« 2016年12月 | Home | 2017年02月 »

90度は開くけれど、、、それにしてももう少し柔らかくなりたい。。。

■プロが断言! 「180度開脚は必要ありません」
90度くらいで柔軟性は十分

話題の「180度開脚」にはリスクがある? 日本を代表するトップアスリートの指導も行うパーソナルトレーナーの第一人者、中野ジェームズ修一氏が解説します。

 健康診断で思わしくない結果が出てしまったときや、お腹についた脂肪が気になり始めたとき。ウォーキングやランニングとともに、チャレンジしようとする人が多いのが「ストレッチ」だと思います。脂肪を燃焼させることを考えると、ストレッチではなく筋力トレーニングと有酸素運動を行ってほしいのですが、“今まで運動をしていなかった人がストレッチを始める”というのはすばらしいことです。ストレッチをすることで、ウォーキングや筋トレへの意欲が出てくることもあるでしょうから、ぜひチャレンジしてほしいと思います。

 ストレッチをして体の柔軟性を高めようとするとき、よく聞く目標の1つが「180度開脚ができるようになりたい」というもの。バレエダンサー、フィギュアスケーター、体操選手などの肉体美と華麗な動きに憧れて、ということなのかもしれませんが、特殊な競技スポーツやダンスなどをする方以外にはお薦めできる目標ではありません。

 まず知っていただきたいのは、関節には可動域というものがあること。関節ごとにどの方向にどれだけ動かせるかというのは決まっていて、それ以上は人体の構造的に制限がかかります。実際に手首の関節や肘関節を動かして観察してみてください。当たり前ですが、手の甲が腕につくまで反らせることはできませんし、肘が360度ぐるりと回転することもありません。言うまでもなく、それは悪いことではありません。骨と骨がぶつからないように、骨と骨をつないでいる靭帯が伸びて切れてしまわないように、構造的に動かせないようになっているのです。

 股関節に話を戻しましょう。股関節の可動域を考えると、横方向に開脚した場合、股の間の角度は90度ほどあれば柔軟性は十分。90度と書きましたが、これもあくまで基準の一つ。当然個人差はありますし、大腿骨頸部や大腿骨骨頭を骨折したことのある方は可動域が狭くなっていることが多く、無理に開こうとする必要はありません。

なぜバレエダンサーは自在に開脚ができるのか?

 それでも「実際に180度開脚をしている人がいるし、気持ちが良さそうだ」と思う方もいるでしょう。しかし、可動域を超えて無理に関節を動かそうとすると、クッションの役割を果たしている軟骨や、骨と骨をつないでいる靭帯を傷つけてしまいます。典型的な例が「捻挫」です。捻挫とは外部からの圧力によって関節可動域を超えて関節が動いてしまったことで、靭帯を損傷したということです。

 では構造上制限があるはずなのに、どうしてバレエダンサーや体操の選手は自在に開脚ができるのでしょうか。

 成人の骨は骨と軟骨がはっきりと分かれており、骨の中には血管が通っているのですが、軟骨部分には通っていません。よって、骨折しても骨は修復されますが、軟骨部分が一度すり減ってしまうと修復は困難です。一方、成長期にある子供たちの骨は全体的にまだ軟らかく、骨と軟骨の境界があいまいです。この段階で過度な負荷を徐々に与えると構造自体が少々変形し、本来の可動域よりも関節を動かせる範囲が広がるのです。まさに“鉄は熱いうちに打て”といったところでしょうか。

 180度開脚によって直接的に「脚のむくみがとれる」「脚が細くて美しくなる」「歩くのがラクになる」といったメリットがあるのであれば目指す価値がありますが、現在そのようなことは科学的に証明されていません。軟骨や靭帯を損傷するリスクがあるのに、メリットがないことをやろうと思う人はいませんよね。

軟らかすぎると老後に関節が不安定になる?

 過剰な柔軟性によって、老後に関節が不安定になるリスクもあります。

 靭帯が骨と骨をつないでいるという話を先ほどしましたが、筋肉はそれらを覆うサポーターのような役割をしています。筋肉は筋線維という線維状の細胞の集合体で、これを筋膜が覆っています。筋線維は無数の筋原線維で構成され、筋原線維はサルコメア(筋節)からできています。ストレッチを定期的かつ継続的に行うとサルコメアの数が増えると考えられていて、増加したぶんだけ筋原線維が長くなり、柔軟性が高まるのです。サポーターが少し弛むぶん、可動域が広がるというイメージですね。

 筋肉量が多くてサポーターが厚いうちはいいのですが、老化とともに筋肉量が減ってサポーターが薄くなると、関節が不安定になってしまいます。それが股関節であれば、脚に力が入れにくく、歩きづらくなってしまうでしょう。

 特殊なスポーツをしている人以外には180度開脚は必要ありませんが、適度な柔軟性は必要です。体全体をバランス良くストレッチしていただきたいですが、特に念入りに行ってほしい部位を挙げるとするなら「腸腰筋」です。

 腸腰筋とは骨盤と大腿骨、腰椎を結ぶ筋肉群で、歩くときなどに脚を持ち上げる動作で働く場所です。加齢とともに硬くなりやすいとされていて、腸腰筋が硬くなると骨盤が前傾して前かがみになり、いわゆる“老化姿勢”になってしまいます。

 どの部位が硬いのか、硬くなりやすいのかというのは、個人差があります。お勧めしたいのは、一度専門家にストレッチをしてもらうこと。スポーツジムでパーソナルトレーナーに見てもらうのもいいでしょうし、近年増えているストレッチサロンでもいいでしょう。自分のどの部位が硬く、どこが柔らかいのかが分かれば、より効率的に柔軟な体になれるはずです。

 ストレッチ関連の書籍を購入する場合は、1カ所の部位に対していくつかのポーズが載っているものがおすすめです。同じ筋肉をストレッチする場合でも、体格などによって“伸びる”と感じるポーズが違うからです。

(構成/神津文人)

[日経トレンディネット]

Posted by nob : 2017年01月31日 13:55

今ここにあるかけがえのない幸せ、、、今元気でここにいるということ。。。

■『嫌われる勇気』の著者が、母の死を機に辿り着いた「ある答え」
日々の何気ない幸福を感じるために
岸見 一郎

「あらゆる悩みは対人関係の悩みだ」

そう語ったのは『嫌われる勇気』で一躍有名になった心理学者、アルフレッド・アドラーだ。哲学が扱う「幸福とは何か」「人生とは何か」というテーマを日常の延長線で優しく語りかける。

「人は幸福に『なる』のではなく、すでに幸福で『ある』」

アドラーが教える「幸福」のありかたを学べば、自分の「生き方」が変わってくるだろう。100万部を突破しドラマ化もされた『嫌われる勇気』の著者・岸見一郎氏の最新刊『幸福の哲学』から冒頭を特別公開する。

父への反発・母の死

いつのことだったか覚えていないのだが、ある年の十二月、後数日で正月を迎えようとしていたその日、父と家の前で焚き火をしたことがあった。

「今年は暖かいなあ」

「本当に」

こんな言葉を少し交わしたことしか今では思い出せないのだが、父がこんなに暖かくては、もうすぐ正月がくるとは思えないといったことに私も強く同意したことだけは覚えている。今になって振り返ると、父と過ごしたこんな何気ないひとときが貴く思える。

「何のために生きるのか」というような話になった時、成功するためなどと勇ましい話をする人がいる。だが、私にはそんな大それたことはどうでもよく、幼い頃、父と一緒にいて幸福を感じたような瞬間さえあればよいと思う。

しかし、父とこんなふうに初めから関係がよかったわけではなかった。小学生の頃、父から殴られたことがあった。そのことを私はずっと引きずっていて、いつまでも父に心を開くことができなかった。

他方、母との関係はよかった。私が哲学を学ぶと言い出した時には父が猛反対した。おそらくは父は哲学が何であるかは知らなかったが、哲学では食べていけないことは誰かから聞かされていたのだろう。

また、父の年代であれば、「人生不可解なり」という意味の言葉を残して自ら命を絶った旧制一高の学生、藤村操のことなども頭にあったのではないだろうかと思う。

その時、間に入って私を守ってくれたのが母だった。母もまた哲学がどんなものか知っていたとは思われないが、私がすることはすべて正しいのだから見守ろうと父を説得してくれたことを後に知った。

その母が四十九歳で脳梗塞で亡くなった。当時私はまだ学生だったが、やがては結婚して、親と一緒の幸福な人生を送れるものと思っていたので、それまで漠然とではあったが思い描いていた人生設計が崩れ去った気がした。

それと同時に、母のように死を前にしてベッドで動けなくなれば、たとえお金があったとしても、高い社会的地位についていたとしても、まったく意味がないことに思い至らないわけにはいかなかった。

くる日もくる日も母の病床で、ベッドの上で身動きが取れず意識もない母を見て、私はこのような状態にあってもなお生きる意味はあるのか、幸福とは何かを考え続けた。

母が突然の病に倒れた時、私は哲学を専攻する大学院生だった。当時、毎週哲学の先生の自宅で行われていた読書会に参加していたのだが、母の看病のために出られなくなった。先生にしばらく読書会に行けないことを伝えるために電話をしたら、先生は私に「こんな時に役に立つのが哲学だ」とおっしゃった。

およそ哲学は役に立たないと世間ではいわれることが多い中、「役に立つ」という言葉は思いがけないもので、私に強い印象を残した。

この先生の言葉を聞いて私が思い出したのは、次のベルクソンの言葉だった。

「私たちは、いったいどこから来たのか。この世で何をするのか。私たちは、いったいどこへ行くのか。哲学がもし、本当にこれらの非常に重大な問題に対して何も答えられないとすれば、〔中略〕哲学というものは一時間の労苦にも値しないものだと言っても、まあさしつかえないことになります」(『心と身体』)

私は母の病床でプラトンのいう魂の不死についての、そしてベルクソンの脳について論じた失語症についての著作を読みふけった。たしかに私の先生がいうように、哲学は「役に立った」。

私は小学生の時に、祖父、祖母、弟が一年内外で次々と病気で死ぬという経験をして以来、その答えを哲学に求めてきたが、そのことが間違ってはいなかったことを実感したのだ。

三ヵ月の間、母の病床で過ごし、母の遺体と共に家に戻った時、私は目の前に敷かれていると思っていた人生のレールから、自分が大きな音を立ててすでに脱線していたことを知った。

アドラーとギリシア哲学

母の死後、父との関係は緊迫したものになった。間に入る緩衝役だった母がいなくなり、直接父とぶつかることになったからだ。しかし、父との関係も、私の人生におけるもう一つの邂逅によって変わることになった。

母の死後、私はすぐに結婚し、五年後、子どもが生まれた。思うようにいかない子育ての最中に知ったのが、オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーが創始した個人心理学だった。

アドラーは、心の分析に終始したり現実を事後的に解釈したりするだけの心理学者ではなく、人生の意味、幸福について真正面から論じている。その思想は、二十世紀初頭に突如としてウィーンに現れたのではなく、私が専門としているギリシア哲学と同一線上にある、れっきとした哲学である。

やがて見るように、アドラーは原因論ではなく目的論に依っている。プラトンも生きることの目的として幸福を据え、幸福の可能性を、魂のあり方に結びつけて目的論的に論じている。

そしてプラトンは、知が魂を導くことによって幸福になることができるので、何が善なのかを知ることが、幸福になるためには必須であると考えた。しかし、では、実際に何を知ることが幸福を結果するのかということになるとプラトンの論には具体性が欠けている、そう私には思われた。

それで、アドラーがこの知の内実を対人関係に求め、目的論を教育や臨床の場面で実践的に応用している点に興味を覚えたのだった。アドラーと邂逅することで、それまで私が人生について持っていた問題意識を全うできそうだという強い予感を持てたのだ。

私が初めてアドラー哲学についての講義を聞いた時、講師のオスカー・クリステンセンはこんなことをいった。

「今日、私の話を聞いた人は、今この瞬間から幸福になれる。しかし、そうでない人は、いつまでも幸福になれない」

私は驚き、同時に強く反発しないわけにいかなかった。母が若くして亡くなり、父との葛藤もあり、その上、子どもとの関わりが大きな負担になっていたからだ。だがその一方では、そのような状況で、もし私が幸福になれたなら、クリステンセンが語った言葉は決して誇張ではないことがわかるだろう、とも思った。

哲学者の肖像画や写真を見ると、率直にいってあまり幸福そうには見えない。誰もが気難しい表情をしていて、笑顔の哲学者をすぐには思い出すことはできない。それなら、私自身がまず幸福になろうと決心した。

しかし、そんな決心をしてみたところで、ただ手を拱いてじっとすわっていても、やはり何も起こらない。どうすれば幸福になれるのかを考えた時、父との関係をまず何とかしたいと思った。アドラーの思想に触れた私は、対人関係が幸福の重要な鍵であることを学んだのだ。

幸福が潜む瞬間

対人関係の中に入ると摩擦を避けることはできない。嫌われたり、憎まれたり、傷つけられたりする。だから、そんな目に遭うくらいなら、いっそ最初から誰とも関わろうとは思わないという人がいても不思議ではない。

しかし、他方、人間は、対人関係の中でしか生きる喜びも幸福も感じることはできない。ましてや他人ならいざ知らず、父との関係がよくないからといって実の父を避けることはできない。それなら、父との関係を避けるのではなく、むしろ、あえてその中に入っていこうと思った。

もとより一朝一夕で父との関係が改善したわけではない。だが、前のように同じ空間に居合わせるだけでも空気が緊迫するような関係ではなくなった。そして、ある年末、最初に書いたような父との穏やかな日を迎えたのである。

