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病は自らの心がつくりだすもの、、、進むも戻るも自らの心の持ち様次第。。。Vol.2

迷いも不安も悩みも苛立ちも

悲しみも喜びも

自分自身が頭の中で勝手につくりだす幻想にすぎない

目の前の現実はたった一つ

自らがどう捉えようともその実は何も変わらない

Posted by nob : 2013年08月31日 22:35

真実は武力をも制する。。。

権威を疑い

自分自身で考えることから、、、


真実は与えられることはない

与えられる教育よりも自ら学びとる努力こそが真実を知る鍵。。。

Posted by nob : 2013年08月31日 15:18

愚行暴挙の極み。。。

■日本の支持を要請…米、シリアに軍事介入の場合

 【ワシントン=今井隆】米政府が日本政府に対し、シリアへの軍事行動に踏み切った場合には、速やかに支持を表明するよう求めたことが30日、分かった。

 日米関係筋が明らかにした。米政府としては、同盟国である日本など各国から幅広い支持を取り付けることで、国際社会に軍事行動の正当性を訴える狙いがある。

          ◇

 自民党の石破幹事長は31日午前、米国がシリアに軍事介入した際の対応について、「米国からきちんとした説明を受け、国民にも説明できれば、行動を支持することが必要だ。得心すれば、支持する選択を安倍首相はするのではないか」と述べた。鳥取市内で記者団の質問に答えた。

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年08月31日 14:54

それにしても感性豊か。。。

■ヤグる・俺足族・やばば⇒流行りのギャル語どれだけ知ってる?

若い女性の言葉、いわゆるギャル語。最近ではネットを使うギャルが多いことから、もうネットスラング化しているギャル語がたくさん出現しています。そこで、よく見かけるギャル言葉をピックアップしてみました! あなたはいくつ、わかりますか?

■「いつやるの?」→「後でしょ」

今年流行した「いつやるの?今でしょ」の逆言葉。使い方は「いつやるの?」の返信に「後でしょ」と返すようです。

■「俺足族(おれあしぞく)」

ジャニーズのグループKis-My-Ft2(キスマイフットツー)、略してキスマイのファンを意味する言葉。キスマイフットツーをそのまま訳すと、俺の足にキスしろという意味になることから、「キスマイ」→「俺足」となり、ファンを意味する「族」がついたと言われています。

■「KS」

LINEでメッセージが既読なのに、返信がない状態のこと。

■「激おこぷんぷん丸(げきおこぷんぷんまる)」を含む、怒るの6段活用

どの位怒っているのかをあらわす、ギャル語の怒る6段活用のうちのひとつ。「おこ」→「まじおこ」→「激おこぷんぷん丸」→「ムカ着火ファイヤー」→「カム着火インフェルノ―ォォォォオオウ」→「激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム」と、怒りのレベルによって使いわけるみたい!?

■「ぁ、ぃ、ぅ、ぇ、ぉ」、「ゎ」などの小さいひらがな

ギャル文字とも呼ばれる、文字遊びの一種。また漢字を分解するバージョン(「神」→「ネ申」など)があったり、文字を記号に置きかえるバージョン(「た」→「T=」)もあります。

■「つらたん」

具合が悪い時や、寂しい時、つらい時に使う言葉。

■「ふぁぼる」

ツイッターのつぶやきを、お気に入り登録すること。

■「フォロバ」

ツイッターのフォローバックの意味。

■「ヤグる」

タレント矢口真理さんの、ワイドショーをにぎわせた事件にちなんだ言葉。浮気を彼氏に目撃されることを指す。

■「やばば」

「やばい」の造語。「ば」の数が多ければ多いほど、やばさが大きいことを意味する。

■「ヤラカシ」

アイドルのプライベートを追う、行き過ぎたファンのこと。

■リア垢

リアルアカウントの意味。

■「笑笑」

ネットで使う「w」を「笑」に換えたもの。「w」は嘲笑する時にも使われるが、「笑」は「ニコ」や「クス」位の笑いをあらわすために使われたり、「w」に抵抗のある人が使ったりするとか。

まだまだ若い女性がつくりだす、新語や造語はたくさんあります。とりあえずは意味を知っておけば、相手が何を言っているのかはわかるかも!? 次世代の人々との、未知なるコミュニケーションに、ぜひ利用してみてはいかがでしょうか?

[マイナビウーマン]

Posted by nob : 2013年08月31日 11:57

自ら使わなくとも相手を理解するうえで決まった言い回しを覚えることは不可欠。。。

■「かまわない」と伝えるには
どうしたらいい?

『もし海外出張まで、あと1カ月しかなかったら!?ビジネス英語4週間集中プログラム』の著者、大島さくら子さんが教える、ビジネス英語のミニレッスン。今日も役立つフレーズを紹介します。

英語嫌いでも大丈夫!

 突然ですが、みなさんは英語が好きですか?
 私は企業研修も担当していますが、よく「私は英語が嫌いなんですけど大丈夫でしょうか」と、心配そうに訴えてくる方がいます。
 上司の命令や昇格試験のために無理やり参加している方もいるからです。

 私はそんな方には、「英語が嫌いでもまったく構わない」と答えています。
 確かに英語が好きな方が学習意欲が湧きやすく、楽しいと思う気持ちに早くなれるでしょう。

 でも、そうでなくても、「英語で交渉をバリバリやっている自分」「スマートにプレゼンをこなす自分」「辞書を使わずに自由自在に英文メールを書いている自分」など、英語を駆使してビジネスをしている自分の姿を強くイメージすれば、モチベーションは上げられます。

 気持ちが萎えそうになったときは、みなさんも、自分の未来の姿を思い浮かべて乗り切っていきましょう!

「かまわない」のさまざまな言い方

 では、今日のレッスンを始めましょう。

 「パーティに参加できないかもしれない」と申し訳なさそうに相手に言われたときに、「参加できなくても問題ないですよ→かまわないですよ」と伝えるつもりで、

 I don’t care if you can’t join the party.

 と言ったら、相手はどんな気持ちになるでしょうか。

 care ~は、「~を気にする/かまう」という意味ですが、do not careは「かまわない」というよりも「気にしない」という意味合いを持つので、どちらかと言うと「どうでもいい」という、相手を突き放す投げやりな印象を与えてしまいます。

 つまり、「あなたがパーティに参加できなくても、どうでもいいです」と伝えてしまっているのです。

 相手を思いやって「かまわない、嫌ではない、どちらでもいい」と言う場合は、mind~「~を気にかける/心配する/かまう」の否定形、do not mindを用います。

 つまり、前述の文は、

 I don’t mind if you can’t join the party.

 に直せばOKです。他にも、

 They said they didn’t mind hard work.
 「彼らは重労働をいとわないと言いました」
 I hope you don’t mind if I call you by your first name.
 「あなたをファーストネームで呼んでもかまわないといいのですが」

 のように使うことができます。

 ちなみに、mindを命令形で用いると「注意を払う、留意する、気をつける」という意味になります。
 ロンドンの地下鉄でよく聞く有名なフレーズの”Mind the gap.”は、「電車とホームとの間の隙間に注意してください」とアナウンスしているのですね。

 なお、

 It doesn’t matter either way.「どちらの方法でもかまいません」

 のように、It doesn’t matter ~「~してもかまわない」を用いた表現もありますが、これは「大した問題ではない、どちらでもいい」という意味で、do not careとdo not mindの中間のニュアンスとなります。

 その他、

 I’m open.「私はオープンです→かまわないです」
 Fine by/with me.「私はかまわないです」

 という決まった表現もあります。

やる気が出ないときの処方箋

 それでは、最後に今日の一言です。今日は、ディズニーランドの生みの親、ウォルト・ディズニー(Walt Disney)の名言です。

 The way to get started is to quit talking and begin doing.
 「スタートを切る方法は、しゃべるのを止めて動き始めることだ」

 やらなくてはならないことはわかっているけど、なかなかエンジンがかからない、やる気が起きないということは誰にもあります。
 英語があまり好きでない、苦手だな……という方は英語学習にやる気が出ないということもあるでしょう。

 でも、「やる気」はじっと待っていれば、どこからかやって来るというものではありません。

 やる気が出ないときは、とにかく始めてみること。
 英語のテキストを広げてみる、ニュースを聞いてみるなど、やり始めることで、やる気は起こってきますよ。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月31日 09:59

政府の愚行暴挙を諌めんとするこれからの国民の理性に期待。。。

■安倍政権を急失速させる!?
「4つの強行」に不安が募る

 このまま安倍晋三政権が(1)消費増税の予定通りの実施、(2)原発の全面的再稼働、(3)集団的自衛権行使のための憲法解釈の変更、(4)TPPの年内合意を強行すれば、おそらく内閣支持率は遠からず大幅に急落して政権運営がきわめて困難になるに違いない。

 これらはほぼ同時進行で進んでいるので、今年末が大きな山場となるだろう。

 確かに安倍政権は、衆参の安定多数を基盤として政策も法案も思いのままに通すことができるように見える。だが政治は決してそういうことにはならない。安定多数であっても支持率が30%を割れば、政策も法案も暗礁に乗り上げて一歩も進むことができなくなる。自民党内、与党間に亀裂が起こって内部抗争を生み、内閣が漂流することにもなりかねない。

 私もそうだが、安倍首相への期待感は、やはり「成長と改革」にある。未だその期待は消えたとは言えないが、前述4つの強行によってたちまち色あせてしまうだろう。

「国益のため」という言葉ほど
いかがわしいものはない

 問題は、この4つの推進力になっているのが政治ではなく行政であり、政治家ではなく官僚だということが日増しに明らかになってきていることだ。

 すべては「国益のため」と強調されるが、この国益という言葉は実にいかがわしい言葉だ。むやみに“国益”を標榜して強行しようとする人は、そのほとんどが省益などの“組織益”のために動いている。

 一体、国益と言っても、目先の国益と長期的な国益には大きな違いがあり、それどころかしばしば逆の場合さえある。

 今回のTPP交渉についても、来年の中間選挙を見据えて年内合意にこだわる米国に追随。普天間問題のマイナスをカバーしたり、尖閣問題への支援を期待しているように見える。

 だが、譲歩を重ねたTPP参加は、日本の産業構造や経済構造はもちろんのこと、国土の構造や生活、文化まで大きく変貌させるものである。そんな国のかたちを変える重大な案件について、十分な検討をしたのか、その覚悟はあるのか。

 TPP参加は、一部の人たちに、あるいは一時期限りの利益をもたらすに過ぎない恐れがある。だから拙速に対応せず、あくまでも将来の国家経営を考えて百年の計のもとに時間をかけて進めるべきだろう。

与党の存在感がない一方で
前面に現れる“官僚”の存在感

 直近の世論調査は、4つの強行に対して“否”とする人が増え続けている。もっと切迫すれば、もっと世論は先鋭化するだろう。

 官僚組織には、省益と結びついた悲願とも言える課題がある。それらは、安定政権が出現すると、この時とばかり“国益”の名においてゴリ押しされてくる。4つの強行論にはその色合いが濃い。

 消費増税についての“有識者”の意見聴取が始まったが、本質的には集団的自衛権についての有識者会議などと手法は同じである。

 一体、自民党はどうなったのか。与党はどうしているのか。有識者の意見を聞くなら党が中心となって聴けばよいではないか。4つの重要課題について与党の存在感がなく、官僚、学者、専門家が前面に出て来過ぎている。その人選は官僚主導によるものだろうから、“有識者”の活用はほとんど特定の方向への誘導作戦であろう。

 そもそも、“官邸主導”は“官僚主導”になるのが常である。

 そして、その失敗の責任は他でもない首相個人に帰せられることになる。

 首相は民意を背景にした与党の力をもっと重視する必要がある。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月31日 09:44

結局は自らのその時々の気持ちを自らの言葉で英作文していくしかない。。。

■「わからない、知らない」
と伝えるにはどうしたらいい?

『もし海外出張まで、あと1カ月しかなかったら!?ビジネス英語4週間集中プログラム』の著者、大島さくら子さんが教える、ビジネス英語のミニレッスン。英語が必要な場面に遭遇したときに役立つフレーズを紹介します。

ビジネスで「I don't know.」と言いたいとき

 連載2回目の今日は、「わからない」と伝える言い方です。
 質問に対して答えられず、「わかりません/知りません」と伝える際、つい、I don’t know.と言ってしまいがちですが、これはぶっきらぼうで、相手を突き放した感じがあるので気をつけましょう。

 I don’t know.ではなく、I’m not sure.を用いると「確信がもてないのですが」「わかりかねます」「定かではありません」と丁寧なニュアンスで相手に伝えることができます。

 わからないことがらが何かを説明する場合は、I’m not sureのあとに、about~「~に関しては」を続けます。例えば、

 I’m not sure about the source of information.「その情報源はわかりかねます」

 あるいは、疑問詞〈where/when/which/what/why/how + 主語 + 動詞〉、または、〈if + 主語 + 動詞〉の構文を用いて、確信の持てないことがらを説明します。例えば、

 I’m not sure what the problem is.「問題が何なのかよくわかっていません」
 I’m not sure if we can make it at this point.「今の段階では実現できるかどうか、定かではありません」

 などと言います。

 もし、I don’t knowを使うのであれば、I’m afraid、Unfortunately、I’m sorry, but「申し訳ございませんが」の一言を文頭に付け加えましょう。ワンクッション置くことで、だいぶやわらかな印象になります。

Do you know~? にプラスするといい言葉

 また、「~をご存じですか/知っていますか」と聞くとき、まず思い浮かぶのは、Do you know~?という表現ですが、これには「当然、知っていると思うけど」という意を含む場合があり、相手に不快に思われたり、あるいは知らなかった場合、相手はNo, I don’t.とは言いにくくなることがあります。

 そこで、happen to「たまたま/偶然~する」というフレーズをknowの前に挿入して、
大島さくら子先生の最新刊『もし海外出張まで、あと1カ月しかなかったら!? ビジネス英語4週間集中プログラム』。28日間で文法、リスニング、スピーキングを鍛えます。

 Do you happen to know~?

 とすると、「ご存じないかもしれないのですが」というニュアンスが加わります。丁寧かつ控え目な疑問文になるので、相手の気分を害することはありません。

英語でキャリアアップを目指すなら

 さて、今日の3分間レッスンはこれで終わりです。
 ここからは、英語学習について私の体験を交えてお話します。

 現在、英語を使って仕事をしている私ですが、日本人の両親の元、日本で生まれ育ち、通常の教育を受けてきました。最初に卒業した短大も英文/英語科ではなかったし(というか、英語科は受験で失敗…)、特別に英語が得意だったわけではありません。
 卒業後は、3年間、ある日本企業の人事部に勤め、英語を仕事にしようと決めて本格的に勉強を始めたのはその後です。

 ですから、社会人になったあとで英語をマスターしてキャリアアップしようとされている方の気持ちはよくわかります。

 そんな方にアドバイスするとしたら、それは「具体的な目標を立てること」です。
 「英語力を身につけて何をしたいのか」ということをできるだけ明確に書き出すといいと思います。

 「英字新聞を辞書なしで読めるようになる」「電話会議において、相手の発言が理解でき、自分でも発信できるようになる」「映画を字幕なしで理解でき、楽しめるようになる」など、目標が具体的であればあるほど、達成しやすくなります。

 また、「TOEIC®でBランクの730点を超える」「英検1級を取得する」など、資格試験に挑戦するのも有効な手段です。

 英語力は目に見えず、「だいぶわかるようになってきた」と自分で実感することも、実はあまり多くありません。
 大半の受講生が「本当に伸びているのでしょうか」「実力がついているとは思えません」などと、学習過程で不安感をつのらせていきます。

 私も同じでした。そこで、TOEICと英検を受験することで、自分の英語力の伸びを確認していきました。
 何年かかけて、英検2級→準1級→1級と取得。TOEICも700点台の後半から800点を超える、超えたらAランクの860点を超える、その次は 900点台に乗せる、さらに960点の壁を超える、そして満点を取るなど、かなり細かくゴールを設定して、達成するまで何度も受験をしました。

Adversity is the best school

 さて、最後に本日の一言です!

 Adversity is the best school. 「逆境で人は成長する」

 直訳は「逆境は最良の学校である」ですが、「逆境で人は最も学ぶ→人は成長する」になります。

 英語学習で「逆境」は大げさかもしれませんが、それでも資格試験など目標を定め、一つ一つクリアしていくのは大変なことです。

 でも、これが一生続くわけではありません。英語ができるようになった自分をイメージしながら、逆境を乗り越えてください。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月30日 20:00

それぞれ自立した、あるいは目指す二人が、お互いに強調し合わんとするのが本来の結婚の形。。。

■結婚は「認められる人」だけができる時代!?
独身者が陥る“承認不安スパイラル”の正体

「強迫観念にとらわれたかのようにメールの返信を急ぐ人」、「Twitterで他人のツイートをパクる人」、「ランチを一緒に食べる友達がいないと思われるのがイヤで、トイレでご飯を食べる人」、「せっかく一流企業に入ったのに辞めて、所得を減らしてでも自分らしい職場を探す人」……。

オジサンには一見不可解な現代の若者に特徴的なこれらの行動。こうした行動を駆り立てる原因を探っていくと、彼らの「認められたい」という思いに行きつくことが少なくない。現代において若者を悩ませる最大の問題は、経済的不安ではない。「認められない」という不安なのだ。

一方で、若者でない世代も含めて、日本に蔓延する閉塞感の正体を探る意味でも「承認」、さらに「承認格差」は、大きなキーワードだと考える。この連載では、経済的な格差に苦しむよりも深刻かもしれない、「“認められない”という名の格差」を考えていこうと思う。

結婚していないと不幸になる?

独身者が抱える「2つの承認不安」

 経済的な格差よりも深刻かもしれない、「承認格差」、「認めてもらえない不幸」とは何か。

 前回、「承認」には3つの種類があることを紹介した。それは、承認を得たい・得られる他者(相手)との関係性によって、以下のように分けることができる。

<1>親和的承認(主に家族や恋人など、親和的な関係から得られる承認)
<2>集団的承認(職場や学級など共通の目的を持つ集団のなかから得られる承認)
<3>一般的承認(広く社会一般から得られる承認)

 この3つの概念は、今後ちょくちょく登場することになるので、ご理解いただきたい。

 今回は3つのなかでも「親和的承認」について考えていこう。取り上げるテーマは、家族が現代社会でどのような位置に置かれているか、だ。

 言うまでもなく、「家族」とは、社会における最小の集団であり、最も濃密な関係を得られる他者である。他のどんな人間関係をもってしても、家族を越える親密さは得づらい。ゆえに、家族による承認を考えることは、「承認」を考える最初の一歩となるだろう。

 現代社会では、家族というフォーマットが、社会全般に機能しなくなっていることが問題として挙げられる。例えば、生涯未婚率(50歳時点で未婚の人の割合)の増加である。2013年の「少子化社会対策白書」のなかで、男性の生涯未婚率は20.14%、女性のそれは10.61%と発表されている。つまり男性の5人に1人、女性の10人に1人が、50歳まで未婚で過ごしているというのだ。そして、この数字は年々上がっている。これは、あなたの周囲の結婚事情を考えても、実感が持てる数字ではないか。

 この状況は、承認というキーワードに照らすと、二重の問題をはらんでいることがわかる。1つ目は、単純に家族からの親和的承認が得られないという問題だ。そして、2つ目は、独身であることによって、周囲や社会一般から、「あの人は結婚できない可哀想な人だ」と風評を立てられることである。つまり、世間からの一般的承認も得られない。

 こうして文章に起こしてみて、自分でもこんなことをあえて書くのはばからしいと思う。そして時代錯誤だとも思う。他人からの風評なんて放っておけば良い。価値観が多様化し、女性の社会進出が職種によってはある程度進んだ世の中では、男女ともに必ずしも結婚しない幸せがあってしかるべきだ。それにもかかわらず、「親に言われるので」「周囲が結婚しているので」焦っている人が多いというのも、また事実だろう。これを“世間体”と位置づけずになんというのだ。

 生涯独身を貫く場合は、煩わしい家庭内でのやりとりがない代わりに、伴侶からの「承認」が欠如し、なおかつ世間一般からもなんとなく「負け組」というレッテルを貼られて生きることになる。本人が望む・望まざるに限らず、だ。したがって、本人の内側と外側で二重の承認不足を抱えることになる。

 こう述べると、「そんなこと、今に始まったことではないではないか。いや、世間体の圧力は昔より弱まっているではないか」という反論がかえってきそうだ。では、それに対する反論をこれからしていこう。

 僕の結論としては、確かに世間体の壁は打ち壊されつつあり、かつてほどの息苦しさはなくなっているが、その代わりに、社会で“別の問題”が生じてきているということだ。この世の中は、ある問題が解決されると、その一方で“別の問題”が生み出されるようにできている。なぜなら、完璧な社会はいまだ地球上のどの場所にも存在しないからだ。

結婚は激しい市場競争を
勝ち抜いた人だけができるもの

 結婚と年収の間に相関関係があるのは、有名な話である。内閣府が発表した「結婚・家族形成に関する調査」(平成23年3月)によると、30代の男性の場合、年収が600万円以上の場合の既婚率は37.6%、500万円台が35.3%、400万円台が29.4%、300万円台が26.5%、300万円以下の人は9.3%と、明らかに年収が高い方が既婚者が多いことになる。これは20代の男性も同様である。

 一方、30代の女性の場合は年収300万円以下の人が最も既婚率が高く(35.7%)、世代平均(30.0%)を大きく上回っている。これは、出産後に専業主婦になったり、仕事をセーブしたりする人が多いゆえに、結果的に300万円以下の層に既婚者が固まることが多いためと予測できる。300万円以上に目をやると、300万円台が17.1%、400万円台が20.0%、500万円台が23.0%と、男性ほどはっきりとした差ではないが、やはり相関関係があると言える。ただし、600万円以上になると、16.3%と再び既婚率が下がる。女性の場合、ほどほどの収入がある人が、最も結婚しやすいということなのだろうか。

 このデータが意味するところは何か。結婚とは、広い地球上で赤の他人同士が出会い、お互いの意思を尊重した結果、一生のパートナーになってほしいと思った人に伴侶としての社会的承認が与えられる素晴らしい制度である。その一方、結婚できないかもしれない人々の側から見ると、結婚とは明らかに生存のための競争であり、厳しい市場メカニズムが働く現象という、身も蓋もない結論に他ならない。

 結婚相手に求めるもの。年収、容姿、社会的なステータス…。その他様々な条件が絡み合うが、詰まるところ男女ともに、異性に対し相応の価値を求めているという点で一致している。これを市場競争と呼んで何が間違いなのだろう。

 かつて結婚相手に求めるものについて「3高」(高身長・高収入・高学歴)という言葉が流行したのは1980年代末のバブル期。このあたりから明らかに結婚は市場競争のなかに組み込まれていった。

「3高」とは、女性から相手の男性を指して評価した言葉だ。これが、女性から男性への評価だったことには、時代が感じられる。なぜなら1980年代末の時点では、多くが専業主婦になる女性の人生の幸福度は、結婚した男性に大きく依存していたからだ。一方で男性にとっては結婚相手の価値よりも自分の社会での評価を上げることが優先された。したがって、女性を評する「3高」に当たる言葉は生まれなかった。

 しかし、共働きが当たり前となった現代においては、男性にとっても、女性のパートナー選びは重要な事項になった。慎重な男性ならなおさらそう思うだろう。そうした時代背景を経て、男女ともに結婚市場競争に巻き込まれる時代になったのだ。そりゃ婚活が流行して当然だ。

結婚できない「負け組」は
“認められないスパイラル”へ

 ただ、誤解しないでほしい。僕は時計の針を過去に戻すべきだと言っているのではない。お見合い結婚が主流だった時代には、家の都合が本人達の希望より優先されたこともあったかもしれないが、それと比べれば現在は幸福な時代である。共働きする夫婦が分担して家計を担う。素晴らしいことではないか。現状の結婚のルールは、過去のものよりかなりマシなものだ。

 だが、このような性差や家柄といった旧来的な考えが後退したがゆえに、上記のような理由により、結婚したくてもできない人は結婚市場競争に負けた人ということになり、「負け組」というレッテルが貼られやすい状況になってしまうというのも事実だろう。

 認められる人はさらに認められ、認められない人はさらに認められなくなる。これが、「認められない私と認められない社会」の正体だ。

 富める人、立場の強い人、能力の高い人、コミュニケーション能力の高い人、異性にモテる人はますます認められ、貧しい人、立場が弱い人、能力が低い人、コミュニケーション能力が低い人、異性にモテない人は、ますます認められなくなる。そして、「承認されない」のスパイラルを生み出してしまうことになる。これは、まさに経済的な格差社会と、格差の固定化のメカニズムとよく似ている。

 では、この問題を解決する方法はあるか。正直なところ即解決する方法はないが、もし結婚に対してプレッシャーを感じる人がいた場合、自分がどのような状況に置かれているかを客観的に把握することが、不安を和らげる一助となるのではないか。病気を患った場合、何の病気が分からないことが最も不安であるが、病名が分かった途端に半分は解決したようなものだ。あれと同じで、まずは現状のもやっとした不安の正体を分析することから始めるのが良いかもしれない。

 まとめとしては少々乱暴かもしれないが、結婚の話題をし始めて、SNS好きの僕が最初に考えたのは、Facebookにおける「既婚」ステータスの存在である。Facebookには、既婚者と独身者を分けるステータスが登場し、任意ではあるもののその人が結婚しているかどうかが丸わかりである。

 このような、あっけらかんとした空気は、日本のSNS文化では存在しなかった。ある人に既婚か独身かを問うのは繊細な注意が必要となるが、しかし Facebookは“がさつ”に聞いてくる。「お前は結婚しているのか?」と。このようなある意味での“がさつさ”を、日本人はもっと体得しても良いのではないだろうか。

 日本の戦後はアメリカによって大きく社会変革を迎えたが、今回もまた、アメリカ人が作ったツールによって、日本文化は大きく変わるのかもしれない。

<今回のまとめ>
・何らかの事情によって結婚できない人は、家族からの親和的承認と、世間からの一般的承認、双方が得られない状況になりかねない。
・現代の結婚には市場競争のメカニズムが働いており、勝ち組と負け組がより鮮明化した。
・ゆえに、持てる人(モテる人)はますます恵まれ、持たざる人はますます不安になる。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月30日 19:47

真のマネージメント、、、至高かつ至難の業。。。

■マネジメントとは何にもましてものの考え方である
ドラッカー

「マネジメントとは何か。諸々の手法と手品の詰め合わせか。それとも、ビジネススクールで教えるように、分析道具のセットか。もちろん、道具としてのマネジメントも重要である。体温計や解剖学が、医者にとって大切であるのと同じである。だが、マネジメントの歴史、すなわちその成功と失敗の数々は、マネジメントとは、何にもまして、ものの考え方であることを教えている」(『チェンジ・リーダーの条件』)

 それでは、マネジメントとは、いかなるものの考え方か。

 第1に、マネジメントとは、人の強みを発揮させ、弱みを無意味にすることである。つまりそれは、人にかかわることである。

 第2に、マネジメントとは、それぞれの国や土地の伝統、歴史、文化を仕事に組み込むことである。つまりそれは、人の関係にかかわることである。

 第3に、マネジメントとは、組織の目的、価値観、目標を明確にしてから、周知徹底し、常時確認することである。つまりそれは、組織の目的にかかわることである。

 第4に、マネジメントとは、組織の人間を成長させることである。つまりそれは、組織の人間の訓練と啓発にかかわることである。

 第5に、マネジメントとは、意思の疎通と個人の責任を確立することである。

 第6に、マネジメントとは、マーケティング、イノベーション、生産性、人材育成、人、もの、カネ、社会的責任など、成果の尺度を明らかにして、測定し、向上させることである。

 第7に、マネジメントとは、組織の外に成果をもたらすことである。優れた財・サービスの提供によって、世の中に貢献することである。

 ドラッカーは、マネジメントを志す者は、心理学、哲学、倫理学、経済学、歴史などを身につけよという。それらの知識によって、成果を出せという。病人の治療、学生の教育、橋の建設、ソフトの設計に使えという。

「マネジメントとは、仕事である。その成否は、結果で判定される。すなわち、それは技能である。しかし同時に、マネジメントとは、人に関わるものであり、価値観と成長に関わるものである。したがってそれは、まさに伝統的な意味における教養である」(『チェンジ・リーダーの条件』)

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月27日 12:24

国民を顧みない政府へのさらなる外圧に期待。。。

■福島第1原発の汚染水封じ込め、メルトダウン以来最大の試練

 【東京】メルトダウンから2年半近く経った今、東京電力福島第1原子力発電所では、これまでにない規模の汚染水を封じ込めるため必死の努力が続いている。だが、専門家の間では、東電の対応が近視眼的だったのではないかとの疑念が強まっている。

 高濃度の放射線で汚染された300トンの水が貯蔵タンクから漏れたことを受け、日本の原子力規制委員会は21日、国際原子力事象評価尺度(INES)に基づき、この状況を、「レベル3(重大な異常事象)」に引き上げる案を公表した。また同様の漏れが起きる恐れのある急造タンクが約300基あると警告した。最高の「レベル7」に達した2011年の事故以来、初めてINESの評価対象となる事象だ。

 規制委の田中俊一委員長は記者会見で「恐れていたことが起きた」とした上で、「1分も無駄にすることはできない」と述べた。

 今回の汚染水漏れの陰にはさらに深刻な問題がある。それは、東電が2―3カ月前から原発敷地を流れる地下水をコントロールできなくなった(原子力専門家)ことだ。しかも、事態は悪化の一途をたどっている。

 東電は毎日400トンに上る放射線に汚染された水を原発建屋からくみ上げており、その保管場所の確保が急務となっている。同社は21日、保管場所をほぼ使い果たしたことを明らかにした。事故後に急ごしらえした貯蔵タンクは水が漏れ始めているが、より頑丈なタンクに移す作業は遅れている。敷地の海側では地下水の汚染レベルが急上昇し、地下の遮水壁を越えて海に流れ出している。

 オレゴン州立大学の原子力工学・放射線医学部で放射線汚染を専門とするキャスリン・ヒグリー氏は、汚染水のコントロールが出来ないことは大きな負担になると指摘。「水を管理する方法を探さなければいけない。こうした事故では、何をいつ出すかを管理できなければならない」と述べた。同氏は今年、福島に1週間滞在した。

 今のところ、外部に漏れ出た放射線レベルは比較的低い。しかし、設備の老朽化や、損傷の激しい原子炉の廃炉作業や溶け出した燃料棒の除去が大変な作業になることを考えれば、いつまでもこの状態が続く保証はないと懸念する専門家もいる。直近の水漏れで流れ出た水は放射線濃度が高過ぎ、タンクの残りの水を抜くまで原因究明すらままならなかった。

 東電は、漏れ出した水が海に流出はしていないと思うが絶対とは言えないとしている。他の原子炉にも水が溜まっており、汚染が激しく近寄れないという。その上、融けた燃料棒がどこにどのような状態で存在しているかもはっきりとは分かっていない。

 5月に設置された放射線汚染水の処理について検討する政府の専門家パネルのメンバーで、産業技術総合研究所で地下水研究グループ長を務める丸井敦尚氏は、「将来はもっと濃い、もっと汚い水が海へ出る可能性がある」とした上で、「最悪のケースを考えて行動することが大事だ」と述べた。

 この問題は、東電と同社を監視する政府の担当部局が、早期に検討しておくべき問題を放置してきたためだと指摘する専門家は多い。福島第1原発は、 40年前に川の流れを変えて建設された。このため敷地の下を大量の地下水が流れていることは明らかだったはずで、海側にどのような遮水壁を建設しても、すぐにあふれ出すだろう、と丸井氏は言う。

 長期的な廃炉に関する研究を行う新設の国際廃炉研究開発機構の理事長に任命された京都大学の山名元教授は「対応は後手後手になっている。先を見ていない」と批判、「専門家としてイライラして見ている」と述べた。

 一方、東電関係者は、同社が変わりつつあると強調する。政府と原子力規制当局は福島第1原発の汚染水問題を解決するため、3つの委員会を立ち上げた。提案の中には、原発の周囲の地下に氷の壁を作り、水が入らないようにする案も上がっている。安倍晋三首相は今月、必要な資金と支援を提供すると述べた。

 しかし、政府の関与が強まったとしても、東電や政府の対応は後手に回っており、支離滅裂で近視眼的、なおかつ遅いという批判は強い。

 21日の東電の記者会見では厳しい質問が相次いだ。原発関係の広報を担当する相沢善吾副社長は謝罪した上で、対策をしてこなかったわけではないが、何かがあってから対応するという姿勢だったことは認めざるをえないと述べた。

 経済産業省の原子力発電所事故収束対応室の新川達也室長は、ここ数カ月の間に福島第1原発の状況がいかに早く変化していたのかを、東電の監督責任がある経済産業省がもっと迅速に認識すべきだったと述べた。

 東電は巨大地震と津波により稼働中の原子炉3基がメルトダウン(炉心溶融)を起こした2011年3月の事故以来、汚染水の封じ込めに苦労してきたが、今年4月に再びこの問題が注目されることになった。汚染水を保管していた3つの巨大な地下貯水槽からの水漏れが発覚し、この数万トンの汚染水を地上タンクへ移すことを余儀なくされた。

 新川室長によると、経産省はその際、東電による汚染水の管理方法についてより厳しく監督することを決めた。その結果、東電の計画がすでに後手に回っていることが明らかになった。

 東電は約1000トンの地下水が毎日、原発の下を流れており、そのうち400トン前後が原子炉建屋を通っていると試算する。さらに毎日、メルトダウンした原子炉を冷却するため400トンの水が注入されており、これが地下水と混ざっている。東電や政府関係者によると、東電は連日この水をくみ出した上で、その半分を再利用し、残り半分を貯蔵タンクに入れている。その一方で、地下水が汚染されずに済む方法について検討を急いでいる。

