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さらなるつわものが、、、
一回りほども歳下のある女性が
未だにdocomoのmovaを使用されていて驚きました
特に何らそれで支障はなく
利便性よりも必要性で判断して機種変更をしなかったそうです
とはいえさすがにネットワークサービス自体が近く終了してしまうことにはあがらえずdocomoに憤慨されていました
そんな驚く私も
メインPCは1998年発売の初期型Macintosh PowerBook G3であり
2003年発売のSony Clie UX50を今でいうところのスマートフォン用途で日々駆使し続けています
Posted by nob : 2010年12月31日 02:31
信用調査にご協力します
どちらかの調査会社の方だと思いますが
はいそこの貴方です
ここしばらく私を調査されていらっしゃるのだと思いますが
お調べになりたい事柄には直接お答えしますので
欄外のメールアドレスまでご連絡ください
面白がったヒアリングされている先から私の耳にも入っていますし
気付いてしまった以上煩わしく感じています
通常の調査の方法では私のことはクライアントさんに報告できる基準ではおそらく何も判らないと思いますし
必要であればお渡しできる資料も用意しています
Posted by nob : 2010年12月31日 02:19
私にも少なからず親愛なる中国人の友人が、、、友情に国境はない。。。
■中国人と付き合う際、最低限知っておくべき歴史は?
ソフトブレーン マネージメント・アドバイザー 宋 文洲
●1963年、中国・山東省生まれ。北海道大学大学院博士課程修了。92年、ソフトブレーン創業。2006年、同社取締役辞任。
留学生として来た日本に25年いて、最近北京に拠点を移しました。日本と中国の間を毎月仕事で往復するので、日本に来るたびに、週刊誌をまとめて何種類も買うことにしています。
でも、今の日本が抱えている問題は沢山あるのに、尖閣列島での問題が騒がれると、なぜか皆そのことばかりを取り上げる。どれを読んでも、13億人以上いる中国人がみんな怒っているみたいに書いてありますね。
でも、実態は全然違う。中国で起きた反日運動が、日本のテレビ番組でよく取り上げられていたとき、中国にいる親戚や友人に電話をすると、「いったい何の話?」みたいな感じ。日本で大騒ぎになっていることさえ知らない。今回も同じで、一部の人が騒ぐのを大袈裟に扱いすぎるんですよ。
だいたい、「国家」としての中国と、個々の「人間」としての中国は関係がないんです。中国人は、“カタマリ”としての中国は意識しません。世界中にいる華僑と呼ばれる人々だって、別に国の意思で活動しているわけじゃない。多くは国を追われた人たちです。
単一民族国家と多民族国家の違いもある。「在日韓国人・朝鮮人やアイヌ人だっているじゃないか」と反論する人もいるかもしれないけど、統計的にみれば微々たるもの。日本は単一民族といっていい。でも、中国は正反対。もともと多くの民族がいるし、統計自体もいい加減。自分で漢民族といっていた人の先祖が、実はモンゴル人や満州人だったりすることはザラです。
いろいろな地方、たとえば河北省と山東省、雲南省と福建省、内モンゴルとチベットは、それぞれよその国の人といえるぐらい違います。こういう人たちを同じ中国人だからと一括りにするのは、明らかに無理があります。
そんな中国人と付き合うには、まず、あらかじめ細かな取り決めをした契約書を交わして、起こりうる悪い材料はすべて先に相手に言っておく。これが最初の注意点。日本人は悪い話を嫌がります。背景の似通った日本人どうしなら、アバウトな契約でもトラブルになりにくいけど、中国人も西洋人もビジネスは背景の違う人どうしで行うのが普通。細かく詰めるのは当然です。
中国人どうしが大声で罵り合うのを見たことがあるかもしれません。でも、すぐケロリと仲良くなるでしょう。西洋人もそうですが、「ケンカも礼儀のうち」が二番目の注意点。だから、温家宝首相や姜瑜(きょうゆ)報道官の剣幕を怖がる必要はないんです。上手にケンカができるようになれば、交渉はむしろ佳境に入ったといっていい。逆に遠慮して何も言わないと、押される一方ですよ。
最後に、「同じアジア人」という発想をやめること。「日本人も中国人も漢字を使っている」とか、「顔が似ている」というのは日本人側の思い込み。相手が「よく思ってくれている」と勘違いする男女関係と同じです(笑)。
本来、歴史問題など個人にとってどうでもいい話。議論に熱中しても、互いの立場の違い、得る情報の違いは解消できない。日本人は戦争が中国で行われたという事実だけは理解すべきだが、罪の意識を持つ必要はありません。
もちろん、肉親を日本軍に殺されたという中国人が、日本に対していい感情を持っていないことはわかりますよ。でも、そういう人は少数派というのが現実。昔、チンギスハンが中国人を大勢殺したからといって、今モンゴルを嫌っている中国人などいないのと同様、歴史の問題は時間が解決してくれます。
そもそも日本が嫌いな中国人ならば、一緒にビジネスをしようとも思わないでしょう。多少揉めることはあっても、妥協点は必ず見つかるはずです。
[プレジデントロイター]
Posted by nob : 2010年12月30日 10:25
つまづいた経験もないなんて、、、Vol.2
年の瀬になって、また一人の先達が破産したという知らせが、、、