しかし、その後も私が心筋梗塞で倒れたり、さらには父がアルツハイマー型の認知症であることがわかり、私が介護をすることになるなど苦難は続いた。

だがこの頃には、すでに私は、人は何かの出来事を経験するから不幸になるのでも幸福になるのでもないことを学んでいた。プラトン、アドラーは目的論を採ることで、何かを経験することが不幸の、そして幸福の原因になるのではないと考える。人は幸福に〈なる〉のではなく、もともと幸福で〈ある〉のだ。

母は病気になって、しかも回復しなかったから不幸なのではなかった。私の場合も、寛解したけれども、寛解したから幸福なのでもない。父も長く認知症を患ったが、そのことで不幸になったのではない。たとえ闘病が、本人にとっても家族にとっても苦難であることは間違いないとしても。

そもそも、病気に限らず、生きること自体が苦しみなのである。だから、今は苦しいがやがて楽になる時がくるとは考えなければよいのである。苦しいけれど、その苦しみをただ苦しいとだけは見ないで、苦しみこそ幸福の糧であると思える生き方はできるのだから。

どんなに苦難に満ちた日々でも、ともすれば見逃してしまうかもしれない瞬間にこそ、本当の幸福は潜んでいる。ささやかな幸福以外に幸福はない。たとえその人が、どんな状況にあっても。

母が病床で私に教えてくれたのはまさにこのことである。病気で倒れる前、私は母にドイツ語を教えたことがあった。ある時、母が、その時に使っていたテキストを病院に持ってきてほしいといった。母に再びドイツ語を教えていた時、母の病気にもかかわらず、私は幸福だった。そして、おそらくは母も。

生きているだけでありがたい

私が心筋梗塞で倒れた時にも、母が病床で過ごした日々のことを思い出さないわけにはいかなかった。母はやがて意識を失ったが、私は、母が生きているだけでありがたいと思った。

母と同じく病床で動けなくなった私が、自分自身についても、生きていることが他者にとっての喜びであると思えるようになるまでにはたしかに時間がかかったが、それでも、たとえ何もできないとしても、自分は他者に貢献できるのだということを知った。

入院中、最初の頃は、夜眠ると再び目を覚ますことはないのではないかと思って怖かった。だが、何もできなくてもそのままの自分を受け入れることができるようになると、安心して眠れるようになった。

そして、一度は死にかけたことも、またいつかは死ぬことも忘れて、今日という日を今日という日のために生きることができるようになった。

このように思えればこそ、日々の何気ない瞬間に幸福を感じられ、何かの実現を待たなくても、今ここで幸福であることに気づくことができる。そしてこのような幸福は、何が起こっても失われることはない。

生きることの目的は、父と焚き火をしていた時の、また母とドイツ語を学んでいた時のような、ささやかな幸福を感じた瞬間と矛盾するものであってはならない。

だが、このような幸福とは違う幸福があると思う人がいる。日常のささやかな幸福など一顧だにせず、成功することこそが幸福だと思う。私は成功について考える時、よく次の逸話を思い出す。

ディオゲネスの答え

マケドニアのアレクサンドロス大王が、ソクラテスの流れを汲むギリシアの哲学者であるディオゲネスの元に赴いた時のこと。ディオゲネスは生活上の必要を最小限にまで切り詰め、自足した生活を送っていた。

アレクサンドロスは、マケドニア王に即位した後、ペルシア征伐の全権将軍に選ばれたが、多くの政治家や哲学者が彼のところに祝いにやってきたのに、ディオゲネスだけは、アレクサンドロスをまったく問題にせず閑暇を悠々と過ごしていたので、自らコリントス(ギリシアの都市)にいたディオゲネスの元へ足を運んだのだった。

ちょうどディオゲネスは日向ぼっこをしていた。そこに多くの人がやってきたので、彼はちょっと身を起こしてアレクサンドロスをじっと見た。アレクサンドロスは彼に挨拶をして「何かほしいものはないか」とたずねた。するとディオゲネスは、「その日の当たるところから少しばかりどいてくれないか」といった。

日光浴をしていたら、物々しく武装した兵士たちが突然踏み込んできて、のみならず七十歳にもなろうとするディオゲネスに、二十歳そこそこの若いアレクサンドロスが、「何かほしいものはないか」というというのは、ずいぶん無礼な話である。

とはいえアレクサンドロスは、ディオゲネスの誇りと偉大さに感服し、「もしも私がアレクサンドロスでなかったら、ディオゲネスでありたかったのだが」、そう語ったと伝えられている。

片や大帝国の王、片や何も持たない哲学者。アレクサンドロスは何も持たず権威をものともしないディオゲネスの人となりに心底驚嘆し、自分もディオゲネスのようになりたいと望んだのではないだろうか。もしかしたらディオゲネスも、今ここでディオゲネスになれるとアレクサンドロスにいいたかったのかもしれない。

しかし、アレクサンドロスはアジアへの遠征に出かけなければならなかった。結局、二度とギリシアの地を踏むことなく、アレクサンドロスは三十四歳の若さで急逝した。

アレクサンドロスは、今ここで幸福であることができたはずだった。おそらくディオゲネスの前に立った時、アレクサンドロスにもそのことはわかったのだろう。それなのに、それとはまったく別の幸福があると彼は信じた。

アレクサンドロスにとって、それは敵と戦い、敵を征服するという成功だった。成功などしなくても、すでに幸福なのに、である。

本書では、私はもっぱらプラトン哲学とアドラーの思想を踏まえ、私自身の見解を加えて幸福について論じてゆきたいと思う。プラトンは目的論に立ち、自由意志を認め、人間の責任の所在を明確にしている。

アドラーも基本的に同じ考えだが、プラトンが十分に論じていない対人関係を問題にしている。幸福が対人関係を離れては考えられないとすれば、アドラーの思想は幸福の問題をより実践的に考える時に有用である。

私はたった一度でも、相談にきた人の人生が変わらないようなカウンセリングをしてはいけないと考えている。本書を読めば、幸福はどこか遠くに探しに行かなくても、初めからここにあったことがわかるだろう。

[現代ビジネス]

Posted by nob : 2017年01月31日 13:46

また旅立つ君へVol.124/言い得て妙。。。Vol.29

Q.夢はもっていたほうがいいと思いますか?

「急に持たないほうがいいね。何かやってて夢が見えてくるわけじゃん?見えてくるまでは見ないってことだよ?」


Q.反省はしますか?

「反省っていうのは結果が出て、反省じゃん。結果が出てないから反省に及ばないんだよね」


Q.運命とは?

「答えが見当たらなかった時に使う言葉だね。本当は一生懸命考えれば分かるのに、一生懸命考えるのを止めた時に『運命』って言っちゃうね」


Q.今の日本どうですか?

「おもてなしとか言って、みんな…でも、おもてなしの前に“かたづけもの”をいっぱいしないと駄目じゃん?片付いてもないのにおもてなしもなにもないよね」


[サッポロ生ビール黒ラベルCM/所ジョージ談]

Posted by nob : 2017年01月31日 09:28

最近なかなか行けませんが。。。

■サウナで認知症リスク低下、本場フィンランドの報告

 お父さんたちの疲労回復に、若い女性の美肌・痩身にと根強い人気がある「サウナ」。さらに昨年末、サウナの本場フィンランドから「認知症予防に良い」という報告があった。

 研究者らは、フィンランド在住の中年男性(42~60歳)2315人を対象に、サウナを利用する頻度とアルツハイマー型認知症(以下AD)および、その他の認知症リスクとの関係を検討。サウナの利用頻度は(1)週に1回、(2)週に2~3回、(3)週に4~7回の3群で比較している。参加者の登録時期は1984~89年。平均20.7カ月間追跡が行われ、この間に327人が認知症を発症、このうち123人がADと診断された。

 2型糖尿病の病歴や高血圧、飲酒・喫煙歴などの影響因子を排除して、認知症発症リスクとサウナ習慣との関係を調べた結果、(1)週に1回の群の認知症発症リスクと比べて、(3)週に4~7回の群の発症リスクは66%低下、ADに限っても65%の低下率を示した。また、(2)週に2~3回の群でも(1)と比較して、認知症発症リスクは22%、AD発症リスクは20%それぞれ低下している。

 今回の研究は、フィンランドの「Kuopio(クオピオ)」地域に住む男性の生活習慣と虚血性心疾患──心筋梗塞や狭心症との関係を調べた研究のいわば「スピンオフ」調査。

 本調査では、サウナの利用が増えるほど心疾患が原因の突然死が減り、心血管疾患の発症リスクが低下することが示されている。

 研究者は「サウナの頻繁な利用は心臓と脳機能を保護する可能性があり、サウナに入っているときのリラックスした感じが良いのかも」としている。

 ADの発症予防と治療法の開発は全世界の課題だが、ADの新薬が承認されたのは14年前の2003年が最後。それ以降の開発成功率は0.5%にも満たない。しかも現在、使えるAD治療薬はすべて「症状を抑える」のみ。日々の発症予防が何よりも重要なのだ。

 普段の生活で実践できる予防法は禁煙と食生活の改善とウオーキングなどの運動。これにサウナの適度な活用を加えてもいい。

(取材・構成/医学ライター・井手ゆきえ)

[DIAMOND男の健康]

Posted by nob : 2017年01月31日 09:15

物事の実を知ることがすべてのはじまり。。。

■多くの人が知らない「諦める」の本当の意味 悩み、苦しみを減らす「仏教の智恵」

数多くのベストセラーで知られ、老若男女問わず読者の多い名取芳彦和尚。名取氏は、東京都江戸川区にある元結不動 密蔵院の住職であり、写仏・読経の会や法話を主宰する傍ら、聲明ライブ、講演なども精力的にこなし、地域に密着したユニークな和尚さんとして知られる。

近著『あきらめる練習』もある芳彦和尚に、怒り、妬み、悲しみ、こだわり、後悔などの感情に苛まれる現代人が心の重荷を軽くするために、積極的に「諦める」ことの意義を語ってもらった。

諦めるという言葉は、本来悪い意味ではない

日本語で”諦める”は放棄、断念、ギブアップなど、マイナスイメージで使われることが多いと思いますが、漢和辞典で「諦」を調べると悪い意味はひとつもありません。

〔つまびらかにする。いろいろ観察をまとめて、真相をはっきりさせる。まこと〕

さらに仏教語ではsatya(サティア)の訳語として、真実、真理、悟りを意味する素晴らしい言葉です。

諦の意味は日本語では「明らか・明らかにする」に近いのです。実際に日本語の「諦める」と「明らか」は言葉として同源。物事の真実の姿やありさまを明らかにすることで、やっと諦められるというニュアンスを、もともと含んでいました。

ところが、日本語ではいつの間にか「明らかにする」という大切な土台がゴッソリ抜け落ちて、望んでいることを途中でやめるという意味ばかりで使われるようになってしまいました。もったいないと思います。

仏教では「諦」と「明」の合体した「あきらめ」こそ、いつでも、どんなことが起こっても、心が苦しまず、おだやかでいられる境地(悟り)に至るために大切だとします。

私たちが「苦しい」「つらい」「嫌だ」「つまらない」など、マイナスの感情を抱くのは、ことごとく自分の都合通りにならない時です。こうした状況を仏教で「苦」と言います 。

では、どうすれば自分の都合を“諦め”られるのか。

先述のとおり、仏教では、自分の都合について“明らか”にする必要があると考えます(諦めたいというのも都合のひとつですが、哲学的迷路に入るのを避けるためにここでは触れません。興味がある方は仏教の唯識〈ゆいしき)をひもといてみてください)。

たとえば、会社勤めをしていて、日々暮らすだけのお金はあるけど「もっとお金が欲しい 」という都合(欲)があって、常日ごろからイライラしているとします。

お金がないのでお金が欲しい、もっとお金が欲しいと日々考えていれば、誰だってなかなか心が落ち着かないでしょう。もし心穏やかに生きたいと望むなら、とことん自分の都合を明らかにしないとお金への過度な欲は諦められません。

具体的には、まず、自分はお金があったら何をしようとしているのだろうと考えるのです。家を買う、車を買う、旅行に行く、美味しいものを食べる……。これらはすべて自分が幸せになりたいという夢であり、都合であり、欲です。つまり、自分が幸せになるための手段としてお金が欲しいのです。

ここで明らかになるのは、“お金は手段であって目的ではない”ということ。これがわかれば、手段でしかない目先のお金の周囲を右往左往している自分の姿がありありと浮かびあがります。

古歌に“わけのぼる 麓の道は 異なれど 同じ高嶺の 月を見るかな”というものがあります。高嶺の月を見るための登山道はたくさんあるということです。幸せになるにも、きっとさまざまな道があるでしょう。

もちろん、生活をするのに必要なお金というのはもちろんあるでしょう。お金を全否定するわけではありません。でも、それが自分の幸せとどう関係があるのかを考えてみれば、少しは心に平穏が訪れるのではないでしょうか。

手段が目的になっていないかチェックする

目先のことばかりに目が向いてしまい、手段が目的になってしまうことはよくあります。

小学校のPTAをやっていた時、学校の周年行事用の資金調達のためにバザーをやりました。模擬店を出店してもらう地元の町会や子供会とどう交渉するのか、雨で校庭が使えない時のオペレーションはどうするか、テント設営はどうするのかなど、ボランティアの素人集団が行う一大イベントですから、てんやわんやの大騒ぎです。その時、PTA会長が言いました。

