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本日刊行のメールマガジンより。。。

サイトピジターならびにメールマガジン購読者各位

本号より、旧アーカイブサイト"What's Cool!? by nob"(http://webnob.jp/nob/)から、こちらのサイトに完全移行させていただきました。
過去本日までのバックナンバーについては、上記旧アーカイブサイトをご覧ください。
尚、今後は旧アーカイブサイトの更新はいたしませんので、こちらのサイトにて引き続きよろしくお願いをいたします。

nob


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≪号外≫
STOP ROKKASHO!(What's Cool Business!? & What's Cool Life!?共通)

個人から世界は変わる!

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本誌最近の4号にわたって、「号外 / STOP ROKKASHO !」と題し、
青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場の本格運転開始を取り巻く
日本の原子力発電に関する政策推進についてのこれまでの経緯と現状、
そして将来への展望について言及してきました。

まずは、知ることからすべては始まる。。。

本誌を通じて、この核燃料再処理という、今後少なくとも約40年間にわたって、
大気中と海洋に浄化不可能な放射性廃棄物を投棄し続けんとする暴挙について、
新たに一人でも多くの方に実情を知っていただける
ささやかな一助になったのであれば、とても幸いに思います。


鎌仲ひとみ監督の映画「六ヶ所村ラプソディー」の中で、
「行動を起こさないことは、賛成しているのと同じ」
という第三者の言葉をきっかけとして、反対運動に自ら進んで身を投じていく
地元農家の方を描いた場面があります。

彼らは、放射能被害を真っ先に被る当事者なのですから、
なおさらのことですし、もちろんそのことを決して否定はしません。
それどころか、どんな場合においても実際に行動する人々を敬愛せんとする、
それを私は信条の一つとしています。

極論、たとえその方向性や方法論に誤りがあったとしても、
行動する人はしない人からは常に尊重されるべきだと、
つまり行動しない人にする人を揶揄したり非難したりするような資格など
あろうはずがないと思うのです。

あってよいのは、実際に行動をする人々同士の間での
方向性や方法論のせめぎ合いやぶつかり合いであって、
何もしようとしない、あるいは自らの行動の中で代替案を呈示しない第三者の、
口先ばかりの主張をもっともらしく正当化せんがために
他者の否定を利用するような愚かしい陰湿発言が
様々なメディアに氾濫している状況には、
辟易を通り越して憎悪すら感じてしまいます。


ただ、私が確信しているのは、
事実を知るということがまず何よりも先決、、、
必ずしも現地に出かけて行って反対運動に参加しなくとも、
あるいはコミュニティーに加わり、集会やデモなど様々なイベント活動に
参加したりといったような実質行動には出られなくとも、
事実を知り、そして自らの頭で判断し、
その時々においてそれぞれの立場でできることを淡々と継続していこうとする
人々が増えていくことで、
実際に行動をする人々を支援していくことができますし、
やがてそれらが世論となり、次第に大きな抑止力になっていくものと、、、
そうした悪を生み出さず、許さず、戒めていかんとする一般国民の意識が、
広く社会全体に定着していかない限りは、
何も変わらないばかりか、諸悪の連鎖のスパイラルは、
日々さらに深まっていくばかりということなのです。。。

愚かしくもまた悲しいことですが、
昨今の私達の社会には、公正さや公平さが欠落し、
経済の論理による競争主義に支配された私達からは、
自らへの豊かさの実感や他人への思いやりの心が日々失われつつあります。

本誌でも、折りに触れて言及してきたように、
私達の社会は、競争主義から協調主義に、
社会的弱者と競争の敗者に優しい成熟した自由競争資本主義社会へ
移行すべき時を迎えて久しいにもかかわらず、
私達はその方策を未だ見出せないでいるどころか、
その必要性の認識すらもおぼつかないままの現状です。

たとえそれが無意識のうちに深く植え付けられてしまった習性のような
悪意のないものであったとしても、
ただ自らの既得権益の死守ばかりに終始奔走し、
搾取せんとするばかりの社会的強者ならびに競争の勝者達に加え、
依存従属心に支配されて、
搾取せんとする側の利己的論理に阿(おもね)るばかりの
圧倒的多数の私達中間層と、
搾取されるばかりの社会的弱者ならびに競争の敗者との間に横たわる格差は、
日々拡大の一途を辿っています。

私達一人一人が、組織や社会や国家への依存従属心から自らを解き放ち、
それぞれ個々の尺度と価値観を基にした精神的自立をはかることから、、、
ひいてはそうした自己をお互いに理解し合い尊重し合う風潮が、
広く一般に浸透していかない限りは、
次々と生まれる諸悪の根源を断ち切り、既に渦巻いている諸問題を
解消させていくことなどできようはずもありません。。。

