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これからがそれまでを変える。。。/闘病のかたちは千差万別十人十色、、、負けない人々はまずそれまでの自分と決別する。。。

■会社を辞めたらガンになりました、ついでに治療も止めました
でも8年経った今でも元気です

山口 ミルコ
文筆家

8年前に会社を辞めた。

オバマ氏が「チェンジ」を世界に呼びかけて、アメリカ大統領になった頃のことだ。

リーマンショックの折、20年に亘る出版社勤めをやめようと決意した筆者は、2009年初頭、会社に辞表を出した。と同時に、乳ガンに罹患していることが判明し、退社後は闘病生活を送った。

「リーマンショックからさほど経っていないのに、なかったことのようになっていないか?」

これは会社を辞めて闘病生活に入った私――毎日を静かに暮らしていた私から見えた世の中、の感想だった。

自分と同じく会社を辞めた人たちが、いまどこでどうしているのか気になっている。

あの日「世界の終わり」に気づいた人は少なくないはず、しかし私は彼らになかなか会えない。

バブル期に向かって思春期を過ごし、雇用機会均等法で就職、充実した社会人生活と賑やかな業界でのキャリアを手にして、その経験の貯蓄を元手に、失われた20年以降には自分なりのアイディアで食いつないだ――筆者と同世代の、会社の中核的存在だった人も多かったにちがいない。

そういう人たちがなかなか出てこられない世の中になっているのか、私が孤立しているせいなのか、何事もなかったかのようになっているこの世界。

リーマンショックが突き破った袋から弾け飛んだ、生き残りを賭けた闘いの空気は、オバマが4年2期をつとめるあいまにみるみるよどんで地球上をただよい、世界各地に沈澱、いよいよ不気味な様相を呈するなかトランプ米大統領が誕生した。

会社を辞めた直後から、私はガン治療を受けた。

主なメニューは手術→放射線治療→抗ガン剤、それと並行してホルモン治療と作業療法(リハビリ)。やりたくなかったが、やるしかなかった。その体験は、拙著『毛のない生活』(2012年)に書いた。

ぜんぶ合わせると入院・通院していたのが1年、その後の歯の治療や口内炎の頻発の繰り返しや手の不自由、免疫不全、帯状疱疹……などなど、いろんな回復を待つこと約3年、再発におびえながらも「まあ調子いいよね」となるまでになんだかんだかかってしまい、現在に至っている。

それでものらりくらりとやってきたせいか、ぼちぼち<がんを克服した>と言っていいだろうラインに、ようやっと立つことができた。

あのとき会社を辞めなければどうなっていたかと考えてみる。

会社を辞めたのは、もう辞めようと思ったからであり、ガンになったからではないが、筆者の場合、退社とガンの発覚がほぼ同時期だったので、すぐに周囲の人びとの知れるところとなった。

多くの関係者が思ったにちがいない。

「あのひとはもう、仕事できないよね」

そういった目にさらされることは、独立したばかりの者にとって、こたえた。

社長に朝から電話で叩き起こされることは当然なくなり、誰からも連絡が来なくなった。

朝は寝床でグーグーグー、昼はのんびりお散歩、しけんも仕事もなんにもない、ゲゲゲのおばけ状態になるのにそう時間はかからなかった。以前がモーレツ社員だった分、すがすがしくさえあり、変わり果てたライフスタイルには我が事ながら、ときおり呆れた。会社時代の自分は、幻だったのではないかと。