「バザーをやることが目的なのではありません。バザーはあくまで手段です。目的は周年行事の資金調達、子どもの健全育成、地域との協力、PTAの親睦であることを忘れないでください」

バザーの真相を明らかにしてくれた言葉でした。本来の目的を踏まえて行えば、バザーはそのまま、目的に向かうまっすぐな道になります。

小学校からやってきたテストも、目先の良い点数を取るのが目的ではありません。テストの目的は「わからない所をはっきりさせる」ことです。80点取ることが目的ではなく、間違った20点について勉強し直すことが目的なのです。ここをはき違えると、誰かさんのように良い点数を取った時だけ親に見せるずるい子どもができあがるという寸法です。

状況を明らかにする勇気

人間関係が面倒だと思う人も多いでしょう。そんな人は、自分がどんな人間関係を望んでいるのかをまず明らかにしてみましょう。

たとえばもっとさっぱりした人間関係を望んでいるが、それができないとします。その場合、なぜつらいのかを分析し、明らかにします。

本音と建前が違う人が周囲に多くいる、他人に依存したい人が多くべたべたした関係になってしまうなど、いくつか思いあたる原因があるでしょう。

そこから、ではなぜそうなるのかを考えてみるのです。「人は思っていることをそのまま言えば大変なことになるから、思っていることと言うことが違うのは仕方がない」「弱ければ他人に頼ろうとするのは当たり前だ」などと明らかになるでしょう。そうすれば、人間関係が面倒なのは仕方がない、人間関係がごちゃごちゃするのは当たり前だと、少しは諦められるのではないでしょうか。

そこにどーんと腰掛けて、人間関係を楽しめるようになります。これが「明らか」にして「諦める」ということです。

“損得”という言葉を日常の中で使ってしまう人も、苦が多くなるでしょう。なぜなら、損得で動く人は、得をするためには人も裏切ることがあります。そんな人を信用する人がいないのは当たり前です。損得は経済の用語であって、人生に当てはめても仕方がないのです。

このように、物事が明らかになった時のキーワードが「仕方がない」や「当たり前」という言葉だと思うのです。私は「あきらめる」ための魔法の言葉だと思っています。

中途半端な諦めではなく、物事の真相を明らかにした上で諦めたことは、堅固な屋台骨として人生を支え、心おだやかなに人生を歩く上で堅牢な杖になります。

同じ諦めるなら、ただ諦めるのではなく、状況を明らかにする勇気を持ちたいものです。

[東洋経済オンライン]

Posted by nob : 2017年01月23日 16:36

病状は千差万別、、、自分自身を主治医とする医療専門家や家族・友人など、周囲との信頼関係で結び付く共闘チームを如何に築き上げるかということ。。。

■故・川島なお美さんの「選択」に惜しむこと
医師への「反発」でも「従属」でもない関係とは

加藤眞三
慶應義塾大学看護医療学部教授

川島なお美さんが2015年9月24日に胆管がんのために亡くなって、もう1年以上が経ちます。同年12月には、ご主人でパティシエの鎧塚俊彦さんとの共著として『カーテンコール』が出版されました。その本の中には、川島さんがご自分の病気に対して正面から真剣に向かい合ってきた様子が詳細に書かれています。

「納得のいく」療養生活を続けたことには意味がある

川島さんが亡くなられた後に、マスコミは川島さんのがんの闘病生活に関して、あれこれと報じていました。がんの手術後に抗がん剤治療を受けなかったこと、発酵玄米や豆乳ヨーグルトを中心とする食事療法をしたり、ビタミンCの濃縮点滴治療・電磁波などを使った民間療法を受けていたことなどが、主な批判の内容です。

私はこれらの民間療法に効果があると思っていません。それでも川島さんが療養生活について自分で一生懸命に調べ、納得しながら続けてこられたことを高く評価します。亡くなられる直前の9月7日、シャンパンの発表会でご夫婦がそろってにこやかにテレビカメラの前に出ることができたのは、このような療養生活を送っていたからこそではないかと考えます。

悔やむべき点があるとすれば、最初にMRI検査で1.7センチの腫瘍が見つかったときに早く手術を受けていれば、ということです。その決断をしていれば、もしかしたら現在も再発することなくお元気に舞台生活を送ることができていたのではないでしょうか。

では、なぜ手術に踏み切れなかったのか。闘病記の中には、医師から100%がんであるとの言質を得られなかったから、がんであることを信じたくないから、女優として・楽器としての体に傷をつけたくないから、舞台の仕事を中止できなかったから……など、いくつもの理由が挙げられていました。

一方、同じく俳優の渡辺謙さんは、2016年のニューヨーク・ブロードウェーでのミュージカル「王様と私」が3月1日に開幕するという直前の2月上旬に人間ドックで胃がんが発見され、2月8日に内視鏡手術を受けました。ブロードウェーの開幕を延期してでも直前に手術を受けるということは、大変な決断であっただろうと想像できます。

渡辺さんの場合、それ以前にも白血病を患った経験があり、夫人の南果歩さんも乳がんの経験があります。こうした経験の中で「患者力」を身につけていたことが、勇気ある決断につながったのかもしれません。医師と十分に対話し、自分の中での優先順位をつけることは、「患者の力」としての大きな要素です。

川島なお美さんも、腫瘍が見つかった段階で生検(直接体内のがんの一部を取って調べる検査)を受け、がんであることを確信できていれば、舞台を中止してでも手術にもっと早く踏み切れたのではないでしょうか。そして、そのための対話を医師との間で最初からうまくできていたならば、川島さんの決断も違ったものになったかもしれません。科学的思考を持つ医師が、画像だけを見て100%がんであると断言することはまずない、ということを知るだけでも、川島さんの対応は違っていたかもしれません。

医師に言われたことに従うだけ、あるいは反発するだけではなく、患者が医師とうまく対話をできる協働作業の関係を創りあげていくことが、これからの医療に望まれます。

これからの医療に必要な「コンコーダンス」って何?

「コンコーダンスの医療」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。医療者の間にもまだ十分に浸透していない用語ではありますが、私はこれが、これからの時代に必要な新しい医療のキーワードだと考えています。患者と医療者の関係性を表す医療用語のトレンドは、「コンプライアンス」から「アドヒアランス」、そしてこの「コンコーダンス」へと移り変わってきました。そういっても、多くの方には何が何やらわからないでしょう。そこで、これらの用語の普及に関して、歴史的な変遷をたどってみましょう。

患者と医療者の関係性において、最初に問題になったのは、「患者コンプライアンス」の問題でした。コンプライアンスとは一般的に、「法令順守」と訳され、企業の活動の中で法令に従って行動するという意味で使用されます。しかし、医療の中でコンプライアンスといえば、通常「医療者の処方や服薬指導、療養生活の注意に従わない」という意味で使われます。たとえば、医師が「あの患者はコンプライアンスが悪い」と言ったとき、「あの患者は医師の言うことに従わない、困った患者だ」という意味が含まれています。

病棟や自宅などで医療者の期待に背き、療養生活を勝手に(自由に)行動する患者の場合も「病識がない患者」と呼ばれてきました。病人であることの意識が欠如しているという意味です。患者に病識があれば、医療者の言うことに従うのが当然であり、病識がないからコンプライアンスが悪いという論理です。

ここでは、患者は医療者の指示や命令に従うことが当然であるという、上下関係が前提とされています。「医療者の指導に従わないのだから、従わない患者がいけない。従わないのは患者側の問題である」といった考え方がされてきたのです。こうした患者に対して医療者はあきらめの境地に至り、いずれ責任を放棄する態度で接することになります。

医療者たちがこのような考え方をする背景には、患者は医療を提供される、あるいは学校や仕事を休むことが許されるという恩恵を社会から受けるのだから、患者は医療者のいうことに従い、自分の楽しみなどは我慢するのが当然であるという社会全体の意識もありました。まさに、我慢(patience)するのが患者(patient)の務めであったわけです。

しかし、現代の社会では病気が多様化し、慢性病が多くなっています。患者であるからと働かないことが許されるわけではなく、病気を抱えながら生活することが要求されます。また、社会の成熟とともに患者の教育レベルが高まり、自律心が高まっています。多様性を重んじることの必要性が社会全体に認識され、患者中心の医療が進められてきた過程の中で、欧米諸国の医療ではコンプライアンスがアドヒアランスに置き換わってきたのです。

アドヒアランスは、固守、執着などと訳される単語です。医療においては、処方された薬を処方どおりに服薬するという意味で使われます。しかし、その前提として、いくつかの選択肢の中から患者が主体的に選び、納得・同意したうえで、服薬する意思を固守し継続するという意味が含まれます。したがって、治療の決定権がより患者側にあります。患者自身が納得したうえで治療を続けようとする気持ちがアドヒアランスと表現されるのです。

私が専門とする飲酒に関連する身体問題のある患者に対しても、私はあえて「禁酒」ではなく「断酒」という言葉を使います。禁酒と断酒の間には、コンプライアンスとアドヒアランスに似た違いがあると考えているからです。

アドヒアランスを重視する医療では、医療者側のやるべき仕事が増えてきます。アドヒアランスの悪さは、単なる患者側の資質の問題ではなく、治療者側の要因、薬物側の要因、周囲の人や環境の問題なども挙げられ、それぞれの要因への対処が要求されるのです。

アドヒアランス向上のために、たとえば、患者へ病気や治療に関する十分な情報提供を行い、処方の簡便化や剤型の工夫を進め、家族や周囲の人の協力を得るように調整し、患者が持つ固有の服薬に対する不安について一緒に考え、援助することなどが必要となります。

患者にも努力と責任が要求される

一方で、患者の側にも、それなりの努力と責任が要求されます。自分の病気について理解し、療養生活や治療についても十分の知識を備え、自ら決定することが要求されるのです。アドヒアランスを重視する医療は、患者がより主体的・能動的になることが要求され、患者側にも責任が生じます。同時に医療者の側も、情報提供などやるべき仕事が増え、それに対する責任も生じるのです。

アドヒアランスを高める医療が欧米諸国で普及する中で生まれてきた概念がコンコーダンスです。コンコーダンスは、一般的には一致や調和と訳されます。1996年に、英国の保健省と薬学会でつくられた薬剤パートナーグループ(Medicines Partnership Group)は、コンコーダンスを「病気について十分な知識をもつ患者が病気の管理にパートナーとして参加し、医師と患者が合意に至った治療を協働作業として行うプロセスである」と定義しています。

コンコーダンス医療では、医療者と患者が対等の協働する関係性にあります。医療者が処方を一方的に決定し、それに患者を説得して従わせるのではなく、患者も自分の状況や希望を医療者に説明し、医療者はそれに基づき、いくつかの案を提案するなど、対話と合意が大切にされます。

はたして、このようなコンコーダンス医療がわが国で可能となるでしょうか。私は楽天的に考えています。青山学院大学の駅伝チームも、原監督の業界の常識を疑うチーム作り、選手の自主性と対話の重視により優勝に導かれました。わが国の医療においても、業界の常識の先にあるのがコンコーダンス医療であり、遠からず(今後10年以内?)徐々に普及し始め、20年後にはそれが当たり前になるだろうと信じています。

“患者側”の意見が「治療ガイドライン」を変えた!

コンコーダンス医療につながる一つの兆しを、日本高血圧学会の「高血圧治療ガイドライン」に見ることができます。2004年版で使われていた「コンプライアンス」という用語は、2009年版では「アドヒアランスとコンコーダンス」に置き換わっています。その後に改訂された2014年版においても、「コンコーダンス」の医療を続けるための方法が詳細に書かれています。

たとえば、治療の有益性について話し合うこと、わかりやすく情報提供すること、患者の合意、自主的な選択を尊重すること、処方の単純化をすること、患者による血圧測定(家庭血圧)を励行し、それに基づいて処方すること、家族を含めた支援体制を作ること、服薬忘れの原因や理由について話し合い、不安があれば必要に応じて薬剤の変更を考えることなどが挙げられています。

高血圧症は、わが国において最も頻度の高い疾患の一つであり、その治療ガイドラインは当然多くの医師の目に触れます。また、医学教育にも今後大きな影響を与えるだろうと考えられます。

実は、高血圧学会がコンコーダンスをガイドラインにとりあげるきっかけとして、患者の自立・成熟を目指すNPO法人「COML」の理事長であった辻本好子による提言があります。ガイドラインの策定過程において、辻本さんから「コンプライアンスは医者目線でパターナリズム(父権主義)の言葉であって、コンコーダンスの概念を採り入れるべき」との発言があり、まさに鶴の一声によって、コンプライアンスを服薬アドヒアランスに改め、コンコーダンスの重要性が加えられたというのです〔萩原俊男(2009年版ガイドライン作成委員長)「私と高血圧」〕。こうして作られた高血圧治療ガイドラインは他の領域のガイドライン作りにも大きな影響をもたらしました。

新しい時代が要求する医療は、その医療の専門家だけで創るものではなく、専門家に反対する医師や市民などからの多様な意見が反映されて開かれていくのです。エンドユーザーである患者が社会で声を上げること、医療者と対話をしていくことが、そのための第一歩でもあるのです。

[東洋経済ONLINE]


■小林麻央さんの「後悔」から一体何が学べるか
医療の不信を煽る週刊誌で患者は進化した?

