理への道のり

 あなたの組織はおそらく自主管理の原則を柱に据えてはいないだろう。十中八九は、官僚的な仕組みになっているはずである。複雑な決まり、幾重もの階層、多数のマネジメント・プロセスなどを設けて、全体の足並みと予測可能性を確保しようというのである。

 マックス・ウェーバーがおよそ100年前に指摘したように、管理こそが官僚制の哲学的な拠り所である。官僚的な組織におけるマネジャーは、決まりや基準の遵守、予算目標の達成などを部下に徹底させる監視役である。

 官僚制と自主管理は、全体主義と民主主義のように、対立するイデオロギーに根差している。自主管理型の組織を築くには、官僚制の弊害を取り除くだけではなく、官僚制そのものと決別しなくてはならない。

 アメリカの建国者たちは、君主制の行きすぎを和らげようとしたのではなく、それに代わる仕組みを取り入れようとした。これと同じように、自主管理を採用するなら強い覚悟で臨まなくてはいけない。さもないと、さらなる徹底を目指すべき時にそれができずに中途半端で妥協してしまうだろう。

 とはいっても、古くからの仕組みを壊すことが容易に許容されるわけではない。自主管理はマネジメント不在とは違う、極端なまでに分権化を推し進めるからといって無秩序を生むわけではない、と示す必要があるだろう。

 まず、従業員に自分の使命を書き出すよう求めよう。1人ひとりに「同僚のためにどんな価値を生み出したいか。彼らのために解決したい問題とは何か」と問いかけよう。どんな活動をするかよりも、どういった便益を生み出すかに焦点を当てるよう、はっぱをかけることだ。

 全員が短いミッション・ステートメントを書き上げたら、彼らを少人数のグループに分けて互いに批評させよう。この過程のおかげで、決められたルールに従う姿勢から、同僚同士の話し合いを通して責任を果たす姿勢への移行を始めるのである。

 次いで、従業員の自主性を広げるささやかな方法を探そう。みんなに「あなたの使命実現を妨げている手続きは何ですか」と問いかけるとよい。最も煩わしい手続きを特定できたら、それらを部分的に取りやめて、どうなるか様子を見てみよう。管理を緩めることは可能なのだから、自主管理の導入を真剣に考えているなら、段階を追って緩めていけばよい。

 さらに、チームごとにP/Lを持たせよう。裁量を賢く使うには、1人ひとりが自分の判断の影響を数字でつかむことができなくてはいけない。自主管理への道は情報によって開かれる。

 仕上げに、管理する側とされる側との分け隔てをなくす方法を見つけなくてはいけない。

 あなたがマネジャーなら、手始めに自分がチームにどんな責任を負っているかを列挙するとよい。そして部下全員に、そのリストに注記をしてもらおう。リーダーが統率相手に対してより大きな説明責任を持つことが、全員が互いへの責任を果たす仕組みをつくるうえで欠かせないのである。

 伝統的企業にとって、自主管理への道は長く険しいだろう。しかし、この分野の双璧を成すモーニング・スターとW. L. ゴア(注3)(〈ゴアテックス〉のメーカー、同社もマネジャーを置いていない)の実績は、努力するだけの価値があることを示している。いずれは、高い成果を上げ、しかも人間味にあふれた組織ができあがるだろう。

【注】

3)
W. L. Gore & Associates, Inc. デラウェア州ニューアークに本社のある、〈ゴアテックス〉で知られるメーカー。同社は、アソシエートと呼ばれる従業員の主体性や判断を重視し、従業員同士のコミュニケーションや信頼関係を基礎に、チームとして協働することで事業の成功を実現しようとする。

有賀裕子/訳
(HBR 2011年12月号より、DHBR 2012年4月号より)
First, Let's Fire All the Managers
(C) 2011 Harvard Business School Publishing Corporation.

[DIAMOND/ハーバード・ビジネス・レビュー]

Posted by nob : 2012年03月21日 19:56

そのとおり!!!Vol.18/納得は自ら創っていくもの。。。

■「働きがいを求めてはいけない」
ワークスアプリケーションズ 牧野正幸CEOに聞く

 「働きがいのある会社」とはどのような会社なのだろうか。それを検証するため、日経ビジネスでは2007年以降、「Great Place to work® Institute Japan(GPTWジャパン)」(contact@greatplacetowork.jp)の協力を得て働きがいのある会社」という企画を続けている。

 この調査において、ソフトウエア開発のワークスアプリケーションズは2010年にトップに輝き、昨年と今年はグーグルに続く2位と上位の常連になっている。同社はなぜ、社員の働きがいを常に意識するのか。そのために、経営者や現場は何をしているのか。社員の働きがいと組織の成長について、牧野正幸CEO(最高経営責任者)に聞いた。

牧野 正幸(まきの・まさゆき)氏
ワークスアプリケーションズCEO(最高経営責任者)
1963年兵庫県生まれ、49歳。大手建設会社、ソフトウェア会社役員を経て、システムコンサルタントとして94年に独立。銀行などと共同で中堅企業向けシステムを開発。海外ERPパッケージの日本向け適用のコンサルティングを行う。96年、ワークスアプリケーションズを設立。2001年、ジャスダックに上場し、代表取締役CEOに就任。人事・給与システムでは国内シェアトップを誇る。2011年、MBO(経営陣による企業買収)により上場廃止。

 冒頭から矛盾していると思われるかもしれないが、働きがいを求めるという行為自体、良くないと私は考える。そもそも、働きがいを求めている時点で、自分以外の誰かが「与えてくれる」という甘えの発想が生まれているからだ。

 「教育環境が整っているところで教えを乞いたい」「優秀な上司がいるところで自分の成長を引っ張ってもらいたい」――。

 このような考えを持つ人は、そもそも自己成長ができないタイプ。そんな社員ばかりになると、会社の成長はなくなり、結果的に働きがいを感じられない組織になってしまいかねない。

 「明るくて風通しの良い会社に入りたい」と語る学生がいる。でも、私の経験値から言えば、明るい職場を条件に掲げる人に、根が明るい人は少ない。そもそも根が明るい人は、職場が明るいかどうかなんて気にせず、周りを巻き込んで楽しい職場を作っていく。つまり、自分でそういう場を作れない人が、理想の職場を掲げるわけだ。

「今いる社員に働きがいをアピールしたい」

 そういう人ばかりがたくさん入ってくると、明るい職場ではなくなってしまう。当社を志望する学生には、「働きがいのある会社だから」というイメージを持ってほしくない。入社してくる人ではなく、今いる社員に「働きがいがある」とアピールしたい。

 7年ほど前のこと。新卒入社から3年目くらいで退職する社員に理由を聞いたところ、半数以上が「ワークスよりも働きがいのある会社があるかもしれない」と言って辞めてしまう状況だった。上場を果たした(昨年、MBOで非上場化)とはいえ、まだまだベンチャー企業。隣の芝生は青く見えるようで、若い人材が流出してしまう。そして、「転職して失敗した」という後悔の言葉も聞くようになった。これは当社にとっても、辞めた当人にとってもマイナスでしかない。

 「うちの会社は君が成長できる環境だよ」と私が言っても、うまく伝わらないだろう。であれば、第三者が客観的に評価することで、当社がどれくらい働きがいのある会社なのかを示せばいい。そこで、「働きがいのある会社」の調査に応募した。

 新卒で入る社員からすれば、自社がどれだけ働きがいがある会社なのか、そのモノサシがない。外部の意見であれば、より信頼できる。そのうえ、「あの企業と同等なんだ」と誇りを感じることもできる。

 よくある勘違いなのだが、「働きがいのある会社=誰もが居心地の良さを感じる会社」という考えは、間違いだ。正しくは、常に成長したいと意欲的な人材にとって、居心地の良い会社である。会社は安住の地ではない。自己成長意欲のない人にまで優遇する会社は、よほど余裕がある会社か、未来がない会社のどちらかだろう。成長したい人をサポートし、さらに成長を求めるステージを用意する。これが、真の働きがいのある会社ではないだろうか。

 だから、成長意欲がない人には苦しい環境だと思う。このミスマッチで会社を辞める人もいるのが現状だ。

 ただ、優秀な人材に辞めてほしくはない。これはどの会社も同じだろう。もし、辞めてしまったとしても、また戻れる仕組みを作ればいい。当社では2005年12月に「カムバックパス」という制度を作った。在職中の評価によって、認定を受けた者であれば最長5年以内に「復帰=再就職」できる制度です。