一つを叩いても、その脇ですぐに別の新たな問題が顔を出す、
まさにもぐら叩きゲーム、、、
それどころかどんどんもぐらが加速度的に増え続けて、
もはや叩き切れずに私達のほうがその場に果ててしまうかのような様相を
世界は呈してきています。


かくゆう私自身も、今回言及してきた「STOP ROKKASHO」の運動に
実際に身を投じているわけではありません。

敬愛する友人には、
日々大きく成長するムーブメントの中核で活動をしている人も、
地域で自主上映会などの地道な活動をしている人もいて、
そうした背景から私もこの事実を知り及び、
私自身の頭での分析判断により、六ヶ所村の核燃料再処理ばかりではなく、
原子力に依存せんとする世界のエネルギー政策の潮流に反対をする立場で、
私なりにできるささやかな抵抗を淡々と継続してきているに過ぎません。

こんなささやかな抵抗であっても、
大勢の人達の小さな力が結集すれば大きな力となるでしょうし、結局のところ
そうしたボトムアップの主体的抵抗の輪を拡げていくことでしか
体制を変えていくことはできないと、私は確信しているからです。

主体性の欠落した人々は、搾取する側にとっての絶好の餌食、
是非も真偽もその区別なく、
自らの目先の都合によってただ強いもの勝つものの側に擦り寄るように
流れていくだけ、寄る大樹は大きければ大きいほど不安感に蓋をし、
払拭したかのような錯覚に溺れることができるのですから、
結果としてますます格差を拡げていくばかり、つまりは、是非と真偽の基準は、
彼らにとってはカネとモノの度合い以外の何物でもないのです。


また、前述のように、実際に行動している人達に敬服してはいますが、私には、
ともすれば自己完結的で独善的な傾向に走りがちな多くの活動家の方々と、
日常的に行動をともにして、協調をしていくことができないでいるのです。

様々な交友関係の延長で、草の根的に地道に運動をする、
あるいは過激な活動団体に所属する、
また社会的に実績が評価された知名度の高い活動家、
そうした様々な人々にお会いしましたが、
理屈ではなく直観的に相容れない、
生理的に受け付けない何かを抑え切れないでいるのです。

そんな私にも、それでもできうることはあると、
また私のような感覚を共有しうる人々も決して少数ではないと、
私は信じているのです。

実際のところ、私が関わるなかで心許し警戒感を感じないでいられたのは、
個人のネットワークあるいは各方面の活動団体に所属して、
かつては精力的な活動をしていた背景を持ちながらも、
方向性や方法論に社会的意義や正当性を見失い、
ドロップアウトしてしまったような人々に対してでした。
彼等の多くは、方向性や方法論を模索あるいは転換しただけであって、
思想や主義までも棄ててしまったわけではありません。

原子力発電の推進が、経済の論理により、
ごく少数の社会的強者と競争の勝者により押し進められているように、
ともすればまた一見正反して映る自然エネルギー開発もまた、
その次に続く少数の強者と勝者の経済の論理により、
押し進められているような事実も否めません。

昨今は、エコをうたわない企業はもはや少数派、
私達の日々の生活にもエコやLOHAS(life of health and sustinability)
といった諸々の類いは日々侵食を続けており、もはや食傷気味、、、
もちろん確固たる理念に基づいた優れたものもありますが、
似非のまがいものも多く蔓延しています。

物事の是非や真偽を見分けることだけでも、
もはや才能に近いレベルの技量が要求されるほどの、、、
さらに自らの主体的判断に基づいて自己責任において
言動していくことには、多大な勇気が必要とされてしまうほどの
嘆かわしい状勢であるといえます。。。

例えば、think global(ly) act local(ly)、
このことは是であり真であると私も思いますが、
そうした方向性方法論の一案としての
国内自給率の向上、あるいは地産地消、
これらは果して本当に是であり真なのでしょうか?
世界にはその日の食料はおろか水にさえ事欠く人々が蔓延しているなかで、
本当にこんな自己防衛利己的発想で
これからの時代を考えていてよいのでしょうか?
これらの事案については、
今後また誌面をあらためて掘り下げていきたいと思いますが。。。


いずれにせよ、否定からはまた新たな否定が生み出されるばかり、、、
是非あるいは真偽いずれにおいても、
すべての事象には原因と経緯があり、また繋がり合っていて、
それらの総合としての現状の国際社会の中に、
今私達は現実に生きているのです。。。

