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時折私も神社仏閣を訪ねます。信仰心はなくとも不思議と心身が洗われる気がします。

■「つい、他人と比べてしまう」「自分のしたいことがわからない」という人は、ご神仏に祈ってみるといい!
ご神仏のメッセージを受け取れる尼僧が教える、本当の「ご利益」とは何か

悟東あすか

真言宗の尼僧である悟東あすか氏は、幼い頃から「見えない存在」を感じ取っていたが、そのことで生き辛さを感じ、得度した際にお大師さまに祈って以来は霊感的に何かを見ることはなくなり、そして徐々に祈る時にご神仏からのメッセージを受け取れるようになったという。

 ご神仏にお参りしたり祈りを捧げたりすると、いろいろな人とのご縁がつながったり、願いがかなったり、ピンチを救ってもらったり、健康になったりと、神さま仏さまの「ご利益」はたくさんあります。

 でも、まずあなたに知ってもらいたい、大切なご神仏の力があるのです。

 それは何かというと、ご神仏は、あなたが本当は何をしたいのか、どうやって生きていきたいのかをわからせてくれるということです。「自分自身の人生」を歩めるようにしてくれることなのです。

「いや、自分の望みや願いくらいわかっている」「私は自分の人生を生きている」と思うかもしれませんね。

 でも、自分で自分の人生を歩いているつもりでも、実際には、他人や世間のために生きているケースも少なくありません。

 実は、周囲の視線を気にしたり、他人の価値観で人生を選んだり、他人との比較をベースにして生きていることも、意外に多いのです。

 たとえば、あなたは「人に認められたい」「競争に勝ちたい」「親に喜んでもらいたい」「自分だけ得をしたい」といった気持ちから、人生の選択をしたり行動したりしたことはないでしょうか。

 または、「周囲が自分を認めてくれない」「幸せそうなあの人に比べて、私は不幸だ」「私ばかり損をしている」と悩んだことはないでしょうか。

 健全な競争意識や向上心は大切ですが、他人の意見や周囲の価値観を基準にしてしまうと、とてもつらいですね。

 でも、こんなふうに考える人が少なくないのです。

 というのも、私自身もずっとそうでした。

 小さい頃から母親に「男に負けてはいけない」と教えられ、学生時代は勉強だけでなく武道にも精を出し、母に認められたいと、つねにがんばり続けてきました。

 だからよくわかるのですが、比較や競争の中で生き、人の視線を気にしている時は、自分の人生を生きていない時です。

 自分が本当は何をしたいのかがわかっていないので、あるいは自分の本音にフタをしているので、周囲を気にして悩んでしまうのですね。

 本来、「自分」という存在はかけがえがなく、人と比べようなどない尊いものです。

 そのことがわかっていれば、他人の評価や損得から自由になれます。

 そして、自分自身が心からやりたいことをやり、生きたいように生き、「自分の人生」を歩めます。

 そんな人生を歩ませてくれるようにガイドしてくださるのが、神さま、仏さまなのです。

 これからあなたが、好きなお寺にお参りしたり、ご神仏に祈りを捧げたりするようになると、薄紙がはがれるように心が軽くなっていき、安心感が生まれるでしょう。

 そして、「人生はこういうもの」「こう生きなければならない」といった古い思い込みがはがれていくでしょう。

 なぜ、私がそう言えるのかといえば、お寺にお参りしていらっしゃる方たち、毎日の中でご神仏に祈っている方たちがどんどん変わっていくのを目のあたりにしてきたからです。

 私自身も修行を終え、家に戻ってご神仏に祈り続けるうちに、少しずつ昔の思い込みがはずれていくのがわかりました。

 そして、自分の心を素直に見つめられるようになり、自分自身を大切にすることや、人と和して生きることを学んでいったのです。

 そのうち、神さまや仏さまにおまかせして自分のやるべきことをやっていれば、人間が生きていくうえで心配することは何もないとわかってきたのです。

  といっても、まだアタフタすることもあれば、「どうすればいいのだろう」と悩むこともあります。それでも心は、「何があっても大丈夫」という大きな安心感に包まれているようになりました。

 一番の変化は、毎日の暮らしの中に小さな喜びを感じられるようになったことです。
「今日の空は、なんてきれいなんだろう」
「風が気持ちいい」
「ごはんがおいしい」
 と、日々の中にはたくさんの幸せがあります。
 その幸せをていねいに感じる毎日も、ご神仏からいただいている大きな「ご利益」のひとつなのです。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2018年02月20日 16:39

上手な「自分(=こだわり)」の捨て方Vol.5/また旅立つ君へVol.137

■「貴方自身」を生きること。それは楽ではなくともハッピーなこと

幸せな人生とは何だろう。よい仕事、立派な夫にできのよい子供、おしゃれな街の一戸建て、人もうらやむ優雅な人生?、、、

それとも、才能がありながら名声は望まず、仕事も家族も二の次で、田舎に移り住んでひたすら画を書く生き方?、、、

言えることはただ一つ、それでその人が幸せなら、それが「その人自身」なのだ。

幸福は、どけだけ楽をできるか、では計れない。無難に世間を渡っていくために、しっかり被せた「自分」の鎧ではなく、「その人自身」がハッピーかどうか。モノサシは、それだけなのだ。