 これにより、一度は退職した社員が堂々と帰ってこられるようになった。一度外に出た社員が戻ってくるのを見れば、隣の芝生の青さを気にしていた社員も「やはりワークスが良い」と思えるはずだ。

 カムバックパスと同時期にできた制度で「ワークスミルククラブ」というものがある。これは、最長13年にわたり、出産や育児を支援する制度だ。

「課題解決の道筋は提示しない」

 こういった制度は、私が独断で決めているものではない。現場から声が上がってきて、現場主導で作られるものがほとんどだ。

 経営者やマネジャーに「他社の制度を導入したい」とか「この状況を改善する制度の創設を」と希望する社員がいる。当社の場合、「じゃあ、自分で作ってみて」と返す。経営者に頼るだけでなく、まずはどうすれば課題が解決できるのかを自分で考えてもらう。

 まずはコストを度外視して、考えさせる。そこででてきた提案について、アドバイスをしたり、承認したりする。最初から私が入ってしまうと、依存型の社員ばかりになってしまうから。こうすることで、問題を見つける能力に加え、それを解決するチカラが社員につく可能性も高まる。

 自己成長意欲が高い人は、それを阻害する要因をも特定して解決する道を切り開く。それが、当社の働きがい向上に役立っていると考える。

 新人教育やインターンシップ(就業体験)でも、課題解決に向けた道筋の提示は極力しないようにしている。「どうすればいいですか」。この一言だけで先輩が解決まで導いてしまうと、受け身な姿勢が習慣づけられてしまいかねない。だから、新人は必ず失敗する。それでも、他社では考えられないような負荷を新人にかける。それはなぜか。失敗した時こそ、人は成長するからだ。

「成長とモチベーションは比例しない」

 成長とモチベーションは比例するように思われているが、私の考えは逆。反比例ではないだろうか。成功を通してモチベーションが高いときというのは、成長しているように本人は錯覚するが、ここでは成長はしていない。1つの成功を通して、その余力で成果を出しているだけ。成功は人を思考停止にさせてしまう。つまり、成功の果実をただ食べているだけに過ぎず、次の種まきができない。

 失敗した時はどうか。なぜうまくいかなかったのか、どうすれば成功するかを必死に考える。これまでのやり方を改め、試行錯誤を繰り返す。そこで、人は成長する。成功を通してモチベーションが高い時期が続くと、人の成長は止まる。だから、最初から成功するのは良くない。

 ただ、失敗はモチベーションを下げる。それが尽きてしまっては元も子もないので、モチベーションが底をつく前に成功を経験させる。これが人を育てるコツではないだろうか。

 働きがいのある会社とは何か。私自身の考えは、「個人の成長意欲に対して、最大限の機会を与えることをコミットする会社」だ。

 社員の期待に対して裏切っていないか。「働きがいのある会社」の調査で客観的な評価を得ることは、経営者としての通知簿をもらうようなものだ。社員の成長をけん引するには、私自身がこれからも成長しなければいけない。これからも、成長意欲の高い社員にとって、その機会を与えられる経営を目指していく。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年03月18日 23:47

そのとおり!!!Vol.17/全国へのこの気運拡大に期待。。。

■関西電の全原発廃止、大阪市が株主提案へ

 大阪府市の「エネルギー戦略会議」(座長=植田和弘・京都大教授)は18日、関西電力の筆頭株主である大阪市が6月の同社株主総会で提案する内容の骨子をまとめた。

 全11基の原子力発電所を可及的速やかに廃止し、代替電源として再生可能エネルギーによる発電所の導入を求めるなどとしており、近く府市統合本部で最終決定する。

 骨子では、当面、安全対策を徹底した上での原発稼働を容認する一方で、「事故が起きれば府民、市民に回復不可能な被害を及ぼし、関電が倒産するリスクも高くなる」として、将来的な全原発廃止を求めている。また、再生可能エネルギーによる発電所などへの投資を優先するため、送電部門の別会社化や、役員、従業員数の削減、政治家への寄付やパーティー券購入の廃止によるコストカット、他社管内での電力小売りへの進出なども明記した。

 さらに、この日の会議では、株主提案とは別に、政府が再稼働を目指している福井県おおい町の大飯原発について、エネルギー戦略会議としての再稼働条件を関電や政府に提示することも確認した。

 関電株は大阪市が9%を保有しているほか、神戸市も3%、京都市も0・5%を保有。今後、神戸、京都両市にも共同提案を呼び掛ける。ただ、株主総会で他の株主らの賛同がどの程度得られるかは不透明だ。

 植田教授は会合で「原発技術は本当に制御可能なものなのか。事故の被害額は甚大で原発廃止は株主の利益に一致する」と述べた。

[読売新聞]

Posted by nob : 2012年03月18日 22:49

あの日にかえっていく

たった一言を口にするのに

とても長い時間がかかった私。。。

Posted by nob : 2012年03月12日 07:42

まずは何もしない何も持たない自らを受け容れることから、、、私はもう長く携わるどんな仕事にもパートナーを有しています、、、これは誰にでもできる真の平和への第一歩。。。

■「かけがえのない存在」にならなくてもいい。
「代えのきく」人になろう

かけがえのない存在にならないと価値がないのか

 いま、かけがえのない存在になる生き方を目指そうという風潮があります。
確かに、家族にとっての自分、恋人や友人にとっての自分など、プライベートの局面ではそうした考えに同意できる部分があります。しかし、仕事とは分けて考える必要があるのではないでしょうか。

 仕事の局面でかけがえのない存在になることは、確かにその時点ではハッピーかもしれません。しかし、長期的に見た場合、かけがえのない存在だけで成り立っている職場は自分にとっても組織にとってもやっかいなことが出てきます。

 たとえば、会社にとって非常に苦しい事業を誰かひとりが3年間かけてどうにか立て直したとします。その過程でほかの人の支援や協力を得られていなければ、引き継ぎたいと思う人も出てこないでしょう。結果的にその事業から離れられなくなり、ほかの部分に発揮されたであろう能力を無駄になってしまいます。仮に誰かが引き継いだとしても、再びうまくいかなくなる可能性も否定できません。

 先ほどプライベートは別と言いましたが、人生は何が起こるかわかりません。自分にとってかけがえのない家族が亡くなった場合、残された家族の悲しみは計り知れません。とはいえ、もう生きていけないということになってしまっては困るのです。

 いま、社会や誰かにとっての「かけがえのない存在」になることこそ、生きる意味や自己実現の賜物と思う人が増えているのではないでしょうか。かけがえのない存在であるかどうかを確認できないといって深く悩む人も多くなっています。

 しかし、かけがえのない存在になるという考え方そのものが「作られた感覚」のように思えてならないのです。社会における自己の確立とかけがえのない存在になることが、同義語のように語られているのではないでしょうか。

かけがえのない存在になることは自己陶酔か

 ビジネス書の世界では、新入社員に向かって「なくてはならない存在になれ」と語られています。しかし、その人がいないと仕事が回らないという状況になったとしたら、息苦しさが募り、生きるのがしんどくなってしまうと思うのです。

 大組織の会社ではなく、小さな個人商店ではそういう人が現実に存在します。

 うつ病になってしまったその人は、仕事を休んだほうがいい状態でした。でも、その人は絶対に休めないといいます。

「いまは肉体的には大丈夫ですが、急に盲腸になったりしたらどうするのですか?」

 そう尋ねても、患者さんは絶対に無理だと繰り返すばかりです。

「私がいないと、従業員は何もできないのです。お金の計算ひとつとっても、満足にできないのが現状です」

 結局、その患者さん自身が、自分がいないと業務がまったく進まないシステムを作り上げてしまったのです。現実にはこの患者さんは会社にとってかけがえのない存在になっていますが、患者さんにとっても従業員の方にとっても、これが望ましい姿だとは思えません。この例では、かけがえのない存在になるということが自己陶酔につながっているように見えてしまいます。

かけがえのない存在になることは
美学ではない

 かつては、かけがえのない存在になることが美学になっていた時期があります。

 最近になって、雑誌アエラでもそれに関する特集が掲載されました。テーマは「親の死に目と仕事」です。

 企画の発端は、フィギュアスケートの浅田真央さんのことだったようです。お母さまが危篤状態になったという連絡を受けた真央さんは、国際大会を棄権してお母さまのもとへ急いで駆けつけました。その行動に対して、賛否両論が湧き上がったのです。

