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開き直れるか趣味に生きられる人はそれはそれで良しとしても。。。

■「お金のために会社にしがみつく」自分に嫌気が差す瞬間
夢や希望を共有できなくなった企業と働く個人のすれ違い
河合 薫

 「情けない話なんですけど、結局、僕はお金のために働いてるんです。いや、お金のために会社にしがみついているって言った方が正確かもしれません。恐らくこれ以上、僕は出世することはないでしょう。だったら人生の後半戦くらい自分のやりたいこと、好きなこと、やりがいを感じられることをやってみたいって気持ちはあります。でもね、今の給料を放棄してまでやる覚悟があるかっていうとないんですよ。夢だの希望だのよりも、現実から離れることができない。ホント情けない話です」

 こうこぼすのは48歳のA氏。大手メーカーに勤める部長の男性である。

 生きるためにはお金が必要である。お金を得るためには働かなくてはいけない。だからお金のために働いて何ら問題はない“はず”である。

 誰だって、心の奥底では、どうせ働くなら、できるだけ稼いでみたいと思う。キンキンキラキラのぜいたくな暮らしである必要はないが、そこそこいい暮らしはしてみたい。おいしいものだって食べたいし、たまには旅行にだって出かけてみたい。趣味にお金をかけてもみたい。そう思うことはある。

 ところが、「お金のためだけに働く」と聞くと、何となくさもしい気持ちになる。

お金のためにだけに、働きたくない?

 今年の初めに成人式を迎える新成人に関する調査結果が発表され、仕事に対して「お金を稼ぐためのもの」とする考えを持つ人が85.4%に達していることが分かった時にも、オトナたちは一斉に、「何だか夢も希望もないなぁ」と嘆いた。また、大企業を希望する学生が多い理由の一つに、「生涯賃金」が挙げられることに関しても、「金がすべてなのか?」と嘆く人もいる。

 そして、自分自身も「お金のため」に働いていると悟った時、誰から責められるわけでもないのに、罪悪感にも似た感情に陥ることがある。恐らくA氏も、そんな気持ちから「情けない」と自己嫌悪に陥っていたのだろう。

 お金のためだけに、働きたくない──。なぜ、私たちはそう思ってしまうのか。

 たかが金。されど金。働く一番の目的はお金なのに、お金のためだけに働くことに私たちは、なぜ、抵抗感を感じてしまうのか?

 「お金がすべて」とか、「金儲けして何が悪い」とか、「お金で買えないものはない」と豪語するような拝金主義者にはなりたくないという気持ちがあるから?

 そもそもお金のためだけに働いたり、お金のために会社にしがみつくことは、「情けない」と落ち込むほど、いけないことなのか?

 そこで今回は、「お金と仕事」について、改めて考えてみようと思う。

本人が一番よく分かっている

 「自分のこれまでのキャリアを振り返ってみると、若いころの方がもっと自由だったような気がするんです。つまり、純粋に自分が仕事をすることで成長していることに、満足感を覚えたし。いろんな人と知り合ったり、新しいプロジェクトに参加できたりするとそれだけでうれしかった。つまり、お金以外のことがモチベーションになっていたんです」

 「ところが、40を過ぎると、仕事もマンネリ化してくる。そんなに目新しいことはないですし、若いころのように成長を実感できるような仕事もない。それで気がつくと、そこそこもらえている自分がいるわけです。確かに昔のようにベースアップはないですし、ボーナスだって下がりました。20代のころに自分が想像していたほど、もらえてはいません。でも、中小企業に比べるとやっぱり大手はいいんですよ」

 「おまけに子供の教育費や家のローンだってある。そうなると、今の会社は絶対に辞められないよな、って思うわけです。するともう一人の自分がたしなめる。金のためにしがみついているなんて、カッコ悪いって。何か自分がすごいせこいヤツになっているみたいで。たまにやるせない気分になることがあるんです」

 こう語るA氏を、“ただ乗り社員”と呼ぶ人もいるだろうし、「何をウダウダぜいたくなこと言ってるんだ。要は一生懸命働いていない自分への言い訳じゃないか」と非難する人もいることだろう。