 しかし、1つのプロジェクト――施設の陸側に設けた一連の井戸から地下水をくみ出し、汚染された建屋の下を通る前に地下水を海へ迂回(うかい)させる「バイパス」法――は地元の漁協から反対に遭った。漁協は福島第1原発から出た水を海に流す方法に一切反対している。新川室長によると、漁業関係者の心情を考慮すれば、事故を起こした施設により近い場所から水をくみ出す方法も成功する可能性は低いと経産省は判断した。

 経産省は5月に、20人の専門家で構成される汚染水処理対策委員会を設置した。丸井氏もこのメンバーに入っている。

 丸井氏によると、自身を含む委員会メンバーは、東電が採用した1つの方法――海岸線に沿って巨大な遮水壁を地下に設置したこと――は見当違いだったと考えている。丸井氏は、すでに汚染水が施設の近くの地下水に漏洩していた可能性があるため、もっと外側に建設されるべきだったと指摘。重要なことは、最初の遮水壁を陸側に建設し、最も汚染されたエリアへの地下水の流入を防ぐことだったとしている。

 5月末までに、同委員会は原子炉建屋の周りの土を凍らせ、施設を囲むように全長1.4キロメートルの壁で地下水の流入を防ぐ「凍土遮水壁」を作る提言をまとめた。この提言は2番目の専門家のグループに諮られた。

 ただ、これらの専門家グループは、現場の状況が再び悪化していたことを認識していなかった。東電は5月に海岸にかなり近い井戸水の放射線レベルが高くなっていることを検知した。これは、先に考えられていたよりも地下水の汚染が進んでいることを示している。東電は7月初めにようやくこれを発表した際に、対策の遅れを認めた。

 このニュースを受け、原子力規制委員会と田中委員長は東電を非難し、素早い行動と情報の開示を求めた。同委員会は高濃度の汚染水がすでに海に流出している疑いがあるとの見解を公表。7月末までに汚染水問題の解決策を提案するために独自の作業グループを発足させる必要があると決断した。主に専門家や規制当局者、東電関係者の12人で構成されるこの「汚染水対策検討ワーキンググループ」は、今月2日に初めての会合を開いた。

 原子力規制庁の東京電力福島第一原子力発電所事故対策室の金城慎司室長は「本来やるべきことじゃなかった」と述べ、規制当局者は「審判」であって「選手」ではないと説明。そのうえで「何もしないではいられなかった」と述べた。

 一方、汚染水処理対策委員会はようやく8日に会合を開き、先の提案を再検討し、9月末までに新たな報告書をまとめることを決めた。原子力規制委員会のワーキンググループは東電の3つの緊急汚染水対策のうち、2つを監督する。例えば、汚染濃度の高い水を海側のトレンチ(坑道)から取り除くことなどだ。残りの1つは汚染水処理対策委員会が長期的な対策と併せて引き受けることになった。

 丸井氏は、この委員会の規模が大きいことは決めるのに時間がかかることを意味し、凍土遮水壁の計画に対しても依然として激しい異論があると指摘した。この方法は高価な技術であり、これほど大きな規模で実施されたことがないからだ。地盤凍結工法を駆使している日本で最も良く知られた企業の1社はフィージビリティスタディー(実行可能性検討)の入札に参加しないことを決めた。この企業に近い関係者によると、トンネル向けに少量の土を凍らせるこの企業の専門技術は、こうした作業には適さないと判断したという。

 丸井氏は、本当に必要なのは、いまだに古い川底へ流れ込もうとする水の流れを変える方法だと指摘、「プランニングをシステマチックにちゃんとやってほしい。瞬間的な対策ではなくて長い目で見たストーリーで考えてほしい」と訴えた。

[THE WALL STREET JOURNAL]


■東電に汚染水専門チーム設置を指示へ…経産相

 東京電力福島第一原子力発電所で汚染水を巡るトラブルが相次いでいる問題で、経済産業省は26日、東電に対して、汚染水対策の専門チームの設置など対策強化を求める。

 茂木経産相が同日午後、福島第一原発を訪れて指示する。

 福島第一原発の貯蔵タンクから汚染水300トンが漏れた問題について、経産省は、日常の点検不備など、東電の人為的ミスの側面が強いとみている。「技術・資金の問題というよりも、現場の対応力の問題」などと指摘しており、東電に対する監視体制も強化する方針だ。

 東電の社内では、これまで汚染水関係の専門家の発言力が低かったとされている。このため、専門チームには、汚染水対策の知見が深いゼネコンなどに、助言を求めることも検討する。

[読売新聞]


■菅官房長官:国の汚染水対応、予備費の活用検討

 菅義偉官房長官は26日午前の記者会見で、東京電力福島第1原発の地上タンクから高濃度の放射性物質を含んだ汚染水が漏れた問題について「予備費の活用を含めてできる限りのことを行うよう経済産業相に指示している」と述べ、2013年度予算に計上した予備費での対応を検討していることを明らかにした。

 予備費は緊急事態に備えた使い道を決めない経費。政府は14年度予算で国費を投入する方針を既に固めており、一歩踏み込んだ形だ。

 また、汚染水問題を巡って海外メディアが20年夏季オリンピックの東京招致への影響を指摘していることについて、菅氏は「外務省経由で各大使館への情報提供を適切に行っているので、影響はない」と反論した。【朝日弘行】

[毎日新聞]

Posted by nob : 2013年08月27日 11:50

祖国と国民に背を向けた政府の愚策。。。

■集団的自衛権新法 平和憲法を葬る気なのか2013年8月26日

 「衣の裾から鎧(よろい)が見える」とは、こういうことを言うのだろう。

 日本国憲法で平和主義を掲げるこの国は、危険な方向へ急速にかじを切りつつある。

 安倍政権と自民党内で、憲法解釈で禁じられてきた集団的自衛権の行使容認を想定した新法「集団的自衛事態法」(仮称)の整備が検討されている。

 自衛隊が集団的自衛権を行使する際、文民統制の仕組みを徹底させるため、首相の指示によって対処方針を作り、国会承認を義務付けることが軸となるという。

 表面的には、文民統制、国会承認という、国民や国会に理解を得やすい体裁を取り繕いつつ、平和憲法が定める「戦争放棄」「専守防衛」を事実上放棄する集団的自衛権行使容認の流れをつくる狙いがあるのは明らかだ。

 不戦を誓う憲法9条を持つ国の基本形を変え、何が何でも集団的自衛権の行使を可能にしたい安倍政権の思惑が露骨に打ち出されるようになってきた。本末転倒である。袖口の下から武力志向の危うさを帯びた鎧がちらついている。

 国の在り方としても、手続き論から見ても、明らかにおかしい。

 安倍晋三首相は米軍との連携強化をにらみ、集団的自衛権行使容認に前のめりになっている。私的諮問機関の有識者懇談会の報告書を基に、憲法解釈を変更する形で行使容認に踏み出そうとしている。

 自国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係がある国が攻撃を受ければ、その国とともに戦争に加担する。それが集団的自衛権が行使された戦闘行為の姿だ。米国が戦争を起こせば、日本も参戦する仕組みが確立してしまう。

 歴代の内閣法制局はどんな政権下にあっても、「国際法上、集団的自衛権を保有しているが、行使は現行憲法の限界を超え、許されない」との解釈を維持してきた。

 だが、安倍首相は、集団的自衛権行使容認論者とされる人物を内閣法制局長官に任命した。行政府内の憲法解釈の最高責任者を政権の意に沿う人物にすげ替えて布石を打っている。

 国民は政権のきなくさい動きを冷静に見詰めている。最新の全国世論調査は、集団的自衛権をめぐり、「行使できないままでよい」が47・4%で最も多かった。

 安倍首相は10年、20年先の国の姿をどう描いているのか。国民への説明責任を果たすべきだ。

[琉球新報]


■TPP閣僚会合 急ぐ理由はどこにある

 ブルネイで開かれた環太平洋連携協定(TPP)閣僚会合は、年内妥結に向けて「重要な節目」となる首脳会合を10月に開くとした共同声明を発表し閉幕した。

 アジア太平洋経済協力会議(APEC)に合わせて首脳会合を開いて大筋合意し、年内妥結を目指す方向だ。年内決着を急ぐ米国の意向を反映したものだが、日程ありきの交渉の進め方には強い疑問を禁じ得ない。

 TPP交渉参加について日本政府は「国益」を強調するが、それが本当に国民の利益につながるのか依然不透明であり、農業や医療関係者らをはじめ、国内では反対意見も根強い。年内妥結ありきの拙速な議論は到底許されないと肝に銘じるべきだ。

 そもそも米国が年内決着を急ぐのは、来年秋に中間選挙を控えたオバマ大統領の実績づくりにあるとされる。オバマ政権の公約である輸出倍増計画の達成に向け、TPPを最大の成果として有権者にアピールしたい思惑だが、あまりにも動機が不純すぎる。

 閣僚会合後の合同記者会見では「米国が自国のルールを押し付けているのでは」との質問も出た。「米国益」を隠そうともしない露骨な姿勢に、TPPの危うい本質が見え隠れする。これでは対等かつ公正な貿易交渉とは言えまい。

 実際、参加12カ国による交渉は、焦点となっている関税撤廃や知的財産をはじめ、いまだ多くの分野で難航しており、年内妥結へのハードルは極めて高い。

 特に日本が聖域に掲げるコメや麦、サトウキビなど甘味資源作物などの重要5品目の取り扱いは、現時点でも一切不明だ。今回の交渉では、米国やオーストラリアとの関税交渉に入れず9月中旬以降にずれ込む見通しだ。残りわずか3カ月で国民が納得できる結論を導き出せるのか、甚だ心もとない。むしろ乱暴と言うべきか。

 にもかかわらず、甘利明TPP担当相は年内妥結目標で米国と歩調を合わせた。国有企業の扱いをめぐる現行案に懸念を示すマレーシアなどが越年を辞さない構えを示したのとは対照的だ。

 安倍晋三首相はTPP交渉参加を「国家百年の計」と大見えを切ったが、ならば、なおさら焦りは禁物だ。国益を守り切る見通しが立たぬなら、交渉脱退も選択肢とすべきだろう。国民の安定した暮らしと安全を最優先すべきだ。

[琉球新報]

Posted by nob : 2013年08月27日 11:32

彼の影響力に期待。。。

■Listening:<風知草>小泉純一郎の「原発ゼロ」=山田孝男

 脱原発、行って納得、見て確信−−。今月中旬、脱原発のドイツと原発推進のフィンランドを視察した小泉純一郎元首相(71)の感想はそれに尽きる。

 三菱重工業、東芝、日立製作所の原発担当幹部とゼネコン幹部、計5人が同行した。道中、ある社の幹部が小泉にささやいた。「あなたは影響力がある。考えを変えて我々の味方になってくれませんか」

 小泉が答えた。

 「オレの今までの人生経験から言うとね、重要な問題ってのは、10人いて3人が賛成すれば、2人は反対で、後の5人は『どっちでもいい』というようなケースが多いんだよ」

 「いま、オレが現役に戻って、態度未定の国会議員を説得するとしてね、『原発は必要』という線でまとめる自信はない。今回いろいろ見て、『原発ゼロ』という方向なら説得できると思ったな。ますますその自信が深まったよ」

 3・11以来、折に触れて脱原発を発信してきた自民党の元首相と、原発護持を求める産業界主流の、さりげなく見えて真剣な探り合いの一幕だった。

 呉越同舟の旅の伏線は4月、経団連企業トップと小泉が参加したシンポジウムにあった。経営者が口々に原発維持を求めた後、小泉が「ダメだ」と一喝、一座がシュンとなった。

 その直後、小泉はフィンランドの核廃棄物最終処分場「オンカロ」見学を思い立つ。自然エネルギーの地産地消が進むドイツも見る旅程。原発関連企業に声をかけると反応がよく、原発に対する賛否を超えた視察団が編成された。

 原発は「トイレなきマンション」である。どの国も核廃棄物最終処分場(=トイレ)を造りたいが、危険施設だから引き受け手がない。「オンカロ」は世界で唯一、着工された最終処分場だ。2020年から一部で利用が始まる。

 原発の使用済み核燃料を10万年、「オンカロ」の地中深く保管して毒性を抜くという。人類史上、それほどの歳月に耐えた構造物は存在しない。10万年どころか、100年後の地球と人類のありようさえ想像を超えるのに、現在の知識と技術で超危険物を埋めることが許されるのか。

 帰国した小泉に感想を聞く機会があった。

 −−どう見ました?

 「10万年だよ。300年後に考える(見直す)っていうんだけど、みんな死んでるよ。日本の場合、そもそも捨て場所がない。原発ゼロしかないよ」

 −−今すぐゼロは暴論という声が優勢ですが。

 「逆だよ、逆。今ゼロという方針を打ち出さないと将来ゼロにするのは難しいんだよ。野党はみんな原発ゼロに賛成だ。総理が決断すりゃできる。あとは知恵者が知恵を出す」

 「戦はシンガリ(退却軍の最後尾で敵の追撃を防ぐ部隊)がいちばん難しいんだよ。撤退が」

 「昭和の戦争だって、満州(中国東北部)から撤退すればいいのに、できなかった。『原発を失ったら経済成長できない』と経済界は言うけど、そんなことないね。昔も『満州は日本の生命線』と言ったけど、満州を失ったって日本は発展したじゃないか」

 「必要は発明の母って言うだろ? 敗戦、石油ショック、東日本大震災。ピンチはチャンス。自然を資源にする循環型社会を、日本がつくりゃいい」

 もとより脱原発の私は小気味よく聞いた。原発護持派は、小泉節といえども受け入れまい。5割の態度未定者にこそ知っていただきたいと思う。(敬称略)

[毎日新聞]


■「原発ゼロは小泉元首相の考え」官房長官

 毎日新聞26日付け朝刊のコラムで、ドイツとフィンランドを訪問した小泉純一郎元首相が、改めて「脱原発=原発ゼロ」の考え方を示したのに対し、菅義偉官房長官は26日午前の記者会見で、「原発ゼロ」は小泉元首相独自の考え方であり、安倍政権としては原発を存続する中で、クリーンエネルギーへの転換を進めるとの従来の考え方を維持するとの姿勢を示した。

 同会見で菅官房長官は、「私もコラム読ませてもらったが、小泉元首相の考えなんだろうと思う」と述べ、安倍政権のエネルギー政策とは考え方が違うことを表明。

 さらに、「国民の皆さんに安定的なエネルギーを供給していくという責任が政府にはあるから、安全最優先の中で原発問題には対応していく。それと同時に再生可能エネルギーについても全力で取り組んでいくという姿勢は変わらない」と述べ、「安全管理を徹底した上での原発存続」との従来姿勢に変わりないことを明らかにしている。

[HAZARDLAB]

Posted by nob : 2013年08月27日 11:21

両親の期待からの脱却、、、それが自立の第一歩。。。

■親の価値観の押し付けが、子供の人生を潰す
太った豚より、やせたソクラテス

ミセス・パンプキン :グローバルマザー
当サイトの連載「グローバルエリートは見た!」の著者である、ムーギー・キム氏の母。海外各国に住む子供を訪ねて、北米、香港、フランス、日本を移動しながら生活。一般的な家庭ながら、子供を国際弁護士、国際金融マン、海外著名大学教員、公認会計士に育て上げた。立命館大学卒業

 グローバル化が進む中、親たちは、子供を世界で通用するエリートに育てるため、日々、努力を重ねている。しかし、若手マザーの中には、子育ての仕方がわからず、周りの助言にも恵まれないケースも多い。そこで、一般的な家庭ながら、子供を国際弁護士、国際金融マン、海外著名大学教員、公認会計士に育て上げた著者が、読者の皆様からの子育て相談に回答する。

今回は、子供の将来の経済的な安定を第一に願う親と、それに反発を感じる子供という、どこにでもある価値観の衝突について考えたいと思います。

【東京工業大学大学院 Kさんの寄稿文】
 私の両親は「安定した生活を送ることこそ幸せにつながる」と考えていると感じます。父は大学卒業以来、公務員として働き、母は専業主婦で裕福とは言えないものの、しっかり子どもたちを養い、安定した生活を実現してくれました。
 もちろん私もそのことには感謝していますが、両親は息子である私にも自分たちと同じような人生を歩んでほしいと考えているらしく、そのためには名の通った大企業で働く必要があり、そのような企業で働くには有名大学に進学する必要があると考え、私を私立の中高一貫校に進学させるなど、教育にも非常に熱心でした。
 このような考えの両親の前で、以前、「就職先の経営規模にはこだわらず、自分のやりたいことを手掛けている企業に就職する」と話したところ、たいへん反発を受けました。
 親として確固たる考えの下に子育てを行うことはすばらしいことですが、それが子供に自分の価値観を押し付けることにつながるのはよくないと思います。たとえ子供が自分の価値観とまったく違うものを持っていたとしても、頭ごなしに反対するのではなく、なぜ、そのように考えるのかと聞く耳を持ってほしいのです。子供の人生は子供のものであり、決して親のものではないということを肝に銘じて、子育てをしてほしいと思います。

<ミセス・パンプキンからのコメント>
「太った豚より、やせたソクラテスに」が意味するもの

今から半世紀ほど前、東大の総長が卒業式で「太った豚になるよりは、やせたソクラテスになれ」という言葉を卒業生に贈り、たいへん話題になったことがありました。もともとは西洋の哲学者の言葉らしいですが、「金銭的に豊かな生活を求めて、やりたいことや信念を捨てて安穏とぜいたくに生きるよりは、生活に困窮しても、信念を貫いて生きるほうが人間らしい生き方だ」という意味だそうです。

高校生だった私の周辺でもいろんな形で話題になりましたので、今なら流行語大賞になったこと間違いありません。今ほど大学進学率は高くなく、信念を捨てても、太った豚になるには、今よりずっと難しかった時代に、巷に流行した言葉となりました。

「鶏口となるも牛後になるなかれ」という中国の故事も思い浮かびました。「大きな組織の中の末端で使い走りのような仕事をするよりは、小さな組織のトップのほうが、やりがいのある仕事ができる」という意味だと思います。

このような言葉に接したときには感動した私ですが、正直なところ、子供たちにはできるだけ大きな会社、有名な会社に入ってほしいと願っていました。信念を貫くにも、意味ある社会貢献も、趣味に凝るのも、まず、経済的な保証あればこそだと信じて疑いませんでした。経済的な困窮で信念が挫折するどころか、家庭まで壊れたり、人生が破滅していく事例には事欠かない時代に育ったものですから。

ここで言う大きな会社、有名な会社と申しますのは、安定企業、給料もいい企業を指します。親子で共有できるプライドという問題も、なかったといえばウソになります。まさに今回のご両親と同じ、「幸せはまず、経済的な安定から」という価値観です。

そしてそのような価値観の下、子供たちを中高一貫校に誘導したのも同じですが、その先が少し違います。私は(給料をくださる)会社ならどこでもいいと思っていました。何よりも大企業には望んで入れるものではありませんし、優秀で努力を怠らなかった学生がゴマンといる中、あとは縁と運だと割り切りました。それ以上に子供にプレッシャーを与えることは、誰の利にもならないことを知っていましたから。

もしフォードが家業の農業を継いでいたら

親の反対を押し切って自分の信念を貫き成功した有名人はザラにいますが、私は決まって2人の人を思い出します。

ひとりはヘンリー・フォードです。父親は農場を継いでほしかったそうですが、近所の人の時計まで分解して組み立て、修理ができることで評判だったヘンリー・フォードは農場経営を嫌い、町の見習い機械工として出発しました。親の言いなりになっていたなら、自動車の生みの親がカール・ベンツなら、育ての親がヘンリー・フォードといわれるほどに自動車の大衆化に成功し、大富豪となった彼は、この世に存在しなかったことになります。

進路を自分で選ばせることで、子供に責任感が生じる

もうひとりは私がその大ファンでもある、エレキギタリストの寺内タケシさんです。彼がエレキを弾き始めた頃は、エレキを弾いたり聴いたりするだけで不良呼ばわりされた時代でした。私の高校では、ビートルズを聴くだけで不良扱いを受けた時代です。エレキに夢中で、実業家の父親から9回も勘当された話は有名です。頼むから勉強してくれと懇願されても、この道一筋に精進したと話されていました。

「弾かないギターは鳴らない」が座右の銘だという彼の、映画『ひまわり』のテーマ曲を初めて聴いたときは、本当にうっとりと聴き入り、そして涙が出るほど感動しました。これがあの不良扱いされていた音楽? 一方的な価値観の押し付けで、長く彼の音楽を聴かなかったことを後悔しました。

小説家やミュージシャン、俳優やタレントで、親の同意や援助が得られず苦節何十年で世に出た人を私たちはたくさん知っています。逆に親の言いなりになったり、家庭の事情で不本意な人生を歩んだ人の話もよく聞きます。前者の場合、長い目でみれば必ずしも親不幸とは限らず、たとえ大成しなくとも、後者ほど不平不満を聞かないのは、少なくとも本人が自ら選んだ道だったということで、責任が取れているからではないでしょうか。

職業の選択に親が介入すると、大抵失敗に終わる

私の知人に、名門の工業専門大学を出てNTTに勤めた後、親の反対を押して小さな農家を継いだ人がいます。「“鶏口となるも牛後になるなかれ”を実践している感覚で、生きている実感がしている」と収入の激減も何のその、その選択に今も後悔はしていないそうです。

「文学でメシは食えない」と親に猛反対されても自分の信念を貫いた友人は、大企業に勤めた人の多くが定年退職後、第2の人生の過ごし方に逡巡している中、ライフワークとなる研究会活動をいくつも持ち、とても充実した人生を送っています。

親世代とは異なり、大企業といえどもリストラは当たり前になり、安泰ではなくなりました。I T産業などでは、想像もできなかった職種が創造され、生き生きと活躍する若者のニュースにもこと欠かない時代です。親の旧態依然とした価値観を子供に押し付けるのは、どの角度から考えても分が悪そうです。

[東洋経済ONLINE]

Posted by nob : 2013年08月27日 10:08

普段から自らの言葉で話していれば、、、"One day at a time."は無理でも、"I've heard many good things about you."くらいは言えます。。。

■「おうわさはかねがね…」と
英語で言えますか?

『もし海外出張まで、あと1カ月しかなかったら!?ビジネス英語4週間集中プログラム』の著者、大島さくら子さんが教える、ビジネス英語のミニレッスン。ビジネスで、レジャーで、英語が必要な場面に遭遇したときに役立つフレーズを紹介します。
これって英語でどういうの?
少しずつ使えるフレーズを増やしていこう!

 みなさん、こんにちは。
 『もし海外出張まで、あと1ヵ月しかなかったら!? ビジネス英語4週間集中プログラム』を出版しました、大島さくら子です。

 今日から、英語でのちょっとした言い回しを紹介する連載を始めることになりました。
 ビジネスや日常会話で「これって英語でどういうの?」と思うことありますよね。この連載ではそんな、言えそうで言えない基本的な言い回しを紹介したいと思います。

 3分で読めるミニコラムですから、これだけで英語力が飛躍的にアップ!…するわけではありません。でも、英語はコツコツ続けることが大事。これをきっかけに、少しずつ、使える表現を増やしていってくださいね。
「うわさを聞いている」と伝えるには?

 さて、さっそく本題です。
 人を紹介したり、紹介してもらう際によく「おうわさはかねがね伺っております」と伝えますが、英語ではどのように表現するのかご存知ですか?

 「うわさ」と聞いて、まず思い浮かべるのはrumorという人は多いのではないでしょうか。でも、rumorは「うわさ、風説、風評、流言」という意味なので、「人や会社、ものごとなどの評判を聞く」という意味では使いません。
 ですから、I’ve heard your rumor.としては間違いです。

 そのような場合は、hear about ~「~のうわさを聞く/話しを聞く」を用います。つまり、

 I’ve heard about you.

 が正解です。hearの過去形heardでもいいのですが、現在完了形を用いると、「前々から聞いている」ニュアンスが出ます。

 特に初めての人と話す際に、

 I’ve heard a lot about you.
 「あなたのことを、たくさんお聞きしています→おうわさはかねがねよく伺っております」

 はよく使う表現です。
 a lotをso muchやall「(人に関する)すべて」、great things「素晴らしいこと」に置き換えて使うこともできます。

 I’ve heard so much about you.
 I’ve heard all about you.
 I’ve heard great things about you.

 これに対しては、

 Only good things, I hope.「良いうわさだけだといいのですが」や、
 I hope it’s not bad.「悪いうわさではないといいのですが」

 などと応じるといいでしょう。あるいは、Same here.「私も同じです」やLikewise.「同じく」を用いて、自分も同じように相手のうわさを聞いている旨を伝えることもできます。

 ちなみに日本語では、うわさをされるとくしゃみが出るという迷信から、「昨日あなたのうわさ話をしていたのですが、くしゃみが出ませんでしたか?」などと言いますが、英語ではくしゃみではなく、

 Were your ears burning?「耳が熱くなりませんでしたか」、
 Your ears must be burning.「あなたの耳、熱くなっていたでしょう」

 などと言います。これは「右耳が火照ると良いうわさ、左耳だと悪いうわさをされている」という、ローマ時代からの、俗説からきています。

1日1日着実にいきましょう!

 さて、今日のレッスンは以上です。I’ve heard about you.は短い表現で、すぐに覚えられると思います。さっそく使ってみてください。

 この連載では、使える言い回しを紹介するのに加えて、おすすめの勉強法なども紹介していければと思います。次回は、3分間レッスンに加えて、私の英語遍歴を少しお話ししたいと思います。

 それでは、最後に英語のフレーズを1つ、みなさんにプレゼントします。

 One day at a time. 「一日一日着実にいきましょう」

 これは「忍耐強くがんばりましょう」という意味で、日常的によく使います。やらなければならないことが山ほどあって、押しつぶされそうになっている友人や同僚などに、励ましの気持ちを込めてこの言葉を伝えるといいでしょう。
 私も、手一杯で余裕がないときは、自分自身に対して、繰り返し言い聞かせています。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月27日 09:58

そしてまた誰も責任をとらない。。。

■菅元首相や班目元委員長ら不起訴へ…原発事故

 東京電力福島第一原発事故を巡り、検察当局は、業務上過失致死傷容疑などで告訴・告発されている当時の東電幹部や政府関係者ら約40人全員を、近く不起訴とすることを決めた。

 津波と事故の発生を事前に予測し、対策を施すのは困難だったと判断した。ただ、告訴人らは検察審査会に審査を申し立てる方針で、強制起訴すべきかどうか、市民が判断することになる。

 被災者らに告訴・告発されていたのは、勝俣恒久前会長(73)ら東電幹部、 班目 ( まだらめ ) 春樹・元内閣府原子力安全委員長(65)、菅直人元首相(66)ら政府関係者の約40人。2011年3月に起きた原発の炉心溶融と水素爆発では、作業員ら16人が負傷したほか、住民が 被曝 ( ひばく ) した。また、避難を余儀なくされた入院患者が死亡するなどしている。捜査では、〈1〉約15メートルの津波を予測できたか〈2〉震災後の対応に問題はなかったか――の2点が焦点だった。

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年08月26日 01:05

事故以降垂れ流しは素人にも容易に想像できること、、、世界的海洋汚染を放置し続ける政府の責任は無限大。。。Vol.2

■社説:原発タンク漏れ 国の当事者意識足らぬ

 東京電力福島第1原発でまた、深刻な汚染水問題が発覚した。

 地上タンクから高濃度の放射性汚染水が推計約300トン漏れ出ていた。タンクからでは過去最大の汚染水漏れで、1カ月近く漏れに気づいていなかった可能性がある。事故は収束していないことを改めて示す事態だ。原子力規制委員会は、漏れを国際評価尺度でレベル3(重大な異常事象)とすることを検討中だ。

 汚染水問題で安倍晋三首相は「国として対策を講じていく」と述べたが、日々の事故対応は基本的に東電任せで、政府が前面に出ているとはいまだに言い難い。もっと当事者意識を持って対応してほしい。

 漏れが起きたのは、鋼製の板をボルトでつなぎ合わせた円筒型タンク(使用容量1000トン)だ。原子炉を冷却した水から、放射性セシウムを除去した汚染水が入っていた。

 福島第1原発には汚染水の貯蔵タンクが約1000基ある。うち約350基がボルト式で、残りは接合部を溶接したタイプだ。ボルト式は組み立て工期が短いが、継ぎ目から水が漏れやすい。これまでもボルト式タンクで漏れが4件起きた。そもそも今回の漏えい箇所はまだ分かっていない。今後も漏れる恐れがある。

 東電はボルト式タンクを緊急点検し、パトロールも1日2回から約3時間ごとに増やすという。漏れの原因や発見が遅れた理由を検証し、監視・点検体制の抜本的な見直しを図る必要がある。海への流出の有無や地下水への影響も、きちんと確認すべきだ。

 セシウムを除去した汚染水は、62種類の放射性物質を取り除く多核種除去装置「ALPS」で再度、処理される。しかし、試運転でトラブルが起き、停止したままだ。汚染水のリスクを下げるためにも、東電は装置の稼働を急いでほしい。

 東電は汚染水増加の原因となっている地下水流入を減らす緊急対策として、敷地山側に井戸を掘り、汚染される前の地下水をくみ上げて海に流す「地下水バイパス」を計画している。だが、風評被害への懸念などから地元の了解は得られていない。

 今年4月には汚染水の地下貯水槽で漏れが判明し、先月には高濃度の汚染水が地下水と混じって海へ流出していることが発覚した。海外の関心も高まっている。日本の国際的な信用を左右しかねない状況だ。

 規制委は汚染水の海洋への影響を監視する検討会を設けた。安全性を判断する前提となる客観的な分析を国内外に発信してほしい。地下水バイパスを実施するなら、汚染が生じた時の対応も含め、政府が責任を持って、地元自治体や国民への説明を尽くす以外に道はない。

[毎日新聞]


■福島原発汚染水ダダ漏れで五輪招致絶望

<IOC総会の安倍首相に世界が白い目>

 汚染水がダダ漏れ状態の福島原発。東電の場当たり対応には不安が募る一方だが、この汚染水問題が、五輪招致にも影響を与えそうだ。

 来月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれるIOC総会で、2020年夏季オリンピックの開催地が決定する。

 猪瀬知事が招致に前のめりの都庁では、23日IOC総会に向けての出陣式と記者会見が行われる。出陣式には安倍首相も出席して、国を挙げてのバックアップをアピール。安倍はIOC総会にも乗り込み、自ら「復興五輪の招致」をダメ押しする予定だ。

「総理は、自分のスピーチで招致を勝ち取り、スポーツ立国・日本を立て直したいと、並々ならぬ意欲を見せていました。基礎票ではスペインに負けているが、総理が直々に復興を訴えれば、十分に逆転可能と踏んでいたのです。ところが、ここへきて流れが変わった。福島原発の汚染水問題がこれだけ深刻化すると、日本での開催は絶望的という見方が急速に広まっています」(官邸関係者)

 実は、汚染水問題は、むしろ国際的な関心の方が高いくらいだ。日本国内で大きく報道されるようになったのは、ここ数日のことだが、海外では早くから詳細に報道されていた。

 例えば、英BBC放送は先月23日、ロイヤルベビー誕生ニュースの次に、汚染水が地下を抜けて海に流出している可能性を東電が初めて認めた問題を詳しく伝えた。ロイヤルベビーに浮かれていたのは日本のテレビの方だったのだ。

<海外メディアは事故収束に懸念>

 このところ、英インディペンデント紙やガーディアン紙、米ウォールストリート・ジャーナル紙、シカゴ・トリビューン紙なども「事故は収束できるのか?」と、相次いで懸念を表明している。

 福島原発では1日400トンもの汚染水が発生し続けている。今の東電の技術では汚染水処理が追いつかず、貯蔵タンクは増える一方だ。その貯蔵タンクもあちこち破損して、汚染水が漏洩。3年後には耐用期限を迎えるタンクをどうするのか、方策は見つかっていない。つまり、日本の国土も海も汚染され続けるということだ。そんな場所でオリンピックなんて、国際世論が敬遠するのも当然だろう。

「本気で震災復興を考えているなら、7年後の復興五輪などと言っていないで、オリンピック関連で使えるカネを今すぐ福島原発の事故収束のために使った方がいい。汚染水対策は待ったなしで、費用もいくらかかるか分かりません。安倍首相も、原発を海外に売り込む前に、福島原発の汚染水問題に本腰を入れて取り組むべきですよ」(ジャーナリスト・横田一氏)

 世界中がそう思っている。能天気にIOC総会に出席する安倍は針のムシロだ。

[日刊ゲンダイ]


■福島第1原発 汚染水タンク350個が全滅危機

 どうしたらこうなるのか。東京電力は福島第1原発のタンクから漏れた放射能汚染水の量を当初「少なくとも120リットル」と推定していたのに、20日になって「300トンに達する」と変更した。一気に2500倍に増えたことに絶句だが、汚染水の漏出量はこんなものでは済まない。

 東電はダダ漏れになっていた地下貯水槽の汚染水を、6月上旬までに地上タンクに移し替えた。タンクは直径12メートル、高さ11メートルの円柱状で、容量は約1000トン。漏れた300トンは大体、25メートルプール1つ分だ。

 実はこのタンクは当初から“ヤバイ”と指摘されていた。部材を溶接ではなく、ボルトでつないで組み立てる構造のため、ボルトが緩んだり、止水用パッキンが劣化すると、汚染水が漏洩するんじゃないかと懸念されていたのだ。

「過去に4回、タンクから汚染水漏れが起きていて、いずれもつなぎ目部分から見つかっています。今回はまだどこから漏れたか分かりませんが、恐らく、つなぎ目に原因があるのでしょう」(ジャーナリスト・横田一氏)

 東電によると、パッキンの耐用年数は5年ほど。交換するにはタンクそのものを解体しなければならないが、漏洩が見つかるたびに解体するのは非現実的だ。外側から止水材を塗るなど、その場しのぎの対応に追われることになりそうだ。

 問題はボルトとパッキンだけではない。タンクが“鋼鉄製”なのも大きな懸念材料という。日本環境学会顧問・元会長で元大阪市立大学大学院教授(環境政策論)の畑明郎氏が言う。