「ほかに出たくても出られない人がいるなかで選ばれて参加したのだから、最後まで大会にとどまるべきだった」
「国を代表して派遣された選手なのだから、日本代表としての責任を全うすべきだった」
「いや、世界に2人といない大切な母親が危篤なのだから、ひとりの人間として日本に帰ったのは支持したい」

 私の知り合いにこの話しをしたら「親の死に目に会えなくても仕事を続けるべきだ」という考えの人がいます。しかし、その一方では「親の死に目に会えなくても続けなければならないような仕事が果たしてあるのだろうか」という意見もありました。

 結局、「本人の自己満足なのではないか」という意見が大勢を占めることになりました。よく考えれば、その人が1日や2日休んだからといって、それで破滅的な事態に陥る仕事などそれほどないのではないでしょうか。

「代えのきく存在」でも社会貢献はできる

 現在の就職難の時代、どの会社でもいいと考える学生が増えてきました。

 しかし、あるときまでは自分の好きな仕事、自分にしかできない仕事、生きがいを感じられる仕事を求める傾向が強く残っていました。

 かけがえのない存在になろうとこだわるあまりチャンスを逃し、入社3日目にして「私の居るところじゃない!」と辞めてしまう若者があとを絶ちませんでした。

 関西のある葬儀会社の社長さんと対談したときに聞いた言葉が印象的でした。

「私の会社に入ってくる学生は、誰ひとり第1希望ではありません。ほかに希望していた会社に落ちた学生がさしたる関心も持たずに入ってきます。最初はみんなしょんぼりしているのですが、仕事をやり始めると人に感謝され、礼儀も身につき、社会生活を送るうえで非常に役立つということを感じるようになると、この会社に入って良かったと言う若い者が多いのですよ」

 社長さんの言う通り、その世界に身を置いてこそ良かったと思えることは、人生において多々あるのです。

 地位が人をつくるという言葉もあります。

 ある組織のトップが辞める事態になったとき「あの人がいなくなったらこの組織は終わりじゃないか」と考えてしまう人は多いと思います。

 しかし、実際にはトップの陰に隠れていたナンバー2が頭角を現し、改めてナンバー2だった人の能力の高さに気づかされる経験をしたことはないでしょうか。ナンバー2だった人は、トップがあまりにも強かったせいで、活躍する機会を得られなかっただけなのです。組織というものは、多くの人が想像する以上に図太いものです。

 以前のコラムで突出した個人がひとりで組織を支えるよりも、システム化された組織を作ったほうが社会としては健全なのではないかと書きました。

 かけがえのない存在を目指すのも悪いことではありません。ただ、代えのきく存在として人生を生きることも、十分社会に貢献していることになるのです。

[DIAMOND online/香山リカの「ほどほど論」のススメ]

Posted by nob : 2012年03月12日 07:35

ほんの紙一重。。。

そこで踏みとどまることがてきることと

脆くもその場に崩れ落ちてしまうこと

Posted by nob : 2012年03月12日 00:22

愚策の極み、、、国が一歩も二歩も前に出るべきところが全く違う、、、まさに日本全土放射能汚染化計画。。。

■がれき受け入れ、法に基づき要請へ 首相「基準示す」

 野田佳彦首相は11日、首相官邸で記者会見し、被災がれきの広域処理を進めるため、法律を根拠に自治体に受け入れを求める考えを明らかにした。基準や処理方法も政権が明確に示す。13日に関係閣僚による会議を立ち上げ、処理を加速させる方針だ。

 被災がれきの広域処理は各地で強い反発を受け、3月11日までに全体の6%程度しか進んでいない。野田首相は「国が一歩も二歩も前に出ないといけない」と強調。「がれきの種類、量を明示した上で、協力をお願いする」と述べた。

 被災地以外の都道府県には、災害廃棄物処理特別措置法に基づき文書で正式に協力を要請。基準や処理方法もこの法律を根拠に定める。すでに表明している財政支援と併せ、自治体の理解を求める考えだ。

[朝日新聞]

Posted by nob : 2012年03月12日 00:17

怖れずに付かず離れずうまく付き合っていけばいい。。。

■うつ病を経験した誰もが恐れる再発
100%の状態に戻ってからの復帰が重要

 過去14年にわたり毎年、3万人以上の人が自ら命を絶っている。厚生労働省“自殺・うつ病等対策プロジェクトチーム”の調査から、自殺既遂者は、うつ病等の気分障害が自殺の要因として特に重要であることが明らかになっている。現在の厚生労働省における自殺対策の中核となっているのが、うつ病対策だ。

 うつ病は心の風邪と言われる。風邪は休息と投薬などにより完治する。もちろん、うつ病も正しい対応や治療によっていつか治る。しかし、完治したかどうかの見極めが難しい。また、うつ病は再発しやすいことをご存じだろうか。うつ病を発症したほとんどの人が、再発を恐れていることも事実だ。

休職と復職を繰り返しついに自殺未遂

 今回は、10年以上独りでうつ病に苦しみ、その後産業カウンセラーYさんとの出会いで、新しい人生を歩み出すことになったKさんの事例を取り上げる。

 Kさん(女性、現在52歳)は独身である企業の総務部に勤務している。3人姉妹の末っ子で、母親にとても厳しく躾けられて育った。大学卒業後、会社へは親の縁故で入社した。入社当時は秘書課に配属され、女性らしく魅力的なKさんは、とても可愛がられたようだ。

 入社から5年後、地方への異動辞令が出て、地方都市で寮で暮らすことになった。

 「Kさんは、いじめられたと言っていましたね。彼女はずっとお嬢さん育ちされてきて、もしかしたら、ビジネスライクに言われたことを『否定された、嫌われた』と思い込んだのかもしれません。そして知らない土地で一人きりの暮らしになったことも重なった、どん底の精神状態のときにお母さんが突然亡くなってしまわれたのです」

 Kさんが30代前半の頃だ。産業カウンセラーのYさんは、Kさんの話を振り返りながら語ってくれた。

 Kさんは寮で、自殺を図った。発見が早かったため未遂で終わり、一命を取り留めたKさんは、地方都市の病院を受診する。病院でうつ病と診断され、会社を休職し半年間入院した。退院後、投薬を続けながら地方都市の職場に復帰するが、3か月後うつ病が再発した。精神状態を考慮した会社はKさんを本社へ戻し休職扱いにした。病院の診断で投薬を続けながら再び職場復帰したが、うつ病が再発し、また休職になった。その後何度も復職と休職を繰り返し、自殺未遂も起こした。

 何年にもわたり、休職と復職を繰り返すKさんに困惑した会社の上司は、企業の相談室に行くよう指示した。

 一般的に、メンタル面の悩みを抱えていても、同僚などに知られるのが嫌で相談室に行くことを躊躇する人が多い。だが、この相談室は別の建物にあったため、同僚などに相談室へ行っていることを知られることはなかった。また、カウンセラーには守秘義務があり、上司とはいえ面談内容を報告する義務はなかった。Kさんは初めて人目を気にせずに本音を言える場を得たわけだ。この相談室で出会ったのが、産業カウンセラーのYさんだった。Kさんが40代前半の頃だった。

 「死にたい。何のために生きているのかわからない」

 Kさんが最初に言った言葉だそうだ。発症から10年以上過ぎたにもかかわらず、うつ病は治っていなかった。通院、投薬を続けているのに、精神状態は非常に悪い状態だった。

 Yさんの初期のカウンセリングは、Kさんの言葉を傾聴し、受容し、共感することだった。Kさんは「死にたい」と繰り返し、泣きながら母親の話をした。母親が大好きだった。素晴らしい女性だった。母親が言うことはすべて正しい。言いつけは守らなくてはならない。でも死んでしまったので辛くてたまらない。

絶対的な母親の教育にしばられていた

 Kさんにとって母親は絶対だった。Kさんは母親の厳格な倫理観・世界観の中で生きていた。Kさんが目にする社会・周囲の人の言動は、母親から教わった倫理観を通して見ると、全てが良くないものに思えたようだ。社会はこうあるべき、女性はこうあるべき、社会人はこうあらねばならない。社会や周囲の人への不平・不満が心の中に渦巻き、蓄積されていった。しかし、誰にも言えなかった。

