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すべての人に敬称敬語で話すことから始めれば難しくありません。。。

■アドラー心理学に学ぶ仕事との向き合い方

『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の売れ行きが止まらない。ビジネスパーソンは「アドラー心理学」をどのように役立てるべきなのか。本には記されていない「14の教訓」も紹介していく。

アルフレッド・アドラー
オーストリアの精神医学者(1870~1937年)。フロイト、ユングと並ぶ心理学の3大巨頭のひとり。フロイトの性欲中心の学説に反対し、「個人心理学」を立ち上げた。

◎アドラー心理学は対人関係の処方箋

『嫌われる勇気』が世に出たのは、2013年12月のこと。哲学書のジャンルに入る本でありながら、たちまちベストセラーとなり、世にアドラー心理学ブームを巻き起こした。

 著者の岸見一郎さんいわく、アドラー心理学は、「対人関係に焦点を当てたシンプルかつ実践的な心理学」とのこと。

「私たちは、職場や家庭、日常生活で様々な悩みを抱えていますが、それを丁寧に紐解いていくと、すべて対人関係の悩みに帰結するのです」

 上司や部下との人間関係、妻(彼女)との関係、子どもとの関係……。たしかに、人間関係のつまずきが、そのまま人生のつまずきとなっている。

 では、どうしたらいいのか。岸見さんと一緒にアドラー心理学による解決策を見ていこう。

岸見一郎
1956年京都府生まれ。哲学者。

【テーマ1】上司や先輩とのつきあい方

《対人関係は肩書で区別しない。人はみな対等》

ヨコの関係
「上司だから部下だから取引先だからと、対人関係を肩書で区別していてはうまくいきません」(岸見さん)。タテの関係を築かず、ヨコの関係――これが理想の関係だ。

◎上司の感情的な発言につきあってはいけない

 職場での人間関係――特に上司や先輩との人間関係は、目上の相手のことだけに、なかなか難しいものがある。

 岸見さんは、「上司と部下の関係をタテの上下関係で捉えることに間違いがある」と言う。

「アドラー心理学では、タテの対人関係は精神的な健康を損なう最も大きな要因であると考え、ヨコの対人関係を築くことを提唱しています。職場の人間関係で間違いやすいのは、職責の違いを、人間関係の上下で捉えてしまうことです」

 上司と部下では、求められる役割も責任も異なる。経験や知識の量も違うだろう。だが、こうした違いを人間関係に持ち込まないのがアドラー心理学だ。

「あくまで人として、対等でなければならないのです」

 とはいえ、上司がタテに固執し、怒鳴りつけてきたらどうするか。

「まず、立場に関係なく〝怒り〟は人と人との距離を引き離す感情だと理解してください。望遠鏡を反対側からのぞくようなもので、相手はどんどん離れていき、関係は悪化します」

 そのうえで岸見さんが提案する方法は次のとおりだ。

(1)何を言っているか、その中身にだけ着目する。

「感情を爆発させる人は、そうすることによって相手より優位に立ちたいと思っているのでしょう。怒りは権威づけなのです。怒られた際は感情面を無視し、中身にだけ注目するのです。正当な指摘であれば従い、不当ならば指摘し返せばいい」

(2)「普通に話していただけませんか?」と上司に注進する。

「関係性の改善を求めるのも手です。こちらが感情的にならず、あくまで冷静に接すれば、向こうも『こいつの前では威張らなくてもいいんだ』と学習してくれる可能性があります」

 それでも「嫌な上司」はいる。

「基本的に、〝悪い上司〟はいない、と考えてください。コミュニケーションの下手な上司がいるだけなのです。雨が降ったら傘を差すのと同じように、上司の怒りは冷静に受け流してしまいましょう」

望遠鏡を反対からのぞく
岸見さんいわく、「怒りは、ちょうど望遠鏡を反対からのぞくように、自分に怒りを向けた人を遠くへと離してしまいます」。

◆アドラー心理学的3つの教訓

一、 責任の大小はあっても人間関係に上下はない
一、〝怒り〟は人と人との距離を引き離す感情
一、 悪い上司はいない。〝下手な〟上司がいるだけ

【テーマ2】部下や後輩の育て方

《相手をほめてはいけない、叱ってもいけない》

叱ってはいけない
アドラーは「叱る」ことも「怒る」ことも、決してやってはいけないこととして否定する。「部下が失敗した時は、叱らずに、そのことだけを注意すれば事足ります」(岸見さん)

◎ほめるという行為は相手を見下している

 上司や先輩との人間関係のあり方は、そのまま、部下や後輩との人間関係にも重なってくる。後輩とのつきあい方、育て方もまた、職場では悩みの種だ。

「対人関係はヨコ関係なので、怒ってはいけない、と言いましたよね? こう言うと、『怒ってるんじゃない、叱ってるんだ』と反論する方がいますが、この2つに違いはありません。もし、あなたが部下を叱り続けているとしたら、きっとその部下は、叱られないために、自分に与えられた必要最低限のことしかしなくなるでしょう。『指示待ち族』の誕生です」

 岸見さんは、部下が失敗した際は、次の3つの対応を取るべきだという。

(1)可能な限りの原状回復。

(2)関係者への謝罪。

(3)同じ失敗をしないよう話し合う。

 叱っても、何も解決しないのだ。

 では、部下はほめればいい?

「そうではありません。アドラーはほめることも否定します。なぜなら、ほめることは、〝上から目線〟で相手を見下し、評価しているということだからです」

 岸見さんは「ほめる」ことで、相手をダメにしてしまう恐れがあると説く。

「アドラー心理学では、承認欲求を否定します。なぜなら、承認欲求にとらわれた――つまりほめられたい人間は、他人から認められたいと願うあまり、いつの間にか、自分の人生を見失ってしまうからです。『ほめられたい=承認されたい』という欲求は尽きることがありません」

 会社には、上司の鵜(もしくはポチ)のような人間がたくさんいる。彼らは、自分の承認欲求を上司に利用され、コントロール下に置かれているのだ。

 ほめてもダメ、叱ってもダメ。ならば、どう部下に接すればいいのか。

 岸見さんは、「部下を尊敬すること」だと言う。

「冷静に部下を観察してください。きっと、『自分より秀でた分野』を持っているはずです。その部分を認め、何なら教えを請うてもいいのでは?」

上司が部下をコントロール
上司が部下をコントロールする場合、相手の「ほめられたい」という承認欲求を利用していることが多い。

◆アドラー心理学的3つの教訓

一、 叱り続けた部下は「指示待ち族」になる
一、 承認欲求にとらわれると利用される危険性
一、 部下や後輩の尊敬できる部分も見つける

【テーマ3】自分の仕事との向き合い方

《あらゆる仕事に貴賤はない。取り組む態度が肝心 》

あらゆる仕事に貴賤はない
例えば、一国の宰相と専業主婦の間には、職業としての差はない、というのがアドラーの立場。「私たちはそれぞれ役割を分担しているだけです」(岸見さん)

◎社会も職場も「分業」によって成り立っている

 いくら職場では、「タテ関係ではなく、ヨコ関係だ」と言ったところで、頭では理解できても、実際の行動に移すのは難しい。

「職場での人間関係を、ビジネスライクな仕事上の関係なのか、友人に近い関係なのか、分けて考えるほうがいいでしょう」と岸見さんはアドバイスを送る。

「アドラー心理学では、『仕事の関係とは〝信用〟の関係であり、交友の関係とは〝信頼〟の関係である』と規定しています。仕事の関係とは、利害の絡んだ条件付きの関係ですね。一方、交友関係は、利害に関係なく『好きだ!』という感情で結ばれた関係です。つまり、仕事では信頼は必ずしも必要ありません」

 では「信用」とは?

「アドラーは、人は『分業』という画期的な働き方を手に入れたのだと言っています。どんな仕事でもそうですが、分業によって成り立っています。社会もそうです。なくていい仕事はひとつもありません。つまり、職場とは、お互いがそれぞれの役割を担い、協力し、貢献し合っている関係といえるのです。だって否が応にも、信用して協力し合わなければ、仕事は成立しないのですから」

 信用関係が成立する条件は?

「前提として、このことを理解してください。人間の価値は、『どんな仕事に従事するか』で決まるのではなく、『どんな態度で取り組むのか』によって決まるのです。だからどんな職種であろうと、自分を卑下する必要はありません。そして、もうひとつのポイントは、『能力』ではなく『態度』が重要だということです。なぜなら、人は、その人のスキルの高さのみで相手を信用するのではなく、『この人と一緒に働きたい!』という感情を重視しています。スキルが高い嘘つきの人よりも、スキルがそこそこでも誠実な人を私たちは仕事仲間として選ぶのではないでしょうか。『能力=人間性』ではないのです」

他者と「分業」して働く
他者と「分業」して働くためには、仲間を信用しなければならない。一方、この世で生きていくためには、友人を信頼する――どんな相手でも自分から尊敬しなければならない。

◆アドラー心理学的3つの教訓

一、 仕事とは、互いに信用し合うことである
一、 仕事の中身ではなく態度で評価しよう
一、「能力=人間性」ではない。「態度」が重要

文/編集部

[@DIME]

Posted by nob : 2017年02月25日 11:14

なるほど、、、今後ますます増えそうですね。。。Vol.2/怖っ。。。

■「死後離婚」しても義父母が持つ財産を手に入れる方法アリ

 本誌・週刊ポスト前号で取り上げた「死後離婚」についての特集が、“想定外”の反響を呼んだ。「死後離婚」とは、夫の死後に妻が夫の親族との親戚関係を解消する「姻族関係終了届」の書類を役所に提出すること。これにより、妻は夫の親族との縁が切れ、義父母の介護等にかかわる必要はなくなる。本誌は、「自分が死んだ後に離婚されるなんて怖すぎる」という夫側の反応を期待していたのだが、予想に反して妻たちから「いい情報だからもっと知りたい」という問い合わせが殺到してしまったのだ。

 死後離婚しても、義父母が持つカネや財産は手に入れたいという女たちもいた。

「夫の両親にはさんざんイビられて来ました。夫が死んだら姻族関係を終わらせたいのですが、今までの気苦労代として義父母からの財産分与を受ける方法はありますか?」(60歳・主婦)

 夫の両親の財産は、そもそも妻に相続権がない。しかし、妻には「子供を利用する」という手があるという。

「夫が死んでいる場合、義父母の遺産は夫の子供(義父母の孫)が『代襲相続』します。たとえ母親が義父母と姻族関係を解消したとしても、孫と祖父母の血族関係は切れていない」(家族問題に詳しい弁護士・加藤泰氏)

 つまり、子供を通じれば遺産を得ることは可能となる。4年前に夫と死別した都内在住の田中道代さん(仮名・55)はこんな計画を明かす。

「私自身は夫の両親と絶縁状態にありますが、息子にはおじいちゃん、おばあちゃんの遺産を受け取ったら半分は家に入れるように言ってあります。半分と言っても、夫の実家は九州の資産家。老後の心配は要りません。バレないっていうなら、死後離婚しちゃおうかしら」

 あぁ、やっぱり恐ろしい。

[週刊ポストセブン]