「汚染水は原子炉冷却に使われた水で、当初の海水冷却により塩分を含むものです。鋼鉄製のタンクは錆びやすく、腐食して穴が開き、漏れた可能性があります。安全性を考えるのであれば、東電は鋼鉄製ではなくステンレス製のタンクにすべきでした」

<錆びて腐食、止水用パッキンの寿命はたった5年>

 東電がそうしなかったのは、鋼鉄製の方がコストがかからないからだ。さらに言うと、溶接型ではなくボルト型にしたのも、短時間で増設できるから。いかにも東電らしいドロナワ対応といえるが、このボルト式の同型のタンクは敷地内に350個もある。もし、今回と同じ300トンの汚染水がすべてのタンクから漏れ始めたら、10万トンではきかない計算になるから、考えるだけでもゾッとする。

 しかも、汚染水は1日400トンのペースで増え続けていて、東電は現在貯蔵可能な約39万トン分のタンクの容量を2016年度までに80万トン分まで増やす計画だ。
 一方で安普請のタンクからの汚染水漏れの手当ても同時にやらなければならない。

 今回の汚染水からは、法令で放出が認められる基準(1リットルあたり30ベクレル)の数百万倍に達する8000万ベクレルの放射性ストロンチウムが検出された。300トン分で約24兆ベクレルである。

 はっきり言って東電は終わっている。

[日刊ゲンダイ]


■3年ぶり採用 東電を目指す学生の志望理由

 原発事故から3年。東電が大学新卒者の大規模採用を再スタートさせたと話題になっている。一部では、すでに内々定まで出したと報じられている。

 東電は、事故前の11年度まで毎年数百人~1000人規模の採用を続けてきた。今回、実施すれば3年ぶりとなる。同社広報部は、「退職者の補充として技術系を中心に採用予定ですが、どの程度採るかはわかりません。内々定? 把握していません」(担当者)と話したが、当初の技術系に加え、GW明けから大卒事務系も募集しているといわれる。

 この2年の依願退職者は1000人以上。しかも、20~30代の若手がバンバン辞めている。オリックスなどが新エネルギー事業を始めたため、次々と転職しているらしい。50代後半も辞めていて、半年~1年、福島転勤で賠償の仕事を命じられるのが理由だという。

 業績も先が見えない。実質国有化して1年だが、13年4─6月期連結決算は、経常損益が294億円の赤字だし、多数の裁判も抱えている。

<つぶれないし給料もいいし…>

 それでも学生の反応は上々という。「就活の神さま」などの著書がある常見陽平氏(人材コンサルタント)が言う。

「潰れない、潰さない会社であるし、世の中に必要な事業として電力に魅力を感じる学生が受けています。例年、優秀な旧帝大の男子に人気で、その傾向は大筋変わっていないと思いますよ」

 事故前の東電は「東大を含めた旧帝大や早慶しかいらない」と豪語していたという。さすがにそんな高飛車な姿勢は通用しないだろうが、「原子力工学出身者が専門性を生かせるのは電力会社くらい。必然的に、そんな学部のある旧帝大の学生が集まっていたし、その傾向はいまも変わらないでしょう。平均年収は事故前の800万円程度から571万円にダウンしたとはいえ、一般企業の平均よりは高水準。原発再稼働の是非が問われてはいますが、国策企業だけにどう転んでも潰れない。そんな意識を持った親も子どもに勧めていると聞きます」(大学ジャーナリスト・石渡嶺司氏)。

 もっとも、優秀な人材は4月中に大手の内定を得ている。東電を選ぶ学生について、就職サイトの掲示板にはこんな書き込みがあった。

<今年のレベルは大分低いと感じましたね(中略)基本的な知識がまるでない方がいました(中略)人材的にはかなり困窮してる印象ですね>

 貧すれば鈍すか。

[日刊ゲンダイ]

Posted by nob : 2013年08月24日 12:53

新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」もの、探しているうちは、結局は誰かの後追いに、、、自らの人生を創り上げるクリエイティビティー。。。Vol.6

■日本人の「否定の言葉」はフォーマット化されている!?
周りの反対にあったときに知っておきたい心構え

ビジネス、進路、就職。何か新しいことをやろうとしたときに、周りに反対されたりバカにされたりすることはとてもよくあること。では、そのような発言に出会ったときにどのように考えれば良いのでしょうか?世界初をつくる過程で常にその「反対」と戦ってきた生田教授が語る、人気連載第7回。

周囲の声を気にしないコツ

 新しいことをやろうとするとき、周囲から反対意見が出てきます。これは、どんなに優れたアイデアであろうと、あるいはどんなに根回しをしていようと、必ず出てくるものだと覚悟してください。

 わたしなどはもう周りから反対されるのに慣れっこになっていますが、若いころは反対される度に気にしていました。そのときペンシルロケットの糸川先生による「いい研究(企画)とは、10人中8人が反対する研究(企画)である」という言葉に大いに勇気づけられたのは、前の連載でお話ししたとおりです。

 そしてもうひとつ、周囲の声を気にしないコツとして「新しいことをやろうとしたら、どんな声が飛んでくるか」を具体的に知っておくことが挙げられます。

 これについて以前、非常に感銘を受ける話を聞いたことがあります。1970年に「数学のノーベル賞」と呼ばれるフィールズ賞を受賞され、1975 年には文化勲章も受章された、広中平祐先生による言葉です。1996年、広中先生は日本機械学会での基調講演の中で、こんな話をされました。

日本人の「否定の言葉」はフォーマット化されている!

 日本人は、新しいことにチャレンジしようとする人に対して「減速発言」をしてしまう。その人の勇気をくじくような言葉を投げかけてしまう。まず、スタートにあたって出てくる言葉は、次の2つ。

「絶対にできない」
「成功してから見せなさい」

 そして成功してから出てくる言葉が、次の2つ。

「どこかで見たことある」
「別に新しくない」

 これは必ず出てくる「減速発言」だから、まったく気にする必要ありませんよ、と。
 広中先生はわたしの質問に答える形でこの話をされたのですが、わたし自身まったく同じことを思っていただけに大いに感激したのを覚えています。それ以来、わたしは自分の提唱した新しいコンセプトに対してどんな減速発言が出てきても「おおー来た来た、いつものやつか」「ははは、また同じこと言っとるわ」と鷹揚に構えることができるようになりました。

論理的な反論から開き直りまで

 そしてアメリカ人を見ていて痛感するのは、減速発言に対する反論の巧みさです。彼らは自らのコンセプトが批判されたとき、感情の言葉ではなく、論理の言葉で反論できます。というのも、基本的に他人は無責任に批判するんですね。なんとなく気に食わないとか、なんとなく実現するイメージが湧かないとか、その程度の感情によってさしたる論拠のないまま批判してくるのが他人というものです。

 だったら、批判してきた相手の論理的矛盾を見抜き、そこを突くように反論する。感情に感情をぶつけるのではなく、感情には論理をぶつけるのです。アメリカの研究者たちは、このあたりがしっかり訓練されていますね。

 それでもなお、批判してくる人がいたらどうするか?
 ロジックで説明しても通用せず、あれこれ批判してくる人がいたらどうするか?

 答えはひとつ。開き直るしかありません。
 たとえばフィールズ賞の広中先生の場合、これ以上話しても無駄だと思ったときには「ぼく、アホやもん」と言って開き直るのだといいます。ぼくはアホなんやから、もうほっといてくれ。アホのやることやと思って勝手にやらせてくれ、と。

 この大胆な開き直りは、わたしの研究室で開催している「バカゼミ」にも通じる考え方なのです。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月24日 12:48

言わずもがな、、、誰の目にも明らかなこと。。。(怒爆)

■福島の子どもの甲状腺がん、疑い含め44人に 16人増

 【大岩ゆり、野瀬輝彦】福島県は20日、東京電力福島第一原発事故の発生当時18歳以下だった子どものうち、44人が甲状腺がんやその疑いがあると診断されたと発表した。6月から16人増えた。県は「被曝(ひばく)の影響は考えられない」とした。ただし、県の検査や説明に対して県民の間に疑問や不安の声もあるため、県は、専門家による新たな部会を作り、検査に問題がないか検証することになった。

 6月以降に新たに診断された16人のうち、がんは6人、疑い例は10人だった。累計ではこれまでに結果が判明した約19万3千人のうち18人が甲状腺がん、25人が疑いありと診断された。1人は疑いがあったが良性だった。この44人は原発事故時に6〜18歳。がんの直径は5・2〜34・1ミリ。がんは進行のゆっくりしたタイプだった。

 事故後4カ月間の外部の全身被曝線量の推計調査を受けた人は44人のうち4割だけだが、全員2ミリシーベルト未満だった。

 チェルノブイリでは4〜5年後から甲状腺がんが増えたほか、今回の44人は複数回の検査でがんやしこりの大きさがほとんど変わっていないため、県は「事故以前からできていたと考えられる」と分析した。

 しかし、県民の間には被曝影響に関する解釈や、検査の精度、情報公開のあり方などに批判がある。

 このため県は、検査に関与していない専門医らによる専門部会を新設して、これまでの検査結果の判定や、がんと診断された人の治療、事故による被曝の影響などを改めて検証する。事故当時18歳以下だった約36万人に対し生涯にわたり継続する甲状腺検査のあり方も改めて議論する。

[朝日新聞]

Posted by nob : 2013年08月20日 21:02

病は自らの心がつくりだすもの、、、進むも戻るも自らの心の持ち様次第。。。

■仕事うつ:男性会社員の3人に1人が自覚 

 男性会社員の3人に1人が、仕事が原因で気持ちが沈みやすくなる「仕事うつ」を自覚していることがトレンド総研が行った調査で明らかになった。また、休憩を取ることが仕事の行き詰まりを解消する上で有効だと感じている人が8割を超えることも分かった。

 調査は、1〜5日に30〜40代の男性会社員を対象にインターネットで実施。「自分が『仕事うつ』だと感じることはありますか」と聞いたところ、「よくある」が8%、「たまにある」が28%で合わせて36%が「ある」と回答。一方、「ない」と回答した人は「あまりない」の39%と「まったくない」の25%を合わせ64%だった。

 また、休憩について「休憩をとることは、仕事の行き詰まりを解消する上で有効だと思いますか」と聞いたところ、86%が「そう思う」と回答。また、実際に「休憩をとることで、仕事の行き詰まりを解消した経験ある」と回答した人も73%に上った。

 休憩時間の過ごし方については、「飲み物を飲む」(80%)と回答した人が8割に上り、ほかに「インターネットをする」(60%)、「ガムやあめ、菓子などを食べる」(43%)、「周囲の人と話す」(38%)などが上位となった。飲むものとしては、「コーヒー」(57%)という回答が最も多く、「緑茶」(31%)や「ミネラルウオーター」(19%)、「炭酸飲料」(15%)を上回った。

 精神科医の名越康文さんは調査結果をみて「気分が落ち込んでいる時は、気持ちに余裕がなくなっていることが多いといえます」と話し「思い切って長期休暇などを取れれば良いですが、忙しいサラリーマンの方は、思うように休みを取ることも難しいでしょう。ですので、そのぶん毎日の仕事中に小まめな休憩をとって、気持ちをリフレッシュさせることが大切です」とアドバイスしている。

[毎日新聞]

Posted by nob : 2013年08月20日 20:27

新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」もの、探しているうちは、結局は誰かの後追いに、、、自らの人生を創り上げるクリエイティビティー。。。Vol.5

■人とは違う考えやアイデアはロジカルに生み出せる!
「非まじめ」「不常識」の3つの指針

不常識な考えはロジカルに生み出せる!他の人から突き抜けられる思考やアイデアを生み出すその秘密を、初めて公開。世界初をつくり続ける東大教授の話題の連載、第6回。

「非まじめ」なアイデアのつくり方

 世界のHONDAこと、本田技研工業の創業者である本田宗一郎さんは、生前に「不常識を、非まじめにやれ」と語っていたそうです。そう、奇しくもロボット工学の第一人者、森政弘先生と同じ「非まじめ」です。

 本田宗一郎さんの慧眼は、「非常識」を否定されていたことです。

 単に「非常識=めちゃくちゃ」なことをやっても、なにも生まれない。非常識ではダメだ。めちゃくちゃなことをするのではなく、常識の枠を越えた「不常識=新しい常識」をつくるのだ。そして新しい常識をつくるためには、頭でっかちにならずに「非まじめ」な自分でいることが重要なのだ、と。

 たしかに、わたしも新ジャンルをつくるような独創を推奨しているわけですが、それが単なる「非常識=めちゃくちゃ」になるようでは困ります。独創が「めちゃくちゃ」にならないためには、なんらかの指針が必要でしょう。そこでわれわれの研究室で掲げているのが、次のような指針です。

(1)違う「テーマ」を考える
(2)違う「方法」を考える
(3)違う「結果」を考える

 この3つについて語るとき、わたしはいつも登山を例に説明するようにしています。それはどういうことでしょうか?

登山にたとえられる「アイデアの考え方」とは?

 まず(1)「違う『テーマ』を考える」。
 この場合のテーマとは、登山でいうところの「山」ですね。みんなが富士山に登っているところを、自分だけ浅間山を登る。あるいは、まだ誰も登ったことのない山を登る。富士山より高い山でなくてもかまいません。とにかく「違う山」であること、つまり「違うテーマ」であることが重要なのです。

 たとえば、わたしの場合でいうとみんなが産業用ロボットの山を登っていたところを、医用ロボットの山を登りました。市場としては小さいかもしれないけれど、とにかく違う山を登りました。そこをアメリカで評価され、国際学会で評価され、日本でも評価していただけるようになったわけです。

 次に(2)「違う『方法』を考える」。
 違う方法とはなにか。登山にたとえるなら、これは「歩く道」ですね。つまり、登る山はみんなと同じ富士山にする。でも、自分だけはみんなと違うルートから登る。大きな鉈を片手に、誰も登ったことのない道を切り拓いていく。月並みな例を挙げるなら、取引先にお礼を伝えるとき、みんなが電子メールを書いているところを、自分だけは直筆の手紙を書く。「お礼を伝える」という山は同じでも、そこに至るルートが違うわけです。

 あるいは、みんなが「プラスチック製のパソコン」をつくっている中、唯一「アルミニウム製のパソコン」をつくったアップル社なども、違うルートを開拓して成功した事例といえるでしょう。パソコンとしての基本性能(登る山)は他社製のものと変わりがないはずなのに、明らかに新しい。登るルートが変わるだけで、印象はここまで変わります。

 先に紹介したわたしのロボット内視鏡の場合だと、みんながモーターでロボットを稼働させようとしていたところを、わたしは形状記憶合金に熱を加えるという道を選びました。ロボットが動く、という結果は同じであっても、ルートが違えば大きな評価の対象となります。

アイデアを生み出す3つめの指針とは?

 そして最後が(3)「違う『結果』を考える」。
 これはもう少し簡単で、みんなと同じ山を、みんなと同じルートで登る。でも、登頂の結果がみんなと違う。具体的には、みんなが1000メートルまでしか登れなかったところを、自分だけは1100メートルまで登るわけです。特に学術論文の場合、実験結果が従来よりも更新されているだけで一定の評価を得ることができます。

 さて、この「テーマ」と「方法」と「結果」のどれかひとつでも新しいものがあれば、それなりの論文になります。そして3つ全部が揃っていたら、完璧です。間違いなく学会賞モノの研究でしょう。

 みんなと違うことをやろうとするとき、闇雲にめちゃくちゃなことをやるのではなく、「テーマ」と「方法」と「結果」の3つを軸に考えるようにしましょう。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月20日 18:04

新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」もの、探しているうちは、結局は誰かの後追いに、、、自らの人生を創り上げるクリエイティビティー。。。Vol.4

■東大先端研の合言葉は「もっと怒られなさい」!?
関西人の「オチ」に見る、思考パターンの変え方

世界初をつくり出し続ける生田教授を最初に待ち受けていたのは、ひどい「反対・嘲笑の嵐」。そんなときに先生を救ったのは「イトカワ」こと、糸川英夫先生のとある言葉でした。独創力を身につけるための土台のステップをご紹介する、連載第5回。

「怒られる」はこう使え!

 現在わたしは、東京大学の先端科学技術研究センター、通称「先端研」という施設で研究活動をおこなっています。これは率直に書いておきますが、九州工業大学や名古屋大学に在籍していた当時、わたしの中での東大のイメージといえば、とにかく「権威的で頭の固い大学」でした。

 しかし、この先端研に限ってはまったく違います。毎年秋になると先端研のOB会が開かれるのですが、歴代所長が口々におっしゃるのが「もっと怒られなさい!」という言葉です。「ちゃんと怒られるような研究してるのか?」「最近おとなしくなってないか?」「もっと暴れないと、普通の研究所になったらお終いだぞ」と。

 怒られるとは、どういうことか。

 東大における先端研は、ある種の「実験場」です。研究テーマにせよ、研究アプローチにせよ、あるいは社会に対するアピールにせよ、すべてが実験の場になっています。だから先端研の研究者たちは、「それはやりすぎだ!」と怒られることには慣れっこなんですね。

 やるべきことをやらないで怒られるのは、絶対にダメです。でも、なにか新しいチャレンジに挑んだ結果として怒られるのは、まったく問題ありません。

 なぜなら、「それはやりすぎだ!」の叱責は、「そのやり方、いまの制度じゃ無理だよ。制度を変えなきゃ通らないよ」というサインなんですね。怒られることによって、制度上の限界が見えてくる。いまのシステムをどこが古くなっていて、どこを変革していけばいいのかがわかってくる。

 きっとみなさんの仕事でも、新しい試みに踏み出したとき、上司や社外の方々から怒られることがあるでしょう。でも、怒られることを怖がっていては、いつまでも前例主義の慣習から抜け出せないままになります。

 前例を無視して、どんどん新しいことにチャレンジして、怒られる場面ではしっかりと怒られましょう。そしていまの制度にどんな問題があるのか見極めるのです。部署の改革、社内改革、さらに業界改革とは、こうした制度上の限界が見えた人にこそ、着手できます。

成功は8割の反対からうまれる

 とはいえ、わたしだって昔は怒られるのが嫌でした。
 できればみんなからほめてほしかったし、怒られたりバカにされたりすると、ひどく落ち込みました。ヘビ型のロボット内視鏡が学会でまったく相手にされなかったときなど、正直、とてもいやな気持ちになりました。

 そんなわたしにとって大きな救いとなったのが、日本におけるロケット開発の父であり、「ペンシルロケット」の生みの親として知られる糸川英夫先生です。最近の若い読者の方々には、ペンシルロケットというよりも、あの小惑星探査機「はやぶさ」を思い出していただくほうが早いかもしれません。「はやぶさ」が着陸し、見事サンプルを持ち帰った小惑星の名前は「イトカワ」でした。もちろんこれは、糸川英夫先生の名にちなんでつけられたものです。

 わたしは糸川先生から直接指導を受けたわけではありません。それでも糸川先生にあこがれ、学生時代に先生の著作を何度も読みふけりました。特にわたしが感銘を受け、勇気づけられたのは次のような言葉です。

「いい研究とは、10人中8人が反対する研究である」

 反対する人間が多いほど、いい研究なのだと思いなさい。みんなが賛成する研究ではなく、みんなが反対するような研究をやりなさい。わたしも反対されてきた。なにかやろうとすると、8割の人が反対の声を上げた。でも、つまらない反対の声に屈することなく研究を進めていったから、いまがあるのだと。

「あの糸川先生でもそうだったのか!」
 目からウロコが落ちる思いでした。あのロケット開発の父でさえ、10人中8人から反対されるような状況の中で研究を続けていったのか。出発点はそこだったのか。だったら自分が周囲から理解されないのも当然だし、むしろ歓迎すべきことじゃないか。

 さらに、糸川先生は「独創力」という言葉を大切にされていました。独創というと、とてつもなく画期的なアイデアのように思われるでしょう。しかし先生は、独創についてこんなにシンプルな話をされています。

「独創とは『みんながやらないこと』をやることだ」

 まったくそのとおりですよね。みんなと違うことをやれば、それが独創になる。誰ひとりやっていないことにチャレンジするからこそ、独創が生まれる。むずかしいことは考えず、ただ自分だけの道を歩んでいけば、それはすなわち独創なのです。

 思えば、わたしが野球を頑なに拒否していたのも、つまりは「独創力」の萌芽だったのかもしれません。

なぜ関西人は話に「オチ」を求めるのか?

 独創力とは、「みんながやらないこと」をやり抜く力である。
 このシンプルなテーゼをもとに、いったいどうすれば独創力が身についていくかを考えてみましょう。

 たとえばわたしは、大阪生まれの大阪育ち、生粋の関西人です。おかげで、日常会話から講演会まで、とにかく人前で話をするときには「オチ」を用意しないといけないと考えます。うちの学生にとってはウザい親父ギャグかもしれないけれど、オチのないまま話を締めくくっても、どこか落ち着かないんですね。お尻のあたりがむずむずしちゃう。

 別にこれは、親や先生から「話をするときには、ちゃんとオチをつけるんやで」と教えられたわけではありません。落語や漫才を見て、話術の研究をしたわけでもありません。ただ関西という土地に育ち、関西人に囲まれて育ったおかげで、自然とそうなっているだけの話です。

 つまり、人間の思考パターンとは、その人の「生活パターン」によって規定されるものなのです。
 関西に生まれ育ったから、会話の中にオチをつけるという発想が出てくる。オチをつけずにはいられなくなる。これは関西人ならではの思考パターンという以前に、生活パターン(生活習慣)の賜物なんですね。関西に住んでいてオチのない話をしたら「で、結局なんやねん!」「それだけかい!」となってしまいます。

 さて、本題はここからです。
 誰も思いつかないような独創力を持つためには、どうすればいいのでしょうか?

 もう答えは簡単でしょう。関西で暮らしていれば誰だって話にオチをつけたくなるように、思考パターンを変えるためには、生活パターンを変えるのです。つまり日常の行動パターンを変えていくことからスタートするのです。

 たとえば、みんながラーメンを食べていたら、自分だけはカレーを食べる。みんながエスカレーターを使っていたら、自分だけは階段を使う。みんながミステリー小説を読んでいたら、自分だけは植物図鑑を読む。みんなが海に出かけたら、自分だけは山に行く。

 まるでジョークのような話ですが、はじまりはこれくらい些細な行動でかまいません。日常の中に、ひとつでも多くの「みんなと違う行動」を増やしていくのです。

会社や組織に染まることを恐れよ

 実際、エジソンからアインシュタイン、それからスティーブ・ジョブズまで、偉人伝や立志伝中の人物には「変人」と目されても仕方ないようなエピソードがたくさんあります。彼らは独創的な人間だったから、ヘンなことをしていたわけではありません。むしろ反対で、他者とは違った行動パターンを持っていたからこそ、周囲に流されることなく、さまざまな独創をすることができたのです。

 特にわたしが危惧するのが、同質集団に属することのデメリットです。

 同じ会社や同じ大学、あるいは同じ学部や学科にいると、どうしても周囲と同じような生活パターンになり、思考パターンになってしまいます。メーカーらしい発想、大企業的な発想、法学部らしい発想というように、朱に交わって赤くなってしまうのです。

 なんらかの組織に属している人は、自分がどんな集団に所属していて、どんな行動パターンが身についているのかを意識しましょう。そして、周囲との生活・行動パターンを変えていくことにもっと自覚的になるのです。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月20日 17:56

新しい市場とは「探す」ものではなく、自らの手で「つくる」もの、探しているうちは、結局は誰かの後追いに、、、自らの人生を創り上げるクリエイティビティー。。。Vol.3

■ジョブズもディズニーも
作り出したのは「ジャンル」だった!
とあるコンセプトから生まれた世界初のヘビ型ロボットとは?

「新しいものを生み出すにはコンセプトを作ろう」と言われますが、では、あなたはどうやって自分のコンセプトを見つけていきますか?「ジョブズもディズニーも作り出したのはジャンルだった」という言葉の意味とは? ロボット内視鏡を生み出した東大教授の特別授業、第4回!

「どうしたいのか?」「どうなりたいのか?」から始める

 わたしは博士をとってすぐ、「世界でひとりだけしかやっていない研究をしている」という理由で、カリフォルニア大学サンタバーバラ校ロボットシステムセンターで働くことになりました。

 そこで覚えた印象的な言葉に、「グランド・チャレンジ」というものがあります。グランドとは、グランドピアノとかグランドファーザーなんかのグランド。直訳するなら「壮大な挑戦」となるわけですが、これだとちょっとニュアンスが違うんですね。単なる挑戦ではなく「抜本的な改革・イノベーションとしての挑戦」に近い意味が、この言葉には込められています。

 どういう場面で使うかというと、たとえばわたしが学会などで「こういう発想でロボットをつくって、こんな世の中を実現したい」という話をすると、アメリカ人の研究者は一様に「これは素晴らしいグランド・チャレンジだな!」と評価してくれる。

 一方、日本で同じ話をすると「まあ、おもしろい『お話』でしたね」となってしまう。この違い、おわかりになりますか?つまり、日本人の研究者は「夢物語はいいから、実物をつくって結果を出せ」という態度なのに対して、アメリカ人は発想そのものに評価を与えるのです。

 結果的に、この態度の違いが日本から新しい「ジャンル」を生みにくくしているのだと思います。

「グラント・チャンレンジ」の見つけ方

わたしはいつも、学生たちに「コンセプトから考えること」の重要性を説いています。いきなりモノをつくろうとするのではなく、まずはコンセプトレベルから考える。技術を新しくするのではなく、コンセプトを刷新する。

 たとえば、市場に出回っているパソコン。そのスペックは日々改善され、向上していっています。5年前のパソコンと最新型のパソコンでは、ディスク容量から処理速度まで、雲泥の差があるでしょう。しかし、違いはせいぜいスペックのレベルなのです。技術的には日々新しくなりながら、じつはなにひとつとして新しくなっていない。改善に改善を重ねた結果の「最新型」にすぎません。

 一方、iPadに代表されるタブレット型コンピュータは、ノートパソコンの技術をコンセプトレベルで刷新したものになります。使われている技術としてはノートパソコンの延長でありながら、コンセプトがまったく違う。まさにグランド・チャレンジです。

 そしてここから「電子書籍の時代がやってくる」とか「デジタル教科書に使えそうだ」、「カーナビとして使ってみよう」など、ノートパソコンでは思いつかなかったようなアイデアも出てきます。

 話を整理しましょう。

「どうすればもっといいノートパソコンができるか?」
「ノートパソコンに必要な新機能はなにか?」

 ここから出てくるアイデアは、改善や改良の域を出ません。そうではなく、

「自分はどんな世の中を実現したいのか?」
「いま世の中には、なにが不足しているのか?」

 というように、将来のあるべき姿から考えていく。それがグランド・チャレンジであり、コンセプトの発想になります。新しいコンセプトさえ見えてしまえば、それを実現するためのアイデアも出てきますし、自分が取り組むべき課題もわかるはずです。このあたり、コンセプトから逆算する方法について、私が発明したヘビ型のロボット内視鏡を例に詳しく説明しましょう。

世界初「ヘビ型ロボット」を生み出したコンセプト

 わたしが最初に開発した医用ロボットは、ヒト型でもネコ型でもなく、なんとヘビ型のロボットでした。どんなロボットだったのか、簡単に説明しましょう。

 みなさんにご経験があるかどうかわかりませんが、大腸のポリープなどを調べるときには、お尻から内視鏡を挿入することになります。ところが、大腸には「S字結腸」という極端なカーブを描いている部位があります。そのため、通常の内視鏡を挿入しようとすると、内視鏡がS字結腸部分の壁を圧迫してしまい、うまく挿入できなかったり、大きな痛みを伴ったりしていました。

 そこでわたしが指導教員だった広瀬茂男先生と考案したのが、ヘビのようにくねくねと動く「ロボット(能動)内視鏡」です。内視鏡がS字結腸のカーブに沿って動いてくれれば、スムーズに通過して、患者さんに痛みを与えることもない。病気の早期発見にもつながるし、人の命を救うことにつながる。そんな思いからスタートしたロボットです。

 ロボット内視鏡の直径は、わずか8ミリ。ヘビのようにくねくねとした動きを生み出す動力はモーターではなく、形状記憶合金でした。内視鏡の中に形状記憶合金でできたコイルを何本も組み込み、それぞれに加える熱をコントロールすることによって、右に左にと自在に伸縮させる仕組みです。

 この大腸に内視鏡を通そうとするとき、いちばんの障害になるのがS字結腸の急カーブです。このとき、多くの人は「どうすればS字結腸を真っ直ぐに伸ばすことができるか?」と考えます。S字結腸が直線状になってくれれば、なんの苦労もなく内視鏡を挿入できるからです。

 そこで考案されたのが、次のような方法です。
1. 内視鏡とは別にスライディングチューブと呼ばれる筒を挿入し、
2. S字結腸を直線状にしてから、
3. 内視鏡を挿入する。
 たしかに、こうすることでスムーズな挿入が可能になります。しかし、S字結腸を無理やり伸ばすのですから大きな苦痛を伴うのです。

 こうした状況に対して、広瀬先生とわたしのコンセプトは明確でした。

 とにかく「痛くない内視鏡検査」がしたい。
 病院での治療や検査から、可能な限り苦痛を取り除きたい。

 そのコンセプトの下、浮かんできたのが「S字結腸を直線状にするのではなく、内視鏡そのものを曲げられるようにすればいい」「内視鏡をヘビのように動くロボットにしてしまえばいい」というアイデアでした。

 さらに、ここから「じゃあ、具体的にどうすればヘビのようにくねくねと動くロボットができるのか?」と具体的な開発の手順を考えていきました。つまり、

(1)コンセプト……痛くない内視鏡検査を実現する
(2)アイデア………内視鏡をヘビのように動くロボットにすればいい
(3)開発……………素材は?動力は?安全性は?

 と考えていったわけですね。

 決して「くねくね動くロボットができたから、なにか使い道はないかな?」と内視鏡に目を付けたわけではありません。そもそも、「痛くない内視鏡検査」というコンセプトがなかったら、ヘビ型ロボットをつくろうなど考えもしなかったはずです。

 本物のアイデアとは、コンセプトのあとからついてくるのだと思ってください。

ディズニーランドはなにがすごいのか?

 わたしが学生たちに優れたコンセプトの例として紹介し、積極的に遊びに行くのを奨励しているのが、ディズニーランドになります。

 ディズニーランドのベースにあるのは、昔ながらの遊園地であったり、アメリカによく見られる移動式サーカスなのでしょう。また、アトラクション単体で見ていけば、ディズニーランドのものより巨大で高速なジェットコースターを持った遊園地はたくさんあります。決してディズニーランドが技術的に突出しているというわけではありません。しかし、ディズニーランドとその他の遊園地とでは明らかな違いがあります。

 ディズニーのキャラクターがいること?
 たくさんの予算を注ぎ込んでいること?

 そうではありません。遊園地とディズニーランドの圧倒的な違い、それこそが「コンセプト」なのです。

 よく知られているように、東京ディズニーランドでは「ようこそ夢と魔法の王国へ」というキャッチコピーが掲げられています。このコンセプトを徹底するために、ゴミ箱をたくさん設置してゴミが落ちないようにしたり、従業員を「キャスト」と呼んで来場者を「ゲスト」と呼んだり、そこが日常とは切り離された「夢と魔法の王国」であることを実感するための工夫が随所に施されています。おそらく、ここまでコンセプトの実現を徹底した遊園地は他にないはずです。

(1)コンセプト……大人も楽しめる夢と魔法の王国
(2)アイデア………キャラクターを使い、日常から切り離された空間を演出する
(3)開発……………アトラクションは?従業員は?キャラクターは?

 と、大体これくらいまでの話をすると、多くの学生は次のような質問をしてきます。

「コンセプトが大切なのはわかりました。でも先生、問題なのはどうすればディズニーランドのようなコンセプトが生まれるのか、でしょう?新しいジャンルをつくるようなコンセプトって、どこから生まれるんですか?」

コンセプトはどうやって生まれるのか?

