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その通りだと思います。。。

■香山リカの「ほどほど論」のススメ

仕事に「自己実現」は必要か。
働くことが楽しくない人がいてもいい

仕事は本当に人のこころを健全化するのか

 東日本大震災以来ずっと言われ続けてきたことがあります。

 ただ支援物資を送るだけではなく、雇用を創出しなければならないと。

 避難生活も日がたつと、プライバシーを作るために段ボールでパーテーションを作る家族が増えました。不十分とはいえ家族だけの空間ができたのはいいのですが、そこにお父さんが1日中ゴロゴロしているとロクなことにならないということもあったようです。

 酒を飲み、ひどい場合はセクハラまがいの行為に及ぶ。奥さんはイライラし、子どもはお父さんを敬遠し始める――。仕事がないということがいかに人の気持ちを不健全にするかということがさかんに強調されました。

 たとえ十分な収入にならなくても、人は仕事をすることでこころの健全さを保つ。毎日決まった時間に「家」から出かけるだけで、家族全員がこころの安定を取り戻し、人にやさしくなれる。だから人を支えるためには仕事が大事なのだ。こころの面から見て雇用創出の必要性を訴える理由はそういうことになっているようです。

 しかし、こころの面から見れば、私は少し違ったイメージを抱いています。

 果たして「仕事をすること」と「こころが健全になること」は完全にイコールの関係なのでしょうか。お父さんが邪魔者扱いされなくなったのは、仕事をするようになったからなのでしょうか。

「亭主元気で留守がいい」

 かつてこんな言葉が流行しました。四六時中一緒にいて息が詰まった奥さんが、ただ単にそこから解放されただけということも考えられます。

 毎日定期的に外に出ることで、震災前の生活リズムを思い出し、前もこうだったという安心感が得られたことも無視できないのではないでしょうか。

働かないという人がいてもいい

「誰もが最低限の生活を送るために、すべての国民に最低限の収入を補償する」

 これはベーシックインカムの考え方で、ここ数年、議論が行われるようになりました。

「最低の生活ができることで、人は安心して本当に自分がやりたい仕事に挑戦できる」
「仕事をしたくてもできない人の所得補償になり、人が最低限生きていくためのセーフティーネットができる」

 肯定的な意見がある一方で、このシステムに危惧を表明する人もいます。

「所得が補償されてしまうと、生活レベルを下げて働かなくていいと考える人が増えてしまう。仕事に対するモチベーションが下がり、労働人口の減少に拍車がかかる」

 倫理上の問題も指摘されています。

「いくら生活レベルを落とすとはいえ、他人が払った税金に頼って暮らす人がいていいのか。働かないことで、こころが荒んでしまうのではないか」

 こうした倫理面からの指摘に対して、働かなくていいなどと考える人はいないと主張する勢力もあるといいます。

 その人たちの言い分は、人は誰かの役に立ちたいと考えるはずだから、仕事をしないで自分のためだけに生きる人はいないというものです。

 しかし私は、働かない生き方を選択する人もいるのではないかと思います。極論すれば、仕事をしないで自分のためだけに生きる人がいても構わないと思います。

 仕事をするにしても、人は、必ずしも人の役に立ちたいという動機づけがあるわけではないと考えているのです。

仕事を生きがいにしない人がいてもいい

 以前勤めていた大学の同僚の先生が、なかなか就職が決まらない学生にこんな助言をしていたのが印象的でした。

「やりたい仕事が見つからないなら、5時で終わる仕事を探しなさい。それから寝るまでの間は好きなだけ趣味に没頭できる。むしろそっちが生きている時間なんだから、最低限のお金を稼ぐだけの仕事を探すことも考えてみなさい」

 当時は、すでに「自分らしく働こう」などと言われていた時代です。学生たちは「そんな仕事なんかないよ」と落ち込んでいましたから、先生の言葉に救われたようです。

 もっと言えば、好きなことも特にない、かといって仕事も好きではない、そんなにガツガツ働きたくないという人もいると思います。

 そんな人が、無理やり好きな仕事を見つける必要があるのでしょうか。

 仕事は、一義的には食べていくための手段です。飢えずに生きるために働くという考え方を否定できるものではありません。

 人生で最大の目的は趣味を極めること。仕事はそのために必要なお金を稼ぐための手段にすぎないという考えも、私は否定しません。

 仕事が好きでもなく、仕事を生きがいにもできないけれど、それでも仕事をしている人は大勢いると思います。それらの人を「生きがいをみつけていない」とみなす風潮があれば、そちらの方が人の自由を奪ってしまう発想に思えてなりません。

仕事を自己実現の手段と考えない人がいてもいい

 かりにベーシックインカムのような制度ができ、最低限の生活を受け入れて、働かない生き方を選択した人がいれば、その人はこころがタフなのかもしれません。

 周囲からの評価を気にせず、好きなことをしている自分を受け入れられる。周囲から「それでいいの?」と言われても「いいんだよ、オレは」と言える。自尊心が傷つくこともない。これは揺るぎない自己を持っていないとできないことです。

 もし「周囲は働いているのに、働かない私はダメな人間だ」と自尊心が傷ついてしまうようなら、働いたほうがいいと思います。

 だからといって働かない人を排除する必要もないし、仕事が好きになれないからといってダメな人間だと烙印を押す発想も、社会を貧しいものにしてしまうでしょう。

 人の役に立っていると感じられなくても、仕事に生きがいを感じられなくても、人は仕事をすることで満足していいのではないでしょうか。経済活動に貢献していなくても、その人の価値が下がるわけではありません。

 働かなくても生きていける社会は、何らかの理由で自分が働けなくなったときに安心できる社会でもあるのです。働かない人を徹底的に排除する社会より、そのほうがよっぽど豊かな社会だと言えるのではないでしょうか。

 もちろん働くことに喜びを見出すことができる人は幸せでしょう。

 しかし、見つけられないからといって責められるわけではないのです。

 仕事をすることの到達点が自己実現だと言う人がいます。そこに到達するためにつらい仕事にも耐え、あるいはつらいと考えることさえ否定してしまいます。

 しかし、仕事で自己実現しなければならないということでもないのです。

 仕事の目的が自己実現という考えがスタンダードになると、万が一自分が働けなくなったとき、社会のどこにも身の置き場がなくなってしまいます。

「最低限の生活保障をもらって働かない」
「自己実現の手段としての仕事を通じて人の役に立ち、世界を変える」

 この二つを両極だとすれば、その中間にいるのも悪くないのではないでしょうか。

[DIAMOND ONLINE]

Posted by nob : 2011年11月29日 15:38

nothing to say...

■ふざけるな!玄葉外相 日帰り訪中に飛行機チャーター代1200万円

国民には「増税」大臣は「ムダ遣い」

 国民の税金をなんだと思っているのか。玄葉光一郎外相(47)が、バカ高いチャーター機を使って訪中したことに批判が噴出している。

 23日日帰りで中国を訪問した玄葉大臣。大新聞テレビは「外相訪中 異例の厚遇」などとヨイショしていたが税金の無駄遣いもいいところだ。飛行機代に1200万円も使っていた。霞が関関係者がこう言う。

「頻繁に外国を訪問する外相が、隣国の中国に行くのにわざわざ飛行機をチャーターするなんて聞いたことがない。定期便を使うのが当然です。チャーター機を使うのは、定期便の飛ばない辺境の国へ行く時か、邦人救出など緊急の時というのが常識ですよ。定期便なら羽田―北京往復は、正規料金でも26万円。1200万円もかけるなんて異常ですよ。贅沢すぎる。民主党は『財政が破綻する』と国民に増税を強いているのに、大臣が無駄遣いしているのだからメチャクチャです」

 さすがに外務官僚もチャーター機を使うことに難色を示したらしいが、玄葉大臣のたっての希望だったという。そもそも、この時期に訪中する必要があったのかどうか。つい最近、野田首相がAPECで胡錦濤主席と会ったばかりだし、12月の訪中も決まっている。

「政経塾出身の玄葉大臣は、エリート意識が強いナルシシスト。外相になったらチャーター機くらい当たり前と思っているのでしょう。やっかいなのは、政経塾の同期で、同じ当選6回の前原誠司(49)に強いライバル意識を持っていることです。前原政調会長が外交に口を挟むと反発して暴走しかねない。チャーター機を使って訪中したのも、存在感を誇示したかったのでしょう」(民主党事情通)

 なぜ、チャーター機を使ったのか外務省に問い合わせたが、締め切りまでに回答がなかった。

 しかし、民主党にはこんな大臣しかいないのか。国民に負担増を求めておいて無駄遣いなんて許されない。

[日刊ゲンダイ]

Posted by nob : 2011年11月29日 15:23

これほど美しい村、、、終の栖として残るも、新天地に移住するも、個々に選択可能な公平な保証救済策を。。。

■飯舘村を苦境に追い込み再生を阻む3つの壁
飯舘村のいま~再生への軌跡

前田せいめい


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野手上山頂の野手神山神社。この向こうに見下ろす山並みの一角に、クリアセンターと産廃最終処分場がある


本日11月25日夕刻、飯舘村小宮地区住民のみを対象にした3回目の説明会が、飯野町に置かれた村役場出張所で行われる。

 ここで小宮地区住民の有志がこの1週間進めてきた除染計画の白紙撤回を求める署名活動の結果が明らかにされ、それに対する村、国の対応が確かめられるはずだ。

住民の要望と「除染、帰村」の間にある溝


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小宮沼平から野手上山へ向かう途中、見上げる空。紅葉の季節も過ぎ冬がもう目の前に迫っている。この次の日、飯舘村に雪が降った


 11月20日、福島第一原子力発電所の1号機から4号機のある福島県双葉郡大熊町で町長選挙が行われ、除染により最終的な帰還を目指す現職町長が恒久的な町全体の移転を訴える新人を下し当選した(投票率68.34%、現3451票/新2343票)。

 これに先立ち、福島大学が双葉郡8町村全世帯を対象に帰還の意志を問うアンケートを実施、「戻る気はない」との回答が全体の26.9%だったことが発表された。ただし34歳以下に限れば、52.3%が「戻る気はない」としている。そのほかの回答結果からも、世代による考え方の違いが明確に表れている。

 飯舘村からは、こうした住民の意識が聞こえてこない。発表されないのではない、そもそも住民の意見や要望を集約することがなされていない。

 他自治体に先駆けて9月に「除染計画」が策定・発表され、さらには5~6月の時点からさまざまな放射能除去実証実験が村内で試みられており、外部からは「除染、帰村」が飯舘村の既定方針と見なされてもいた。

 だが、そこには住民の要望が反映されていないという声は、6月に発表された「までいな希望プラン」でうたわれた「2年内の帰村」方針に対する疑問としても表れており、「除染計画」にいたっては村面積230平方キロメートルの75%を占める山林の除染は無理だとする声があちこちから聞かれる。

小宮地区住民だけが対象の「説明会」

 10月4日、「負げねど飯舘!!」主催の集会で会場から村役場職員の発言があり、避難住民の所在把握が遅れており住民へのアンケート実施など意見集約ができていなかった、これからそのための場を設けていくと説明があった。

 後日始まり何回か開催された村主催の避難住民を対象とした「住民懇談会」では、住民からはっきりと「移住を希望する人への保障」を希望する旨の発言があり、それに対して菅野典雄村長は「国、東電はアテにできないので、村として考えていかなくてはならないと思っている」と答えている。


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小宮地区のごく普通の風景。ここから3kmほどの場所に除染ゴミの仮置き場が計画されている


 11月4日、数日前に突然召集された小宮地区住民を対象にした説明会が開かれた。小宮地区だけが召集されたことを知った多くの飯舘村住民が「もしや・・・」と思ったはずだ。

 飯舘村東部に位置する小宮地区には、村内から出るゴミの焼却施設(クリアセンター)と産業廃棄物を埋める最終処分場がある。除染計画書には村内の除染で発生した汚染ゴミは村内の国有林に仮置きするとある。

 仮置き場を小宮地区に置く、そのことの住民への説明ではないかと誰もが想像して不思議ではない。そしてそれは想像どおりだった。

 このとき、環境省のある技官が「除染については30年間かけて確立していく」と言ったという。つまり20年かけて完了させる予定の飯舘村の除染は、国にとっては「除染」ではなく壮大な「除染実験」の一部という位置づけなのだろう。


平行線の果てに「決定」された仮置き場設置


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自宅裏山を案内してくれる小宮地区の沼惇さん。「来年があると思えばこそ山の手入れもできた。来年も手入れするかどうかは、分からない」


 この説明会で住民を納得させられなかったため、14日に再度、小宮地区住民対象の説明会を開き、これはUstreamで配信された。

 「受け入れるにせよ拒否するにせよ、納得したうえで決めたい。いまの説明では受け入れるか拒否するか決める以前の問題」という住民の主張に対して村長は「国是、国策だから納得してほしい」と繰り返すばかりで終始平行線をたどった。

 再度の説明会開催を約してこの日は閉会したが、この2日後、住民が納得了承していない段階で政府は仮置き場設置の方針を決めたことが報じられた。

「政府の福島除染推進チームは飯舘村の仮置き場について村東部の『飯舘村クリアセンター』周辺の国有林に設置する方針を決めた。14日、福島市飯野の村役場飯野出張所で開かれた説明会で、同地域の小宮地区の住民らに説明した。

 説明会は4日に続き2回目の開催で、県内外に避難している小宮地区の住民約50人が出席した。住民からは仮置き場の規模や安全性の確保などに関する質問があった。『住民投票を実施してほしい』『除染方針に納得がいかない』などの意見が上がった。」(福島民報11月16日)