Posted by nob : 2017年02月25日 11:02

心がけてはいても7時間はなかなか難しい、、、夢を見ないで眠ることもほぼ皆無ですし。。。

■「7時間睡眠」がもっとも長生きできる理由

満尾 正 [満尾クリニック院長・医学博士]

質の高い人生は
「脳の休養」から生まれる

「7時間睡眠がもっとも長生きする」

 これは、日本やアメリカ、イギリス、それぞれの国の研究チームの調査で明らかにされていることです。

 もとより、人には個体差がありますから、6~8時間が健康的な睡眠時間と考えてよいでしょう。

 脳は、さまざまな心の作用と結びついています。

 睡眠が足りずに脳の疲労が回復されないと、たちどころに心が不安定になります。感情のコントロールが効かなくなる障害も出てきます。倦怠感や集中力の欠如などの不調も現れてきます。

 日中、働きづめの脳は、十分な休養、つまり「睡眠」が与えられることで、いくつになっても最高のパフォーマンスを発揮します。

 感情や気力は、生命力の構成要素です。脳の休養は、強い生命力を保つうえで欠かせない条件なのです。

 睡眠時間がどうしても短くなりがちな人は、昼寝をとり入れるといいでしょう。ただし、長時間ダラダラと寝るのは禁物です。せいぜい20~30分ほどの昼寝が、脳の休養にとても有効とされています。

 寝すぎも、無気力などの気分障害を引き起こします。

睡眠時間以上に
熟睡できているかが重要

 良い睡眠とは、睡眠時間の長さではなく、むしろ「熟睡」できているかどうかといった睡眠の質の問題と考えられています。

 睡眠には体を休める「レム睡眠」と、脳を休める「ノンレム睡眠」があります。レム睡眠は浅い眠り、ノンレム睡眠は深い眠りです。ノンレム睡眠から始まって徐々に眠りの深度を増し、熟睡度のピークを過ぎると浅くなってレム睡眠に変わります。約90分を1サイクルとして、4~5サイクル経て、心地よい目覚めに至ります。

 ぐっすり眠る脳は、夢をほとんど見ることがありません。このノンレム睡眠の間に、成長ホルモンが分泌され脳の機能回復や細胞の新陳代謝を高めたり、免疫力を増強したりといった体のメンテナンスが行なわれます。

 いつも決まった時間、夜10時に就寝し、朝5時に目覚める――。入眠して3時間の間にしっかりと成長ホルモンが分泌する眠りが、理想的な熟睡です。

 過不足ない睡眠は、朝の目覚めの状態でわかります。前向きな気持ちがあふれた目覚めであれば、熟睡が得られた証拠です。朝目覚めたときの気分を尺度に、自分に合った睡眠時間を見つけるといいでしょう。

「質の良い眠り」を
与えてくれるメラトニン

 規則正しい起床・就寝の習慣は、「誘眠ホルモン」とされるメラトニンの性質を活用してつくります。

 メラトニンは、脳の中心部の「松果体」と呼ばれるところから分泌されています。大量に分泌されると眠気をもよおし、少なくなってくると目覚めます。

 メラトニンの分泌量は7歳ごろをピークに、50代以降では半減しますが、「幸せホルモン」と言われるセロトニンを増やすことで分泌量が高まります。

 セロトニンは、納豆をはじめとした大豆製品や、ゴマ、しらす干しなどに豊富なトリプトファン(必須アミノ酸の一種)を原料につくられます。セロトニンからメラトニンへの合成は暗くなると始まると言われています。

 規則正しい睡眠習慣をつけるとともに、こうした食品を積極的にとって、脳を健康に保っていきたいものです。

 メラトニンにはまた、「不老長寿ホルモン」の異名があります。強力な抗酸化作用を持ち、脳細胞を守る働きがあります。さらに熟睡を得ることで免疫力が増強するという間接的な効果で、がん、骨粗しょう症、心臓血管疾患、糖尿病の合併症、肥満にもかなりの予防効果があることが報告されています。

朝日を浴びることで
ストレスから解放される

 昔から、日本人の勤勉さは「早起き」に象徴されています。江戸・元禄時代に井原西鶴が著したわが国初のビジネス小説『日本永代蔵』には、「金持ちになる秘訣5カ条」が書かれています。そのなかで「いの一番」に挙げられているのが、早起きです。

 じつは朝は、ストレスと闘う「ストレスホルモン」の分泌量がもっとも多くなります。体に活動のエンジンがかかる際にエンジンの役割を果たすのです。

 しかし、ストレスをためやすい人だと、体は一日中、ストレスホルモンであふれてしまいます。気持ちがうしろ向きになり、愚痴っぽくなったり、ひがみっぽくなったりして、ストレスがさらにストレスを呼ぶといった「ストレススパイラル」にはまってしまいます。

 そうならないためには毎朝、決まった時間に起床して朝日を浴びます。いわば「心を洗う朝の儀式」です。

 朝日を浴びると、前述のセロトニンが脳内に分泌されます。セロトニンは、ストレスが生まれにくい体内環境をつくります。このとき、笑顔をつくれば、ストレスホルモンの分泌量がスーッと下がります。心を洗う儀式は、脳をリフレッシュする習慣でもあるのです。

[DIAMOND男の健康]

Posted by nob : 2017年02月23日 10:27

これからがそれまでを変える。。。/闘病のかたちは千差万別十人十色、、、負けない人々はまずそれまでの自分と決別する。。。

■会社を辞めたらガンになりました、ついでに治療も止めました
でも8年経った今でも元気です

山口 ミルコ
文筆家

8年前に会社を辞めた。

オバマ氏が「チェンジ」を世界に呼びかけて、アメリカ大統領になった頃のことだ。

リーマンショックの折、20年に亘る出版社勤めをやめようと決意した筆者は、2009年初頭、会社に辞表を出した。と同時に、乳ガンに罹患していることが判明し、退社後は闘病生活を送った。

「リーマンショックからさほど経っていないのに、なかったことのようになっていないか?」

これは会社を辞めて闘病生活に入った私――毎日を静かに暮らしていた私から見えた世の中、の感想だった。

自分と同じく会社を辞めた人たちが、いまどこでどうしているのか気になっている。

あの日「世界の終わり」に気づいた人は少なくないはず、しかし私は彼らになかなか会えない。

バブル期に向かって思春期を過ごし、雇用機会均等法で就職、充実した社会人生活と賑やかな業界でのキャリアを手にして、その経験の貯蓄を元手に、失われた20年以降には自分なりのアイディアで食いつないだ――筆者と同世代の、会社の中核的存在だった人も多かったにちがいない。

そういう人たちがなかなか出てこられない世の中になっているのか、私が孤立しているせいなのか、何事もなかったかのようになっているこの世界。

リーマンショックが突き破った袋から弾け飛んだ、生き残りを賭けた闘いの空気は、オバマが4年2期をつとめるあいまにみるみるよどんで地球上をただよい、世界各地に沈澱、いよいよ不気味な様相を呈するなかトランプ米大統領が誕生した。

会社を辞めた直後から、私はガン治療を受けた。

主なメニューは手術→放射線治療→抗ガン剤、それと並行してホルモン治療と作業療法(リハビリ)。やりたくなかったが、やるしかなかった。その体験は、拙著『毛のない生活』(2012年)に書いた。

ぜんぶ合わせると入院・通院していたのが1年、その後の歯の治療や口内炎の頻発の繰り返しや手の不自由、免疫不全、帯状疱疹……などなど、いろんな回復を待つこと約3年、再発におびえながらも「まあ調子いいよね」となるまでになんだかんだかかってしまい、現在に至っている。

それでものらりくらりとやってきたせいか、ぼちぼち<がんを克服した>と言っていいだろうラインに、ようやっと立つことができた。

あのとき会社を辞めなければどうなっていたかと考えてみる。

会社を辞めたのは、もう辞めようと思ったからであり、ガンになったからではないが、筆者の場合、退社とガンの発覚がほぼ同時期だったので、すぐに周囲の人びとの知れるところとなった。

多くの関係者が思ったにちがいない。

「あのひとはもう、仕事できないよね」

そういった目にさらされることは、独立したばかりの者にとって、こたえた。

社長に朝から電話で叩き起こされることは当然なくなり、誰からも連絡が来なくなった。

朝は寝床でグーグーグー、昼はのんびりお散歩、しけんも仕事もなんにもない、ゲゲゲのおばけ状態になるのにそう時間はかからなかった。以前がモーレツ社員だった分、すがすがしくさえあり、変わり果てたライフスタイルには我が事ながら、ときおり呆れた。会社時代の自分は、幻だったのではないかと。

それでもあのまま会社にいては治らなかったと、いま振り返ってハッキリ言える。

ガンと会社はある意味似ているからだ。

ガンになったら「チェンジ」せよ

ガンは人によって違い、治療も違う。

ガン治療には波があり、体調にも波がある。

調子の良い時もあるので仕事できそうな気がするし、じっさいすることも可能かもしれないが、筆者の体験をもって言わせていただくならば、やっぱりやらないほうがよい。

会社を辞めずにガンと戦うことは、2つ会社に行くようなものだ。

「ながら」が通用しないのがガンであり会社――たいていの日本の会社では、同種療法は無効、ということだ。

冒頭の「チェンジ」を、ここであえて挙げたい。リーマンショック後に叫ばれて、いまだになされていないそれ、である。

ガンになったら、いったんぜんぶをやめること。

会社が大事なのは、よくわかる。筆者も会社を愛していた。会社員の人で自分の会社を愛してない人などいないと思う。しかしそんな人間がガンをこさえたのだ。

会社にいれば、日々目の前にやるべきことが生まれ、会いにくる人もいる。

そうした場所を持っていた人が持たなくなると心身不安定になることも自ら退社したいまではわかる。

また、お金のことは当然ある。ご承知のとおり、がん治療にはお金がかかる。

同時期に治療を受けていた筆者の友人のなかに、会社員は少なからずいた。仕事を続けなければ治療も続けられない、そう言っていた。

彼女たちは独身であったり、独身でなかったのに乳がんになったことで離婚に至ったりした。筆者も独身であったが、退職金がまとめて入ったこと、そして実家があったことで治療に専念できたのは幸運だった。

“無収入”の時代が訪れる不安なく仕事できた自分は、これまでずっと会社に助けられてきたのだと、よくわかっている。

それでも一度すべてを絶つことをおすすめするのは、<過去と決別する>ためである。もうそれ以外にすることなど、ほとんどないと言っていい。

いったん素(す)になる必要がある。

1人になって、閉じこもり、じっと考える。

ガンは自分の細胞の変貌なので、本来の自分を取り戻す時間が必要なのだ。

孤独と向き合い、徹底的に考える。

そうしないと、そもそも自分はなんだったのか、わからないからだ。

生きていると、いろんなものがくっついてくる。元のかたちを分らなくさせているそれをはがしてゆく作業が闘病であったと振り返る。

自分をとりまく環境、人間関係、ライフスタイルすべてを見直した。

変わらなければならない、しかしそれができたなら終わりも同然、あとやることは、決まっていた。

1) 病人である自分と、とことんつきあう。
2) 病院をよく検討したうえで、この主治医についていくと決めたらば、その方針に従い、覚悟して治療を受ける。

治療中の方がマシだった!?