 わたしの答えは簡単です。
 コンセプトが生まれる源、それは「夢」です。
 おそらくウォルト・ディズニーには、ディズニーランド建設にあたって大きな夢があったでしょう。「それまでアニメーションの中で実現していたおとぎの世界を、現実の世界に再現したい」という夢です。

 研究者としての自分がラッキーだったなと思うのは、わたしが子どものころには科学全般に「夢」があったんですね。ちょうど高度成長の時代で、たとえば鉄腕アトムが原子力エネルギーで動く「科学の子」だったように、科学が進むほど世界は豊かになり、人々は幸せになれると無邪気に信じていました。

 いま国論を二分するような大問題になっている原子力発電所にしても、「こんなちっぽけなウランで、こんなにたくさんのエネルギーが出るんだ!」と胸をワクワクさせていたし、クラスには機械や科学が大好きな「科学少年」がたくさんいる。新幹線もできるし、アポロは月に飛び立つし、SF映画や漫画もたくさん出てくるし、ほんとうに科学が夢にあふれた時代でした。

 いま、学生たちに「きみの夢はなんですか?」と質問すると、「公務員になること」や「30歳までに起業すること」など、職業的な目標を答える人が増えています。たしかに、それはそれで立派な目標でしょう。

 しかし、わたしの言っている「夢」とは、目に見える目標ではなく、もっとバカバカしいものだと思ってください。
周りの大人から「そんなバカなこと言ってないで、もっと真面目に考えろ」と笑われるようなこと。「いい歳して夢みたいな話ばかりするな」と叱られるようなこと。

 大きな夢を持つには、バカになる勇気が必要です。わたしは「バカ」の力を信じていますし、その可能性を信じています。そしてバカになるための実践的なトレーニングとして、前任の名古屋大学だけでなく、最近では東大名物ともなりつつある「バカゼミ」という特別講義を毎年実施しているほどです。

 この「バカゼミ」については本書で詳しく紹介するとして、ここでは「コンセプトの大元には『夢』がある」「夢とは本来バカバカしいものである」という2点を忘れないようにしてください。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月20日 17:44

そのとおり!!!Vol.30、、、まずはこうしてマスコミが傘をさして外に出ることから。。。

■福島原発汚染水/拡散防止策は国の責任だ

 福島第1原発の放射性汚染水対策で国がようやく動きだした。汚染水の海への流出が明らかになり、重い腰を上げた形だ。

 汚染水問題に対して国はこれまで危機意識がなさすぎた。国が関与しても流出防止は極めて難しいことに変わりはないが、東京電力の手に負えない状況も明らか。国が前面に出て対策を講じていくしか道はない。

 その場しのぎでなく根本的な解決策を探るためには、原子力プラントや汚染除去の技術者はもちろん、地質や地下水の専門家らも幅広く結集して当たらなけれならない。

 国は早く「司令塔」の役割を担う組織を立ち上げて放射性物質の拡散状況などを調べ、長期的な対策をまとめるべきだ。

 国策として原子力利用を推進し、その揚げ句に過酷な福島第1原発事故が起きた。土壌や海洋の汚染を防ぐ最終的な責任は間違いなく国にある。

 国によると、福島第1原発1〜4号機とその周辺には、1日に約千トンの地下水が入り込んでいるという。そのうちの約400トンが原子炉建屋地下などに流入し、溶け落ちた核燃料の冷却水と混じり合っているが、取りあえず回収されている。

 残り600トンのうち300トンは汚染されずにそのまま海に出ているが、300トンは「トレンチ」と呼ばれる地下道に入ってから海に流出している。トレンチ内には、原発事故当初から高濃度の放射性物質が含まれた汚染水がたまっている。

 結局、毎日700トンの汚染水が発生し、うち300トンは海に流出、400トンは回収して保管していることになる。

 地下水の流入防止策として地盤を凍らせる「凍土遮水壁」が検討されており、国はその費用を2014年度予算に計上する方向だという。予算化されれば汚染水対策への初の国費投入になるが、それだけで済む状況ではない。

 まず、原発敷地内の地下水の経路や水位を徹底的に調べるべきだ。東日本大震災の揺れによって地下の状況が変化していることも考えられるだろう。

 同時に設備の損傷が地下水流入をもたらしていないかどうか、詳しく調査しなければならない。いずれも東電の資料や説明をうのみにせず、しかるべき専門家にあらためてきちんと確認してもらう必要がある。

 根本的な対策は、そうしたデータを集めてから検討した方がいい。応急処置はもちろんその都度進めるべきだが、恒久的な対策は効果を慎重に評価してから決定するのが望ましい。

 汚染水の保管も重大な問題だ。海洋投棄ができなければ、いずれ原発敷地外や県外への移送も検討せざるを得ない。その場合、国の役割が欠かせない。

 福島第1原発事故の後始末は並大抵のことではないにもかかわらず、国の危機意識は乏しかった。「廃炉対策の推進」は訴えても、掛け声にすぎなかった。もはや破綻の瀬戸際にあると深刻に受け止め、具体策をまとめて国民に説明すべきだ。

[河北新報社]

Posted by nob : 2013年08月17日 11:34

グローバーズ総自営業者化による生涯労働可能社会の構築、、、それこそがサスティナブルな成熟から超熟自由資本主義社会創造の鍵。。。

■「高齢化社会」では高年者が扶養される側から扶養する側に回ることが必要
ドラッカー

「高年者は、あらゆる先進国において、いかなる弱者をも超えて突出する巨大な弱者である。増大を続ける唯一の弱者である。この弱者は、多様な層を横断的に網羅する。その意味で、もっとも普遍的な弱者である。誰もが、その一員になると考える唯一の弱者である。年をとることは、望ましいことではない。だがほとんどの者は、死ぬよりは年をとる方を選ぶ」(『イノベーターの条件』)

 ドラッカーはさらに言う。「この弱者は、自らの過ちのゆえに不遇なのではない。他の者の過ちのゆえに不遇なのでもない。あるいは、誰かが、彼らの犠牲のもとに得をしているのでもない。社会の犠牲者とされているわけではない。彼らは社会の成功者である」。

 その社会の成功者が、働く能力と働く意思を持つにもかかわらず、年齢のゆえに、働く機会がない。

 そのくせ、高年者に働いてもらわない限り、社会が持たない。現役就業者が扶養できる退職高年者の割合には限度がある。しかも、先進国の多くが、すでにその限度を超えた。

 できるだけ多くの退職高年者に、扶養される側から扶養する側に回ってもらわなければならない。幸い、彼らのほうが、手ぐすね引いて、声のかかるのを待っている。壮年時並みの報酬を期待しているわけではない。貢献の場と絆を求めているにすぎない。定年の延長とは、そのための制度改革である。

 社会の空気を決めるものは、増大しつつある人口層である。かつての先進国では、若年層がそのような人口層だった。そのため若者文化が先進国の文化となった。

 ところが、今増大しつつある人口層は高年者である。したがって、これからの社会の空気を決めるものは高年者である。しかも、彼らの投票率は高い。彼らの価値観が社会の価値観となっていく。

 ただし、定年の延長には、一つだけ条件がある。本人たちの納得しうる退職基準の設定とその運用である。加齢による創造性と生産性の低下は自覚の難しい症状だからである。

「高年者に対しては、機会の平等を与えなければならない。今日のように、年齢を理由として働く機会を奪ってはならない。ただし、それでもなお、問題は緩和されるにすぎない。強制的な退職を何歳にしようとも、その先に年月がある」(『イノベーターの条件』)

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月16日 11:10

「直ちに健康に影響はない・・・」の実情、、、そもそもまともな親なら信じない。。。

■甲状腺がん頻度3県で継続調査へ 福島原発事故の影響探る

 東京電力福島第1原発事故による子どもの健康への影響を調べるため、環境省は15日までに、青森、山梨、長崎3県での甲状腺調査を継続することを決めた。福島県では事故後の調査で甲状腺がんと確定した子どもが12人に上るが、事故の影響がない3県で甲状腺がんの発生頻度を調べ、福島県での割合が高いかどうかの判断材料にする考え。

 福島県の「県民健康管理調査」では、従来考えられていたよりも高い割合で甲状腺がんが見つかっている。小さいしこりの発症割合は3県と比較して差がなかったため、大きなしこりが見つかった3県の子どもの細胞や血液を継続して調べる。

[47NEWS]

Posted by nob : 2013年08月16日 10:59

こんな一般米国人の声をもっと聞きたい。。。

■O・ストーン氏:「基地はもう必要ない」名護で住民ら激励

 米軍基地問題の現状を調べるために沖縄県を訪れている米国の映画監督、オリバー・ストーン氏は14日、沖縄戦の戦跡などを視察した。米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設が計画されている名護市では、移設に反対する稲嶺進市長や住民と会い、「基地はもう沖縄に必要ない」などと激励した。

 同氏はまず、沖縄戦の激戦地だった糸満市を訪れ、多くの犠牲者が出た「轟(とどろき)の壕(ごう)」や戦没者の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を視察した。名護市に移ると、普天間移設予定地の辺野古沖をボートで回った後、移設反対の活動を続けるお年寄りらと懇談。「戦後68年がたち、冷戦も終わっているのに、こんなに美しい地形を壊して更に基地を造る必要はない」と語った。

 稲嶺市長との会談では「悲劇を体験した沖縄にまだ基地が残っていることに驚いている。(米国は)もう敵はいなくなったのに、次々と新しい敵を見つけて(基地を)残そうとしている」などと述べた。市長が「沖縄と名護の状況をアメリカ国民に伝えることで支援をお願いしたい」と訴えると、うなずいていた。【福永方人】

[毎日新聞]

Posted by nob : 2013年08月16日 10:56

結局のところは自らの在り様のみが真実、、、所詮相手や組織や社会の真偽はどちらであろうと大差はないし確かめようもない。。。

■嘘つきを見抜く科学的方法

虚偽検出トレーニング企業「Calibrate」の創設者兼CEOパメラ・メイヤー氏は嘘つきに共通する態度を科学的に観察し、どのようにしてそれを見抜けるかの専門的アドバイスを出しています。その中には以前紹介した「その話が嘘か本当かは、物語構造に注意して見抜くべし」もあります。

今回は、そんな彼女が科学的に嘘を見抜く方法を教えてくれました。

メイヤー氏によると嘘は「協力行為」であるのだそうです。人は皆、衝突を避けるための嘘を容認しがち。本当は忘れていただけなのに、メールが迷惑メールフォルダに分類されたため返事ができなかったと言うなど、その手の類です。

研究によると人は1日に10回〜200回の嘘をつかれているそうです。また初めて出会ってから最初の10分の間に3回の嘘をつくということも分かりました。

人は理想と現実のギャップを埋めるために嘘をつくのだと、メイヤー氏は分析しています。つまりそれが真実であろうとなかろうと、そうあってほしいと願うため、事実が判明するより先に嘘をつくのです。いわば人の嘘は、理想とする未来の「前借り」なのかもしれません。

ほとんどは悪意のない嘘ですが、中にはひどいものもあります。

幸い科学は相手に嘘をつかれていると分かるいくつかのサインを示していて、その多くが一般的に思われているのと正反対のものです。

* 嘘つきは、話題から距離をおくことを好みます。元アメリカ合衆国大統領、ビル・クリントン氏を例に見てみましょう。「私はあの女性とは性的関係を持っておりません」(I did not have sexual relations with that woman.)「あの女性」という距離の置き方と、「〜おりません」というフォーマルな表現が、嘘であるということを教えてくれます

* 嘘つきは「本当のことを言うと」などの、言っていることの真実味を増すための表現を使います

* 質問をされ、不正直な回答をする前にその質問を繰り返すことは、嘘のわかりやすいサインです

* 嘘つきは相手の目を過剰に見ます。もそもそせず、上半身をがっちりと固めます

* 嘘つきは作り笑いをします

* 嘘つきはできごとの詳細を語るのが好きです

* 嘘つきは起きたできごとを「後ろ」から順に話すのが苦手です

* 嘘つきは出口に足を向け、その場を早く去りたがります

* 嘘つきは、嘘について質問をしている人物と自分の間にバリヤーとして物を置くことがあります

Adam Dachis(原文/訳:山縣美礼)

[lifehacker]


■嘘を見破るには、巧妙な嘘つきの10の特徴を知ろう

人間は、生まれながらにして嘘をつく才能がそなわっています。人間のような社会的な動物にとって、嘘をつく能力は、生きるために必要な時があります。1999年にマサチューセッツ大学の心理学者、ロバート・フェルドマン教授がおこなった研究によると、最も人気のある子どもは、嘘が上手な子だったとか。とはいえ、悪い嘘にはひっかかりたくないですよね。そこで今回は嘘を見破るために、巧妙な嘘つきの10の特徴をお教えます!

1:嘘をつく、明確な理由を持っている

心理学者で『Lies! Lies! Lies!』という本の作者、チャールズ・フォード氏によると、刑務所には嘘をかさねてしまう、下手な嘘つきがたくさんいるそうです。フォード氏によると、上手に嘘をつく人は、嘘をできるかぎり小さな嘘にしているとのこと。本当に何か欲しい時や何かをなしとげたい時にだけ、嘘をつくわけです。

2:下準備が万端

心理学者のビル・フラナガン氏の1990年の研究によると、詳細までしっかり嘘の話を考えた人のほうが、嘘の成功率が非常に高かった、とのこと。下準備のしっかりなされた嘘は見破りにくいようです。

3:誤解を招く、真実を言う

見破るのが最も難しい嘘は、本当は嘘ではないことです。本当のことを言っているけれど、聞いた方が違う理解をしてしまうような言い方をするのも、うまい嘘なのです。

4:相手のことをよく知っている

巧妙な嘘つきは、コミュニケーション上手でもあります。相手の共感してほしいポイントを知り、それに共感するのです。そうすることで、相手の猜疑心をうまくカバーしています。『Lying and Deception in Everyday Life』という本の編集者、キャロライン・サーリン氏は「信憑性のある嘘をつく人は、相手のものの見方に配慮しています。相手の知っていることを知り、興味のあることや活動に気をつけているわけです。」と述べています。

5:事実を途中で変えない

心理学者のマイケル・ルイス氏によると「上手に嘘をつくのは、本当に難しいんです。嘘をついている間ずっと、つじつまを合わせないといけない。それが大変なんです。」とのこと。細かい部分まで、ちゃんとつじつまを合わせた話を作るのは、確かに大変です。そのために、メモを作っておく人もいるとか。

6:集中している

ロサンゼルス保安官事務所の殺人課で、尋問を担当しているジョン・ヤーブロー巡査は「相手がどれだけ熱心に話をしているかどうかをみて、嘘かどうかを判断する」そうです。嘘をついている時、人はそこまで熱心に自分の話をしていないのだとか。嘘が下手な人は、嘘をつくことに罪の意識を感じ、嘘がばれるのをおそれているので、早く話を終わらせたいと思います。そのため、さっと話を終えて、次の話にうつるとき、つい顔に安堵の色が浮かんでしまうのです。これに対して上手な嘘つきは、嘘をつく過程を楽しんでおり、嘘がばれることを恐れる気持ちも感じていません。だから、嘘を見破るのが難しくなるのです。

7:しぐさに注意している

そわそわすると、人は自分の鼻をさわり、口ごもり、嘘をつく時には、目をそらすと言われています。嘘が上手な人は、話以外のアイコンタクトや、身振り手振りをコントロールするのが上手な人です。

8:プレッシャーをかけてくる

明らかに疑われている時、感情を高ぶらせるのが、上手い嘘つきです。ジョン・ヤーブロー巡査は、嘘が上手な人は、自分を巧みに操るのが上手だと述べています。ヤーブロー巡査は、その好例として、映画「氷の微笑」で、シャロン・スト−ンが警察を挑発するシーンをあげ、相手を性的に興奮させることで、嘘を見破られないようにしている、という手法を紹介しています。

9:反撃してくる

ほとんどの人が、嘘をついたり、人を責めるている時は、気分が落ち着かないもの。しかし、この落ち着かない気分が、嘘をつくときの媚薬になるそうです。『The Truth About Lying: Everyday Techniques for Dealing with Deception』という本の著者、スタン・ウォルターズ氏はこのように語っています。「責められている政治家が、攻撃的に相手に言葉を返しているのを見ますよね。政治家はああすることで批判を退け、次の小競り合いにそなえているのです。」

10:バーゲン

上手な嘘つきは、嘘がばれたとしても、心理学者が「バーゲン」とよぶ行為で、最悪の状況をのがれることができるのだとか。リサーチャーのメリー・デパルマ氏はこのように語っています。「嘘をつくと、その責任を軽減させたり、完全になくしたくなるものです。もし、嘘をついたことによって受けるかもしれない、非難や怒りを軽減できれば、最後の結果は少しはマシになります。」

いかがだったでしょうか?この人嘘ついてるんじゃないか? という場面では、この10か条を思い出してみてください。

Top 10 Secrets of Effective Liars [Psychology Today]

Erica Ho(原文/訳:阿久津美穂)

[lifehacker]


■その話が嘘か本当かは、「物語構造」に注意して見抜くべし

パメラ・メイヤー氏は虚偽検出トレーニング企業「Calibrate」の創設者兼CEOで、視覚的な手がかりと心理学の手法を用いて虚偽を検出する訓練を行っています。また、ソーシャルネットワーク企業「Simpatico Networks」の創設者でもあり、『しょっちゅうウソをつかれてしまうあなたへ』の著者でもあります。さらに、ハーバード大学でMBAを、クレアモント大学院で公共政策の修士号を取得した公認不正審査士でもあります。今回は、メイヤー氏が物語の構造で嘘を見抜く方法を解説します。

心理学者や精神科医は、患者たちが自らの体験を物語として語ることで、自分に起きた出来事を理解していく助けになると知っています。実際、人はそれぞれ自分の物語を持っています。そして、人が語る物語に注意深く耳を傾ければ、様々なことが見えてきます。例えば、本当に体験した出来事を語る場合と、作り話を語る場合とでは、物語の語り方に大きな違いが現れます。

人が記憶をもとに体験を語るとき、物語のように、序章・本編・終章の順番で語られると思いがちです。しかし、実際は違います。記憶はそれほど秩序だっていません。イスラエルの元警察官Avinoam Sapir氏は、供述書の嘘を見破る分析技法「科学的内容分析(SCAN)」を開発した虚偽検出のエキスパートです。Sapir氏によると、真実の記憶をもとにした物語は、時系列では語られないそうです。劇的な体験をした物語ほど時間順では語られません。語り手は、強烈な体験をした出来事から真っ先に話そうとします。印象が薄い体験は後から補足されるのです。

もちろん、ドラマチックな出来事が最初に語られない物語はすべて「でっちあげ」というわけではありません。また、真実の物語も時系列で語られないだけで、基本的な物語構造を持っており、プロローグ、メインイベント、エピローグの3つのパートを必ず含んでいます。

プロローグ(序章)

プロローグはメインイベントへ向かうための準備をするパートです。真実の物語では、通常このパートはとても短くなります。あまり詳細には語られず、物語全体の3分の1以下の時間しかかけられないのが普通です。一方、虚偽の物語では、プロローグがやたら長くなり、不必要なほど詳細が語られます。なぜなら、嘘をつこうとする人にとって、プロローグは居心地のよい安全地帯であるからです。これから嘘をつくつもりの語り手は、プロローグの段階ではまだ真実を話していることが多いのです。その出来事が起きた時間や場所などについてはたいていは事実を話します。つまり、まだ嘘をついていないので、安心していられるのであり、この安全地帯にできるだけ長くとどまろうとするのです。

メインイベント

物語が真実である場合、メインイベント部が一番長くなります。最も重要なパートであり、核心となる出来事や行動が語られる場所です。一方、虚偽の物語では、メインイベントこそが嘘をつく場所になります。嘘の物語では、逆にメインイベントは極端に短くなります。あまり詳細には語られません。嘘を見破られるリスクがあるので、できるだけ早くやり過ごしたくなるわけです。

エピローグ(終章)

真実の物語にはエピローグが必ず含まれます。また、本人は気づいていないことが多いのですが、人はエピローグを話すときとても感情的になります。メインイベントを話すときよりも強い感情が現れることもあります。恐怖や驚きに満ちた体験をしたとき、感情を処理するのには時間がかかるものです。エピローグを話すとき、こうした処理しきれないでいる感情が顔を出すのです。

一方、虚偽の物語の90%はエピローグを含みません。メインイベントを語り終えると、そこで話をやめてしまいます。エピローグはメインイベントの体験から自分が受けた影響を語る部分です。もちろん、作り話の場合、そんな影響は受けていないのですから、話せることは何もないのです。嘘をつく人は、必要以上の嘘はつきたくないと考えています。すでにメインイベントで嘘をついたのですから、それ以上は嘘をつきたくはないのです。

つまり、真実の物語の特徴とは、時系列順に語られず、一見無関係に見えるエピソードが含まれたりすることです。一方、虚偽の物語は、論理的で一貫性がある反面、生々しい具体性に欠けるのです。

Pamela Meyer(原文/訳:伊藤貴之)

[lifehacker]

Posted by nob : 2013年08月16日 10:43

国民の力の総合以上の政府が出来上がることはない。。。

■失言だらけの日本はアジアの平和にとって危険
ギデオン・ラックマン

安倍政権の広報外交はひどい。中国との溝が深まるだけでなく、アメリカとも距離を作りかねない。

日本が見せる広報外交のやりかたは、バカバカしさと陰険の間をウロウロしている。日本政府はここ数カ月というもの、アジアの周辺諸国をとことん不快にさせると同時に欧米の同盟諸国をとことん気まずくさせる、まさにそれを目的としているかのような外交の失策ばかりを次々に重ねてきた。

似たようなケースが先週もあった。日本は第2次世界大戦後最大級の海上艦を建造し、その進水式を行なったのだ。この艦は名目的には駆逐艦だが、実質的には空母だ。日本海軍の強化は、中国の軍拡に対する正当な対応かもしれないが、アジアの海で緊張が高まっている今、日本は慎重に進むべきだ。だとすると、この新しい艦を「いずも」などと名付けたのはいったいどこの天才なのか? 1930年代の中国侵攻の一翼を担った旧日本海軍艦「出雲」と同じ名前に。

日本はわざと挑発していると、中国はただちに批判した。似たような事例が何もなければ、中国の批判は的外れだと受け流しやすいのだが、そうではないのだ。このわずか数日前には日本の副総理大臣の麻生太郎氏が、日本の平和憲法を改憲するにはナチスの手口から学ぶのがいいかもしれないと示唆していたことが発覚している。麻生氏はこう言った。「だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」。当然ながら激しい批判の声が次々に上がり、内閣官房長官が「安倍内閣としてはナチス政権を肯定的にとらえることは断じてない」と政府の立場を改めて説明する羽目になった。

このわずか数カ月前には、安倍晋三首相が不快な失態を演じている。自衛隊練習機に試乗した安倍首相は親指を立てた姿で写真に収まったのだが、その機体の側面には「731」という数字が大きくはっきりと描かれていた。しかし「731」というのは、生きた人間に対する生物化学実験を行なった悪名高い旧日本陸軍部隊の番号なのだ。安倍首相のこの写真が出回った5月、私は韓国にいた。そのとき話を聞いた韓国の人は誰もが、これは意図的な挑発だと確信していた。当時の私はそれは考え過ぎだと思い、取り合わなかった。しかし今となっては、どちらとも言えなくなっている。そして韓国の新しい大統領、朴槿恵(パク・クネ)氏はあえて前任者4人の先例を破り、初の公式訪問先に日本ではなく中国を選んだ。

過去の戦争に対する日本政府の姿勢は15日にさらに試されることになる。日本の戦死者慰霊のため保守政治家はよくこの日を選んで靖国神社を参拝するのだ。しかし靖国神社には戦犯14人も祀られている。そのため日本の政治家たちが参拝するたびに、アジアの他の地域は当然のこととして憤慨する。今年は安倍首相と主要閣僚は靖国に参拝したい気持ちを我慢するようだが、それ以外の政府関係者は何人も参拝するはずだ。

しかし靖国参拝を多少我慢したからといって、これまでのダメージを全て帳消しにできるわけもない。日本に友好的な欧米諸国は、事態を警戒している。日本に長く暮らし、信頼できる政府筋の情報元をたくさん持つ人物は、今の政権について「1945年以来、最もナショナリストな政権だ」と言う。安倍氏の取り巻きの中には「第2次世界大戦の唯一の問題は日本が負けたことだ」と考えているような、そういう印象を与える人たちが何人かいるのだと。そのような考え方では、中国との溝が深まるだけでなく、アメリカとの溝も同様だ。日本は防衛をアメリカに頼っているのに。実際に米政府高官たちは中国のナショナリズムと同じくらい、日本のナショナリズムを懸念しているようだ。オバマ政権の第1期目に東アジア・太平洋担当の国務次官補だったカート・キャンベル氏は最近の記事で、太平洋における戦争リスクに懸念を示し、「日本政府も中国政府も、国内のナショナリスト的な感情を利用しようと決心している」と指摘した。

安倍政権のひどすぎる広報外交は、日本にいる大勢の優秀な外交官にとって悪夢に違いない。外交官たちは、日に日に危険度の高まる地域において日本の利益を守ろうとしているのだから。これが特に残念なのは、自分の国を再生させようという安倍氏の考えの中には、正しい方向を向いているものもあるからだ。「アベノミクス」は高リスクではあるが、遅ればせながらもやっと出てきた日本のデフレ対策だ。自国の防衛に日本がもっと活動できるようにするために憲法を改正するというのも、理屈としてはまともだとさえ言える。

中国が力を増すのに伴い、世界第3の経済大国・日本が自国防衛をまるごとアメリカに依存している状態の異常性も高まっている。現行の取り決めは日米双方にとって負担だ。日本はアメリカへの依存について神経質かつ恨みがましい状態になるし、アメリカは日本政府のせいで対中戦争に巻き込まれるのではないかと不安になる。

日米安全保障の条件を緩めた方が、取り決めのバランスはよくなるだろう。そうすれば東シナ海の小規模な領土紛争が世界戦争の火種となってしまうような、そんなリスクはなくなる。その見返りに日本は自前の軍事力を増強できるようになる。むしろ、増強するよう奨励されることになる。

アジアの戦略バランスがそうやって何らかの形で変化すれば、中韓政府だけでなく各地に動揺を与えるのは必至だ。それだけに、最高の外交技術を駆使して、細心の注意を払いながら実施しなくてはならない。それにもかかわらず今の日本政府の閣僚といえば、大日本帝国について非建設的かつ曖昧な言動を繰り返し、ナチスや拷問部隊について異様な失言や失態を重ねるばかりだ。笑い話にしたいところだが、事態はあまりに深刻かつ危険だ。とても笑い話では済まされない。

(訳注・原文に「navy」と書いてある部分は「海上自衛隊」などとせずにあえて「海軍」としました)
(翻訳・加藤祐子)

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[Financial Times]

Posted by nob : 2013年08月16日 10:31

だらしない、、、でも彼は脱原発宣言をしただけマシ、告発するなら原因究明と事故処理もされないまま、その後看過を続けた野田氏、原発推進に走る安倍氏の方がずっと大罪人。。。

↑それらを傍観黙認する私たち国民の愚かしさの極み。。。


■菅直人氏、地検の事情聴取を拒否! 原発事故で業務上過失傷害容疑

 東京地検が今月、東京電力福島第1原発事故の対応をめぐり、業務上過失傷害容疑などで刑事告発された民主党の菅直人元首相に、任意の事情聴取を要請したことが分かった。政治パフォーマンスで目立ってきた菅氏だが、聴取を拒否して書面で回答する意向という。

 菅氏は週内にも「対応に問題はなかった」などと告発容疑を否認する書面を提出する。聴取拒 否の理由は、首相としての対応で捜査機関の聴取に応じる前例を作れば、今後の危機対応に悪影響を及ぼす恐れがあるためという。読売新聞(13日夕刊)や東京新聞(14日朝刊)が報じた。

 一昨年3月の原発事故では、原子炉格納容器の圧力を下げるベントが急がれたが、菅氏が現地視察を強行したため作業が遅れ、水素爆発を招いたとして、福島県の住民らが告訴・告発していた。

 菅氏は一連の事故対応で、東電幹部や経産省幹部らに怒鳴り散らすなどして「史上最悪の宰相」と呼ばれた。「首相」の肩書を失ったいま、地検検事相手に持論をぶちまける勇気もないのか。

[ZAKZAK]

Posted by nob : 2013年08月14日 13:33

そのインターネットという国際大型ホテルには鍵のかかる部屋はない、、、部屋に置かない以外に大切なものを護る術はない。。。

■「見て感染」サイト急増…トヨタ・環境省も被害

 官公庁や企業のウェブサイトを見ただけでウイルスに感染するケースが急増している。

 閲覧者を自動的に別のサイトに誘導するよう改ざんされており、今年7月末までの4か月間に確認された改ざんサイトは2500件以上に上り、昨年度1年間の件数に匹敵する。専門家は「閲覧者が感染に気づかないまま、個人情報が流出している可能性が高い」と警告している。

 セキュリティーに関する情報提供などを行う一般社団法人 JPCERT ( ジェイピーサート ) によると、今年4月〜7月末に届け出を受けたサイト改ざんは2953件に上り、昨年度の2856件を超えた。そのうち、画面を書き換えるだけの従来型の改ざんは約1割で、残る2500件以上は、閲覧者を不正サイトに誘導し、ウイルスに感染させるタイプだった。閲覧者のパソコン画面には誘導先サイトが表示されない細工がされ、気付きにくいという。

 トヨタ自動車の場合、6月5日に改ざんされ、5日後に外部から指摘を受けたものの、原因を特定できず、サイトを停止したのは14日になってからだった。調査の結果、閲覧者が別サイトに誘導され、遠隔操作型ウイルスに感染させられる仕組みだったことが判明。この間の閲覧者は約7万8000人に上るという。トヨタは「サイト上で告知しているため、個別の連絡はしていない」としている。

 環境省では、光熱費の支出などを入力すると二酸化炭素の排出量がわかる「CO2みえ〜るツール」サイトを3月3日に改ざんされた。12日後にサイト停止するまで約350人が閲覧。同省は企業や自治体41団体には電話で連絡したが、個人利用者は特定できなかったため通知していない。

 閲覧者は、ウイルス対策ソフトを最新の状態にするなどの対策が必要だが、日本セキュリティオペレーション事業者協議会では「サイト管理者がサーバーの弱点を修正し、改ざんを防ぐ必要がある」として22日、セキュリティーに費用をかけにくい中小企業を対象に無料相談会(info@isog- j.org)を実施するという。

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年08月14日 13:16

許容すること、、、それは最強の剣。。。

■姜尚中「一生、折れない心の作り方」

姜 尚中 かん・さんじゅん
東京大学大学院情報学環教授
1950 年、熊本市生まれ。熊本県立済々黌高等学校卒。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。国際基督教大学准教授を経て、現在は、東京大学大学院情報学環教授。専攻は政治学と政治思想史。悩みを手放さず、真の強さをつかむ生き方を提唱した『悩む力』(集英社新書)は、80万部を突破。『在日』『愛国の作法』など著書多数。

日本人に不足する、投影=プロジェクトという営み

<われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか>

ゴッホと並び称される19世紀末の天才画家、ポール・ゴーギャンの畢生の作品のタイトルが、現代に生きる日本人の心理にぴたりと重なることに、私は驚きを禁じえません。

2011年8月、私は、東日本大震災がもたらした悲劇に、まだ日本中が打ちひしがれているさなか、『あなたは誰? 私はここにいる』(集英社新書)というタイトルの絵画評論を上梓しました。いま、日本人は非常に苦しい状況に置かれています。世界経済はあたかも株価のように乱高下を繰り返し、しかもそれは1年、2年周期の景気循環による変動ではなく、どうやら世界の構造的な変化に根ざすものであるらしい。

国内に目を向ければ、長期的なデフレから脱却する道筋はまったく見えず、退職金、年金といったサラリーマンのライフスタイルを規定してきた制度が明らかな綻びを見せている。まさに、「われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」が、まるで見えない状況にあるのです。

このきわめて不安定な、不安感に満ちた時代に、あえて「あなたは誰」なのかを問い、「私はここにいる」という確乎としたメッセージを届けたい。それが、このタイトルに込めた私の願いでした。

私が、絵画との鮮烈な出会いを体験したのは、20代の終わりのことでした。当時の私は、大学院は出たものの国籍問題で就職先が見つからず、日本から逃れるようにドイツへ留学していました。鬱々とした不安な日々を送っていた私は、ふらりと入ったアルテ・ピナコテーク(ドイツの国立美術館)の1室で、1 枚の自画像と運命的な出会いをしたのです。

それは、500年前に生きた画家、アルブレヒト・デューラーの描いた「自画像」でした。自画像のデューラーは私に向かって、

「あなたは誰?」

と問いかけ、

「私はここにいる」と語りかけてきました。

この絵は500年の間、私の来訪を待っていたのだ。そう確信できるほどの、眩暈を覚えるような邂逅でした。

北方ルネサンスの巨匠、デューラーの生きた時代は、ルネサンスという言葉の持つ明るいイメージとは裏腹に、戦乱、殺戮、疫病、飢餓が繰り返された陰惨な時代でした。

そんな時代をあるがままに受け入れ、迷うことなく絵画に生涯を捧げる。「自画像」からは、そんな決然たる意志と矜持が伝わってくるのでした。

そして私は、この自画像と出会ったおかげでモラトリアムに終止符を打つことができた。私も自分の置かれた状況をあるがままに受け入れ、それを超え出るための1歩を決然として踏み出そうと……。

いささか唐突に聞こえるかもしれませんが、いまの日本人にとって、「自分だけの1枚の絵」に出会うことは、とても大切なことだと思います。なぜなら絵画は、強烈な思い込みを許容してくれる芸術だからです。絵画には、自分の想像力や主観を丸ごと投影することができます。

投影とは、プロジェクトです。普通、プロジェクトというとき、われわれは複数の人間がある目的を達成するためにチームを組んで行動することを想定します。しかし、プロジェクト本来の意味は投影、すなわち自分の主観を世界に向けて投げかける行為のことを指すのです。

実は、現代の日本人に最も不足しているのが、この投影=プロジェクトという営みなのです。

周囲から単なる思い込みだと馬鹿にされようと、愚かな行為だと冷笑されようと、なりふり構わず主観的な思い込みで突っ走るパワーが、現代の日本人には決定的に不足している。

こうしたパワーは、決して複数人によるプロジェクトでは発揮されません。ヒューマンリレーションを気にかけざるをえない状況では、思い込みのパワーは出ない。たったひとりの、主観的な思い込み。蛮勇とでも呼ぶべき思い込みこそ、新しい時代を開く力なのです。そして絵画には、そんな思い込みを完全に解放してくれる力があるのです。

絵画にはまた、精神をリフレッシュさせる力があります。リフレッシュといっても、心理カウンセラーやセラピストが行うような、生やさしいものではない。自我が溶け出し、最後には消失してしまうようなリフレッシュです。

私は、マーク・ロスコやパウル・クレーの抽象画に出会ったとき、まさに自我が溶け出していくのを体験しました。それは、自我と世界の関係を引き裂かれるような感覚でしたが、決して恐ろしいものではなく、エクスタシーに似た快感を伴う体験でした。そして、自我が溶け去った後に、何か新しいものが自分の中に芽生えてくるのを感じるのでした。

すべてを受け入れて、決然として立て!