 どうしてか? 不平を言うことなど、恥ずかしいこと、みっともないことだと母親から教え込まれていたからだ。そんな価値観を持つKさんは、他人の見方も厳しかったが、同様に自分にも厳しかった。すべての否定的な思いを溜め込み続けた末に、価値の基準である母親が急にいなくなってしまった。心のバランスが壊れ、うつ病を発症した。どうやって生きたらいいのか分からなくなり、自殺未遂に至ったのだろうとYさんは分析する。

 Yさんは、Kさんの目標を“自己受容 Iam OK.”に設定し、まず自分を受け入れられるように導いた。

 まずやってみたのは、コラージュ療法だった。コラージュ療法は、1970年代に米国の作業療法士ジェーン(Jane.M)が考案した芸術療法だ。コラージュはフランス語で「糊付けする」という意味で、20世紀の初めにピカソやブラックなどが使った現代美術の技法だ。雑誌やパンフレットなど既成の写真や絵などをハサミで切り抜き再構成し台紙へ糊付け(コラージュ)し、独自の世界を表現する。
 
 コラージュで表現することで、様々な心理状態を把握できるが、YさんはKさんの心理状態を診断するというより、会社の中で自分(母親)の価値観でがんじがらめになり緊張状態で苦しんでいるKさんを、綺麗なものに触れさせて、緊張を緩めてあげたかったのだそうだ。

 「“枠”が狭かったですね。自分で作り上げた社会や人と接する時の“枠”がとても狭く硬いものでした。まずは、素の自分の時間を作ってほしかった。コラージュの時間は何も心配なものがなく安心できることを認識してもらいました。その中で信頼関係も育み、心がほどけていく時間になるよう心掛けました。そして目指したのが自己受容です」

 Yさんと時間を過ごすうちに、Kさんは自分の本音を語りだした。

 「他者批判、つまり周囲の人への文句、愚痴ばかりでした。自分の価値観が非常に厳しく、こうあらねばならないと思い込んでいますから、不平・不満が溜まっていたのです。もちろん、良い人、できる自分を演じ続けている自分へも非常に怒っている状態でした。しかし、まだ言いたいことは誰にも言えない状態でした」

 その状態の改善のために、次に始めたのがアサーション・トレーニングだ。このトレーニングの基礎を築いたのは米国の心理学者、ウォルピ(Wolpe,J.)とラザラス(Lazarus,A.A.)である。自分とともに相手も大切にする自己表現の仕方を訓練する。自分の感情や考え、要求などを適切に表現する能力を養うので、「言いたいことが言えない人」「対人関係で自己中心的な人」「引っ込み思案な人」などに有効とされる。

自分の気持ちを客観的に表現する訓練

 Yさんは、アサーション・トレーニングのDESCという手法を使った。

D(Describe)=自分が困っている客観的事実をできるだけ穏やかに話す
E(Explain)=その事実に対する自分の気持ちを話す
S(Specify)=その事実に対して可能な解決方法を話す
C(Choose)=相手がOKなら良いが、Not OKならほか他の方法を再提示する

 Yさんは、言いたいことが溜まっていたKさんに、毎回の面談で、アサーション・トレーニングの課題を出した。

 ある日の面談でKさんは、同僚に腹を立てていた。仕事をちゃんとやってくれないそうだ。しかし、注意をする(愚痴を言う)自分が許せないので注意できなかった。実際に注意の仕方が分からない。無性に腹が立つそうだ。そこで、アサーション・トレーニングのDESCの流れで、解決方法を探った。

D=仕事をしてくれないという客観的事実を話してもらう
E=仕事をしてくれない事実に対する自分の怒りの気持ちを話してもらう
S=解決方法を一緒に考え、提案する

 この場合の解決方法は、同僚に対して意見を言うことだ。同僚の仕事のやり方を見ていて、「私はこう思うが…」と気持ちを表現してみることを提案した。そして、次の面談までに実際に試すことを課題とした。

 この課題は、周囲の人へ意見を言えるようにすることから始まったが、成功した時は言えたことを確認し合いながら共に喜んだ。不成功の場合は、C=また違う解決方法を一緒に考え提案し、励ましながら次の課題の成功のために、根気強く進めた。成功する数が多くなるにつれて、Kさんは自信を持ち、話し方のスキルも身に着けたようだ。自分の意見を周囲の人に言えるようになったKさんは、変わっていった。

 人は簡単には変わらない。自分が変わればいい。自分を受け入れられるようになったKさんは、他人や社会に対する見方も変わっていった。Yさんと面談を始めて3年が過ぎた頃だった。

 「もう大丈夫だと思いました。自分を許すことも相手を許すこともできるようになっていましたから。もう相談室には来なくていいと言ったのですが、完治してからも3年間、私が担当だった時期は毎回相談室に来ていました。愚痴を聞いてほしかったそうです。でも、愚痴の相手にも意見できているわけですからガス抜きかな。その後の再発はなかったですね」

 Yさんは嬉しそうだ。

 再発を繰り返すうつ病について、Yさんは問題点を挙げてくれた。

70〜80%の状態で復職しない

 まず、リワークプログラムで100%職場復帰できる状態になってから職場に戻ってほしい。通常、うつ病などの気分障害で休職すると、病院で完治が認められた後に、民間のリワークプログラムに通って作業をこなしながら復職できる状態に戻していく。復職の際は主治医の診断書と産業医の承諾が必要だ。そして職場の管理者と話し合い、復職することになる。

 リワークプログラムが70〜80%の状態で復職してしまった場合にうつ病は再発しやすいとYさんは指摘する。うつ病などの気分障害は、回復とともに元気になり気分も高揚するので、やる気が起こる。早く仕事へ復帰したいという焦りもあるから、強く復職を希望する人が多い。医師や管理者が、早く仕事に戻すほうがいいと考え、まだ時間が必要なのに復職させてしまうケースも多い。本人と会社のために、状態を慎重に見極め、100%復職できる状態に戻してからの復職が望ましい。休職中は傷病手当が支給される。じっくりと時間をかけて、100%働ける状態になることだ。

 次に職場の受け入れ態勢も重要だ。Yさんは、受け入れる側の管理職の認識の甘さを指摘する。復職後すぐに、休職前と同じ量の仕事を何の説明もなしに渡して極度の緊張状態に追い込んだり、逆に極端に少ない量の仕事でモチベーションを下げたりする場合もある。もう完治したからと軽はずみな言動をとることは避けなければならないが、極端に気を遣い過ぎることもよくないだろう。

 「管理職はメンタル不調の社員が復職した時にどう接したらいいか、どんな点に気をつけたらいいかなどの学んでほしい。復職する人が安心して帰ることのできる会社の体制作りができるといいですね」

 産業カウンセラーYさんの希望は、日本の社会全体のリワークプログラムを早急に整備することだ。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2012年03月08日 12:37

もはや関係者全員を刑事立件すべき事案。。。

■炉心溶融、1週間後に指摘 保安院暫定チーム

保安院内で昨年3月18日午後にまとめられた文書には「炉心はすでに溶融し、外部から注水を続ける限りにおいては、安定した状態が継続している」とある拡大保安院内で昨年3月18日午後にまとめられた文書には「炉心はすでに溶融し、外部から注水を続ける限りにおいては、安定した状態が継続している」とある

 経済産業省原子力安全・保安院のチームが、東京電力福島第一原発事故から1週間後には、1〜3号機の原子炉内の核燃料は溶け落ちて炉心溶融(メルトダウン)したと分析していたことが、朝日新聞が情報公開請求した文書でわかった。ただし公表はされず、国が炉心溶融を認めたのは事故から2カ月後だった。分析を国民への説明などの初期対応に生かせなかった。

 分析したのは、保安院内にある「緊急時対応センター(ERC)」で昨年3月14日から活動を始めた「情報分析・対応評価チーム」。もともと想定されていたチームではなく、保安院企画調整課の要請で、経産省や原子力安全基盤機構などの有志約10人で急きょ結成された。従来の分析部署が緊急対応に追われるなか冷静に分析する集団が必要だという判断だった。

 メンバーが注目したのは、東電から24時間態勢で送られてくる水位や圧力データ、原子炉格納容器内の放射線量を測る「CAMS」(格納容器雰囲気モニター)の数値。昨年3月15日には1、2号機で放射線量が急激に上昇し、格納容器底部に燃料が溶け落ちたことをうかがわせた。ほかのデータの変化もあわせ、同18日午後2時45分の時点で、1〜3号機ですでに炉心溶融が起きたと判断している文書が残されていた。