この病気が難儀なのはある時期、戦争になるところであり、そこも会社とそっくりだ(前ページの1)と2)、病人を会社員に、病院を会社に、主治医を社長に、「治療を受ける」を「仕事する」に置き換えて読むことができる)。

戦闘や混乱は免れない。

人によってガンは違い、100人いたら100通りのガンがあるので、戦い方や期間も100通りあるだろう。人それぞれなのだけれど、あるときには激しく必死で戦わねばならない。そこを戦わないと、ガンはどこまでも追いかけてくる。

戦闘中は、真剣に戦う。そして、ここで和平と思ったら、ただちに武器を置いて戦場から去る。いつまでも戦場に立ち尽くし、呆然としたり、戦友と傷をなめ合ったり、異国に立ち入って勝手に国境線を引いたりしてはならない。去るタイミングを逃してしまうと、平時より戦時のほうがよかった、なんてことに。こうなるとタチがわるい。戦後が長引く。

和平を決めたら武器は保持しない。同じ手は二度と使えない。戦力は全て戦場に置いていくことになる。ここも会社と似ている。

私は治療を途中でやめているので、戦闘のさなかにガンと和平協定をむすんだようなことになっている。そのことについては、次回書かせていただこうと思う。

さて、戦場を去ってどこへ行くか?

待ってくれる人がいたらそこに帰れるが、よく考える必要はある。

会社に戻るな、とは言わない。しかし以前と同じ生き方では、敵はまた追いかけてくるので、居ながらにしてやり方を変えることをおすすめする。

会社を辞めなかった人には会社が、離婚にならなかった人は家庭が、そこがもしもあたたかく迎え入れてくれる場合それに越したことはないにしても、乳がんのように長期間治療の病ほど、そのサイクルに呑み込まれ、うっかりすると治療の世界が居心地よくなってしまうケースがあることも、ここで言っておきたい。

とかく人は慣れた場所にいてしまうものだ。

病院の中にいれば守られるし、みんな優しくしてくれる。同じ病の友もいる。精神的なケアサポートとして同じガンの患者同士が交流できる場を設けている病院も多い。そこに専門医や経験者が出入りして、患者にヒアリングをしたり、アドバイスをしたり、の交流が生まれる。その交流がいっとき患者を支えることも否定はしないが、批判をおそれず書くならば、用が済んだらとにかくその場から離れるほうがいい。

一歩病院を出れば、外の世界が待っている。

そこにあらゆる問題が待ち受けていることはいうまでもない。

治療中のほうがまだよかったというほど、厳しいことがそこには待っているかもしれないが、治療の世界が居心地いいからといって居座らず、とっとと社会復帰したほうがいい。

素(す)に戻った本来の自分が、必ず新しい場所を引き寄せるはずだから。

おさらいする。ぜんぶをやめて、ひたすら治療に専念、そして治療が済んだら、そこもやめる。闘病前の自分と決別し、闘病中の自分とも決別する。この道しかなかった。

退社から8年、いまになって、会社がどういう場所だったのか、思い返すことが多い。

元気になった証拠かもしれない。

では、次回は「なぜ私は治療をやめたのか?」について書かせていただきます。


■「ガン再発」と「副作用」を天秤にかけた結果、治療をやめました
後悔なんてしてません

8年前、勤めていた出版社を退社したと同時に乳ガン罹患が発覚した文筆家の山口ミルコさん。手術、抗がん剤、放射線、ホルモン剤、リハビリなど、辛い治療をこなしつつも、快方に向かっていた。が、山口さんは途中で治療を一切放棄してしまった。そのココロは一体?

ガン探偵ミルコの捜査結果

退社することなく、ガンになったと仮定してみる。

おそらく丸1年は会社を休まなければならなかったし、その後の不調を抱えながら前と同じ仕事を続けるに困難がつきまとったことは想像に難くない。

闘病は身体の厄介だけでない、心が厄介だ。

それに会社というのは待ってくれるものだろうか、以前のようには稼げなくなった人を。

なぜガンになったのか? それをずっと考えてきた。

<私がなぜ?>の問いは、多くのガン経験者の方々にも共通のものと思う。

ストレスか、食生活か、何者かの怨念もしくは邪気なのか、はたまた自らの行ないの悪さによるものか、前世からの因縁か……自問自答は止まらない。

けっきょく自分自身を責めることになる。私もはじめはそうだった。

ところが年数が経つにつれて、ほんとうにそうだろうか?と思うようになった。

考えてばかりいるうちに、自分がいいとか悪いとか、そういうものを超えた真相に迫りたい、どうにかしてそこへたどり着けないだろうかということになった。ヒマだったのだ。

原因は何か?

犯人は誰か?

犯人逮捕までの捜査プロセスについては、これから出る新しい本に書いた。

ガン探偵ミルコは、日本で、中国で、ロシアで、考えた。

考えに考えぬいてわかったことの1つには、結果はもう出ている、ということがある。

<ガンになった>は結果だ。

原因はどうであれ、結果が出ている。

ガンになったことも、会社をやめたことも、もう済んだこと。

なのになぜ私はそこにいつまでもこだわり続け、本まで書いたのだろう。

会社も治療もやめたのに、考える続けることはやめられなかったのである。

私を導いたものがなんであるのか、そこも知りたい。

ひとつ、いいアイデアが浮かんだことがある。

「私は嵌められた」というものだ。

私は罠にかかった小動物のようだった。

まったく自分は悪くない、すべて私以外の何者かのしわざであると。そこで片づけられたらすぐに終わったのだが、しかしそうはならなかった。

私もいつか再発するのかな……?

<ガンを克服した>と言っていいだろうラインにようやっと立つことができたと前回書いた。筆者は会社を辞めると同時にガンが発覚、闘病をへて現在に至っている。

ここまでに、まる8年。退社からもガンからも、まる8年。

この時間の長さをどうみよう?

ずいぶんかかってしまったという気もするが、こんなもんだとも思える。

ガンができるのにはそれ相当の時間がかかっているのだから、ガンが治るのにもそれ相当の時間がかかる、ものごととはきっとそういうものだろう、といまならわかる。

<いままでの自分>がガンをこさえたのだから、<いままでの自分>とは変わらなければ、そうすることでしかぜったいに治らない、そうきつく我を戒めて、この8年を暮らしてきた。

入院中に、「7年で再発した」と言って病院に来た人と一緒になったことがあった。

「ああ、私もいつかまた、なるのかなあ……」

初発を治してもいないのに私は再発を心配した。

あれ以降「7年で再発」の話がなかなかアタマから離れず、再発におびえてきた。

退社以降、ときおりガンについて書いたり発言する機会をいただいてきたが、その中で「克服」という言葉を、私は使ったことがない。むしろまだ病人なのだ、調子にのるなよと自分に言い聞かせてきた。それがここへきて<ガンを克服した>と言っている。わけがわからない。ただ、<終わり>だと思う自分がいる。

私は長年編集者としての仕事に注いでいた全力を、一気にガン研究へ傾けていたので、治療が一年も経つころにはすっかりクタクタになっていた。

もう私はじゅうぶんやったのではないか?

そんなずうずうしい考えがうかんでいた。

当初、主治医の方針では、2種類のクスリをやることになっていた。

パート1は入院で点滴、およそ4ヵ月。

パート2を通院で点滴、およそ半年の予定。

パート1では完全に脱毛し、吐いて吐いて吐きまくったが、なんとかノルマを終えた。

そしてパート2に入ると、全身がグラグラし、耳の奥に痛みを感じた。これまでに経験したことのない、具合の悪さだった。

このままでは耳が聞こえなくなるかも――?

「私、やめます」

医師に言った。

治療も社交もやめたら体質改善

たしかあのときも――会社をやめるときとも、おんなじだった。

もう戦えないのなら、そこに居場所はないのである。

あえて言葉にするなら、もうここには呼ばれない、この場所には来なくていい、いなくてもいい、自分。

自分を失う一歩手前で、私は逃げた。

「私、やめます」の宣言は、この肉体から発せられた言葉であるはずなのに、自分が言った気がしない。それは神かご先祖様か、誰かがクレーンのような恰好で私をひょいと摘(つま)み上げ、私を危機から救い出した。

クレーンで私はいったん高い所へ引き上げられて、その直後に地面に落とされた。

高い場所から勢いよく落ちたので、ダメージは大きかったが、大怪我も辞さないその助けがなければ私はいつまでもあの場でモタモタした。だから救われた。生と死の境を超えたのである。

そして私は会社からもクスリからも引き離されて、あらためて自分のかたちを眺めることになったのだった。

そこには少々まちがったかたちの、歪んだ私がいた。

まだ数回残っていた抗がん剤をこうして途中でやめた私は、どうしたか?

こたえ、何もしなかった。

なにもかも、やめてしまったのである。

経口の抗がん剤も、ホルモン剤も、検査に行くことも、やめてしまった。

ガン治療というのは主治医の決めたスケジュールをまっとうしないと再発率がぐんと上がるといわれており、再発はおそろしいのだが、何もする気がおこらなかった。

ついでに社交もやめた。

こうでなきゃいけないものとかお金や知名度が価値基準になっている場所ともあいついでお別れした。それは、ある意味カンタンだった。向こうからさよならしてきたからである。

ウソは前から嫌いだったがいっそう嫌いになった。

あとは自然にまかせた。

するとふしぎなことに、本来のかたちにもどっていった。

贅肉が落ち、視覚、聴覚、嗅覚が冴え、いったんゴワゴワになった髪質がサラサラになった。

啓蟄が近づくと、手術跡の古傷に痒みをおぼえるようになった。

こうなるともう、大きな地球のサイクルにのっかっていくしかなく、私がずっとこだわってきた「なぜ?」の問いには、すでに何の意味もなかったのだと、解明されるのは時間の問題だった。

以前のように稼げるかなど、質問自体がばかげていると、わかっただけでもガンで儲けたものだった。


[いずれも現代ビジネス]

Posted by nob : 2017年02月23日 09:50

なるほど、、、今後ますます増えそうですね。。。

■妻が喜ぶ「死後離婚」 10年で1000件以上も増えている

【妻たちはなぜ「死後離婚」を選ぶのか】

 神奈川県に住む町田より子さん(61・仮名)は昨年、肺がんで35年間連れ添った夫を亡くした。葬儀では夫の親や兄弟と共に悲しみに暮れた彼女だが、この2か月後に彼らと縁を切ることを決意した。

「夫の家族とは折り合いが悪く、お盆とお正月にも顔を合わせないぐらい疎遠になっていました。大きなトラブルはなかったけど、好きになれなかった。夫がいなくなった今、もう彼らと親族である必要はないのだからと、“死後離婚”したのです」

 こうした事例をまとめた『死後離婚』(洋泉社刊)が、女性たちの間で密かに話題となっている。

 妻にとっての死後離婚とは、夫の親や兄弟との親戚関係(姻族関係)を、夫の死後に解消することを指す。

 通常、妻は夫を亡くしても、仮にその親族が生活に困窮すれば、民法の規定で彼らを助ける義務が生じる。お金に困れば、ある程度は生活を支えなければいけない。それは逆も然り。親族という繋がりがあるからこそ、万が一の時、生活の支え合いが可能となる。