加藤眞三
慶應義塾大学看護医療学部教授

医者に治療方針を丸投げする患者からはもう卒業して、「協働」の関係を築くべきです。

小林麻央さんのオフィシャルブログ、「KOKORO.」 が注目を集めています。以前、ニュースキャスターを務めていたことや、人気歌舞伎俳優、市川海老蔵さんの夫人であることもその一因でしょう。

ただ、注目されている最大の理由は、進行性乳がんという大病を抱えながらも、敢えてそのことを公表し、病気とわかってからの日々の思いを赤裸々につづっていることで、感性豊かな麻央さんの言葉の中に多くの人がハッと気付かされ、共感を覚えていることにあるのではないでしょうか。

小林麻央さんがつづった「患者としての後悔」

特に、9月4日の「解放」と題する記事には、患者としての気持ちが見事に表されており、心が揺さぶられます。
私も
後悔していること、あります。
あのとき、
もっと自分の身体を大切にすればよかった
あのとき、
もうひとつ病院に行けばよかった
あのとき、
信じなければよかった
あのとき、、、
あのとき、、、          
「KOKORO.小林麻央のオフィシャルブログ」byAmeba 9月4日

病気であることが発覚すると、その日から突然色々な問題に巻き込まれ、各局面で決断を迫られます。しかも、それらは普段考えてもいなかったことであり、てきぱきと判断するだけの心の準備も十分ではありません。

病気発覚後の患者には、次から次へと疑問がわいてくるのです。「わたしの病気は、一体どんなものなのだろう」「私の状態はどの程度なのか。その病気に対してどんな治療法があり、それにはどんな副作用がある?」「これからの経済的な負担はどうなるのか」「仕事は続けられるのだろうか」「安静にしていた方がよいのだろうか。あるいは、身体を動かしてよいのだろうか。動かしてよいのなら、どの程度まで?」「食事は制限されるのか」「医師にこんなことを質問して聞いてもよいのだろうか。自分の希望を伝えて、生意気だと思われないだろうか」「他の医療職の方に相談できる機会はあるのだろうか」「一体、どこの病院で診療を続けるのが良いのだろうか」「あの時の決断があるいは間違っていたのかもしれない。もう、手遅れだろうか。あるいは、もっといい方法があるのでは」…。

われわれは、「患者学」で武装するべきだ

このように、患者としての悩みはつきません。そして、これらの問題に対して時間の猶予なく決断していかなければならないのです。いや、決断することに時間の猶予があるのかないのかさえ、よく判らないかもしれません。 

そんな患者さんに対し、私は「患者のための患者学」を学びませんか、と呼びかけてきました。患者学の前に「患者のための」とわざわざ付けているのは、医療者が患者から学ぶ患者学、すなわち「医療者のための患者学」と区別するためです。患者と医療者の双方が患者学を学ぶことにより、よりよい医療が実現するのではないかと、考えているからです。

そして、小林麻央さんの後悔を知ると「患者のための患者学」は患者になる前からしっかりと身につけておく必要性があることに気付かされます。ですから、むしろ「市民のための患者学」と名付けて、一般市民の方にも準備してもらいたいと考えるようになりました。

「市民のための患者学」で身につけるべき内容を、わたしは以下の3つに分類してみました。
(1)患者と医療者の関係性
(2)医療情報の集め方・読み方(医療情報リテラシー)
(3)病気を抱えた自分の生き方の決断
3つの分野はお互いに関連し合いますし、これだけを学んでおけば完璧だというものではありません。しかし、少しずつでも前進できていれば、いざ患者になった時に役立つことは間違いありません。そこで、ここから「市民のための患者学」の入門編について、解説し紹介していきたいと思います。

現在、医療の現場では、医療者に対する患者さんの不信感が募っています。週刊誌などで、医療の不信を煽る特集記事が頻繁に組まれているからです。

「高血圧の薬は飲まない方がよい」、「がんになっても手術は受けてはいけない、抗がん剤治療は受けてはいけない」――。こうしたセンセーショナルな特集を組めば、その雑誌がよく売れ、よく売れるから次号にも特集記事を続けるという状況が続いているのです。そして、一つの雑誌が医療の特集で売れると、それを見た他の週刊誌もこぞって同様の特集を組むという現状です。

週刊誌の医療特集に「煽られる」のも1つの進化

実際、私の外来にも、これまで副作用の症状が現れていないのに「高血圧のこの薬は飲んでいて大丈夫ですか」と心配してたずねてくる患者さんがいました。「この高コレステロール血症の薬は、週刊誌に筋肉が壊されると書いてあり、怖いのでやめたい」と言われたこともあります。医療機関に助けを求めて訪れた患者さんが、医療者を信用できないとしたら、それはとても不幸なことです。何とかしなければなりません。

ただ、医療の歴史を俯瞰的に眺めてみると、このような対立は生じるべくして生じていることがわかります。この対立を経ることで、次の時代の医療に移らなくてはならないのです。

それでは、今までの医療はどんなものだったのでしょうか。それは専門家に患者が「お任せ」する、依存的な医療であったということができます。患者は受け身で説明を受け、ただ同意をするだけ。医師のいうことには逆らえません。「先生にすべてお任せしますから、魔法の薬で治して下さい」。そんな気持ちで医療機関を訪れる患者も多いのも事実です。

実際、ある程度治療方針の決まった病気なら、専門家に判断を委ねて患者は受け身となっているだけでも、問題はさほどありません。たとえば、肺炎になったり、膀胱炎をおこしたりすると、診療により投与される薬で菌が排除され、病気が軽くなります。骨折を起こしても、医師に任せて固定してもらったり、手術をうけることで、具合が良くなります。

ただ、自覚症状に乏しい慢性病の場合は、患者さんの療養生活が大きな鍵を握ります。たとえば、糖尿病や高血圧などの生活習慣病では、日々の生活をどう変えられるかが大切なのです。あるいは、がんやその他難病になったときの療養生活でも、患者さんの意志が大きくその経過を変えてしまいます。

1956年に、米国のサッシュ博士とホレンダー博士が論文に発表した医師(医療者)と患者関係のモデルによれば、病気の種類や状況に応じて、医師と患者関係は変わってくることを予言しています。

この表が作られたのは、60年も前のこと。それにもかかわらず、日本では現時点でやっと「説明ー協力」の関係の医療が出来つつある段階であり、まだ「協働作業」の医療は実現できていないことに驚かされます。しかも、60年前と比べて、今はメタボリック症候群などに代表される慢性病が一般的になっています。がんも、診断されてから5年以上生存する人が多くなっています。こうした病気の療養生活では、医師と患者の協働作業こそが大切なのです。

しかし、患者の側も医療者の側もその準備が充分にはできていないのが、現在の状況ではないでしょうか。

[東洋経済ONLINE]


■日本全国で「がん難民」が生まれる深刻な理由
「専門医を見つけたから安心」という勘違い

加藤眞三
慶應義塾大学看護医療学部教授

専門医だから安心して任せられる。そう思っていませんか?

「がん難民」という言葉をご存知ですか。全国各地のがんセンターや大学病院などの高機能病院で、治療ができなくなったがん患者が、医師から見放されてしまい、行き場をなくしてしまうという問題です。

がんセンターで「がん難民」が発生している?!

高機能病院には、一般的な病院にはないような高度な治療機器があり、専門医がいます。一見治療が困難な患者を受け入れてくれそうなイメージがあるのにも関わらず、患者が「難民」になってしまうのはなぜなのでしょうか。その理由を理解するには、専門医の思考法を知ることが必要になります。

現代の医師が患者を診療するとき、その思考法にもっとも影響を与えているのは、言うまでもなく「科学」です。言い換えれば、医師は科学者として教育され、働いているのです。

科学者としての医師に期待されるのは、①論理的である(理屈が通る)、②実証的である(科学的手法により確率・統計的に証明できる)、③普遍的である(世界のどこでも、誰にでも当てはまる)、④客観的である(冷静である)ことです。そして、そのような医師を育てる医学教育が行われます。このことによって、ある一定以上の医療水準を維持することにつながっている面もあります。客観的である(冷静である)ことであり、そのように医学教育がなされます。これによって、ある一定の医療水準を維持することにもつながっている面もあります。

こうした科学を主とする現代医療は、「医学モデル」と呼ばれます。医学モデルでは、病気には(1つの)原因があり、その原因の結果として病気が生じていると考えます。そして、病気の原因を見つけ出して、それを取り除くことが医療の目標となります。感染症であれば、細菌やウイルスを薬により除去すること、がんであればがんの組織を手術で切り取ったり、放射線でたたいたり、薬でつぶすといった具合です。そして、このモデルにおいて医療を行う主体は、専門家である医療者となります。

こうした科学的な医学においては、専門分化が進んできました。医学の進歩とともに、知識と技術の範囲が広くなり、奥が深くなってきたための当然のことです。医学全般を1人の医師で全てをカバーすることなど、とてもできません。専門医として、専門分野を決めてカバーする範囲を狭くすることで、その専門分野における知識と技術に精通することができるのです。

専門医は専門分野に対して責任を持つ

専門医は、自分が専門分野とする病気に対して責任感を持ちますが、専門でない分野の病気に対しては、自分には関係ないし、責任もないと考えがちになります。そして、専門分野の病気であっても科学的に治療効果などのエビデンス(科学的証拠)が積み上げられた問題の範囲内で、医療をしようとします。治療法が確立していない病気や治療が望めない進行度になると、どうしても興味を失いがちになります。

例えば、私が過去に経験したこんなケースがあります。ある日救急外来に来た患者さんは、主に心不全の症状が見て取れました。そこで、私は循環器内科の医師に、この患者さんを診てくれないかと依頼しました。しかし、その医師は、一般内科で診てもらえばよいと、その依頼を断りました。彼の発想はこうです。心臓カテーテルなどによる治療が必要な心筋梗塞や狭心症であれば、その専門である自分の出番だけれども、そうでないならば自分が診なくても良い、という考え方をするのです。

話だけ聞くと、ずいぶん了見の狭い医師のように見えますが、これは専門医にとってけっして珍しい考え方ではありません。患者が専門医を受診すると、専門医はまず、自分の専門分野の対象となる患者かどうかを判断するものです。そして、対象から外れてしまうと、関心を失ってしまいます。専門外のことはよく解らないから、なるべく関わりたくないと逃げ腰になるのです。

自分の専門の範囲内の患者であることが解れば、次に、命に関わる病気かどうかを判断します。そして、命に関わらないものであれば、まあ放置しておいて良いのではないかと考えがちです。専門医は、原因を明らかにして対処する「原因療法」を第一と考えますから、症状を抑えておくだけの治療は「対症療法」として軽視しがちになります。

したがって、血液検査や画像検査で異常が見つからなければ、とりあえずは命に関わる病気ではないと判断し、「検査をしたけれども、どこも悪いところは見つからない」と答えてしまいます。

また、専門の範囲内ではあっても、自分が治せない、あるいは治せなくなった患者とは関わりたくないという気持ちが働いても不思議ではありません。医師にとって、治せないことは「敗北」となるからです。

医師という職業は、自分が提供した医療によって治すことのできる患者が相手であれば、治療が成功したあかつきには喜ばれ、感謝されます。しかも、医師不足の状態が続いていますから、治療の可能な患者がいつも沢山待っている状態にあります。そんな状況の下で診療をしていると、治せない、あるいは治せなくなった患者とは関わりたくないという気持ちがはたらいても不思議とは言えません。

冒頭で紹介したように、現在全国各地のがんセンターや大学病院などでは、治療ができなくなって患者が医師から見放されてしまうという「がん難民」の発生が問題になっています。これは、上に述べてきたように治すことのできない患者が医師の「自己効力感」を打ちのめすことを避けようとする、医師側の心理の問題でもあるのです。

治せる患者を優先して診療、という使命感の裏返し

ただ、これは単に医師が敗北を嫌うだけではなく、治せる患者を優先して診療しなくてはならないという使命感の裏返しでもあります。重装備の医療機器を備えた急性期病院であるほどそう考えるでしょう。また、重装備の病院では、重装備を必要とする医療を行わなければ無駄が出てしまう、という医療経済や保険診療上の問題もあるのです。つまり、「がん難民」の発生はある程度仕方がない面があるのです。

では、それを避けるためにはどうすれば良いのでしょうか。高機能病院がその規模を大きくして、治療ができない進行したがんや難病の診療を行う部門をつくることは解決法の1つです。しかし、それはおそらく医療経済的にも実現は難しいと思います。また、進行したがんの患者が、家族のいる自宅から離れた場所で医療を継続して受けなければならないという問題も生じます。私は、その様な方向に医療が進んでいくことは理想ではないと考えています。

それに代わる解決法は、患者ががんセンターや大学病院などの医師に頼りすぎず、「かかりつけ医」をほかに持つことです。高機能病院はあくまで、その機能を患者が利用するだけの場所であると割り切ってしまい、自分が心から頼りにできる主治医は別に持つのです。そうすれば、高機能の病院での医療の対象とならないような病状になっても、その後の医療について相談できることができます。

つまり、高機能病院から離れることになっても、自分は「がん難民」とは感じないような仕組み作りをすることが必要なのです。高度な専門医は、その機能を利用するだけだ、と患者側が見限ることが1つの解決法です。

さて、ここまで専門医に頼りすぎないようにということで話は進めてきましたが、もちろん専門医の中にも素晴らしい医師が沢山いることは事実です。治療の難しい病気であればなおさら、専門医の中からよい人を見つけることが一番大切になります。

『治るという前提でがんになった』(幻冬舎)の著者、高山知朗さんは、40歳代前半に悪性脳腫瘍と白血病という2つのがんを発症しましたが、IT関連会社を立ち上げたその経験と能力、そして人脈をフルに活用して、両者を克服してこられました。患者学を自然に身につけているお手本となる方です。