世界には、様々な深刻な問題が山積し、
深刻さの度合いは日々深まるばかりです。
これらを個別に解決しようとしても、新たな別の問題が生じるばかり、、、
例えば、原子力エネルギー開発でCO2を減らしても、
ウラン採掘地では被曝を生み、
数億年を要しても浄化不能な放射性廃棄物を生み出し、
地球環境を根底から蝕むといったように。。。

民族や国境の境を越えて、
地球規模であらゆる問題を解決していこうとするグローバリズムと、
自分であれば直面する問題をどのように解決せんとするのかという基準での
主体的かつ積極的なパーソナリズムの双方が、
今を生きるグローバーズ(国際社会の一員)として
もはや不可欠な時代を迎えています。

直面する様々な事態を頭ごなしに否定してかかるのではなく、
まずは一旦肯定的に受け入れ、
それらの原因と経緯を踏まえたうえで、
今後の調整あるいは修正をはかっていこうとする姿勢と、
例えば戦争といったような
原則論での絶対悪を無条件に排除していくことが肝要、
何よりの優先課題であると私は考えています。

目にし耳にしない日はないほどの「テロとの戦い」という言葉にも、
私はもはや嫌悪感すら感じてしまいます。
テロとは、
強者と勝者の論理視点による弱者と敗者の
八方塞がりの抵抗を表す言葉であり、
そこに実際存在しているのは、
あくまでも、強者と勝者、そして弱者と敗者の間の
戦争以外の何物でもありません。
如何なる場合においても戦争は絶対悪、正義の戦いなどというものは、
どこにも存在するはずのない、強者と勝者の詭弁にしか過ぎないのです。

また、経済つまりカネもまた、
その使い方を誤れば、銃や爆弾よりも性質の悪い凶器、
陰湿なサイレントボンブ(静かな爆弾)であるといえます。
私達の国も、強者と勝者を後方から支援することで、
自らの手は汚さず、
まさに弱者と敗者への侵略と迫害を続けているに等しいのです。

認識がなかったからなどという
幼稚な言い訳が通じるはずもありませんが、
日本人には自覚のない行動というものが顕著であることも否めません。

第二次大戦までの長い封建制と軍国主義の歴史において、
また独自性が軽視され画一化を是とするかのような社会構造の中で、
まさにDNAに深く擦り込まれてしまったかのような
主体性や自発性の欠落、、、
平和ボケが蔓延し、カネとモノの呪縛に囚われて、
見ざる聴かざる言わざる動かざる悪しき習性に支配された
日本人の多くに見受けられる国際人としての自覚の欠落の度合いは、
他先進国の国民の想像の外にあるように私は感じています。


過日、またアフガニスタンにおいて、邦人の犠牲が出てしまいました。

以下に、この事件に関する代表的なマスコミの報道を抜粋しました。

産経新聞と読売新聞、そして中国新聞、
果たしてどちらの視点が正しいのでしょうか?


■【主張】アフガン拉致殺害 テロの現実を直視したい

 アフガニスタンで日本の非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の
伊藤和也さん(31)が武装グループに拉致され、殺害された事件は、
痛ましくも悔しい限りである。
伊藤さんの活動に敬意を表し、ご家族に心からのお悔やみを申し上げたい。

 今回の事件は、テロの現実を直視するよう迫るとともに、
「テロとの戦い」、アフガニスタン復興支援、
民間ボランティアの現地での活動の進め方などに再考を促すものとなった。

 武装グループは、金目当ての犯罪集団ではなく、
反政府武装勢力タリバンと関係がある可能性が強まっている。
タリバンの報道官も関与を認め、共同通信の取材に
「すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける」と述べた。

 ペシャワール会は、
現地で長年、医療活動、農業指導を続けてきたNGOで
住民の信頼も厚かった。
伊藤さんがいかに慕われていたかは、
事件後、多くの住民が犯人を追い、救出活動に加わったことを見ても分かる。

 同会の現地代表、中村哲氏(61)は米軍の攻撃、自衛隊の派遣に反対し、
タリバンに理解を示すような発言もあった。
そんなNGOまで狙われたことが深刻だ。
中村氏も記者会見で「治安情勢の認識に甘さがあった」と語った。

 タリバンや米中枢同時テロの実行犯、
国際テロ組織アルカーイダらイスラム原理主義の過激派によるテロは
「すべての外国人が…」
という報道官の発言を待つまでもなく常軌を逸している。

 武装勢力の活動は7年越しのテロ掃討作戦にもかかわらず、
再び活発化し、
米軍や北大西洋条約機構(NATO)主体の国際治安支援部隊
(ISAF、現在40カ国)の死者が急増、
外国人ボランティア襲撃も頻発していた。