一流大学を卒業して一流商社へという所謂エリート、本部長まで勤めて独立、設立した会社も商社時代の取引先との関係で当初は破竹の勢いで成長するも、過剰な海外投資がたたって先頃倒産、、、
親類含めて援助する者もなく、自宅も競売に、なおも多額の負債を抱えつつ、家族にも見放されて、浴室すらもないアパートで一人暮らし、持病の糖尿の治療もままならず生保申請中とのこと。
因果応報とは言えど、かつての面影すらも希薄な意気消沈ぶりでした。
熟年で初めて挫折を知るのはまさに悲惨の極み、、、大小つまづきへの免疫は若いうちからつけておきたいもの。。。
Posted by nob : 2010年12月27日 12:58
今日の自分は昨日の自分が創っている。。。
明日の自分は今日の自分が創る。。。
Posted by nob : 2010年12月27日 12:44
つまづいた経験もないなんて、、、
せめて
持てるものすべてを失いさらに借財を抱え
誰もいなくなって
病に苦しむ
そんな自らを想像してみよう。。。
それでも果たして自分自身を保てるだろうか。。。
Posted by nob : 2010年12月26日 18:33
最良の宣伝は、、、
宣伝しないこと。。。
Posted by nob : 2010年12月26日 18:30
方法論の問題ではない。。。
幸せな人は
どこにいても
何をしていても
幸せでいられる。。。
その逆も然り。。。
Posted by nob : 2010年12月26日 11:01
本当の豊かさや幸福とは何か、、、
それを考えていられることが幸せ。。。
Posted by nob : 2010年12月26日 10:21
いつでもどこにでもやりがい生き甲斐はある。。。
たとえ一時の錯覚の中にさえも。。。
Posted by nob : 2010年12月26日 01:14
日本発愚かしさの世界拡散、、、原子力は地球を蝕む。。。
■日本が原発建設でトルコと覚書
日本政府「受注はほぼ確実」
日本とトルコは24日、原子力発電所建設分野での協力に向けた覚書を交わした。この結果、一時は韓国が有力とみられていたトルコでの原発建設が、日本により行われる可能性が高くなった。韓国は今年6月にトルコと覚書を交わしていたが、意見の違いが表面化したため、交渉は先月以降、中断している。このスキをついて日本は、トルコとの交渉を本格的に進めようとしているのだ。
■日本「受注はほぼ確実」
トルコのユルドゥズ・エネルギー天然資源相は24日、東京で日本政府と原子力発電所の導入に向けた人材育成などを進める内容の協力文書を取り交わした。これを受けて日本のマスコミは、「トルコでの原発受注がほぼ確定した」と報じた。ユルドゥズ資源相は、「3カ月以内に日本と原子力協定を結び、1年以内に日本企業に発注することを目指し、交渉を進めていきたい」と述べた。原発輸出は原子力協定を結んで初めて可能となる。トルコは黒海沿岸のシノップに、総事業費200億ドル(約1兆7000億円)の原子力発電所2基を建設する計画だ。
日本の強みは資金調達能力と技術力だ。特に日本政府は、地震が多いトルコの特性を考慮し、日本の原発が度重なる地震にも安全を確保してきた点を強調しながら、トルコと水面下での交渉を続けてきたという。
日本政府はアラブ首長国連邦(UAE)での原発建設で韓国に敗れて以降、「韓国型のインフラ受注戦略」を参考にしてきた。日本は現在、「パッケージ型インフラ海外展開」の関係閣僚会合を官邸内に立ち上げ、原発関連企業の出資で「国際原子力開発株式会社」という新会社を設立し、原子力発電プロジェクトに関する提案活動を行っている。
その結果、今年10月にはベトナムで原子力発電所建設の受注に成功し、さらに今回はトルコでの受注も狙っている。韓国と日本は、ブラジルと米国での高速鉄道建設でも受注争いをしている。
■韓国「まだ終わっていない」
韓国では韓国電力が今年3月にトルコ国営発電会社と原発建設関連の共同研究を開始し、トルコとの原発受注競争で日本よりも有利な立場にあった。また6月に行われた両国の首脳会談では、原発関連の覚書も交わした。知識経済部のチェ・ギョンファン長官は10月18日の会見で、「主要20カ国・地域(G20)首脳会議が開催された期間(11月11-12日)に、原発受注に向けた政府間協約を締結できるだろう」と語っていた。
ところが知識経済部は先月14日、「トルコとの原発受注交渉がいったん中止となった」と発表した。最も大きな理由は、電力価格に対する双方の見解の違いだった。交渉に参加した知識経済部の関係者は、「技術面では大きな意見の違いはなかった」と述べた。
[朝鮮日報日本語版]
Posted by nob : 2010年12月25日 13:17
凡人がしゃにむに一を語らんとする間に、、、
優れた芸術家の作品は雄弁に百を語る。。。
Posted by nob : 2010年12月23日 00:32
似て非なるもの Vol.27
真実が
そこにないことと
確かにそこにあること
見通す力がなければ同じこと。。。
Posted by nob : 2010年12月23日 00:29
幸せはいつもそこにあるのに、、、
見つけることも手に入れることも難しい。。。
Posted by nob : 2010年12月22日 01:20
夢は逃げない。。。
いつも心の奥底に留まったまま、、、
追い続けるも
立ち止まるも
諦めるて逃げるのも
いつもその時々の自分のほう。。。