熊田千佳慕という画家がいました。少年時代から『ファーブル昆虫記』を愛読していた彼は、60歳を過ぎてから『ファーブル昆虫記』の世界を絵画化する仕事に没頭しました。

「恋のセレナーデ」という、交尾寸前の雌雄のコオロギを描いた絵があります。一見、ただの虫の絵です。しかし、この絵とじっと対峙していると、宇宙にこの雌と雄しかいないのだという気がしてくる。このコオロギたちは、いま、ここで無心に生き、そして命を燦然と輝かせている。そのことが、直感的に把握できるのです。

アメリカの高名な臨床心理学者、L・ザルズマンは、フラジャイルな存在である人間が絶えず変化していく環境に適応しようともがくことから不安が生じると喝破しました。明日を案じるから、人間は不安になるのです。

では、不安から逃れるにはどうすればいいのでしょうか。ザルズマンは“here and now”「いま、ここを生きよ」と言いました。私に言わせれば、それは千佳慕の描くコオロギです。彼らは、いま、ここを無心に生きている。

すべてを受け入れて、決然として立て。そして、いま、ここを生きよ。

デューラーの自画像が、千佳慕の描く昆虫たちが、こう私に語りかけてきます。いずれの絵も、決して明るい絵ではありません。しかし、本当の希望は明るさの中からではなく、闇の中から、苦悩の底から生まれてくるのです。

多くの画家が、不幸に満ちた悲惨な人生の中から傑作を生み出したように、日本という国の真価は、この、先の見えない闇の中からこそ輝き始めるのだと私は信じています。

[PRESIDENT online]

Posted by nob : 2013年08月14日 13:02

もはやそんなレベルの問題ではない、、、東北から流出した漁船が福井沖で発見され、このままでは日本の漁業の壊滅はもちろん世界的海洋汚染は止められない。。。

■福島第1原発:汚染水流出 福島、隣県漁業者の怒りと苦悩

 東京電力福島第1原発でくみ上げが始まった放射性汚染水の問題が、福島県や隣県の漁業者をさいなむ。東日本大震災と原発事故から2年5カ月余り。ずっと操業再開に傾注してきただけに、今ごろになって東電が海への流出を認めたことに「風評被害が助長される」「努力が水の泡。痛恨の極みだ」と激しい怒りが噴き出す。いつになれば心置きなく出漁できるのか−−。

 沿岸漁業の自粛が続く福島県。2012年6月に試験操業を始めた相馬双葉漁協(相馬市)は9日、9月に予定していたシラス漁などの試験操業を延期する方針を固めた。組合員から「風評被害に拍車がかかる」などの意見が相次いだため。約1年かけて対象魚種を計16種類に広げ、出荷にこぎつけた。佐藤弘行組合長(57)は「本格操業に向け努力を続けてきた漁業者にとって痛恨の極み」と悔しさをにじませる。

 同じ9月に初の試験操業を始めるはずだった、いわき市漁協も延期方針を決めた。組合員の吉田康男さん(46)は、汚染前の地下水をくみ上げて海に流す汚染水対策を検討中の国に注文がある。「風評被害で努力が水の泡。国の責任で流すなら、風評被害対策も国の責任で取り組むべきだ」と強調した。

[毎日新聞]

Posted by nob : 2013年08月14日 09:45

事故以降垂れ流しは素人にも容易に想像できること、、、世界的海洋汚染を放置し続ける政府の責任は無限大。。。

■汚染水流出続く恐れ、対策後も1日12〜35t

 東京電力福島第一原子力発電所から汚染水が海に流出している問題で、東電は12日、当面の緊急対策を完了しても、1日12〜35トンの流出が続くとの試算を、原子力規制委員会の検討会に報告した。

 流出前に地下から汚染水をくみ上げる作業を9日に始めたが、実際に流出量が減ったかどうかはまだ確認できていない。

 同原発の原子炉建屋周辺には、1日1000トンの地下水が流れ込んでいる。このうちの300トンが、事故直後に漏れた極めて濃度の高い汚染水と混じり、海に流出している。東電はこの汚染水の流れを地中でせき止めるため、護岸近くの地盤を薬剤で固める一方、井戸を掘って、くみ上げる作業に着手した。

 東電によると、9日からのくみ上げ量は1日約24トン。護岸近くでは、汚染水の地下水位はまだ下がり始めていない。東電は最終的に井戸を3か所に増設し、くみ上げ量を計140トンまで増やすことが必要との試算を示した。ただ、その場合でも地盤を固めきれない部分が残り、流出は完全には止まらないという。

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年08月14日 09:38

公金に群がるハイエナたちの攻防。。。

■世界最大の投資ファンド
年金資産120兆をどう使う
磯山友幸 (経済ジャーナリスト)

GPIFは、120兆円の資産を有する世界最大の投資ファンド。しかし、インフレ期待が高まる中でも、デフレマインドから脱却できない。インフレになれば連動して年金受給額も増えるので、おカネが不足することになる。巨大ファンドが運用姿勢を見直すことが、日本経済の再興には不可欠だ。

 デフレから緩やかなインフレへ。安倍晋三首相が主導する経済政策「アベノミクス」が、大きく世の中のムードを変えつつある。過去20年近くにわたって日本社会にはデフレが浸透し、人々の意識もいつの間にかデフレが前提になっていた。物価が上がるという現象を実体験として持たない世代が、社会の中堅層にまで達しつつある。

 50歳以上の人なら、子供の頃、小遣いをもらうと郵便局や銀行に貯金した経験を持つに違いない。利息が付いて貯金額が増えるのを楽しみにしていたものだ。一方で、欲しいモノの値段も上がった。どんどん貯金して、利息が付かなければモノは買えない。そんな日常があった。

 ところが、最近の子供たちは小遣いをもらっても、平気で勉強机の引き出しに入れておく。利息などたかが知れているから、銀行に行くだけ面倒だ。焦ってモノを買わなくても、明日は値段が下がる。逆に言えば、放っておけばおカネの価値は上がるのだ。

 そのデフレマインドが最も浸透しているのが、資産運用の世界。それも長期間積立金を預かる年金運用の世界だろう。何せ、デフレならば、どんなに金利が低くても国債で運用するのがベスト。現金で持っていたとしても目減りすることはない。株式や不動産、外国資産などで運用すれば、ことごとく損をする。おカネの価値が高まれば、モノの値段は下がるからだ。もちろん為替も強くなるから、外貨建ての資産はどんどん目減りする。これがデフレの世界だ。

 一見、資産を持っている人には、楽な世界だが、働いて日々おカネを得ようという人には大変だ。デフレが続けばいずれ給料も下がる。会社が儲からないので雇用も増えない。このままデフレが続いたら経済全体がぶっ壊れてしまうというのがアベノミクスを支える人たちの危機感だ。

 さて、今後はインフレになっていくとすれば、資産運用、とくに年金運用のスタイルは変わる必要が出て来る。これまでは「増やす」ことよりも「減らさない」ことで十分だったものが、今後はインフレ率以上に増やすことを求められる。特に今の年金制度では、インフレになれば、それに連動して年金受給額も増えるので、きちんと運用で資産を増やせなければ、おカネが不足してしまう。そのツケは年金掛金を支払う若者や税金を払う国民に回る。

 実は、アベノミクスの3本目の矢である成長戦略「日本再興戦略」に、こんな一文が盛り込まれた。

 「公的・準公的資金について、各資金の規模・性格を踏まえ、運用(分散投資の促進等)、リスク管理体制等のガバナンス、株式への長期投資におけるリターン向上のための方策等に係る横断的な課題について、有識者会議において検討を進め、提言を得る」

 明記はされていないが、ここで想定されているのはGPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の見直しである。GPIFは3月末で120兆 4653億円の資産を運用する、規模では世界最大の投資ファンドだ。ところが全体の60%を日本国債など国内債券に回しており、国内株式にはわずか13%しか投資されていない。日本が成長するという前提に立った資産構成になっていない、とも言える。アベノミクスは成長戦略で、この年金資産を有効活用し、経済の成長につなげれば、年金受給者に大きくプラスになる、という発想を取り入れようとしたのである。

長期間の運用にも
ベンチャーは最適

 日本経済再生本部の議論では、GPIFの資産の一部をベンチャー企業に投資すべきだという意見が出た。日本を「起業大国」にするきっかけを GPIFが担うべきだ、というわけだ。「米国カリフォルニア州職員退職年金基金(カルパース)などは、資産構成の1つにベンチャー投資を加えており、長期的な運用利回りの向上に役立っている」と元UBSグローバル・アセットマネジメントの社長で、投資人材の教育ベンチャーを立ち上げた岡村進氏も言う。長期間運用するという年金資金の性格からみても、ベンチャー投資は格好の投資先だというのだ。

 現在、日本のベンチャー・キャピタル(VC)の市場規模はおよそ1兆円と言われる。仮にGPIFの資産の1%が振り向けられるだけで、規模が2倍になる。米国ではインフラファンドやVC、再生ファンドなどへの投資資金の流入額の半分は年金基金の資金だという。巨額の資産を抱えて国債に投資しているのでは、宝の持ち腐れだ。

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 ところが、これに真っ向から反対したのが年金制度を運用する厚生労働省だった。「積立金の運用は、専ら被保険者のために、長期的な観点から、安全かつ効率的に行う」という厚生年金保険法や国民年金法の規定から、“高リスク”のベンチャー投資に年金資金は回せない、というのだ。

 年金を計画通りに払えればよく、運用利回りを上げるためにリスクを取る必要はないということだろう。制度上、実質的な運用利回りは年1.1%となっている。名目の賃金上昇率を上乗せするのが「実質」という意味だが、デフレだと賃金下落分を差し引くことになる。2011年度までの9年間で制度上の運用利回りは0.58%で良い計算で、この間のGPIFの利回りは2.42%だったから十二分に責任を果たしている、というわけである。

 だが制度維持と言っても、現実には、保険料負担は年々上昇、17年には18.3%(会社・個人負担合計)になる。この負担の重さが非正規労働や無年金者を増やしているという指摘もある。さらに、基礎年金の国庫負担も2分の1に引き上げられた。年金利回りが高くなれば年金財政問題が大きく改善するのは当然である。

 実は、GPIFの見直し問題は政治を舞台に長い間、議論されてきた問題だ。08年には経済財政諮問会議のグローバル化改革専門調査会が組織の独立性や専門性、透明性を確保するよう求める内容を報告書に盛り込んだ。運用を担う専門性の高い内外の金融人材を活用する仕組みづくりを求めたのである。その後、民主党政権下でも、厚労省に「GPIFの運営の在り方に関する検討会」などが置かれ議論された。民主党は行政刷新会議で、独立行政法人改革を進め、 GPIFについては、独法ではなく固有の法律に基づいた法人に改組する方針が閣議決定された。それが再度の政権交代によって、凍結されている。

 安倍内閣が閣議決定した「日本再興戦略」では、「有識者会議において検討を進め、提言を得る」とされているが、「本年秋までに結論」という期限が付いている。そこでどんな方針が示されるかは、今後の日本経済に大きな影響を与える。デフレから緩やかなインフレへと経済の前提を変え、巨大ファンドが運用姿勢を見直すことが、日本経済の再興には不可欠だろう。

[WEDGE Infinity]

Posted by nob : 2013年08月14日 09:22

明日できる仕事や他人ができる仕事はしなくてよい、、、同感です(苦笑)。。。Vol.2

■「行動できない」「先延ばしする」悩み、科学的アプローチで乗り越えられるか? ──最先端「自己啓発書」を一気読み

今回取り上げる3冊
『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』ピアーズ・スティール(著)、池村千秋(訳)/阪急コミュニケーションズ/1890円
『人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか? 心に働く「慣性の法則」を壊し、自由に「働く」ための26レッスン』T・ディースブロック(著)、三谷武司(訳)/アスキー・メディアワークス/1680円
『動きたくて眠れなくなる。』池田貴将/サンクチュアリ出版/1260円

社会も個人もはまりこむ「行動できない」という問題

 「決断する政治」という言葉が流行っている。当然のように赤字を重ねてきた国家財政の再建、解決を先送りし続けた挙げ句ニッチもサッチもいかなくなった領土問題、そして高まる反原発の運動など、たしかにいい加減にナントカしよう、このままじゃダメだ、変えよう! という機運はかつてなく高い。

 「この人民あってのこの政府」と言ったのは福沢諭吉だったが、「決めた通りに行動できない」「問題をグズグズと先延ばししてしまう」という悩みは、政治に限った話ではないだろう。

 個人レベルでも猛威をふるっている問題だ。

 この問題との付き合いは、泣きながら仕上げた夏休みの宿題に始まる。学生時代は、試験勉強やレポート、論文などの課題で「もっと早めに手をつけていれば……」と空を仰ぎ、社会人になってからは、メールの返信、報告書の提出期限、資格試験や語学の勉強、転職、ダイエット、ジョギング、いつかやりたい旅行や趣味……などなど、言わずもがなの結果を招いている。

 と、書いているだけで心底ウンザリしてくるが(上記はすべて筆者の体験です)、前々から、ちょっと気になっている「解決法」がある。

 それは、ビジネス書の一ジャンルとして定着した感のある「科学アプローチの自己啓発書」だ。

 「イメージすれば現実になる」でも「素手で便器を磨け」でもない。そんな胡散臭いものではなく、脳科学や行動心理学などの最新科学の成果を使えば、新薬で不治の病が克服されるように、「行動できない」が治せるのではないか?

 社会の未来と個人の将来の悪夢を避けるために、3冊の「科学系・自己啓発書」を一気読みしてみた。

「進化の遅れ」と「誘惑社会」が先延ばしを招いている

 トップバッターは、翻訳書の『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』。カナダのビジネススクールで、神経生物学と心理学、脳科学を駆使したモチベーション理論を教えている教授が書いた本だ。タイトルを見れば、一刻も早く「で、先延ばしの原因は?」と聞きたくなるだろうから、最初にざっくり書いておこう。

 人間の脳の行動を司る回路には、「辺縁系」と「前頭前野」がある。「辺縁系」は、進化の初期で登場し、動物と変わらない衝動的な行動を促す。一方、進化の後の方にできた「前頭前野」は、計画的で長期的な行動を司っている。先延ばしは、「辺縁系」が「前頭前野」を上回るときに起こるという。

 だから、先延ばしを防ぎたければ、本能丸出しの獣の思考回路「辺縁系」を「前頭前野」の理性の力でねじ伏せればいい。

 前頭前野の「〆切に間に合うよう、早くやれ!」「待て! 今はよくても後で後悔するぞ」という声を自分にかければ、仕事中にネットを見て時間を浪費してしまったり、夜中にラーメンを食ってしまうことは防げるのだ!

 やった、これで克服できる! バンザーイ……なのか?
 いや、それが難しいから、先延ばしは克服できないのだ。
 そして、その理由は、「前頭前野」が弱いからだけではないと、著者は言う。
 人間がほかの動物に比べてすぐれた自己コントロール能力を持っているといっても、誘惑の多い現代社会で生きるには十分でない。スーパーマーケットや冷蔵庫がない時代であれば、私たちに備わっている忍耐力で十分だった。動物を狩ったり、木の実を集めたりしていた時代には、それで事足りた。しかし私たちの忍耐力は、今日の社会で必要とされるレベルに及ばない。
 先延ばしは、現代の人類に必要な進化がまだ起きていない結果として発生する現象と言える。(ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか/P.84 ※太字強調は引用者によるもの。以下引用部も同じ)

 ネットやテレビはおろか、本すらもほとんどなかった古代エジプトやギリシャでも先延ばしの害が嘆かれていた。だから、コンビニのレジでフライドチキンが買えたり、ネットでエロ動画が見られるような現代社会では、もともと備わった「前頭前野の忍耐力」が役に立たないのも当たり前だ、と。

 では、どうやって「辺縁系」を封じ込め、「前頭前野」を強化すればいいのか。

 本書では、課題の退屈さや失敗の恐れ、誘惑を乗り越える13の行動プランが示される。

 具体的には、「課題達成後のご褒美リストをつくる」「スマートフォンの電池を抜く」など。正直、それほど意外なものはなかったが、すぐにできそうな方法が多いのはありがたい。

 筆者も本書にならって、思い切ってパソコンから「お気に入り」を全部消してみた。すると、無意識にニュースをチェックしたりしなくなるので、確かに仕事がはかどるようになった。ただ2、3日もすると、また「お気に入り」が充実してきたのだが……。

変化を無条件で避けようとする「古い脳」

 この「脳の進化が現代社会に追いついていない」という話は、2冊目の『人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?』でもよく出てくる。

 本書はドイツの心理コンサルタントが書いた原書の翻訳版。転職や新天地での生活をするべきかどうか、うじうじ悩んだり、新しいことがしたいのに具体的な行動をできない人たちをコーチングで導いた経験を題材に、「心の慣性の法則」を乗り越えて、自分の理想の人生を歩めるようになるためのテクニックが語られる。

 さて、こちらで出てくる「古い脳」の話は、『ヒトはなぜ先延ばしをするのか』のような「現代社会の誘惑に勝てない」という意味ではない。「変化を無条件で嫌う」という性質のことだ。

 たとえば、「このつまらない会社を辞めて、カフェのオーナーになりたい」という夢があっても、ほとんどの人は、「一文無しになって路頭に迷う」とか「失敗したら破滅するぞ」とか、思いなおして、暗い顔で会社に居続けるだろう。

 しかし、これこそ筆者によれば「死んだ馬に乗り続ける心理」なのだ。
 冷静に考えてみれば、そんなリスクは(絶対ないとは言いませんが)ものすごく低いはずですよね?
 こんなふうにリスクを過大評価する習性がこれまで何千年ものあいだ、生命を維持するのに役立ってきました。かつては、命の危険を回避することが、新しいものを発見することよりも、はるかに重要でした。
 でも、それは過去の話。
 現代社会において——少なくとも仕事とか転職とかの文脈で——生命に関わる危険がどれだけあるというのでしょう?
 でも残念なことに、人の脳は、この「新しい」状況にまだ適応できていないのです。(人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?/P.82)

 仕事や人生で新しいことをやるときに、なんとなく感じる「恐れ」は、かつてヒトが猛獣や毒蛇が潜むジャングルに分け入るときに感じていた「恐れ」と同じなのだという。

 そう考えれば、「自分にそんな能力はない」とか「失敗したらキャリアが終わるかも」とか不安に思うことは、アスファルトの上で虎や蛇を恐れているのと同じことになる。バカバカしい思い込みだろう。

 本能的な恐れさえ克服さえすれば、急激に変化していく社会に対応して、理想の人生を歩めるのだ、と。

 自分の可能性が一気に広がる……ような気もする。

感情は「言葉の使い方」でコントロールできる

 ヒトの脳は誘惑に太刀打ちできず、変化を無条件で恐れる。そんなわけで頼りにならないことはよくわかった。

 しかし、これだけでは「行動できない」が非合理であることがわかっただけで、「行動したい」にはならない。もっとこう、読むだけでガラリと目の色が変わって、やる気が湧いてくるような、自己啓発書の醍醐味を味わわせてくれる本はないか?

 と、手に取ったのが、「世界NO.1コーチ、アンソニー・ロビンズ『直伝』トレーナー」という肩書きを持つ池田貴将氏の『動きたくて眠れなくなる。』だ。

 心理コーチングの専門家だけあって、以下のような「感情のコントロール」に焦点を当てたテンションの高い記述が多い。
感情は「眠い」とか「お腹が空いた」というのと同じように、脳の中で起きているただの化学反応だから、自分の意志でコントロールすることができる。そして法則をつかんでしまえば、その力を活用することができる。あなたがのぞむ方向へと、あなた自身をどんどん動かすために。(動きたくて眠れなくなる。/P.5)

 普通は「やりたくない」と思うから「やらない」。しかし、「やりたくない」の感情を自分の意志で「やりたい」に変えれば、進んでやるようになるだろう。

 では感情を変えるために、どうすればいいのか。
 本書で繰り返し大事だと言われるのは、言葉の使い方だ。
ふだんから尊敬する人がよく使う言葉をマネてみよう。「面倒くさい」「腹が立つ」「ダメだ」というかわりに「いいね」「大丈夫」「ありがたい」などの言葉を使ってみよう。新しい言葉づかいの積み重ねが新しい経験を作ってくれる。
 言葉の力はすごい。
 たったひとつの言葉で人を癒すこともできれば、傷つけることもできる。
 他人だけではなく、自分自身までも。だから気をつけた方がいい。
 どんな言葉を使うと感情のスイッチが切れるのか、入るのか。(動きたくて眠れなくなる。/P.148)

 アスリートや格闘技の選手が、「私は勝てる」「おれは強い」といって自分を鼓舞するのはよく知られている。それと同じように、自分にかける言葉によって、「(失敗しそうだから)やりたくない」「(退屈だから)先延ばししたい」という、「回路」を修正できるかもしれない。

 言葉は『ヒトはなぜ先延ばしするのか』でも、科学的に語られている。
 心理学者のピーター・ゴルウィッツアーによれば、ほぼどのような行動でも、その行動を取るという意図を言葉にすれば、実際に行動する確率が二倍近くに高まるという。(中略)このテクニックは、先延ばしに限らず、自己コントロール全般に応用できる。スタミナ不足の人は「疲れても頑張る」という意図を言葉にしてみる。気が散りやすい人は、「集中力が途切れても、課題に集中する」という意図を言葉にする。(ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか/P.260)

 口にするだけならタダだし労力もかからない。とりあえず「家に帰ったら脇目もふらずに原稿を書く」と、心にもないことを言ってみよう。「声に出して言う」ということはすでに行動なのだから。

「古い脳」との終わりなき戦いの覚悟を決めよう

 さて、今回の本はどれもノウハウ書だから、紹介されているテクニックを挙げていくとキリがない。しかし、どの本でも共通して、行動するための秘訣として強調されている究極のポイントはある。

 それは、「とにかく続ける」ということだ。
 なんでも、はじめは小さな行動から。
「やっぱり掃除は嫌いだ」と言って片付けをさぼったら、掃除がもっと苦手になる。でもたとえ心がこもっていなくてもいいから「掃除は大好きだ」と言った後、目に付いたゴミを一つ拾う。玄関の靴を揃えてみる。それだけで変わり始めるということだ。(動きたくて眠れなくなる。/P.161)

 ついに「靴を揃えろ」が出た! と言うのは待ってほしい、習慣になるまで続けるというのは、脳科学的にも王道なのだから。

 『人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?』の著者は、「“人間の思考パターンや行動パターンが同じ”というのは、車でいつも同じ道を走っているようなもの」という神経生理学者の話を紹介している。

 いつもの同じルートを運転していると、たまたま買い物があって脇道に入る必要があるときでも、ついウッカリ通り過ぎてしまう。しかし、特別の注意を払って脇道に入ることを繰り返せば、そのうち、そのパターンは脳にすり込まれ、特別な気構えはいらなくなる。これは、誰でも身に覚えがあるだろう。
大切なのは、そうできるようになるまで、脳をトレーニングし続けることなんです。
要するに、どれだけすばらしい決意であろうと、新しい考えであろうと、それだけではダメだということです。(人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?/P.150)

 ダメ押しに『ヒトはなぜ先延ばしするのか』からも引いておこう
習慣は繰り返せば繰り返すほど、強力になる。逆に言えば、習慣を破るたびに、習慣の力が強まり、次の機会に習慣を貫くことが難しくなる。あなたが習慣を守れば、いずれ習慣があなたを守ってくれる。(ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか/P.260)

 日ごろのささいな行動が、いつしか強大な習慣に育ち、自分の人生そのものを左右するのだ。だから、ささいなことでもないがしろにしてはならない、と。

 最新の科学の成果を学んだはずが、ずいぶん古典的な結論になってしまった気もするが、これこそ、科学的に言えば「誘惑に弱く変化を嫌う脳の生理に逆らう」ということなのだろう。

 一行でも書くか、まったく机に向かわないか。
 玄関の靴を揃えるか、脱ぎ散らかすか。
 カップにミルクを先に注ぐか、紅茶を先に注ぐか。

 いざというとき「果敢に決めて行動する」。そのために必要なのは、その場の強い意志や感情コントロールだけではない。日ごろの一挙手一投足、あらゆるものごとへの自分の反応の積み重ね、自分のルールを守った体験が効いてくる。

 脳との闘いは、長期戦なのだ。

 だから何度か誘惑に負けたり、決めた通りにできなくても、いちいち嘆き悲しむことはないだろう。大事なのは、勝てるようになるまで闘い続ける意志だ。
 「お気に入り」は何度でも削除してやろうと思う。

■これだけは押さえておく3冊の要点

『ヒトはなぜ先延ばしをしてしまうのか』
●先延ばしは脳の仕組みとして必然。対策はそれを認めることから始まる
●先延ばしには「失敗が怖い」「課題が退屈」「誘惑に弱い」の3タイプがある
●本書にある対策を根気よく打ち続けるという「心構え」が大事
【こんな人におすすめ】
→「先延ばし本」として文句なしの名作。さまざまなタイプの人への解決策がたくさん提案されている。

『人はなぜ「死んだ馬」に乗り続けるのか?』
●できないのを状況のせいにせず、自分の可能性を信じる
●能力のない人などいない。誰でも人よりすぐれている部分がある
●変化を嫌う内なる声に対抗するには、紙に書いて考えるのが有効
【こんな人におすすめ】
→「行動できない」という人の中でも「失敗が怖い」「変化が怖い」というタイプの人に。

『動きたくて眠れなくなる。』
●どんな立派な人でも不安やプレッシャーを感じる。違うのはその意味づけ
●言葉の使い方、意識の向け方、体の使い方ひとつでも、感情はコントロールできる
●今日が人生最後の一日だと思って生きる
【こんな人におすすめ】
→手っ取り早くポジティブになりたいなら読んでみよう。

[BizCOLLEGE]

Posted by nob : 2013年08月12日 14:53

死に方は生き方の帰結、、、心の中では死は別離ではなく、ただ隣の国に移るだけのこと。。。

■親を幸せに死なせるために、今考えておくべきこと
秋山 知子

超高齢化社会で多くの人がいつかは直面する「高齢の親の最期」。いかに看取るか、末期医療の何を選択し、何を選択しないかの知識と準備が親の最期を大きく左右する。医師・作家の米山公啓氏に、親も家族も納得する「死なせかた」を聞いた。(聞き手は、秋山知子)

米山 公啓(よねやま・きみひろ)氏
1952年生まれ。作家、神経内科医。聖マリアンナ医科大学第2内科助教授を98年に退職。米山医院(東京都あきる野市)での診療の傍ら執筆や講演活動を続け、著書は250冊以上に上る。

近著の『親の死なせかた 医者が父母の最期を看取って考えたこと』(PHP研究所)で、家族を看取る人が終末期医療について何を考えなければならないかを、個人的な体験に触れながら医師としての立場から率直に語っておられます。

 読んでつくづく思いましたが、終末期医療について通常は、例えば親がそうした局面にならないと考えないですし、かと言ってその真っ最中には考える余裕も選択肢もほとんどなく、後になってからああすればよかったかと後悔する。でも結局どうするのが良かったのかは分からない、ということが多いのではと思います。

 ただ、40代50代のビジネスパーソンは、他人には言わなくても親の介護や終末期医療の問題を抱えている人がとても多いのは確かで、知らなかった、考えてなかったでは済まないですね。ちょうどお盆の時期で、帰省して親の顔を見ることも多いでしょうからこの機会に考えておきたいと思いました。

米山:終末期医療は、家族の立場から言えばある意味、葬式に似てるんじゃないかな。死んだら葬儀屋が来て、祭壇だの食事だのいろんなリストを見せられてあれこれ決められて、どんどん流れていっちゃうのでそこでは何も考えられない。

 終末期医療も同じで、後から考えればこうすればよかったと思うことがいっぱい出てくるんだけど、その時は判断力もきかなくて、医療サイドにずーっと押し切られていっちゃうみたいなね。なおかつ、当の本人、親なら親の死への意識がどうなのか、どういう最期が望ましいのかということがなかなか聞けていないことが多い。分からないまま終わっていってしまう。

 医者も、患者をいかに死なせるかなんて教育は受けてきていないから、仕方ないんです。診断と治療がすべてだったから。

お葬式は、最近は生前に自分で決めておく人が増えましたね。私も一度だけ「生前葬」に参列したことがありますがとても盛況(?)で、かなり事情が変わってきたようです。

米山:死に対する感覚は、この10年ほどでずいぶん変わってきたと思います。

 終末期医療も、最近では積極的に取り組んでいる病院が週刊誌に取り上げられるとか、事情はどんどん変わりつつある。介護保険制度が始まってから、介護については社会的にも認知や改善が進んできたので、今度はどういう最期を迎えるかということに焦点が当たってきたんだと思います。

ご両親の個人的なことについて、これまであまりお書きになったことはなかったんですね。

米山:僕の母親の「死なせかた」を考えてみると、当時はまだ介護保険制度はなかった。自宅で、父と僕で最期まで看取るつもりだったけど、2人とも現役の医師だったのでなかなか大変で、最終的には病院に入れました。もう少し、あと2、3週間家で看ていればそのまま看取れたのに、鼻に管を入れられて動けないままの9カ月間はかわいそうだったし、きっと母も望まなかっただろうと。それを悔やんでいます。

 父の場合は肺にリンパ腫がありましたが、ぎりぎりまで自宅で普通の生活をさせて、最期に病院に入院して3日で亡くなりました。病院とは事前に何度も話し合いをして、治療は一切しない、血圧上げたり人工呼吸器つけたりもしないと決めていた。何もしないというのもなかなか難しいんですが。それで父は、人間として尊厳を保った死に方というのかな、そういう最期だったので父については悔いがないんです。

その、「何もしない」という選択ですが、高齢者で口から食べられない、つまり飲み込めないとか、認知症で食べるという行動自体ができないという場合の点滴や中心静脈栄養や胃瘻による栄養投与を、海外ではしないところが多いと。それはつまり、餓死させてしまうということですね。それでいいわけですか。

米山:それでいいと考えているんですね。回復する見込みがない病気の患者に対して、延々と生かし続けるのは本人に対する虐待だという考えです。薬も口から飲めなければ与えない。点滴も何もしなければたぶん1週間ぐらいで亡くなってしまうでしょう。非人道的だと思うかもしれないけど、クオリティの高い死を迎えるにはそうするという考え方です。

生物学的には、例えば動物であれば口から食べられなくなったらもう寿命だとは思います。経管栄養にしたら、管を自分で外してしまわないように手足を拘束されたりもしてしまう。それでも、点滴すればまだ生きていてくれると思うと、家族にはなかなか受け入れがたい場合があると思いますが。

「親を2年で死なせてくれるのがいい病院」

米山:それを受け入れるのはすごく大変だと思う。管から栄養を入れてやればまだ生きてるし反応もするのに、何もしないでくださいと言うのはかなりの勇気が必要でしょう。ただ、意味のない延命治療や蘇生をやらない病院が日本でも増えてきています。

増えてきてるんですか。

米山:増えてきています。ただ一方では相変わらず、意味のない治療で稼いでいるところもいっぱいあります。

 患者が口から食べられなくなったら、鼻から管を入れて鼻腔栄養にすることが多い。でも、鼻からでも誤嚥の危険性があるから、胃瘻(いろう)を作りましょうという施設がまだまだ多いですね。胃瘻にしないとうちには入れませんという施設も結構ある。その意味が、一般の人にはなかなか分からないんです。

そうですね。胃瘻を作るのがここまで一般的になっているというのは知りませんでした。要は寝たきりでも栄養を手軽に入れられると。

米山:管理するほうも楽なんです。だから胃瘻を作ると、そのままずーっといっちゃうんです。それを家族は知らないから、よく分からずに病院に任せちゃうと、寝たきりの期間が長くなってしまう。

 海外で寝たきりの老人がいないというのは、介護が手厚いとかいう以前に、口から食べられなくなったら治療しないということも大きいと思います。

 先日、僕の患者さんと話していたら「2年間で親を死なせてくれる病院がいい病院だ」と言うんです。親御さんを今、有名なとてもいい病院に入れているんだけど、最終的にどのくらいお金がかかるのか分からないので経済的なことがすごく不安だと。例えば2年間と限定されていたら、家族は親のことを考えていろいろなことをしながら過ごせる。もちろんそんな病院はないんだけど。どこまで続くか分からないというのが経済的、肉体的に最大の不安なんですね。

 だから家族側は、病院側と何度も話し合いを持って、共通の認識を持っておくべきなんです。

そうは言っても、例えば親が倒れた時に運び込まれた病院が、患者や家族が最期について決められるところか、それとも医療サイド主導の治療をするところなのかは、選べないですよね。

米山:救急の場合はそうだけど、症状が落ち着いた状態で、どういうところに入れるかは選択できます。病院に対して終末期医療をどうしてくれるんですかと聞くケースはまだ少ないけれど、それは聞くべきです。

そもそも、末期がどういう状況になるのかというのが、あまり想像できないと思うんです。例えば認知症になったらどれぐらい永らえて、最期はこういうパターンで亡くなるという知識がないと思うんですが、これは知っておかないといけないことですね。

米山:どういう最期があるのかというのは知っていないといけない。例えばガンの場合は、終末期は何をやっても半月しか持たない。非常に短期決戦になるので、介護はほとんど問題になりません。ところが高齢者の場合、死因がガンなのは1割ほどで、脳卒中や認知症などの慢性症状が大半です。寝たきりになって口から食べられなくなっても、経管栄養だけやっていればずっと生きていってしまうケースがある。

 消極的安楽死という言葉があるかどうか知らないけど、オランダやベルギーのように積極的安楽死を認めている国も、実際にはなかなかうまくいっていないようですね。医者が拒否したりとか。でも消極的安楽死は臨床の場では実際に行われているわけですよ。点滴を絞って栄養を次第に減らしていくとか、管を抜いてしまうとか。

 一方では、自宅で看ていても、肺炎起こして救急車で救急病院へ行って処置して、下手したら人工呼吸器を着けてそのまま外せなくなってしまうというケースもある。

人工呼吸器を着ける着けないも大きな分かれ目の1つだと。

米山:点滴は曖昧に、少しずつ絞っていくというのができるけど、呼吸器は外せなくて延々と着けられてしまうので。

 さすがに今は認知症や脳卒中の最期の場合、心臓マッサージや人工呼吸などの蘇生はやらなくなっている。ただ、慢性でずっと寝たきり状態だったのが急変して、急に呼吸が止まった時、一応蘇生しなきゃという場合はある。その時にも何もしないというのは家族とよっぽど同意ができていないと無理でしょう。

日本の病院でも事前にそうしたことを決めておくケースは増えますか。

米山:増えるでしょう。最期をどうしますかということを聞く病院も既にあります。口から食物や薬が入らなくなったら一切やりませんという病院もある。

 今のように海外に比べて寝たきりが非常に多くて、延命のためだけに医療費をかけ続ける、そういうのはやめるべきです。もっと救える人たちにお金をかけるべき。そういうこと言うとすごく反論があるんだけど、それが現実なんだから。その方が本人の尊厳を尊重できるし、死のクオリティも高まると思う。