 亡夫としては「親族で互いに助け合って生きていってもらえる」と安心してあの世へ逝けるというもの。しかし、この関係をたった一枚の紙が寸断する。

「姻族関係終了届」という書類を役所に提出すれば、法律上、妻は亡夫の親族とは赤の他人になる。これが死後離婚である。未亡人が提出すれば、亡夫の親族に拒否する権利はない。

 2005年に1772件だった姻族関係終了届の提出数は、2015年には2783件と、10年で1000件以上も増えている。共著者の一人である行政書士の中村麻美氏が言う。

「死後離婚は、夫婦どちらかが死んだ後の自由を約束するものですが、相談者は60~70代の女性が圧倒的に多い。それぐらいの年齢で夫を亡くすケースが多いからでしょう。また、長寿社会になり、夫の親が生きていることが多いのも理由のひとつです。亡夫、あるいはその家族からの解放を求める女性が多いことがうかがえます」

 死後離婚の理由として多いのは次の4つだという。

【1】生前夫とうまくいっていなかったが、遺産と遺族年金を受け取るために夫が死ぬのを待っていた。
【2】夫と仲は悪くはないが、夫の実家と折り合いが悪かった。
【3】夫の死後、お墓の管理や親族の介護などをしたくない。
【4】姻族との繋がりから自由になりたい。

 都内に住む森本薫さん(60・仮名)は、【2】と【4】の理由だった。白血病で夫を亡くした後、義父母と共に実家で暮らす必要性を感じなくなり、死後離婚した。

「義父は商売をしており、夫は家業を継いでいました。夫がいた頃から、同居していた義父母のために家事の一切をやるのが私の務め。今までは二代目の妻としての仕事だと割り切っていたけど、子供も独立し、もう母でも妻でもなくなった私にその義務はないと気づいたんです。“死後離婚したい”と言った時に、義父母は“30年以上一緒に暮らしたのに薄情だ”と言ってきたけど、義理の家族を続ける理由はどこにもない。ようやく自由になれた気がします」

[週刊ポストセブン]

Posted by nob : 2017年02月23日 09:43

すべての食材は諸刃の剣、、、何が正しいのか、何がその時々の自分に合っているのかを見極める目を養うことが肝要。。。

■日本人が実践する健康法の「大ウソ」このままでは寿命が縮みます!
ウコンは肝臓に悪い、海藻で髪は生えない…

週刊現代の特集「逆さま健康法」には大きな反響があった。信用に足るかどうか怪しい情報が溢れているのは、食品も同じ。身体に良かれと思っていた食生活が、実は寿命を縮めていた――。

ウコンは肝臓に悪い

二日酔い対策のため、飲み会の前にウコン入りのドリンクをコンビニで買って飲む――。ウコンは肝臓の機能を回復させ、アルコールの分解を促進するため「身体にいい」と思い込んでいる人は少なくない。ところが近年そのウコンが人によっては、健康被害をもたらしていることが明らかになっている。

「以前、全国の肝臓学会の会員施設に対して、健康食品が原因となった肝障害について調べた結果、原因の1位になったのがウコンだったのです」

こう語るのは名古屋大学大学院医学系研究科・教授の石川哲也氏だ。同氏によれば肝機能が落ちている人は、ウコンを飲むことでかえって肝障害を悪化させる危険性もあるという。

「肝機能の数値が悪いのを回復させようとしてウコンを飲むのはおすすめしません。特に、C型慢性肝炎や非アルコール性脂肪性肝炎(NASH)は肝臓に鉄分が溜まりやすい病気です。そのため鉄分を多く含むウコンを飲むと余計に悪化してしまう危険性がある。

肝臓の数値が悪いからと自己判断でウコンを飲み続けると、知らないうちに肝障害がより悪化する危険もある。

まずは医者に相談し、正しい診断を受け、ウコン入りの健康食品を摂る場合は成分表示をしっかり見て鉄分量を確認してください」(石川氏)

ウコンは、別名ターメリックと呼ばれ、胆汁の分泌を促すというメリットもある。しかし、それ以上に「同時に鉄分を摂りすぎてしまう」というデメリットのほうが大きいのだ。

帝京大学ちば総合医療センターで消化器内科を専門とする小尾俊太郎医師が解説する。

「体内の鉄分が多くなってくると、肝臓の中に余剰となった鉄分が蓄積されます。すると活性酸素というタチの悪い酸素ができやすくなる。活性酸素は大気中に含まれる酸素に比べ、反応性が高く、周囲の細胞(DNA)を傷つけます。

こうなると肝臓の働きがますます悪くなり、肝臓に沈着した脂肪が活性酸素に刺激され脂肪肝炎を引き起こし、肝硬変や肝がんの原因になりかねないんです。

もちろん、鉄分は人間にとって必要な栄養素の一つです。特に女性の場合は月経により貧血になりやすいので、鉄分を多めに摂っても問題ないのですが、男性の場合は普通に食事をしていれば鉄分が不足することはありません。むしろ摂りすぎに注意するべきなんです」

実際、飲酒による肝機能低下を防ぐ目的でウコンとシジミエキスを毎日摂取した結果、数ヵ月後に劇症肝炎を発症した例もある。

さらには、二日酔い防止にウコンを多量摂取したら肝機能が劇的に低下し死亡したり、肝硬変を患っていた女性が、ウコンの粉末を毎日スプーン1杯程度飲み続けたところ、かえって症状が悪化し、3ヵ月後に多臓器不全に陥って死亡したケースもある。

昔から二日酔いにはシジミの味噌汁がいいと言われ、シジミ=「肝臓にいい」と思いがちだが、これもウコンと同じく、鉄分の摂りすぎにより、よけいに肝臓が悪くなる危険性がある。肝臓そのもののレバーも肝臓にいいとされがちだが、鉄分が多いので注意が必要だ。

前出の小尾氏が言う。

「肝炎や肝臓の病気の原因となっていたものが、昔と今とではガラっと変わっています。歴史的にみると、日本は栄養が不足する時代がありました。そうしたことから古来より、ウコンも肝臓に良いとされてきたわけです。

ところが、現代では生活の質も変わってきて、肝臓が悪くなる原因はむしろ肥満やアルコールといった生活習慣病による脂肪肝になってきた。そのためウコンの鉄分が逆に体を害するようになってきたのです」

社会の変化と共に、病気も変化している。過去の常識にとらわれず、まずは自分の体と向き合うことが先決だ。

ブルーベリーは目の健康に無関係

ブルーベリーは目にいい――。いつの間にか常識のように刷り込まれている情報である。だが、実際はそれを証明する客観的データはない。

彩の国東大宮メディカルセンターの眼科医である平松類氏が言う。

「巷にはブルーベリーは目にいい、視力が回復すると謳った健康食品が溢れていますが、視力回復にはあまり効果がないのが事実です。ブルーベリーに含まれるアントシアニンが目にいいとされていますが、目に特異的に効くものではありません」

国立健康・栄養研究所のホームページには「ブルーベリーは、視力回復に良い、動脈硬化や老化を防ぐ、炎症を抑える、などと言われているが、ヒトでの有効性・安全性については信頼できるデータが十分ではない」といった趣旨のことが明記されている。

そもそもなぜ「ブルーベリーが目にいい」と言われるようになったのか。そのきっかけは第二次世界大戦中のこと。イギリス人のあるパイロットが『暗がりでも敵機がよく見える』と言うので、彼の食生活を調べると、毎日ブルーベリージャムを塗ったパンを食べていたという。

そういった逸話が現在まで一人歩きしてきたにすぎない。そこにブルーベリーのサプリメントが発売され、NHKやワイドショーが紹介したことで一気に火がついたのだ。

「確かにアントシアニンには、抗酸化作用と、視神経の伝達物質であるロドプシンの再合成を助け、疲労を回復する作用があるので、目の疲れによる景色のかすみやぼやけなどの症状を改善する可能性はあります。ただしそれはあくまで一時的なもので、ブルーベリーをいくら食べても、視力自体が回復することはありません」(平松氏)

では、本当に目の健康に効果がある食材は何なのか。

「近年注目されているのは『ルテイン』という成分です。これはほうれん草などに多く含まれる成分で、白内障や黄斑変性の予防に効果的であることが明らかになりつつあります。また青魚に含まれるDHAも目の健康にいいとされています」(平松氏)

昨今、パソコンやスマホの使用時間が増えたため「ドライアイ」に悩まされる人が増加。眼球が乾いた状態が続くと、目の老化を早めると指摘されている。効果が実証されていないブルーベリーを無理に食べるより、定期的に目を休めることに気を配ったほうが、よっぽど効果的だろう。

海藻を食べても毛は生えない

海藻をたくさん食べると毛が生えてくる。逆に海藻を食べないと薄毛になる。昔からよく言われていることだが、こちらもブルーベリーと同じく、根拠がはっきりしない。真実はどうなのか。

発毛治療を専門とするAGAスキンクリニック新宿アイランドタワー院の西垣匠院長が語る。

「髪の毛は主にタンパク質の一種であるケラチンを主成分としています。このケラチンの合成を促進する作用を持つのがミネラルです。海藻類はミネラルを多く含んでいるので『ワカメなどの海藻が髪にいい』のは間違いではありません。ただ海藻を一生懸命に食べると髪が増えるかというと、それはまったく別次元の問題です」

薄毛には遺伝的要素や普段の生活環境、ストレスなど様々な要因がある。そのため海藻を食べたからといって髪が生えるほど単純なものではない。

それどころか海藻を食べすぎることによって、思わぬ弊害が身体に出ることもあると、西垣氏は言う。

「海藻はヨウ素を含んでいます。このヨウ素を取り込みすぎると、甲状腺の機能にダメージを与えます。ホルモンバランスを司る甲状腺に異常が出ると、すぐにイライラする、手足が痺れる、無気力で鬱状態になる、などの症状が現れます。

本来、ヨウ素にはタンパク質や炭水化物、脂質の代謝を高める働きがありますが、摂りすぎると、それが過度に働きすぎて逆効果になってしまうのです」

海藻に多く含まれるヨウ素だが、その中でも昆布に含まれる量は、ワカメやひじきに比べて極端に多い。特に昆布の食べすぎには注意が必要だ。

髪の毛を生やすために効果的なことは何か。

「人間の体は、基本的に主要な臓器に優先的に栄養が行き渡るようになっています。つまり心臓や脳にまっさきに栄養分が行き、髪の毛は最終地点なのです。髪の毛まで栄養分を巡らせるためにも血流を良くすることが大切です。

また、髪の毛の成長を促すホルモンは、夜の10時~2時に最も多く分泌される。この時間にいかに睡眠を取っているかが重要です」(西垣氏)

ひたすら海藻を食べるより、普段の生活を整えることが、髪にも健康寿命にも効果がある。

油っこいものは食べたほうがいい

ダイエットの天敵といえば「揚げ物」。痩せたいのなら、まず油っこいものを控えるのは常識だ。

しかし「それは大きな間違い」と語るのは、沖縄徳洲会・こくらクリニック院長の渡辺信幸氏。同氏は『唐揚げダイエット』の提唱者でもある。

「未だに多くの人が肥満の原因は油だと思っていますが、それは誤解で、実は太る一番の要因は、白米やパンなどの『糖質』なんです。そのため油っこいものを食べてもまったく問題はないのです。我慢しているほうがよくない。