それでもあのまま会社にいては治らなかったと、いま振り返ってハッキリ言える。

ガンと会社はある意味似ているからだ。

ガンになったら「チェンジ」せよ

ガンは人によって違い、治療も違う。

ガン治療には波があり、体調にも波がある。

調子の良い時もあるので仕事できそうな気がするし、じっさいすることも可能かもしれないが、筆者の体験をもって言わせていただくならば、やっぱりやらないほうがよい。

会社を辞めずにガンと戦うことは、2つ会社に行くようなものだ。

「ながら」が通用しないのがガンであり会社――たいていの日本の会社では、同種療法は無効、ということだ。

冒頭の「チェンジ」を、ここであえて挙げたい。リーマンショック後に叫ばれて、いまだになされていないそれ、である。

ガンになったら、いったんぜんぶをやめること。

会社が大事なのは、よくわかる。筆者も会社を愛していた。会社員の人で自分の会社を愛してない人などいないと思う。しかしそんな人間がガンをこさえたのだ。

会社にいれば、日々目の前にやるべきことが生まれ、会いにくる人もいる。

そうした場所を持っていた人が持たなくなると心身不安定になることも自ら退社したいまではわかる。

また、お金のことは当然ある。ご承知のとおり、がん治療にはお金がかかる。

同時期に治療を受けていた筆者の友人のなかに、会社員は少なからずいた。仕事を続けなければ治療も続けられない、そう言っていた。

彼女たちは独身であったり、独身でなかったのに乳がんになったことで離婚に至ったりした。筆者も独身であったが、退職金がまとめて入ったこと、そして実家があったことで治療に専念できたのは幸運だった。

“無収入”の時代が訪れる不安なく仕事できた自分は、これまでずっと会社に助けられてきたのだと、よくわかっている。

それでも一度すべてを絶つことをおすすめするのは、<過去と決別する>ためである。もうそれ以外にすることなど、ほとんどないと言っていい。

いったん素(す)になる必要がある。

1人になって、閉じこもり、じっと考える。

ガンは自分の細胞の変貌なので、本来の自分を取り戻す時間が必要なのだ。

孤独と向き合い、徹底的に考える。

そうしないと、そもそも自分はなんだったのか、わからないからだ。

生きていると、いろんなものがくっついてくる。元のかたちを分らなくさせているそれをはがしてゆく作業が闘病であったと振り返る。

自分をとりまく環境、人間関係、ライフスタイルすべてを見直した。

変わらなければならない、しかしそれができたなら終わりも同然、あとやることは、決まっていた。

1) 病人である自分と、とことんつきあう。
2) 病院をよく検討したうえで、この主治医についていくと決めたらば、その方針に従い、覚悟して治療を受ける。

治療中の方がマシだった!?

この病気が難儀なのはある時期、戦争になるところであり、そこも会社とそっくりだ(前ページの1)と2)、病人を会社員に、病院を会社に、主治医を社長に、「治療を受ける」を「仕事する」に置き換えて読むことができる)。

戦闘や混乱は免れない。

人によってガンは違い、100人いたら100通りのガンがあるので、戦い方や期間も100通りあるだろう。人それぞれなのだけれど、あるときには激しく必死で戦わねばならない。そこを戦わないと、ガンはどこまでも追いかけてくる。

戦闘中は、真剣に戦う。そして、ここで和平と思ったら、ただちに武器を置いて戦場から去る。いつまでも戦場に立ち尽くし、呆然としたり、戦友と傷をなめ合ったり、異国に立ち入って勝手に国境線を引いたりしてはならない。去るタイミングを逃してしまうと、平時より戦時のほうがよかった、なんてことに。こうなるとタチがわるい。戦後が長引く。

和平を決めたら武器は保持しない。同じ手は二度と使えない。戦力は全て戦場に置いていくことになる。ここも会社と似ている。

私は治療を途中でやめているので、戦闘のさなかにガンと和平協定をむすんだようなことになっている。そのことについては、次回書かせていただこうと思う。

さて、戦場を去ってどこへ行くか?

待ってくれる人がいたらそこに帰れるが、よく考える必要はある。

会社に戻るな、とは言わない。しかし以前と同じ生き方では、敵はまた追いかけてくるので、居ながらにしてやり方を変えることをおすすめする。

会社を辞めなかった人には会社が、離婚にならなかった人は家庭が、そこがもしもあたたかく迎え入れてくれる場合それに越したことはないにしても、乳がんのように長期間治療の病ほど、そのサイクルに呑み込まれ、うっかりすると治療の世界が居心地よくなってしまうケースがあることも、ここで言っておきたい。