 もちろん、絶対延命してほしい、生かしておいてほしいという人もいる。それはそれで認めなくてはいけない。それは相続の問題もあるかもしれないし。

元気なうちに「最期」について話しておく

米山:末期にどういうことが起こりうるのかという知識、それから本人の意思を確認しておくことは家族にとって必要ですね。認知症になってしまったら確認しようもないので、本人が元気なうちにやっておかないといけない。

でも、親が元気だとこういう話題を持ち出すのはなかなか難しいですね。親のキャラクターにもよるでしょうが。

米山:僕も親父にどうするんだとかは聞かなかったけどね。親がまだはっきりしているうちに意向を聞いておく、あるいは文書に残しておけたら理想的です。たいていの人は、子供には「何もしなくていいから」と言うんだろうけど、統計を取ってみると実は治療してほしいという人も少なからずいるようで。まあ、病気が慢性になってもう回復の見込みがないとなったら何もしないでほしい、ということを聞いておく、あるいは一筆書いてもらっておくだけで家族の負担はだいぶ楽になるんだから。

そのためにはやはり普段からどういうコミュニケーションを取っているかが問われますね。

米山:うちの親父なんか、最後に入院する時に遺言書を書いたか確認したら書いてないと言うので、びっくりして、入院する日に簡単な遺言書を書かせて、入院して状態が安定してから病院に司法書士を呼んで正式な遺言書を書かせた。

 そこまではなかなかできないかもしれないけど、そういう話をできるぐらいの親子のコミュニケーションが必要じゃないでしょうか。金の話はしづらいとか何とか、そういうのを突破してこそ、安らかな死を迎えられるんじゃないかと。

最近だと、ケア付きマンションのような所で暮らす高齢者の方も多いですが、終末期医療はどうなるんですか。

米山:施設によっていろいろだけど、関連の施設に移りますとか病院に行きますという場合もあるので、きちんと確認したほうがいい。下手したら、そのマンションよりも別の場所で暮らす年月の方が長くなったりしかねない。

現在は、病院で死ぬというのがあまりに一般的になっています。

米山:病院の本来の機能からは、死というものが切り離されてるんです。つくづく、病院は死ぬ場所じゃないと思う。自由のないところで死んでいくのは楽しくないでしょう。ただ、家で死ぬことはすごく難しい。家での介護はもちろん大変でしょうが、家での看取りは医者との連携がないとできない。とはいえ、家での看取りを 24時間体制でサポートする医者も増えてきてはいます。まだ少ないけどね。

 もしも夜中に亡くなったら、かかりつけの医者を翌朝呼んで死亡診断書を書いてもらえば法律上は問題ない。そういう知識があればそんなに慌てることはないでしょう。

 とにかく相続のことも含めて、納得できる死に方を相談しておかないと後で大変な思いをしたり面倒なことになりますよということ。そしてよくあるのが、たまに来る親戚が騒ぐというケースなので、そういう人たちにもちゃんと話をして共通認識を作っておくことですね。

[日経ビジネス]

Posted by nob : 2013年08月12日 14:45

明日できる仕事や他人ができる仕事はしなくてよい、、、同感です(苦笑)。。。

■「いつやるの? 今でしょ!」と言えない人へ ——ネガティブ要素が武器になる働き方

今回取り上げる3冊
『スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考』ジョン・ペリー(著)、花塚恵(翻訳)/ 東洋経済新報社/1260円
『特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです』山口路子/中経出版/1365円
『内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力』スーザン・ケイン(著)、古草秀子(訳)/講談社/1890円

橋下市長みたいになれない人はどうすればいいのか

 ビジネスで成功する人の条件とはなんだろう。
 考えてみると、一人の人物が思い当った。
 大阪市の橋下徹市長だ。

 家庭環境に恵まれなかったにもかかわらず、弁護士ビジネス、芸能活動、そして地方政治から国政へと上り詰めた。今やツイッターで何か書くごとに大きな反響がある。ブレーンとしてコンサルタント会社のマッキンゼー出身者や元経産相の堺屋太一氏など、ビジネス界でブランド力のある人物も抱えている。

 「今太閤」と呼ぶのはまだ早いけれど、現代で一生のうちにここまでの幅を出世する人は、ほとんどいないだろう。
 と、こんな見方をしたとき、橋下市長とは、現代人、特にビジネスパーソンが想像する“成功者”を体現したような人物ではないか、と思うのだ。

 橋下氏に見る“成功者”の要素を見てみよう。
 まず、常にポジティブで前向きなイメージがある。2008年の大阪府知事選では北野高校ラグビー部で活動した体験を売りにし「トライ!」の文字を選挙ポスターに入れた。

 次に、異常なほどに弁が立つ。ことを有利に進めるためなら、簡単に自説を覆すし、白を黒に言いくるめることだってたやすくやってのける。

 最後に、即断即決がある。どんなに複雑な問題でも、すぐに答えを出し、行動に移す。イエスかノーかと相手に決断を促す。それは「統治機構の改革」「既得権益の打破」というお気に入りの言葉にもっとも端的に表れている。

 こういった「陽性」の要素がビジネスでは有利だということは間違いないだろう。

 一方、こういうキャラクターとほど遠い人間はどうすればいいのだろう?
 橋下市長みたいな人をうらやましく思いながら、人の下で働き続けるしかないのか。
 それが嫌なら、話し方のトレーニングをし、セミナーに通って性格を変えるしかないのだろうか。
 多くのビジネス書には、「ポジティブになれ」「前向きに考えろ」「思ったことはすぐやれ」とうメッセージがあふれている。

 ところが「そうとは限らない」という本も少ないがある。
 「弱点」がそのまま強みになるという説だ。
 たとえば、グズ・ネガティブ・内向型など、絵に描いたような「陰性」の要素だってビジネスでプラスになることがある。そんな3冊の本を読んでみた。

「先延ばし」のおかげで成果が出る

 1冊目は、米・スタンフォード大で哲学を教えているペリー教授が書いた『スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考』だ。

 先延ばしとは、書類や原稿の作成やメール返信、資料の読み込みなど、面倒くさいことを後回しにしたあげく、〆切が近づいて半泣きになることで、ダメな人の特色とされている。この悪癖を乗り越える方策については、連載で以前、徹底的に分析したので、詳しくはそちらを見てほしい。

 先延ばしについて大方の人は、「課題の苦しみを数倍にし、周囲の信用を失う最悪の癖だと思っているだろう。筆者も「余裕を持ってさっさとやれば気持ちよくやれたものを、なぜ苦痛にあえぐ事態を自ら招いてしまうのか」とよく思う。

 本書によると、ペリー教授も同じらしい。
 が、彼は先延ばしの思わぬ効用に気がついた。

 面倒な仕事から逃げようとして他の仕事する——。そのおかげで、職業人として結果を出すことができているということだ。

 「先延ばしやは、やらないといけないことを先延ばしにする。この欠点とされている性質も、そうする意義があれば利点に変わる」
 とペリー教授は強調する。
私の言う「意義ある先延ばし」は、「先延ばしにするからといって何もしないわけではない」という考え方が前提となる。何かを先延ばしにしていながらほかのことも何もしない、という人はほとんどいない。庭いじりをする、鉛筆を削る、棚の模様替えをするときのための図を描くなど、無意味ではない何かしらのことはする。なぜそんなことに手を付けるのか? そうすればそれよりも重要な用事をやらずにすむからだ。(中略)この事実を逆手にとってやらないといけないことを片付けるようにすれば、その過程で何かを先延ばしにすることは「意義ある先延ばし」となる(スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考/P.11 ※太字強調は引用者によるもの。以下引用部も同じ)

 具体的に、ペリー教授は次のような自分が受けた「先延ばしの恩恵を披露している。

 夕方、採点や講義の準備が嫌でたまらないので、サポートを担当している寮のラウンジで学生と卓球をしていたら「面倒見のいい先生だ」と評判になった。

 学生から受け取った大学院進学の願書を机の上に置きっぱなしにして、ウッカリ期限切れにしてしまった(ヒドイ)。数年後、起業家として成功したその学生から、「院に進まなくてよかった」と願書を放置したことを感謝された。

 これを読んで思い出したが、筆者にも原稿に向かうのが苦痛なあまり、突如、難解な哲学書を読み出したり、貯まった礼状を書き出したり、トイレ掃除を始めたり、すり減ったスニーカーの靴底にゴムで補修したり、アルミ缶を切ってアルコール燃料用のバーナーを作ったり、といったことが幾度となくあった。

 その結果、文献の引用ネタは増え、人付き合いもまあまあ上手くいっている。家人は喜び、スニーカーは再生し、キャンプ料理もはかどった。

 こんな面倒なことは、他にやることがないときならまずやらないだろう。
 先延ばし癖のおかげで、これらの行為が達成できたのだ!
 こう考えれば少し救われる……ような気もする。

「後ろ向き」だから視野が広く持てる

 いや、そんなことで安心してどうする!
 と、聞こえてくるネガティブな声。これもビジネスパーソンとしてはマイナスだと言われている点だ。なにごとも後ろ向きに考えてばかりで、成功を信じてまっすぐ行動できない人はダメだ、と。

 しかし、本当にそうだろうか。
 読んでいてそんな気分になるのは2冊目の『特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです』。タイトルは著者が好きな女性小説家・サガンの言葉だ。

 本書のメッセージは「本格的に行き詰まる前に、たまには仕事や家庭から逃げなさい」ということ。
 たとえば、ひろさちや氏の『狂いのすすめ』からのこんな言葉が紹介されている。
明日できる仕事、
他人ができる仕事は
しなくてもよいのです
(特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです/P.66)

 おお、『先延ばし思考』のペリー教授が読んだら大喜びしそうな名言が出てきた。
 これをどう解釈すればいいだろうか?

 実際に、会社員が明日できることと他人ができることをまったくやらなかったらエライことになるだろう。しかし、責任感でがんじがらめになって夜も眠れない人には、救いになるアドバイスだとは言える。

 この言葉は、ケセラセラ(なるようになる)的な生き方を説いているようだが、むしろ、肝心な点は後半の「他人ができる仕事をするな」にあるのではないだろうか。

 他の人がやっても同じ結果になるような仕事ではなく「仕事に自分にしかできない工夫や色、味を出せ、そうでないと仕事はどんどんつまらなくなって精神的に参ってしまうぞ」ということだ。

 そんな、「まっすぐ前向き」なだけでは手に入らない「一歩引いた視点」を得るために逃避が必要なのだろう。

 前向きな人は前の一点だけしか見ることができないが、後ろ向きな人は、過去や自分の気持ちを見つめつつ、自分のペースを守りながら前進することができる。
 後ろ向きな人は競争には負けるかもしれないが、代わりにユニークな仕事ができるのかもしれない。

内向型は好きな分野を極めやすい

 さて、「先延ばし」も「後ろ向き」も、それ自体は悪いことではない。
がむしゃらにすべき仕事と組み合わさったとき、その傾向があると苦労するから、否定的に取られるとも考えられる。

 では、「内向的」はどうだろうか?

 それだけでダメだと評価される性質かもしれない。
「内向的な生徒」とか「内向的な部下」と評価されたら、だれでも不安になる。「内向的な経営者」「内向的なリーダー」というのは、矛盾した修飾にさえ感じる。

 企業が「外向的なコミュニケーション力のある人」を求めるのは、日本でも近年、特に顕著になってきている傾向だ。

 しかし、『内向型人間の時代』の著者、元弁護士でライターのスーザン・ケイン氏は、そこに「外向型」を望ましいものとする社会全体の「間違った常識」があると指摘する。

 アメリカをはじめ、都市社会は、なぜ自信満々でプレゼンテーションをし、パーティーで初対面の人と楽しげに話ができるような「外向型人間」を理想とするようになったのか。
 著者によると、アメリカで20世紀はじめに起きた工業化に遠因があるという。
著名な文化史学者であるウォレン・サスマンによれば、アメリカは「人格の文化」から「性格の文化」へと変容した——そして、不安というパンドラの箱を開け、もう決して元には戻らなくなったのだ。
「人格の文化」においては、思慮深く、規律正しく、高潔な人物が理想とされる。他人にどんな印象を与えるかよりも、自分がどうふるまうかが重要視される。(中略)
 だが「性格の文化」が広まると、アメリカ人は、他人が自分をどう見るかに注目するようになった。目立つ人やおもしろい人が人気を得るようになった。「新しい文化において必要とされた社会的な役割は、演技者(パフォーマー)としての役割だった。すべてのアメリカ人が自己を演技しなければならなくなった」とサスマンは書いた。(内向型人間の時代/P.37)

 外向型でないと企業に採用されない。が、もちろん外向型とはほど遠い人もいくらでもいる。そんな人は「外向型になる方法」を学ばなければならない。
 その結果、デール・カーネギーをはじめとする自己啓発本と自己啓発セミナーが普及し、アメリカはビジネススクールで成功哲学の講義がされるような国になった、というわけだ。

 著者は、外向型がビジネス向きで、内向型がそうではないという社会の通説を、企業や学者への取材で覆していく。

 本書によると、最新の研究では、生まれつきの性格は根本的には変わらないことが明かになっているという。
 だから、内向型を外向型にしようとしても失敗する。
 そんな無駄なことをするより、内向型を活かすべきだ。内向型の子供を持つ親は、心配せず、大いに本を読ませればいいし、企業は内向型社員が効率よく働けるパーソナルスペースのあるオフィスを用意すべきだと著者は提言する。

 そして自分が内向型だと思う人は、無理してパーティーで名刺を配るのではなく、自分が集中してできる分野を極めればいいのだ。

 内向型でもビジネスで成功した人の例として、著者が挙げるのはスティーブ・ジョブズらとアップルを共同創立したスティーブ・ウォズニアックだ。

 彼が世界初のパソコン、アップル Iのプロトタイプを開発できたのは、ただのコンピュータ好きだったからではなく、個性的な仲間と議論したからでもない。内向型の性格を活かして一人きりの研究を続けたからだという。

 本書で紹介されている次のウォズニアックの言葉は、コミュニケーションだコラボレーションだと念仏のように唱えている誰かとは大違いだ。
本当に革新的なものが委員会によって発明されるなんて、僕は信じていない。もしきみが、発明家とアーティストの要素を持ったたぐい希なエンジニアならば、僕は君に実行するのが難しい助言をしよう——ひとりで働け。独力で作業してこそ、革新的な品物を生み出すことができる。(内向型人間の時代/P.96)

 内向型は、知らない人に会ってどうでもいい話をするのが苦手だ。その代わり、一人で何かに没頭することが楽しくて仕方がないので、何時間も机に向かって研究したり思索したりできる。
 これは仲間とワイワイやらないと充実を感じられない外向型には決してマネできない「圧倒的な強み」なのだ。

短所を好ましいものとして受け入れる

 これら3冊から、改めて感じたのは、「短所は克服しようとせず、そのまま素直に受け入れるのが一番いいのではないか」ということだ。

 筆者の経験に当てはめると、中学2年あたりから、数学がまるっきりできなくなったことがある。
 授業内容があまりにわからないので、「先生は、ありもしない数学などという概念を生徒に植え付けているのでは?」とクラスの仲間を心配したくらいだ。
「数字にだけは関わってはいけない」というのが人生訓になった。

 そのおかげで何の迷いもなく私大文系受験を選べたし、「これほど数学ができないということは文章を書くのに向いているはずだ」という謎の発想が生まれ、すんなりライター志望になって今に至っている。

 自分が数学を克服しようと必死で努力したり、数字嫌いを我慢して会計士をめざしたりしたら、今ごろパンツを盗んで捕まっていたかもしれない。
 と、こんなことを思い出したのは、『先延ばし思考』で、著者であるペリー教授が先輩哲学者から教えてもらったという次の「幸福を感じている人の多くが共通してとる行動」を見たからだ。
1.自分の短所や欠点をしっかりと把握する
2.それらを美徳と捉える価値観を受け入れる
3.短所や欠点を美徳と捉える自分を誇りに思う
(スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考/P.87)

 身も蓋もない言い方をすると、
 ——短所をそのまま認め、かつ当然のことのように開き直れ。
ということだろうか。

 この「開き直り」は『先延ばし思考』で、ペリー教授が「先延ばしが欠点でないと言うつもりはない」と何度も断りつつも、全体を通じてすばらしい実例を見せてくれている。
 グズ、先延ばしは普通に考えれば大きな欠点だ。しかし、もっと大きな視野で見れば、ただの特性の違いかもしれない。

 『特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです』で紹介されているキンゼイ博士の言葉を借りて言えば、こうなる。
異常も正常もない
違っていることこそが
生命の基本原則なのです
(特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです/P.108)

自分が活躍できる場を自分で作る

 最後に、冒頭の問いに帰ろう。
 橋下市長みたいな要素を持たない陰性の人はビジネスで成功できないのか?
 できる。先延ばし屋でも人気教授になれるし、名を残した芸術家も逃避の名言を残している。ウォズニアックの例もある。

では、リーダーは務まるか。

 『内向型人間の時代』によると、優秀なリーダーの中には、必要以上の社交を好まず、執務室に閉じこもって考えごとばかりしているような人も実は多いという。

 本書の著者も、ウォール街で働く弁護士という華々しい世界が性に合わなかったが、一人でじっくり仕事ができるライターに転身して実績を重ねている。

 この著者のように、仕事は、漠然とした憧れや給料の良さで選ぶのではなく、内向型か外向型かによって選ぶべきだと著者は言う。
 人生の秘訣は、適正な明かりのなかに自分を置くことだ。ハリウッドのスポットライトがふさわしい人もいれば、机に置いたスタンドがふさわしい人もいる。持続力、集中力、洞察力、繊細さといった、自分に自然に備わっている力を発揮して、愛着を感じられ自分が大切だと思う仕事をしよう。問題を解き、芸術作品を創作し、深く考えよう。(内向型人間の時代/P.338)

 人によって「自分のパフォーマンスを発揮するのにちょうどいい刺激レベル」は違うのだ。
 政治家が大勢の聴衆の前で演説するときに感じるのと同じくらいの高揚を、一人で本を読んでいるときに感じる人もいる。
 その「適正な明かり」は自分で探すしかないだろう。

 ただ、陽性の特質ばかりがもてはやされる現代では、なかなか陰性の特質を活かせる仕事を見つけることは難しい。

 ウォズニアックのように、マイペースに自分の興味を追究していけば幸せだが、食いっぱぐれるかもしれない。

 橋下市長のようなカリスマをめざして、陰性を克服しようと努力すれば、一応食っていけるかもしれないが、一生しんどさが続く。

 しかし、前者を選ぶ人が増えれば、そのうち社会を支配する価値観は変わり、見知らぬ人とのコミュニケーションが苦手だったり、マイペースに働きたいタイプであっても仕事が選びやすくなるだろう。

 若い世代は、金や地位に執着せず、競争を避ける“草食系”だといわれる。
 これは自己アピールや前向きさ、即断即決などがもてはやされる社会が変化する兆しかもしれない。
 今のうちに、弱さを磨いておくのも手だ。

■ここだけは読んでおく3冊のポイント

『スタンフォード教授の心が軽くなる先延ばし思考』
●仕事から逃げ回ることでほかの用事が片付く
●この本も答案の採点から逃げることで生まれた
●先延ばしは治らないので付き合っていくしかない
【こんな人におすすめ】
→先延ばしを極めた人は笑いながら読めます

『特に深刻な事情があるわけではないけれど 私にはどうしても逃避が必要なのです』
●結果を求めすぎると、精神の自由がなくなる
●世間がおかしいと思ったときは堂々と逃げよう
●「夢を叶える」「自分探し」は病的なものがある
【こんな人におすすめ】
→「○○でなきゃダメだ」と強迫的になっている人に

『内向型人間の時代』
●自己啓発社会は20世紀はじめの工業化から始まった
●ビジネススクールでは内容がスカスカでも自信満々で話せと教えている
●ひとりで没頭しないと一流のスキルが身につかない分野は多い
【こんな人におすすめ】
→就活生には早いか。一度就職した人ならよくわかるはず

奥野 宣之(おくの・のぶゆき)
1981年大阪府生まれ。同志社大学文学部を卒業後、新聞記者・ライターとして活躍。仕事や私生活での資料やメモの整理を独自に研究した結果をまとめた『情報は1冊のノートにまとめなさい』でデビュー。同書は31万部、読書を題材にした続編の『読書は1冊のノートにまとめなさい』が14万部、累計45万部のベストセラーとなる。情報の整理と活用、アウトプット技術などをテーマに「面白くて役に立つ本」をモットーとした著作活動を続けている。(発行部数は2010年1月現在のもの)
他に、『情報は「整理」しないで捨てなさい』(PHP研究所)、『だから、新書を読みなさい』(サンマーク出版)、『人生は1冊のノートにまとめなさい』(ダイヤモンド社)、『「処方せん」的読書術』(角川書店)、『新書3冊でできる「自分の考え」のつくりかた』(青春出版社)、『できる人はなぜ「情報」を捨てるのか』(講談社)。最新刊『旅ノート・散歩ノートのつくり方』(ダイヤモンド社)も好評発売中。

[BizCOLLEGE]

Posted by nob : 2013年08月12日 11:00

「すること」(doing)ではなく「今、ここに共にあること」(being)が大切、、、今私がここにいて共に貴方がいるこのかけがえのない幸せ。。。

■おだやかに逝ったYさんが教えてくれた
「死」との向き合い方
「今、ここに共にあること」の大切さ

世界中で大きな反響を呼んでいる「ワーク」。4つの質問と「置き換え」というシンプルなステップでありながら、ストレスや苦しみから劇的といえるほどの解放をもたらす。この「ワーク」を開発したバイロン・ケイティの新著の訳者による連載4 回目では、ワークが、目の前にある悩みや問題解決にとどまらず、病や死などへの根源的な恐れに向き合うことにも役立つことを、訳者の恩人を看取った経験から紹介する。

死を宣告されて

 Yさんから私たち筆者に国際電話があったのは、4月上旬のこと。70歳を目前にした男性で、20年以上前に家族でハワイに移住していました。人生の要所要所で的確なアドバイスをしてくれたり、大変な時に助けてくれたりと、30年以上にわたり、とてもお世話になりました。その彼が末期がんで、あと2 週間から数ヶ月の命であると告知を受けたというのです。私たちは衝撃と悲しみの大きさに圧倒される思いでした。

 Yさんは死については覚悟ができていると思う、と言い、過剰な延命治療はせず、自宅で最後を迎えると言います。数日後、私たちはとるものもとりあえず、ハワイへ。

 豊かな森を背後に抱えたご自宅に到着してみると、Yさんは寝室で横になっていて、話はできましたが、やせて腹水がたまり、体が辛そうでした。ただ、食事やトイレなどは大変ながらも何とか自力でこなすことができましたし、体調のよい時間帯は、訪れる友人たちと話をしたり、音楽を聞いたりして過ごしていました。ご家族は本当に献身的にYさんの看病に当たっていました。

 寝室は三方に大きなガラス窓があり、外の緑が見えました。美しい部屋で、静かで平和でした。ハワイの豊かな自然の中にいると、人が自然の中で生まれ、自然に還っていくことを受けとめやすくなるような、不思議な安堵感を覚えます。

ただ一緒にいる時間がクオリティ・タイム

 私たちは、多くの死にゆく人たちと関わったYさんから話を聞いていた他、自分たち自身がこれまで体験したことを通じて、死に臨んでいる人に接するために重要なことは、「今、ここに共にあること」(“being”)であると学んでいました。孤独や不安に陥る本人の支えとなるのは、関わる側が恐れなく、その人の存在と共にあるという態度なのです。

 以前に知り合いの依頼で、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の末期の男性の精神的サポートをさせていただいたことがありますが、その方は奥さん、娘さんとは事情があって離れて暮らしていて、妹さんと医療チームが家で面倒を見ていました。私たちは具体的なケアをする必要がなかったので、ただしていたことは、その人の話を聞いたり、抱きしめたりして、そばにいることでした。

 でも、そんなシンプルなことが本人にとっては助けになるのだということを改めて感じる経験でもありました。周囲が忙しく立ち働いていると、本人の心が置き去りになることがありますし、「今、ここにただ共にいる」というのは、残された時間の中で、生きている感覚を共有することが、とても大切になってくるからです。

 今回のYさんの場合も、少しでもご本人やご家族に役立つことをと思い、あれこれ「すること」(“doing”)に意識が行きがちな時、それよりもただ一緒にいて、本人の話の相手をしたり、マッサージをしたり、ただ体に触れていればいい時もあると気づかされることもありました。

 後にその時の経験について振り返った際も、そうしたただ一緒にいる時間というものが、「クオリティ・タイム(密度の濃い時間)」として、とくに心に残っています。

看取りのプロセス

 それから数日後、日本に戻りました。このハワイ訪問は、とりあえずお会いして、何かお手伝いできることがあるかを見てくるという意味合いがありましたが、筆者(ティム・マクリーン)が以前にホスピス・カウンセラーをしていたこともあり、お役に立てそうだったので、10日後に戻ることになりました。

 再びハワイのお宅に到着した翌日。Yさんの容態が悪化しました。それでもその次の日に日本から弟さんがくることになっていたので、会いたいと頑張っていました。そして弟さんが到着。午前中は数時間、不快な状態が続いていましたが、医師が投薬をしてくれて、意識がはっきりし、痛みが和らぎました。しかし同時に、あと24時間という最後の宣告がなされました。

 家族全員と共に、Yさんの手を握り、お互いのつながりを感じます。最後のリズミカルな呼吸の中、Yさんは、窓から差し込む光を見上げ、それからひとりひとりを見、部屋を見、そして目を閉じ、逝きました。この時の彼の意識的な逝き方、そしてその場がとても静かで平和だったことが心に残っています。

 日没の時間、寝室は灯したロウソクの光であふれていました。お香を供え、禅を学んだことがある筆者(マクリーン)が般若心経を読みました。自分なりの解釈では、次のような意味です。

「私たちの本質は生まれることも死ぬこともなく、この気づきによる平和の内に、心はあらゆる妨げから解放される。妨げるものがなければ、恐れは存在せず、現実とひとつになる。ストーリーや幻想を超える。この目覚めそのものが涅槃であり、平和と喜び、慈悲の中にある」

ストーリーを超える

 この大きな体験が起きたのは、筆者がバイロン・ケイティの新著、『新しい自分に目覚める4つの質問』の出版に向けて最後の作業をしているさなかでした。この本の中に、「生老病死――老いや病、死をどう受けとめるか」という章があり、ケイティの言葉はとてもリアルで的確に心に響くと共に、大きな支えとなりました。

 ケイティは本の中で、次のように言っています。

 あなたが死についてクリアな状態でいることができれば、誰かが死に向かっている時に、その人と完全に共にいることができます。(中略)その人をただ愛し、抱きしめ、気にかけることができます。なぜなら、そうすることがあなたの本性だからです。

 恐れを抱えてその人のところにやってくることは、恐れを植えつけることになります。その人があなたの目をのぞき込むと、自分は大変な状態であるというメッセージを受け取ることになるのです。けれどもあなたが恐れなく、平和な状態で訪れたとしたら、あなたの目をのぞき込んだ時に、何が起きていても大丈夫だとわかるでしょう。

 そして不安や罪悪感など、さまざまな考えや感情が湧いてきて、クリアな状態でいられない時、4つの質問と置き換えからなる「ワーク」に取り組むこともできるのです。実際、介護をしている家族にワークを使ってサポートしたこともあります。

 ケイティはまた、次のようにも語っています。

 体の痛みにうんざりしている人たちにとり、コントロールできないものをコントロールしようとするほど悪いことはありません。本当にコントロールしたいのであれば、コントロールという幻想を捨てましょう。人生の流れに任せるのです。実際、人生の流れに任せざるを得ません。あなたが語っている、コントロールできるはずというストーリーは、決して現実(リアル)にはなりません。

病や死とかかわる「知恵」

 Yさんは、以前から「無為自然」を大切にする人で、病においても、コントロールしようとすることがかえって事態を悪くすることをよく知っていて、起きている現実やプロセスを信頼し、その流れに沿っていこうとしていました。

 そして亡くなる際のプロセスに付き添っていたご家族や筆者にとり、その場で必要とされたことは、瞬間瞬間に意識を集中することだけ。考えることなく、自然に動くことができ、すべてが完璧に展開していく感覚を体験しました。それは、まさにケイティが言っていることと同じでした。

 死に向かう人もその身近にいる人も、死を意識すると、「お父さんは自分の考えを押しつける」とか、「〜があれば自分は幸せになる」といった日常的なストーリーが成立しなくなり、時間を超えた感覚になります。何が大切で本質的なことかが見えてきて、死を目前に和解が起きることもあります。そして死そのものも、ストーリーにとらわれずに直接的に体験すれば、決して残念で悲しいだけのことではありません。

 Yさんの例がそうであったように、残された者たちにとって、平和で愛を感じる体験でもあるのです。そしてワークは、ストーリーを超えたところにある平和や愛、自由を思い出す助けになってくれます。

 人の誕生も死も、人生の中でもっとも重要な体験といってよいでしょう。そうした体験は伝統的な社会においては家の中で起き、家族やコミュニティがどのように関わったらいいかということが、人としての大切な知恵ということで継承されてきました。私たちは新たな形で、こうした知恵を活かしていくことができるのではないでしょうか。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月12日 10:29

意外、、、でも血液型くらいには的を射ているかも。。。

■iPhone派?アンドロイド派?スマホで分かるあなたの性格

英携帯サービスのTalkTalk Mobileが2,000人を対象にして実施した調査によると、持っているスマホの種類で、あなたの性格、行動、職業までもが分かってしまうそうです。

【エッチ?スマホ?1週間禁止するならどっちを選ぶ?】

ここでは、iPhoneユーザー、アンドロイドユーザー、ブラックベリーユーザーの3つの派閥に分けられており、それにより人柄にも大きな差が。あなたや友人は何派に属しますか?

【iPhone派】
●性格
・他ユーザーより自分が一番魅力的と思っている
・最も野心的
・勤勉で、職業において成功している
・上司からの評判が良いと思っている

●職種
メディア関係、出版、小売業、教育関係

●行動特性
・一番遅くまで働いている 
・ソーシャルメディアを一番利用する
・最も旅行好き
・洋服や身の回り品に最も多くお金をかけている

●他の特徴
自信たっぷり、野心的、大胆不敵、頭が切れる、ナンパである

【アンドロイド派】
●性格
・最もクリエイティブ
・料理がうまい
・最も礼儀正しい

●職種
文化関係、スポーツ関係、政府/公共事業、環境関係

●行動特性
・勤務時間が最も長い
・テレビを最もよく見る
・お酒が一番好き

●他の特徴
恥ずかしがりや、物静か、落ち着いている、内向的

【ブラックベリー派】
●性格
・最も収入が高い
・長い付き合いが得意

●職種
金融関係、資産、健康関係

●行動特性
・勤務時間が最も短い
・電話/テキスト回数が最も多い
・コーヒー、またはお茶を最も好んで飲む
・最も社交的
・時間にルーズ
・外食を好む
・友達が多い

●他の特徴
騒がしい、陽気

※当記事は、ハイブリッド翻訳のワールドジャンパー(http://www.worldjumper.com)の協力により執筆されました。

参考:What does your phone say about you? iPhone owners are vain, BlackBerry users earn more and Android owners drink the most
http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2381845/iPhone-owners-vain-BlackBerry-users-earn-Android-users-drink-most.html#ixzz2bK3Q7qrK

[マイナビウーマン]

Posted by nob : 2013年08月12日 08:48

エンドレスな責任のキャッチボール、、、そして誰も責任を取らないこの国の仕組み 。。。

■東電幹部・菅元首相ら不起訴へ 原発事故で検察

 東京電力福島第1原発事故を巡り、東京地検など検察当局は9日までに、業務上過失致死傷などの容疑で告訴・告発されている東電の勝俣恒久前会長(73)ら当時の同社幹部らについて不起訴処分とする方針を固めたもようだ。「原発事故の発生は予見が困難だった」と判断、菅直人元首相(66)ら政府関係者の起訴も断念するとみられる。

 検察当局は既に東電関係者らの事情聴取を終えており、菅元首相にも事故当時の状況について説明を求める。証拠資料を改めて分析し最終的な結論を出すが、未曽有の原子力災害を巡る捜査は、関係者の刑事責任が一人も問われないまま幕を下ろす見通しとなった。

 事故では福島県の被災者らが勝俣前会長ら数十人について、業務上過失致死傷や原子炉等規制法違反などの容疑で告訴・告発。検察当局は、このうち原発の安全対策や事故後の対応に絡む業務上過失致死傷容疑での立件の可否に重点を置いて捜査を進めてきた。

 同容疑での立件にあたっては、勝俣前会長や清水正孝元社長(69)ら当時の東電幹部らが原発事故の発生を予見できたにもかかわらず、避難住民の死亡などを避けるための対策を怠った経緯などの立証が不可欠だった。

 関係者の話によると、検察内部では東電の元幹部や地震の専門家らの聴取結果を踏まえ「未曽有の災害である東日本大震災による津波の発生と、その後の原発事故を予見できたと言い切れない」との意見が大勢を占めているという。

 事故が予見できない以上、住民の死亡などを回避する義務も生じないため、元幹部らのほか、班目春樹・元原子力安全委員長(65)も刑事責任の追及は困難とする見方が強いという。

 菅元首相など当時の関係閣僚らは、事故時、原子炉内の圧力を逃がすベント(排気)を即座に実施せず、被害の拡大を招いたなどとする原子炉等規制法違反の容疑でも告発されており、検察当局は同容疑の成否も検討。菅元首相は告発内容を否定するとみられ、最終的に政府関係者全員の立件を見送るもようだ。

[日本経済新聞]

Posted by nob : 2013年08月11日 18:09

これがこの国の実情 、、、不都合な真実は主体的に探しいかない限り伝えられることはない。。。

■山本太郎も出演する原発事故映画が各地で上映拒否?