高山さんは、治療法に関する情報の収集を行い、どの病院が良いかを的確に判断し、良い主治医に巡り会っています。脳腫瘍を治療した脳外科医も、白血病を治療した血液内科医も、専門医でありながら高圧的な態度をとることはなく、患者の自律性を重んじ、患者の気持ちをとても大切にしておられるようです。

両方のがんが治ったからこそ、「がん難民」にならなかったと言うこともできますが、おそらく高山さんなら高度機能病院での治療法がなくなったときでも、その病院にしがみつくことなく、別の道を探されるのではないかと思います。

専門医の悪口(本当は悪口を書こうとしているのではありませんが、悪口のように聞こえる人もいるでしょう)をさんざん書いていながら、専門医にもこんなに人間的な医療を提供する医師がいることを知ることで、ホッと胸をなでおろす気持ちになりました。

患者が医者を見限ることも大切

加えて、わたしが研修医だった30年以上前にはごく当たり前な存在だった患者に高圧的な医師は、今では少数派になっています。時代とともに医師の側も変化してきています。

そのような変化の時期だからこそ、自分に合った医師を主治医として選択することが、よい医療を受ける上で決定的に大事となるのです。

医療者に変化を促すのも患者の力です。高圧的な医師は見限ってあげれば次第に絶滅機種となっていくのですから。

[東洋経済ONLINE]

Posted by nob : 2017年01月17日 13:37

後ろ向きな他者への否定はまた新たな自らへの否定を生みだすだけ、、、私もトランブ政権の起爆効果に大いに期待しています。。。

■小泉進次郎氏、トランプ現象に「わくわく」 
大衆主義台頭に政治の重要性強調

小泉進次郎氏「わくわくした」 トランプ現象に見た希望

 トランプ米大統領の誕生が決まった昨年11月のニュースに、衆院議員の小泉進次郎さん(35)は「少しわくわく」したと話す。トランプ氏支持の広がりに象徴されるポピュリズム(大衆迎合主義)が世界に広がっているいまこそ、むしろ政治の出番だという。同世代議員の村井英樹さん(36)と小林史明さん(33)も同調する。

■日本人の底力が試される時代がきた

 ――世界では、ポピュリズムの台頭が目立ちます。政治の未来に、希望はもてますか。

 小泉さん「政治家が政治に希望を失ったら、終わりですよ。常に政治の可能性を信じているから、政治家であると。昨年はまちがいなく世界の転換点になった年だと思っています。次の新たな国際秩序ができあがるまでの調整期間のスタートだと。英国のEU離脱もそうです。さらにイタリアの首相が辞任し、フィリピンの大統領もああいうタイプの方になり、アメリカとの同盟関係だって再考するような発言を繰り返している。韓国も次の体制がどうなるかわからない。中国も引き続き、日本の主権に対する挑戦を繰り返しています。北朝鮮も昨年は30発以上も、ミサイルを撃った。不確実、不安定な時代への突入の決定打が続く、難しい時代だと思います」

 「しかも日本は人口減少と少子化、高齢化という構造的な大変革がよりきつく効いてくる。2020年以降、特にその下押し圧力が効いてきます。さあ、そのなかで日本はどう生きる? 裏を返せば、政治の出番じゃないですか。いままで以上に、政治の力が問われます。健全な危機感を持ちながら、楽観主義は忘れない。このメッセージを発し続けることがすごく大事。僕はむしろトランプ氏勝利のニュースを見て、ちょっと語弊があるかもしれないけれど、少しわくわくしたんですよ」

 小林さん「私もです。おもしろくなったな、チャンスだなって。そう言っていた議員は他にもいました」

 村井さん「たしかに、我々の出番だ感はありましたね」

 ――わくわく、ですか。

 小泉さん「とうとう、日本人の底力が試される時代がきたぞ、と。この時代を生きる僕らの世代は、新しい日本の発展の土台をつくる役割を負っているんだろうな、と。答えがある時代だったら、政治ってつまんない。政治の力なんて、発揮しどころがないですよ。それなら官僚がやればいい。『いままでやってきた通りにやればうまくいきます、大丈夫ですよ。国際秩序も安定していますから、なんにも不安はございません』って」

■野党は胸を張れることばかりですか?

 ――政治の力をいま発揮できていますか。自民党内では、言いたいことを言えない風潮、物言えば唇寒しの傾向がありませんか。

 小泉さん「党内の部会では、政府の方針と違っても自分の思いを言う人は、かなりいますよ。物言えば唇寒しみたいな状況だったら、昨年の農業改革だってあんなに反対論は押しかけてきません。政府の規制改革会議が出した案に対して、反対の大合唱だったじゃないですか。言いたいことを言いまくっているから、たいへんなんじゃないですか」

 ――与党の中でのチェック機能は、きちんと果たされていると。

 小泉さん「完全でないところはもちろんあると思う。一方でね、もう一つの大切なチェック機能は野党なんですよ。この部分に触れずして、僕は議論は成り立たないと思う。昨年の国会だって野党は胸を張れることばかりですか? なんであんなに退席するんですか。反対なら反対と採決すればいいじゃないですか。マスコミのみなさんも、記事に取り上げていないところがありますよ」

 ――取り上げてないですか?

 小泉さん「取り上げていないと思います。僕は2009年に政権交代して自民党が野党になったときに議員になった。チェック機能を果たすという、野党としての責務を感じていた。僕ら同期は4人、自民党の全議員でも119人しかいない。それでも、やりがいをもっていた。野党によるチェックというのは、政治のなかでは不可欠な機能です」

■政治は職業ではない。生き方だ

 ――ケネディ元米大統領も英国の元首相のブレア、キャメロン両氏も、43歳で国家リーダーになりました。小泉さんも、5年後には首相をねらうくらいの意気込みでないと困ります。

 小泉さん「困りますって言われても……(笑)。いや、日本でも40代の総理がでたって、不思議なことじゃないですよ」

 ――昔、「長嶋茂雄をずっとやっていくのも大変なんです」と長嶋さんが言っていました。小泉進次郎を続けるのも大変でしょう?

 小泉さん「僕は政治を職業だと思っていない。生き方だと思っています。自分でこの道を選んで本当に良かった。もし親から跡を継げと言われて政治の世界に入っていたら、おそらく途中で心が折れていたんじゃないかな」

 「総理をやった父がいたので、いかに職責が重く厳しいか見てはいた。けれど自分がその世界に入り、世の中から見られ続ける環境に身を置くことは、予想をはるかに超える重みと負荷がありました」

 「世の中の若者にも大切にしてもらいたいのは、自己決定です。自分の道は自分で決める。その世界で嫌なことがあっても、苦しいことがあっても、最後は自分が決めたという事実が自分に力となって返ってくる。僕だって……苦しいなとか、自分の能力の限界を感じることもありますよ。迷いながらもね、最後に自分を支えてくれるのは、この道は自分が選んだということ。弱音を吐いていられない、という思いがあります」

 ――前向きですね。

 小泉さん「昨年の農業改革の議論では、本当にヒリヒリする神経戦がいっぱいあって、精神的にも体力的にもかなりピークの状態でした。でも、同時にやりがい、うれしさのようなものがあった。将来を考えたら、どんどん課題は大きくなる。経験知を積んでおかないと、次の高さは跳べません。昨年1年間は大きな糧を得たと思っています」

 ――自民党と巨人は似ている、と言っていたことがありました。両者の共通点は、何ですか。

 小泉さん「三つあります。どちらも熱烈なファンがいる、必ずアンチもいる、強くないとその世界全体がおもしろくなくなる。ついでに言えば、ライバルが強くないとおもしろくない」

 村井さん「強すぎない程度に、ね」

 ――父の小泉純一郎さんはかつて「自民党をぶっ壊す」と言いました。政策を完遂するために進次郎さんは自民党で何をしますか。

 小泉さん「僕は(社会保障改革の提言を出した自民党の)2020年以降の経済財政構想小委員会の議論に入って、優秀な人たちがいて、すごく自民党の可能性を感じました。世の中にまだあまり知られていない同世代の議員の中には、この人もあの人もいるという評価は必ず生まれると思うし、そうすれば、なんだ小泉進次郎たいしたことないじゃないか、となりますよ。それは日本にとってもプラス。これからの日本、だれか一人の力でどうなるものでもない。老いも若きも、男性も女性も、総力戦の時代です」(聞き手・編集委員 原真人)

[朝日新聞デジタル]

Posted by nob : 2017年01月17日 11:46

利益と弊害はいつも共存する、、、結局何を目指すのかということ。。。

■ゆるやかな糖質制限食「ロカボ」で健康的に痩せられる理由

今年こそはダイエットを! そう誓いながらも、ビールやから揚げ、ケーキの誘惑に負け、新年早々に挫折してしまう――、そのような経験はありませんか。「お酒も揚げ物もスイーツも食べて大丈夫」。そう話すのは、ゆるやかな糖質制限食「ロカボ」を提唱する北里大学北里研究所病院糖尿病センター内分泌・代謝内科センター長の山田悟さんです。おいしく痩せて健康になるロカボについて山田さんに聞きました。

ダイエットだけじゃないロカボの効果
「ロカボ」で正月太りを解消!

 糖質制限という言葉を耳にしたことのある方は多いのではないでしょうか。私の提唱するゆるやかな糖質制限食「ロカボ」は、英語で低糖質の意味を持つ「ロー・カーボハイドレート(Low Carbohydrate)」の略称です。毎日の食事から糖質を抑え、たんぱく質、脂質などを満腹感が得られるまで食べて、無理せず、おいしく、ダイエットできる食事法です。

 2012年、国際肥満学会(ICO)の機関紙『Obesity Reviews』に掲載された、最も信頼性の高い研究試験法である無作為比較試験のメタ解析(複数の研究を統計的に分析する手法)の結果によると、糖質制限食は体重減量だけでなく、脂質、血糖、血圧の改善にも有効であるとされています(*1)。

 糖質とは、多糖類(デンプン、グリコーゲンなど)、二糖類(麦芽糖、ショ糖など)、単糖類(ブドウ糖、果糖など)、そしてオリゴ糖、糖アルコール類に分類されます。糖質を多く含む食品は、ごはん、芋類、根菜、果物、お菓子、ジュースなどで、みりん、蜂蜜などの調味料にも多く含まれます。

 一方で、糖質含有量の少ない食品は、肉、魚、大豆製品、葉野菜、ナッツなどです。

img_c58797a1616d2acbe8fbea0b82206a5d348296.jpg
出典:一般社団法人 食・楽・健康協会

糖質量を守れば満腹感を得るまで食べてOK

 ロカボは、1日3食とし、1食当たりの糖質量を20~40g、おやつとしてのスイーツは糖質10gまでとし、トータルの糖質を1日に 70~130gとする食事法です。日本人は平均で、一食当たり90~100g、1日270~300gの糖質を取っているので、その半分弱と考えてください。

 ごはんやパンなどを通常の半分~3分の1程度にして、おかずを満腹感が得られるまで食べます。肉、野菜、乳製品、植物性脂質、動物性脂質などは、栄養バランスやカロリー、コレステロールを気にせずに摂取してください。

 なお、マーガリンやショートニングなどのトランス脂肪酸、過酸化脂質は避けましょう。食品100g当たりの糖質量(g)については、「食・楽・健康協会」サイト内の表「食品100g中の糖質量」(PDF)が参考になると思います。

 お酒も「百薬の長」程度であれば、ロカボの面では問題ありません。比較的糖質の多い日本酒でも1合に含まれる糖質は8~9gなので、主食を抜けば 2合程度までは楽しめます。スイーツも大丈夫。糖質の少ない人工甘味料の活用した「ロカボスイーツ」もコンビニや洋菓子店でも販売されています。

血糖値を上昇させるのは糖質のみ

 糖質制限の目的は、血糖値(血液中のブドウ糖の濃度)の上昇を抑えることです。血糖値を上げる唯一の栄養素である糖質は体内でブドウ糖に変換され、血糖値を下げることができるホルモン「インスリン」により、細胞のエネルギー源として活用されます。

 しかしエネルギーとして使い切れないブドウ糖は肝臓と筋肉にグリコーゲンとして貯蔵され、さらに余剰のブドウ糖は脂肪細胞(特に内臓脂肪)に運ばれ、中性脂肪として蓄えられます。糖質の摂取過多がメタボリックシンドロームにつながるのはこのためです。

 通常、食後約2時間で血糖値は低下し、空腹時の状態に戻ります。食後高血糖とは、インスリンが何らかの原因で効かず、血糖値が140mg/dL以上に上昇することです。食後高血糖や極端な血糖値の上下動は、血管を傷つけ、心臓病や脳梗塞などのリスクを高めます。

 さらに、食後高血糖により生じる酸化ストレスは、がんの発症に関わっています。また、食後高血糖は糖尿病の初期にみられ、放っておくと空腹時血糖値も高い状況が続く糖尿病へと進行していくのです。

 日本人は、約2000万人、6人に1人が血糖異常であると言われています。特に、東アジア人は欧米人に比べ、インスリンを分泌する力が弱い人種です。糖質を抑えることで、血糖値を低く抑えるのが特に日本人で大切なのはそのためです。

 血糖値を上げないためには、食べる順番も重要。最初に脂質とたんぱく質、最後に炭水化物を取ると血糖値の上昇を抑えられます。ご飯も単品ではなく、魚や肉などと一緒に食べましょう。

 100gの糖質を単独で摂取した時に比べ、同量の糖質を「たんぱく質と一緒に摂取したとき」の方が、さらに「たんぱく質と脂質と一緒に摂取したとき」の方が、血糖値が上がりにくくなります。ご飯だけよりも卵かけご飯、卵かけご飯よりチャーハンの方が血糖値は上がりにくいのです。