肉の脂身もしっかりと摂ることで、身体の代謝が上昇し、脂肪燃焼の働きも良くなるので、痩せやすく太りにくい体質に変わっていくのです。まずはお腹がすいたら、コンビニでおにぎりを買うところを唐揚げに代えてみてください」

タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルは「必須栄養素」と呼ばれる。つまり、痩せるためだけでなく、人間が健康に生きるためにも肉や油はちゃんと食べる必要がある。

ただ、一つ注意したほうがいいのは油の種類だ。

「揚げ物などをする時は、植物性油より、ラードやバターなどの動物性油を使用することをおすすめします。理由は動物性油のほうがより人間の脂に近いからです。そのため吸収、消化がよく健康的です。さらに植物油より必須脂肪酸のバランスもいい」(渡辺氏)

とはいえ、そんなに揚げ物ばかりを食べていると、コレステロールが気になるという人もいるだろう。だがそれも心配ない。基本的に摂りすぎた脂質は、肝臓で分解されて水分と二酸化炭素として排泄される。コレステロールは悪だという考え方はもはや古いのだ。しかも、こんな相乗効果もある。

「高齢者の中には便秘に悩んでいる人も少なくありませんが、実は脂質をしっかり摂ることで便秘も解消できるのです。大概の人が食物繊維の豊富なゴボウやニンジンなどの根菜類を一生懸命食べていますが、それでは便秘は改善されません。

なぜなら人間は元来、食物繊維を消化する酵素を持っていないから。特に根菜類は固い細胞で覆われているので、消化しきれず、便がより大きくなってしまうのです。その解消法が実は油なんです。吸収しきれなかった油は排出されるので、それによりお通じが良くなります」(渡辺氏)

油は体を元気にする。まさに「潤滑油」なのだ。

野菜ジュースよりコーヒーのほうが身体に良い

一本で一日分の野菜が摂れるとして、毎日市販の野菜ジュースを飲み続け満足している人は多い。だがそれは実は危険な行為だとしたら……。管理栄養士の梅原祥太氏はこう警鐘を鳴らす。

「ジュースにすることで、野菜に含まれる水溶性ビタミンなどが、かなり壊れて無くなってしまう。野菜は本来アルカリ性食品ですが、ジュースにすると酸性食品に変化するため、野菜本来の恩恵がほとんど受けられません。

それどころか野菜ジュースは糖質がほとんどです。100%の野菜ジュースでも、たいていは糖質が入っている。野菜ジュースに含まれるのは、ショ糖(ブドウ糖+果糖)が多く、そういった液体の糖質を空腹状態で飲むと、急激に吸収されてしまい、脂肪になりやすくなってしまいます。

また一時的に血糖値も上昇してしまう。すると体は血糖値を下げようとするので、血糖値の上げ下げが激しくなり、体に負担がかかるのです」

健康にいいと思って飲んでいた野菜ジュースが、知らぬ間に肥満を促進し、糖尿病や高血圧のリスクを上昇させているのだ。

一方でコーヒーはどうか。コーヒーは大好きだけど、健康によくないからと我慢している人もいるだろう。

だが、近年の研究によると、コーヒーには、害どころか様々な効能があることが解明されてきた。

たとえば'15年にはハーバード大学が「コーヒーを一日4杯以上飲んでいる人は、大腸がんの再発リスクが抑えられる」と発表。さらに国立がん研究センターの研究によれば、「コーヒーをまったく飲まない人に比べ、一日3~4杯飲む人は、死亡リスクが24%も低い」ことが明らかになった。

健康増進クリニック院長の水上治氏が力説する。

「私はコーヒーを『天然の薬』だと考えています。コーヒーには、カフェインとクロロゲン酸が含まれていますが、このクロロゲン酸はポリフェノールの一種で、老化の原因となる活性酸素を抑えることがはっきりと証明されている。

つまりコーヒーは、がん予防だけでなく、動脈硬化を防ぎ、血糖値を下げる効果もあるので生活習慣病も改善する可能性があるのです。

それでいて薬と違って副作用もないので、安心して飲める。もしコーヒーがダメな人は、日本茶やココアでも同じ効果が得られます」

砂糖たっぷりの野菜ジュースを飲むより、コーヒーを飲んだほうが、メリットは明らかに多い。

サプリメントにも気をつけろ

最近、「トクホ」という言葉をやたらと見聞きする。トクホとは「特定保健用食品」の略称。血圧、血中のコレステロールを正常に保つことを助ける、お腹の調子を整えるなど、国から特定の保健効果があると科学的に証明されている健康商品だ。

普通に考えれば「国がお墨付きを出しているのだから、当然効果がある」と思うだろう。しかし、実際はそうとは限らない。

文教大学・健康栄養学部教授の笠岡誠一氏が解説する。

「たとえば、あるメーカーのトクホ炭酸飲料などは、食後の中性脂肪の上昇が抑制されると謳っていますが、その実験条件としては、一日に必要な脂質を一度に摂るような食事をしてから、トクホの炭酸飲料と普通の炭酸飲料の効果を比べていたりするんです。

つまり、かなり限られた条件下で実験が行われている可能性があるのです。それにもかかわらず、誰にでも効果があるかのように、メーカー側が販売している点には疑問を持っています」

管理栄養士の梅原祥太氏はトクホについて、さらに手厳しい。

「トクホは、健康に何の意味もないと思います。トクホのコーラやお茶は、水溶性の食物繊維である『難消化性デキストリン』というものを添加しただけ。ただの水にこれを入れたら、もうトクホになっちゃうんです。

トクホのコーラを飲み続けるとよけいに脂肪過多になる可能性もある。なぜならコーラ自体に糖質や人工甘味料が含まれているからです。難消化性デキストリンで脂質を抑えるメリットより、コーラを飲むことで摂取する砂糖のデメリットのほうが大きい」

手軽に足りない栄養素を補えるとして今や多くの現代人が飲んでいるサプリメント。様々な種類が出ているが、その効果のほどは定かではない。

「人間の体は、いわゆる体内でエネルギーを作ることができる物資以外は、異物として認識します。サプリメントは、そういった体の条件を無視したものが多い。そのためいくらサプリを摂っても、体が必要ないと判断し、便として体外に排出してしまうのです」(吉備国際大学・地域創成農学部教授の金沢和樹氏)

『病気になるサプリ』の著者である左巻健男氏もこう指摘する。

「今、高齢者の間で一番人気なのが『グルコサミン』です。関節の動きを滑らかにして膝などの痛みを軽減させると宣伝されていますが、効果はないとする研究もあります。それどころか長期にわたり摂りつづけると、血糖値、血圧、コレステロールが上昇するリスクもある。

老化を防ぐとして、売り上げ上位に位置する『コエンザイムQ10』も、実際に効果があるというデータはない。肌を綺麗にするコラーゲンも定番の人気サプリですが、体内でアミノ酸などになって吸収されるため、飲んでも肌にそのまま届くわけではない。

以前『この商品を飲めばうるおう』と宣伝していた健康食品メーカーに問い合わせたところ『飲むときに喉がうるおう』と回答されました。このようにいい加減なサプリメントは、世の中にごまんと出回っているのです」

飲むだけで健康になる――そんな魔法のようなサプリは存在しない。

[週刊現代]

Posted by nob : 2017年02月14日 10:39

あらためてキホンのキ。。。

■昆布・かつおぶし・煮干しだし おいしいだしの取り方

 うま味成分は、さまざまな食材に含まれているが、その量が圧倒的に多いのは3つ。昆布のグルタミン酸(煎茶の約10倍)、かつおぶしのイノシン酸(牛肉の約8倍)、干ししいたけのグアニル酸(帆立貝の約10倍)だ。 どれも乾燥させてあるのが特徴。「

 うま味成分は、さまざまな食材に含まれているが、その量が圧倒的に多いのは3つ。昆布のグルタミン酸(煎茶の約10倍)、かつおぶしのイノシン酸(牛肉の約8倍)、干ししいたけのグアニル酸(帆立貝の約10倍)だ。

 どれも乾燥させてあるのが特徴。「乾燥させると素材の細胞が壊れ、アミノ酸や核酸が抽出しやすくなる。つまり、うま味成分が出やすくなるのです」そう語るのは、味の素の二宮くみ子さんだ。

 そんなうま味をたっぷり取る、基本のだしの取り方から、驚きの合わせだしレシピまで、だしをもっとおいしくするワザを管理栄養士の浜本千恵さんに教えてもらいました。

 まずは、昆布だし(約5カップ分)について。

(1)水5カップに昆布15~20gを入れ、30分~1時間つける。
(2)中火にかけ、ぬめりや昆布臭が出ないよう、煮立つ直前に取り出す。

 昆布だしは、鍋料理、湯豆腐、すし飯を炊く時、魚介類を薄味で煮る時などにオススメ。

 続いて、かつおぶしだし(約5カップ分)について。

(1)水5カップを煮立て、かつおぶし30gを入れ、すぐ火を止める。
(2)1~2分おき、沈んだらこす(濃く出すなら弱火で2~3分煮る)。

 吸い物、茶碗蒸し、濃く出したものは煮物全般にうってつけ。

 さらに、煮干しだし(約5カップ分)。

(1)煮干し40gは頭と内臓を取り、水5カップに30分~1晩つけおく。
(2)中火にかけ、煮立ったら弱火で5分ほど煮てからこす。

 みそ汁、うどんやそばのつゆ、煮物などに合う。

 干ししいたけだし(約5カップ分)の使用方法はこの通り。

(1)干ししいたけ40gは汚れをふき、水5カップにつけて冷蔵庫で1晩おく。
(2)干ししいたけを取り除き、つけ汁をこす。しいたけは煮物に使える。

 昆布やかつおぶしのだしと合わせた上で、煮物、すきやきなどにオススメ。最後に、昆布×かつおぶし合わせだし(約5カップ分)をご紹介。

(1)水5カップに昆布10gを30分~1時間つける。中火にかけ、煮立つ直前に昆布を取り出す。
(2)かつおだしを取る。火を止めて、かつおぶし20gを加え、2分ほどおいてこす。

 お吸い物、うどんのつゆ、そばつゆなどが抜群に美味しくなりますよ!