 文書では、溶融した燃料は底にたまって水に浸されやすくなっているため、「外部から注水を続ける限りにおいては安定した状態が継続している」と評価している。

[朝日新聞]


■炉心溶融、回避できた?冷却装置を早期復旧なら

 東日本大震災による津波襲来後に電源を失った東京電力福島第一原子力発電所1号機で、緊急冷却装置を電源喪失後1時間半で復旧できていれば、炉心溶融を回避できた可能性があることがわかった。

 日本原子力研究開発機構の玉井秀定・副主任研究員らの研究チームが分析したもので、福井市で開かれる日本原子力学会で20日発表する。

 冷却装置は「非常用復水器(IC)」と呼ばれ、電源がなくても蒸気などを使って原子炉を冷却できる。政府の事故調査・検証委員会の中間報告によると、電源喪失に伴い弁が閉じたため、復旧には弁を開ける必要があったが、東電幹部が弁の状況を誤認して対策を取らず、事故拡大につながった。

 研究チームが電源喪失後の原子炉の水位や圧力をコンピューターで模擬計算した結果、閉まった弁を1時間半後までに開けていれば、冷却機能が働き、水位が維持されることがわかった。2基あるICは、計16時間作動するとされており、研究チームは「その間に代替の注水手段を確保するなどしていれば、炉心溶融を防げた可能性がある」としている。

[読売新聞]

Posted by nob : 2012年03月05日 21:00

確かに頻繁に出没します。。。

■東京の満員電車にひそむ妖怪12選

首都圏人口世界一、それが日本の東京です。その数、ざっと約1318万人。日本人の10人に一人は東京にいる計算。あまりにも……あまりにも多すぎる! だけどそれが東京なのです。

さて、そんな東京の移動手段といえば、毛細血管のように張り巡らされた鉄道網が便利ですよね。安いし早い。乗りこなせば最強です。ところがどっこい、路線によっては、朝の通学・通勤ラッシュは地獄と化し、夜は夜で帰宅ラッシュ。

できることなら乗りたくない。満員電車には乗りたくない。なぜならそこには、いろんなタイプの妖怪がひそんでいるから……。私の頭では理解しがたい行動をとる、満員電車にしか生息しない妖怪がひそんでいるからです! 以下にご紹介します。
 
その1:妖怪ディフェンダー
降車時に出現する妖怪です。ドアの開くホーム側に立っているにもかかわらず、後ろには降りたい人がたくさんいるにもかかわらず、一度ホームに降りることもせず、断固として車内に残ろうとする習性があります。動かざること山の如し。抜こうと思っても背中でブロック。まさに鉄壁のディフェンダー、それが妖怪ディフェンダーです。たのむから一度ホームに降りて下さい。そうすればみんなスムーズに降車できます。
 
その2:妖怪リュックサック
大きなリュックサックを背中に背負ったまま満員電車に乗車する妖怪です。非常に邪魔です。あなたのうしろ、通れません。リュックは体の前面で持って下さい。

その3:妖怪プッシュ
乗車時や降車時に出現する、とてもせっかちな性格の妖怪です。しっかりと前に移動しているにもかかわらず、後ろからグイグイと押してきます。そんなに押されても困ります。前には人がいるんです。つっかえているんです。そんなにグイグイ押してきたら、私も妖怪プッシュになってしまうではありませんか。
 
その4:妖怪ちょい広めに間隔あけ座り
一般的にロングシートは7人座席。シルバーシートの位置にある座席は3人です。にもかかわらず、「妖怪ちょい広めに間隔あけ座り」が出現するだけで、秩序は一気に崩壊します。6人しか座れなくなってしまうのです。なんでそんなに間隔あけるのか。それがお前のやり方か。満員なんだぞ。分かってんのか? だいたい、最近のシートはひとりひとりに「くぼみ」が付いているではないか。なのにどうして……。

その5:妖怪角位置死守
電車のドア脇にあるバー付近の角位置を、どんなことがあろうとも、どんな状況になろうとも、絶対に死守する妖怪です。余裕ある乗車率の電車では無害ですが、下敷き一枚入らないほどの最強レベル満員電車では、絶対的安全エリアの「角位置」から動かざるを得ない状況になったりもします。降車時なんて特にそう。でも、絶対に動かない。もはやバーと一体化。車両と完全に一体化。少しは動いて、お願いだから。まあでも基本は無害です。オセロの四隅と同じです。
 
その6:妖怪もう入れないよフェイク
実はまだ乗車率90%程度なのに、ドア側ギリギリ、もしくはドアから片足をはみ出させて「もうこのドアからは入れないよ。満員状態だよ!」とアピールする演技派の妖怪です。別名・地獄の門番。もしくは「バウンサー(用心棒)」。この妖怪の演技に騙された新参者は、本気で混んでいる車両(乗車率200%)に乗らざるを得ない状況になったりもします。

しかしその一方で、すでに車両にいる乗客にとっては守護神にもなります。お国に攻めこむ新参者を「妖怪もう入れないよフェイク」が見事にブロックすれば、余裕ある乗車率が維持できるからです。ただし、残念ながらこのフェイクは出発直前で突破されることが多いです。混んでいようが乗り込まなければならない勇者たちが、背中からグイグイと押し入ってくるからです。
 
その7:妖怪シャカシャカ
もはや説明の必要がないほどのメジャー妖怪がシャカシャカです。イヤフォンからの音漏れがすごい。シャカシャカ聞こえる。ひどい時には歌声まで聞こえる。しかもセンスを疑ってしまうような曲だったりもし、なんだか無性にイライラします。音量は適量でお願いします。そんなに大きな音で聞いてたら、耳にも悪いですよ。

その8:妖怪チョーシこき大声会話
友だちと乗車しているのはわかる。会話したいのもわかる。だけど声が大きいの。みんなに聞こえるような大きさで会話しないでいただきたい。しかもその会話が、青臭くてチョーシこいてる風だったりすると、聞いているこっちまで恥ずかしくなるからマジでカンベンしてほしいの。若い妖怪が多いです。

その9:妖怪床しゃがみ
乗車しようとしたときに、うんこ座り状態で床に座っている人を見ると「ギョッ」とします。そこ、シートじゃないんだよ。体の調子が悪いんだったらしょうがない。でもアンタは違うよね? 単に世間をナメてるだけでしょ? 疲れているかもしれないけど、みんな疲れているんだよ。なんで床に座ってんの。人から「ああ、こいつはアホだな」と思われているって気付かないの? たのむから立ってちょうだい。みんなに迷惑かけないで。

その10:妖怪フタ
この妖怪は、ほとんど害はありません。ただただ、ドア側が好きなだけという妖怪です。発車直前までドア脇に待機して、閉まる直前にドア上部の縁を持ちながら背中から乗車してくるテクニシャンです。つまりは乗客のアンカーです。フタ的な役割をします。降車時には、たいてい一度はホームに降りてくれるし、常識のある妖怪です。
 
その11:妖怪すかしッ屁
許されざる妖怪、それが「妖怪すかしッ屁」です。満員電車であるにもかかわらず、音のないオナラをします。ものすごく臭いのに、誰がしたのか分からない。あの人では? いいや、あの人……? と、乗客は疑心暗鬼になってしまいます。最悪なのが、爆心地が自分のお尻付近というパターンです。つまりは背中合わせの押しくら饅頭状態で、後方にいる誰かの尻から放屁されたというパターンです。自分自身にもスカシ疑惑がかけられて、ふんだり蹴ったりの状態になります。オナラは生理現象ですが、満員電車ではガマンするようにしてください。
 
その12:妖怪泥酔
酔っ払うのは仕方のないこと。ですが、立てなくなるレベルで酔っ払っているのが「妖怪泥酔」です。人によっかかってくるのは序の口で、ひどい時には満員電車のなかでグチャ~っと床に崩れ落ちたりもします。もしかしたら、オブゥェェェロェロと吐いてしまうかもしれない……と、まわりの乗客は気が気ではありません。もしも偶然、目の前に妖怪泥酔がいたとしたら、運が悪いと思ってあきらめてください。

[Pouch]