 このため、NATOは増派を決め、
国際社会は復興支援額を積み増そうとしている。
そうした流れの中で、
日本だけがインド洋での給油活動から撤退したらどうなるか。
戦線離脱とみなされよう。
しかも、それは国内の偏狭な政治的思惑が原因とあれば、
国際的信用を失うこと必定だ。

 “丸腰”であるボランティアたちの活動も、
治安が確保されなければ続けようがない。
伊藤さんの遺志を継ぎ、NGO活動を守るためにも、
いまは現地での治安確保、テロとの戦いに全力を再結集するときである。

[産経新聞]


■NGO職員殺害 アフガン安定へ協力を続けよ

 昨年以来、深刻な治安悪化が続くアフガニスタンで、
ついに日本人の犠牲者が出てしまった。

 アフガン東部ジャララバード近郊で誘拐された民間活動団体(NGO)
「ペシャワール会」職員、伊藤和也さんが、遺体で発見された。
事件は最悪の結末を迎えた。

 伊藤さんは5年前から、
米や野菜の栽培など、農業指導に取り組んでいた。
高い志を抱き、異国の地で汗を流す中、
現地住民にも溶け込み、強い信頼関係を築いていた。
極めて無念だったろう。

 アフガンの旧支配勢力タリバンが事件への関与を認めている。
武装勢力を掃討する駐留外国軍兵ばかりでなく、
人道支援に尽力する善意の民間人までが、テロの標的となる。
現在のアフガン情勢の厳しさを象徴するものだ。

 ペシャワール会は昨年末から、治安悪化を踏まえて、
日本人スタッフ約20人を順次、帰国させている最中だった。
だが、支援活動に区切りをつけるなどの事情から、
約半数は滞在を続けていた。

 外務省は昨年7月以降、アフガン全土に退避勧告を出しているが、
同国内には、国際協力機構(JICA)、
NGO関係者ら140人以上がとどまっている。

 丸腰の民間人の自衛には限界がある。
自爆テロや外国人の誘拐が続くアフガンの現状を踏まえれば、
安全を優先して一時出国や帰国を検討する時ではないか。

 一方で、日本としては、
アフガンの平和と安定を回復する国際社会の共同行動の一翼を担う
態勢を堅持する必要がある。

 日本は従来、14・5億ドルのアフガン復興支援と、
海上自衛隊によるインド洋での給油活動を実施してきた。
経済支援と人的貢献は、
いわば「車の両輪」であり、どちらも欠かすべきではない。

 復興支援では、道路、空港の整備のほか、
元兵士や軍閥の武装解除など治安改善にも力を注いできた。
給油活動は、テロリストの移動や武器・麻薬の輸送を監視する
多国籍海軍を支援するものだ。

 アフガンでは、40か国の部隊が900人超の犠牲者に耐えつつ、
治安維持や地域復興活動に従事している。
それと比べれば、極めて危険が少ない給油活動さえもやめるようでは、
日本に対する国際社会の評価は地に墜(お)ちるだろう。

 アフガンを安定させ、テロを撲滅する戦いは、
日本にとって決して人ごとではない。
来月召集の臨時国会で、給油活動延長のための
新テロ対策特別措置法改正案を成立させることは必須の課題だ。

[読売新聞]


■伊藤さん拉致、死亡 遺志を生かす道探ろう

 残念ながら最悪の結末になった。
アフガニスタンで武装グループに拉致された日本の非政府組織(NGO)
「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が遺体で発見された。
アフガン復興に身をささげ、
志半ばで命を絶たれた伊藤さんの無念さは察するに余りある。

 身柄を拘束された実行犯二人が捜査当局の調べに
「治安悪化を印象付けて、外国人を追い出したかった」
と供述しているという。
反政府勢力のタリバンが犯行への関与を認めているといわれるが、
実行犯とタリバンとの関係はまだ分かっていない。
身代金目的との見方もある。
動機や背景などを一刻も早く解明してほしい。

 ペシャワール会は、
診療所を運営し、井戸を掘り、農業指導や食料支援に力を注いできた。
「丸腰」で地元住民の中にとけ込んで二十年余り。
地道な活動で厚い信頼を築き上げてきたのである。

 日本人スタッフ全員が民族服を着て現地の習慣や伝統を尊重、
安全には最大限の配慮をしてきた。

 農業支援のリーダー格だった伊藤さんもすっかり風土になじんでいた。
拉致後は村人数百人が捜索に当たったのも、
地元の人から好かれていたということだろう。

 それでも、最悪の事態が起きてしまった。
同会の現地代表中村哲医師は
治安悪化について「情勢に対する認識が甘かった」と無念さをにじませる。
住民との信頼関係を力に活動を続けることで、
これまで大きな事件に巻き込まれなかった。
それが油断になったとしたら残念である。