[NEWSポストセブン]

Posted by nob : 2017年02月14日 10:25

どの国に生まれても、どの国に暮らしても、依存従属心からの脱却こそが幸福への第一歩。。。

■「韓国人に生まれなくて良かった」元駐韓大使が心底思う理由

武藤正敏 [元・在韓国特命全権大使]

なぜ韓国の国民は
格差問題に激しく反応するのか

 韓国では、崔順実容疑者の国政への関与と大統領府が絡んだ収賄疑惑で百万人規模の朴槿恵大統領退陣要求が発生した。そのため国会で朴大統領弾劾が決議され、大統領職は停止されている。現在、憲法裁判所の裁判と特別検事による捜査が続けられており、憲法裁判所で弾劾が可決されれば、朴大統領は失職し、2ヵ月以内に大統領選挙が行われる。

 現在立候補すると見られている人々は、黄教安大統領代行を除くといずれも反朴の野党系であり、新政権の下では北朝鮮との融和姿勢や日韓関係への強硬な姿勢が懸念されている。

 朴大統領が弾劾されたのは、数百万といわれる市民のデモである。5000万人の国民によって選出された大統領が、支持率が5%前後に落ち込んだとはいえ、本人の有罪が確定していない時点で、一部の市民のデモで退陣に追い込まれるのは民主主義国家と言えるのか疑問が提起される。日本でこのようなことが起きることはないであろう。

 しかし、韓国はこれが現実である。その背景として、「7放世代」(格差社会によって、就職、恋愛、結婚、出産、マイホーム、夢、人間関係という人間として基本的な希望を失った世代)の存在や、政界と財閥の癒着、崔順実容疑者の娘の不正入学などの問題が指摘されている。

 とはいえ、格差はどの社会でも多かれ少なかれ存在する問題であり、何故韓国の国民が他国とは比較にならないほどこのように激しく反応するか、それは韓国社会の実態を見ないと理解できないと思う。

 私は、韓国人に生まれなくて本当に良かったと思う。韓国は過酷な競争社会である。大学の受験戦争、就職難、結婚難、老後の不安、OECDの中で最も高い自殺率……。加えて男性が虐げられた社会である(女性はそうは思わないかもしれないが、男性にとって悲しい現実)。

 私は、日本で試験に合格して外交官になり、最後には大使にもなった。しかし、韓国に生まれていたなら、その過酷な競争社会のプレッシャーに勝てなかったかもしれない。家族全員で、子どものために大変な犠牲を払っても報われない現実。しかし、一部のエリートはそうした競争を回避していい思いをしているとの羨望。そうした不満が鬱積しているのが韓国社会である。

 そうした現実の中、朴大統領は経済民主化を旗印に、格差是正を公約して大統領に当選した。しかし、そのスローガンはいつの間にか消え、密室の中で大統領が正体不明で胡散臭い崔容疑者に操られて国政を危うくし、政界と財閥が癒着して一部の人だけが良い思いをしていると、失望感が広がっていた。そのため、崔容疑者の事件がなくても次の大統領選挙では野党が有利と言われてきた。

 韓国は隣国であり、北朝鮮という脅威に対抗するためには否が応でも付き合っていかなければならない国である。そうした国とどう向き合うべきか考える前提として韓国社会を見てみたい。

人生を決める大学受験
常軌を逸した教育費

 韓国ではどの大学を卒業するかによって「人生が決まる」と言われており、大学進学率は短大・専門学校を含めると80%台(日本は約50%)という超高学歴社会である。

 韓国で日本の大学入試センター試験にあたる「大学修学能力試験」が行われる日には、パトカーがサイレンを鳴らし遅刻しそうな受験生を試験場まで連れていく、ヒアリング試験の行われている約30分間は飛行機の離着陸まで禁止される、という日本では考えられないことが起きている。大学入試は、各大学でも内申書を参考とし、面接、小論文の試験を行っているが、「大学修学能力試験」の成績の占める割合は高く、高校3年間の努力が一日で決まるのである。

 しかもその努力たるや。高校生は、朝、2つの弁当を持って登校する。放課後、夜の10時まで図書館に籠って自習し、その後は「学院(ハグォン)」で勉強を続ける。まさに人生を懸けた戦いである。

 しかしその戦いは受験生ばかりではない。韓国では、受験戦争の弊害を和らげるために1974年に「高校平準化」を導入し、中学、高校受験をなくして、抽選で地域の高校に振り分ける方式を導入した。しかし、規制の強化で受験戦争の弊害を取り除くことはできない。代わりに課外授業が活発となり、家庭に収入に占める教育費の割合は一層高まった。韓国では家庭教師に月100万ウォン、150万ウォンを払っても1科目か2科目であり、有名教師ならもっと高くつく。学院(ハグォン)という塾でも週2〜3回の進学塾的なところで月30〜50万ウォンくらいになる。

 韓国で、中流といわれる家庭では月収が月300万ウォン程度であるから、そこから一人の子どもに月100万ウォンを払う家庭の生活はどうなるのか。少し収入の多い家庭でも余裕はない。小学校から母子で海外に留学する子も多く一歩でも先に出ようとする。韓国では、共稼ぎをするか、借金をするか、財テクで成功しないと子どもを大学にやれないのが現実である。

サムスンの就職倍率は700倍
過酷な就職事情

 韓国では、このように苦労し大学を出ても厳しい現実が待っている。

 韓国は主要財閥10グループの総売上高がGDPの約75%を占める。しかしソウル大学を卒業すれば、サムスン電子や現代自動車に就職できると期待しても、全求人のうちそうした財閥系企業が占める割合は1%に過ぎない。ある程度の企業に就職しようとすれば、TOEIC800点以上は最低条件、大手企業ともなれば900点以上が必要である。入社試験の倍率はサムスン電子では700倍といわれている。

 2015年の韓国の若年失業率は9.2%と史上最高を記録している。ソウル大学の卒業生でも就職率は50%といわれ、就職できない人は、大学院に行くか、海外留学するか、親族企業で働くか、就職のための留年をするかである。そうした余裕のない人は非正規社員として働くしかない。その割合は正規社員よりはるかに高いのが現実である。

 韓国人は非常に見栄を張る人々である。自分が期待する就職先が得られないと、あたかも落伍者のような気持になる。ソウルの日本大使館で、電話交換兼受け付け業務の職員を募集したことがある。一人の応募に対して30人ほどの応募があったが、その応募者は、日本語はもちろん英語もでき、日韓関係に関する質問も的確に答えていた由である。韓国の名もなき中小企業に就職するよりも、日本大使館の方が恥ずかしくないということのようである。

エリートでないと結婚も難しい
過酷な結婚事情

 韓国では、大学を出ていないと結婚も難しいといわれる。しかも、いい結婚相手を見つけようとすれば、一流大学を出て、一流企業に働いていないといけない。結婚に関わる経費も膨大である。新居は新郎側、家財道具は新婦側が持ち寄るのが習わしである。新居がないと嫁をもらえない、新婦側の家財道具や持参金が足りないとして離婚するケースも生じっている。

 朝鮮日報が「親の涙で挙げるウェディング」という見出しの特集記事を掲載したが、それは親の全財産をはたいても結婚費用が足りず、多額の借金を背負うことになった話である。韓国は体面を重視するため、派手な結婚式をしたがる。しかし、そのことが韓国人の生活を苦しめているのである。

 経済的理由から「非婚」を選ぶ人も増えている。就職が厳しいので安定した収入がない、結婚の費用が賄えない。

子育てで散財の末
過酷な老後の事情

 韓国では、子どもの教育費に散財し貯えの乏しい家庭が多い。加えて子どもの結婚費用にそれまでの蓄財を使い果たし、借金までする親がいる。 2014年に基礎年金制度が発足し、所得が下から70%までは月に10〜20万ウォンが支給されているが、国民年金や公務員年金を受給する高齢者はわずか 32%である。

 高齢者の収入を比較すると日本は16万円、韓国は36万ウォン(3万6000円)であり、高齢者の貧困比率は48.6%である。日本では、高度成長期に会社勤めをしていた人ならば、国民年金と厚生年金に加入していたはずである。韓国では、非引退世帯の12%は国民年金・退職年金・個人年金のいずれにも加入していない。

 韓国では、高齢者の生活費の53.1%は働いて得なければならない。日本の高齢者の経済活動参加率は28.7%だが、韓国では41.6%と高い。しかし、40歳を過ぎて早期退職をした後雇ってくれるところはない。その多くは、単純労働や農林水産業である。

 飲食店や商店を起業する人もいるがその多くは失敗し、老後の貧困に拍車をかけることが多い。韓国は儒教社会である。以前であれば、子どもが親の面倒を見た。しかし、今は子どももその子どもの教育費でアップアップしている現実がある。親の面倒は見てくれない。

 一生子どものために働き、子どもには面倒を見てもらえない。50代で退職してお金がなかったらどうするか。30坪のマンションを売って10坪のマンションに引っ越し、その差額で生活していくしかないというのが現実である。

 2011年の65歳以上の高齢者の自殺率は人口10万人あたり、韓国81.9人、日本17.9人であり、韓国はOECDの中で1位である。韓国で老後を送りたくないものである。

徴兵制が生んだ男女格差
過酷な韓国人男性の実態

 これは番外編である。意外と知られていないが、昨年、韓国外務省の合格者の7割超が女性であった。一般的に筆記試験の成績を見ると女性の方がいい。しかし、韓国の状況は驚きである。他の国家試験についても資料はないが、同様な傾向だと聞く。

 その一つの要因は、男性に科された徴兵制ではないか。男性が兵士に取られている間に女性は試験準備をしている。ある時、韓国の人に、女性についても同じ期間、社会奉仕活動に従事してもらうかしないと、男性はますます不利になるのではないか、と問うたことがある。その時の先方の答えは、そのようなことを言えば、女性団体の激しいバッシングを受ける、「それならあなた、子どもを産んでごらんなさい」と言われれば、答えようがない。

 韓国ではますます女性が男性よりも高い地位に就いていくのではないか。

 男性にとって何より不幸なことは、「キロギアッパ(雁になった父)」と呼ばれる現象である。子どもの教育のため、母子で幼少期から海外留学をする。父親は韓国内に残り、インスタント食品を食べながら、せっせとお金を稼ぎ仕送りをしているのである。それでなくても子どもができると家の中で居場所のない父親がいるのに、幼少期から子どもと離れているとますます、家庭の中で存在感をなくしていく。

超競争社会に対する不満が
日本に飛び火

 このように、韓国の中で、競争し成功を収めていくことは並大抵のことではない。韓国ではなく日本に生まれたことをつくづく幸せに思う。

 競争社会の中で必死にもがいても報われないとの不満。その不満が朴大統領に向いているというのが今の韓国の状況である。さらに、その不満の対象である朴大統領が在任中、日韓関係を改善しようとしてきたことから、攻撃の先が日本に飛び火しているのであって、朴大統領とはかかわりのない歴史問題、政治問題以外について韓国人の対日感情は決して悪くない。

 次期大統領については、今の候補者の顔ぶれから見て、誰がなっても日韓関係は一層厳しくなると思われる。しかし、朴大統領という不満の対象がなくなれば、あるいは現在の格差問題が多少でも和らげば、そこから別の可能性が芽生えてくるかもしれない。

 いずれにせよ、韓国をより客観的に、より深く理解することが重要である。

(元・在韓国特命全権大使 武藤正敏)

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2017年02月14日 10:13

また旅立つ君へVol.125/捉えない囚われない生き方/頼れるとすれば、、、それは死ぬまで働いていけるだけの自らの健康のみ。。。

■40代は「一生食える力」の最貧困世代である 佐々木俊尚が語る「ゆるいつながり」の大切さ

佐々木 俊尚(ささき・としなお)/ジャーナリスト

これからの時代、私たちはもっと上を目指す上昇志向でもなく、もっと外を目指すクールなアウトサイダー志向でもなく、「いまこの瞬間に全意識を傾けながら」ゆるくつながる生き方が普通になると説く佐々木氏に、その考え方とベストセラー『ライフ・シフト』の共通点を語ってもらった。