栄養バランス、カロリー制限神話を疑え

 食事は栄養バランスが大切、と聞いたことはありませんか。厚生労働省の『日本人の食事摂取基準(15年版)』では、三大栄養素の構成比率を、たんぱく質13~20%、脂質20~30%、炭水化物50~65%と定めています。しかし、この数値にそもそも科学的根拠はありません。

 カロリー制限食に関しても同様です。肥満症の人が治療目的で医師のもと安全性を確保しながら行うのであればその意義を否定しませんが、一般の人にはお勧めできません。

 13年に米国糖尿病学会(ADA)で報告された「Look Ahead研究」では、10年間、腹八分目のカロリー制限を続けた結果、体重は減り、HbA1c(ヘモグロビン・エイワンシー:1~2ヵ月の血糖の平均値を示す数値)も低下しましたが、心臓病のリスクは全く減っていませんでした(*2)。逆にカロリー制限により、大腿骨近位部の骨密度は減少してしまっていたのです(*3)。

ゆるやかな糖質制限を目指す理由

 ロカボでは糖質の摂取量に下限(1食20g、1日70g)を設けていますが、それには理由があります。

 細胞はブドウ糖と脂肪酸をエネルギー源にできるものの、赤血球はブドウ糖のみをエネルギー源とします。また、脳には血液脳関門という障壁があり、脂肪酸が入れません。脳と赤血球が使うブドウ糖の量は1日約130g~150gです。一方、たんぱく質や脂質の摂取により、肝臓は150gのブドウ糖を生成できるので、理論的には、糖質を口から摂取する必要はありません。

 ただし、糖質の摂取量を50g以下に抑えると、肝臓は脂肪酸からケトン体という物質を生成します。ブドウ糖が枯渇すると、ケトン体は脳のエネルギー源となります。そのため、糖質摂取量が少ない際にブドウ糖を利用するのは赤血球だけとなり、脳を含め、赤血球以外の細胞はブドウ糖の利用を避けることができるのです。

 しかし、ケトン体産生食により血管内皮細胞に障害を起こす可能性(*4)や、ケトアシドーシスという危険な状態を引き起こす可能性もあります(*5)。そのため、現時点では安全性は担保されていないと考えられ、私はケトン体の生成を避けるべく、糖質摂取量の下限を設けています。

 今年、米国糖尿病学会の機関誌『Diabetes Care』に、血糖降下作用を持つ「SGLT2阻害薬」の投与により、体内で増加したケトン体が心臓や腎臓でエネルギー源として利用された結果、心不全、心血管死亡や腎臓病を防いだ可能性があるという2つの報告が掲載されました(*6)。

 これから、ケトン体が生体内に及ぼす医学的な影響についての研究がさらに進展することになるでしょう。その結果を待ってから、改めてケトン体産生食の意義、安全性を判断したいと思っています。

 一方、野菜や乳製品などにも糖質が含まれています。厳密に糖質をカットするとビタミン不足になる恐れがあり、サプリメントが必要になります。さらに、食べられる食品が極めて限られてしまうことになり、食事の楽しみを奪う可能性が高くなります。これらが極端な糖質制限食の最大の問題点だと言えるでしょう。

なぜ糖質制限は批判されてきたのか

 1970年代に糖質制限を世界で初めて実践したのは、アメリカ人医師のリチャード・K.バーンスタインです。同時期に、アメリカ人医師のロバート・アトキンスも、肥満の治療食として糖質制限を導入し、『ダイエット・レボリューション』という書籍を出版しました。

 しかし当時、脂質の摂取量と動脈硬化の発生頻度が比例関係にあるという研究データが報告されており(*7)、糖質制限食は批判されました。

 時を経て07年3月、米国医師会雑誌『JAMA』に、BMI値(Body Mass Index:日本肥満学会ではBMI25以上を肥満と定義(*8))27を超えるアメリカ人女性311人を対象に行われた4つの食事法の比較試験(ATOZ試験)において、糖質制限食が最も減量に成果があったとする研究論文が掲載されました(*9)。

 08年には、糖質制限食の検証試験(ダイレクト試験)の結果が臨床医学雑誌『The New England Journal of Medicine』に報告されました(*10)。

 BMI値27を超える322人のイスラエル人を対象に行われた減量法の実験において、体重減少に最も一番効果があったのが「C.カロリー、脂質、たんぱく質を気にせず摂取。糖質のみ上限120g」、続いて「B.脂質をしっかり摂取するカロリー制限食」、最も効果がなかったのが「A.脂質を控えたカロリー制限食」でした。また、最も血糖中の中性脂肪、HbA1cを低下させ、善玉コレステロールを増やしたのもCでした。

 私たちも、200人の日本人にロカボを実践してもらい、体重と血糖の改善度合いを体格別に見ました。すると体格にかかわらず、ロカボ食によって血糖が改善。肥満度の高いグループは大幅に体重が減り、肥満度が中程度のグループでも体重は減り、普通体形では変化なし、低体重のグループでは体重が増えました。ロカボは全ての人を理想的なプロポーションにする食事法であることが判明しました。

 私自身も、カロリー制限でダイエットを試みた経験がありますが失敗しました。その後、糖質制限を実践して成功。米国糖尿病学会では08年から糖質制限食を糖尿病の正規の治療法として取り入れています。そこで私も糖尿病の患者さんにもロカボを勧めたところ「これなら続けられる」と喜んでくれました。

 私たちは、おいしく楽しく食べて、健康になれる世界を実現し、広めていくことを目的に、一般社団法人食・楽・健康協会を設立しました。ロカボを実践しやすいロカボフーズや、ロカボメニューのあるレストランなどの最新情報を提供しています(https://locabo.net/dictionary/)。

 手軽に誰でも実践できるロカボでおいしく健康な毎日を実現しましょう。
(*1)Obes Rev 2012,13,1048-1066
(*2)N Engl J Med 2013,369,145-154
(*3)Diabetes Care 2014,37,2822-2829
(*4)Br J Nutr 2013,110,969-970
(*5)N Engl J Med 2006,354,97-98
(*6)Diabetes Care 2016,39,1108-1114、Diabetes Care 2016,39,1115-1122
(*7)J Mt Sinai Hosp NY 1953,20,118-139
(*8)BMI=体格を表す指数。算出方法は、体重(kg)÷身長(m)÷身長(m)
(*9)JAMA 2007,297,969-977
(*10)N Engl Med 2008,359,229-241

山田悟(やまだ・さとる)/北里大学北里研究所病院糖尿病センター内分泌・代謝内科センター長。一般社団法人 食・楽・健康協会理事長。

(取材・構成/西田佐保子)

[DIAMOND男の健康]

Posted by nob : 2017年01月16日 15:43

歳を重ねていく愉しさ。。。

■年齢を重ねても「むなしくならない」働き方とは?

水産業界にIT技術による新しい流通プラットフォームを再構築し、注目されるフーディソン。卸売市場にある魚や産地で水揚げされた魚をデータベース化し、スマホから簡単に注文できるシステムの開発などを手掛けている。

社長の山本 徹氏は、不動産や介護などの業界に携わってきたが、水産業が置かれている状況の厳しさに触れたことから同社を起業。「世界の食をもっと楽しく」というミッションを掲げている。そんな山本氏の働き方は、これからのキャリアに悩む若手ビジネスパーソンにも刺激を与えてくれるかもしれない。

●学生時代の恩人の死が生き方と向き合う転機に

山本氏が仕事を選ぶうえで大事にしてきたのは、「人生の終わりを意識すること」だという。命が尽きる瞬間までに自分はどうなっていたいのか? そう考えれば、自ずと答えは出ると考えている。

「仕事に不満を感じている人に、『そもそも、どうなりたいの?』って聞くと、答えられないことがほとんど。それを決めることから逃げているケースが多いのかなって思います。人生には終わりがあるから、ラストを決めていないと走りようがないはずなんですけどね。キャリアに行き詰まってしまう根本の原因は、そもそも自分のなりたい姿について悩んでいないことなんじゃないでしょうか」

そう語る山本氏自身も自然とこうした考えに至ったわけではない。12年前、大きな転機があった。

「自分の結婚式に、10代の頃からお世話になっていた北海道の老夫婦を招待したのですが、おじいさんが式の1週間前に亡くなってしまっていたんです。その人は、大学受験の際に親切にしていただいてから交流が始まり、ご飯をご馳走になったり家電をプレゼントしてくれたりと、赤の他人なのに実の祖父母のように接してくれた恩人でした。感謝の気持ちを伝えようと招待したけど、間に合わなかった。人生ってこんなふうに“終わっちゃう”んだと。それが人生の終わりを考えながら行動するきっかけになりましたね」

●「今の働き方は、満ち足りています」 死ぬまで達成されないミッションとは

また山本氏は、ビジネスマンの働き方について、内面の成長と老いの“逆回転の相関”を踏まえることが大事だと語る。

「年をとると体力が落ち、能力的にもやれないことがどんどん増える。であれば、“自分が関わることで社会が今より良くなっていく”という感覚を持つことで、ひいては自分の幸せも担保されるようになるのではないでしょうか。僕は“世界がより良くなること”にコミットしています。自分がそこに関与していると、老いて死に向かう過程でも、世界を良い方向に変えている感覚を持つことができる。それって幸せかもしれないって思ったんですね」

山本氏のミッションは“世界の食をもっと楽しくする”というものだ。

「たとえば、今までより魚が美味しくなったり、安く叩き売りされている魚が適正価格になって産地の人が豊かになったりすること。そういう方向に向かうよう人生をかけて取り組んでいる今の働き方は、とても満ち足りています。

僕はどの業界で仕事をするか、という点にはあまりこだわりはありません。大事なのは自分が介在することで差を生み出せるかどうか。それが水産業界でした。もともと漁業にまったく縁がなかった僕が、岩手で出会った漁師に漁業の現状を聞くなかで『これだ!』って思えた。僕のミッションには終わりがなく、きっと死ぬまで成し遂げられないでしょう。でも、だからこそ“今より良くなり続ける”イメージは持てる。そんな仕事ができていることが幸せです」

(末吉陽子/やじろべえ)

[R25]


■樹木希林、家族について語る「最期ぐらいは裕也さんの歌を聞きながら」

 老夫婦の素敵な暮らしを描いた映画『人生フルーツ』でナレーションを担当した樹木希林さん。ご自分の人生には、どんな果実を思い描いているのだろうか。長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる夫・内田裕也さんとの葛藤、娘と本木雅弘さんとの生活、そして自身の今後について語ってくれた。

☆  ☆  ☆

「私、女性週刊誌に出るのが嫌いなのよね。売るために面白いタイトルをつけるじゃない? 書かれるほうはつらいのよ」

 “週刊女性です”と名乗ったスタッフに、いきなりカウンターパンチをくださったのは樹木希林さん(73)。

「若いころ、マスコミから逃げ回っていたことがあるんだけど。夫に“会社で見るな、人として見ろ。そのうえで考えろ”って言われてね。あれで、たまにはいいこと言うのよ。私も作り手なら、気をひくタイトルをつけちゃうだろうしね」

 とフォローもあって、その押し引きは絶妙─。

「何かあるたびに、ここで記者会見を開くことになっちゃってるのよね(笑)」

 という、渋谷区にあるご自宅の応接間には、モノは持たない主義ということでグランドピアノと最小限の家具しかない。その中で、ひときわ目立つ木製のテーブルは平幹二朗さんが使っていたものを、人づてにもらったのだとか。

「だから、何か事件があってうちで会見をするたびに平さんが“僕のテーブルが映ってる”と言ってたそうなんですよ(笑)。直接面識はなかったけど、魅力的な方でしたね。肺がんにかかられたのに、最期まで立派な役者として生きられて……」

杖はどこいった? じゃ、夫婦ゲンカにもならない

 自身もがんを患いながら仕事を続けている希林さんは、1月2日に公開された映画『人生フルーツ』でナレーションを担当。完成品を見たプロデューサーが、

「地上と天空の間から発せられるような見事なナレーション。これは、呪文だ」

 と驚嘆したほどの、沁(し)みる声だった。

「渡された台本を下読みもせずに、ただ読んだだけ。まぁ、60年近く声で人を騙(だま)してきてるからね(笑)。ナレーションはセリフを覚えなくていいからラクだと思ってたのに、年とったら耳も遠くなるし、滑舌(かつぜつ)も悪くなるし。もう限界だと、スタッフには言ってるんだけど」

 映画で描かれているのは90歳の夫・津端修一さんと、87歳の妻・英子さんの暮らしと人生。建築家の夫が建てた丸太小屋に住み、雑木林と畑で育てた約70種類の野菜と50種類の果物を季節に応じて収穫し、妻が丁寧に作った料理を、ふたりで食べる。お互いに“さん”づけで呼び、ほぼ自給自足の生活を支え合い、ゆっくり豊かな時間を過ごしている。そんな夫婦に、やがて別れの時が訪れ─。

「英子さんは可愛らしい人でね。映画が完成した後、初めてお会いして一緒に居酒屋に行ったんですけど、いいエネルギーに満ちあふれていた。ああいう女性は、修一さんのようないい旦那さんがちゃんと来るのね。散らかさなくてつつましくて始末がよくて、でも大胆なところもある旦那さんで、本当に素敵なご夫婦。

 映画を見て“こんな人生を歩めたら言うことなし”だって、みんなそう思うんじゃない? もちろん、その人生がうらやましいとか、自分の人生がイヤだとか、そういうことはないのよ。でも、それはそれ。こういうふうな道しか歩けない私は私。だけど、津端さんのような人生も見事だなぁと思いますね」