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阿武隈山系の豊かな水を湛える新田川


 14日の説明会の内容を受け、25日夕の開催が決まった説明会に向けて有志(新天地を求める会)が「新飯舘村の建設を目指す署名」活動を18日に始めた。この中で以下3点が提案されている。

住民が示す3つの提案「除染計画全面撤回」「新飯舘村建設」そして

●村の除染計画は住民投票に持ち込み全面撤回を求める。

●安全安心な地の提供を国に求め自治権を持った新飯舘村を建設して移住する。勿論個別に他所への移住は自由。

●新飯舘村建設、移住の原資を捻出する為に飯舘村に福島県の除染廃土の中間処分場の設置を認める苦渋の選択と引き換えに村民所有不動産の国による買い取り借り上げを求める。事情によっては核廃棄物最終処分場も受け入れも排除しない。

 これを、と手渡されて一瞬ことばを失った。

 「核廃棄物最終処分場も受け入れも排除しない」

 村が提示した「除染計画」は多くの住民が信用していないという。しかし除染しなくても30年経てば放射線量は半減し、さらに30年経てばもとの4分の1に減少すると言われている。ここに村が残っていさえすれば、もしかしたらまた、ここに戻ってこられるかもしれない。

 核廃棄物最終処分場を受け入れるということは、そんな一縷の望みを自ら断ち切ることにほかならないからだ。

「核廃棄物最終処分場受け入れも排除しない」

 地域エゴで仮置き場を受け入れないと言っているのではないと2010年に飯舘村にIターン移住した伊藤延由さんは言う。

 提示されている仮置き場の計画は、概略以下のようなものだ。

 暗渠用パイプを地中に埋める。その上に防水シートを敷き、除染ゴミをコンクリートで密封した1立方メートルの“サイコロ”を2段積みで並べ、一定の規模に達したところで防水シートで覆う。

 このとき、どれだけの除染ゴミが発生し仮置き場にどれだけの面積を要するのかとの住民の質問には「やってみなければ分からない」。どの程度の除染効果が見込めるのかとの質問にも「やってみなければ分からない」。


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産廃最終処分場周辺。この道の向こうに埋立地が広がる。ここに至るはるか前から、かなりの臭気が漂っていた。放射能にもし臭いがあったら・・・と想像してみる


 仮置き場の期限は「3年程度」とし、その間に中間貯蔵施設を建設し仮置き場の除染ゴミはそこへ移動する。移動されるまでの期間、除染ゴミはコンクリートボックスに閉じ込められているとはいえ野ざらしに近い状態にある。

 まんいち、この野積みの除染ゴミから放射能汚染水が漏れ出た場合、それは小宮地区を流れる新田川に流れ込み、それはそのまま下流の原町区(南相馬市)へと運ばれ、最終的には海に流れ込むことになる。ことは飯舘村だけにとどまらない。

産廃処分場建設には3年の時間をかけた


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空を映して流れる新田川


 小宮地区にあるクリアセンターや産廃最終処分場建設のときは、どうだったのか。曽祖父の代から小宮地区で農業を営む目黒明さんによれば、村役場から係員がやって来て全戸の捺印を集め、さらに下流の原町でも住民の許可を得るという手続きを踏んだため建設まで3年がかかったという。

 村長は南相馬市長にはこの件について話をしてあると言っているが、原町区住民の大半はこのことを知らされていないだろうと伊藤さんは言う。

 産廃処理施設でさえ住民の許可を得るために手続きを踏んで時間をかけた、ましてやより不安の大きな除染ゴミであれば、さらに慎重にことに当たるべきだというのが小宮地区住民の主張だ。

 村長の説明では「緊急を要するため時間がない」ということだが、実のところ最も「緊急を要する」事態は原発事故直後であって、8カ月以上経過した現在は相変わらず高い放射線量を示しながらも「安定状態」にある。

 緊急を要すると言うなら、やってみたけどダメでした、もういっかい最初からやり直します、という無駄な時間は与えられていないことをむしろ重視すべきで、それなら仮置き場などという危険で中途半端な施設ではなく、恒久的なものとするかどうかは別として最初から、放射能を閉じ込めて外に出させない最終処分場をイメージした施設を建設すべきではないか、というのが住民から出されている意見だ。

 14日の説明会では除染ゴミの量について、大雑把でいいから試算した結果を教えてほしいという住民の質問に対して、村長の回答はやはり「やってみなければ分からない」というものだった。

 実は仮置き場のモデルとなり得る除染実験の結果がある。飯舘村の中でも特に汚染度の高い地区のひとつである長泥地区の区長・鴫原良友さんが自宅を除染実験に提供したものがそれだ。

野ざらしの除染ゴミと効果のない除染

 実験のことを伺おうと鴫原さんの運転する車に便乗させてもらってお宅に向かう途中、飯舘村の比曽地区を通った。比曽地区の田畑は村からの指示を受けて雑草がきれいに刈り取られているが、比曽地区に隣接する長泥地区に差し掛かるとまったくと言っていいほど刈り取りは行われていない。区長である鴫原さんの判断で行わせなかった。

 「長泥は村のほかの地区とは(線量の高さが)別世界だ。健康を害してまでやることじゃない」

 5月、放射線の専門家、作業員が長泥の鴫原さん宅を訪れた。住宅の除染実験を行うためだ。母屋を高圧放水で洗浄し前庭の表土を除去、庭木の一部の枝をすっかり切り落とした。

 その時点では確かに放射線量は劇的に下がったものの、鴫原さんは結局「元に戻った」と言う。ばかりか、父親の形見とも思っていた庭木は無残な姿でいまも同じ場所に立っている。


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「手足をもがれたのと一緒だ」1本の庭木にさえ他人には計り知れない思いが宿っている


 「材木にする木を伐採したんじゃない、思い出を殺されたんだ、カネに替えられるもんじゃない、命なんだ、エラい先生には人の気持ちが分からない」

 枝ぶりを失いぼこぼこと節くれだった幹だけの松を見上げて悔しそうに鴫原さんが言った。


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裏山の林の中の「仮置き場」。放射能の専門家が処置したのだから安全なのだろう


 この除染実験で生じたゴミは鴫原さん宅の裏山に置かれブルーシートで覆われている。コンクリートで密封されてはいないが、概要からイメージされる仮置き場の状況に近いのではないかと想像される。ブルーシートの上に線量計を置くと見る見る数値は上がり、30マイクロシーベルト(毎時)を超えた。

 14日の説明会では村長から「早く動かないと国から予算が下りない」という発言もあった。

 2009年から飯舘村に住む沼惇さんは、村が除染計画にこだわり着手を急ぐのは、村の財政事情によるものではないかと分析する。

財政を人質に自主性を奪われる地方自治体の苦悩

 飯舘村を「豊かな」とする表現も一部に見られるが、財政的には他の小さな農山村と同様、過疎の危機に直面する「貧しい」自治体であることには変わりない。

 「飯舘村長期財政計画」からは、40億円規模の財政のうち村の自主財源は4分の1程度であることが分かる(2010年度は歳入総額50億9517 万円、うち自主財源10億4057万円)。過疎化に伴う村税の減少、歳入の半分を占める地方交付税の制度改革に伴う圧縮なども予想されている。

 さらに震災、原発事故の発生は年度末であり、おそらく現在、村にはほとんど財源が残っていないだろうことも想像できる。

 飯舘村の暮らしを(以前に比べて)豊かなものに変えたのが菅野典雄村長の手腕であることを否定する住民はいないだろうが、それも国や県からの交付金、補助金に頼ったものだった。頼らざるを得なかった。

 例えば写真撮影のために村内を移動すると、まず道がきれいに整備されていることに気づく。隣接する町村から飯舘村に入ると、それまでは細く荒れた路面だった道が、村に入ったとたん広がり滑らかになる。

 手入れされなくなった現在の事情はあるが、道路脇はきれいに草が刈り取られ丹精された季節の花が道行く人の目を楽しませたに違いない往時の姿をありありと想像できる。

交付金を地域で回す「村内出稼ぎ」が支える豊かさ

 道路整備だけではなく、さまざまな事業が村の事業として進められ、農作業の合間に駆り出された住民に手当が支給される。日本の多くの農家と同じく農業収入だけでは生活もままならないだろうが、国からの交付金を村の中で回すことによって村の人たちの生活も改善されてきた。

 菅野村長はそうした経済システムを高め、また飯舘牛やトルコギキョウ、リンドウといった花卉栽培などを導入して「飯舘村」ブランドを生み全国に発信してきた。積極的にIターンを受け入れ人口減少をとどめる努力もしてきた。

 そうしたこれまでの努力をぶち壊し水泡に帰せしめたのが、破壊された福島第一原発からやって来た放射能雲だった。村の先行きは財政を含め、まったく見えないものとなった。

 そこに提示されたのが、巨額の予算を伴う「除染事業」だ。村を豊かにすることに砕身してきた村長にとっては最後の命綱とも思えただろうし、実際それが実施されれば村にとっては最大の財源でもある。村が「豊か」になるには十分すぎるほどの額が動く。

 だがそもそも、この「除染事業」に「被災者の生活」への配慮など含まれていない。なんとなれば除染は、被災者の安全のためというよりも、「除染しましたよ」という事実を見せ「安全宣言」を出すことによって被災地の外に放射能の恐怖を拡散させないためのものだからだ。

 除染をすれば戻って生活できるだけの安全が本当に確保できるのかという質問には「やってみなければ分からない」という答えしか返ってこない。子どもたちが普通に生活できる環境なのか、規制値以下に線量が下がったとして果たしてそこで収穫された農作物を消費者が買ってくれるのかと考えれば、悲観的になるのが普通だろう。

「再生」には、いろんな形があっていい

 それならいっそ、安全な地に移って安全な生活を手に入れ安全なコメや野菜を作り安心して買ってもらいたいと考える人があるのも無理のない話だ。だが現状、移転して農業を再開するだけの資金がない。東電は賠償責任から逃れることしか考えていないように見えるし、国は「除染、帰村」前提でしか動かない。

 「新天地を求める会」の提案は過激だ。村の「除染、帰村」を一方の極とすればその対極にあるもので、ほとんどの住民はこの両極の間で揺れ動いているのが実際だろう。

 どの程度署名が集まるか分からない、むしろほとんど集まらないかもしれない、というのが伊藤さん、沼さんの予想だ。実際に昔から村に住む人たちと話をしても、面と向かっては多くの賛同を得られるものの、村と対峙する形になってしまうことはできるだけ避けたいと考えるのが田舎の人間のメンタリティーだということは、地方の山間部出身の筆者にとってはごく当たり前の事実だ。

 しかし、これまでこうした住民の意見が集約されなかった、その中で一方的に(おそらくは国の主導で)「除染、帰村」だけが進められることに対して、それだけが村の意志ではないことを示し、これをきっかけとして村の人たちがそれぞれ声を上げられるようになればいい、「飯舘村の再生」にはいろんな形があっていい、と署名活動に携わる人たちは考えている。

もうひとつの「安全神話」


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野手上ダムから下流の原町方向を望む


 「核廃棄物最終処分場も受け入れも排除しない」とは、なんと苦渋の決断か。

 飯舘村をこんな苦境に追い詰めたものに思いを致さずにおれない。第1に無定見な原子力政策を推進し災害対処で無策無能ぶりを世界中にさらしてしまった国、第2にそんな国の政策を背景にフィクションの安全神話を作り上げ果たすべき責任を十分に果たし得ない東京電力。

 そして第3に、原子力政策に乗り安全神話に寄りかかって、当然予想されたはずのリスクを本来関係のない地域に押し付け、そこから生み出される便利だけを享受してきたわれわれ自身。

 特にことここに至って住民を無視した無理な除染を国や自治体に迫り、もって「安全」「安心」を得ようとしているのは、いま現在リスクにさらされ不安に苛まれている被災者ではなく、安全圏にいて、いつか自分のもとにやって来るかもしれない放射能への恐怖から逃れたい一心のわれわれではないのか。

 自分たちの便利、安全、安心のために生じるリスクを、自分たちとは関係のない地域、住民に押し付けている。それは沖縄の基地問題にしても同じだ。「知らなかったんだから自分に責任はない」のではない。少なくとも、いまは多くの人が知ったはずだ。飯舘村、福島あるいは沖縄について語るとき、そのことの自覚は忘れるべきではないだろう。

 リスクを他者に押し付けることで自らは「安全」になれると信じている。それもひとつの「安全神話」ではないだろうか。

[Japan Business Press]

Posted by nob : 2011年11月29日 14:43

似て非なるもの Vol.35

人間が小さいことと

気が小さいこと

Posted by nob : 2011年11月27日 20:19

火急かつ不可欠な措置。。。

■原発周辺の帰宅困難地域「土地買い上げも」 細野氏

 細野豪志環境・原発事故担当相は27日午前のNHK番組で、東京電力福島第1原子力発電所の周辺で放射線量が高く住民の帰宅が困難な地域について「(土地の)買い上げもしくは借り上げを含めて長期的な対策を立てる必要がある」と述べた。

 一方で、福島第1原発から半径20キロメートル圏内で立ち入り禁止の「警戒区域」と20キロメートル圏外の「計画的避難区域」に関しては「放射線量がかなり下がっており、帰ってきてもらえる地域も相当ある」と指摘。事故収束に向けた工程表で原子炉の「冷温停止状態」を目指すステップ2を「何とか年内に達成し、その後どういった所に帰っていただけるのか本格的な検討に入りたい」との考えを示した。

[日本経済新聞]