 アフガンの治安は最近、急速に悪化している。
国際治安支援部隊によるタリバン勢力の掃討作戦で
民間人の犠牲が後を絶たない。
住民の反感は高まる一方で、外国人の拉致事件も多発している。

 そうした中で起きた事件は、人心の荒廃の深さを浮き彫りにした。
日本のNGOが拠点をパキスタンに移すケースが
増えているのも仕方がないだろう。
ただ、支援の手を引けば武装勢力の思うつぼだ。
ペシャワール会は日本人スタッフを全員帰国させるが、
中村医師が残ってアフガン人スタッフで事業を継続するという。
伊藤さんの志を生かすためにも、
事件を乗り越えて支援活動をどう継続していくか、見直しが必要だ。

 それにしても政府の対応は心もとない。
情勢の把握に手間取り、一時は誤った解放情報に振り回された。
独自の確認手段を開拓してこなかったつけではないか。

 さらに、町村信孝官房長官の記者会見にはあきれた。
伊藤さんの遺志に応える「平和協力国家」の努力として、
テロとの戦いをあげ、
さらにインド洋の給油活動の重要性を強調したのである。
中村医師はかねてから
「戦争をしない国日本の人間ということで守られてきた。
それが、米国支援に自衛隊を派遣して以来、怪しくなった」
と口にしてきた。
それなのに長官の言葉は「我田引水」ではないか。
政府はアフガン支援、国際貢献の在り方を
もう一度検討し直してもらいたい。

[中国新聞]


さて、読者の皆様は、
どのようにこの悲惨な事件をご認識されたことでしょうか?

全国紙の産経新聞と読売新聞の記事に代表されるように、
マスコミの論調の潮流は、
あくまでアメリカの後方支援ならびにテロとの戦いを是としていて、
ごく少数の中国新聞のような
これを非とする論調を探すことは簡単ではありませんでした。

私の考えは、既に前述したとおりです。

真実に気付き変えていけるのは私達の世論だけ、、、
真の平和国家への邁進、これこそが日本の進むべき途であり、
そのために何をすべきなのか、、、
皆様はいかがお考えになることでしょうか?


また、予想とおり北朝鮮も、
核施設の無能力化作業を中断するとの声明を出しました。

以下に、関連報道を抜粋しました。


■北朝鮮核問題 駆け引きに振り回されるな

 毎度の瀬戸際政策に、うんざりする。
北朝鮮が核施設の無能力化作業を中断するとの声明を出した。
過激な言い回しで、すでに使えなくした施設の復旧にも言及した。

 米国がテロ支援国家指定の解除を延期したため、
十分に予想された反応である。
すでに六カ国協議の関係国は今月中旬、
作業中断に関する情報を入手していたという。

 米国の民主党大会の開幕に合わせて声明を発することで
現政権を揺さぶり、譲歩を迫ったとみられる。
仮に施設の復旧を目指しても再稼働に一年以上はかかるとされる。
関係国に求められるのは冷静な対処だ。
北朝鮮の駆け引きに振り回されてはならない。

 北朝鮮側は、米国の対応を「合意違反」だとしている。
六月に提出した核開発計画の申告書をもって
指定解除をするべきだと主張する。

 この理屈が通用しないのは明白だ。
昨年の六カ国合意で北朝鮮は
核開発計画に関する「完全かつ正確な申告」を約束したはずだ。
だが申告は半年も遅れ、
肝心の核兵器に関する情報などは一切含まれなかった。
しかも申告書の真実性をはかる検証作業の担保が不十分では意味がない。

 合意の灰色部分と時間の経過を巧みに利用するのが北朝鮮の戦術だ。
外交成果を焦った米国の見通しが甘かったと言わざるをえない。

 検証の範囲や時期をあいまいにしながら、
合意優先で進めた交渉は軌道修正を余儀なくされた。
指定解除見送りは当然の帰結である。

 六カ国合意に基づく非核化プロセスの第二段階は正念場だ。
無能力化期限の十月末は迫っている。
北朝鮮は声明で厳格検証を拒絶しており、
ブッシュ政権での関係改善に見切りをつけたともとれる。

 だからといって米国は安易に見返りを示すことも、
危機的状況のまま次期政権にバトンを渡すことも許されない。

 いくら時間稼ぎをしたとしても、
北朝鮮には交渉の仕切り直しが待つだけだ。
米国はそれを強く訴え、
原則通り検証方法についての協議を粘り強く続けるべきだろう。

 日本人拉致問題の再調査への影響も無視できない。
先の日朝合意は、米国のテロ支援国家指定解除への土台でもあったからだ。

 「可能な限り今秋に終了」とした調査期限にこだわり、
日本も合意を優先した感がある。
その後、北朝鮮側が過去の再調査を白紙に戻すのを
拒否していたことが判明し、実効性に疑念が出始めた。
制裁を一部解除するタイミングについて
政府内で見解が割れているのも気がかりだ。