とかく人は慣れた場所にいてしまうものだ。

病院の中にいれば守られるし、みんな優しくしてくれる。同じ病の友もいる。精神的なケアサポートとして同じガンの患者同士が交流できる場を設けている病院も多い。そこに専門医や経験者が出入りして、患者にヒアリングをしたり、アドバイスをしたり、の交流が生まれる。その交流がいっとき患者を支えることも否定はしないが、批判をおそれず書くならば、用が済んだらとにかくその場から離れるほうがいい。

一歩病院を出れば、外の世界が待っている。

そこにあらゆる問題が待ち受けていることはいうまでもない。

治療中のほうがまだよかったというほど、厳しいことがそこには待っているかもしれないが、治療の世界が居心地いいからといって居座らず、とっとと社会復帰したほうがいい。

素(す)に戻った本来の自分が、必ず新しい場所を引き寄せるはずだから。

おさらいする。ぜんぶをやめて、ひたすら治療に専念、そして治療が済んだら、そこもやめる。闘病前の自分と決別し、闘病中の自分とも決別する。この道しかなかった。

退社から8年、いまになって、会社がどういう場所だったのか、思い返すことが多い。

元気になった証拠かもしれない。

では、次回は「なぜ私は治療をやめたのか?」について書かせていただきます。


■「ガン再発」と「副作用」を天秤にかけた結果、治療をやめました
後悔なんてしてません

8年前、勤めていた出版社を退社したと同時に乳ガン罹患が発覚した文筆家の山口ミルコさん。手術、抗がん剤、放射線、ホルモン剤、リハビリなど、辛い治療をこなしつつも、快方に向かっていた。が、山口さんは途中で治療を一切放棄してしまった。そのココロは一体?

ガン探偵ミルコの捜査結果

退社することなく、ガンになったと仮定してみる。

おそらく丸1年は会社を休まなければならなかったし、その後の不調を抱えながら前と同じ仕事を続けるに困難がつきまとったことは想像に難くない。

闘病は身体の厄介だけでない、心が厄介だ。

それに会社というのは待ってくれるものだろうか、以前のようには稼げなくなった人を。

なぜガンになったのか? それをずっと考えてきた。

<私がなぜ?>の問いは、多くのガン経験者の方々にも共通のものと思う。

ストレスか、食生活か、何者かの怨念もしくは邪気なのか、はたまた自らの行ないの悪さによるものか、前世からの因縁か……自問自答は止まらない。

けっきょく自分自身を責めることになる。私もはじめはそうだった。

ところが年数が経つにつれて、ほんとうにそうだろうか?と思うようになった。

考えてばかりいるうちに、自分がいいとか悪いとか、そういうものを超えた真相に迫りたい、どうにかしてそこへたどり着けないだろうかということになった。ヒマだったのだ。

原因は何か?

犯人は誰か?

犯人逮捕までの捜査プロセスについては、これから出る新しい本に書いた。

ガン探偵ミルコは、日本で、中国で、ロシアで、考えた。

考えに考えぬいてわかったことの1つには、結果はもう出ている、ということがある。

<ガンになった>は結果だ。

原因はどうであれ、結果が出ている。

ガンになったことも、会社をやめたことも、もう済んだこと。

なのになぜ私はそこにいつまでもこだわり続け、本まで書いたのだろう。

会社も治療もやめたのに、考える続けることはやめられなかったのである。

私を導いたものがなんであるのか、そこも知りたい。

ひとつ、いいアイデアが浮かんだことがある。

「私は嵌められた」というものだ。

私は罠にかかった小動物のようだった。

まったく自分は悪くない、すべて私以外の何者かのしわざであると。そこで片づけられたらすぐに終わったのだが、しかしそうはならなかった。

私もいつか再発するのかな……?

<ガンを克服した>と言っていいだろうラインにようやっと立つことができたと前回書いた。筆者は会社を辞めると同時にガンが発覚、闘病をへて現在に至っている。

ここまでに、まる8年。退社からもガンからも、まる8年。

この時間の長さをどうみよう?