 でも、恐らく本人が一番そのことを分かっている。だからこそ、何とも言えない情けない気分に苛まれているのだ。

 A氏が指摘するように企業規模による賃金格差は、明らかに存在する。昨今の不景気の影響からか、その格差は広がる傾向にさえある。

 日本生産性本部が今春発表した、「能力・仕事別賃金実態調査(2009年)」によれば、大企業(従業員1000人以上)の部長相当の平均月例賃金は69 万4000円。小企業(同100人未満)の部長相当は50万5000円で、両者の間には18万9000円もの差がある。課長相当での差額は14万円で、いずれも前回調査より拡大していることが分かった。

 また、大企業の課長相当の平均月例賃金は52万8000円で、小企業の部長相当の50万5000円を上回っていることも明らかになった。

 一方、一般職・大卒初任給クラスでは、大企業と小企業との格差が急速に縮小して、1万円を切った。「ヒラ社員」レベルであれば、大企業でも中小企業でも給料の違いはほとんどない。

お金は働くモチベーションであり続けてきた

 お金は仕事のモチベーション要因の中でも非常に重要な要因であることは、古くから世界各地で多くの研究者によって実証されてきた。と同時に、人は仕事の対価である報酬が、自分の期待したものに見合っているかどうかで満足感が変わる。米国の心理学者レオナード・ベルコヴィッツはそれを「賃金公平感」という言葉で説明した。

 つまり、自分と同じような仕事をしている人がもらっている賃金と、自分の賃金を比較し、「何で似たような仕事をしているのに、あの人はあんなにもらえるんだ」と感じると不満が募り、逆に、「同じ仕事でも自分の方がもらっている」と感じると満足感が高まる。それは、自身の誇りとなり、社会的評価と同じ価値を持つ。

 従って、A氏が今の会社にしがみついてしまうのは、企業規模による格差に加え、他者への優越感も関係しているのだろう。

 私たちはお金のためだけに働いているわけじゃない。いや、お金のためだけじゃないはずだと、どこかで思っているだけかもしれない。それでもやはり実際に働いてみると、お金以上に“価値ある報酬”を体感することがあるし、お金ではない“報酬”を期待することだってある。

 それは、いわゆる、「やりがい」と呼ばれるものだったり、「働きがい」と言われ、多くの場合は、「自分の存在」を実感できる報酬である。

 私がまだ学生のころ、知人である年配の男性にこう言われたことがあった。

 「最初はね、お金のためにみんな働く。でもね、働いているとお金よりももっと大切で価値のあるものに気づくよ」

 当時、私は彼の言っている意味が分からなかった。誤解を恐れずに言うならば、「お金のために働く」ということもよく分からなかった。

 何しろ自宅だったし、完全にパラサイトしていたから、「生活のためには働かなくてはいけない」という意識も希薄。知人の助言の意味するところが何一つ分からなかったのだ。

働き始めてすぐに分かったお金を稼ぐ喜び

 だが、働き始めてすぐに「お金のために働く」という意味が分かるようになった。最初にお給料をもらった時の満足感。自分の仕事に対する報酬を得られたことは、想像以上にうれしかったのである。

 うまく言えないけれど、自分が必死に汗を流せば、ちゃんとお金がもらえるということが単純にうれしかった。労働に対する報酬としてのお金に感動したのだ。少ない初任給で、パラサイト先の母や父にプレゼントを買い、喜んでもらえたことで、より満足感は高まった。お金を稼ぐ喜びを知ったのだ。 

 それからというもの、給料日はやたらと待ち遠しかったし、どんどんと物質的な物を手にしたいという欲もわいてきた。もっとおいしいご飯を食べに行きたいとか、もっと素敵な洋服が欲しい、1年に1回くらいは友人と旅行に行きたい、そう思った。つらい仕事の時には、「お金のためだ」と自分に言い聞かせることもあった。まさしく、お金のために働くようになっていたのである。