日本の企業システムは、長い老後を考えていない

長寿社会というと、多くの日本人はネガティブな印象をもっているのではないでしょうか。認知症や孤独死などの問題がメディアでも取り上げられ、「老後」というと何となく不安感が漂う。でも『ライフ・シフト』は長寿社会をポジティブに捉えているところが今までになかった視点で、面白いと思います。

日本でも、大企業に就職できれば一生安泰という時代は終わりました。グローバリゼーションで業界構造も様変わりしましたし、昔のように企業にぶら下がっていれば何とかなる時代ではなくなりました。しかも100歳ライフなら定年後の人生は約40年も続く。その間どう生きていくのか。

じつのところ、日本の産業構造は、それを考える仕組みにはなっていません。役所でも大企業でも、専門性がないまま定年を迎えてしまう人が多い。たとえば大企業の出身で、外回りや管理部門をひと通りやって「私はゼネラリストだ」と胸を張る人がいる。しかし人材コンサルタントにいわせると、そういう人は役に立たないそうです。彼はゼネラリストではなく、“その会社のスペシャリスト”だから。

日本の企業は調整の仕事がやたらと多い。「この話はまずあの人に通せ」とか「俺はそんな話聞いていないぞ」などと言い出すオジさんが必ずいるから(笑)。トップダウンなら1カ月でやれるのに、調整が必要で3カ月かかってしまう。日本の労働生産性の低さはこうしたところに起因します。

いずれにせよ、調整の仕事を懸命にこなして定年を迎えても、その人がやってきた仕事は企業内の人間関係というインフラのうえでしか成り立ちませんから、一歩会社の外に出るとその能力は発揮されない。つまり自分の専門性を育てるような仕事をしていかないと、定年後にあまり明るい人生は開かれないのです。

一方で、すべての人が会社に依存せず個人の力で食べていこうとすると、弱肉強食の世界になってしまいます。ここが難しい。とりわけフリーランスの世界では、しゃべりのうまいやつが成功する傾向にあります。コミュニケーション能力に長けていて、交渉するのが上手。

日本でも1990年代に成果主義だと盛んに言われていましたが、結局、自分の成果をでかい声で言える人が勝つ。成果が見えづらい管理部門の人はどうなるのかと問題視され、いつの間にか言われなくなりました。

私は、個人が専門性を意図的に高めていくと同時に、「ゆるいつながり」が必要だと思っています。仲間とかチームといった共同体です。第2の人生は、そういうところに目を向けてもいいのではないでしょうか。ノマドワーキングについて書いた拙著『仕事するのにオフィスはいらない』(光文社)でも触れているのですが、フリーランスはいずれ単体ではなく、チームによる仕事が当たり前になってくると私は考えています。プロジェクトごとに結成したり解散したり、再結成したり。

企業でもそうした組織論が語られるようになってきました。従来のように部長、課長、係長といった縦割りの構造ではなくて、プロジェクトごとにチームを作り変えるという仕組みです。今は長期計画が立てられない時代といわれています。何が売れるかもわからない。短期的に小ロットで試してみて、うまくいったら量産するし、失敗だったらすぐに撤退する。機動力が求められますから、組織もそれに対応できるように変わっていくのだと思います。

40代にとっての安定とリスク

『ライフ・シフト』では世代の違う3人が登場しますよね。70代のジャックは「教育・仕事・引退」という3つのステージを歩み、従来の価値観のままで逃げ切れる世代です。20歳目前のジェーンは、偶発的な出会いを大切にして、自分の専門性を高めていっています。

日本でも35歳以下の世代はこうした世界観をもっている人が多い。1980年代生まれの「ミレニアルズ」ですね。彼らはシェアハウスに住むことに抵抗がない。プライバシーの感覚とか、見知らぬ他人への信頼感とかが上の世代とは異なります。大企業志向がある一方で、一生そこにしがみついていこうという感覚もなく、多様な生き方があることを知っている。生まれたときから不況ですから、結構あっけらかんとしているんです。

問題は今の40代、『ライフ・シフト』でいうならジミーの世代です。たとえば今45歳だとしたら、定年まであと15年。いまさら劇的に生き方を変えられません。家族もいるし、今の年収を維持したい。守るものがあるから、思いつきで会社を辞めてIターンするという冒険もできません。

でも本当にそうでしょうか。あと15年の間、組織の中でここまでのポジションにいくだろうという青写真を描いていても、だいたい外れますよ(笑)。もはや安定した業界も企業もない、先行き不透明な時代です。そんななかで会社員人生を送るのと、いきなりIターンして田舎に行くのと、どちらが重い決断かなんて誰にもわかりません。むしろ誰かと偶然の出会いで意気投合して、会社を辞めて田舎に行くほうが明るい老後が待っているかもしれない。

漫然と会社勤めを続けるより、すばらしい出会いがあって人生を切り開いていけるなら、少なくとも後者のほうがモチベーションは上がりますよね。

持ち家があるとか、結婚しているとか、貯金があるとか、それらが安定した人生の証しという価値観は変わりつつあります。個人的にはおカネよりも人間関係のほうが大事だと思っているんです。リンダ・グラットン氏のいう無形資産にも通じます。いい友人がたくさんいて、共同体感覚をもっていれば、そんなに困ることはないんじゃないか。

その共同体では何もかも自分で背負うのではなく、自分のできることを共同体に提供できればそれでいい。コミュニケーション能力が高くなくても、共同体の中でその能力に秀でた人に助けてもらえばいいんです。そうした相互作用が今後、社会のセーフティネットになっていくのではないかと私は見ています。

テイカーでなくギバーになれ

では、これから40代がどこに共同体を求めるか。会社共同体はすでに崩れかかってきているし、シェアハウスにも抵抗がある世代です。拙著『レイヤー化する世界』(NHK出版)にも書いたんですが、まずは複数の共同体に所属することです。スポーツのチームとか、ボランティア活動とか、あるいは飲み仲間でもいい。顔が見えていることが大事。

ちなみにインターネットはその共同体を維持するための手段です。疎遠にならない仕組みがSNSによって可能になりました。リアルの関係性とそれを支えるネットの存在という相互作用で、コミュニティが形成されている。こうした共同体感覚を複数の場でもつことが重要です。

もうひとつは「奪おうとしないこと」です。アダム・グラントが『GIVE & TAKE』(三笠書房)という書で指摘したとおり、これからはテイカー(自分の利益を優先する人)ではなく、ギバー(惜しみなく与える人)が成功する。インターネットの存在やフラット化した組織で、テイカーは可視化されやすくなってきましたから、最終的には「あの人はずるい」と信頼を失うでしょう。逆に自分の損得を考えずに人に情報を提供したり助けたりしている人は、短期的には損をしているかもしれないけど、長期的には信頼度が高まって得をする。そういうギバーになることが大事です。

私自身、人に何か頼まれたとき、引き受けるかどうかの基準って、その人がいい印象だったかどうかが結構重要なポイント。損得で考えないとおカネがなくなるのではないかと思いきや、意外にそうでもない。またどこかから仕事の依頼が降ってきて収入につながる。この 10年くらいで学びました。

また今の時代、大事なのは経済的貧困ではなく文化的貧困に陥らないことです。たとえばIターンして年収200万円という人は少なくありません。では、彼らは貧困かというと、そうとは限りません。

彼らにはコミュニティがあるし、近所の農家から野菜や米をもらって生活しているから、おカネもそんなにかからない。一方、年収が400万円あっても、都心に住んで高い家賃を払って友人も少なくて、毎日コンビニ弁当を食べている。どちらが文化的貧困かは明白でしょう。

先日、NPOグリーンズ代表の鈴木菜央さんと可処分所得の話をしていたんですが、年収1000万円を稼いでいても、専業主婦の奥さんと子供が2人いたら、結構カツカツです。そのうえ、多くの人は年収に見合った生活を送ろうとしたがる。やたらと高層のマンションに住んでみたり、輸入車を買ってみたり。すると日々の生活がますます苦しくなる。

でも年収200万円で、生活にかかるおカネが100万円。残りが可処分所得になるのだとしたら、月に1度は東京の高級フレンチにも行ける。車だって、とりあえず走れば中古のカローラでいい。そっちのほうが、よっぽど豊かな生活といえるのではないか。

もちろん文化的貧困の度合いを定量的に測ることは難しいのですが、少なくとも「こうあらねばならぬ」という呪縛から抜け出してみてもいいんじゃないかな、と思いますね。

私は20代の友人がたくさんいるんですが、彼らを見ていると、人と仲良くなるのが非常にうまい。あっという間に知らない者同士でつながっていくし、年齢なんか誰も気にしないんですよね。ヒエラルキーの世界で生きていないんです。

役所や大企業にいる人は、入社年次をやたらに気にする。自分より上か下か、その序列で関係性が決まるからです。要するに自分のポジショニング。でも今は、年齢による感覚の違いはなくなりつつあります。40代でも60代でも、20代と同じ音楽を聴いていたりする。フラットな社会では自分のポジションを規定しにくいんです。何を軸にしていいかわからないから、ともかく知らない人とでも仲良くなっておく。彼らが意識しているかどうかは別として、それがフラットな社会の生存本能だと思います。

ヒエラルキーが壊れると死ぬまで働ける

「若い世代とどう付き合っていったらいいかわからない」という声も耳にしますが、そういう人は年齢とか経験値でマウンティングしているんじゃないかな。大事なのは、自分が偉いと思わないことです。

私自身、会社員時代はそうした序列にどっぷり浸かっていましたけど、テクノロジーやメディアなど、常に動き続ける対象を取材してきたせいか、自分がかつてもっていた知識や経験にあまり価値を置かなくなりました。新聞記者時代の経験で役に立っていることといえば、インタビュー力ぐらい。

ヒエラルキー構造が崩壊すると何が起こるか。死ぬまで働けるんですよ。相互作用の社会は特にそうです。ヒエラルキーの中では自分の居場所が固定されますが、相互作用の社会なら、その人の能力や人柄、あるいは人間関係によってその都度、居場所が変わっていく。40歳のときにできる相互作用もあれば、80歳のときに生まれる相互作用もあります。そう理想どおりにいくかどうかは別としても、全体としてそういう方向にいかざるをえない。『ライフ・シフト』の100年人生の生き方にも通じると思います。

これからの長い人生をどう生きるか。ロールモデルとなる存在はいません。従来の価値観に縛られている人は、暗澹(あんたん)たる気持ちになるかもしれない。でも変化を楽しめるかどうかが大事。どうせ価値観も働き方も激変していくんですから、楽しまないともったいないと思いますよ。

[東洋経済オンライン]

Posted by nob : 2017年02月07日 17:37

野菜をたくさん食べる(ことは当然として)、、、それからの話。。。

■「野菜をたくさん食べる」べき本当の理由

 健康に(少しは)気をつけているビジネスパーソンから「野菜が健康にいいことはわかっているんだけど、なかなか食べられないんですよね〜」という言葉をよく聞く。本当に野菜は健康にいいのか、今回は驚くべき事実をお伝えする。