ずいぶんかかってしまったという気もするが、こんなもんだとも思える。

ガンができるのにはそれ相当の時間がかかっているのだから、ガンが治るのにもそれ相当の時間がかかる、ものごととはきっとそういうものだろう、といまならわかる。

<いままでの自分>がガンをこさえたのだから、<いままでの自分>とは変わらなければ、そうすることでしかぜったいに治らない、そうきつく我を戒めて、この8年を暮らしてきた。

入院中に、「7年で再発した」と言って病院に来た人と一緒になったことがあった。

「ああ、私もいつかまた、なるのかなあ……」

初発を治してもいないのに私は再発を心配した。

あれ以降「7年で再発」の話がなかなかアタマから離れず、再発におびえてきた。

退社以降、ときおりガンについて書いたり発言する機会をいただいてきたが、その中で「克服」という言葉を、私は使ったことがない。むしろまだ病人なのだ、調子にのるなよと自分に言い聞かせてきた。それがここへきて<ガンを克服した>と言っている。わけがわからない。ただ、<終わり>だと思う自分がいる。

私は長年編集者としての仕事に注いでいた全力を、一気にガン研究へ傾けていたので、治療が一年も経つころにはすっかりクタクタになっていた。

もう私はじゅうぶんやったのではないか?

そんなずうずうしい考えがうかんでいた。

当初、主治医の方針では、2種類のクスリをやることになっていた。

パート1は入院で点滴、およそ4ヵ月。

パート2を通院で点滴、およそ半年の予定。

パート1では完全に脱毛し、吐いて吐いて吐きまくったが、なんとかノルマを終えた。

そしてパート2に入ると、全身がグラグラし、耳の奥に痛みを感じた。これまでに経験したことのない、具合の悪さだった。

このままでは耳が聞こえなくなるかも――?

「私、やめます」

医師に言った。

治療も社交もやめたら体質改善

たしかあのときも――会社をやめるときとも、おんなじだった。

もう戦えないのなら、そこに居場所はないのである。

あえて言葉にするなら、もうここには呼ばれない、この場所には来なくていい、いなくてもいい、自分。

自分を失う一歩手前で、私は逃げた。

「私、やめます」の宣言は、この肉体から発せられた言葉であるはずなのに、自分が言った気がしない。それは神かご先祖様か、誰かがクレーンのような恰好で私をひょいと摘(つま)み上げ、私を危機から救い出した。

クレーンで私はいったん高い所へ引き上げられて、その直後に地面に落とされた。

高い場所から勢いよく落ちたので、ダメージは大きかったが、大怪我も辞さないその助けがなければ私はいつまでもあの場でモタモタした。だから救われた。生と死の境を超えたのである。

そして私は会社からもクスリからも引き離されて、あらためて自分のかたちを眺めることになったのだった。

そこには少々まちがったかたちの、歪んだ私がいた。

まだ数回残っていた抗がん剤をこうして途中でやめた私は、どうしたか?

こたえ、何もしなかった。

なにもかも、やめてしまったのである。

経口の抗がん剤も、ホルモン剤も、検査に行くことも、やめてしまった。

ガン治療というのは主治医の決めたスケジュールをまっとうしないと再発率がぐんと上がるといわれており、再発はおそろしいのだが、何もする気がおこらなかった。

ついでに社交もやめた。

こうでなきゃいけないものとかお金や知名度が価値基準になっている場所ともあいついでお別れした。それは、ある意味カンタンだった。向こうからさよならしてきたからである。

ウソは前から嫌いだったがいっそう嫌いになった。

あとは自然にまかせた。

するとふしぎなことに、本来のかたちにもどっていった。

贅肉が落ち、視覚、聴覚、嗅覚が冴え、いったんゴワゴワになった髪質がサラサラになった。

啓蟄が近づくと、手術跡の古傷に痒みをおぼえるようになった。

こうなるともう、大きな地球のサイクルにのっかっていくしかなく、私がずっとこだわってきた「なぜ?」の問いには、すでに何の意味もなかったのだと、解明されるのは時間の問題だった。

以前のように稼げるかなど、質問自体がばかげていると、わかっただけでもガンで儲けたものだった。


[いずれも現代ビジネス]

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Posted by nob : 2017年02月23日 09:50