Posted by nob : 2010年12月20日 00:01
眠れない(・・;)
、、、というより眠りたくない。。。
好きな人と好きなことを好きなたけしようとするだけでも
人生は短か過ぎる。。。
我ながら欲が深いと溜め息。。。(-_-)/~~~
Posted by nob : 2010年12月19日 23:45
一度始めてしまったのだから、、、
もはや行き着くところまで行くしかない。。。
ましてや第三者を巻き込んでのことなら尚更のこと。。。
Posted by nob : 2010年12月19日 23:37
誰かのために何かのためになんて、、、
周りと自らを欺くことはもうやめよう
貴方も私もやっていることは
すべてはただ自らがやりたいことだけ。。。
Posted by nob : 2010年12月19日 23:30
まさに奇跡(;o;)
都会の雑踏の中で
迫り来る人々の波に身を委ねていると
それぞれの人達に家があり毎日食事をして
皆何かしらの仕事をして悲喜こもごも生活があると考えると
そんな社会が成立していることが、まさに奇跡だと感じる。。。
旅していて
どこまで行こうと
たとえ地球の裏側まで出かけようとも
どこにでも人々が暮らしていて
皆それぞれに悲喜こもごもの人生がある
、、、そんな当たり前のことなのに胸がいっぱいになる。。。(-。-)y-~
Posted by nob : 2010年12月19日 23:08
死に方はその人なりの個々の生き方の帰結。。。
■ある少女の延命拒否
岡田克敏
死期の迫った人に対して「もうすぐ死んで楽になれますよ」と正直に言えるものではありません。建前を優先し「きっとよくなりますから頑張ってください」と心にもないことを言ってしまいます。また患者がその人にとってかけがえのない人の場合は「頑張ってください」というのは本心でしょうが、それが患者にとって幸せなこととは限りません。
最近NHKで放送された二つの番組はこれらの問題に一石を投じるものです。ひとつは12月8日のクローズアップ現代「ある少女の選択〜"延命"生と死のはざまで〜」で、悲運に見舞われた一家の記録を通して切実な問題を投げかけています。
心臓に重い疾患をもつ少女は8歳で心臓移植を受けますが、背骨が曲がり呼吸困難になって15歳のとき人工呼吸器をつけて声を失います。訪問医療によって、少女が望んだ両親との自宅生活が実現しますが、腎不全の発症によってその望みは絶たれます。人工透析は自宅では難しいからです。少女はここで人工透析をしないという決断をし、やがて18年の短い生涯を終えます。
父親は本人の意思を大事にするという方針なのですが、ある時、透析という方法があるので「生きているときっといいこともあるんだよ」と少女の気持ちを翻そうと試みます。しかし少女は「もう十分がんばってきたし、自分の命は自分で決めたことだし。もうパパ、追いつめないで」と携帯電話を使った筆談で答えます。
18歳という判断力のある年齢であることから、主治医は本人と両親だけで決定するのがよいと考えたこと、両親も本人の意思を尊重するという態度を変えなかったこともありますが、なによりも少女の覚悟と意志の強さが大きな理由でしょう。透析をすれば楽になることを知りながら、断るのはとても難しいことです。18歳とは思えない見事なもので、私ならできるかどうか・・・。「もう死ぬ」と周囲の反対を押し切って、自らチューブを引き抜いた作家の吉村昭氏が思い出されます。
次は全く対照的な話で、認知症などの患者が胃ろう(胃瘻、経管栄養法)によって延命を続けている実態を明らかにした11月28日再放送のETV特集「食べられなくても生きられる〜胃ろうの功と罪」です。胃ろうとは胃へ通じる管を腹部に設置し、栄養物を注入できるようにすることです。中心静脈に養分を送る方法に比べ胃ろうは扱いやすく長期の生存が可能とされています。
諸外国に比べ、日本ではとくに急速に普及し、40万人に迫るとされ、65歳以上の胃ろう手術の対象者の72.3%は脳血管障害者と認知症で占められるとされています。日本はどうやら「胃ろう大国」らしいのです。
胃ろうの普及に力を入れ、3000人に胃ろう手術をした鈴木裕医師はある病院の大部屋を訪ねたときをきっかけに、胃ろうに疑問を感じます。胃ろうをしている30人の高齢者の光景、声をかけても反応がなく、ただ生かされているだけのような姿を目にします。彼らのほとんどは自分が胃ろうの手術した患者で、消化器だけが動いている状態が患者にとっていいことなのか、という疑問を感じたといいます。
しかしそのような場合、胃ろうを中止することは (元に戻すだけですが)人工呼吸器を外すことと同様、殺人罪に問われる危険があり、そのまま生かし続ける選択しかありません。医師で作家の久坂部羊氏の「 日本人の死に時—そんなに長生きしたいですか」には延命処置によって余分な苦しみを味わう例がいくつも紹介されています。
さらに番組は日本老年医学界学術会議の模様を紹介します。そこでは日本だけ胃ろうが多く行われる問題に対して議論が交わされます。ある医師は胃ろうをしないという選択は訴訟の可能性が高くなると述べました。今の医療の現状でいちばん常識のことを選ぶのが訴えられずに済む、無難な選択になると。なにもしないということは刑法に触れるのではないかと考える医師も多くいました。
277人の医師に「自分なら胃ろうをするか」という質問をした結果が紹介されましたが、「する」と答えたのは24.9%に過ぎず、多くの医師は自分なら望まない胃ろうを患者には実施しているという現状が明らかにされます。