 反骨のロックンローラー・内田裕也さんとの結婚生活は43年になる。

 “私の不満の人生の中で、危険なものをつかんだ。ここなら生きられると思った”という相手。警察ざたになるほど大ゲンカをしたこともあるし、離婚しかけたこともある。しかし、長い別居生活を過ごしつつ、今も夫婦でいる。

「うちは年をとっても若いときと変わらない。性格がまったく同じだから、何を考えてるか読み取れるし、争いにもなる。ただ、最近は年とってきてエネルギーがなくなったからケンカしなくなっただけ。“この野郎!”となっても、“杖はどこいった?”じゃどうしようもない。そのうちに“面倒くさいかぁ”で終わり。別に仲よくなったわけじゃないのよ。

『人生フルーツ』の英子さんは旦那さんのことを“年とっていい顔になった”と言ってるんだけど、うちは両方ともそんな境地じゃないわね。たまに顔を見ると“この人、昔はもうちょっと男前だったのに。どうしてこうなっちゃったのかなぁ”なんて思うもの。それはお互いだろうけど、決していい顔にはなってない。むしろ“奇っ怪(きっかい)”。とんでもないキャラクター商品って感じ(笑)」

 30歳のときに出産したが、子育ても希林さん流だったという。

「私は、相手の気持ちに入り込むのが面倒くさいの。一歩引いてるというか。子育てもそう。例えばケーキをもらったら、私はまず自分が好きなのを取っちゃう。娘に“どれがいい?”と言って先に選ばせるなんてこと絶対にしない。だから、早く嫁に行ったんじゃない? きっとうちが居心地悪かったんだと思う」

 娘の也哉子さんは19歳のとき、俳優の本木雅弘さんと結婚。長らく二世帯で同居し、3人の孫にも恵まれた。

「今、娘一家はイギリスに行っちゃったけど、それまではうちの上に住んでました。家族円満に見える? なんかねぇ。円満になっちゃったのよね。最初はそうじゃなかったのよ。本木さんとは全然性格が違うから、よくわからなかったし。ただ、みんな調整しながら、譲り合いながら乗り越えてきたんだわね。

 別に我慢や無理はしてないですよ。ああ、そうなんだ、この人はこういう性格なんだと思うだけで、どうこうしようと思わない。それは子どもや孫に対しても同じ。まぁ、二世帯住宅で、台所も玄関も違うし、まったく会わない日がいっぱいあった。距離がおける暮らしだから、やってこれたんでしょうね」

 同居しているときから、自分のことは自分でする主義。石けんはひとつしか持たず、それで身体も食器も衣服も洗う。お経をあげるのと、掃除をするのが日課だそうだ。仕事もマネージャーはつけず、ひとりで現場に向かう。

「病気してからも普通に食べるし飲むし。無理してる感じはないのよね。年をとっていくことに対して何も抵抗ないから、苦労もないし。もともと少欲なの。仕事については、基本的に来た順番に引き受けているだけ。あまり先のことだと、わからないからお断りすることもあるけどね」

最期ぐらいは花を持たせてあげないと

『人生フルーツ』では、夫と最期のお別れをするシーンがあるが、希林さん自身の人生の最期には、裕也さんが歌う『朝日のあたる家』を聴いて逝(い)きたいという。

「最期ぐらいは花を持たせてあげないと、怒るだろうと思って。まぁ、歌自体がいい歌だしね。私が先にボケると信じてるので、もし、裕也さんが最期に駆けつけてくれたら、“まぁ、ご親切にしていただいて。……ところでおたくどちらさま?”と言って死ぬのが理想なんですよ。ただ、本当は向こうが先に逝かないとあとが困るかなぁという心配もあるんですけどね。向こうは向こうで“おまえ、ハンコのあり場所だけはちゃんとしとけよ”って言ってるから、自分のほうが長く生きるつもりらしいですよ」

 というところで、取材時間終了。この後は、映画宣伝のため、自分で戸締まりして出かけることになっている。

「『週刊女性』としては、こんな話じゃもの足りないんじゃない? もっと中吊り広告のタイトルになるようなこと言えばよかったわね(笑)」

 女性週刊誌が嫌いと言いながら、キャッチになる言葉もけっこうしれっと語ってくれた、サービス精神旺盛な希林さんだった。

◎取材・文/伊藤愛子

[週刊女性PRIME]

Posted by nob : 2017年01月12日 16:30

好きをとおしていくのも、、、

それはそれでいつもたいへん。。。

Posted by nob : 2017年01月05日 17:13

がんや病気とは一緒に生きていく時代、、、まずはすべてを受け容れてさてそれからというスタンスで。。。

■全身がんの樹木希林、元気なときの姿は「あれは瞬間芸」

【樹木希林、がんを語る】

 鹿児島県にあるクリニック『UMSオンコロジークリニック』で最新がん治療「四次元ピンポイント照射」により、全身がんの治療をした女優の樹木希林(73才)。そんな樹木に本誌・女性セブンは幾度かにわたって「がんと生きる」ことについて話を聞きたいと

 鹿児島県にあるクリニック『UMSオンコロジークリニック』で最新がん治療「四次元ピンポイント照射」により、全身がんの治療をした女優の樹木希林(73 才)。そんな樹木に本誌・女性セブンは幾度かにわたって「がんと生きる」ことについて話を聞きたいと取材依頼をしてきた。毎回固辞されたが、このたび「なんだかあまりにも電話が来ないから、こっちからかけちゃったわよ」と電話が来た。

「ずっと死ぬ死ぬ詐欺をやっている」と言う樹木は、全身がんでありながら、2016年も映画『海よりもまだ深く』に出演し、カンヌ国際映画祭にも出席した。娘婿の本木雅弘(51才)が主演した映画『永い言い訳』の完成披露試写会にも応援に駆けつけ、正月に公開する映画『人生フルーツ』でもナレーションを担当するなど、相変わらず私たちに元気な姿を見せてくれている。

 2016年11月、樹木は『UMS』開業10周年のパーティーに出席した時、ついでに胃や腸の検査をしたというが、もしやがんが消えていたのではないか?

「いやいや、大丈夫じゃないよ。あれは瞬間芸だもん(笑い)。だってあなた、舞台挨拶に行ってさ、『いやぁ、もう。ほんとに大変なんですけど来ました』って言うのなら、行かないほうがいいじゃない。人と会うとき、こうしてしゃべってるときだけ元気で、あとはぐて~んとしてるんだから、瞬間芸なのよ(笑い)。こうやってしゃべってると、おかしいね(笑い)。

 でもまあ、大丈夫じゃないけど、だいたい、これ(がん)をやっつけようとかって思わないのよ。『がんと真剣に向き合って』とかも思わない。こんないい加減な感覚で生きてるから、私がお話できることはないんですよ。

 まして責任がある命のことなんかに、私がそんな、あなた。私だって明日をもしれない身なんですから、無責任なことは言えないんですよ」

 ここまで話してくれたのだ。記者は改めて会って話を聞きたいと切り出した。しかし…。

「今日は、養老院に入ってる人のところに行くの。その人はお金がなくて、散髪できないから、私がはさみと櫛とコンビニの袋を持って行って、毛を切ってあげるのよ。だから、もう、すぐ出るのよ。

 もう、自分も面白く生きてるからさ、私は。『女性セブン』の意向に沿えないのよ。沿えないっていうか、沿う気がないんだね。まあ、だいたい何でもそうだけどさ、だから、自分の本も書けないのよ。どうせまあ、考えが変わるんだろうなと思うから、自分自身に対してもね。

 だから、そのときの話っていうだけで、一過性のものっていうふうに、世の中に出ているものはだいたい思ってるのね。もう、そこにいちいちかかわっていくのは、くたびれるなっていうふうに思うの。

 そういうわけだから私のことは放っておいて。もう、佐藤愛子さんとか、黒柳徹子さんとか、パワーがあってさ、元気な人から話を聞いてちょうだい」

 それでも誰しもが「がんと生きる」可能性のある時代に、闘病しながらも元気に働く樹木の話をまだ聞いていたい。

 そこで、「死ぬときぐらい好きにさせてよ」とのキャッチコピーが話題になった樹木の広告について聞いた。それは2016年1月5日、全国紙に掲載された宝島社の企業広告。そこには樹木の写真とともに、こんな文章が綴られた。

《人は必ず死ぬというのに。長生きを叶える技術ばかりが進化して、なんとまあ死ににくい時代になったことでしょう。死を疎うとむことなく、死を焦ることもなく。ひとつひとつの欲を手放して、身じまいをしていきたいと思うのです。人は死ねば宇宙の塵芥。せめて美しく輝く塵になりたい。それが私の最後の欲なのです》

「あのコピーは、『私は違うよ』と言ったんです。だって私は死ぬときじゃなくって、普段から好きにしてるから。でもそのあとの文言は、まあそんなもんだったのでオッケーしたけど。でもね、自分勝手に生きてるとみんな長いんです。これからはがんや病気とは一緒に生きていく時代ですよ」

※女性セブン2017年1月5・12日号

[NEWSポストセブン]

Posted by nob : 2017年01月05日 17:04

福島と広島・長崎の違い、、、放射能と放射性物質の違いについて

■プルトニウムの半減期について

全くの科学素人ですので出来れば小学生レベルの言葉で失礼致します。

広島・長崎に原爆が落ちましたよね。
例えばですがプルトニウムには放射能が半減するのに2万年位かかるそうです。

どうして現在広島や長崎の人は普通に暮らせるのですか?
野菜とか作って食べていらっしゃると思いますし魚介類も普通に収穫していらっしゃいます。
大丈夫なのですか?

自分なりに調べてみたのですが「残留放射能」というのが現在では自然界にある
放射能よりも少し高いレベルのものしか検出されないとの事。

ますます疑問が膨らむばかりです。

どうぞ宜しくお願い致します。


質問者が選んだベストアンサー

> 放射能が半減するのに2万年とはいってもその地(土)に留まるわけでなく
> プカプカと空気中を漂ったということですか?

「放射能」という用語と、「放射性物質」という用語がごっちゃになっているように思います。

「放射性物質」とは、内部で原子(放射性元素)が崩壊し、放射線を放出する性質をもった物質のことを指します。放射性物質に含まれる不安定な原子は崩壊して別な原子が生成され、最終的に安定的な原子(ほとんど崩壊を起こさない原子)にたどり着き安定します。その崩壊過程でα線、β線、γ線といった放射線を出します。

「放射能」とは、放射線を出す能力そのものを指す用語で、本来数字で表されるものではなく、物の性質を示します。よって「放射能が半減する」という文は誤解の元ですし、「放射能が土壌にとどまる」、あるいは「放射能が空気中を漂う」というのも変です。

正しく言うのであれば、数字で表されるものは「放射線の強度」や「放射性元素の数」です。また、土壌にとどまる、あるいは空気中を漂うのは「放射性物質」なのです。


で、ご質問への回答ですが、原爆の炸裂によってばらまかれた「放射性物質」は、キノコ雲に乗って成層圏まで吹き上げられ、そのまま大気中をぷかぷか漂ったり、原爆のもたらした物理的破壊によって空中に吹き飛ばされた埃に付着して地表に降り注いだりしました(死の灰、黒い雨)。地表に降り注いだ放射性物質の一部は雨水とともに土壌に染みこみ、また風で吹き飛ばされて広く拡散したことでしょう。原子のレベルではα崩壊・β崩壊によってしか放射性物質は減少しませんから、広島・長崎の原爆でばらまかれた放射性物質は、空中に吹き飛ばされようが土壌に染みこもうが、未だに地球上のどこかには存在するはずです。
ただ、α崩壊、β崩壊によって徐々に放射線を放出しながら安定化していき、長い時間の後には半減(1/2)→半減の半減(1/4)→さらに半減(1/8)と放射性元素の数は減少していくはずです(それにより放射線の強度も減少していく)。

なお、広島・長崎の爆発後に環境に放出された放射性物質の総量は、チェルノブイリ事故でそれの400分の1に過ぎなかったと言われています。元々、少量の核物質(せいぜい十数キロ)を急激に反応させて一気に破壊力を得る原爆は、その爆発の瞬間に放出される放射線こそ強力無比ですが、ウラン・プルトニウムの残り滓である各種放射性物質は大した量ではありません(燃料が十数キロだとすれば、残り滓も同程度です)。爆発時の強力な放射線照射により淡い放射能を持った爆弾の破片なども多少はあるでしょうが、強力な放射性物質はウラン・プルトニウム由来の残り滓であると考えられ、量的には決して多くないのです。
ところが大量の核燃料(何トン・何十トン)を長時間にわたって反応させ巨大なエネルギーを生む原子力発電所は、そもそも核燃料の残り滓が非常に大量に生じ、万が一の事故の際はその大量の放射性物質が外部に漏洩しますから、放射能汚染の程度で言えば原爆の比ではないでしょう。

やや蛇足かもしれませんが、広島・長崎の被爆者に放射線障害をもたらした最大の原因は爆発したその瞬間に放出された強力な放射線(主にγ線)であって、爆発後に降り注いだ放射性物質のα崩壊・β崩壊による放射線による被害は、前者に比べれば少量だった(それでも決して軽い被害ではありません。特に放射線源が体内に入った場合)と思われます。広島・長崎の残留放射能が少ないのは、死の灰が地球上に広く拡散していったというだけでなく、そもそも飛び散った放射性物質の総量がもともとそれ程多くなく、汚染は比較的小規模だったということが理由としてあげられるでしょう。

