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自殺でなかったのがせめてもの、、、それにしても政治家やマスコミのこの手の平返しは如何なものかと。。。

■『繊細すぎるほど繊細』 強い印象裏腹にストレスで不眠?

 都内の自宅で四日、死亡が確認された自民党の中川昭一元財務相(56)。「北海のヒグマ」と称され首相候補に上り詰めながら、非業の死を遂げた父の一郎元農相を尊敬し、面影を追うように保守派政治家の道を歩んできた。強さのイメージとは裏腹に、繊細な心の持ち主でもあった。 (政治部・金杉貴雄)

 「発信しない首相ではだめだ」

 中川氏は昨年八月、地元北海道の講演で、翌九月に退陣した福田康夫首相を批判し「福田降ろし」の先鞭(せんべん)をつけた。しかし、押しが強い発言をした後、その晩に居酒屋で杯を傾け「おれ、ついに言っちゃったな…」と漏らした。

 東大法学部、日本興業銀行を経て、自ら命を絶った父の後釜として政界入り。早くから、タカ派論客として頭角を現し、小泉内閣では経済産業相と農相を歴任。安倍晋三元首相や麻生太郎前首相らとは盟友関係にあった。

 二〇〇二年と〇三年に、超党派の拉致救出議員連盟(拉致議連)の会長も務め、〇六年には北朝鮮の核実験実施を受け、核武装の議論の必要性を提起し、物議を醸した。

 「理解力抜群で、非常に頭が切れる」との評価の一方、飲酒や睡眠薬、持病の腰痛薬の影響からか、公の席でもうろうとし、ろれつが回らなくなる姿がたびたび目撃された。

 秘書は「繊細すぎるほど繊細。毎朝四時に起きて政策を勉強し、こちらが心配するほど休まなかった」と明かす。

 昨秋には麻生氏に解散先送りを進言した。結果的にその後、自らの「もうろう会見」の失態などで内閣支持率は急落。衆院選で自民は下野した。先日に更新されたブログで「私も議席を失ったが、あの(先送りを進言した)時の判断は間違っていなかったと今でも思っている」とつづったが、一連のストレスが五十六歳の体をむしばんだのだろうか。睡眠薬がなければ眠れない夜が続いたという。

 中川氏は、五十七歳で死去した一郎氏について「父を政治家として超えたい」との思いを長年抱き続けていた。議員会館の部屋には、一郎氏の写真が掲げられており、選挙期間中に「もし議席を失ったら、父にどう謝ればいいのか」ともつぶやいた。

 父を目標とした人生は、道半ばで突然途絶えた。

◆「まだ話すことがたくさんあった」鈴木宗男氏

 かつて中川氏の父・一郎氏(元農相)の秘書を務めた新党大地の鈴木宗男代表は四日、札幌市内で記者会見し、「とにかく驚きと悲しみでいっぱい。政治の世界は私自身の経験も踏まえ、厳しいものだとつくづく感じた」と述べた。

 鈴木氏は、一九八三年の一郎氏の自殺に関して周囲から「(国政出馬を目指した)鈴木秘書の裏切りに絶望した」などと陰口をたたかれた。その年の衆院選では、後継者として出馬した昭一氏と同じ旧北海道5区(定数五人)で戦い、「骨肉の争い」とも呼ばれ、鈴木氏が二〇〇二年に自民党を離党するまで微妙な関係は続いた。

 鈴木氏は「こういう別れ方をするのなら、話すことがたくさんあった。残念だ」と涙で声を詰まらせた。

◆「酒の注意もした」石原都知事

 中川昭一元財務相の死去を受け、父の一郎氏と親交の深かった東京都の石原慎太郎知事は四日、「彼には酒の注意もしたんだけど、やっぱりお酒好きでも、酒にのまれたらだめですよ」と述べた。

◆『花が大好き』『気さくな人』近隣住民ら悲痛

 中川元財務相の東京都世田谷区下馬の自宅周辺には、報道陣や住民約百人が集まり閑静な住宅街は騒然とした雰囲気に包まれた。

 近所の主婦(59)は「中川さんは花が大好きで、庭でよく世話をしていた。再起を考えてらっしゃったと思うので、また頑張ってほしいと思っていたのに…」と沈んだ様子。四十代の主婦は「奥さんとは会えばあいさつする。残された家族を思うと胸が痛い」と声を震わせた。

 近くの会社員の男性(60)は「『もうろう会見』以来、自宅周辺ではあまり姿を見かけなくなった。目が合うと向こうから声をかけてくれる、気さくな人だった」と振り返った。

    ◇

 中川氏と親交のあった文化人からも驚きの声が上がった。作家の林真理子さん(55)は、週刊誌の対談をきっかけに中川氏と知り合った。「会話がおもしろく、陰もあって魅力的。女性編集者の間で人気でした」と語る。中川氏の人間像について「露悪的でありながら繊細な感じもして、政治に向いていなかったのでは」と指摘する。「ご本人から十日ほど前『今度ご飯を食べよう』と携帯電話にメールがあったばかり。びっくりしています」

 作曲家の三枝成彰さん(67)は、八月の衆院選で、林さんの依頼で中川氏の応援に駆けつけた。「突然亡くなったと聞いて、びっくりしました」と驚く。「中川さんに『東京で一度、酒でも飲みましょう』と話もしていたのですが、かなわず残念です」と語った。

[東京新聞]

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Posted by nob : 2009年10月05日 17:36