もっと「本当の貴方」を信じてみよう。人が羨むから幸せなのではなく、心から「ああいい気持ち」と言えるのが幸せなのだ。傍から見れば絵に描いたような幸福なのに、本人がちっともいい気持ちになっていないのであれば、その人には無理をして傷つき、抑え過ぎて病んだ本体が隠れている。

あれは楽、これは苦、という「自分」の判断ではなく、貴方自身の声に、もっと耳を傾けて、何が本当にやりたいか、それだけが貴方を本当に幸せな人生に導いてくれるのだから。

私たちは生まれてきた。その理由はわからない。だが目的はわかっている。幸せに生きるためだ。楽に生きるためではない。

作りものの「自分」で用心深く生きるのはもうやめよう。自らの足で立って、私本体を丸ごと受け容れ、信じて生きてみよう。生きている、という手応えのあるハッピーな毎日が、その時から本当に始まるのだ。。。

Posted by nob : 2018年02月20日 15:23

上手な「自分(=こだわり)」の捨て方Vol.4/また旅立つ君へVol.136

■本当の貴方を生き始めるには、まずはその声を聞くことから

さあ、決心がついたとしよう。では、いったいどうすれば「自分」を捨てることができるのか。

まず一つ覚悟をしなければならない。覚悟というと大げさだが、難しいことではない。自らがすべてを引き受ける、と心に決めるのだ。

人間関係がうまくいかないなら、相手を責める前に、貴方の中を見る。今の仕事に不満があるのに、動こうとしないのは、他人のせい、社会のせいではなく、私のせいだと認める。

具体的にはこんなふうだ。入社以来5年も続けた経理の仕事にうんざり、としよう。「いい子の自分」は、そんな貴方を責める。「うんざりなんてぜいたく。今どき、ほかの仕事があると思うの?お給料がもらえるだけで、ありがたいことなんだから」

だが、「本当の貴方」はこう言うはずだ。「だってこういう仕事、好きじゃないんだもの」

その、好き、あるいは嫌い、気持ちがいい、悪いという、いわば原始的な貴方の感覚に、ここはひとつ従ってみることが肝心だ。

もちろんそれで“しまった”と思う結果になることもあるだろう。だが、これだけは言える。貴方は本来の内なる声を信じて自ら行動し、その結末を引き受けたのだ。その充実感、爽快感は、貴方に生きている実感を与えてくれるだろう。そしてそれは、私は悪くないのに、と始終文句をつけていた今までの「自分」では決して味わえなかった実感のはずた。

Posted by nob : 2018年02月20日 15:04

上手な「自分(=こだわり)」の捨て方Vol.3/また旅立つ君へVol.135

■これからは本当の「私」を見つめ、丸ごと受け容れる勇気がものを言う

確かに、ちらりと頭をのぞかせた私の奥にあるものは、可能性に溢れていて魅力的だった。

しかし、窮屈だったり、うまくいかないこともあったけれど、型にはまった「自分」で生きていく、あの気楽さ、無難な味も捨てがたい、、、貴方はきっと迷うだろう。

「自分」の蓋をおしのけて頭を出した「あれ」は、たぶん本当の私自身なのだ。でも、変幻自在のパワーを秘めている、ということはコントロールが難しい、ということでもある。それに、“こういう「自分」”の枠にはめられていないぶん、嫌なところも、醜いものも持っていそうではないか。

 そう、残念ながらそのとおり。「自分」が作りものだったとわかって、その下から「貴方本体」を解放しようとしている貴方は、パンドラの箱の前に立っているようなものだ。気まぐれだったり、分裂気味だったり、とんでもなく悪い子だったりする貴方が、そこから飛び出してくるかもしれない。

でも、それが本当の「私」、生まれてからそこまでぶん、成長した正直な姿なのだから。まず真っすぐに見つめてみよう。作りものではない貴方はキレイなだけではない。でもそれが本物なら受け容れて磨くよりほかに道はない。

本当の貴方は、嫌な部分を補って剰りある、可能性やエネルギーが秘められている宝石の原石のはずなのだ。けれど、それでも貴方はまだ「自分」で蓋をして、ぎこちなく演技をして生きていくほうを選ぶだろうか?

