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■小泉元首相:引退に「チルドレン」ショック隠せず

 「自民党をぶっ壊す」と叫び、歩道橋の上に聴衆が鈴なりになった総裁選から7年。小泉純一郎元首相(66)が25日、今期限りでの政界引退を表明した。閉そくした国の構造を改革し、熱狂的な人気を博したが、一方で弱肉強食の社会と、その結果の「格差」をもたらしたとの批判もある。元首相が残した光と影。その現場に置かれた人々は、引退をさまざまな思いで受け止めた。

 小泉元首相は25日午後7時から、地元・神奈川県横須賀市の事務所で支持する県議らを集めて会合を開き、幹部に「(次男の)進次郎を後継にして自分は引退する」と明言した。会合の間はビル3階の事務所は施錠され、報道陣は閉め出された。30分後に事務所から出た元首相は車に乗り込み、報道陣から「引退するのですか」と問われると、うんうんと何度もうなずいた。

 元首相を支持し、05年の郵政選挙で当選した「小泉チルドレン」たちは、突然の引退表明に驚きを隠せない様子だ。

 武部勤・元自民党幹事長の秘書から転身した篠田陽介衆院議員(35)=比例東海=は「びっくりしている。恩人で、政治姿勢にも共鳴し、目標にしていた政治家だった。寂しいの一言だ。驚かされることの多い人だったが、最後まで驚かせる人ですね」と話した。

 04年の新潟県中越地震当時の旧山古志村長、長島忠美衆院議員(57)は、県内を車で移動中に引退のニュースを聞いた。「随分唐突なところが小泉さんらしい。若手には影響力があるので残念だが、政治には潔さも必要。小泉チルドレンから自立して恩返しできれば」と語った。

 片山さつき衆院議員(49)=静岡7区=は「まだ本人と話していない。今日は話す予定もなく、後にして」とコメントを避けた。

 前回の郵政選挙で初当選した杉田元司衆院議員(57)=比例東海=は「一番、思い出に残っているのは総理を辞められた後、1年生議員6、7人で高輪のラーメン屋で一杯やったこと。拉致被害者を北朝鮮に戻さないと決断した時、『いろんな人に一度だけ話を聞いて決断する。二度聞くと迷いが生じるから』と話していたのが印象的」と語った。

 一方、小泉改革で窮地に陥った人たちの見解は辛らつだ。

 公共工事削減の影響で06年、神戸市内で経営していた土木工事会社が倒産した男性(61)は「家も何もかもなくした。経営者の仲間も2、3人自殺した。『痛みに耐えろ』とだけ言って投げ出すのは許せない」と今も憤りを隠さない。

 派遣労働者の労働条件改善などに取り組む派遣ユニオンの関根秀一郎書記長(44)は「小泉改革の規制緩和が雇用に残したつめ跡は非常に大きい。日雇い派遣労働者など使い捨てとも言える雇用を許し、ワーキングプアを増大させた。前回衆院選の時、閉そく感に包まれた若年労働者は小泉元首相のワンフレーズに期待した。しかし、彼らは最大の被害者になってしまった」と批判した。

 午後7時半すぎ、東京都千代田区のゆうちょ銀本店で開かれていた店長会議を終えて出てきた男性店長(55)は「小泉元首相は郵政3事業を放り投げたまま、その後の方向性を示さなかった」とため息をついた。

 ◇猪瀬さんエール「今後も自由に」

 小泉政権で道路関係4公団民営化推進委員会委員を務めた東京都の猪瀬直樹副知事は25日、小泉首相の政界引退に「権力に執着のない小泉さんらしい直感的な判断でやめた感じがする」と語った。

 構造改革路線の後退も懸念されるだけに「改革の火種をうまく次の人たちにつなげる役割は残しておいてほしかった」と惜しむ。今後の小泉氏の活動については「改革の象徴としての小泉さんは存在していい。バッジがなくても、もっと純化して自由に発言してほしい」と期待した。

 また、小泉氏と遠縁でもある石原慎太郎知事は「彼らしくていいじゃないですか、さっぱりしていて。人材はたくさんいるんだから、どんどん新陳代謝していったらいい」と引き際をたたえた。【木村健二】