Posted by nob : 2011年11月27日 17:20

高齢者の、、、高齢者による、、、高齢者のための社会構造変革。。。Vol.2

■高齢者住まい法が改正され、2011年10月20日から 「サービス付き高齢者向け住宅」の登録制度がスタートした。折しも11月11日は「介護の日」。「いい日、いい日」の語呂合わせで、厚生労働省では介護の意義や重要性についての周知・啓発活動を行う日としている。高齢者向け住宅の選択肢は増えたが、自分らしく生きるための“終の棲家”はどのように見つければよいのか、介護ジャーナリストの小山朝子さんに聞いた。

自分らしく生きるための
介護と医療が連携した高齢者の住まい

「今回の改正で改善されたのは、高齢者の住まいのあり方が、高齢者や家族にとってわかりやすくなったこと。そして介護と医療のサービスを組み合わせて利用することができるようになった点です」と説明するのは、介護ジャーナリストの小山朝子さん。

高齢化が進み、
住宅の供給が立ち遅れ

 これまでの高齢者住宅は、「高齢者向け優良賃貸住宅(高優賃)」「高齢者専用賃貸住宅(高専賃)」「高齢者円滑入居賃貸住宅(高円賃)」などの複数のタイプがあり、違いがわかりにくかった。今回の改正ではそれらを廃止、「サービス付き高齢者向け住宅」に一本化された。

 登録の基準として、居室の床面積が25平方メートル以上、バリアフリー構造、キッチンや水洗トイレなどの設置が必要とされ、さらに安否確認や生活相談サービスなどが義務づけられる。また介護が必要となった場合、引き続き安心して暮らせるように、介護と医療のサービス(「定期巡回・随時対応型訪問介護看護」等)を組み合わせて利用できるようになる。祖母を在宅介護した経験のある小山さんは、特に医療と介護のサービスが付加されることが心強いと言う。

「今回の改正の背景には、日本の高齢化が急速に進んで、高齢の単身者や夫婦のみの世帯が増加していること。にもかかわらず、高齢者を支援するサービス付き住宅の供給が、欧米諸国に比べて立ち遅れていることがあります」(図1・2参照)

 国土交通省では「今後、10年間に60万戸の高齢者住宅を供給する」という目標を掲げ、2020年までにサービス付き高齢者住宅の割合を、欧米並みの3~5%に高める方針を打ち出している。ちなみに有料老人ホームも、基準を満たせば登録が可能となる。

コミュニティが支える
高齢者の住まいが理想

 もっとも住まいの選択肢は増えても、理想の“終の棲家”を選ぶとき、考えなければならない問題がある。「介護の状態にもよりますが、大切なのは、高齢者として自分がどのように生きていくか。ライフスタイルを見つめ直すことが必要なのです」(小山さん)。家族であれば、その家族が望む暮らし方を実現できる住まいが望ましい。

 ある資料(平成22年度東京都福祉保健基礎調査「高齢者の生活実態」東京都福祉保健局調べ)によれば、都内の高齢者の約7割が「現在の住宅に住み続けたい」と希望しているという。今後、地域での24時間対応の訪問介護看護サービスなどが充実してくれば、一人暮らしであっても自宅で介護や医療サービスを受けながら暮らすという選択肢も、もちろん有効になる。

 最終的に決め手となるのは、人と人とのコミュニケーション。介護する側とされる側の相性がよければ、そこは安息の住まいとなる。そのためにも、介護施設や高齢者向けの住宅を選ぶときは面倒がらずに、納得するまで何度も説明を聞き、現地に足を運ぶことが大切だと小山さんは言う。

「私が考える理想の介護施設や高齢者向けの住宅とは、地域のなかで生き生きと暮らせる“開かれた場”です。施設見学のときは、地域での評判を聞くこともポイントの一つになります。

 ヨーロッパにはリタイアした音楽家が集って暮らす住まいがあったり、米国には高齢者しか住んでいない町があります。そこに共通しているのは、自分の意志で晩年の生き方と住まいを選んでいるという点。長寿化する日本では、65歳以降のセカンドライフがさらに長くなります。高齢者の住まいのあり方も多様化するなか、まず自分がどのような生き方を選択するのか、主体性をもって考える必要があると思います」

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[DIAMOND online]

Posted by nob : 2011年11月24日 09:01

オウム、拉致、震災、いつも政府も私達国民も所詮は他人事、、、自分事に換置できない想像力の欠落、、、心に沁みる河野さんの在り様。。。

■「特別な思いない」=オウム裁判終結で河野さん—鹿児島

 松本サリン事件の被害者河野義行さん(61)が21日、オウム真理教をめぐる事件の裁判が終結したことを受け、還暦などを機に昨年転居した鹿児島市内で記者団の取材に応じ、「2008年8月に妻が亡くなり、自分の中で松本サリン事件は終わった。特別な思いはない」と感想を述べた。

 元教団代表松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(56)の裁判については、「真実を引き出すためには一番大事な場面だったが、控訴審も行われず終わってしまったのは大きな損失。『なぜ』が分からなければ、再発防止もできない」と話した。

 一方で、一連の事件を起こした動機などに関して、「今後も有期刑の受刑者らから探っていく必要があると思う」とした。

 松本サリン事件で当初、容疑者扱いされたことについては、「1年間は逮捕されないために何をするか、その1点しか頭になかった。近隣の住民からは『町から出て行け』と言われ、警察からは自白を強要された。マスコミの誤報もあった」と振り返った。「それぞれの人が職責を果たしていたかどうか考えると、抜けていた部分があったと思う」と指摘した。 

[時事通信社]


■再発防止策 見いだせない 松本サリン被害 河野義行さん

 「事件前に戻ることはできない。ならば死刑囚らを恨み続けるような人生の無駄はせず、残された者として平穏に生きる」。一九九四年の松本サリン事件の被害者でありながら当初、警察の家宅捜索を受けるなど二重三重の苦しみを味わった河野義行さん(61)は、十七年の思いをかみしめた。日本を恐怖に陥れたオウム真理教の一連の事件の公判は終結したが、真相はいまだ見えないままだ。 

 「私にとってのオウム事件は、妻が亡くなった二〇〇八年八月に終わっています」。河野さんの妻澄子さんは、サリンの後遺症で寝たきりになり、六十歳で亡くなった。河野さんにとって、事件が起きた最初の一年は、犯人視する警察の捜査とマスコミの報道被害との戦いだった。「冤罪(えんざい)」が晴れてからは、三人の子どもへの親としての責任を果たし、妻の回復を願い続けて生きてきた。

 ただ、首謀者とされる麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=の二審で実質審理がなかったことには「なぜ国家転覆を狙ったテロが起きたのか、本当に首謀者だったのかなど真相が分からず消化不良。再発防止策が見いだせない」と残念そうな表情を見せた。

 一方で、「裁判が終わったことで口を開く人が出てくるかもしれない。テーマを持ったジャーナリストに真相究明を期待したい」と望んでいる。

 今後は麻原死刑囚ら死刑確定者の執行に世間の関心が移る。死刑制度については「現行法では合法で正義だが、個人的には、どの命もかけがえがなく、冤罪防止のためにも廃止すべきだと考えている」と話す。

 松本サリン事件で使われたサリン噴霧車の製造にかかわり懲役十年の刑を受け、出所後に自宅を訪れた元信者とは友人になった。刑務所で覚えた技術を生かし、自宅の庭木の手入れを任せ、今でも温泉や釣りを共にする。「社会的に罪もつぐない、反省もしている。友人になりたいと思った相手だから」

 一昨年と昨年には東京拘置所で、二十一日に上告棄却となった遠藤誠一被告(51)=一、二審死刑=ら教団元幹部四人とも面会。死生観や入信の動機などを聞く中で、「ごく普通の人。むしろ他の人より真面目」という印象を持ったという。

 自身が受けた報道被害については「事件報道で、マスコミが警察からの非公式情報を基に危うい橋を渡るシステムは、いまも当時と変わっていないようにみえる」と話す。

 澄子さんの三回忌と還暦を迎えた昨年、人生をリセットしようと鹿児島に移住した。講演活動も減らす予定でスローな生活を送る。「今後は隠居生活。いかに心地よく死ぬかがテーマです」。穏やかに語った。 (山内悠記子)

[東京新聞]

Posted by nob : 2011年11月22日 09:09

そうだったのか、、、書く事の効用、、、ナチュラルに私も実践してきています、、、ここでも。。。

■「イヤなことを確実に忘れる」意外な方法

「1年前の夕食の中身」が思い出せない理由

 よいことはできるだけ覚えておいて、イヤなことはさっさと忘れる——。

 都合のいい「方法」のようですが、不可能ではありません。今回は特に、「イヤなことを忘れる」方法をご紹介します。その方法はというと、逆のようですが、本連載で繰り返し主張している「記録をとること」です。

 私達の頭脳というのは時に不都合な働き方をします。

 「忘れたいのに……」(失恋した相手のことなどについて)
 「覚えたいのに……」(英単語など)

 という嘆きはあちこちから聞こえてきます。今この瞬間にも悩んでいる人がいることでしょう。

 私達の頭は、私達のために働いているのですから、本来「忘れたい」ことは速やかに忘れる (消去) べきだし、覚えたいことは即座に頭に入る (記銘) べきでしょう。そういう風に機能しないのは、不思議なことです。

 「忘れる」ことがコントロールできないのです。これが不思議なところなのです。

 下のグラフは、1972年に辛抱強く自身の「エピソード記憶」を観察実験した、マリーゴールド・リントンによるものです(彼女の仕事は「Evernote」* があったらさぞ楽になっていたでしょう/*「Evernote」:様々な情報を保存することができるソフト)

◆「忘れる」とは「中身を思い出せない」こと
◆「忘れる」とは「中身を思い出せない」こと

 彼女はこの図について次のように述べています。

 ——試行(または経験)数は、エピソード記憶と意味記憶に対して対称的な影響を及ぼす。何らかの特定事象クラスの経験が増大すると、その事象およびその文脈に関する意味(または一般的)知識が増大する。しかし類似事象の経験が増大すると特異的エピソード知識が次第に混乱し、そして最終的にエピソードの区別がつかなくなる(『観察された記憶—自然文脈での想起(上)』p97)——

 身近な例でいえば、たくさん食事をしていると、「食事」に関する一般的知識が増大する一方で、1食ごとの中身の区別がつかなるのです。つまり1年前の夕食に何を食べたかは忘れるということになります。

 大好きな彼とのデートであっても、100回目にはさほど興奮しなくなるでしょう? さほどというのが言いすぎであるなら、「1回目」ほどは興奮しなくなっているはずです。

 そしてどれほど大切にしてきた関係であれ、100回の内容を全部区別できるかどうかは疑わしい。区別できなくなって、どれも同じ「デート」という「意味」になったとき、私達はあまり興奮しなくなっていくのです。

 つまり、「経験」が「文章」に変わったとき、感情的になる理由も失われるのです。

「具体的な記憶」と「抽象的な記憶」

 「不思議な不思議な池袋」では、「西武」デパートが「東口」に、「東武」デパートが「西口」にあります。この「知識」は大変便利です。都内大半の駅で道に迷う私が、池袋でまったく迷わなくなったのは、この知識を仕入れた以後のことです。

 抽象化の価値はここにあります。都心の大きなステーションは、目まぐるしく激しく変化します。店は変わる変わるし人はたくさん歩いているし、もちろん記憶は定かでないので、具体的な目印がなかなか役に立ちません。

 しかし「西武は東」というほぼ不変の、したがって非常に抽象化しやすい「意味」(「池袋では西が東」)の知識が一度頭に入ってしまえば、他のやたらと変化する具体的な事実(「『ねんりん屋』が新しく池袋にできたね」)などは、全部忘れてしまってOKです。

 どういうことかというと……。「『ねんりん屋』が池袋にできた」ことは具体的で写真に撮れます。感情の動く情報とはこうした情報なのです。具体的で、情報量が多く、よく変化する事柄です。

 一方で「西は東」というのは写真に撮りにくいわけですが、情報量は少なくしかも変化しません。おそらく脳は、「『ねんりん屋』ができた」とか「新しいイタリアンのレストランができた」といった情報を全部とっておくのでは負担が大きいので、できればさっさと抽象化したいのでしょう。抽象的な情報なら、面白味はなくても負担も少なくて済みます。

 私達は年齢を重ねるにしたがって、どんどん「物忘れが激しくなる」と感じるわけですが、それは「エピソード」を抽象化して、どんどん「意味記憶」ばかりにしていく過程と考えることもできるわけです。たくさんの引き出しを何度も使っていれば、「引き出しにしまった」ということだけを覚えていても、どの引き出しにいつしまったかは思い出せなくなるということです。

「書く」と、「抽象化」が早まるから忘れられる

 さて、「記録に残すことで、イヤなことを忘れる」というのは、出来事の経験を「意味」に直してしまうことで、感情的に落ち着くという方法です。いわば出来事の「面白味」を削って、特徴と対策だけに絞ってしまうことといえます。

 そもそも「意味記憶」とは「言語で表記できる」ということ。言葉で書くということは「抽象化」に近い作業なのです。

 「イヤなこと」という抽象的な「問題」に対しては、「対処法」があります。ちょうど池袋駅が大幅に改築されても、「西武は東」であることに変わりなく、その点にのみ注意していれば道に迷わないのと一緒です。

 「さっき遭遇したイヤなこと」を事細かに思い出していても気分が悪くなってしまうだけですが、「イヤなこと一般」への対処方法は記憶にあります。「イヤな気分」への対処の仕方も脳が覚えているでしょう。20年くらいのデータベースがあれば、出てくるはずです。

 つまり、忘れてしまいたいことを経験したら、さっさと記録に残し、「イヤなこと」への機械的な対応策も併記して、抽象化するべきなのです。いやなことは「思い出」ではないのですから、細部まで頭に残して気分を悪くする必要はないはずです。ぜひ、「忘却力」を身につけてください。

[WOMAN Online]


■「損したくない気持ち」がダイエットになる!?