 こうした足並みの乱れは、北朝鮮に付け入るすきを与える。
いま一度、日米両政府は
「行動対行動」の大原則を肝に銘じておく必要がある。

[愛媛新聞]


■【社説】実質的な北核検証が‘テロ国解除’のカギ

 北朝鮮が寧辺(ニョンビョン)核施設無能力化の中断を宣言したのは、
ブッシュ米大統領に二者択一の圧力を加えるものだ。
テロ支援国指定解除措置で
「無能力化と核申告の完了」という外交的な成果を確保するのか、
それともこの2年間の交渉を原点に戻すのか。
今回の件は旧態依然たる北朝鮮の瀬戸際戦術だが、
これを米国が自ら招いた側面もなくはない。

米国は2007年の2・13合意を前後して、
北朝鮮に譲歩を繰り返してきた。
「核兵器」は交渉の対象に取り上げられもしなかった。
最初は強硬な立場だったウラン濃縮プログラムや
シリアへの核拡散問題も先送りした。テロ支援国指定解除問題も同じだ。
2007年の10・3合意によると、
「北朝鮮がすべての核プログラムについて完全かつ正確な申告をすれば、
米国は北朝鮮のテロ支援国指定を解除する」となっている。
「検証」に関する内容が抜けているのだ。
もちろん申告には当然これを確認できる検証が伴うのが国際基準だ。
そうでなければ申告する必要がない。

しかし‘あいまいな用語’で合意し、
後に‘別の解釈’をしながらとんでもない要求をするのは、
北朝鮮交渉戦術の基本だ。
これをよく知る米国がこれを容認したのは焦りからだ。
イラク戦争が足かせとなり、06年の中間選挙で敗れると、
北核進展で外交的成果を出そうという発想に
ブッシュ政権はあまりにも執着しすぎた。

米国は北朝鮮の今回の措置に強力に対応すると明らかにした。
米国を含む国際社会が「納得できるだけの水準」の検証でなければ、
テロ支援国指定解除は不可能だということだ。
われわれは、このような米国の立場が
ブッシュ大統領の任期末まで続くことを願う。
こうした点で、ブッシュ大統領が最近取った
北朝鮮の資産凍結などの措置は肯定的だ。

ブッシュ政権がレームダックに入ると、
本格的な北核交渉は次期米国政府の役割になるしかない。
北朝鮮もこういう側面をよく知っている。
今回の無能力化中断宣言にもこういう思惑があると考えるべきだ。
ブッシュ政権は北朝鮮に対する説得作業は続けるものの、
過去のような北朝鮮に対する譲歩は控えるべきだ。
また縫合するような線で検証問題を適当に処理すれば、
北核廃棄に決定的な障害をもたらすことになるだろう。

北朝鮮は米国の政権交代にともなう全体像を
よく考えなければならない。
北朝鮮は米国の次期政権を相手にしながら
「危機を高めて譲歩を勝ち取る」といういつもの戦術をまた見せた。
しかしそのような戦術の‘限界効用’が
どんどん落ちていることに気づくべき時が来た。
まずマケインやオバマは北朝鮮の脅威に屈服する指導者ではない。

特にオバマは、
国際政治をよく知らないという憂慮を払拭させるという意味で、
より強硬に出てくるかもしれないという点を銘記すべきだ。
交渉が進むほど北朝鮮に不利なカードが出てくる可能性がある
という点にも留意しなければならない。

テロ支援国指定が解除されなければ
無能力化された核施設を再開すると主張したが、
これにかかる復旧費用は途方もない負担になる。
結局答えは一つしかない。
国際社会で通用するレベルの検証を受け入れ、
核廃棄の意志を本気で示すことだ。

[中央日報]


イラクやアフガニスタンの問題と根源は同じです。

銃をポケットに忍ばせたまま、
ただ身を護ろうとするだけの弱い相手に棍棒を棄てさせようとしても、、、
相手の立場になれば自明のことではないでしょうか。。。

核を持つ(持ってよい)国と
持たない(持ってはいけない)国の違いはどこにあるのでしょう。
武力を背景にしての正義の戦争???テロとの戦い???治安維持???、
他者の価値観を無理矢理押し付けられるような
内政干渉を受ける側の国民感情を想像してみてください。