チェルノブイリの場合、爆発の規模は広島・長崎に比べ遙かに穏やかでしたが、爆発によって飛び散った放射性物質の総量は広島・長崎より遙かに多かったでした。よって、土壌は広い範囲で深刻に汚染され、また風によって近隣諸国にまで運ばれた大量の死の灰の影響は、今後広島・長崎よりも遙かに長期間、あの地域を悩ませるはずです。


[OKWAVE]

Posted by nob : 2017年01月05日 16:51

可能な範囲で賞味期限の近いものから買う、、、なるほど。。。(驚)

■卵は常温で2ヵ月保つ!大量の食品廃棄を生む賞味期限のウソ

奥田由意

年末年始は宴会が続く。罪悪感を持ちながらも、食べきれずに残したり、捨てたりする人も多いだろう。ところが、賞味期限内であっても、「業界の商慣行」によって大量の食品が廃棄されている実態があるという。そこで、食品ロス問題に詳しく、『賞味期限のウソ 食品ロスはなぜ生まれるのか』(幻冬舎新書)の著作もある井出留美氏に聞いた。(聞き手/ライター 奥田由意)

卵は冬場なら2ヵ月保つ!
賞味期限の驚きの実態

――本書にはいくつか衝撃的な数字が挙げられています。例えば、卵は本来、冬場(10度程度)は常温で約2ヵ月(57日)保つと書かれています。

 はい。産卵日から1週間以内にパックすることになっていますので、パックしてから7週間保ちます。

 しかし、実際に売られている卵は、パックしてから2週間が賞味期限となっているのが実情です。

――冬場だと、5週間も前に賞味期限が来てしまうことになります。

 だから卵は、仮に印字されている賞味期限が過ぎていても、加熱調理すればまだまだ食べられます。

――ところで、「賞味期限」と「消費期限」は違うのですか。

「消費期限」は、生鮮食品や日持ちしないお弁当、お惣菜などが対象で、その日までに消費する必要のある「食べても安全な期間」となります。一方、賞味期限は、日持ちする加工食品など「おいしく食べられる期間」で、期限を過ぎても食べられます。

――「消費期限」は期限内に食べる。しかし、「賞味期限」は過ぎても大丈夫なんですね。

 はい。賞味期限は、微生物試験などを基に算出した、実際に日持ちする日数を1として、「安全係数」という係数をかけて決めるのが一般的です。加工食品では、安全係数が0.8のものが多いです。つまり、10日保つ食品なら8日。

 これは法律ではなくあくまでもガイドラインで、実は、消費期限や賞味期限の決め方は企業に任されています。加工食品でも何年も日持ちするものも、卵のように数週間のものもあるので、本来一律に決めるのは実情には合わないはずなのです。

誰も声を大にして言わなかった
賞味期限の「3分の1ルール」とは

――まだまだ食べられる期間であっても、かなり余裕を持った期限が設けられているのですね。

 実はそればかりではなく、「3分の1ルール」という食品業界の暗黙のルールがあります。

 スーパーやコンビニなど小売店の多くは、賞味期限を3で割り、最初の3分の1を納品期限、次の3分の1を販売期限としています。

 納品期限までに、メーカーから小売店に納品しなければ、小売店は受け取らず、販売期限までに売り切らなければ、棚から撤去してしまうのです。メーカーは小売店から目をつけられたくないので、その習慣が根付いているのです。

――3週間が賞味期限のお菓子なら、最初の1週間以内にコンビニや百貨店やスーパーに納品しなければならず、次の1週間以内に売れなければ棚から引いてしまう。賞味期限のはるか手前なのに売り場にも並ばないのですね。

 納品期限のためにメーカーに返品される食品の額は年間821億円、販売期限のために、小売店から卸に返品されるのは年間432億円という推計があります。

 いままで誰も声を大にして言わなかったのですが、法律の規制ではなく、あくまで食品業界の商習慣です。それは、出荷後の保存環境をメーカーではコントロールできないので、一括して余裕をもった処理をしたほうが安全で効率的という面もありますし、少しの不備も許さない、日本の消費者の「ゼロリスク」志向の反映とも言えるのではないでしょうか。

――賞味期限前に大量の商品が廃棄されることになりますね。

 まだ食べられるのに、賞味期限など、さまざまな理由で廃棄せざるを得ない食品を「食品ロス」と言います。日本の食品ロス量は、632万トン(2013年度、農林水産省調べ)で、世界の食料援助量(320万トン)の2倍に当たり、3分の1ルールの影響が大きいと見ています。そして、その無駄になった分のコストや廃棄コストは、販売価格に転嫁されているわけですから、消費者にとっても大きな問題なのです。

――3分の1に縛られないでロスを減らす動きもあるようですね。

 2012年以降、農林水産省や消費者庁など4省庁連携の「食品ロス」削減のチームが発足し、菓子と飲料など35企業が、納品期限を「3分の1」から「2分の1」に延長すれば、87億円相当のロスをなくすことが可能であると試算されました。これは企業から出る食品ロスのうちの、1~1.4%。これを受けて納品期限を延長したスーパー・コンビニが11企業あります(2014~2016年度)。

忘年会、新年会で考える
3010運動

――賞味期限とは別に、レストランなどでの食品廃棄もありますね。

 私の受け持ちのゼミの学生17人のうち、食品関係のアルバイトをしている人が16人。全員が業務のなかで大量の食品廃棄をしているとのことでした。

 例えば、20合炊きのごはんがほぼ全部余って捨てるとか、オムライス店では、卵がきれいに焼けなければ捨てるとか、パン屋では毎日45リットルのゴミ袋2袋分パンを捨てているとか…いくらでもあります。

――レストランでの食品を持ち帰る「ドギーバッグ運動」というのもありますが、なかなか日本では根付きにくいですね。

 お店の人に尋ねてみて、一度でも嫌な顔をされると「心が折れて」、二度と言い出せない人が多いようです(笑)。

 ドギーバッグは、お店も消費者も積極的に取り組みたいという状況だとしても、食中毒を出したくない保健所と管轄省庁とのバトルで実現しないということもあるのです。

――フランスでは、大手スーパーで食品廃棄を禁じる法律が成立したといいます。

 売れ残ったものは、フードバンクといって、余った食品を無償で福祉施設に提供する団体に寄付するか、飼料として再利用します。

 ただ、フードバンクにまわったものも、結局、捌き切れずに廃棄しているのが実情です。それでも、イタリアでも法制定の動きに追随するなど、先進国で食品ロス削減の立法が実現したこと自体は意義があると思います。

――2016年11月に食品関係の国際学会に出席されたとのことですが、ほかに海外で意外な事例などはありますか。

 開発途上国では先進国に輸出するための設備は、国の投資で整えていても、国内流通の冷蔵庫や輸送など、ロジスティックスのインフラが遅れていて、廃棄されているようです。

 加工食品は利権のように役人などが余ったものを引き取るのですが、野菜など生鮮食品は引き取り手がないのでとくに廃棄が多いと聞きます。

――可能な範囲で賞味期限の近いものから買うなど、個人レベルで、消費者にもできることはありますね。

 本当は賞味期限や消費期限、余らせない食品の買い方、腐りやすい食品の知識などは中高時代に学ぶべきです。家庭科の教科書にはちゃんと載っているのですが、受験科目でないことや、過去には、家庭科は女子だけが必修だった時代もあり、残念ながら見過ごされていますね。

 ところで、先日荒川区の小学校の先生でおもしろい試みをした人がいます。給食で牛乳を残す子どもが多かったので一計を案じて牛を小学校に連れてきました。

 そしてペットボトル200本に水を入れて、「牛一頭からこれだけの牛乳をもらっています」と教え、乳搾りをさせたりしたところ、その後牛乳を残す子どもはなくなったというのです。そういう小さな試みがちょっとずつ人の意識を変えていくことがあります。

――新年会の季節ですが、「3010運動」という試みもあるそうですね。

 会食や立食パーティなどでは、せっかくおいしそうな品が並んでも、挨拶や商談などに専念しなければならず、食べてはいけないような雰囲気になりがちです。

 それを、「最初の30分と最後の10分は出された料理を集中して食べる時間」と決めて、食べ物を残さないという運動です。先日厚生労働省の知り合いが、省内の忘年会でも実践したと言っていました。

 とにかく、メーカーが印字した賞味期限が来たから「一律に捨てる」という態度ではなく、この本が「消費者が主体的な判断をする」ための一助となり、食品ロス削減につながれば…と願っています。

[DIAMOND online]

Posted by nob : 2017年01月05日 11:11

また旅立つ君へVol.123/まずはすべてをあるがままに受け容れることから。。。

仏教には「業」という思想があります。

「業に生まれ、業で生き、業で終わる」と考えられています。

この「業」とは、「言葉や行動、心の中で思うこと、それらすべての行いが自分に及ぼす影響力」とでも言うのでしょうか?


そして、その行為は、後になって新たな業となって自分に返ってきます。

自業自得とは、このことを言います。


業の中でも、両親のもとに生まれたという、あなたが持って生まれたが持って生まれた変わらない業を「宿業(しゅくごう)」と言います。どんなに自分が考え決めて行動しても、上手くいかない時は、この宿業が影響しているのです。


どんな人も、この宿業を背負って生きています。ならばそれを良い宿業に変えていかなければなりません。


お父さんやお母さんが大好きだから・・・

「私はこの世に父母の娘として、生まれて本当に良かった」

「お母さんのもとに願って生まれてきたことへの感謝」


ここに、この業の影響力を解く、ひとつのヒントがあるのです。


[「金剛院和尚の一言」より]

Posted by nob : 2017年01月01日 16:13

そのとおり!!!Vol.53/「肉体的・精神的に私たちが行うそのほかのあらゆる選択が、総合的な健康の増進に役立つ」

■健康な食事も「ストレス」で台無しに? 新たな研究結果

あなたは、あなたが食べたものでできている――ここ数年、この栄養学の鉄則に反する指摘が幾つかなされている。

例えば、「何を」食べるかだけでなく、いつ食べるか、何を飲むか、日々どのような習慣を実践しているかも重要だという指摘などだ。

こうしたなか、分子精神医学の学術誌「モレキュラー・サイカイアトリー(Molecular Psychiatry)」に発表された新たな研究報告では、ストレスによって健康的な食の選択に悪影響が及ぶ可能性があるという所見が示された。

ストレスが健康な食事を阻害する

オハイオ州立大学が実施したこの研究で、研究チームは乳がんを克服した女性を含む中年女性グループに、2種類の朝食を食べてもらった。

いずれの朝食にも卵、七面鳥のソーセージ、ビスケットとグレイビーが含まれる(そもそも最も健康的な部類に入る朝食ではないが)。片方の朝食(A)はパームオイルを使用して飽和脂肪が多く、もう片方の朝食(B)はヒマワリ油を使用して不飽和脂肪が多かった。

女性たちは2つの異なる状況の中でどちらか一方の朝食を食べ、研究所で血液検査を行い、自分たちの精神衛生に影響を及ぼし得る出来事について報告した。ストレスフルな出来事には、たとえば子どもが床にこぼした絵具の掃除や、認知症の親の介護などの自然発生的なストレス要因が含まれる。

その結果、不飽和脂肪が多い朝食(B)を食べた女性の方が、飽和脂肪が多い朝食(A)を食べた女性よりも4つの異なる炎症マーカーの数値が良かった。だが検査前日にストレスフルな出来事があったと報告した参加者には、より健康的な油を摂取した(B)効果はみられなかった。

研究者たちは報告書で「ストレス要因がヒマワリ油を使った食事(B)に対する反応が高まり、飽和脂肪を含む食事(A)に対する反応により近くなった」と指摘した。

ストレス要因がなぜ、食べ物に対する私たちの身体の反応に影響を及ぼすのかは興味深い問題だ。

ひとつ考えられるのは、ストレスによる炎症反応の高まりが、不健康な脂肪の心理的効果を”真似て”、より健康的な油の効果を弱める可能性だ(特定の脂肪や加工食品、過剰な糖分は体内の炎症反応を上昇させる)。

しかしストレスを感じている上に、さらに不健康な食事をとった女性については、炎症マーカーのさらなる上昇は確認されなかった。研究者たちはこの理由について、これらのマーカーに何らかの天井効果がある可能性があると考えている。

だが、だからといってストレスを感じた時に何を食べてもいいということにはならない。これはむしろ私たちが、自分のストレスレベルを深刻に受け止め、ストレス軽減に役立つと分かっていることをすべきだということを示している。慢性的なストレスも不健康な食の選択も、蓄積されていくと思われるからだ。

研究の1つの限界は、いずれの種類の食事も不健康だったということだ。実際にはこれは、意図的に現実の欧米の食事を真似たものだった。だが真に健康的な食事(たとえば野菜や魚)の場合はどうなるのかが分かりにくい。

ストレスフルな出来事が、単に油を変えただけの食事ではなく、真に健康的な食事の効果をいかに弱めるのか(あるいは弱めないのか)の解明が、次のステップになるだろう。またどのような種類のストレスが小さな”健康的な選択を台無しにし得るかということも不明瞭なままだ。

これらの問題が解明されるまでは、健康的な食事をして心の健康にも気を配るのが最善の策だろう。健康のためには、食の選択は確かに重要だが、私たちが日々行っているそのほかのあらゆることも同様に重要だ。

「あなたは、あなたが食べるものでできている」だけではなく、肉体的・精神的に私たちが行うそのほかのあらゆる選択が、総合的な健康の増進に役立つのだ。

Alice G. Walton

[フォーブス ジャパン]

Posted by nob : 2017年01月01日 15:15