レコーディングダイエット〜「書くだけでやせる」本当の理由

 こんにちは。佐々木正悟です。さて、前回(片付けるためには「整理しない」のがコツ)お話したとおり、本連載では、「ちょっとした習慣」を作ることで、生活や人生をよくするヒントをお伝えしたいと思っています。その最重要メッセージは、

 何でも記録するだけで成果が出る

 ということです。

 ただ、これがなかなか信じてもらえないのです。その証拠に、家計簿も「面倒くさい」という理由でつけない人がたくさんいます。

 家計簿については回を改めますが、家計簿をつけないというのは私からするととてもとても不思議です。世の中の人はみんなもっとお金が欲しいと思っていると思いますし、ただ収支の記録をとるだけで貯金額が増えるのに、それをしない。足し算と引き算すらやる必要がありません。それは今ではコンピュータがやってくれますから。

 収支の記録をとれば、ある程度はお金が貯まっていきます。

 同じように、記録さえ残せば、ある程度はやせるものです。

記録をとれば、やせる

 岡田斗司夫さんの『レコーディング・ダイエット決定版』(文春文庫)をご存知でしょう。なるほど!と思った方は多いでしょうが、実際には、やはりなかなか信じていただけない。

 『レコーディング・ダイエット決定版』に、こんな文章があります。

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 私は、食べ歩きメモをもっと詳しくとることにした。
 あわせて、毎日の体重もメモをするようにした。
 当時の私は「やせたい」ではなく、「なぜ私は太っているのか?」という疑問の答えが知りたかっただけなのだ。
 そしてある時、気がついたのだ。体重が減っている!

            ※『レコーディング・ダイエット決定版』(文春文庫)より

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 面白いと思いませんか?

 岡田さんはただ食べ歩きメモをつけていただけです。カロリー計算も運動もしていません。そもそもカロリーを記録していません。記録を読み返してすらいません。ただ記録をとったら、やせていたのに気がついたというのです。

 もちろんこの連載をお読みの方は、当時の岡田さんほどの体重をお持ちでないでしょうから、そこまで劇的な効果は期待できないでしょう。それでも記録をとればやせることが期待できます。分析したり、読み返したり、カロリー制限したりしなくても、です。

記録で体重が減る理由

 どうしてそういうことが起きるかというと、すべての食事を記録をするとなると、無意識に食べるということができなくなるからです。

 私たちは無意識のうちに何かを食べてしまうということができます。極端な話、半分眠っていても何かを食べることはできるのです。

 しかし、半分眠りながら自分の食べたものを全部、正確に記録するということはできないのです。それをやろうとしたら目が覚めてしまうでしょう。

 この自覚が大事なのです。食べることに意識的になれば、無意識のうちに食べていたようなものは、食べなくなっていきます。それは食べても食べなくてもよかったようなものだからです。

 これは食事に限ったことではなく、何かを減らしたいと思ったら、必ず検討するべきことです。無意識のうちにお酒を飲んでいたり、無意識のうちにタバコを吸っていたり、無意識のうちにチョコレートを食べているという人は少なくありません。

 飲み会で飲んだお酒の杯数、覚えていますか? なぜ14杯飲んだのでしょうか? それは13杯ではいけなかったのでしょうか?この1杯分のカロリーは、1杯分です。13も14も同じ、ということは決してありません。

 ダイエットとは、食べる量をゼロにするということではありません。食べる量を減らすということです。もっとも減らしやすいのは、無意識に食べている食べ物です。これは記録をとることによって、自動的にゼロになります。

書かずにいられなくなったら、シメたもの

 記録にはもう一つの利点があります。あるテーマについて記録をとり続けていると、記録をとらずにはいられなくなっていくのです。

 このお話は回をまたいで何度もすることになりますが、それだけ知っていただきたい話です。

 ところで、私たちは「損をしたくない」と思うものです。そして、その気持ちは非常に強い。

 しかし、そんなに強い「損をしたくない」という気持ちも、シチュエーションによってずいぶん違ったものに感じられるから不思議です。おそらく「レコーディング・ダイエット」を始めたての人は、「食事の度に記録をするなんて、時間の無駄」と思うでしょう。つまり「記録をつけることは損」と感じているのです。

 しかし、記録をつけて100日も経つと、「記録をつけないと損」と必ず感じられるように変わります。「何が損か」についての感じ方が変わるのです。

 経済評論家の勝間和代さんはこの心理を上手に利用して、運動の習慣化に生かしていらっしゃいます。

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 家でも運動はできるのですが、どうしても、他の誘惑(読書とか、仕事とか、映画鑑賞とか、新聞読みとか)が多くて、なかなか運動に集中出来ません。

 しかし、スポーツクラブに行ってしまえば、それ以外のことはできません。

 ※「毎日、何かの運動をするということ--- 勝間和代公式ブログ: 私的なことがらを記録しよう!!」より
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/private/2011/05/post-dd15.html

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 よくよく考えてみれば、そうでもないことがわかります。スポーツクラブに行ったとしても、読書も、仕事も、映画鑑賞も、新聞読みも、しようと思えばできます。でもそうはしません。なぜなら、スポーツクラブに行って本を読んだり映画鑑賞するのは「損だ」と感じてしまうからです。人は損だと感じたことはしたくないものです。

 「レコーディング・ダイエット」も同じような形で、「ダイエット」を後押ししてくれます。とにかくすべての食事の記録をただひたすらにとり続ければ、やがてなぜか「記録を残さないと損だ」と感じるようになっていきます。全部の記録を残してきたのに、ある日の食事だけ記録をとらない、というのは心理的に難しいのです。

 すると同時に、「こんなどうでもいいようなおやつのために、記録をとるのは面倒だ」と感じる日がやって来ます。この手間をかけて記録を残すくらいなら、むしろ食べない方がマシ、と感じるわけです。人は損をするのが嫌いなのです。

 つまり「レコーディング・ダイエット」とは、少なくとも

・無意識のうちに食べてしまうものを食べなくなる
・記録するのが面倒だと思うことで、食べなくなる

 という2点で、ダイエットを後押ししてくれます。食べなかった分はカロリー摂取が減ったわけですから、少なくともその分は体重が落ちます。そして記録をずっと継続する限り「レコーディング・ダイエット」は継続できるのです。食べ過ぎても、カロリーオーバーしたと思っても、運動しなくても、とにかく記録が途切れなければ、ダイエットに失敗したことにはなりません。

 やせたい人は、口に入れたすべてのものを記録してみてください。分量やカロリーなど細かいことは必要ありません。「食べたもの」を書くだけでいいのです。

 記録する際の注意点としては、
・同じノートを使う
・日付を入れ、そこに体重を入れる(減ったことを知るためにも)
・食べた時間を入れる
・食べたものは全部書く(省略は一切ダメ)
といったことに気をつけてください。

[WOMAN Online]

Posted by nob : 2011年11月22日 08:52

水は一滴のしずくにはじまり、、、

一滴が集まればやがて大海にもなる。。。

Posted by nob : 2011年11月21日 09:46

日本という国の縮図、、、憤懣遣る方ないのは社員も国民も同じ。。。

■海外4ファンドに「飛ばし」=含み損を分割管理―前副社長ら3人担当・オリンパス

 オリンパスによる損失隠し問題で、同社が2000年ごろ、1000億円を超える含み損を抱えた不良資産を分割し、海外の四つの投資ファンドに移していたことが20日、関係者の話で分かった。うち2ファンドを森久志前副社長が、残る2ファンドを2人の証券会社元社員がそれぞれ担当し、海外への「飛ばし」を実施。企業買収を通じた資金で含み損を穴埋めするまでの間、一貫して3人で4ファンドを管理し続けたという。

 オリンパスによる損失隠しの詳しい実態が判明した。東京地検特捜部も把握しており、森前副社長らを事情聴取して全容解明を進めている。

 関係者によると、同社は01年3月期から時価会計基準が導入されるのを契機に、バブル期の投資失敗で抱えた多額の含み損を、英ケイマン諸島のファンドなどに移したとされる。

 最初の「飛ばし」は00年3月までに、証券会社元社員の1人が担当して実施した。外国銀行に約300億円を預金し、これを担保に海外ファンドに融資。このファンドが融資金でオリンパスの抱える不良資産を買い取る形で、含み損を移した。

 同年9月までには、債券を購入した資金など150億~350億円を三つの新たな海外ファンドに回し、不良資産を買い取らせた。うち2ファンドは森前副社長が、一つは別の証券会社元社員が担当した。

 さらに最初に含み損を移したファンドにも、150億円分を上乗せ。これにより、当時約1250億円あった含み損全額の「飛ばし」を終えた。

 計4ファンドに移した含み損は、その後の運用結果などに応じて増減。07~10年、国内3社の買収資金や投資助言会社への報酬などで穴埋めされた。各ファンドの穴埋め資金の捻出は、それぞれの担当者が中心になって行ったとされる。 

[時事通信社]

Posted by nob : 2011年11月21日 09:10

役者を変えるだけでなく、、、脚本を変えなければ舞台は変わらない。。。

■猪瀬直樹:首都圏でファンド創設、“第2東電”をつくる
1000万kWある老朽火力設備の更新が早急の課題だ

猪瀬直樹(いのせ・なおき)

 首都圏の知事や市長たちが集まる会議で、官民連携インフラファンド創設を提案した。民間参入で“第2東電”をつくることで、100万kWの「東京都電力」だけでなく、火力発電の老朽化による深刻な電力不足に取り組んでいく。

 11月8日、東京・神奈川・埼玉・千葉の1都3県と横浜市など政令市による会議(九都県市首脳会議、東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県・横浜市・川崎市・さいたま市・千葉市・相模原市)があった。そこで、石原慎太郎知事は、首都圏の電力を安定供給するうえで民間事業者の参入促進を図るため、九都県市の枠組みで官民連携インフラファンドを創設することを打ち出し、賛同を得た。その後に開かれたフォーラムでは、僕が詳細を補足した。

 会議およびフォーラムでは、電力需給逼迫について危機感が共有された。震災以来、東北電力の供給力が圧倒的に不足している。そのため、電力使用制限令がかかっていた今夏でも、9回ブラックアウト寸前になっていた。

 9月10日に電力使用制限令が切れて以降も、危機的な状況はつづいている。9月12日、夏の暑さがつづいたので東北電力はまた供給が足りなくなり、東京電力側が40万kWを融通した。東電管内から電力を供給しないと、東北電力管内でブラックアウトが起きる状況となっている。

 新潟の東電柏崎刈羽原発は現在、7基(800万kW)のうち2基分で250万kWを供給しているが、定期点検でこの春までにゼロになる。震災で福島原発が止まり、東電管内では電力供給が900万kW落ちた。来春には、さらに800万kWもすべて失われる。

首都圏エリアに1000万kWの老朽火力が集中している

 今年12月の東電の電力供給見通しは、約5500万kWである。一方、電力需要がだいたい5200万kWだと言われている。ところが、2007年の冬には、5500万kWをオーバーしたことがあった。

 何とか東電管内ではこの冬を乗り切ったとしても、東電管内から東北電力管内に融通できる電力が少なくなるのは確実だ。東北電力は、70万kWぐらい不足すると予測されている。融通できる電力が足りなくなれば、ブラックアウトが現実のものとなりかねない。

 この電力危機に、首都圏として対処していく必要がある。東京都は、東京湾に100万キロワットの天然ガス発電所を作るプロジェクトをスタートさせているが、もちろんそれだけでは足りない。原発事故で東電の経営が悪化しているなか、安定的な電力供給のためには、従来の東電一社独占体制に対して、官民連携による新たな枠組みを構築しなければならない。

 いま福島第一原発事故をうけて原子力にかわり発電の主役は火力発電(3900万kW)が担っている。しかし、この東電の火力発電の4割は、運転開始から35年を超える老朽火力なのだ。東京電力の出力で1500万kW分もあり、更新投資額は1兆円を超えることを突き止めた。

 しかも東京都・神奈川県・埼玉県・千葉県という首都圏エリアに1000万kWが集中している。早晩、東電はこれらの設備の更新を迫られるに違いない。

独立発電事業者の新規参入を促す仕組みが必要だ

 首都圏に1000万kWある老朽火力を新しい設備に取り替えることができればよいが、多額の賠償の支払いに迫られたいまの東電には無理がある。莫大な設備投資のために資金調達ができないからだ。

 老朽火力の更新や、新規発電所の建設を着実に進めるには、これまでの東電頼みの構図を変えて、非東電の民間電気事業者の参入を促せばよい。自家発電した電力を東電に卸したり、東電の電線を使ってビルや工場に電力を販売したりする形態はこれまでもあった。たとえば、東電が自社の新規投資によってかかる原価より、安く卸してもらえば、発電コスト引き下げの誘因となり、ひいては電気料金も安くなる。

 かつて90年代に電力自由化の流れが起き、発電部門への新規参入を拡大する「火力入札制度」が95年に導入された。ガス・石油などエネルギー関連メーカーや、鉄鋼をはじめとした素材メーカーなど発電設備をもった企業が参入している。たとえば住友金属鹿島製鉄所(茨城県)は50万kW、JFE東日本製鉄所(千葉県)は39万kW、東京ガスの横須賀パワーステーション(神奈川県)は20万kW超の出力の発電設備がある。