先の参院選で当選を果たし、一躍、時の人となった山本太郎氏。彼が出演する映画が、各地の映画館からことごとく上映を拒否され、公開できずにいるという。

その作品『朝日のあたる家』は原発事故を扱った架空の物語で、山本氏も映画の中では重要な役どころを演じているという。“反原発の旗手”ともいえる山本氏が出演しているとあって、ネット上ではなんらかの“圧力”による上映拒否ではないかとの臆測も飛んでいるのだが……。

この映画を撮った太田隆文(たかふみ)監督に話を聞いた。

「撮影地などで行なう単発の上映会では好評をいただいているんです。でも、映画館での公開については、もう正確な数はわかりませんが、大手シネマチェーンから単館まで数十館に断られました」

そこまで断られまくるとは、いったい、どれほどの“問題作”なのか?

作品の舞台は静岡県西部の湖西(こさい)市。大地震後に起きた原発事故により激変したある家族の光景を描いている。

「原発事故後の福島のことを調べれば調べるほど、とても悲しくて、ひどいエピソードがたくさん出てきた。それを全部、その家族に集約しようと考えたのです。だから、作品中に起きていることは、すべて実際に福島で起きたことです」

これまで青春映画を多く撮ってきている太田監督が、原発事故を扱った作品を撮ろうと思ったのには理由がある。

「僕はこれまで『子供たちに大切なことを伝えたい』という思いで映画を撮ってきたのですが、原発問題についても、新聞やテレビが伝えないことがたくさんあって、それを映画で表現できるのではないかと思ったのが始まりです」

舞台を福島ではなく静岡県湖西市にしたのにも狙いがある。

「原発事故は日本全体の問題なのに、福島だけのことととらえている人が多いですよね。なかには、原発事故は『もう終わったもの』と言う人もいる。つまり、他人事。だからこそ、映画の舞台を福島と関係ない湖西市にした。東京や大阪のような都会でもなく、日本中どこにでもある、いわば普通の町です。そういう町で原発事故が起こることで、自分の住む町や故郷を重ね合わせて見てくれるのではないかと考えたのです」
山本太郎氏は、沖縄に住む叔父役で登場し、家族を沖縄に避難させようと父親を必死に説得する。

太田監督が撮影時の様子をこう振り返る。

「僕が書いたセリフなのに、太郎さんが言っているとしか思えない、迫真の演技をしてくれました。『もっとセリフを増やしていいですか』と、ものすごく真剣に取り組んでくれましたね」

では、なぜ、この映画がことごとく上映を拒否されるのか。やはり、なんらかの圧力があったのか。

「もともと、大きな映画館での公開は無理だろうとは思っていました。それは“原子力村”から直接的な圧力がかかるということではなく、何か面倒くさいことが起こるかもしれないからやめておこうという“自粛”が予想できたからです。その点、単館系の映画館は大丈夫だろうと思っていたのですが……。それまでにあった原発ドキュメンタリーで観客が入らなかったということで断られました。僕の作品は原発モノというより、むしろホームドラマなのに……。もちろん、大手同様に自粛したところもあったでしょう」

苦境に追い込まれた太田監督だが、週プレのインタビュー前日、ようやく救いの手が。

「あるシネコン系グループが『上映する』と言ってくれたのです。これを皮切りに多くの人が観てくれれば、やがて大都市の映画館でも上映できると期待しています」

果たして、太田監督の願いは叶うのか。

(取材・文/頓所直人)

*『朝日のあたる家』は、9月14日から「豊川コロナシネマワールド」(愛知県)を皮切りに、各地のコロナワールド系列で公開予定

[週プレNEWS]


■山本太郎氏出演、反原発映画が東京緊急公開決定 『朝日のあたる家』

 脱原発活動で知られる参議院議員の山本太郎氏が初めて出演した原発事故を扱った映画『朝日のあたる家』。その内容からなかなか東京公開が決まらなかったが、全国の有志による署名活動などにより、緊急東京公開が決定したことが13日、わかった。

 同作は、静岡県の自然に囲まれた街を舞台に、大地震による原子力発電所の爆発で住む場所を失い、大きな悲しみの渦に巻き込れて行く家族の姿を描く。ロケ地である静岡県湖西市で6月に行われた完成披露上映会は、2日間で3000人を動員。ツイッターなどの口コミで話題になり、その後、全国各地の映画館には同作の上映を求める声が寄せられているという。

 山本太郎氏は同作への出演を決めた理由を「私生活で原発へのアクションをしているので、作品などで表現する必要はないと思っていたのですが、監督と話し合い、脚本を読んで自分の考えが変わりました」。さらに、作品に込める想いについて「テレビ、新聞などマスコミのスポンサーへの気遣い偏向報道で事実を知ることができていない人たちにも、もしかしたらこの作品を通して原発事故の悲惨さを疑似体験していただけるのではないか、と脚本を読んで思いました」と語る。

 同作は、9月14日からの愛知、9月21日からの大阪に続いて、東京でも9月28日より公開される。

[ORICON STYLE/14日追加]

Posted by nob : 2013年08月10日 17:47

返すあてどころかその意思すら誰にもない借金、、、穴の空いたどころか底のないバケツ。。。

■初の1000兆円突破=「国の借金」膨張止まらず―1人当たり792万円・6月末

 財務省は9日、国債や借入金、政府短期証券の残高を合計した「国の借金」が6月末時点で1008兆6281億円になったと発表した。社会保障費など歳出増加に伴って借金の膨張に歯止めがかからず、3月末から17兆270億円増え、初めて1000兆円を突破した。日本の厳しい財政事情が改めて浮き彫りになった。

 7月1日時点の人口推計(1億2735万人)で割ると、国民1人当たり約792万円の借金を背負う計算となる。

 「借金」の内訳は、普通国債が3月末比11兆3470億円増の716兆3542億円、特殊法人への貸し付けの原資となる財投債は1兆7424億円減の107兆5183億円、政府短期証券は8兆1007億円増の123兆3683億円など。

 財務省は2013年度末の「借金」は1107兆1000億円になると見込んでいる。

[時事通信]

Posted by nob : 2013年08月09日 16:41

私の周りにも大勢います、、、これは病ではない、とつくづく思います。。。

■誰もがなり得る、「新型うつ」。なりやすい人の特徴

最近、ビジネスシーンや医療現場で話題になることが多い「新型うつ」。この病気にかかってしまう人が急増中だというが、一般的なうつ病とは何が違うのだろうか。また、どんな人がかかりやすく、万が一、新型うつになってしまったら、どのような対処をすればよいのだろうか。誰もがかかってしまう可能性があるこの病について、「ゆうメンタルクリニック」総院長のゆうきゆう先生に、その特徴や対策を教えてもらいました。

【楽しいこと・関心のあることに対しては積極的に】

まず、一般的なうつ病と新型うつには、どういった違いがあるんでしょうか?

「一般的なうつ病の症状としては、『不眠』、『食欲低下』、『うつ気分』、『無気力』、『無関心』といったものがあげられますが、非定型うつ(新型うつといった病名はなく、病院では非定型うつとして扱われます)では、『過眠』、『過食』といった症状が見られることが多く、『鉛様疲労感』と呼ばれる、手足の重さ・だるさを感じるという症状が見られることが多いですね。とても特徴的なのが、一般的なうつ症状ではネガティブな感情もポジティブな感情も含めて、感情自体を感じにくく行動全般をおっくうに感じるといった症状が見られますが、非定型うつでは不安を感じやすく、楽しいこと・関心のあることに対しては積極的に行動できるのです。嫌なことに対してはうつ気分を感じますが、好きなことに対しては積極的なんですね」(ゆうき先生)

【他人を頼るのが苦手な人は要注意】

過食や過眠など、一般的なうつ病とは違う症状が出るようだ。それに「楽しいこと・関心のあることには積極性を示す」といったことからも分かるように、気分や状況によって症状が左右されることが多いのだそうだ。

 では、どんな人がなりやすいですか?

「どちらかというと、他人の言葉を気にしやすい人が多いかも知れませんね。必要以上に相手の期待に応えようとしたり、他人を頼ることが苦手で、いわゆる少しプライドが高い・相手に弱みを見せたくないタイプの人に多いでしょう」(ゆうき先生)

【できるだけ、規則正しい生活を心がけて】

 新型うつにならないための予防法はありますか?

「基本的な部分で言えば、できるだけ規則正しい生活を送ることが大切です。生活のリズムが崩れていると自己嫌悪に陥りやすく、周囲の目も気になりがちです。実際に他人から指摘されているわけでもないのに、『だらしないと思われているのでは』と想像が膨らんでしまいやすいため、寝る時間や起きる時間を決めて、なるべく生活のリズムを守るようにしてみましょう」(ゆうき先生)

【辛くなったら我慢せず、周囲を頼ろう】

 なるほど。生活習慣の乱れは、いろいろな病気の原因にもなりそうだ。とはいえ、仕事が忙しくなると、生活は不規則になりがち。万が一、新型うつ(非定型うつ)になってしまったら、どうすればよいのでしょうか?

「日中にうつ気分になることが多いことから、昼間に目的意識を持って行動することが勧められます。生活リズムが乱れていることも原因として考えられますので、規則的な生活を心がけましょう。お掃除や家事を計画的に行うのもお勧めです。まずは、日常生活の見直しからですね。また、どうしても辛いな〜と感じるときは、あまり悩まずにクリニックで受診することが大切です。一人で『甘えてるだけなんじゃないか』とさらに悩みを増やすよりは、症状が軽いうちに誰かに相談して安心することも大切なんですね。日頃から『自分を追い込まないこと』を心がけていきましょう」(ゆうき先生)

 誰もがかかってしまう可能性を持つ新型うつ。少しでも辛いと思ったら、自分一人でがんばりすぎずに、周囲やクリニックに相談するようにしよう。

取材協力/ゆうきゆう先生

精神科医。著書多数。ゆうメンタルクリニック総院長。

[マイナビスチューデント]

Posted by nob : 2013年08月07日 13:01

もういい加減に言明すべき、、、二度と故郷には戻れないと。。。

■福島第一原発事故でふるさとを追われた住民の避難生活はいつまで続くのでしょうか?

現時点で見通すことが難しい状況です。避難の長期化を直視し、政府は避難者の生活問題に対処しなければなりません。 今回の原発事故に伴う避難者は約15万人です。

 このうち、原発周辺の市町村から福島県内の他の市町村に避難中の人は9.6万人、残りの5.4万人は山形、東京、新潟など県外に避難し、その避難先は全都道府県に広がっています。

国の復興行政の遅れ 避難生活の長期化を招く要因は大きく分けて2つあります。1つは、国の復興行政の遅れです。

 福島復興の政策を図式的にいえば、政府は「放射性物質の除去(除染)」「公共施設の復旧」「雇用の創出」を重点にし、住民の早期帰還を目指す路線ということができます。一方の避難者の生活問題は、もっぱら東京電力による賠償の仕組みに委ねている訳です。

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年08月06日 16:38

これでいいと思ってしまえば、、、

もう前には進めない。。。

Posted by nob : 2013年08月05日 19:52

言わずもがな、、、良識ある一般米国人たちは皆認めている…、と信じたい。。。

■原爆が必要だったというのは幻想…ストーン監督

 「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。

 ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。

 インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、歴史をもっと深く見るようになった。私は歴史に対して建設的でありたい。日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。

[読売新聞]

Posted by nob : 2013年08月05日 13:29

こうした人々を救済支援するセイフティーネットづくりこそが政府と自治体の第一の務め。。。

■脱法ハウス:増える女性専用…元住人「低収入、親頼れず」

 居室が狭く危険な「脱法ハウス」に関し、女性限定物件が増えている。業者側は「男性がいる物件よりトラブルが少ない」とアピールし、厳しい雇用環境を背景に女性がターゲットになっているとみられる。そうした物件に3月まで1年暮らした女性(33)が取材に応じた。部屋は2畳で、ネズミが走り回る劣悪な環境。それでも「脱法ハウスは生きるために必要でした」と言う。他に受け皿はないのか。【加藤隆寛】

 女性が暮らしたのは東京都新宿区上落合の「女性専用シェアハウス」。2階建て一軒家を改築し、天井に届かない壁で14室に仕切る。賃料は光熱費込みで月2万〜3万円台。江戸川区で分譲マンション管理組合と対立する中央区銀座のシェアハウス業者が運営する。この業者がインターネットで宣伝していた約20物件は全て女性限定だ。

 「発達障害で、仕事はすぐクビになる」。1カ月〜半年で勤め先を転々としてきた。事務が苦手で長時間座っていられない。今は電話業務や試食販売など短期のアルバイトでつなぎ、月収は約9万円だ。

 両親は別居中で、いずれとも関係はうまくいっていない。昨年2月までは働きながらデンマークに滞在。帰国後は母親と同居するつもりだったが、関西の家に行くと、こう言われた。「ここは私の家。あんたはいらない」。心を病み、家はゴミであふれていた。誰も頼れない−−。現金5万円を手に上京。「初月無料、敷金礼金なし」。ネット上で物件を見つけた。

 入居女性は18〜34歳(当時)で、敷金が準備できないなど普通のアパートを借りられない事情を抱える。水商売など夜の仕事と昼の仕事が半々。昼勤務も非正規雇用がほとんどでパニック障害など精神的に不安定な人も少なくない。

 昨夏はネズミの大量発生に悩まされた。「駆除してくれれば家賃を優遇するよ」。運営業者の社長(38)の誘いに乗った。ネズミを捕まえるたび、粘着剤で固まった足にオリーブ油を塗り、近くの公園に放した。それだけ劣悪な住環境でも「家族的な安心感があった」と振り返る。青い顔で具はキャベツだけのお好み焼きを食べ続けている入居者がいると知らせると、社長は飛んできて食事をおごった。寂しい時は愚痴も聞いてくれた。「彼がいなければどう生活していいか分からなかった」と振り返る。

 「あの家があったから頑張れた。夢を追いかけている子は他にもいる」。独学でイラスト画を描き続け、昨冬、初の個展開催にこぎつけた。「人は『脱法ハウス』と呼ぶけれど、法律も親も私を守ってくれない。あの家で実際に多くの人が守られ、助かっている。規制されれば行き場をなくす」

 入居者の2度の自殺未遂騒動などでつらくなり、都内の類似施設に移った。専有スペースは2段ベッドの下段のみ。規制の前に住宅施策を充実させてほしい。「ただ、安く長く入れる公営住宅があったら甘えてしまうかも」。ネズミ駆除で家賃を優遇されていた時期、バイト量が極端に減少。ある種の居心地の良さに慣れていく感覚を味わった。「狭い部屋でボーッと天井を眺めていると、どんどん無気力になる」

 何よりもまず居場所が必要だ。そして、「このままじゃダメだよ」と言ってくれる誰かが、そばにいてほしい−−。「そんな場所、他にありますか」。答えを誰も教えてはくれない。

[毎日新聞]

Posted by nob : 2013年08月05日 12:24

ホワット・ツー・ビー・リメンバード・フォー「何によって憶えられたいか?」あるいは「何をもって憶えられたいか?」

「今日でも私は、この問い、つまり何によって憶えられたいかを自らに問いかけている。これは、自己刷新を促す問いである。自分自身を今日の自分とは若干違う人間として見るよう仕向けてくれる問いである」

(『ドラッカー 時代を超える言葉』)

Posted by nob : 2013年08月05日 07:50

私は何も遺さず、、、そして象のように人知れずひっそりと死にたい。。。VOl.2

■瀬戸内寂聴「死も病も、この真理を知れば怖くない」/続き

山田清機=構成

良い母、良い妻である才能を摘み取ってきた

現代の人が心を病む大きな理由のひとつに、孤独の問題があります。「孤独死」「無縁社会」などという言葉が、一種の流行語にもなっています。

もちろん、家族と仲良く暮らせれば、それが1番いいことだと思います。一緒にテレビを見たり、みんなでお鍋をつついたり……。しかし、お釈迦さまはこうおっしゃるのです。

「貪りと怒りと愚かさを捨て、もろもろのしがらみを断ち、命が尽きるのを恐れず、犀(さい)の角(つの)のように、ただ独り歩め」(スッタニパータ=経集)

人間は、ひとりで生まれてきて、ひとりで死んでいく。これが人間の運命だとお釈迦さまはおっしゃいます。

人間は孤独な存在だからこそ、寂しい。孤独だから、話し合える友だちがほしい。孤独だから、一緒に暮らす家族がほしい。肌が寂しいから、誰かと一緒に寝たい。

でも、どんなに体を温め合ったところで、孤独であることに変わりはありません。だから、恋人に裏切られたって、キーキー泣きわめく必要はないのです。家族と離別することになったら、「いままで、たまたま道連れでいてくれたんだ。ありがとう」と思えばいい。

この世は変化するものだと思っていれば、どんな事態に直面しても度胸が据わると言いました。孤独の問題も同じです。最初から人間は孤独だと思っていれば、たとえひとりぼっちになったとしても、うろたえることはありません。

私は、孤独が好きです。できることなら誰にも知られず、ひっそりと死んでいきたい。どこかをひとりで旅していて、野原かなにかを歩いているとき、命尽きてバタリと倒れる。獣に食べられて、そこにすすきが被さって……。

こんな死に方が、私の理想です。もっとも現代では、誰かが失踪したとなればヘリコプターを動員してでも捜索するのでしょうから、ひとりでひっそりと死ぬのは、むしろ難しいことかもしれません。

ひとり、ということで言えば、結婚しない女性が増えていると聞きます。
1987年より住職を務めた岩手県にある古刹・天台寺での「青空説法」の様子。広い境内に全国から1万人もの人が集まった。その内容は、『寂聴 あおぞら説法』シリーズにまとめられている。現在も名誉住職として法話を行っている。

2011年は平塚らいてうの「青鞜」(婦人問題を扱った文学誌)が誕生して100年目の年。明治の終わりから大正のはじめにかけて、多くの革命家が活動しましたが、当時の女性の地位は本当に低いものでした。仕事がないどころか、参政権すらなかった。

いまや男女雇用機会均等法という法律までできて、女性がずいぶん社会的に立場を得てきています。大学入試でも就職試験でも、1番、2番を取るのはたいてい女性と聞きます。「戦後、靴下と女は強くなった」と言いますが、本当ですね。

でも、現役の女性大臣が子供を産むなどという報道に接すると、大臣に子育てをしている暇があるのだろうかと思ってしまう。女性が社会的に活躍するのは嬉しいことですが、少し矛盾も感じます。

件の女性大臣だけでなく、女性が本気で仕事をしようと思ったら、家族との時間も大切にしたいとか、親に孫の顔を見せてやりたいなんてことは考えていられないはずです。何かひとつのことを成し遂げようと本気で思うなら、結婚も子供もなんて欲張りすぎです。

大きな椿の花を咲かせるには、どうすると思いますか。まだ、つぼみが小さいうちに、ひとつだけを残してみな摘んでしまうのです。そうすれば、大輪の花を咲かせることができる。女性の社会進出が進めば、結婚しない女性が増えるのは当然のことだと私は思います。

私は、いい母になる才能、いい妻である才能、そうした才能をひとつひとつ摘み取ってきました。そして、小説を書く才能だけを残したのです。これだけたくさんの才能を犠牲にしたのだから、せめて小説を書く才能だけはちゃんとしてくださいとお釈迦さまにお願いしています。

出家者には、法話をするなど、想像していたよりもたくさんの義務があります。そして、義務を果たすことは、正直言って楽しいことばかりではありません。

ところが、小説を書くことは私にとって快楽なのです。この快楽を手放したくないという欲望が、私にはある。煩悩は捨てなくてはなりませんが、私はいい小説を書きたいという煩悩だけは、今も捨て去ることができません。

でも、死ぬまで煩悩を抱えて生きるのが、人間というものです。煩悩を完全になくせばブッダ(悟った人)ですが、世の中ブッダばかりになってしまったら、ちょっと困るでしょう。だから私は、そんなに立派なお坊さんではないのです。

同時代を生きた作家や著名人との奇縁を綴る『奇縁まんだら』(日本経済新聞に連載、9月に終了)というエッセイを足掛け5年書き続けながらつくづくと思いましたが、人間はみんな死にます。川端康成さんも、三島由紀夫さんも、遠藤周作さんも、つい最近は北杜夫さんも、みんな死んでしまった。私のように 90まで生きてごらんなさい。親しい人間は全部死ぬんだということが、よくわかります。

だからもう、私は死ぬことも怖くないし、病気も気にしません。昔、60歳ぐらいの頃、ちょっと心臓の存在を感じるようになって、東京で三指に入るという心臓のお医者さんに診てもらったことがあります。お医者さんが、「講演旅行なんてとんでもない。年寄りらしく庭で草むしりでもしていなさい」とおっしゃるので、「どうせ心臓が悪くて死ぬのなら、もっと仕事をしてやれ」と思って、仕事を倍に増やしたことがありました。そうしたら、私は死ななかったのに、そのお医者さんが亡くなってしまいました。

いまは糖尿病を患っていますが、お酒は飲むし、肉は食べるし、チョコレートも食べる。不摂生をしていますが、数値は悪くなりません。人間はみな死んでしまうのですから、病気だろうと何だろうと、あまり気にしないほうがいいのです。

お釈迦さまは、「この世は苦だ」とおっしゃいました。お釈迦さまは国が戦争するのも見てきたし、自分の国が滅ぼされるのも見た。人間の嫌なところをたくさん見て、自分が可愛がっていた弟子がどんどん死んで孤独も味わった。それでも、最後の遊行の旅に出られたときに、こんな言葉を残しておられます。

「この世は美しい。人の命は甘美なものだ」(大パリニッバーナ経=大般涅槃経)

この世に対する全肯定、人間に対する全肯定です。お釈迦さまがこうおっしゃったのだから、この世は美しく、人の命は甘美なのだと私は信じます。私たちはもっともっと楽観的に生きていい。私はそう思っているのです。

[DIAMOND Online]

Posted by nob : 2013年08月03日 15:46

私は何も遺さず、、、そして象のように人知れずひっそりと死にたい。。。

■瀬戸内寂聴「死も病も、この真理を知れば怖くない」

山田清機=構成

出勤する途中の道ばたに怪我をして横たわっている人がいたら、あなた、どうしますか。

下手に救急車なんて呼んだら、状況を聞かれて時間を食われてしまう。今日は重要な会議があるから、見て見ぬふりをして通り過ぎよう。こんなふうに考えるのが、普通かもしれませんね。

でも、会議に遅れるからなんて、言い訳です。人がひとり、目の前で死ぬかもしれないのを助けることもしないで、いったい何の仕事ですか。倒れている人のそばへ飛んでいって、「大変。大丈夫ですか」と声を掛けるのが、人間として当たり前の姿です。この原稿を読み直している今、通行人の誰もが素通りしたことで、怪我人が死んでしまったという中国でのニュースが入りました。ああ、ついに礼節の国だった中国までもそうなったかと胸がふさがりました。お釈迦さま(ゴータマ・ブッダ)はおっしゃいます。

「『その報いが、自分には来ないだろう』と思い、善ぜん行ぎょうを軽く見るな。水一滴のしたたりも、つもれば水瓶(すいびょう)をあふれさせる。心ある人は、小さな善をつみ重ねて、いつのまにか、福徳に満たされている」(ダンマパダ=法句経)

お釈迦さまの教えとは、ひとことで言えば、悪いことをせずに善いことだけをしなさいということです。道ばたに怪我をした人が倒れていたら、迷わず手を差し伸べる。それが善いことです。

なぜそれが善いかは、立場を逆さまにしてみればすぐにわかる。あなたが轢き逃げに遭って道ばたで呻いているのに、目の前からさーっと通行人が逃げていったらどう思いますか。「なんて薄情な世の中だろう」と思うでしょう。相手の立場に立ってものを考えれば、人間は他者のためにどんなことでもできるのです。

特に出家者にとって、善いことをするのは義務です。そこに、やるとかやらないとかいう選択の余地はない。なぜなら、出家者にとってお釈迦さまの教えは絶対だからです。信仰を持つとは、そういうことなのです。

私が51歳で出家を決心したとき、マスコミはいろいろなことを書き立てました。男に振られたのではないか、もう小説が書けなくなったのではないか、娘の結婚式に呼ばれなかったので拗ねたのではないかなどなど。でも、どれも当たってはいませんでした。

ちゃんと男はいましたし、連載の予約は再来年まで一杯。娘の結婚相手は、陰で私が世話をした人でした。ですから、そういった理由ではなかったのです。

私は大学を卒業するまで、ずっと優等生でした。結婚しても模範的な奥さんだったので、不良に対して強い憧れがありました。子供の頃から、不良が羨ましくて羨ましくて仕方がなかった。

家を捨て、子供も捨てて、大変に悪いことをいろいろとして、周囲の人にも迷惑をかけながら小説を書き続けました。お陰様で小説は読者がついてくれ、嫌な言葉ですが「流行作家」になりました。売れる小説を書くコツを会得していたので、いくらでも小説は書けた。あのまま流行作家としての人生を続けていくことは、私にとって容易なことでした。

ところが、「これじゃない」と思ってしまったのです。私が憧れてきた、理想としてきた文学は、こんなものではないと思ってしまったのです。

持って生まれた才能だけでは、もはや文学の理想を究めることはできません。バックボーンというのでしょうか、確固たる信念と哲学がなければ、本当に書きたいものは書けない。何か、人間よりも大きな存在に助けてもらいたいという気持ちが、非常に強くなったのです。

師僧の今東光先生(作家・故人)がご病気だったこともあり、先生が住職を務める中尊寺での得度式では、上野・寛永寺の杉谷義周大僧正が戒師を引き受けてくださいました。天台宗では頭を剃っている間、声明を上げるのですが、壁越しに男性のゆるやかな声明を聞きながら頭を剃られていると、心が鎮まっていくのを感じました。これは毀形唄(きぎょうばい)という声明であることを、あとから学びました。

毀形唄って、恐ろしい意味です。「形を毀(こわ)す」ということでしょう。これまでの人間としての形を毀す。女である形を毀す。意味を知ってみれば怖いことですが、あのときは、「ああ、これで変われるんだ」という覚悟のようなものが訪れて、心がとても落ち着きました。

もうひとつ、よく覚えていることがあります。頭が軽くなり、涼しくなったので、私は自分の顔を見たいと思ったのです。そこで、頭を剃ってくださった女性に、「鏡を見せてください」と言いました。すると、夜店で売っているような、裏にブリキを貼った安物の鏡を、「はい」と手渡してくれました。

鏡の中には、マンガの一休さんみたいな可愛いらしい小坊主の顔があります。

「ああ、これが自分か」と思ったら、ストンと何かがわかった気がしました。私は不良になり切れなかったから、出家をしたのかもしれません。
苦に耐え抜いたとき、心の平安が与えられる

心を病む人が多い時代です。当たり前です。こんなに薄情な世の中なのですから。でも、こんな世の中でも、お釈迦さまの教えを知ることで、心の中から不安を取り去ることはできます。

仏教の1番根底にある考え方は、生々流転です。古代ギリシャの哲学者、ヘラクレイトスはpanta-rhei (万物は流転する)と言いました。世の中は移り変わるものであるという考え方は、仏教だけでなく、広く世界中にあります。

「世の中は泡沫の如しと観よ。世の中は陽炎の如しと観よ」(ダンマパダ=法句経)

お釈迦さまは、この世の一切のものは虚妄であると断じておられます。11年3月11日の東日本大震災、それに伴う福島第一原発の事故を、いったい誰が予測できたでしょうか。誰もが予期していなかったことが、現実になった。これがまさに、この世の姿なのです。

いま幸福に生きている人は、この幸福を守りたいと思い、守り切れると信じます。しかし、そうはいかないのです。地震、津波、台風、洪水といった自然の猛威に触れれば、永遠に続くと思っていた幸福がひとたまりもなく吹き飛んでしまう。命も同じです。人間は生まれてきたら必ず死にます。死ぬために生まれてくると言ってもいい。幸福が永遠に続かないように、命も永遠ではないのです。

世の中は常に変化し、人生には予期せぬことが起こり、そして、人間は必ず死ぬ。こう覚悟しておけば、度胸が据わります。大変な災害に遭おうと、会社をリストラされようと、「ああ、これこそ世の習い」と感じることができれば、あわてふためくことはありません。

お釈迦さまは、「この世は苦である」とおっしゃいました。生きることは苦しいと。しかし、この世は苦であると最初から思っていれば、どんな苦しみにも耐えられます。苦だと決まっているのだから、じたばたしたって仕方がない。

「『一切の形成されたものは苦しみである』(一切皆苦)と明らかな知慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。これこそ人が清らかになる道である」(ダンマパダ=法句経)

耐え忍ぶことを、「忍辱(にんにく)」と言います。お釈迦さまは、苦にはひたすら耐えよとおっしゃった。苦に耐え抜いたとき、きっと予期していなかった心の平安が与えられるのでしょう。

作家・天台寺名誉住職 瀬戸内寂聴
1922年、徳島県生まれ。東京女子大学卒。63年『夏の終り』で第2回女流文学賞受賞。73年得度。92年『花に問え』で第28回谷崎潤一郎賞、2006年度文化勲章受賞。近著に『生ききる。』(共著)、『奇縁まんだら』。

[DIAMOND Online]

Posted by nob : 2013年08月03日 15:36

誰にも自分自身でしか見つけられない居るべき場所がある。。。Vol.3

■脳内が過熱したら「一呼吸とズームアウト」 -酒井雄哉
嫉妬しない練習

構成=面澤淳市

簡単にいったら、偏らなければいいんだよ。相手さんに対して、好きなら好き、嫌いなら嫌いで偏った感情を持つから嫉妬の心が起きるんだ。こだわりすぎるから、トラブルになるんだよ。

小さい赤ん坊を見ていてね、あんまり可愛いから、キュッとほっぺたをつねったりするおばちゃんがいるじゃないの。嫉妬を燃やしちゃうのも、そういうのと紙一重なんだな。

これは女性に限ったことではないけどね、ついこの間まで好きだといってベタベタしていたのが、何かの拍子に嫌いになると、今度はフンともスンとも言わなくなる。そういうのが高じてくると、殺し合いになるわけだ。

だから、相手に「こだわる」「固執する」ということがいけないんじゃないのかな。相手さんの「いいこと」(出世とか結婚とか)はいいことに決まっているんだけれど、あんまりしつこく関わりすぎちゃうと、別に怒らなくていいのに怒りが湧いてくるんだね。

左なら左、右なら右にこだわりすぎると、頭の中が過熱して大変なことになっちゃうの。そういうふうになったときは、一呼吸置いて、ちょっと高い位置から眺めてみる。そうすると、落ち着いてくるんじゃないのかな。仏さんみたいな立場に上がってね。

高いところからだと、両方を平均して眺めることができるじゃない。そこから見て、自分はこういうふうに言っているけれど、もしこれが反対の立場だったらどうなるのかなあと考える。

そうやって、相手さんの気持ちに自分がなればいいんだよ。他人が見たらたしかに「いいこと」かもしれないけれど、本人からすれば「あんまりよくないよ、駄目だな」ということかもしれないからね。

こだわりすぎるのはよくないけれど、反対にボケーッとしているだけというのも、ノイローゼみたいになるからこれもいけない。冷静になって、ものを判断できればいいんだよ。

そのあとで、一歩足を前に出して進んでいく。前向きになる。そういうふうにしていけば、だんだんといいアイデアが出てくると思うな。

たとえば「クルマができたから事故が起きるし、いつもその心配をしなくちゃいけない」なんて、ウツウツと考えている人がいるじゃない。でも現実には、クルマがあるからこそ、子どもや奥さんを連れて気軽にドライブに行けるんだ。

そんなふうに前向きに考えれば、クルマに乗る前に「これから遊びに行きますが、無事に帰ってこられるようによろしくお願いします」と、クルマ自体を仏さまの存在として見るようになるでしょう?

自分たちを守ってくれるんだから、整備や点検だってきちんとする。それで無事に帰ってきたら「今日1日ありがとうございました」と感謝をする。クルマでも悪いほうにとったら事故の心配とか出てくるけれど、ルールを守ってちゃんと扱えば楽しいものだ。つまりは心の持ち方だよ。

だけど、自分では冷静に、前向きに考えることができたとしても、相手が嫉妬を燃やしていたら困るよなあ。そのときはもう、勝手にしてもらうしかないんだよ。

なるべく会わないようにする。接しない、会話もしないようにしていけば、だんだん離れていっちゃうからね。

昔から言うじゃない。悪いお師匠さんにつくと、それだけの人間にしか成長しない。だから付き合う人間を選ぶことだよ。

いままで友だちだったとしても、これは駄目だなあと思えば、自然に離れるようにする。そのときは、パッと急に離れるんじゃなくて、10回会うところを7回にするとかして、だんだん回数を減らしていくんだよ。話題も少なくなるから、しまいにはあまりしゃべらなくなってくる。

そういうことは大事なんだよ。

僕のところにも、ご先祖の霊が悪さをするから「どうにかしてください」って相談にくる人がいる。肩のところに乗っかっていて、体の具合が悪いと言うんだね。

そういうとき、僕はこういうたとえ話をするんだよ。

親戚に、できのよくない甥っ子がいて、たびたびお金をせびりにくる。その都度なにがしかを渡すんだけれど、何度も来るので、みんな困り果てている。そんなとき一番効くのは、おっかない伯父さんが出ていって「バカもの! おまえとはもう縁を切る」と一喝することだよね。

それと同じで、ご先祖っていうのは子孫の繁栄を守るものだから、大切にしなくちゃいけないの。ところが、あなたの言うご先祖は、子孫を守るどころか祟ろうとする。それが本当にご先祖なら、ご先祖の風上にもおけないじゃない?