Posted by nob : 2018年02月20日 14:43

上手な「自分(=こだわり)」の捨て方Vol.2/また旅立つ君へVol.134

■思い込みの「自分」とは本人の「ご都合」に過ぎない

もし貴方がコンクリートのビルのようなものなら、その行動は、すべて決まったパターンを踏むだけになるだろう。。。

私っていい子。私って頑張り屋。私は気まぐれ人間だから。私は強い女のはず。そういうシナリオにそって生きていると、貴方は周囲の人々に、ある決まったパターンを押し付けているのに気付くはずだ。。。

例えば恋愛。同じような相手と付き合っては失恋の繰り返し。あるいはオフィスで。自己主張をはっきりするデキる女で、上司とトラブルの連続。

頼れて護ってくれる男性が好きな「自分」は、甘えて楽をしたがっているだけなのかもしれない。

自分の考えをはっきり(ずけずけ)言う「自分」は、手間のかかる根回し作業を避けたいだけかもしれない。

「自分」はこういう人間だからという思い込みを言い訳にしているだけで。。。


うまくいかないのなら、一度そのシナリオを捨ててみたらどうだろう。

甘えるには頼りなくても、なんでも対等に話し合える同年齢の男性と付き合う。

上司の提案が的を射ていたら、こっちが大変でも「私もそう思います」と言ってみる。

誰かが貴方のために何かをしてくれたなら、その方法や結果が気に入らないものであっても(それは貴方のやり方を相手に押し付けているということ)、「嬉しい。どうもありがとう」と言ってみる。

そのちょっとした変化が、人間関係を驚くほど変えるはずだ。

そして貴方は、「自分」の下から、何かもっと生き生きとしたものが顔をのぞかせているのに気付くだろう。

その時、しっかりとした「自分」と思っていたものが、色褪せたシナリオに変わる。。。

Posted by nob : 2018年02月20日 14:06

上手な「自分(=こだわり)」の捨て方/また旅立つ君へVol.133

■自分というのはそんなに確固たるものなのだろうか?

「自分」というと、よく添えられる形容詞はなんだろう。

「しっかりした」?「確固たる」?、、、

おまけに「自分」をどうするかといえば、「探す」に、「確立する」に、、、

そんな言葉がすぐに思い浮かぶ。。。

「自分」といえば、まず筋金入りの確固たるもので、人はそれを一生かけて知ろうとする、、、

私たちの頭の中には、そんな図式がしっかりと出来上がってしまっているかのようだ。。。


でもどうだろう。

生理学的に見ると、人の身体の細胞は、どんどん入れ替わっている。

皮膚のような新陳代謝の激しい部分では1ヶ月弱、あの堅固な見本のような骨でさえ、1年もたてば新しい細胞に変わるのだという。

つまり、「自分」を探して何年もうろうろしているうちに、肉体のほうの貴方は、まったくの別物、いや別人になってしまっているわけだ。。。


そんな入れものに、果たして永久不変の「自分」などというものが収まるのだろうか?

答えはNOだ。

本当の貴方=「貴方自身」は、変わることができる。むしろ、変幻自在の可能性こそ、その本質といってもいい。。。

私たちが“変わらない”と見るのは、世の中や周囲と折り合いをつけるためにかぶった仮面のほうだけだ。

その“殻”たる「自分」でうまく生きられなくなったその時にこそ、貴方に変わるチャンスが訪れる。。。

Posted by nob : 2018年02月20日 11:15

あるべきベイシックスタンス。。。

「全ては、起こった時に考える。必ず、方法はある。どうにかなる」

[Mariaさんのブログより]

Posted by nob : 2018年02月06日 16:38

知らぬは仏か否か。。。/言わずもがな、、、日本の名だたるホテルも。。。

■トイレ掃除したブラシでコップ磨き・・・中国5つ星ホテルの清掃隠し撮り

1泊2万円~4万円はする中国ハルビン市の外資系五つ星の「シャングリ・ラホテル」で、トイレ掃除に使ったブラシでうがい用のコップを洗っていた。中国人記者が清掃員の就職希望を装って潜入取材し、ずさんな清掃の様子をカメラに収めた。

女性清掃員は便器を洗ったブラシでバスタブやコップを洗い。同じ雑巾で便器、ゴミ箱、コップを拭いた。記者を就職希望者と思い込んだ女性清掃員は、こんな忠告までした。「客がいるときはこうやって洗ってはダメ。規則違反になるから。普通は浴槽とトイレのブラシは違うものを使わないといけないけど、面倒くさいからね」

ハルビン市のドイツ系5つ星「ケンピンスキーホテル」では、客の使用済みタオルでコップや便器、バスタブを拭いた後、最後に床を拭き始めた。ベッドのシーツも「汚れていなければ交換しないわ」と澄ましたものだった。女性清掃員は「普通は部屋の清掃は1日12部屋がノルマ。12部屋を超えて清掃すれば1部屋につき12元(約200円)の手当てがつくので、一部屋にかける時間を短縮するため」と話している。

ハルビン市当局は立入検査して行政処分を行い、ホテル側も謝罪した。

賃金安く手抜き

モーリー・ロバートソン(国際ジャーナリスト)「ここで働いている人たちの賃金が安いのは、よく知られています。5つ星は名ばかりで、搾取されているからというのが弁明なんですけど、これはないですよねえ」

坂口孝則(経営コンサルタント)「マニュアルのある外資系ですらこうですから、他のホテルはもっと酷いことが行われている可能性が邪推できます」

とにかく、中国のトイレの汚さは有名だ。あのトイレを掃除したタオルやブラシで・・・と考えただけでも気持ち悪くなる。

文 モンブラン

[Jcast テレビウォッチ]

Posted by nob : 2018年02月06日 16:27