 火力入札制度による新規参入者は独立発電事業者(IPP)と呼ばれ、東京電力のIPPからの調達量(07年度)は239万kWにまで伸びた。

新規参入のネックになるのが資金調達

 しかし、その後、状況は一変する。1995年当時、1バレル=20ドル程度だった原油価格が、5年後の2000年度には30ドル、2005年度には60ドルへと3倍に上昇したのだ。東電は燃料費が高くつく火力ではなく、原子力への依存をつよめる。火力入札を義務化した制度も05年度には廃止された。

 東電という巨大な独占事業体の資金調達力が失われているいまこそ、民間を育てるときではないか。東電の代わりに資金を調達し、発電する。“第2東電”をつくる、と言い換えてもよい。

 政府の第三者委員会(東京電力に関する経営・財務調査委員会)も、東電以外の民間発電事業者の参入を提言している。既存IPPの反応も上々だという。
 火力入札が実施された場合の参入の可能性等について、主要IPP事業者数社へのヒアリングを実施したところ、いずれも積極的なスタンスを示した(10月3日に公表された東京電力に関する経営・財務調査委員会の報告書より)

 そのとき、最大のネックとなるのが、新規参入者のための資金調達だ。発電設備はインフラ産業で、大儲けはできないが長期的に着実な収益を得る。ただ、100万kW規模の「東京都電力」と異なり、既存IPPは比較的小規模だ。規模が小さければそれだけ収益も小さい。民間金融が初期投資をリスクと受け取れば、民間金融だけでは資本を集めることが難しくなる。

民間融資の呼び水となる官民連携インフラファンド

 官民連携ファンド創設を提言したのは、初期投資の資金を確保するためである。具体的な形としては、有限責任の投資家(機関投資家、事業会社、外資系金融機関などを想定)と無限責任のファンド運営体が出資して、官民連携インフラファンドをつくる。この官民連携インフラファンドが、投資対象となる発電事業に出資・融資を行う。

 官民連携インフラファンドが投資することで、民間金融機関からの融資も呼び込むことができる。呼び水となるお皿をつくれば、民間もお金を出しやすくなるというわけだ。

 その際、国や自治体は、ファンド運営体に共同出資する形をとる。ファンドの運営および投資判断は、あくまでファンド運営体が行うので、リスクは遮断される。

 11月10日には、国と東京都の協議会の場でも、電力問題について協力を求めた。東電や電力供給の問題は、東京も無関係ではない。最大の需要地である東京に意見を聞いてくれないといけませんよと忠告もしておいた。

 しかし、政治の動きは依然として遅い。菅直人前内閣の“脱原発”は野田内閣ではどうなったのか、はっきりしない。柏崎刈羽を動かすのかどうか、東電の老朽火力発電をどれだけ取り替えるのか、明らかではない。電力供給について国があてにならない以上、首都圏の自治体が官民連携インフラファンドを主導して、“第2東電”のような世界をつくっていくことが求められている。

[復興ニッポン]

Posted by nob : 2011年11月17日 23:37

経済論者には経済論で、、、如何なる理由付けも脱原発に繋がるのであれば是。。。

■ドイツが脱原発を決めた本当の理由
環境NGO「グリーンピース」トーマス・ブリュアー気候変動エネルギー部門長に聞く

山根小雪[日経ビジネス編集]

 東京電力福島第1原子力発電所の事故は、世界の原発に多大な影響を及ぼした。なかでも、ドイツの動きは世界に驚きを与えた。メルケル首相は事故発生からわずか3日後、老朽化した原発7基を3カ月停止し、全原発の安全検査を徹底するように命じた。さらにドイツ政府は、2020年の脱原発を決めたのだ。

 ただし、ドイツが事故を受けて脱原発を決めたのかといえば、そうではない。緑の党と社会民主党との連立政権は2000年に脱原発を決め、 2022〜23年を脱原発の期限に定めた。だが、2009年秋にキリスト教民主・社会同盟と自由民主党政権の連立政権が発足し、脱原発ムードが減退。 2010年には、脱原発の期限を12年延長した経緯がある。

 こうしたなか、福島第1原発事故が発生。ドイツ政府は高まる世論をくみとって、再び脱原発の期限を早めたわけだ。ドイツの脱原発をめぐる国民議論の蓄積は、既に10年を超える。

 なぜ、ドイツ政府は脱原発を選択したのか。脱原発が産業界に、どのような影響を及ぼしているのか。ドイツ銀行で金融アナリストとしての経験を積んだ後、環境NGO「グリーンピース」に移ったトーマス・ブリュアー気候変動エネルギー部門長に聞いた。

——結局のところ、なぜドイツは脱原発を決めたのですか。

ブリュアー 原発がリスクの高い技術だからです。ドイツ政府は原発をどうするべきか、倫理委員会に諮りました。そこで委員会が出した結論は、「原発の賛否は別にして、原発はリスクの高い技術。一方の再生可能エネルギーはリスクが低い。ならば原発は廃止すべきだ」と政府に勧告したのです。後述しますが、産業政策の側面も大きかった。

 ドイツの脱原発議論の特徴は、「原発に賛成か反対か」という話とは別なのです。

環境NGO「グリーンピース」トーマス・ブリュアー気候変動エネルギー部門長

——欧州の電力網はつながっており、電力市場は自由化されています。国境をまたいだ電力の売買も当たり前です。ドイツが脱原発しても、不足した電力を原発大国のフランスから輸入することになり、結果的に原発による電力は減らないという指摘もあります。

ブリュアー それは間違った認識です。確かに、ドイツとフランスの間では電力の輸出入が行われています。原発は発電量を変動させずに運転するのが最も効率が良い。このため、原発比率が8割弱と非常に高いフランスは、電力需要の変動に対応するために、原発による電力を安価で他国に売っているのです。脱原発いかんにかかわらず、ドイツはフランスから電力を購入してきたわけです。

 ただ、フランスから購入している量は、ドイツ全体の需要のごく一部に過ぎません。むしろ10年以上前から、ドイツは電力輸出国なのです。原発停止後は他国へ輸出する余裕は減ってしまいます。ですが、原発以外の発電設備に余裕があるため、輸入が大幅に増えることはないでしょう。

 ちなみに、2010年のドイツの総発電量に占める原子力の割合は24%。福島第1原発事故後に7基停止してからは、14%まで落ち込みました。電力の輸出量は減少していますが、輸入量は変わっていません。

 ドイツ政府は再生可能エネルギーの導入量を増やすことによって、エネルギー自給率を高める目標を掲げています。2020年を目途に原発を全基停止してどうなるのかは不透明な部分も残りますが、大きく輸入が増えることはないと見ています。

——脱原発によって原子力産業の雇用が減少する懸念はないのですか。

ブリュワー 現在、原子力産業は約3万5000人を雇用しています。2020年に原発を止めても、この雇用が減るのはもっと先の話です。というのも、廃炉を完了させるには、膨大なプロセスを経る必要があります。長期間にわたり、相当の人員が必要です。

 一方で、再生可能エネルギーの導入促進は、原子力を上回る雇用を生みだします。ドイツ政府によると、2004年に16万人だった再生可能エネルギーによる雇用は、2010年に37万人へと急拡大しました。原発の雇用は発電所の立地地域などに集中しがち。ところが、分散電源である再生可能エネルギーは、ドイツ国内に分散して雇用を生み出す利点もあります。

 現在、ドイツ政府が掲げている再生可能エネルギーの導入目標は、2020年に35%というもの。その先も、2030年に50%、2040年に 65%、2050年には80%まで高めるとしています。さらに、ドイツ議会の専門委員会は2010年、「2050年に100%再生可能エネルギーにすることも可能」だと表明しました。

 脱原発を実現して原子力産業での雇用が失われても、再生可能エネルギーの導入で大量の雇用が発生します。雇用面の心配はしていません。

再生可能エネルギーには経済的なメリットも

——再生可能エネルギーの発電コストは、火力発電などと比較して高いと言われます。また、日本では、原子力のコストが適正に評価されていないという指摘があります。

ブリュワー ドイツでは、再生可能エネルギーの導入は経済的なメリットが大きいという試算が広く知られています。単なる発電コストの比較ではありません。再生可能エネルギーの導入にまつわるコスト増よりも、石油や天然ガス、ウランなどの燃料を使わないで済んだことによるコスト削減や、酸性雨や健康被害などの対策コストの削減、新規に生まれる雇用や、企業の競争力工場などのメリットの方が大きいというわけです。

 原子力のコストの不透明さはドイツも同様です。1950年から現在までに原子力産業に政府が投入した補助金などの総額は、24兆4200億円に上ります。核廃棄物の処理費用などは部分的にしか含まれていませんので、国費の投入はさらに増えるでしょう。

 問題は、原子力産業のコスト削減努力が不十分であることです。これだけの国費がなければ立ちゆかないのだから、原子力産業が自立しているとは言い難い。今後もさらに原子力産業にカネを投じ続けることには、疑問符が付きます。

——再生可能エネルギーが本当に経済的なメリットがあるなら、なぜ産業界は脱原発に反対するのですか。

ブリュワー ドイツ産業界にも、様々なポジションの企業が存在します。脱原発の声を発しているのは、電力や化学、重工業、自動車などの大企業。これが産業界の総意であるとは考えていません。

 というのも、再生可能エネルギーの導入を、ビジネスチャンスと捉える企業が増え始めているためです。象徴的なのが、アルミ精錬のトップ企業が政府の判断を歓迎していることです。

 アルミ精錬といえば、電力多消費産業の代表格。電力料金の高い地域ではビジネスが立ちゆかなくなることもある業種です。そのアルミ精錬企業の歓迎が意味していることは、「再生可能エネルギーは儲かる」ということに尽きます。

 これまで彼らの最大の顧客は自動車メーカーでした。ですが、自動車メーカーは値下げ圧力が強い。値下げばかり求めてくる自動車メーカーよりも、彼らにとっては、風車メーカーの方が優良顧客になったのです。

再生可能エネルギーは成長著しい産業

——再生可能エネルギーの導入が、新産業として確立しつつあるのですね。

ブリュワー その通りです。雇用創出効果は数値となって現れています。産業界の声の大きなプレイヤーの影で、ビジネスをシフトさせる動きが顕在化しています。

 再生可能エネルギー市場は、右肩上がりで目覚しい成長を続けています。これほどの成長力を持った産業は、ほかに見当たりません。

 だからこそ、日本に言いたいことがあります。原発に賛成か反対かという議論にとどまらず、将来の産業について議論すべきではないでしょうか。

 日本企業が再生可能エネルギー市場で存在感を発揮したいと考えるなら、日本政府は早急にエネルギー政策の方針転換をすべきです。一刻も早く、国内市場を立ち上げなければ、手遅れになる。もうギリギリのタイミングです。既に日本は相当、遅れを取っているのです。

 ドイツに参考になる例があります。かつてドイツの鉄道会社は、新幹線のような高速鉄道を新興国に売り込もうとして失敗しました。その理由は、国内での導入実績がなかったためです。新興国からしてみれば、「そんなに良い技術ならば、なぜ自国でやらないの?」と信頼を得られませんでした。

 日本の再生可能エネルギーの導入量は、世界的に見ても少なすぎます。国内市場はあまりに脆弱です。日本には、技術開発に長けた企業が多く存在します。再生可能エネルギーに本気で取り組めば、世界で高い競争力を発揮できるはずです。

 政府が本気で国内市場を立ち上げることを決断するかどうか。ここに、日本企業の将来が委ねられています。

[復興ニッポン]

Posted by nob : 2011年11月17日 23:30

Construct a bridge of the awakeness to let the people pass...

気付きの橋を造って

人を渡そう

Posted by nob : 2011年11月15日 15:16

これを知る者はこれを好む者に如かず、、、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。。。

知る者は好む者には及ばない、、、

好む者も楽しむ者には及ばない。。。

Posted by nob : 2011年11月15日 15:10

どんな結果も次の結果への一時の経過、、、思い通りに進めようとする過程のいたるところに幸せがある。。。

■自分の思い通りにいかなくても
「うまくいってない」とは限らない

物事が計画通り進まなくても
計画がうまくいかなかったとは限らない

多くの人は、自分の人生は自分でコントロールできると考えています。

だからこそ、仕事や勉強、趣味や恋愛など人生のあらゆる場面において綿密な計画を立て、それを実現しようとします。

私は、人間が生きていくうえで、自分でコントロールできる部分は限られているのではないかと考えています。もちろん自分の思い通りにいくこともありますが、多くのことは実は自分の力で何とも変えがたいものです。

必ずしも自分でコントロールできないのが人生だと認識しておけば、仮に計画したことが予想通りに進展しなくても、こころにストレスを感じることが少なくなるはずです。

そもそも「計画通りに進まないこと」と、「うまくいかないこと」は別の次元の問題であるように思います。

あることが、計画通りに進まなかったとします。計画通りに進まなかったのは事実かもしれませんが、果たして本当にそれがうまくいかなかったのでしょうか。

多くの人は、計画がうまくいかなかったと判断するのが早すぎるような気がしてなりません。本当にその計画がうまくいかなかったのか、その答えはすぐにはわからないのではないかと思うのです。

私の診察室を訪れていたある女性が、旦那さんと離婚すると言い出しました。

聞くと、その女性の症状が一向に改善しないため、旦那さんとしては一緒に暮らすことに疲れてしまったというのです。

確かに、女性の病状は一進一退を繰り返していました。

ただ、ほとんど家庭内別居に近いかたちで、もう少し協力してくれてもいいのではないかと私が感じてしまうほど、旦那さんの対応は冷たいものだったといいます。

とはいえ、女性には自分の病状が改善しないことに対する負い目があるので、離婚はやむを得ないと諦めていました。

予測とは正反対のことが起こり
結果的にそれが良かったと思えることもある

 主治医といえども、私の立場では離婚について口を挟むことはできません。

 あくまでも患者さん個人の問題なので、「思いとどまったほうがいい」とも「ぜひそうすべきだ」とも言えません。 

 ところが、すぐに家を出て行くことを要求されるなど、離婚に関する条件はあまりに理不尽なものでした。彼女の当面の生活を守れないかと考え「日本司法支援センター(法テラス)」を紹介しました。