Posted by nob : 2012年03月05日 13:22

心和ませるほんの一言。。。

■思わず笑ってしまった電車のアナウンス、車掌さんの粋な一言とは

ラッシュ時の電車内に「この先も気をつけていってらっしゃいませ」や「お帰りなさい」といったアナウンスが流れて心が和んだという経験はありませんか。また緊急事態の際、車掌さんの機転でいつものアナウンスが印象的なフレーズに変わって車内がざわめいた… そんな車内アナウンスの珍エピソードを集めてみました。

●ほっと和む、車掌さんの機転

教えて!goo「電車など車内での珍アナウンス」は、「ただ今進行方向左側に虹が出ております」という車内アナウンスに感動したというbaisyooooさんからの投稿。これに続き、回答者からは次のようなエピソードが寄せられています。

・「『次は、御茶ノ水、御茶ノ水です。ただいま左側には桜が満開となっております。どうぞお楽しみ下さい』ちょうどあたたかい春のお昼ごろ、休日出勤の身の上でしたが少し和みました」(sulpherさん)

車掌さんの気の利いた一言のおかげで窓の外の風景がいつもとは違って見え、通勤も楽しく感じられそうです。

・「真偽はわかりませんが、車掌さんはホームで子どもが手を振っていた場合には、サービスの一環として応えるようにと言われているとか… この私鉄の車掌さんは、八割方それをしてくださいますね」(comon-sukiさん)

駅のホームでは、車掌さんが子どもたちに手を振る姿がたびたび見られますが、動画投稿サイトYouTubeで「車掌 手を振る」とキーワードを入れて検索すると、約125件もの動画がヒット。車掌さんのサービス精神を垣間見ることができます。

●思わず笑ってしまったアナウンス

一方、アナウンス中のハプニングやユニークな言い回しに関する情報も多数寄せられていました。

・「『次は〜 ○○〜、次は〜 ○○〜』って流れたんですけど、本当の次駅は××でした。○○は、××の次だったんです。で、××を発車した後に『次も〜 ○○〜、次も〜 ○○〜』って言ってました。不覚にも吹き出しました」(beetnikさん)

・「地下鉄でのことです『間もなくドアが閉まりま〜す。はい、閉まりま〜す』と、普段ならここでドアが閉まるのですがこの日は多少違いました。『ドアが閉まっちゃいま〜す』駆け込み乗車ですかね」(ipsum11さん)

・「京王線千歳烏山駅で。『まもなく各駅停車新宿行きが参ります。なおこの電車、新型車両9000系での運転です。どうぞご堪能ください』。いや『新車もよろしくお願いします』系ならわかりますが、『ご堪能』って何を堪能すればいいのでしょうか(笑)」(sulpherさん)

車掌さんでもうっかり駅名を間違えてしまうことはあるようですが、その後のフォローには人柄があらわれるのかもしれません。また、丁寧な言葉を選ぼうとするあまり、おかしな言い回しになってしまったり、電車愛に溢れるコメントが混じったり… 普段はあまり聞くことのないそうしたフレーズを耳にすると、ちょっと得した気分が味わえそうです。

●台風の日、交通機関のアナウンスは…

首都圏を直撃した、2011年9月の台風15号。交通機関が麻痺し、多くの帰宅難民が主要駅で足止めとなりましたが、そうした異常事態での車内・駅構内アナウンスにも注目が集まりました。TwitterのTweetをまとめるサービス、Togetterの「車掌・駅員さんのアナウンスまとめ(おもに9/21 の非常時)」には、こんな珍アナウンスがまとめられています。

・「早くおうちに帰りたい気持ちはわかりまーす、私も帰りたいでーす、でも押し合わないでくださーい、電車は逃げませーん」(東急東横線)

・「この電車はまだ行き先が決まっていません」(京成線)

・「行けるところまで、行きます!」(中央線)

・「えー宇都宮線上野行き、只今147分遅れで発車となりました」(宇都宮線)

・「皆さん申し訳ございません。私運転士はこの仕事を選んだプライドがございます。みなさまを無事送り届けるまで頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします」(小田急線)

世界で最も時間に正確といわれる日本の鉄道ですが、こうした事態にも誠実に対応をする駅員さんの姿勢に「感動した」、「泣けた」、「ちょっと場が和んだ」といった声が寄せられています。

●ある人の車掌時代の名文句

発言小町のトピック「車掌さん あれこれ」には、こんなエピソードが寄せられています。

げげっせんさんが紹介するのは、若い頃に夜行列車の車掌を務めていた、ある人物のエピソード。その車掌さんは「寒冷前線が通過し、きれいな星空になりました」というフレーズでアナウンスを始めたそうですが、この一言を「詩的であると同時に、この先もう天候の崩れは予想されず、定刻で到着できるであろうという情報も含んだ名文句」と絶賛し「あの『天気晴朗ナレドモ、波高シ』に匹敵する、名文と思います」とコメントしています。実はこの人物こそ、後のJR東海の初代社長、須田寛さんなのだとか。さりげない気遣いのできるその人柄こそが、リーダーの資質といえるのかもしれません。

毎日利用する交通機関ですが、車掌さんの気の利いたアナウンスで、ますます愛着がわきそうです。さて、皆さんがほっと和んだ車内アナウンスは、どんな一言でしたか?(熊)

通勤時間はサービス残業と同じ?

[ニコニコニュース]

Posted by nob : 2012年03月05日 13:10

私を知らない私、、、であり続けたい。。。

知っているつもりの私は、、、

もう過ぎ去った昨日までの私。。。

Posted by nob : 2012年03月04日 12:52

言い得ています。。。

本当に大切な友人はたくさんはいらない。
近くにいなくてもよい。
自分の理解者だと思える友人がこの世のどこかにいて、いつでも手をふれば応えてくれる。
そう思えるのはどんなに幸せなことか。

何年も会わずにすむような関係を、わざわざ友人とよぶこともない。
放っておいても保(も)つような関係は、関係とはいわない、無関係、というのだ。

たとえ過去に属するとしても、そのひとの記憶のなかに愛し合った思い出が生きていると思えるからだ。
地球上のどこであれ、そのひとが生きているということを知っているだけで、安心した気分になれる。

[いずれも上野千鶴子/おひとりさまの老後より]

Posted by nob : 2012年03月04日 12:39

似て非なるもの Vol.41

許容と肯定

Posted by nob : 2012年03月04日 12:27

馬淵氏の超党派での活動推進に期待します。。。

もはや絶望的とも思えていた政界において

久しぶりにほっとできた話題でした。。。


■2012.2.21 馬渕澄夫衆議院議員 記者会見
http://www.youtube.com/watch?v=qGe_SVSqlrM

過ぎたこととはいえ、馬淵氏在任時に、メルトダウンなしとの前提を信じてしまったことは、原子力について少し学べば素人でも容易に想像できることであり、また当時一部の専門家の間でもメルトダウンを指摘する声は少なくなかったのですから、責任者としての資質はどうしても問われてしまいます。

今後の活動方針の上でも、脱原発依存から一歩進めて、脱原発を提唱していただきたいと思います。原子力の安全管理は、決して担保できるものではないことも、少し学べば、そしてこれまでの経緯と現状を鑑みれば、誰もが容易に理解できることなのですから。。。


関連して

↓一回り半も歳下ながら敬愛する友人からのメールの抜粋です


今日の東京新聞もいいです。

先日も馬淵さんのことも大きく取り上げていましたし、
今朝は、核再処理は使用済み核燃料から15%しか(1%プルトニウム/14%ウラン)mox燃料に利用できない、
と言われていたのですが、なんと真実はプルト1%のみ。
14%ウランは精製すらできず、海外から輸入していると。
原子力サイドも経産省も根拠ない数字の責任をなすりあっていて、
結局誰も数字の根拠がないことがわかったらしい。

文科省の高木大臣たちは、
は去年3/15の時点で放射能拡散を知らせるスピーディーを、
放射能が関東と東北に広がる予想を出してることに対して、
「これはとっても国民に公表できない」と判断したらしい。

その結果、飯館はじめたくさんの被曝、
関東も多く被曝。

これは長期的殺人。

だれが責任をとるのか???