北朝鮮、、、六十有余年前の私達の国と酷似してはいませんか?
国際的弾圧を受けて、私達の国は、真珠湾に先制攻撃をしかけました。。。

既に過ちを犯してしまっている者に対して、
いくら正義論をふりかざしたところで、
それを認められないのが犯罪者なのですし、
犯罪すらも正当化されてしまう、
それが戦争という人類にとっての愚かさの極みである異常な状況なのです。

弾圧は、侵略と迫害以外の何物でもありません。
異なる価値観を認め合い、
共存しようとする方策を探るための対話からしか、
また強者と勝者の側から弱者と敗者を救済せんとする
歩み寄りをしていかない限りは、
紛争を本質的に解決していくための途は開かれないのです。


また、こんな事件もありました。

■北の女工作員、二重スパイだった 「韓国侵入」将軍様が指示

 【ソウル=水沼啓子】韓国検察は28日、
脱北者を装った北朝鮮の女性スパイが実は、
韓国情報機関に北朝鮮の情報を提供したこともある二重スパイだった
と明らかにした。
また、同日付の韓国紙「文化日報」は、
北朝鮮の金正日総書記が脱北者の中に工作員を潜入させるよう
直接指示していたと報じた。

 検察によると、
27日に逮捕され、国家保安法違反罪で起訴された
元(ウォン)正花(ジョンファ)被告(34)は2003年と翌年、
情報収集を目的に近づいた韓国情報機関の男性要員2人から、
北朝鮮の機密情報を入手し提供すれば毎月500万ウォン(約50万円)
の報酬を出すと持ちかけられた。元正花被告はこれに応じた。

 ただ、提供した情報は上司の承認を得たものだったという。
同被告は男性要員2人を殺害するよう命じられたものの、
“深い関係”にあり実行しなかった。
同被告の実父や継父も
北朝鮮の国家安全保衛部(秘密警察)所属の工作員だった。
実父は1974年に韓国に潜入したが、射殺されたという。

 一方、文化日報によると、
2000年3月21日の労働党中央委員会で
「金総書記から『脱北者の中に工作員を侵入させろ』という指示があり、
国家安全保衛部をはじめ対南工作の関係部署による脱北者を利用した
対南スパイ工作が始められた」という。

 韓国統一省によると、
今年6月末現在、韓国への脱北者は約1万4000人。
元正花被告は01年10月に中国経由で韓国に渡り、
翌月に韓国の情報機関「国家情報院」に脱北者だと申告した。
その後、韓国の情報・捜査機関による身元、経歴調査を受けたが、
工作員であることに気づかれず、
02年1月、脱北者の韓国定住を支援する施設「ハナ院」に入所した。
約8週間教育を受け退所し、韓国人としての生活を始めた。

 同被告は今年7月までに、
韓国政府から支援金など計9090万ウォン(約900万円)
を受けており、結果的にスパイ活動の資金になった。

 今回の事件では、
10年間続いた親北政権下で緩んだ韓国の対北意識が露呈された。
この10年間で韓国で捕まったスパイは、
同被告を含めて2人だけだという。
北朝鮮工作員が韓国の情報機関の監視網をすり抜け、
軍などで堂々とスパイ活動を続けられた背景には、
脱北者が増え続けている状況下で、
明らかな犯罪行為がない限り監視が難しいという現状がある。

 これまでの親北政権が北との関係に気を使い過ぎ、
対南工作活動への監視を怠ったためという批判もある。

 李明博政権が誕生し、今後は工作員の摘発が増えるという見方もある。

[産経新聞]


■北のスパイ容疑者、韓国軍内に50人 当局が内偵捜査中

 【ソウル=水沼啓子】脱北者を装った北朝鮮の女工作員事件で
明らかになった韓国軍内部への北のスパイ浸透。
韓国軍内で北朝鮮体制の称賛などの活動をしている左翼勢力は
約170人にのぼり、
軍内部に潜入して機密情報を流出させた疑いのあるスパイ容疑者は
約50人おり、計約100件のスパイ容疑事件を軍保安当局が現在、
内偵捜査していることが明らかになった。
30日付韓国紙「東亜日報」が報じた。

 軍のスパイ容疑者らは、
韓国検察が国家保安法違反罪で起訴した北の女工作員、
元正花被告(34)のように、
北朝鮮国家安全保衛部の指令を受けて
脱北者を偽装して韓国に潜入したり、
韓国に長期間にわたって潜伏してきた北の工作員に取り込まれて、
対南工作活動を助けている者もいるという。

 スパイ容疑者の中には、今回の工作員事件のように、
将校や副士官などの現役幹部も一部含まれていると、
軍保安当局は把握している。
軍の情報筋は、「この10年間の対北融和政策で、
北に対する監視網が緩み、軍を狙ったスパイ活動が活発になった。
軍当局は、関係機関と協力して、
すでに確認されたスパイ容疑者たちの動向の把握と
さらなる容疑者のあぶり出しに力を入れている」と話した。