 法テラスは、国が設立した法的トラブルを解決するための相談窓口です。最近では、診察室で受ける悩みも複合的になってきているので、精神科としての診療を超えてしまう部分については、専門窓口を紹介することが増えているのです。

 法テラスから「きちんと離婚調停にかけて財産分与を受けたほうがいい」と助言された女性は、私の診察室でも「気は進まないけれども、調停に踏み切ることにしました」と語っていました。

 調停の日から最初に訪れた診察日、女性に調停の顛末を尋ねると、女性は思いがけないことを口にしたのです。

「お恥ずかしい話ですが、向こうが離婚を取り消してほしいと言ってきたのです。私としてもそのほうがありがたいので、離婚はやめることにしました」

 よくよく聞くと、離婚調停に関する書類を目にした旦那さんは、ふと我に返ったといいます。事の重大さに気づき、女性に謝罪したそうです。

 私としては、離婚して人生をリセットすることは、女性にとって悪くない選択だと考えていました。ところが、現実は水際で大逆転劇が起こったのです。逆転するどころか、離婚話が持ち上がる前の冷えた関係も改善し、家庭内別居も解消されたそうです。

 長く診察室に通っていた患者さんだったため、私も気心が知れていました。そんなこともあって、ついこんなことを口走ってしまいました。

「へえ~、それは良かったですね。でも私も一生懸命やってきたから、ちょっと拍子抜けしちゃったなあ」
「へへへ、すいません」

 もちろん、離婚そのものは計画外だったことでしょう。

 しかし、離婚を決意してからの展開は、まったく計画したことと違う展開でしたが、この女性にとっては歓迎すべき結果になったのです。

計画が思い通りにならなかったことで
手に入れられる幸せもある

 別の患者さんから聞いた話です。

 この患者さんの親友は、音楽関係で生計を立てることを目指していました。ところが、すべてがうまくいかず、挫折した末、音楽を職業にすることを諦めざるをえませんでした。

 ただこの男性は、音楽からは離れたくない。せめて趣味でいいから続けていこうと考えました。しかし、プロを目指して頑張っていた楽器を続けるのは悲しすぎるので、男性は、別の楽器にチャレンジしようと決意しました。

 どんな楽器をやろうかいろいろ探したものの、なかなか決められません。新たに就いた仕事の都合で、通うことができる教室も限られてしまいます。そんななか、たまたま男性はある特殊な楽器に出会います。

 それほどやりたい楽器だとも思わなかったそうです。ただ、今までやってきた楽器とはまったく異なるうえ、習うのに都合がいいことから、仕事の傍らその楽器を習い始めました。

 ところが、この男性は、その楽器を習うための教室で結婚相手と巡り合いました。まさに自分の伴侶にぴったりと思えるような人だったそうです。

 音楽でプロを目指した人が挫折して、趣味ではじめた楽器が縁で、たまたまかもしれませんが、人生の伴侶を得たのでした。

 とはいえ、夢に見ていた通りプロの音楽家になっていたら、このような女性とは出会えなかったかもしれません。

 計画通りに進まないことが必ずしも「うまくいかない」ことではないのです。逆に計画通り進んでも、うまくいかないこともあるのではないでしょうか。

計画が思い通りにならなくてもすぐに負の評価を下さず
もう少し長いスパンで考えたほうがいい

 精神科の診療でも、計画を立てて治癒に導いていくことが一般的です。

 しかし、その患者さんの生活に予想外のことが起こり、医者として計画したスケジュールにずれが生じてしまうことがあります。

 こちらとしても、聞いた瞬間は「ええ? だって今週からそろそろリハビリに入る予定だったのに」と思ってしまうものです。

 しかし、あとになって考えると「それで良かった」「必要なことだった」「無駄じゃなかった」と思えることはいくらでもあります。

 そう考えると、計画が予定通り進まなくても、すぐに「足止めを食った」とか「マイナスになった」という負の評価を下す必要はないのです。

 過剰に考えるとオカルトっぽくなってしまうのですが、計画通りに進まない事態に直面したとき「変わり目」「チャンス」ととらえることも悪くないと思います。

 うつ病で診察室を訪れる患者さんのうち、初期の人ほど完治までのロードマップを気にされます。そんな人に私は、こんな言葉をかけるようにしています。

「計画にとらわれているということは、あなたが休めていない証拠です。完治までの期間は人それぞれです。こだわりすぎていると、回復が遅くなることもあるのですよ」

 私の経験では、不思議と症状が落ち着いてきた患者さんほどロードマップを気にしなくなっていきます。

 現在進行中の計画がすべて思い通りにいくことはありません。計画通りに進まないこと、思い通りにいかないことがあっても、即座にマイナスの評価を下すのではなく、もう少しだけ長いスパンで考えてみてはいかがでしょうか。

[DIAMOMD ONLINE/香山リカの「ほどほど論」のススメ]

Posted by nob : 2011年11月15日 10:44

日本政府は米国の一省庁首相は一大臣、、、自立心と責任感が欠落している。。。

■TPP反対派の急先鋒・中野剛志「メディアが報じないアメリカの本音。やはり日本は狙われている」

TPPについては、むちゃくちゃな話がメディアでそのまま流れています。先日(10月27日)、私が生出演したフジテレビの『とくダネ!』なんてヒドいもんでしたよ。

進行役のアナウンサーが、スタジオのモニターで内閣府が試算したTPP参加の経済効果を示したんですが、そこに映し出されたのは「GDP2.7兆円増加」という数字だけ。それを見たコメンテーターが「日本の年間GDPは約530兆円ですから、0・54%くらいの効果です」と解説しちゃったんです。

オマエら、ちょっと待て、と。2.7兆円という数字は10年間の累積だろ! 単年度で見ればTPPの経済効果なんてたったの2700億円。私は生放送で、なんで正確な数字を出さないんだ!とブチ切れましたよ。

ところが、その前に放送された『新報道2001』でもフジテレビは同じ“誤報”を飛ばしました。しかも、こちらは番組スタッフが収録前の段階で10年間の累積である事実を把握していたから、私には故意に隠したとしか思えないんです。視聴者を“TPP賛成”へと誘導したい大手マスコミの狙いが透けて見えますよ。

政府は政府で、TPPに参加することで「国を開く」などとトンチンカンなことを言う。日本の平均関税率は諸外国と比べても低いほうであり、その意味で国はすでに開かれているんです。なぜ、こんな自虐的な発言をしたのか意味不明。本当にこんな状態でTPPを進めてよいのでしょうか?

■「輸出2倍戦略」のためにアメリカはTPPを使う

今、世界はどうなっているのかというと、08年のリーマン・ショック以降、その構造は激変しました。かつての世界恐慌がそうでしたが、今のような世界的な大不況下では、各国とも生き残りのために手段を選ばず必死になります。各国は、日本にオイシイ話やキレイ事を並べながら、えげつない計略を次々と仕掛けてくる。特に住宅バブルの崩壊で国内経済がズタボロのオバマ政権は、経済回復と支持率稼ぎのためになりふり構わなくなっています。

そのアメリカが今、最大のターゲットにしているのが日本です。アメリカは「2014年までに輸出を2倍にする」ことを国是に掲げています。そのために利用しようとしているのがTPPです。アメリカはまず日本をTPPに誘い込み、思惑どおりに関税や非関税障壁を撤廃させる。もちろん関税撤廃には応じますが、同時にドル安(円高)に誘導して日本企業の輸出競争力を奪います。その上で、金融や農業などで日本の市場の収奪にかかる。これがアメリカの狙いです。

■日本が自ら進む“人食いワニ”の池

このまま日本がTPPに参加すると、国内のルールや仕組みをアメリカ企業に有利になるように改定させられる恐れがあります。そこで、昨年12月に合意に至った米韓FTA(自由貿易協定)が、韓国側から見て、いかに無惨な内容だったかをお話ししましょう。

韓国は、アメリカが韓国の自動車市場に参入しやすくなるよう、排ガス診断装置の装着や安全基準認証などの義務に関して、米国から輸入される自動車は免除するという“例外”をのまされました。

さらに韓国では、日本と同じく国内ニーズが高い小型車に優遇税制を設けていたが、これもアメリカの要求で大型車に有利な税制に変えさせられました。そしてFTAによる関税撤廃で急伸した韓国産自動車の輸出がアメリカの自動車産業を脅かすようなら“関税を復活する”という規定も加えられたのです。

手段を選ばないアメリカのこうした攻勢が、TPP交渉参加後は日本に及ぶことになります。自動車業界では、まず日本のエコカーが標的となるでしょう。米国車の多くは、現時点では日本政府が定めた低公害車の基準を満たしておらず、エコカー減税の対象外。これをアメリカに「参入障壁だ」と指摘されれば、韓国のように泣く泣く優遇税制を撤廃せざるを得なくなるでしょう。

また、TPPで最も懸念されるのは、投資家保護を目的とした「ISDS条項」。これは、例えば日本への参入を図ったアメリカの投資企業が、国家政策によってなんらかの被害を受けた場合に日本を訴えることができるというもの。訴える先は日本の裁判所ではなく、世界銀行傘下のICSID(国際投資紛争解決センター)という仲裁所です。ここでの審理は原則非公開で行なわれ、下された判定に不服があっても日本政府は控訴できません。

さらに怖いのが、審理の基準が投資家の損害だけに絞られる点。日本の政策が、国民の安全や健康、環境のためであったとしても、一切審理の材料にならないんです。もともとNAFTA(北米自由貿易協定)で入った条項ですが、これを使い、あちこちの国で訴訟を起こすアメリカを問題視する声は少なくないのです。そんな“人食いワニ”が潜んでいる池に日本政府は自ら飛び込もうとしているわけです。

残念ながら、野田首相のハラは固まっているようです。世論で反対が多くなろうが、国会議員の過半数が異論を唱えようが、もはや民主的にそれを食い止める術はありません。交渉参加の表明は政府の専権事項、野田首相が「参加する」と宣言すれば終わりなんです。

そして、いったん参加表明すれば、国際関係上、もう後戻りはできない。すべての国民が怒りをぶつけ地響きが鳴るような反対運動でも起きない限り、政府の“暴走”は止まりません。

(取材・文/興山英雄 撮影/山形健司)

[週プレNEWS]


■首相、TPP交渉参加でも日米関係に腐心
普天間など不安要素も

 【ホノルル=佐藤理】野田佳彦首相は12日昼(日本時間13日午前)、オバマ米大統領と会談し、米国産牛肉の輸入規制緩和など、米国が求めてきた一連の「宿題」に回答を示した。オバマ米大統領は歓迎の意向を示しており、日米関係強化を目指す首相の狙いは一定の成果を上げた格好。ただ、懸案の米軍普天間基地の移設問題では今後の見通しが立たないなど、不安要素も見え隠れする。

 「進展が見られることを歓迎する」。オバマ大統領は会談で、米国産牛肉の輸入規制の緩和手続きが日本政府内で進んでいることを喜んだ。

 国際結婚が破綻した夫婦の子どもの扱いを定めたハーグ条約を巡っては、首相が関連法案を来年の通常国会に提出する方針を表明した。

 首相は普天間問題で「内閣を挙げて取り組んでいる」とアピール。首脳会談前に外相や防衛相、沖縄担当相、官房副長官を続々と沖縄に派遣した努力をにじませた。日米合意に基づく移設の前提になる環境影響評価(アセスメント)の評価書は、年内に提出すると伝えた。

 オバマ大統領はこうした日本の取り組みを高く評価した。これらの課題はオバマ大統領が9月の日米首脳会談で対処を求めていたもの。首相は米国が突きつけた「宿題」に2カ月程度で回答を用意したからだ。

 日米関係の緊密さが如実に表れたのはアジア太平洋を巡る戦略での共同歩調だ。首相は「日米が連携して、この地域における経済のルール、安全保障の実現をやり遂げないといけない」と表明。

 経済では国内の反対論を押し切り、米国が主導する環太平洋経済連携協定(TPP)に参加を決めた。安保でも米国が新たに加わる東アジア首脳会議(EAS)を「地域の政治や安保の課題を扱う主要な会議にする」とオバマ大統領と一致した。日米が連携して推進する2つの枠組みをアジアの基盤にしたい考えだ。

 だが落とし穴も多く控えている。中国は日本のTPP交渉への参加表明直後から、TPPへの警戒感を発信し始めた。EASについても、アジア各国と連携した海洋の安全保障づくりに反発しており、米国のアジア関与にも神経をとがらす。

 肝心の日米関係自体も、最大の懸案の普天間問題の解決法が見えない。沖縄県では県外移設論が大勢。評価書を年内提出しても、その後に埋め立て許可を取得するメドが立たない。評価書の年内提出という宿題はできても、次の宿題の難易度は一気に跳ね上がる。

 首脳会談に同席した政府高官は「打ち解けた、前向きな雰囲気にあふれた会談だった」と振り返ったが、次回の会談がどう表現されるのか、予断を許さない。

[日本経済新聞]