両方とも東京新聞の調査でわかったそうです。

いいねいいね(^^)



■2012.2.29 塩崎恭久衆院議員・国会事故調に関する記者会見
http://www.youtube.com/watch?v=kYeHPzHRdXI

Posted by nob : 2012年03月03日 10:49

世界の広さを知ってのことなら、、、

井の中の蛙でいたっていい。。。

Posted by nob : 2012年03月02日 17:37

限りを付けたのでは、、、

許したことにはならない。。。

Posted by nob : 2012年03月02日 17:35

斬新かつ合理的、、、そして公平。。。

■橋下徹氏が手に入れた
「ベーシックインカム」という新兵器

「維新八策」に仕込まれた武器

 もともと弁舌が巧みで論争に強い橋下徹氏が、新たに強力な論争用の武器を手に入れた。それは、「ベーシックインカム」だ。

 ベーシックインカムは、最低所得補償の一種で、政府が全国民に一律に一定額の現金を、無条件で配るという政策だ。単純で一見荒唐無稽に見えかねない政策なのだが、多角的な批判に耐える合理的な政策だ。筆者は、ブログや雑誌の原稿で何度かベーシックインカムを取り上げたことがあるが、どんな批判に対しても簡単に反論できるベーシックインカムの合理性を伴った切れ味に、内心驚いた経験を持っている。この武器をあの橋下氏が使いこなすようになると想像すると、なかなか楽しいものがある。もちろん、彼と対立する人達にとっては厄介な状況だ。

 さて、大阪の知事・市長ダブル選挙に大勝して勢いに乗る橋下徹氏率いる維新の会が、同会の基本政策として示した「維新八策」が注目されている。維新八策には、まだ詳細が発表されたわけではないが、「TPP交渉参加」、「日米同盟重視」といった現実的な政策から、「首相公選」、「参院廃止」のような実現へのハードルの高そうな政策までが並んでいるが、国民生活の視点からは、年金制度の改革を含む社会保障政策が注目に値する。

 前述のように、維新八策はまだ詳細な具体像が明らかになったわけではないが、維新の会の社会保障改革案は、「積立方式」、「掛け捨て年金」、「ベーシックインカム」の三つのキーワードを持つ。

 仮に、ベーシックインカムをベースとして(こちらの財源は税だろう)、老齢時に資産のない人を援助する追加支出部分を年金保険(掛け捨て年金)として持つようなセーフティーネットを作り、自助努力のための積立方式のフェアな年金制度を併せて用意しよう、ということなら、年金財政、世代間格差、年金を含む社会保障行政の非効率性など多くの問題が解決する。社会保障改革は、維新八策の中でも、是非実現したい目玉政策だ。

 ツイッターで橋下氏の発言を追うと、ベーシックインカムが、役人の裁量を無くして、行政をスリム化する強力な武器であることを既に十分理解しているようだ。「ベーシックインカムが成立すれば(これは不可能な政策と言われています)、年金制度、生活保護制度、失業保険制度などを失くす可能性を考えることができる。それにまつわる組織が不要になるのです」(2月15日のツイート)といったツイートがたびたび登場する。なかなかいい調子だ。

ベーシックインカム批判に対する「傾向と対策」

 橋下氏が「不可能な政策と言われています」と言っているように、ベーシックインカムは極めて実現しにくい政策だろうと筆者も思う(理由は後で触れる)。

 しかし、ベーシックインカムは、論理的にも実現性の上でも優れた政策であり、特に政策を評価する上での「補助線」として優れた働きを持っている。その意味を簡単にまとめると「非裁量的で効率的な経済力の再分配によるセーフティーネット」だ。

 無理解なままこれを批判しようとすると、逆に、スッパリ斬られてしまうことになる。あの橋下氏相手にそんな目に遭うと、さぞや悔しいに違いない。

 以下、ベーシックインカムの賛成派のためにも、また、批判者のためにも、ベーシックインカムについて論点となるポイントについて、批判に対する反論の形で、触れてみたい。

批判1:ベーシックインカムは究極のバラマキだ

 ベーシックインカムは、全国民に一律に一定額の現金を配る政策(「負の人頭税」と呼んでもいいだろう)だから、確かに、現金を「ばらまく」ことには違いない。民主党の子ども手当を、官僚・マスコミ・政治家が「バラマキ」と批判することによって、寄って集(たか)って潰すことに成功したように、現金を無条件で配ることには抵抗感を覚える人が多い。

 この場合「ベーシックインカムは確かにバラマキですが、そもそも社会保障は富の再分配なのだからバラマキの性質を持っています。それなら、均等にばらまくのと、条件がややこしくて官僚や政治家が決める補助金のような偏ったバラマキと、どっちがいいでしょうか?」と穏やかに問い返すといい。そして、「究極のバラマキとは、むしろベーシックインカムに対する褒め言葉でしょう」と付け加えよう。

批判2:お金持ちにも現金を払うのはムダだ

 これは、先のバラマキ批判の続編としてありそうな批判だ。

 ベーシックインカムが富の再分配になるのは、その財源負担の差を通じてだ。子ども手当の議論の際に、「ハトヤマさんのような大金持ちの子どもにも手当を支給するのか」という近視眼的な議論があったが、ハトヤマさんは、たくさん納税しているから(そうでないとしたらベーシックインカム以外の問題だ)、ベーシックインカムが支払われても、制度全体としては富の再分配になっているのだ。この「負担と受給をトータルで考える」点が、ベーシックインカムを考える際の急所の一つだ。

 豊かな人にまでお金を配るのは、確かにムダな面があるから、一回は頷いてあげてから、次のように反論するといい。「お金持ちにもお金を配るのは確かにムダなのですが、所得や資産で支給の有無や額を調整すると、膨大な手間が掛かって、行政コストが掛かることになります。税金の支払いとベーシックインカムの受け取りの効果をトータルで見るといいのであって、支給の際の手続きを複雑にしない方が、役人につけ込まれる余地がなくていいですよ」

 相手が、徴税の際には所得や資産を把握するではないかと食い下がるようなら、「正しくてフェアな徴税は大切です。納税者背番号制の導入と、歳入庁の設立を早く行って、ベーシックインカムの受け取り額と税金の支払額を差し引き計算してやりとりできるようになると、余計な振り込み手数料を掛けずにすみます」と折り合いながら、納税者背番号制と歳入庁設立(厚労省の効率化と、財務省の権限分割のためにも重要だ)をついでに訴えるといい。

 なお、お金持ちでない人がベーシックインカムを受け取ることの長所は、生活保護申請に伴う面倒な手続きや「恥」の感情を経験せずに済むことだ。また、現下の制度で、生活保護を受給するために行う、ごまかしや駆け引きも不要(無効)になる。

批判3:ベーシックインカムよりも負の所得税の方がいい

 所得に対する税制として、ベーシックインカムと負の税率もある所得税のトータルな効果は同じだ。

 たとえば、所得税率を30%と仮定して、2人家族1世帯の年間所得(ベーシックインカムを除く)が400万円だとしてみよう。この場合、年間納税額は120万円だ。一方、仮に「一人、一月、5万円」のベーシックインカムが同時にあると、年間に120万円になるので、この家族の年間可処分所得は 400万円だ。この家族の年収が500万円になれば可処分所得は470万円になるし、300万円になれば330万円になる。

これは、所得400万円を境にして、税率30%で正・負両方の所得税(負の所得税には「給付付き税額控除」という冴えないネーミングもある)があるのと同じ効果だ。

 先ず、「負の所得税と、ベーシックインカムは、トータルな効果を見ると、同じことですよ」と親切に教えてあげたらいい。

批判4:働かない人にお金を配ると、労働意欲が損なわれる

 ベーシックインカムに対する直感的な批判として、最も多いのは、たぶんこれだ。

 実際にはあり得ないことだが、確かに、働かなくても十分余裕をもって暮らせるだけの金額をベーシックインカムとして配るなら、労働へのインセンティブが減ってしまうかも知れない。

 しかし、先の数値例でも分かるようにベーシックインカムの支給額がセーフティーネットの範疇に入る限り、「働いて稼げば、それだけ多く使える」し「働かなければ、使えるお金が減る」というインセンティブの構造に変化はないから、多くの能力とやる気のある人は働くはずだと反論できる。

 誰もが働かなくてもいいほどのベーシックインカムを配る実力は、当分の間、日本経済には存在しないだろうから、労働意欲の心配をする必要が残念ながらないのが現実だ。

 議論をする上で注意が必要なのは、「ベーシックインカムで働かなくなるような者は、どうせ稼ぐ能力がない奴なので、そんな奴が働かなくても、何ら痛手ではない」といった暴言を吐かないことだ(一面の真理ではあるが、我慢せよ)。