[産経新聞]


私達には時代錯誤に映っても、
彼等の意識においては、まさにまだ今が戦時中なのです。


追い込まれた人々は、
生きるために手段を選んでなどいられはしないのです。

貧しい途上国に渡航された経験を
お持ちの読者も多くいらっしゃることと思います。

泥水をすすり、蝿のたかったごくわずかな食物を分け合って、
やっとのことで日々命をつないでいるような、、、

エイズが蔓延し、両親を亡くし、自らも病に蝕まれながらも、
治療を受けることすらもできない子供達、、、

異なる民族が、
一つの国土を奪い合い、殺戮を繰り返しているような、、、

まさに国ぐるみかのような錯覚を覚えるほどに、
観光客を欺き搾取せんとする実情、
物心つく頃子供が最初に覚えるのが無心といったような、、、

貧富の格差が激しい先進国においても、
弱者と敗者が救済されないばかりか切り捨てられ、
ホームレスどころかストリートチルドレンが
街中に反乱しているような、、、

成人女性ばかりでなく、
もはや子供達すらをも対象にしたプロスティテュートビジネスの蔓延、
それどころか健康な子供達の死を前提とした臓器の売買が
半ば公然と行われ、
それらの買い手の多くは私達日本人であるというような、、、

そんな是非も真偽も絵空事に等しい深刻な状況に陥ってしまっている
国々がいかに世界には多く存在していることか、、、
実際に見聞されたことのある方々も、
決して少なくはないことでしょう。

私達の国においても、
例えば歌舞伎町など繁華街のまた極めて猥雑な一角で繰り広げられている
まさに過酷な生存競争を、
また新大久保あたりの路上には、
ここが日本なのかと疑うばかりのプロスティテュート外国人女性達が
立ち並んだまさに無法状態、
彼等彼女達にも同様に物事の是非や真偽など、
何らの足しにもなりはしないのです。

広義においても、昨今ますます経済的格差は拡がって、
ホームレスやワーキングプアーの増大、
後期高齢者問題など高齢者への皺寄せなど、
強者と勝者だけをますます優遇し、
弱者と敗者の切り捨てにも等しい国の政策のツケは膨張し続けて、
あちらこちらで既に破綻の様相を呈し始めています。


見回せば深刻な問題ばかり、
もはや出口も失してしまったかのように映る世界状勢においても、
私達の多くは、飽食に明け暮れ、
ひたすらの消費を是とする経済構造において、
まだやみくもな成長を目指して、日々悪戦苦闘を続けるばかり、、、
豊かさや優しさといったまずは自らの幸せを、
そして自らの幸せのために他者をも尊重せんとする必然性に
気付きもしない愚かしさへの自覚すらおぼついてはいないのです。

しかし、最低限の食と住さらに教育と医療といったような
セーフティーネットが保証されていてこそ
健全な自由競争資本主義社会は成立しうるのだという
簡単明瞭な真実への気付きが拡がっていきさえすれば、
国際社会の混迷閉塞した状況を打開していく糸口は
様々見つかることでしょうし、、、
さらにまた、自分達の家族さえ、街さえ、国さえ良ければという
発想を棄てて、民族と国境の境を越えて私達の未来を発想していく
個人が増えていきさえすれば、山積する様々な国内はもとより
国際問題も、思いのほかスピーディーかつ容易に
順次解消していくことができると、私は確信しているのです。

そのための第一歩が、まずは事実を知ること、
そしてお仕着せの第三者の尺度に囚われない
自らの価値基準による判断の積み重ねなのですし、
自らの実践のみが肝要なのであって、
そもそも他者に働きかけんとする運動の類いに、
極論本質的な意義を見い出せないというのが、
語弊を怖れない率直な私の基本的なスタンスなのです。
自らの考えに沿って自らを律することだけに専心し、
そうした在り様から自ら学びとらんとしてくれるような人々を
一人一人増やしていこうとすること以外に、
私自身が心の平穏を保てる方策を見出すことができないのです。


PDA(携帯情報端末)の小さな画面で、
日々移動中の車上で書き足しているうちに、
支離滅裂な長文になってしまい、
自分でも脈絡を失ってしまった感がありますが、
主題はただ一点、
事実を知ることからすべては始まり、
自身を律していくことから世界は変わるということです。

私は、
think globally act locallyの視点で、
今後もささやかながら広く事実を見つめ、
自らの言動を律していく努力を続けていきたいと考えています。

ここから続き

Posted by nob : 2008年08月31日 03:14