Posted by nob : 2011年11月14日 08:35

意識ある個人の連帯、、、組織を地域社会をそして世界を変える。。。

■【津山恵子のアメリカ最新事情】65万人が大手銀の預金口座を一斉解約―ウォール街にノー

 米国では、スーパーマーケットなどで少額の買い物をする際、デビットカードの利用が日本よりもかなり多い。

 預金残高から利用金額がすぐに引き落とされるため、月末などで少ない残高の範囲内に買い物がおさまるように、レジで買い物の一部を減らしていく人もよくみる。

 その身近なデビットカードの利用に対し、バンク・オブ・アメリカが10月、月5ドルの手数料を取る計画を発表。ほかの大手金融機関も追随する動きをみせたため、多くの利用者が雪崩を打って口座を解約する「うねり」となった。

 そのピークが11月5日に行われた「バンク・トランスファー・デー」だ。前出のバンク・オブ・アメリカ、シティバンク、JPモルガン・チェースなどの預金口座を解約し、地方銀行あるいは信用組合に口座を移そうという運動で、カリフォルニア州のギャラリー経営者、クリステン・クリスチャンさん(27)が、フェイスブックのページを作って運動を呼び掛けた。当初、友人500人を誘っただけだったが、あっという間に全米を巻き込む動きになった。

 彼女が作ったページによると、バンク・トランスファー・デーへの参加を表明したのは、11月7日現在で86000人に上る。クリスチャンさんが米テレビなどに語ったところによると、彼女は個人とギャラリーの両方の口座をバンク・オブ・アメリカに持っている。しかし、デビットカードの手数料のほか、過去、同行のウェブサイトがダウンしていて送金ができず、電話で手続きした際に2ドルの手数料を取られた経験があり、「数々の手数料に辟易(へきえき)していた」という。

 口座の移行先となった信用組合は、口座開設が急増。信用組合全国協会(CUNA )によると、運動の盛り上がりで10月は全米で65万人が口座を開設し、預金高は45億ドル(約3500億円)増えた。この65万人というのは、全米の信用組合が昨年1年間に獲得した口座開設数より5万人も多いというから、まさに預金の「大移動」が起きたことになる。

 ツイッターで「爽快なエピソード」として広まっていた逸話がある。コンサルティング会社を経営し、デビットカードの手数料など取るに足らない大口の顧客が、少しずつ預金を信組に送金し、残高が一回で引き出せる金額になった際、支店に赴いて口座の解約を申し込んだ。対応した行員は「本日、私が引き出せる限度額を超えたので解約はできない」と言い訳し、引き止めようとした。その時の会話がくまなく紹介されている。ビジネスの口座を持っているなど、預金金額が多い人ほど、口座解約は面倒だが、それでも「移し替え」に参加したのには驚いた。

 各地の信用組合は、バンク・トランスファー・デーをめがけて、勧誘の垂れ幕を掲げ、5日に殺到する顧客のために、通常土曜日は正午までの営業時間を延長した。ウォール・ストリート・ジャーナルの記事「米で大銀行からの預金移し替え運動」は、週末に何千人もの米国人が小さな銀行や信組に詰めかけ、駐車場から道路の反対側まで車があふれた話を伝えている。

 5日の週末だけで、どれほどの預金が移動したのかはまだ不明だが、これより前にバンク・オブ・アメリカはデビットカード手数料を徴収する計画を撤回。ほかの金融機関も検討を白紙に戻した。

 もちろん、大手金融機関にとって、口座維持コストは、大口顧客よりも小口顧客の方がかかるため、預金の移し替えの影響は限定的だ。収益も大口取引から得る割合の方が圧倒的に高い。

 しかし、「移し替え」運動は、米消費者の大手金融機関に対する不満や怒りをあらためて浮き彫りにした。サブプライムローンの焦げ付きから起きた金融危機で、消費者を不況に巻き込んだのにも関わらず、政府から資金注入を受けて経営破綻を免れた。それなのに、消費者からはさらに手数料を取るというので、我慢の限度を超えた。「ツー・ビッグ・ツー・フェイル(影響が大きすぎて破綻させられない)」というのは、消費者には理解し難い。

 バンク・トランスファー・デーは、世界に広がった若者の反格差運動「オキュパイ・ウォール・ストリート(ウォール街を占拠しよう)」とは全く別の運動として始まったが、これもまたウォール街の「負の面」を際立たせた。

 米消費者によるウォール街への攻撃はしばらく続きそうだ。

[THE WALL STREET JOURNAL]

Posted by nob : 2011年11月14日 08:27

昨今の若者の大多数は、尾崎豊に何ら共感を覚えないどころか、理解もできないのだとか。。。

■尾崎豊は「自殺」だったのか 「死にたい願望」と「ボロボロのからだ」

1992年に26歳の若さで急逝した歌手、尾崎豊さんが残した「遺書」2通の全文を月刊誌「文藝春秋十二月号」が掲載している。尾崎さんが生前、夫人に心中を迫ったエピソードなども記事で紹介されている。

同誌発売は2011年11月10日。尾崎さんは、1980年代に「ティーンエイジャーのカリスマ」として絶大な人気を誇り、「ファン葬」には4万人超が参列した。尾崎さんの急逝をめぐっては、後に他殺説が浮上し、遺族を巻き込む裁判にもなり大きな関心を集めた。
「先日からずっと死にたいと思っていました」

「遺書」の全文公開と記事を担当したのは、ジャーナリストの加賀孝英氏だ。他殺説が浮上した1994年当時の取材で遺族から入手した「遺書」2通や取材結果について約20ページを使って紹介している。

加賀氏は記事の中で、「尾崎豊の死は『自殺』だった」とあらためて「他殺説」を否定。尾崎さんは当時、「身体はボロボロ」で、「自分は間もなく死ぬということ」を「間違いなく知っていた」と指摘している。

「他殺説」の否定の意味を強調するため、かぎかっこを使った『自殺』という表現を用いたようだ。

尾崎さんが死亡した日に「肌身離さず」もっていたセカンドバッグから見つかった「遺書」には、

「先日からずっと死にたいと思っていました」「さようなら 私は夢見ます」

などの言葉が並んでいる。日付は書かれていない。

また、死後1か月経って、尾崎さんの母の遺影のわきで見つかった「遺書」には夫人や長男への愛情が綴られており、最後の1行は、

「皆の言うことをよく聞いて共に幸せになって下さい」

と長男へ呼びかけている。

加賀氏は94年当時、「遺書」のごく一部の引用を含む記事を週刊誌で発表しているが、今回、「遺書」全文と「17年間、封印し続けてきた物語」を紹介している。

「遺書」の全文公開をこれまで見送っていた理由については、尾崎さんの夫人から、長男が尾崎さんの死を理解できるようになってからにして欲しい、との要望があったことなどを挙げている。

夫人に心中を迫っていた?

記事によると尾崎さんは生前、夫人に心中を迫ったことがある。尾崎さんが死亡する20日前の92年4月5日、尾崎さんが「俺と一緒に死んでくれぇ」などと夫人に迫ったが、長男のことを夫人が口にすると、尾崎さんは「その場にへたりこんだ」。

また加賀氏は、「他殺説」にもあらためて詳細に反論している。「他殺説」は、94年に浮上し、テレビのワイドショーなどを巻き込む騒ぎとなった。尾崎さん死去から2年後のことだ。

尾崎さんが死亡したのは92年4月25日。泥酔して全裸で民家庭先に横たわっているのを発見され、病院に運ばれたが同日中に亡くなった。ほどなく警察が発表した死因は、「極度の飲酒による肺水腫」。当時から覚醒剤の使用は指摘されていたが、死因とは結びつけられていなかった。

94年に尾崎さんの「死体検案書」コピーが流出して報じられた。尾崎さんの体にあった傷や「致死量の2.64倍の覚醒剤」などのキーワードを結びつけ、中には尾崎さんの遺族に殺人の疑いをかける夕刊紙や週刊誌の記事も出た。

関心の高まりを受け、警視庁に尾崎さんの死亡に関する再捜査を求める嘆願書が10万人超の署名を添えて提示される騒ぎにもなった。警察は解決済みだとして動きは見せなかった。

遺族に疑いをかけた「他殺説」記事については裁判になり、東京地裁は2000年2月、遺族への名誉毀損を認め、フリージャーナリストに500万円の支払いなどを命じる判決を下した。02年の上告棄却で遺族の勝訴が確定した。

今回の「遺書」全文掲載の予告記事を受け、インターネットのツイッターや2ちゃんねるなどには多くの人が反応を寄せた。

「大反響ありそう」と興奮気味の人や、尾崎さんの生前のアルバムの図柄と「遺書」とを関連付けて理解しようとする意見もあった。一方、「他殺説」を主張し、「遺書」や「自殺」を否定するかきこみも少なからずみられた。

尾崎さんを巡っては、死後何度もリバイバル・ブームが起き、新たなファンも生まれていると指摘されてきた。2011年に入っても4月に「I LOVE YOU バラードベスト」(ソニー・ミュージック)の尾崎さんのCDが発売された。

また、尾崎さんが死亡した日に発見された場所の民家は、通称「尾崎ハウス」として多くのファンらが訪れ続けた。住人が一室を開放していたのだ。2011年10月には、老朽化から立て直されることになり取り壊され、改めて注目を集めた。

最近訪問者は減っていたようだが、取り壊しの予定が報じられると1日十数人が訪れるようになっていたという。立て直し後には、「尾崎ハウス」として一室を開放する予定はないようだ。

[JCASTニュース]

Posted by nob : 2011年11月10日 20:38

無駄こそが文化であり豊かさである。。。

■計画したことが達成されるだけの人生を
はたして「豊かな人生」と言えるだろうか

現代は計画を立ててそれを遂行し、
確実に達成することが求められている

 今回は、なぜ中間の状態にいることが良いのかということに触れたいと思います。

 私の診察室を訪ねてくるビジネスパーソンに、休日をどう過ごしていたかを聞く機会があります。

 東京映画祭、フェスティバル東京(演劇の祭典)、英会話――。最近であればそんな話題が会話にのぼります。多くの人は、休みの日に何かしら計画を立ててアクティブに行動しています。

 もちろん、そういうところで楽しむのは悪いことではありません。場合によっては気分転換にもなるとは思います。

 ただし、ゆっくり休むことが必要な人たちには、必ずしもお勧めできません。

 平日は忙しく働いているので、せめて土日ぐらいは家でゆっくり休んでくださいとお話ししても、その人たちはこんな理由から行動せずにはいられないのです。

「時間を無駄にしている」「人生を楽しんでいない」「自分を向上させていない」

 心や体のバランスを崩して休む必要に迫られているにもかかわらず、休むことに耐えられません。休みの日でも何か予定を入れなければ、人生を無駄に生きているという強迫観念に駆られているかのようです。

 なかには「何もしなかった」という人もいます。

 しかし、どういうわけかその人は後ろめたそうに語るのです。私に「それはとてもいいことです。体が休まりましたね」と言われてはじめて、何もせずに休んでもいいのだと認識するほどです。

 現代は、自ら能動的に計画を立てて生きるのがよいこと、という風潮があります。

 それはそれでいいことだと思います。でも、計画したからには必ずそれを遂行する、うまくいって当たり前、何もしないことや計画しないで時間が過ぎていくことは、すべて無駄ととらえてしまうのは行き過ぎではないでしょうか。

ほんの100年前の社会は、
コントロールできないものばかりだった

 最近、私はよく時代小説を手に取ります。

 江戸時代を舞台にした小説などでは、徒歩以外に交通手段がないので、どこに行くにも移動に時間がかかっていることがわかります。ちょっと今日はあそこにでも行ってみようかと計画しようものなら、たいへんな労力を覚悟しなければなりません。

 さんざん歩いてようやく着いても、肝心の相手がいないということも珍しくはありません。家人に聞くと旅に出たといいます。メールはおろか電話もない時代では、相手の予定を確認する術はほとんどありません。

 おそらく、当時は「空振り」というのが日常茶飯事だったのでしょう。自分が会いたいと思って出かけても相手がいないのが当たり前、計画が思うように達成できなくてもそれを無駄と考えることはなく、腹を立てたりがっかりしたりしている姿も描かれていません。

 彼らは潔く諦め、頭を切り替えます。

 せっかくここまで来たのだから、帰りにどこかへ寄って行こう。当初の計画にはまったくなかったところに目を向けるのです。そんなときこそ、偶然の出会いや新たな発見があったのではないでしょうか。

 想像するに、無駄はネガティブなものではなかったと思います。

 自分のコントロールできる部分が圧倒的に少なかったため、ネガティブに考えても仕方がなかったのです。

 むろん、この時代に戻るべきだと言っているのではありません。

 しかし、効率化を極限まで追求した現代では、計画を達成することがすべてになってしまっているのではないでしょうか。そこでは、無駄はもっとも忌むべき行為の一つとなっています。

 無駄に対してただイライラを募らせてばかりいると、時代小説の登場人物のように帰り道に計画外の行動をしようというこころの余裕は生まれてきません。立てた計画が実現せず、無駄な時間を費やしたからこそ予想もしなかった偶然の出会いや発見に出会えたという発想を持つことも必要なのではないでしょうか。

 私は、計画通りにいかない無駄なことが多かったこの時代、人々のこころが貧しかったとは思いません。むしろ、無駄を無駄と思わず、頭を切り替えたことで手に入れるものがあった豊かな時代だったとも言えると思います。

効率を追求すると必要なことを深く知ることはできるが、
決して横に広がらない

 インターネットの発展で、知らないことを調べる手段は検索が主流です。

 検索では、自分が知りたいことにはほぼ確実に出会えます。しかし、それによって失われたものもあるような気がしてなりません。

 私が現在勤務する立教大学では、現在図書館の改革を進めています。たまたま、新しい図書館長に就任される教授とお話しする機会を得ました。

 教授によると、その図書館のウリは「部屋にいながらにして蔵書検索ができ、注文しておくと図書館に行けばカウンターに出ている」というシステムだそうです。

 話していてわかったのですが、その教授も書店や図書館の魅力は十分に分かっている人でした。自分の目で本を探し、その過程でまったく想像もしていなかった本と偶然出会うことに意味があるという考えを持った方です。