延命を拒否した少女と、本人の意思に関係なく生かされる高齢者達、ここには生命に対する考え方の違いが見られます。少女の場合、もっとも重要なのは生命の質(QOL)であり、物理的な時間の長さではありません。それに対して胃ろうによって生かされている高齢者達の場合は時間の長さが優先されているようです。
しかし少女の場合のように本人の意思が優先されるケースは稀です。生命の質は本人の主観に基づくものであり、周囲の同意が得られにくいためでもあるでしょう。
それに対して胃ろうの高齢者ように、物理的な時間の延長を優先するケースは主流をなしています。それは、時間という客観的なものであるためわかりやすいといった点もあるでしょうが、命は何よりも大切であり1分、1秒でも長く生きるべきだという固定した考えと、刑法に触れる可能性、訴訟される可能性を避けるための行動による結果だということができます。まあ保険制度や病院側の事情もあるでしょうけど。
これには刑法も大きい役割を果たしているようです。胃ろうや人工呼吸器の扱いによっては殺人罪に問われる可能性があり、その威嚇は実に強力であるからです。刑法が現状を固定する役割を果たしていると思われます。そのために医療が不本意な方法を取らざるを得ないことは患者やその家族にとって大変不幸なことです。
法の整備を求める声はずいぶん以前からありますが、実現に至りません。番組では、胃ろうによって6年間生かされている寝たきり患者が映し出されていましたが、本人の意思と関係なく何年もの延命が実現された今、より柔軟な対応を可能にするような法整備の必要性は強くなっていると思われます。
またこれは医療費の膨張、医療の配分などにも大きく関わる問題です。簡単に答えの出ない複雑な問題ですが、いずれは誰もが直面する可能性があり、他人事と見過ごせることではありません。
[livedoor BLOGOS]
Posted by nob : 2010年12月19日 12:25
似て非なるもの Vol.26
我慢と納得
Posted by nob : 2010年12月16日 23:51
何かを極めんとするのなら、、、
誰にも称賛されないほどに極めたい。。。
Posted by nob : 2010年12月16日 18:59
自分を評価できるのは自分自身だけ。。。
自分を賞賛してくれるのは
自分と同類あるいは未満か
利害があるか
悪意がある人々だけ。。。
Posted by nob : 2010年12月16日 18:54
誰に何と思われようと、、、
私は私の信じる道を行くだけ。。。
もう久しくそうしてきたけれど。。。
Posted by nob : 2010年12月15日 23:53
一度愛した人なのだから簡単に嫌いになんてなれない、、、
言い切った、、、そんな君が好き。。。
Posted by nob : 2010年12月15日 23:49
心から愛する人となら、、、
ただ一緒にいるだけで幸せ、、、
一緒に笑い合ってていられるなら最高に幸せ。。。
Posted by nob : 2010年12月15日 23:46
開き直れるか趣味に生きられる人はそれはそれで良しとしても。。。
■「お金のために会社にしがみつく」自分に嫌気が差す瞬間
夢や希望を共有できなくなった企業と働く個人のすれ違い
河合 薫
「情けない話なんですけど、結局、僕はお金のために働いてるんです。いや、お金のために会社にしがみついているって言った方が正確かもしれません。恐らくこれ以上、僕は出世することはないでしょう。だったら人生の後半戦くらい自分のやりたいこと、好きなこと、やりがいを感じられることをやってみたいって気持ちはあります。でもね、今の給料を放棄してまでやる覚悟があるかっていうとないんですよ。夢だの希望だのよりも、現実から離れることができない。ホント情けない話です」
こうこぼすのは48歳のA氏。大手メーカーに勤める部長の男性である。
生きるためにはお金が必要である。お金を得るためには働かなくてはいけない。だからお金のために働いて何ら問題はない“はず”である。
誰だって、心の奥底では、どうせ働くなら、できるだけ稼いでみたいと思う。キンキンキラキラのぜいたくな暮らしである必要はないが、そこそこいい暮らしはしてみたい。おいしいものだって食べたいし、たまには旅行にだって出かけてみたい。趣味にお金をかけてもみたい。そう思うことはある。
ところが、「お金のためだけに働く」と聞くと、何となくさもしい気持ちになる。
お金のためにだけに、働きたくない?
今年の初めに成人式を迎える新成人に関する調査結果が発表され、仕事に対して「お金を稼ぐためのもの」とする考えを持つ人が85.4%に達していることが分かった時にも、オトナたちは一斉に、「何だか夢も希望もないなぁ」と嘆いた。また、大企業を希望する学生が多い理由の一つに、「生涯賃金」が挙げられることに関しても、「金がすべてなのか?」と嘆く人もいる。
そして、自分自身も「お金のため」に働いていると悟った時、誰から責められるわけでもないのに、罪悪感にも似た感情に陥ることがある。恐らくA氏も、そんな気持ちから「情けない」と自己嫌悪に陥っていたのだろう。
お金のためだけに、働きたくない──。なぜ、私たちはそう思ってしまうのか。
たかが金。されど金。働く一番の目的はお金なのに、お金のためだけに働くことに私たちは、なぜ、抵抗感を感じてしまうのか?