[毎日新聞]


■小泉元首相の語録

 「省益より国益優先で郵政事業全般を見直す必要がある」(1992年12月11日、郵政相就任の記者会見で)
 「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」(95年9月22日、自民党総裁選で橋本龍太郎氏に敗北した心境を吉田松陰の歌に託して)
 「まだ、わたしを受け入れるような自民党ではなかった」(98年7月24日、2度目の総裁選で3位となり敗戦の弁)
 「首相だけ代え、目先だけくらませば良くなるという時代ではない」(2001年2月18日、栃木県塩原町での講演で「森降ろし」の動きをけん制)
 「男だから、戦うときは戦わないといけない。負けを恐れて戦わないのはひきょうと言われる」(同年4月6日、秋田県大曲市内での講演で、総裁選への事実上の出馬表明)
 「どんな批判があろうとも(終戦記念日の)8月15日に必ず参拝する」(同年4月18日、自民党総裁選の公開討論会で)
 「恐れず、ひるまず、断固として改革の初志を貫きたい。わたしの内閣の方針に反対する勢力はすべて抵抗勢力だ」(同年5月9日、最初の所信表明演説に対する代表質問で)
 「痛みに耐えて、よく頑張った。感動した。おめでとう」(同年5月27日、大相撲夏場所で優勝した貴乃花の表彰式で)
「柔肌の 熱き血潮を 断ち切りて 仕事ひとすじ われは非情か」(同年8月24日、静養先の神奈川県箱根町で与謝野晶子の短歌をもじって)
 「涙は女の最大の武器だって言うからね。泣かれると男は太刀打ちできない」(02年1月25日、アフガニスタン復興支援国際会議をめぐり田中真紀子外相が涙を流したことについて)
 「この程度の約束を守れなかったことは大したことではない」(03年1月23日、衆院予算委で国債発行30兆円枠突破を追及され)
 「米国の武力行使を理解し、支持する」(同年3月20日、記者会見で米英軍のイラク攻撃開始について)
 「テロリストの卑劣な脅しに乗ってはいけない」(04年4月9日、イラク日本人人質事件で犯人グループの要求に対し)
 「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろだ」(同年6月2日、衆院決算行政監視委で岡田克也民主党代表に勤務実体のない年金加入を追及され)
 「自衛隊が活動する地域が非戦闘地域だ」(同年11月10日、党首討論で非戦闘地域の定義を質問されて)
 「おれの信念だ。殺されてもいい」(05年8月6日、参院本会議での郵政民営化法案の採決を控え森喜朗前首相に)
 「郵政民営化が本当に必要ないか、国民に聞いてみたい。今回の解散は郵政解散だ」(同年8月8日、衆院解散後の記者会見で)
 「国会は暴論と言ったが、国民は正論と判断してくれた」(同年9月11日、衆院選大勝後のインタビューで郵政民営化について)
 「1つの問題があるからといって首脳が会わないというのは理解できない」(同年12月13日、クアラルンプールで靖国神社への参拝を理由に首脳会談を拒否する中国に対し)
 「15日を避けても批判、反発は変わらない。いつ行っても同じだ。ならばきょうは適切な日ではないか」(06年8月15日、終戦記念日に靖国神社に参拝後、記者団に)
 「ありがとう 支えてくれて ありがとう 激励 協力 只々(ただただ)感謝」(同年9月21日、小泉内閣最後のメールマガジンで心境を短歌にして)
「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ」(07年2月20日。会合で安倍晋三首相へのアドバイスとして)
「そろそろ大事な、何とかという(解散)風が吹き出したという感じがする」(08年4月7日、横浜市内でのパーティーで)
「首相の最大の力の源泉は解散権と人事権だ。これで失敗したら退陣せざるを得ない」(同年7月3日都内で講演。福田康夫首相に対して)
 「今の時点で誰がいいと言うのはちゅうちょしている。今のところは何も言えない」(同年9月11日自民党総裁選について)
注=肩書は当時
(了)(2008/09/25-21:55)

[時事通信]

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Posted by nob : 2008年09月25日 23:38