 教授は、ピンポイントで効率よく探すシステムに限定するのに躊躇し、従来の開架式の書棚も一部残すといいます。しかし、効率の良いシステムが学生に受け入れられれば、書棚の本を探す人はいなくなるでしょう。

 この事例でもわかるように、現代は計画したこと、意識したことを確実に達成できる社会になりつつあると思います。しかし、計画しなかったこと、意識していなかったことから何かを得るチャンスは確実に減っています。

自分に役立つものだけで
時間が構成されているのは不自然ではないか

 かつて辞書や事典などで何かを調べるうち、偶然別のことに引っ掛かることがあった記憶のある方は多いと思います。例えば、辞書で目的の言葉の隣にある言葉が妙に気になってしまうといったことです。

 また最近でも、「ウィキペディア」で調べものをしているうち、気づいたらとんでもないことを調べていたという経験のある方がいらっしゃるでしょう。

 検索した目当ての事柄を読んでいる途中で、本文中の気になる事柄や人物にジャンプする。それを繰り返しているうち、当初検索しようとした事柄とはまったく異なるものにたどり着いてしまったという経験です。

 多くのビジネスパーソンにとって、目的のものを無駄なく探し当てるのは仕事の効率というものです。余計なことに目移りし、無駄な時間を費やすのは仕事とは言えないでしょう。

 まして「時間を費やしたのに結局何も得られなかった」「そのときは意味がなくても、いつか役に立つことがあるかもしれない」「調べたけれども結局何の役にも立たなかった」などと悠長なことは言っていられません。

 しかし、一見無駄なことから派生する「偶有性」がなくなってしまうと、効率性は高まって必要なことを深く掘り下げて知ることはできますが、横に広がっていきません。

 私には、この状態が人間のこころを豊かにするとはどうしても思えないのです。

 徹底的に無駄を排除し、役立つものだけで自分の時間が構成されているというのはとても不自然なことだと思います。

 ウィキペディアの事例に限ったことではありませんが、無駄な体験の積み重ねが人間の内面を豊かにするのではないでしょうか。

 私の友人に、ミシマ社という小さな出版社を経営する方がいます。その彼が最近『計画と無計画のあいだ』という本を出版しました。

 ミシマ社は、ビジョンがあるようなないような状態で始めた会社だといいます。

 出版業界の人に聞くと、大手の出版社の人も含めほとんどの人が「ミシマ社っていいですよね」と口にします。自分の会社ではできないけれども、彼らのようなスタンスで本を作ることが理想だと考える人が多いのです。

 計画でも無計画でもない、意識していることだけでも無意識に入ってくることでもない、仕事に必ず役立つことでもまったく仕事に役に立たないものでもない。そんなことに日々触れていることが、人生を豊かにするのではないでしょうか。

[DiamondOnline/香山リカの「ほどほど論」のススメ]

Posted by nob : 2011年11月08日 17:23

XP、、、私もまだ消極的に使っています。。。

■Windows XPが招く「最悪のシナリオ」

Windows XPをクライアントOSとして使い続けている企業は少なくない。しかし、そのままではベンダーの今後の対応次第でセキュリティの確保が難しくなることもある。その「最悪のシナリオ」を考えてみよう。
[敦賀松太郎,ITmedia]

 マイクロソフト現行の最新OS、Windows 7が提供されてから久しいが、いまだにWindows XPをクライアントOSとして使い続けている企業は多い。サポート終了まで残すところ2年半。バージョンアップがこれ以上遅れればリスクは高まる一方だ。中にはこんな最悪のシナリオもあり得るのではないだろうか。

日常業務が招いた最悪の事態

 製造業A社は、首都圏に本社と数カ所の生産拠点を持つ、中堅の製造業企業である。顧客の中心は世界に名立たる大手メーカーであり、A社が提供する製品は高品質と低価格が高く評価され、ここ数年は順調にシェアを拡大していた。

 ところが、ある事件をきっかけに、A社の信用は失墜。ついに経営破たんという事態になり、海外投資企業のB社によって買収された。A社が長年に渡って蓄積してきた製造技術やノウハウはB社によって解体、同業種の新興国企業に事業単位でバラ売りされてしまうという事態に陥った。この一連の経営破たんを招いたそもそものきっかけは、ある営業部門の社員が通常業務の一環として情報収集のために閲覧していたWebページだった。

 A社営業部門に勤務していたK山は、A社の事業拡大のために仕事に邁進するバリバリのビジネスマンだった。主にマーケティングを担当していたK山は、顧客拡大のために独自に市場や競合製品の動向を日々調査し、それをプレゼンテーション資料にまとめてアカウント担当者の営業活動を支援するという役割を担っていた。自分が作成する資料によって商談がまとまり、アカウント担当者に感謝されることに、K山は仕事のやりがいを感じていた。

 その日もK山は、資料の参考にするための情報収集活動を行っていた。A社では、セキュリティ対策の一環として、社内から閲覧できるWebサイトに制限を設けている。しかし、K山のような情報収集を業務とする社員だけは、ほぼ自由にWebサイトを閲覧できる権限が与えられていた。K山は、官公庁の Webサイトで毎日公開される公報にひととおり目を通し、競合する他社の製品動向を企業のWebサイトで確認。さらに、製品に対する評判や口コミを見るという業務を午前中に行うことを日課としていた。

 いつものようにWebブラウザを使い、検索エンジンのキーワード検索でヒットしたWebページを片っ端から閲覧していたK山は、製品についての口コミが詳細に書かれたWebサイトを見つける。興味を持ったK山は、Webページにあったリンク先も閲覧してみた。いくつかのリンクは海外のWebサイトにあり、一部のリンク先はすでにWebページが存在しなかったり、移転・閉鎖を示すWebページに飛ばされたりした。こういうことは、情報収集していればよくあるものだ。その日も情報収集を終え、プレゼンテーション資料作成に取り組んでいた。

信用の失墜、そして企業の消滅

 だが、このときK山が使っているクライアントPCでは、とんでもないことが起きていた。

 K山が閲覧していたWebページの中にマルウェアが仕込まれていたのだ。それも、延長サポートが終了し、すでにセキュリティ修正プログラムの配布も行われていないWindows XPを狙ったマルウェアだった。

 実は、A社では製品の競争力を高めるために低価格路線を進め、社内にはどんなことにもコスト削減意識を持たせる風潮があった。情報システム関連のコストも例外ではなく、業務に支障がなければ、古くても壊れるまで使い続けることが当たり前になっていた。

 こうしたA社の方針に対し、情報システム部門で働くS木は違和感を感じつつも、情報システム関連機器をリプレースするために経営層を納得させる策を持っていなかった。さすがに、ビジネスに直結する基幹業務システムや全社のサーバに関しては、おおむね5年のライフサイクルで更改していたが、クライアントPCはそれほど気にも留めていなかった。エンドユーザーも、使い慣れているWindows XPのクライアントPCを変更する必要はないという意見が大勢を占めていたため、文句を言われてまで新しくする必要はなく、サポート終了までにリプレースすればよいだろうと高をくくっていた。

 後回しにしていたクライアントPCのリプレースだったが、Windows XPのサポート終了を迎え、S木もいよいよもって着手しなければいけないと準備を始めていたその矢先、事件は起きた。K山が閲覧したWebページから侵入したマルウェアは、クライアントPCで密かに実行され、K山がアクセス権限を持つ社内の機密情報を漏れなく外部に流出させ始めたのだ。

 発覚したのは、3日後のことだった。営業部門のアカウント担当者のもとに、顧客から苦情の連絡が入ったのだ。どうやら、顧客企業の担当者の個人情報が、海外の無料アップローダで晒されているという。調査を依頼されたS木は、驚きを隠せなかった。個人情報のみならず、機密扱いだった技術情報までが漏えいしていたのである。Webサイトへのアクセスや外部メディアによるデータの持ち出しは、万全なセキュリティ対策を施しているつもりだったのに・・・。

 K山のクライアントPCに侵入したマルウェアは、まさにサポート終了になったWindows XPをターゲットにしたものだった。サポート終了後に発見されたWindows XPの脆弱性を突いたもので、すでにサポートを打ち切っていたマイクロソフトも把握できていなかったという。サポートが打ち切られた古いOSを使い続けることが、どれだけリスクを伴うか、S木は身を持って知らされることになった。

 顧客から情報漏えいを指摘されたA社は、守秘義務違反によって取引停止を通知される。信用が大きく失墜したA社から顧客が次々と離れ、ビジネスは完全にストップしてしまった。経営破たんに陥ったA社は、最終的に海外投資企業のB社に買収され、A社が培ってきた技術は新興国へ流出。日本の技術という視点からも、損失は決して小さいものではなかった。

 技術部門ではないK山も、リストラによる人事整理の対象になるという憂き目に遭うことになった。

サポート終了後に狙われるWindows XP

 この物語は、当然のことながらフィクションである。しかし、Windows XPを使い続けたから会社が潰れることなどあり得ないだろうと考えるのは、大間違いだ。

 Windows XPは、10年以上も前に作られたOSであり、すでにそのアーキテクチャは現時点の技術に見合ったものではない。だからOSの発売元であるマイクロソフトも面倒を見切れず、新しいOSへのバージョンアップを促している。

 米国の調査会社 Net Applicationsによると、2011年9月における世界のOSシェアはWindows XPが47.29%であり、いまだに首位にあるという。現行の最新OSであるWindows 7は30.36%の2位であり、バージョンアップを後回しにしている企業は、世界的にも非常に多いことが窺える。今は不自由なく使えているし、セキュリティパッチも提供されているのなら、移行が急速に進まないのは、ある意味当然なことだ。

 しかし、悠長なことは言っていられない。Windows XPを使い続ける企業のPCを狙ったマルウェアが登場してくる危険性は、大いにあり得る。こうしたリスクに対し、例えばウイルス対策ソフトウェアを開発するセキュリティベンダーはどのような施策を打って出てくるか、未知数な部分がある。Windows XPのサポート終了とともに、セキュリティのリスクがぐんと高まるWindows XP対応を荷が重すぎると判断し、対応OSから外すベンダーがあるかもしれない。一方でサポート終了を商機と捉え、しばらくWindows XP対応を謳うベンダーがあるかもしれない。

 ユーザー側としては今後のベンダーの動向を見極めるしかない状況だが、古いものを使い続けるのは、間違いなくコスト高になっていく。使い続けるのは自由だが、あくまでも自己責任である。

 Windows XPの延長サポートフェーズが完全に終了するのは、2014年4月。すでにカウントダウンは始まっている。そこまでに、Windows XPを使い続けるべきか否か、ユーザー自身が回答を出すしかないだろう。

[ITmediaエンタープライズ]

Posted by nob : 2011年11月08日 13:29

研鑽と蓄積は、、、

ともすれば束縛と固執に繋がる。。。

Posted by nob : 2011年11月06日 20:30

騙すなら、、、

もっと巧く騙してよ。。。

Posted by nob : 2011年11月06日 20:29

健全な事柄は、、、

みなシンプル。。。

Posted by nob : 2011年11月06日 20:28

TPP賛否の論議自体がナンセンス、、、内外価格差のない誰も飢えない国際経済構造改革は必須だけれど。。。

■TPP:交渉参加判断「今でも遅すぎる」…枝野経産相

 枝野幸男経済産業相は5日、早稲田大で講演し、TPP交渉参加問題に関し「アジア、太平洋の経済連携に日本の意思をどう影響させていくかを考えたら、今でも遅すぎる状況だ」と述べ、参加に向けて早急に判断する必要性を強調した。

 経産相は、アジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議での参加表明への自民党の反対について「目先の政局問題で判断する小さな話ではない」と指摘。「『守り』の農政を何十年もやった結果、競争力をつけられなかった」と従来の農業政策を批判、輸出産業化を急ぐべきだと訴えた。

[毎日新聞]


■農家への補償拡充も=TPPめぐりJA幹部と会談―玄葉外相

 玄葉光一郎外相は6日、JA福島の庄條徳一会長と福島市内で会い、環太平洋連携協定(TPP)への対応について意見交換した。玄葉氏は「仮に交渉に入ったときに、産品によっては(農家への)直接支払いの制度を新たにつくっていくことが十二分に考えられる」と述べ、政府として農家への戸別所得補償を拡充するなどの支援策を検討する考えを示した。

 会談後、庄條会長は記者団に「(政府が)農業政策を提示しない中で、ただ『TPPに参加する』と言われても理解するものではない」と述べ、交渉参加に反対を伝えたことを明らかにした。また、玄葉氏から関税撤廃品目について説明がなかったとして、「全く納得できない。消化不良だ」と不満を示した。

[時事通信社/THE WALL STREET JOURNAL]


■TPP賛成38%、反対36% 内閣支持初の50%割れ

 共同通信が5、6両日に実施した全国電話世論調査で、環太平洋連携協定(TPP)問題をめぐり「参加した方がよい」は38・7%、「参加しない方がよい」は36・1%と拮抗していることが分かった。参加した場合の影響を政府が十分説明していないとの回答が78・2%に上った。説明しているとの答えは17・1%だった。

 消費税率引き上げも賛成は50・4%、反対は48・1%と意見が割れた。野田内閣の支持率は47・1%で、前回調査より7・5ポイント減。50%を割ったのは9月の政権発足後初めて。

[47NEWS]

Posted by nob : 2011年11月06日 20:19