「お金がすべて」とか、「金儲けして何が悪い」とか、「お金で買えないものはない」と豪語するような拝金主義者にはなりたくないという気持ちがあるから?
そもそもお金のためだけに働いたり、お金のために会社にしがみつくことは、「情けない」と落ち込むほど、いけないことなのか?
そこで今回は、「お金と仕事」について、改めて考えてみようと思う。
本人が一番よく分かっている
「自分のこれまでのキャリアを振り返ってみると、若いころの方がもっと自由だったような気がするんです。つまり、純粋に自分が仕事をすることで成長していることに、満足感を覚えたし。いろんな人と知り合ったり、新しいプロジェクトに参加できたりするとそれだけでうれしかった。つまり、お金以外のことがモチベーションになっていたんです」
「ところが、40を過ぎると、仕事もマンネリ化してくる。そんなに目新しいことはないですし、若いころのように成長を実感できるような仕事もない。それで気がつくと、そこそこもらえている自分がいるわけです。確かに昔のようにベースアップはないですし、ボーナスだって下がりました。20代のころに自分が想像していたほど、もらえてはいません。でも、中小企業に比べるとやっぱり大手はいいんですよ」
「おまけに子供の教育費や家のローンだってある。そうなると、今の会社は絶対に辞められないよな、って思うわけです。するともう一人の自分がたしなめる。金のためにしがみついているなんて、カッコ悪いって。何か自分がすごいせこいヤツになっているみたいで。たまにやるせない気分になることがあるんです」
こう語るA氏を、“ただ乗り社員”と呼ぶ人もいるだろうし、「何をウダウダぜいたくなこと言ってるんだ。要は一生懸命働いていない自分への言い訳じゃないか」と非難する人もいることだろう。
でも、恐らく本人が一番そのことを分かっている。だからこそ、何とも言えない情けない気分に苛まれているのだ。
A氏が指摘するように企業規模による賃金格差は、明らかに存在する。昨今の不景気の影響からか、その格差は広がる傾向にさえある。
日本生産性本部が今春発表した、「能力・仕事別賃金実態調査(2009年)」によれば、大企業(従業員1000人以上)の部長相当の平均月例賃金は69 万4000円。小企業(同100人未満)の部長相当は50万5000円で、両者の間には18万9000円もの差がある。課長相当での差額は14万円で、いずれも前回調査より拡大していることが分かった。
また、大企業の課長相当の平均月例賃金は52万8000円で、小企業の部長相当の50万5000円を上回っていることも明らかになった。
一方、一般職・大卒初任給クラスでは、大企業と小企業との格差が急速に縮小して、1万円を切った。「ヒラ社員」レベルであれば、大企業でも中小企業でも給料の違いはほとんどない。
お金は働くモチベーションであり続けてきた
お金は仕事のモチベーション要因の中でも非常に重要な要因であることは、古くから世界各地で多くの研究者によって実証されてきた。と同時に、人は仕事の対価である報酬が、自分の期待したものに見合っているかどうかで満足感が変わる。米国の心理学者レオナード・ベルコヴィッツはそれを「賃金公平感」という言葉で説明した。
つまり、自分と同じような仕事をしている人がもらっている賃金と、自分の賃金を比較し、「何で似たような仕事をしているのに、あの人はあんなにもらえるんだ」と感じると不満が募り、逆に、「同じ仕事でも自分の方がもらっている」と感じると満足感が高まる。それは、自身の誇りとなり、社会的評価と同じ価値を持つ。
従って、A氏が今の会社にしがみついてしまうのは、企業規模による格差に加え、他者への優越感も関係しているのだろう。
私たちはお金のためだけに働いているわけじゃない。いや、お金のためだけじゃないはずだと、どこかで思っているだけかもしれない。それでもやはり実際に働いてみると、お金以上に“価値ある報酬”を体感することがあるし、お金ではない“報酬”を期待することだってある。
それは、いわゆる、「やりがい」と呼ばれるものだったり、「働きがい」と言われ、多くの場合は、「自分の存在」を実感できる報酬である。
私がまだ学生のころ、知人である年配の男性にこう言われたことがあった。
「最初はね、お金のためにみんな働く。でもね、働いているとお金よりももっと大切で価値のあるものに気づくよ」
当時、私は彼の言っている意味が分からなかった。誤解を恐れずに言うならば、「お金のために働く」ということもよく分からなかった。
何しろ自宅だったし、完全にパラサイトしていたから、「生活のためには働かなくてはいけない」という意識も希薄。知人の助言の意味するところが何一つ分からなかったのだ。
働き始めてすぐに分かったお金を稼ぐ喜び
だが、働き始めてすぐに「お金のために働く」という意味が分かるようになった。最初にお給料をもらった時の満足感。自分の仕事に対する報酬を得られたことは、想像以上にうれしかったのである。