 ところが、である。ある時に「お金よりも大切な価値あるもの」を、いや、正確には「仕事のやりがい」、「仕事の面白さ」を感じたのだ。

 それが“いつ”だったのかは覚えていない。だが、例えば、お客さんが飛行機を降りていく時に、「いいフライトでしたよ。ありがとう」と言ってくださったり、ちょっとしたサービスをした時にお客さんから感謝されたりすると、何だか無性にうれしく、仕事そのものに「やりがい」を感じるようになった。

 恐らくそういったねぎらいの言葉は、新人の時にもいただいていたはずだし、そういったねぎらいの言葉でしんどい仕事にも耐えるエネルギーをもらっていたはずである。ところがいつしか、お金を得る喜びよりも、自分が認められている、自分の存在意義がある、と感じる瞬間の満足感の方が、お金を得る喜びを上回った。働くことそのものが楽しくなったのだ。

 だから、もっとやりがいのある仕事を求めて、もっと自分の存在意義を感じられる仕事を求めて客室乗務員(CA)を辞めたのである。その後、民間の気象会社に勤めることになったわけだが、賃金はCA時代の半分。でも、楽しかった。自分の進む方向に光が見えたし、それに向かって歩いているという満足感があったから、お給料が下がってしまっても、充実感が得られたのだと思っている。

 米国の心理学者アブラハム・H・マズローは、「個人の成長という観点から見た場合、企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である。私の知る幸福な人々は、いずれも自分が重要とみなす仕事を立派にやり遂げている人である」と説き、ユーサイキアン・マネジメント(働く人々が精神的に健康であり得るためのマネジメント)という造語を作った。

 すなわち、職場は単なる労働の場にとどまらず、人間のさまざまな欲求を満たすために最適な場所であり、やりがいを感じられる労働・職場とは仕事の枠を超えたライフをも満足させる職場となる。

 社会とつながっていると実感し、社会に自分が認められたような、ちょっとだけ成長できたような、何とも言えないあの快感。それはどんなにプライベートを充実させても、なかなか得ることができない満足感だ。

働きがいがないと、「お金のために働く」人が増える

 当然ながら、高い報酬を得ることでも、その快感を得ることはできる。だが、お金がそこに存在しなくとも、それは時に自分の能力を発揮できた瞬間であり、誰かとつながった瞬間であり、社会から認められた瞬間であり──。

 永遠に続くものではないけれど、その瞬間に出合うことができる最適の場が、仕事なのだ。 お金以外で感じる満足感には、心の豊かさがある。それを私たちは、「やりがい」とか、「働きがい」という言葉で表現し、働きがいがあると、お金は大切なことではあるけれど、最大最強のモチベーション要因ではなくなる。お金では買えないものに快感を得る自分、お金のためだけには働いていない自分──。そんな自分を実感できることは心地よくもある。

 また、働きがいややりがいは、お金に関する欲求を弱める効果を持つことが、これまでいくつかの実証研究で確認されている。つまり、今の職場(あるいは仕事)に「働きがいがある」と答える人の場合、お金への関心が薄れる傾向が認められ、逆に、「働きがいがない」と答える人ほど、「働くのはお金のため」と答える傾向が強まるのである。

 働きがいさえあれば、お金はすべて、ではなくなるのだ。

 冒頭で新成人の9割近くが「仕事=お金を得るため」と答えたと記したが、実はこれは若い世代に限ったことではない。

 昨年、一般の労働者を対象に行われたあるアンケート調査でも、「仕事はお金を稼ぐ手段に過ぎない」と答える割合は、一般社員では44.5%、課長職38.5%、部長職33.9%と、役職が上がるにつれて減少してはいるが、3割以上もの部長職が肯定的に答えているのだ。また、仕事に対するモチベーションについて聞くと、一般社員から部長職までは「給料」が最も多く、全体の半数前後を占めた。

 つまり、今、ほとんどの労働者が「働きがい」を感じられない状況にあり、「お金のためだけに働いている」意識が高まっていると見ることができる。

すれ違い始めた企業と働く人の価値観

 なぜ、働きがいを持てない人が増えてしまったのか?