こっちから縁を切ってやればいいんだよ。

そうすると、「ほんとですねえ」なんて言って、さっきまで暗い顔をしていた人が、大笑いしながら帰っていくんだよ。

信者さんのことでは、こういうこともあったな。

昭和52~53年のことだけど、僕はちょうど千日回峰行(比叡山中を延べ4万キロ歩き通す天台宗の荒行、酒井師はこれを2度も満行している)をしていたでしょう。お寺にいるときに、信者さんが訪ねてきて、僕の顔を見るだけで帰っていくことがあったんだ。

せっかく山を登ってきてくれたのに、どうしたのかなあと思ったけれど、よく考えてみれば、信者さんはお経をあげてほしかったんだ。だけど僕が行をしているから、遠慮して言い出せなかったんだね。

4、5分でもお経をあげてやればよかったなあと、あとになって後悔したけど、信者さんのほうも心残りだったんじゃないのかな。

だから遠慮というのは、しないほうがいいんだよ。信者さんとしては「行者さんに無理をさせては悪いから、お願いはしないでおこう」と思うのだけど、無理かどうかは聞いてみなくちゃわからないよね。

大事なのは、とりあえず聞いてみることなんだ。悪いなと思ったら、相手から同じようなお願いをされたときに、嫌がらずにお返しをすればいい。直接その人にお返しできなくても、別の人に親切にしてあげたらいいじゃない。

お寺というところは、ふつうの学校と違って、手とり足とり教えてくれるということはないんだ。いっぺん教えてくれたら、二度と教えてくれないという約束がある。話を聞くときは真剣に聞きなさいということだけど、それでもわからないときは、先達の人に聞きにいく。

相手に「うるさい奴だな、しつこいな」と思われるくらい、いろんなことを質問する。それで初めて、ものになるんじゃないのかな。そのときに遠慮していたら駄目なんだ。

回峰行では40キロのけもの道みたいなところを歩くでしょう。道順や、あちこちにある礼拝場所を「手文」という紙に自分で書き写すことになっている。最初の1日だけは先達の阿闍梨さんが同行してくれるけど、次の日からは、手文を見ながらたった1人で歩かなくちゃいけないんだ。

1人で、しかも夜中に歩くから不安で不安でしょうがない。どうしても自信がないところは、やっぱり先達の人に聞くしかない。すると、1回だけは教えてくれる。遠慮していたら、ずっと間違えたままになるんだよ。

ほかのことでも同じだよ。遠慮をして言いたいことが言えないと、声が小さくなっちゃうでしょう? 大きな声で、遠慮をしないで朗らかに話すといいんだよ。

[DIAMOND Online]

Posted by nob : 2013年08月03日 15:29

誰にも自分自身でしか見つけられない居るべき場所がある。。。Vol.2

■リセットの口グセ「一度で成功する人はいない」-酒井雄哉
失敗を引きずらない練習

構成=面澤淳市

人生なんてものは、経験の積み重ねだからね。積み重ねていく間には、失敗なんかなんぼでもある。失敗は失敗と認めて、それを踏み台にして、前に進んでいけばいいんだよ。

何をするのだって、いっぺんで成功する人なんてなかなかいない。逆にスムーズに成功したら、あとになってからが怖いよ。失敗したときは、必要な経験を積んでいるんだ、教えてもらっているんだと思うことだね。

戦後間もないころ、手づくりのラジオが流行ったけれど、あれ、聴きたい局に合わせるのが難しいんだ。ネジを回してチューニングをするときに「このへんかな?」というあたりで止めればいいのに、最初はつい回しすぎて、聴こえなくなっちゃう。そのうちに、電波をうまくつかまえるコツを覚えるんだな。

何ごともそれと同じで、繰り返し、繰り返しやっているうちに、いろんなヒントを得たり、コツを覚えたりして「これなら合格」というところへたどり着くんだよ。

だから、1回や2回失敗したからって、青くなったりすることはない。学校だって、授業料を払わなければ卒業できないでしょう?

一つ失敗するごとに「1月分の月謝を納めた」くらいに考えたらいいんだよ。そういうことじゃないのかな。

僕なんか、若いころは失敗だらけの人生だった。学校の勉強は中途半端だし、兵隊に志願したら、うろうろしている間に終戦になっちゃった。

戦後になって、たまたま法政大学の図書館で働くことになったけど、そこで本の出納係をしていたら、図書館担当の教授と仲良くなってね。本の出し入れは要領よくやっていたから、頭のいい奴だと思ったのと違うかな。あるとき、学生と勘違いして「君、何科に行ってるの?」と聞くんだよ。

とっさには何のことだかわからなくて、「図書科です」と答えたら「いや、それはわかってる。学科はどこかということだよ」。落語みたいな問答になっちゃった(笑)。

ここで働いているだけなんです、と説明すると、

「もったいないなあ。じゃあ、大学へ入んなさいよ」

今度は、法政に入学しろと勧めてくれたんだ。あの大学には夜学があったし、図書館で働いている仲間には学生アルバイトも多かったからね。僕もその気になっちゃって、戦時中に通っていた慶應の商業学校から成績証明書を取り寄せてみたんだよ。

そうしたら、落第したこととか、品行方正じゃないことがしっかりと書いてあるじゃない。これじゃあ入学できないなあ、と思ってね。願書を出すのはやめにしたんだ。

でも、そのころにはもう、職場の同僚なんかに「来年からは、あんたたちと同じで学校へ行くよ」と言いふらしていたからね。勧めてくれた教授にも同僚にも、顔を合わせにくくなっちゃった。ちょっと意味は違うけど、「口は災いのもとだ」と思ったなあ(笑)。

これは逃げちゃうことが一番いいと考えて、何も言わないまま図書館にも行かなくなった。つまり、職場放棄をしたんだよ。

当時は親と一緒に住んでいたんだけど、辞めたことを言い出せなくてね。長いこと、勤めに出ているふりを続けていたんだ。朝になると家を出て、夕方帰ってくる。最初のころは電車に乗っていたけど、そのうちにお金が尽きちゃった。

そうなるともう、歩くしかないの。東京の三鷹にあった家から、大学のある市谷を通って、月島のあたりまでとことこ歩く。三鷹へ帰るころには夕方の5時になっている。毎日毎日、そうやって東京中をうろうろ歩きまわっていたんだ。

人生って、おもしろいよ。それが分かれ目になったんだから。

あのまま図々しく試験を受けて、大学に入っていたらどうだろう。大学の職員を続けていたらどうだろう?

いまごろ僕は、ここ(比叡山)にはいないよね。

あのときは、職場から逃げ出して、どうにもしょうがなくて東京中を歩きまわっていたんだよ。それから20年くらい経って、たどり着いたのが比叡山なんだ。

坊さんになって、言われることを何でも「そうですか」「わかりました」って素直に聞いていたら、いつの間にか行の道に入っちゃった。結局、千日回峰行(比叡山中を延べ4万キロ歩き通す天台宗の荒行、酒井師はこれを二度も満行している)をやることになるでしょう。若いころ職場放棄をして東京中を歩いたことが、千日回峰行につながっているんだよ。

「いい職場なのに、どうして自分の勝手なつもりで辞めたんだ?」

「もったいないじゃないか」

当時はいろいろと言われたよ。人から見たら失敗だろうね。でも、僕はそうは思わなかったな。

あのまま学校にいたら格好が悪いから逃げちゃった。でもそのあとは、なんとか親に見つからない方法はないかなあと考えて、歩いていただけ。「辞めて失敗したな」とは思わないんだ。

そもそも「学生になる」なんて言いふらして、引っ込みがつかなくなったから困っていたわけでしょう。辞めたら逆に、気持ちが軽くなったんだな。

歩いていると、頭の中は空っぽになるんだ。千日回峰行のときも、山道を毎日何十キロも歩くのは大変でしょうって言われるけれど、山を歩いているときは自由なんだよ。ほんとに全部解放されちゃってね。

疲れたらそこらへ腰掛けて一服できる。こんなことをしたら格好悪いとか考えずに、なんでもできる。自分ひとりでやっているから、人に気を使わなくていいんだよ。山から文句を言われるわけはないからね(笑)。

だから案外と、うちへ帰ってきているときよりも、歩いているときのほうが気は楽だったんだ。うちへ帰ってくると信者さんが訪ねてきたりして、けっこう気を使うでしょう。1日に40キロ歩くというのは数字を見るから大変に思うけれど、気持ちのうえからは楽なんだ。

だから仕事で失敗したとか会社を辞めたときには、部屋にこもっていないで、歩くといいんじゃないのかな。やっぱり何でも前向きに進んでいくということを考えないとね。

特にいまみたいな時代は、世間の風潮とか他人の顔色を見て生きていたら、いくつ体があっても足りないよ。自分がいいと思ったら、その道を進んでいけばいいんだ。

他人の意見を聞いてばかりだと、下降線になったときに「あのとき、あの人の話を聞かなきゃよかったなあ」「おれは違うと思っていたんだがなあ」ということになるからね。

いろんな人のご意見は、あくまでもアドバイス。それを参考にして、自分で決めて動いていくしかないんだよ。実行するのは自分なんだから。

僕なんかも、千日回峰行のときに周りの人から言われるの。「今日は嵐がくるから、ちょっと時間を遅らせて出発したらどうですか」と。

でも、毎日歩いているのは僕なんだ。出発を遅らせたら、それだけ帰ってくる時間が遅くなる。帰ってからやることも遅くなる。

同じようなペースで行こうと思ったら、嵐がこようが何があろうが、やっぱり進んでいかなきゃ駄目なんだ。千日回峰行は、どんなことがあっても休んではいけないからね。

自分のことは自分で引き受けて、歩いていくしかないんだよ。そういうことじゃないのかな。

[PRESIDENT Online]

Posted by nob : 2013年08月03日 15:21

誰にも自分自身でしか見つけられない居るべき場所がある。。。

■ダメ人間も変わる「一日一生」の極意

酒井 雄哉 さかい・ゆうさい
天台宗大阿闍梨
比叡山飯室谷不動堂長寿院住職。1926年、大阪府生まれ。夜学の慶應義塾商業学校を経て熊本県人吉の予科練に志願し、鹿児島県鹿屋の特攻隊基地で終戦を迎える。戦後は職を転々とし、40歳のときに仏門へ。7年をかけ延べ4万kmを歩く「千日回峰行」を2度満行。著書に『一日一生』『「賢バカ」になっちゃいけないよ』など。

構成=面澤淳市(プレジデント編集部)

ここ何年も経済の調子がよくないし、東日本大震災も起きたから、悩みがあるとか苦しいなあと思っている人は多いでしょう。

そういうときに、おざなりの理屈とか「癒やしの言葉」を並べたってしょうがないんだよ。ありのままの姿を、そのまんま正直にとらえていればいい。物事には真実以外に何もないんだからね。

苦しいことにぶつかれば、誰だって苦しい。それなのに「苦しくありません」とか「こうしたら解決します」と軽々しくいう人がいるけれど、言葉にした以上は、必ずそれを実践するということが必要じゃないのかな。

いまは知識や情報の量が多すぎる。もちろん知識は大切だけれど、それを学んで身につけて、自分なりに使いこなせるようでなければ何にもならない。大事なのは「実践する」ということなんだ。

(囲)何よりも実践を重んじる。それが酒井雄師の生きざまだ。「大行満大阿闍梨(だいぎょうまんだいあじゃり)」など最高位の尊称を持つ高僧だが、その経歴はいささか異色。特攻隊からの復員後、さまざまな職業を経たのちに僧侶としては異例の40歳で得度し、数々の修行を重ねた末に、比叡山に伝わる最大の難行「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」を2度も満行した。これは歴史の残る天正13(1585)年以降、3人目という偉業である。

千日回峰行は7年をかけて比叡山中と京都市内(これを「京都大廻り」という)を延べ4万キロ歩きとおすほか、9日間の不眠・不臥・断食・断水をともなう「堂入り」の行を必須とする。「不退行(ふたいぎょう)」とされ、行が続けられない場合は自害するのが決まりである。酒井師は文字どおり死を賭して究極の荒行に挑み、自己を鍛えるとともに、国民の幸せや国家の安泰、世界の平和を一心に祈念した。ゆえに、その言葉には千金の重みがある。

回峰行に入るときには、先達の阿闍梨さんが1日だけ同行してくれるけど、そのあとは自分で書き写した「手文(てぶみ)」を頼りに、提灯1つを下げ、夜半過ぎに出発して、けもの道みたいな山道を歩いていくんだよ。普通は1日に40キロ、京都大廻りでは84キロを歩くんだ。

真っ暗な中を歩いて怖くはないかと聞かれることはあるけれど、とりわけ怖いとは思わなかった。たしかに、いろんな気配を感じることはある。山の中で黒い影とすれ違ったり、そうかと思うと、谷の下のほうから食器を洗う音や、大勢でわいわい話している声が聞こえてきたりするんだよ。

そのときはさすがに不思議だったから、翌日、谷の下にある日吉大社(酒井師が歩いた千日回峰行・飯室谷ルートの途上にある古社)に電話をかけて「きのうはずいぶん大勢の人がキャンプか何かで集まっていたようですね」と聞いてみた。すると相手は「そんなはずはありません」というんだな。「私はいつもこの社務所にいるから、それだけの人数が来ていたら絶対にわかります」とね。

こういう不思議なことはあるんだよ。でも、怖いとも何とも思わなかった。

なぜかというと、僕が自分というものを信じていたからだ。自分は仏さんを信じて行をやっている。その自分を信じていれば、静かな心で歩みを進めることができるんだ。もしそれがなかったら、暗い森にさしかかったあたりで、一目散に逃げ出しちゃったかもしれないね。

そもそも自分で「やります」といったからには、自分を信じて進まなくちゃならないのが行なんだ。他人の助けなんて役に立たない。仕事でも何でもそうだけど、アドバイスをしてくれる人ならいるかもわからない。でも、実際に行うのは自分だけ。それ以外にないんだからね。

お釈迦さまは入滅のときに「自らをたよりとし、他人をたよりとせず」とおっしゃった。当時の僕はその言葉を思い浮かべていたわけではないけれど、結局はそういうことだったと思うんだ。

「回り道」をしたから、あの苦行ができた

自信を持つには、何でもこつこつ一生懸命に続けることだ。たとえば本を書く人なら、自分なりのやり方で、一生懸命に書き続けていく。そのうちに自分の気持ちと筆とが一致するときがくるんじゃないのかな。

外面だけを見て、データを切り貼りしたような本もあるけれど、そこには心が入っていないよね。逆に、自分の中から一生懸命言葉をつむぎだしていくなら、途中で失敗して苦しんだとしても、そのときの気持ちが入ってくるから、すばらしい作品ができると思うんだ。

僕の場合は、40歳でお坊さんになったでしょう。千日回峰行を始めたのも50歳近くになってから。あのころ、50歳といったら隠居するような年ですよ。だから自分は剣が峰に立たされていると感じていた。ここで失敗したら、ゼロになっちゃうという気持ちだよ。

とくに千日回峰行というのは「不退行」だから、後戻りは許されない。獅子の仔が千尋の谷へ突き落とされるのと同じで、いったん行に入ったら助けてもらえない。どんなことがあっても、ぐいっと爪を立てて山を登っていかなければならないんだ。断食・断水の「堂入り」のときなんか、4日目くらいになると自分の体から死臭が漂うのがわかるんだよ。それでも真言を唱えながらひたすら耐える。

それは、自分というものを信じなければできないことだ。信じることができなければ、途中で「いい加減にやめておこう」「こんなにおいしいものがあるんだから、あっちに寄っていこう」と気持ちがくじけてしまう。「自分はこれでいく。やり遂げるんだ」という強い意気地を持つことが大切なんだよ。

強い気持ちを持つには、人生を大局的に見ることだ。あらかじめ自分の生涯の路線を決めておく。そうすると、まわりの小さな利益とか細かな問題は放っておいてもいいんだからね。

僕にとっては行の道が生涯の路線だったわけだけど、ここへくるまでは失敗の連続だったんだ。大学図書館に勤めれば途中で投げ出す、セールスマンやラーメン屋、株屋をやってもうまくいかない。結婚してもすぐに女房に死なれちゃってね。だけど、いまやっていることだけは自分に適していたと思うんだ。俗っぽい言葉でいうと、ここがいちばん「住みいい」ところだったんだ。

そういうと、最初からお寺に来ていたらよかったと思うじゃない。でも、回り道をしてきた甲斐もあるんだよ。普通のお坊さんなら15歳くらいで寺へ来る。僕が回り道をしないで、若いころにこの道へ入っていたらどうだろう。住職になったらそれで満足して、千日回峰行はしなかったかもしれないな。

僕は外の世界を知っていて、しかも失敗ばかりしていたから、よけいに山の「住みいい」ことがわかるんだ。池の鯉だって、ただ泳いでいるうちは水の楽しさやありがたさはわからない。陸に引き揚げられてはじめて、水のよさがわかるんじゃないの。それと同じだと思うんだ。

もしかしたら、仏さんが上のほうから僕のことを眺めていて、「こいつは何やらしても駄目だから、仏の仕事に携わらせてやろう」とお考えになったのかもしれないね。かといって、若いうちに仏さまの知識を授けおくと、険しい修行に向かわず、お寺の経営とか仏典研究とか別の道へいってしまうかもしれないじゃない。それで、知識がゼロのままいきなり剣が峰に立たせて、行をはじめるしかないところへ引っ張ってきてくれたのかもしれないと思うんだよ。

お坊さんにならなくても、都会でばりばり仕事をしていた人が、ある日突然、信州の山奥で農家仕事をはじめるということもあるんだよ。その人に聞いてみたら、電気もないような暮らしだけれど、とても楽しいというんだな。都会にはもう未練はない。「住みいい」ところに来ることができて、いまが一番幸せという。

そういうものかもしれないな。

[PRESIDENT Online]

Posted by nob : 2013年08月03日 15:07

言葉は人の数だけある、、、自らの言葉は習うものではなく創りあげていくもの、、、言葉は感じ方や考え方そして生き方の表明である。。。

(まず始めそして続ける、、、自己実現への唯一の途。。。Vol.2)


■試験は高得点、だけど英語がまったく通じない
ハーバード生活で感じたアウトプットの重要性

ハーバード大学へのきっかけは1枚の張り紙

 第1回ですでに書いたように、私がハーバード大学に入学したきっかけは、職員室に掲示された1枚の張り紙でした。

 大学受験を控えた高校3年生の秋、アメリカでの留学を支援する「グルー・バンクロフト基金(グルー基金)奨学生試験」の紹介をたまたま見つけたことからつながっていきました。

 アメリカの大学は、日本のように大学別の試験ではなく、高校時の成績、課外活動、先生の推薦状、自分についてのエッセイなどが合否を決める重要な要素になってきます。また、その他にも、共通試験であるSAT(大学進学適性試験)を受ける必要があり、留学生に対しては、英語力を見るTOEFLのスコアも要求されます。

 私はというと、SATの英語の成績(日本の国語に当たります)は悪かったものの、TOFLEの点数が良かったことや、渡米前に英会話学校で勉強していたこともあり、英語に関する心配はそれほどしていませんでした。

 ところが、実際にアメリカに到着すると、食事の注文すら満足にできず、自分の英語の不自由さを痛感します。何を聞かれているのかわからなくなってしまい、ファストフード店では立ち往生。苦い顔をされながら、「早く進め」というジェスチャーをされたことは1度ではありませんでした。

日常会話すらままならない大学生活

 実は、入学の1ヵ月前には、ロードアイランド州にあるブラウン大学のサマースクールで、外国人向けの英語のクラスを受講して、入学に備えることにしていました。

 1日の授業時間は4時間。外国人専用の授業だったため、文法の授業は高校の復習レベルです。

 また、クラスメイトもネイティブスピーカーではなかったため、私の英語を理解してあげようという気持ちがあり、なんとか通じます。先生たちも、はっきり、ゆっくりと話してくれるので、特に問題を感じていませんでした。

「きっと、大丈夫だろう」

 ところが、自分の考えが甘かったことに、すぐに気づくことになります。

 9月を迎えて、いざハーバード大学での授業が始まってみると、周囲が何を話しているかがわからない生活に戻されてしまいました。

 また、アメリカ東部の人はとくに早口ですが、私のルームメイトたちも東部出身だったため、授業だけではなく、日常生活の意思疎通すら困難です。

 また、これも第1回で書いた通り、「chocolate」が「チョコレート」とカタカナの発音で、「何を言っているんだろう?」という顔をされてしまいます。サマースクールの先生のように、気を使ってもらえることもありません。

 映画「ソーシャルネットワーク」を観たことはありますか?

 冒頭で、Facebookの創始者マーク・ザッカーバーグが、早口でガールフレンドにまくしたてる場面があります。当時の私の周りには、ザッカーバーグのように頭の回転も話すスピードも早い学生ばかり。

 頭の中で作文をしながら話しているので、どうしても会話のスピードに追いつくことができません。またスピーキング力に乏しく、「自分の英語は小学生レベルなんじゃないか」 と悩んだことをありました。

 「もっとゆっくり話してほしい」と頼んでも、すぐ元のスピードに戻されてしまいます。

 1対1の場面では、あまりに反応が遅いために、相手がイライラする様子が伝わってきます。数人での会話はもうお手上げ。一言も口を挟めません。

 こうした状態だったため、入学してから最初の数ヵ月は、クラスメイトとの会話は苦痛でしたが、話そうとする意識は持ち続けていました。

アウトプットしなければ絶対に上達しない

 なぜ、TOEFLの点数は良かったにもかかわらず、こうした事態に陥ってしまったのか。それは、試験の形式にありました。

 私が受験した当時のTOFLEは、今のようにスピーキングのテストがなく、すべて選択式です。そのため、会話力に乏しい私でも、点数を取ることができてしまったのです。

 最近、英語力を見るためにTOEICを用いる企業が増えていますが、通常のTOEICの試験には、スピーキングやライティングの試験がありません。そのため、日本人の弱点とも言える会話力を測ることができないでしょう。

 もし、ビジネスや留学で英語を必要とする人は、同じTOEICでも、「話す・書く」能力を直接測定する、TOEICスピーキングテスト/ライティングテスト(TOEIC SW)で実力を試験することが必要だと思います。

 アメリカに渡ってみて初めて、選択式試験の成績と実際の英語力はまったく異なるということを痛感しました。今から思えば、留学までにもっとアウトプットする練習をしておくべきだったと反省しています。

 外国語習得のハードルとコツの詳細は『自分の小さな「鳥カゴ」から飛び立ちなさい』(ダイヤモンド社)に記しましたが、ただ聞いているだけでは、外国語を習得することはできません。とにかくアウトプットが必要です。

 受験勉強をパスするための語学ではなく、使える外国語を身につけることは、あなた自身の可能性を広げることにもつながることでしょう。

■“Very interesting.”が「とても面白い」とは限らない
語学力よりも大切な、異文化を理解する気持ち

語学力以上に重要なコンテクストへの理解

 コミュニケーションというのは、決して言葉のみで成り立っているわけではありません。一見当たり前のように思えますが、異なるバックグラウンドを持つ外国人との意思疎通を図る際には、どうしても言語(外国語)ばかりに目が行ってしまいがちです。

「英語ができさえすれば(語学力さえあれば)、グローバルに通用する」と言えるほど、異文化コミュニケーションは単純なものではありません。とくに、非日本人とのコミュニケーションにおいては、言語のみならず、その人が持つ「コンテクスト」に注意することが必要なのです。

 ここで「コンテクスト」とは、文化人類学者のエドワード・T・ホール氏が提唱した概念を指します。大まかに言うと、「状況や背景(バックグラウンド)」という意味。さらに、そのなかでも大きく「ハイコンテクスト」と「ローコンテクスト」の2種類に分けることができます。

 ハイコンテクストの文化圏においては、文化的背景、価値観などが広く共有されているため、いちいち言葉で説明しなくても、相手の意図を察し合うことでコミュニケーションが成立します。ハイコンテクスト文化に属する国の例としては、フランスなどのラテン系やアジア諸国などが挙げられ、「阿吽(あうん)の呼吸」「空気を読む」ことが求められる日本もその典型例です。

 それとは反対に、ローコンテクスト文化においては、きちんと言葉で説明しないと意思疎通ができません。つまり、聞き手に委ねたり、依存するのではなく、はっきりと自己主張をすることが必要なのです。「言わずとも察してくれる」ことはなく、「言わないとわかってくれない」のです。アメリカやドイツなどといった国は、ローコンテクスト文化に当たるとされています。

 これは、必ずしも言語で決まるわけではありません。

 たとえば、同じ英語圏でも、島国のイギリスは、アメリカとは違い必ずしもローコンテクスト文化に属してはいません。ハイコンテクスト文化の最たる例の日本と同じように、イギリスでも、額面通りには受け取れない婉曲的な表現が用いられることがあります。

“Very interesting.”が「とても面白い」とは限らない

 例を見てみましょう、。“You must come for dinner.”という表現があり、文字通り受け取ると、夕食に誘っているように思えます。

 しかし、これをイギリス人から言われたとすると、文脈によっては、「本当に招待しているのではなく、そう言っておくのが礼儀だから」というニュアンスが含まれていることがあります。日本でも「社交辞令」を言うことがありますが、それと同じです。

 ほかにも、“Very interesting.(とっても面白い)”が、状況によっては、「まったく馬鹿げている」という意味になったり、”Could we consider some other option?(ほかの選択も考えてみましょうか?)”が、「あなたの考えは気に入らない」となってしまうことがあります。また、“I was a bit disappointed that. (私は少しガッカリしてしまいましたが)”と言われたら、「とても迷惑だった」を示す場合があります。

 少し意外だと感じるかもしれませんが、「社交辞令」とは、日本だけではなくイギリスにもあるのです。「イギリス人は裏表がある」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、イギリス人は私たち日本人と同様、自分の文化的文脈に従っているのです。

 このような文化圏によって異なる「前提」を知らないでいると、いくら語学ができても意思疎通がうまくいかないときがあります。

 もし、ハイコンテクスト文化の人と、ローコンテクスト文化の人が、「自分たちの文化が世界基準だ」という思い込みを持ったまま、コミュニケーションを図ろうとしたらどうなるでしょうか?

 一方は、「相手はこちらの意図をわかってくれない」と不満を持ち、もう一方は、「何が言いたいのかわからない」と釈然としないことになります。最悪の場合、相手のことを誤解したまま物別れに終わってしまうでしょう。

 堪能な語学力だけでは異文化コミュニケーションはうまくいきません。文化の衝突を避けるためには、目に見えない差異を理解しようと努めることが重要なのです。

 日本人同士の意思疎通では、多くを言わずとも相手が理解しようとしてくれるため、とても気楽です。いちいち言葉で説明しなければならないことは、エネルギーを使う、大変骨の折れることではありますが、そうしないと認めてもらえない文化圏もあるのです。

 誤解してほしくないのですが、語学力が必要ないと言っているわけではありません。もちろん、堪能な外国語という「ツール」を持っていることは強みになります。

 しかし、より大切なことは、語学さえできるようになればコミュニケーションができるという考えを捨て、相手のコンテクストを理解することなのです。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月03日 15:01

一億総自営業者社会の構築、、、国の政策は徹底したインフラと敗者復活のためのセイフティーネットづくりだけでよい。。。

■組織にとらわれず、自らの未来を切り拓け
雇用新時代に問われる新たな働き方
『フリーエージェント社会の到来 「雇われない生き方」は何を変えるか』

7月12日に総務省が公表した2012年の就業構造基本調査によると、派遣やパートで働く非正規雇用者の数は2042万人に上り、20年前の調査から倍増しているという結果になっています。こうした組織に属さない労働者は、日本では労働条件の低さが問題視されるケースが多く、社会的地位も低く見られがちですが、アメリカでは組織に属さず独立した形での働き方が市民権を得ています。社会構造、雇用環境が異なるとはいえ、今後も日本では非正規雇用が増えていくのは明白です。ではそのような社会でいかにして自分の働き方を見つけていくのか。今回の一冊は全米でも大きな話題をさらった『フリーエージェント社会の到来』です。

自分の知恵を頼りに独立しながら社会とつながる
「フリーエージェント」という生き方

「フリーエージェント」と聞いて、大方の日本人が思い浮かべるのはプロ野球における「フリーエージェント(FA)制」でしょう。一定の条件を満たしたプロ野球選手にはFA権が与えられ、この権利を取得した選手はフリーエージェントと呼ばれます。フリーエージェントは、いずれの球団とも自由に契約を結ぶことができます。

 本書『フリーエージェント社会の到来 「雇われない生き方」は何を変えるか』の著者であるダニエル・ピンクが描くところのフリーエージェントはしかし、プロ野球選手とは一切関係ありません。本書の解説を担当した玄田有史・東大助教授(=当時、現在は同大教授)によると、「インターネットを使って、自宅でひとりで働き、組織の庇護を受けることなく自分の知恵だけを頼りに、独立していると同時に社会とつながっているビジネスを築き上げた」人々のことを指しています。

 なにより、著者のダニエル自身が米上院議員の経済政策担当補佐官や労働長官補佐官、副大統領の首席スピーチライターなどを務めたあと、「もう二度と勤め人にはならない」と決意してフリーエージェントを宣言した当事者なのです。

 大組織に縛られることなく、自分の未来を自らの手で切り開くフリーエージェントたちは、アメリカの労働者の新しいモデルになりはじめている。自由きままな独立した労働者が経済の新しいシンボルになりつつある。テクノロジーに精通し、自ら針路を定める独立独歩のミニ起業家たちが登場したのだ。
 数字を見てみよう。実は、いまフォーチュン上位五〇〇社の企業に勤めるアメリカ人は、一〇人に一人もいない。アメリカ最大の民間の雇用主は、デトロイトのゼネラル・モーターズ(GM)でもなければ、フォードでもない。マイクロソフトでも、アマゾン・ドット・コムでもない。全米に一一〇〇を超す支部をもつ人材派遣会社のマンパワー社だ。いまのアメリカの若者の夢は、組織の中で出世することではない。若い世代は、そもそも会社に就職することすら望まない場合もある。それよりも、主にインターネット上で自分の好きなやり方で仕事をやってみたいと考えている。

 いまの映画産業は、かつてとはまるで違う仕組みで動いている。特定のプロジェクトごとに、俳優や監督、脚本家、アニメーター、大道具係などの人材や小さな会社が集まる。プロジェクトが完了すると、チームは解散する。その都度、メンバーは新しい技能を身につけ、新しいコネを手に入れ、既存の人脈を強化し、業界での自らの評価を高め、履歴書に書き込む項目をひとつ増やすのだ。……このハリウッド・モデルが、要するにフリーエージェント・モデルなのである。大勢の個人を常に戦力として抱える固定的な大組織は、戦力が常に入れ替わる小規模で柔軟なネットワークに取って代わられようとしている。

2001年時点で全米労働人口の1/4、
フリーエージェントが増大する理由と背景

 フリーエージェント人口の内訳は、政府の統計や民間の調査、学術的な研究などをもとに推定すると、フリーランス1650万人、臨時社員350万人、ミニ起業家1300万人となっています。少なく見積もっても、アメリカには合計3300万人のフリーエージェントが存在している計算になります。本書が刊行された2001年の時点で、労働人口の4人に1人がフリーエージェントという働き方を選んでいたわけです。その後IT社会はさらに進展し、それに伴ってフリーエージェント人口も増大していることは間違いありません。

 フリーエージェントという働き方が登場した要因として、著者は「4つの変化」を指摘しています。

 第1に、従来の労使間の社会的契約、すなわち従業員が忠誠心と引き換えに会社から安定を保障してもらうという関係が崩壊した。第2に、生産手段(富を生み出すのに必要な道具)が小型で安価になって個人で所有できるようになり、操作も簡単になった。第3に、繁栄が社会の広い層に行き渡り、しかも長期間続いている結果、生活の糧を稼ぐことだけが仕事の目的ではなくなり、人々は仕事にやりがいを求めるようになった。第4に、組織の寿命が短くなり、人々は勤め先の組織より長く生きるようになった。

 つまるところ、ひとつの組織に一生涯勤め続けるなどということはますます考えにくくなっているわけです。では、フリーエージェントたちはどのように働き、どういう生活を送っているのか。何を考えているのか。そして、彼らにとって意味のある仕事とはどういうものなのでしょうか。

 フリーエージェントにとって重要なのは、安定より自由。自己表現が自己否定に取って代わった。人々は組織の陰に身を隠すのではなく、自分の仕事に責任をもつようになった。なにをもって成功と考えるかは、あらかじめ決められた定義に従うのではなく、自分自身で決める。フリーエージェントにとっては、「大きいことはいいこと」ではない。こうしてフリーエージェントは、プロテスタントの堅苦しい労働倫理を様変わりさせ、新しい労働倫理を生み出した。フリーエージェントの労働倫理を構成するのは、「自由」「自分らしさ」「責任」「自分なりの成功」の四つの要素である。

地位の低い非正規社員ばかりが増える日本
労働システムの根本的な見直しが必要

 ひるがえって、日本においてフリーエージェントという働き方は定着していくでしょうか。最新の調査によると非正規社員の割合が38%を超え、男女とも過去最高を記録しました。一見、フリーエージェント人口は拡大しているように映ります。しかしながらフリーエージェントの一翼を担っている派遣労働者の現状は、労働条件ひとつとっても決して満足のいくものではなく、「正社員」に対して著しく不利な立場に置かれています。
すでにフリーエージェント社会を迎えている日本で、いかに生きるのか。巻末の玄田有史氏による解説も収録しています。

 安倍政権は、職種や勤務地、労働時間を限定したうえで企業と無期雇用契約を結ぶ「限定正社員」構想を掲げていますが、この政策によって非正規労働者の正社員化が進むのかどうか。「解雇しやすい正社員」が増えるだけではないか、という懸念は拭えません。

 正社員を大前提にした「正社員ありき」の政策ではなく、フリーエージェントたちを前提にした政策が求められているのではないでしょうか。正社員を前提にしてつくられている労働社会の仕組みやルールの見直しを進めるほうがよほど時代の要請に応えられると思うのですが、いかがでしょう。当のダニエル・ピンクはこう指摘しています。

 フリーエージェントは、私たちの仕事と生活に関する基本的な常識を塗り替えようとしている。大きな地殻変動が起きれば、地表の地形も様変わりする。既存のシステムが崩壊し、代わりに新しいシステムが生まれる。……フリーエージェントこそが、本当のニューエコノミーなのだ。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2013年08月01日 13:08