うまく言えないけれど、自分が必死に汗を流せば、ちゃんとお金がもらえるということが単純にうれしかった。労働に対する報酬としてのお金に感動したのだ。少ない初任給で、パラサイト先の母や父にプレゼントを買い、喜んでもらえたことで、より満足感は高まった。お金を稼ぐ喜びを知ったのだ。
それからというもの、給料日はやたらと待ち遠しかったし、どんどんと物質的な物を手にしたいという欲もわいてきた。もっとおいしいご飯を食べに行きたいとか、もっと素敵な洋服が欲しい、1年に1回くらいは友人と旅行に行きたい、そう思った。つらい仕事の時には、「お金のためだ」と自分に言い聞かせることもあった。まさしく、お金のために働くようになっていたのである。
ところが、である。ある時に「お金よりも大切な価値あるもの」を、いや、正確には「仕事のやりがい」、「仕事の面白さ」を感じたのだ。
それが“いつ”だったのかは覚えていない。だが、例えば、お客さんが飛行機を降りていく時に、「いいフライトでしたよ。ありがとう」と言ってくださったり、ちょっとしたサービスをした時にお客さんから感謝されたりすると、何だか無性にうれしく、仕事そのものに「やりがい」を感じるようになった。
恐らくそういったねぎらいの言葉は、新人の時にもいただいていたはずだし、そういったねぎらいの言葉でしんどい仕事にも耐えるエネルギーをもらっていたはずである。ところがいつしか、お金を得る喜びよりも、自分が認められている、自分の存在意義がある、と感じる瞬間の満足感の方が、お金を得る喜びを上回った。働くことそのものが楽しくなったのだ。
だから、もっとやりがいのある仕事を求めて、もっと自分の存在意義を感じられる仕事を求めて客室乗務員(CA)を辞めたのである。その後、民間の気象会社に勤めることになったわけだが、賃金はCA時代の半分。でも、楽しかった。自分の進む方向に光が見えたし、それに向かって歩いているという満足感があったから、お給料が下がってしまっても、充実感が得られたのだと思っている。
米国の心理学者アブラハム・H・マズローは、「個人の成長という観点から見た場合、企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である。私の知る幸福な人々は、いずれも自分が重要とみなす仕事を立派にやり遂げている人である」と説き、ユーサイキアン・マネジメント(働く人々が精神的に健康であり得るためのマネジメント)という造語を作った。
すなわち、職場は単なる労働の場にとどまらず、人間のさまざまな欲求を満たすために最適な場所であり、やりがいを感じられる労働・職場とは仕事の枠を超えたライフをも満足させる職場となる。
社会とつながっていると実感し、社会に自分が認められたような、ちょっとだけ成長できたような、何とも言えないあの快感。それはどんなにプライベートを充実させても、なかなか得ることができない満足感だ。
働きがいがないと、「お金のために働く」人が増える
当然ながら、高い報酬を得ることでも、その快感を得ることはできる。だが、お金がそこに存在しなくとも、それは時に自分の能力を発揮できた瞬間であり、誰かとつながった瞬間であり、社会から認められた瞬間であり──。
永遠に続くものではないけれど、その瞬間に出合うことができる最適の場が、仕事なのだ。 お金以外で感じる満足感には、心の豊かさがある。それを私たちは、「やりがい」とか、「働きがい」という言葉で表現し、働きがいがあると、お金は大切なことではあるけれど、最大最強のモチベーション要因ではなくなる。お金では買えないものに快感を得る自分、お金のためだけには働いていない自分──。そんな自分を実感できることは心地よくもある。
また、働きがいややりがいは、お金に関する欲求を弱める効果を持つことが、これまでいくつかの実証研究で確認されている。つまり、今の職場(あるいは仕事)に「働きがいがある」と答える人の場合、お金への関心が薄れる傾向が認められ、逆に、「働きがいがない」と答える人ほど、「働くのはお金のため」と答える傾向が強まるのである。
働きがいさえあれば、お金はすべて、ではなくなるのだ。
冒頭で新成人の9割近くが「仕事=お金を得るため」と答えたと記したが、実はこれは若い世代に限ったことではない。
昨年、一般の労働者を対象に行われたあるアンケート調査でも、「仕事はお金を稼ぐ手段に過ぎない」と答える割合は、一般社員では44.5%、課長職38.5%、部長職33.9%と、役職が上がるにつれて減少してはいるが、3割以上もの部長職が肯定的に答えているのだ。また、仕事に対するモチベーションについて聞くと、一般社員から部長職までは「給料」が最も多く、全体の半数前後を占めた。
つまり、今、ほとんどの労働者が「働きがい」を感じられない状況にあり、「お金のためだけに働いている」意識が高まっていると見ることができる。
すれ違い始めた企業と働く人の価値観
なぜ、働きがいを持てない人が増えてしまったのか?