 時には稼ぐだけではなくて、別のことをして暮らす選択肢を社会が支える、いわば社会が作る「余裕」を形にしたものがベーシックインカムだ。働かない人にも優しくすべきだし、「働かざる者、食うべからず」的な強制を言うべきではない(「働かない者は、死ね」とは言わない方がいい)。もちろん、働く機会を作る経済政策は、ベーシックインカムが存在しても重要なことだ。

批判5:ベーシックインカムは、働かない母親のパチンコ代になる

 ベーシックインカムは使途制限しない現金給付だから、何にでも使える。子ども手当が議論になった時にあったように、「子どもの教育費でなく、母親のパチンコ代に使われるのではないか」といった揚げ足取りはあり得る。

 これに対しては、「パチンコ上等!もし、パチンコ代がいけないなら、そもそもパチンコを規制すればいい。カネの使い道に、国や役人が干渉するのは余計なお節介だ」と言えばいい。

 単純な現金給付は、役人の利権になりにくいのだ。

「保育園が不足しているので、この解消にお金を使って欲しい」といった要望もあり得るが、これに対しては、「規制を緩和しますから、必要があれば民間で作って下さい」と言えばいい。

批判6:ベーシックインカムは、少額の現金給付をエサにして、福祉をめしあげようとする(新自由主義者の)陰謀だ

 手厚い年金や生活保護、あるいは労働者の権利保護などを通じて、楽に暮らしたいと思う人は、ベーシックインカムに対して、ここで挙げたような警戒感を持つことがある。もともと相手が喧嘩腰なので(特に「新自由主義」という言葉を使う人は)、派手に喧嘩したくない場合には注意を要する。

 筆者の思うに、この種の論者に対しては、先ず、ベーシックインカムが、富の再分配の必要性を認めた「優しい制度」であることを強調し、加えて、再配分の方法としては行政の裁量が絡まず、効率的であることを納得してもらおう。その上で、可能であるなら金額が大きくてもいいことを述べてみたらいい。

 実際、どのくらいの大きさのベーシックインカムが適当なのかは、負担と受給のバランスを見ながら、社会が決めて行く問題だ。

 筆者は、「国民一人、一月、5万円」くらいのベーシックインカムが適当で、これに老齢の加算(70歳以上、月3万円くらいか)、障害の際の特別給付くらいがあればいいのではないかと思っている。月5万円は、年間で約75兆円になるが、これは、現在の公的年金、生活保護、雇用保険などを合わせた給付額に、消費税数パーセント相当額程度を加えただけのものなので、財源的には十分実現可能だろう。しかも、多くの家計で、ベーシックインカムの収入と税金の支払いが相殺されるので、実質的なやりとりは見かけほど大きくない。

 受給と負担の関係をよりリアルに選択してもらうためには、ベーシックインカムの基本部分(たとえば3万円とか5万円とか)だけ国が支払い、上乗せ部分を道州制がしかれた地方が独自に決めてもいい。そのかわり、消費税は地方に財源として渡して、消費税率も地方毎に決めたらいいのではないか。

 これなら、住民が、高負担・高福祉を選ぶこともできるし、低負担・低福祉を選ぶこともできる。税率やベーシックインカムの額が不満なら、住む地域を変えることもできる。

批判7:ベーシックインカムは、日本の仕組みを壊してしまう!

 ベーシックインカムは社会保険庁や年金基金の仕事、生活保護に関わる自治体の仕事、よく言えばきめ細かな、悪くいうと複雑で裁量的な補助金の数々を、単純な現金のやりとりに置き換えてしまう。

 この効果については、橋下氏も気がついているだろうが、この効果こそがベーシックインカムの実現を難しくしている真の理由だ。決して、インセンティブや財源の問題などではない。

 既存の官僚組織は、総力を挙げてベーシックインカムの導入に対して阻止にかかるだろう。子ども手当の経緯を見ていると、官僚集団の外郭の応援団であるマスメディアも批判側に加担する公算が大きい。

 筆者は、この理由によってベーシックインカムの実現は難しいと「予想」しているが、それで全てをあきらめている訳ではない。個々の政策を、ベーシックインカムと比較しながら、評価していけばいいと考えている。

 たとえば、負の所得税(あるいは給付き税額控除)をやるというなら、これはベーシックインカム的な政策だから賛成すればいいし、そのための仕組みはもっと単純化した方がいい、と付け加えるといった具合だ。

 もちろん、民主党も自民党も国民からの信頼を失っているし、年金財政は抜本的な対策を必要としているから、ベーシックインカムそのものを導入する可能性を考えても悪くない。

 但し、その場合には、既存の官僚を相当程度置き換えることができる人的な戦力を準備した上で、改革の戦いに臨む必要があるだろうし、クビにした官僚の受け皿もある程度考える必要があるだろう。政治・行政の改革が、一面では戦いであり、別の一面では経営の問題であることを思えば、当然のことだ。それこそ、明治維新のような覚悟と戦略、戦力をもってこの戦いに臨んで欲しい。

[DIAMOND online/山崎元のマルチスコープ]

Posted by nob : 2012年03月02日 17:21

すべての国土問題は痛み分け以外に解決の途はない。。。

■北方領土「最終決着させたい」 プーチン首相が会見

 ロシア大統領への返り咲きが確実視されているプーチン首相が1日夜(日本時間2日未明)、モスクワ郊外の首相公邸で朝日新聞の若宮啓文主筆ら日欧などの主要紙編集トップと会見した。日ロの懸案である北方領土問題について、柔道家として「引き分け」という日本語を使い、相互に受け入れ可能な妥協点を探り、「最終決着させたい」と表明した。

 プーチン氏が日本について本格的に語るのは、2009年5月に首相として訪日した時以来となる。大統領1期目の00年9月には、ロシアの最高指導者として初めて、歯舞・色丹の2島引き渡しに言及した1956年の日ソ共同宣言の有効性を認めている。

 プーチン氏は、この日も56年宣言に言及し、「我々はゴルバチョフ・ソ連大統領が遂行を拒否した56年宣言に戻る用意をしたが、日本側が『四島』を言い出して全てが最初の地点に戻った」と指摘。その上で、「我々が前進できるような接点が見つかることを期待する」と述べた。

 さらに、「日本との領土問題を最終決着させたいと強く望む」とも主張。解決策は、貿易や投資といった経済分野などの相互協力を拡大する中で見つかるとし、領土問題が後ろに引っ込むような状況が必要だと強調した。

[朝日新聞]

Posted by nob : 2012年03月02日 14:02

愚作の極み、、、放射性物質の全国拡散。。。

■東京都 女川のがれき本格受け入れ…清掃工場へ搬入
女川のがれき本格受け入れ 女川町の震災がれき

 東京都は2日、東日本大震災で発生した宮城県女川町のがれきの本格受け入れを始めた。都の震災がれき受け入れは岩手県宮古市に続き2カ所目。2013年度までに両県から計50万トンのがれきを受け入れる計画だ。

 この日は木くずなどを収めたコンテナ9個が、貨物列車でJRの東京貨物ターミナル駅(品川区)に到着。トラックに積み替えられ、中央区の清掃工場に搬入された。

 工場では、がれきをコンテナから一般ごみの一時貯留設備に移す作業が行われた。明日にも焼却が始まる見通し。

 清掃工場の前では2日朝から、がれきの受け入れに反対する都内や埼玉、千葉両県の住民ら約15人が「住民への説明が不十分だ」「被災地で処理すれば雇用が生まれ、支援にもつながる」などと訴えた。

 都は昨年12月、女川町のがれきを一般ごみと一緒に試験焼却し、焼却灰や排ガスの放射性物質濃度に問題がなかったため、本格的な受け入れを決めた。

[Sponichi Annex]

Posted by nob : 2012年03月02日 13:56

10CC

ten thousands miles away from you...
telephone line is the life line...♬

久しぶりの友人に連れられて入った店で流れていたずっと昔に流行った曲

そこにまた久しぶりの別の友人からのメールが

考えてみればそのどちらの友人とも

お互いの携帯番号とメールアドレスしか知らない

共通の友人もいない

だからどちらかに何かあってもお互いに知る由もない

まさにcellular phone is the life line...♬

遠いようで近い、、、

近いようで遠い、、、

でも今確かにここにあるそしてこれからも続いていくこの関係。。。

Posted by nob : 2012年03月02日 00:53