野菜がヘルシーだというのは勘違い

 最初にお伝えしたいのは野菜の「栄養的価値」だ。テレビ等では食品として野菜が登場すると、出演者(タレント、アナウンサー、料理研究家、ときには栄養士や医師までも)が「野菜たっぷりなのでヘルシーですよ」などと発言することがきわめて多い。しかし、これは勘違いである。少なくとも「野菜を食べれば健康になれる」という証拠はない。

 それどころか、野菜ばっかりの食生活では「健康で長寿」は望めない。たとえば、アフリカや南アメリカや東南アジアには、ほぼ毎日、野菜と穀物だけを食べて暮らしている子供たち(子供だけに限らない)が大勢いる。その子たちは健康でもなければ長寿でもない。タンパク質(とりわけ動物性タンパク質)や適度な量の脂肪などが不可欠である。彼ら(彼女ら)にとってはタンパク質や脂肪こそがヘルシーな食材なのであり、野菜はヘルシーでも何でもない。

 ビジネスパーソンは「野菜を食べてさえいれば健康になれる」などと勘違いしないことが、まず肝要。動物性脂肪やタンパク質やアルコールや糖類を過剰に食べている現代人は、野菜不足のためにバランスが偏っていることが多いので、バランス上「野菜をたくさん食べましょう」というだけの話である。

「野菜一日350グラム」にたしかな根拠はない

 カタイ話になって恐縮だが、ビジネスパーソンの皆さんは、厚生労働省が「健康のためには一日350グラム以上の野菜を食べましょう」といっているのをご存じだろうか? 知っている人でも「350グラム」という数値がどこからきているかは、おそらく知らないだろう。それもそのはず、「野菜一日350グラム」にはたしかな根拠がないからだ。

 たとえば、一日に「野菜350グラム以上食べるグループ」と「350グラム未満のグループ」を作り、長期間その食生活を続けてもらう。そして5年後あるいは10年後に「350グラム以上食べていたグループ」の人が健康で、「350グラム未満」の人が不健康になった、という実験があれば、「野菜を一日350グラム以上食べれば健康になれる」といえることになる。しかし、そういう実験は、日本には(世界にも)1つもない。なので「野菜350グラムを食べれば健康になれる」という根拠はない。

「野菜ジュースを飲むこと」は
「野菜を食べること」と同じではない!

 ただし、「健康で長生きしている日本人」の食事内容を調べたら「一日に野菜を約300グラム以上食べていた」という調査はある。現在、日本人の野菜の摂取量は一日に平均290グラムくらいなので、「もう少し野菜を多く食べましょう。できれば350グラムくらい」という目標が設定されている。

 また(これはアメリカの調査だが)野菜と果物を合わせて400グラム以上食べた女性(看護師)のほうが、それ未満の野菜摂取量の女性よりも健康だった、という研究もある。アメリカは、栄養上、野菜と果物を分けては考えないが、日本では野菜と果物をかなり明確に分けてある。そのうえ、日本では果物の摂取量がかなり少ないため「野菜で350グラム以上を摂取」しないと、この「アメリカの研究結果」を生かすことができない。その点からも「健康のために野菜を一日 350グラム以上食べよう」という目標が設定されてある。

 これらの研究からも推察できるように、健康のためには「野菜350グラムに含まれる栄養素」を体内にとり入れればいい、というわけではない。野菜(と果物)をたくさん(数値でいえば、日本人ならばだいたい350グラム以上)食べることが健康にいいらしい、ということがわかっているだけなのだ。

 「野菜350グラム分の栄養素を摂取すれば健康になれる」という科学的事実はない。つまり、野菜350グラム入りのジュースを飲めば健康になれるという保証はない。野菜ジュース(青汁も)を飲むことは野菜を食べることとは同じではないからだ。

野菜ジュースが逆効果を招く“落とし穴”

 「野菜をたくさん食べる」という行為(とりわけ食習慣)の中には(野菜の栄養素を摂取できるということ以外に)さまざまな要素が含まれる。野菜をたくさん食べる人は、たとえば(その分だけ)主食の食べすぎになっていないかもしれない。たとえば、脂肪やタンパク質の過剰摂取になっていないかもしれない。結果的に「栄養バランスがいい人」なのかもしれない。

 さらにいえば、このご時世に「野菜をたくさん食べている」という人は、食事以外でも健康に気をつけている人なのかもしれない。運動もしっかりやっている人なのかもしれない。それらの総合的な習慣が、その人を健康にしているという可能性もある。野菜の栄養素だけの影響ではないかもしれないのだ。

 この点を理解しないで「野菜ジュースさえ飲めば健康問題は解決する」と思ってはならない。ただし「野菜ジュースは健康的に何の役にも立たない」というわけではない。ふだん健康的な食生活を心がけている人が、たまたまその日は野菜不足になるからという理由で野菜ジュースを(補助的に)飲用する、ということであれば、きわめて有効な使い方(食べ方)になるであろう。

 しかし、多くの人は逆になる。どういうことかというと「野菜ジュースを飲んだから(飲んでいるから)野菜を食べなくてもいい」となる。さらには「健康を考えた食生活などしなくてもすむように、とりあえず野菜ジュースを飲んでおく」という人さえいる。これではまさしく逆効果で、野菜ジュースを飲むことが不健康を招くことになりかねない。

 忙しいビジネスパーソンこそが陥りやすい落とし穴なので、充分に気をつけたい。

[Wedge]

Posted by nob : 2017年02月07日 17:14

私も自らの生き方(⊃逝き方)は自分で決めたい。。。

■安楽死について知ることは自らの「逝き方」を考える第一歩

 80歳になる知り合いの老人がぽつりとこう口にした──「俺は本当はもう安楽死したいんだよね」

 切羽詰まった表情ではない。しかし冗談めいた口調でもない。

 昨年、老人はがんの摘出手術を受けた。手術自体は成功したが、術後の体力低下は著しく、昨年末には下血して救急車で搬送され、再入院する日々を過ごした。今は自宅に戻って暮らしているが、日々思うように動かなくなっていく自らの体を感じながら、この先どうなるのかという不安に苛まれているという。

 サラリーマン時代は仕事で名を上げ、退職後も精力的に活動してきた。家族にも恵まれた。絵に描いたような「理想的で充実した人生」と誰からも思われてきた老人が漏らした「安楽死」という言葉に、頭を殴られたようなショックを受けた。

 91歳になる脚本家の橋田壽賀子氏は、月刊誌『文藝春秋』に「私は安楽死で逝きたい」と寄稿した。

〈ベッドに寝ているだけで、生きる希望を失った人は大勢います。(中略)そういう人が希望するならば、本人の意志をきちんと確かめたうえで、さらに親類縁者がいるならば判をもらうことを条件に安楽死を認めてあげるべきです〉(2016年12月号)

 橋田氏は、日本では安楽死が認められていないため、海外に行って安楽死したいという。

 この主張は大きな反響を呼んだ。作家の筒井康隆氏が「日本でも早く安楽死法を通してもらうしかない」(『SAPIO』2017年2月号)と賛同したのに対し、スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏は「安楽死をしたいなんて言ってはいけません」(『女性セブン』2017年1月1日号)と反論するなど、賛否両論入り乱れた大激論となっている。

 終末期医療の専門家で日本尊厳死協会副理事長を務める長尾和宏医師は言う。

「そもそも安楽死については、定義すら理解せずにその言葉を使っている人が多い。しかし、こうした議論がなされること自体、かつてなら考えられなかったことです。どのように死ぬかは、どのように生きるかと同じぐらい大事なこと。これを機に安楽死や尊厳死について正確な理解を広げていく必要があります」

 日本では、「少しでも長く生きたい」という高齢者の願望を叶えるために、医者も家族も行政も、一丸となって取り組んできた。どれだけ長く生きるかを求めるなかで、「死の自由」を認めることになりかねない安楽死の議論はタブーとならざるを得なかったのだ。

 しかし、それを避けたまま10年、20年の月日が過ぎたらどうなるか。安楽死に関する制度も、哲学も、知識も持たぬまま、多くの人々が「安らかに、楽に死にたい」という希望を表明すれば、「死に方が分からなくて彷徨う老人」があふれかえる事態にもなりかねない。

 安楽死について知ることは、自らの「逝き方」について考える、大きな第一歩となる。


■オランダで認知症を理由とした安楽死が認められる理由

 ベルギー、ルクセンブルク、アメリカ、メキシコなど、世界的に容認(「事実上」も含む)が広がりつつある安楽死だが、どこの国でも、安楽死を実施する医師が遵守すべき条件は厳しく定められている。

 たとえば、自殺幇助を含む安楽死を認めているオランダでは、「患者の自発的で熟慮の上の要請である」「患者に回復の見込みがなく、耐え難い苦痛がある」「独立した立場の医師も含めて2人以上に相談する」など、多くの条件を満たす必要がある。

 それでも、オランダでは2015年に5516人が安楽死を選んだ(うちがん患者は4000人)。これは同年の全死亡者数の3%程度とされる。

 世界各国の安楽死の現場を取材しているジャーナリストの宮下洋一氏は、認知症を発症したオランダ人男性(79)が、それを理由に自殺幇助を受け安楽死した例も取材した。

「いいかい、人間はみんな個人の生き方があるんだ。死ぬ権利だってある。誰ひとりとして、人間の生き方を他人が強要することなんてできないんだ。それだけは理解してくれ」

 男性はそう話し、家族に見守られるなかで、致死薬の液体を飲み干して長い眠りについたという。しかし、認知症は致命的な疾病ではなく、身体的苦痛もない。それなのに安楽死が認められたのはなぜか。

「肉体的苦痛ではなく、精神的な苦痛が耐えがたいと本人が感じているということ。自分の親が認知症になって苦労した経験があることが多く、患者自身がその姿を家族に見せたくないという本人の意思が決定的なんです」(前出・宮下氏)

 彼らは徹底した個人主義で、「自分の命のことは自分で決める」という意識が強いのだという。


■安楽死 世界的に広がりつつある容認の実態

 安楽死には、大きく分けると「積極的安楽死」と「消極的安楽死」の2つがある。不治の病で余命わずかな患者に対し、苦痛から解放するために医師が致死薬を注射するなどして死に至らしめるのが積極的安楽死。ここでは単純に「安楽死」と呼ぶことにする。医師が致死薬を処方し、患者が自分の意思で服用するのは「自殺幇助」だが、これも積極的安楽死に含むことがある。

 一方、同じような患者に対して、治療をしない、あるいは延命措置を停止して、結果的に死に至らしめるのが消極的安楽死で、日本では「尊厳死」と呼んでいる。

 尊厳死の措置は世界的にも一般化していて、日本でも行なわれるようになったが、安楽死まで法的に認めている国はまだ少ない。

 現在、自殺幇助を含む安楽死を認めている国は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクである。自殺幇助のみ認めているのが、スイスと、アメリカのオレゴン州、ワシントン州、モンタナ州、バーモント州、カリフォルニア州の5州だ。

 さらに、この6月にカナダの議会下院で安楽死を認める法案が可決されたので、カナダもこのグループに加わることになる。世界各国の安楽死の現場を取材しているジャーナリストの宮下洋一氏は「法律で認めてはいないもののコロンビアやメキシコでも実態として行なわれている」といい、安楽死の容認は世界的に広がりつつある。


[いずれもNEWSポストセブン]

Posted by nob : 2017年02月07日 16:53