そこには、企業と働く人の労働に対する価値観のずれが生じ始めていることが関係しているように思う。
かつての日本は、企業も、個人も、同じ「夢」と「希望」を持っていた。金儲けして、裕福になろうと思い、実際にそうなるためにみんな働いていた。悲惨な戦争経験から立ち上がって生きていくためには、希望を持たなきゃやっていられなかったし、みんな貧しかったから、働くことは希望に向かうための最高の手段だった。
企業は、同じ希望に向かって頑張る労働者を大切にした。豊かになりたいと一生懸命働いた分だけ褒めてくれた。同じ希望に向かうために働いてくれる労働者は会社にとって、「大切な宝物」。だから、何も心配しなくてもいいようにと、1年ごとに給料を上げ、年を取れば偉くなるような制度を設けた。
働く人にとっても同じ光に向かう会社は大切な存在。だから、会社がうまくいった時の喜びは、自分の喜びでもあった。価値観の共有がなされていると、会社=経営者は、いわば働く人の同志だったのである。
そして、夢がかなって日本は豊かになった。豊かな社会に住む人は、お金などの物的な価値ではなく、自分の存在価値を求めるようになる。ところが、会社は豊かになっても、利益を上げなくてはいけない。会社の「金儲け主義」と、存在欲求を求める働く人との間に価値観がずれが生じ始める。
さらにオートメーション化が進む一方で、バブル崩壊後には経済が低迷し、企業にとって働く人は、もはや「大切な人」ではなくなった。価値観が共有されていない職場、大切に扱われない職場で、やりがいや働きがいを感じることは難しい。昔のようにただ会社の求めるように働くだけでは、働きがいがなかなか得られなくなったのだ。
完全なる働き手と企業との価値観の不一致。逆説的に考えるならば、マズローが考えたような「企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である」という現実が消えてしまったのである。
もちろんそうでない会社はたくさんある。従業員を大切に扱う会社の労働者は働きがいを感じ、仕事への満足感も高い。そういった会社が必ずや賃金が高いかというと、そういうわけではない。
そして、私の知る限り、そういった会社のトップは容易に従業員を切ることがないし、トップと従業員が同じ光に向かい、希望を持って、価値観を共有して働いているケースが多いように思う。
「働きがいのある職場づくり」を主導するのはトップ
働きがいややりがいは、トップ、すなわち企業の「働かせ方」に多大な影響を受ける。かといって、すべてを経営者に委ねて成し遂げられるものでもない。そこで働く人々が「職場を変えたい」と願い、「変えよう」と一人ひとりが参加する取り組みが求められる。
そのためには、働く人たちにとって、働くうえで何が最も困難なのか、どんなことにやりづらさや働きにくさを感じているのか、どういう改善が必要とされているのかなど、それぞれが感じていることや意見を互いに出し合い、職場の声を集め、職場のストレッサーとストレスを働く人々の間で共有し、意思疎通を図ることが重要であると考えられている。
それでもやはり現実は、その意思疎通を図るためにも、トップの「働きがいのある職場をつくりたい」という意識なくして成し得ないのである。
ひょっとすると、今の世の中、「お金のためにだけに働いている」のは、トップの方なのかもしれない。 トップ自身が、働きがいを忘れているのかも、などと思ったりもする。
仕事は人生を満足なものにするための、最高の手段。だから仕事は大切でもある代わりに、その手段になり得ない場合には、単なるお金を得るための手段に成り下がる。
もし、働きがいをどうやったって持てない職場、従業員に働きがいを持たせることがない職場であるならば、「お金のためだけに働いても」ちっとも恥じることなどないのではないか。
あくまでも企業は「自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場」であって、満足のいく人生を送るための最適の場所になり得る“手段”でしかないのだ。
生きがいを仕事以外に求めることは恥ではない
最適の場に企業がなり得ない以上、お金のためだけに働き、それまで会社にあると信じていた「生きがい」を、仕事以外に求めた方がいい。いや、職場には必ずや「働きがい」があるという思い込みを捨てた方がいいのだ。
その代わりにボランティアに参加したり、生活はできないけれどやりがいのある第2の仕事を見つけたり、あるいは家族のためだけに生きることに光を見いだし、仕事をそれらのライフを充実させるための手段と割り切ればいい。
お金が人生のすべてになってしまっては、人生の真理も、自分の存在価値の真理も、見失うことになりかねない。だが、仕事は人生の大切な一部ではあるけれど、すべてではないと考え、仕事以外の部分に光を見いだすことさえできればいいのではないか。
実際に若い世代はそういう価値観を持ち始めている。40代以上の世代も新しい価値観で仕事というものをとらえ、仕事以外の部分を充実させることで、「お金がすべて」というような、さもしい感覚を払拭することは可能だろう。
仕事がお金のためになったとしても、人生がお金のためだけにならなきゃいいじゃないか。自分の人生を豊かにするために、自分の希望に向かうために、お金が必要ならば、お金のためだけに働いたって何ら恥じることはないし、誰に何と思われようとも、しがみつくだけしがみつけばいい。カッコ悪かろうか、何だろうが、満足のいく人生のための手段だと割り切ればいい。とことんしがみつけばいい。
とはいえ、やはり一度でも仕事で「お金以上の価値あるもの」を体験してしまうと、その快感が忘れられないのもまた事実。できることなら、仕事で、かつてのストレスとは無縁だったお父さんたちがイキイキと働いていたような経験ができると、日本ももう少し元気になるんじゃないか、などと思ってしまうわけで。先人たちの、「働くことの大切さ」「働きがいのある仕事は、人生を最高にする」といった言葉を、いまだに信じたいと願う自分がいる。
恐らくそんな私は、昔の価値観に引きずられているってことなのか、それとも欲張りなのか。仕事って悪くない。結構、楽しいよね。そんな風に言えたらいいなぁと、私自身はやはり願う。でも、なかなかそうならない現実がある以上、そう“思い込む”ことは、ストレスの雨を強めることになる。
だから、今は「しがみつくだけしがみつけ」と言うほかない。時には、逃げるが勝ちということだってあるのだから、と。それでも、多くの人が仕事に働きがいを感じられるような職場づくりを、トップに期待してしまうのであった。
[日経ビジネス]
Posted by nob : 2010年12月12日 17:26
その人自身の言動には囚われない。。。
本質は、、、
その人の体と在り様に顕われている。。。
人は受け容れてほしいことを受け容れてほしいようにだけ言動する。。。
本質は、、、
言動とは真逆のベクトルの先にある。。。
Posted by nob : 2010年12月11日 01:10
入り口を見誤れば、、、努力するほどに真に自らが望む場所から遠く離れる。。。
直感と想像力よりも
知識と経験を優先させると
すべてを見誤る。。。
Posted by nob : 2010年12月11日 01:00
そのとおりっ♪
■マツコ・デラックス 海老蔵に「気持ち悪い やんちゃならやんちゃ貫け」
女装コラムニストのマツコ・デラックス(38)が8日、イメージキャラクターを務めるゲームソフト「カラオケ JOYSOUND Wii SUPER DX ひとりでみんなで歌い放題!」の新商品発表会に登場。7日夜、傷害事件について会見を開いた歌舞伎俳優・市川海老蔵(33)について口を開いた。
集まった報道陣に開口一番「海老蔵でしょ?」と空気を読んだマツコ。7日の会見については「気持ち悪くて見てないの。最初、丁重に入ったじゃない?あれで、ワァってなっちゃった。ああいう人にはやんちゃならやんちゃを貫いてほしい」と率直な感想を口にした。
[SPONICHI ANNEX]
Posted by nob : 2010年12月10日 03:13
似て非なるもの Vol.25
本当のことと正しいこと
Posted by nob : 2010年12月10日 03:00
生涯プロローグ、、、
そうしようとは思わないまでも、、、
それでも構わないと思う、、、
そう思えてしまうと心が解放される。。。
Posted by nob : 2010年12月10日 02:55
同じところを回り続ける、、、懲りない面々。。。
■小沢氏、新党結成に言及「次のことも考えないと」 舛添氏らとの会合で
民主党の小沢一郎元代表が8日夜の鳩山由紀夫前首相らとの会合で「次のことも考えないといけない」と新党結成を視野に入れた発言をしたことが9日、分かった。党執行部が「政治とカネ」の問題をめぐり小沢氏の国会招致実現に動き出す中、小沢氏としては局面打開のために現在の民主党にとどまらないことも選択肢に入れたようだ。一方、党執行部は、小沢氏が国会招致に応じない場合、離党勧告を突きつけることを検討し始めた。
会合には無所属の鳩山邦夫元総務相と新党改革の舛添要一代表も参加した。小沢、由紀夫両氏は菅直人首相について「おれたちを切って、政権を浮揚させようとしている」と批判した。
そのうえで、小沢氏は「民主党への愛着はある。自民党に政治を戻してはいけないし、民主党が今の形で政権を維持させなければいけないと思う。しかし、それがどうしようもなければ次のことも考えないといけない」と発言した。
民主党内は、小沢氏を支持するグループから両院議員総会の開催や、参院で問責決議を受けた仙谷由人官房長官の更迭を求める動きが顕在化し、執行部との対立が激しさを増している。小沢氏としては「脱小沢」路線を取る現執行部が居座り続けることも想定し、民主党分裂の覚悟を示したとみられる。
これに対し、小沢氏と距離を置く議員からは「小沢氏を離党勧告するしかない」(中堅)という強硬論が上がっている。
[産経新聞]
Posted by nob : 2010年12月10日 02:50
オンオフの区別なし
好きなことを
好きなように
好きなだけしているから
仕事を遊び
遊びが仕事になる
年中無休
Posted by nob : 2010年12月10日 01:05
はや30年。。。
■ジョン・レノン、没後30周年
30年前の12月8日に銃殺されたジョン・レノンを偲ぶために、追悼イベントがファンにより計画された。
1980年にニューヨークの自宅前で熱狂的ファンに暗殺されたザ・ビートルズのジョンを追悼するため、ファン達はニューヨーク近郊のストロベリー・フィールズと、彼の故郷であるイギリスのリバプールに集合した。
ジョンの息子ジュリアンとショーン、そして妻のオノ・ヨーコら家族とファンは、10月に行なわれたジョンの生誕70周年を記念したイベントでジョンを哀悼し、アイスランドとニューヨークではショーを披露したほか、リバプールには記念碑が建てられた。
ジョンとヨーコとの間の息子ショーンは、父ジョンが、ポップ音楽だけでなく、平和を訴える反戦運動の一環でヨーコと共に2回実行した1週間ベッドにこもるという『ベッド・イン』など、平和と自己表現というキャンペーンで、幅広い人々に影響を及ぼしたことをNME誌に語っている。
「父さんは、理解してもらうためには、危険を冒すことも全然厭わなかった。ただ自分が伝えたいことを表現しただけなんだ」「父さんが『平和を我等に』とか『ベッド・イン』をやった時は嘲笑もされたし、冗談みたいに見えたはずさ。でもその影響はすごいものだった。だってポップスターがその人生の全てを投げ出していたんだからね。人々はそれに対して父さんを尊敬した。父さんのような人は他にいないよ」
[リアルライブ]
Posted by nob : 2010年12月09日 23:55
似て非なるもの Vol.24
幸運と幸福
Posted by nob : 2010年12月09日 13:27
似て非なるもの Vol.23
敬愛していることと好きだということ。。。
Posted by nob : 2010年12月05日 22:39