 そこには、企業と働く人の労働に対する価値観のずれが生じ始めていることが関係しているように思う。

 かつての日本は、企業も、個人も、同じ「夢」と「希望」を持っていた。金儲けして、裕福になろうと思い、実際にそうなるためにみんな働いていた。悲惨な戦争経験から立ち上がって生きていくためには、希望を持たなきゃやっていられなかったし、みんな貧しかったから、働くことは希望に向かうための最高の手段だった。

 企業は、同じ希望に向かって頑張る労働者を大切にした。豊かになりたいと一生懸命働いた分だけ褒めてくれた。同じ希望に向かうために働いてくれる労働者は会社にとって、「大切な宝物」。だから、何も心配しなくてもいいようにと、1年ごとに給料を上げ、年を取れば偉くなるような制度を設けた。

 働く人にとっても同じ光に向かう会社は大切な存在。だから、会社がうまくいった時の喜びは、自分の喜びでもあった。価値観の共有がなされていると、会社=経営者は、いわば働く人の同志だったのである。

 そして、夢がかなって日本は豊かになった。豊かな社会に住む人は、お金などの物的な価値ではなく、自分の存在価値を求めるようになる。ところが、会社は豊かになっても、利益を上げなくてはいけない。会社の「金儲け主義」と、存在欲求を求める働く人との間に価値観がずれが生じ始める。

 さらにオートメーション化が進む一方で、バブル崩壊後には経済が低迷し、企業にとって働く人は、もはや「大切な人」ではなくなった。価値観が共有されていない職場、大切に扱われない職場で、やりがいや働きがいを感じることは難しい。昔のようにただ会社の求めるように働くだけでは、働きがいがなかなか得られなくなったのだ。

 完全なる働き手と企業との価値観の不一致。逆説的に考えるならば、マズローが考えたような「企業は自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場である」という現実が消えてしまったのである。

 もちろんそうでない会社はたくさんある。従業員を大切に扱う会社の労働者は働きがいを感じ、仕事への満足感も高い。そういった会社が必ずや賃金が高いかというと、そういうわけではない。

 そして、私の知る限り、そういった会社のトップは容易に従業員を切ることがないし、トップと従業員が同じ光に向かい、希望を持って、価値観を共有して働いているケースが多いように思う。

「働きがいのある職場づくり」を主導するのはトップ

 働きがいややりがいは、トップ、すなわち企業の「働かせ方」に多大な影響を受ける。かといって、すべてを経営者に委ねて成し遂げられるものでもない。そこで働く人々が「職場を変えたい」と願い、「変えよう」と一人ひとりが参加する取り組みが求められる。

 そのためには、働く人たちにとって、働くうえで何が最も困難なのか、どんなことにやりづらさや働きにくさを感じているのか、どういう改善が必要とされているのかなど、それぞれが感じていることや意見を互いに出し合い、職場の声を集め、職場のストレッサーとストレスを働く人々の間で共有し、意思疎通を図ることが重要であると考えられている。

 それでもやはり現実は、その意思疎通を図るためにも、トップの「働きがいのある職場をつくりたい」という意識なくして成し得ないのである。

 ひょっとすると、今の世の中、「お金のためにだけに働いている」のは、トップの方なのかもしれない。 トップ自身が、働きがいを忘れているのかも、などと思ったりもする。

 仕事は人生を満足なものにするための、最高の手段。だから仕事は大切でもある代わりに、その手段になり得ない場合には、単なるお金を得るための手段に成り下がる。

 もし、働きがいをどうやったって持てない職場、従業員に働きがいを持たせることがない職場であるならば、「お金のためだけに働いても」ちっとも恥じることなどないのではないか。

 あくまでも企業は「自律的な欲求充足に加えて、共同的な欲求充足をもたらすことが可能な場」であって、満足のいく人生を送るための最適の場所になり得る“手段”でしかないのだ。

生きがいを仕事以外に求めることは恥ではない

 最適の場に企業がなり得ない以上、お金のためだけに働き、それまで会社にあると信じていた「生きがい」を、仕事以外に求めた方がいい。いや、職場には必ずや「働きがい」があるという思い込みを捨てた方がいいのだ。

 その代わりにボランティアに参加したり、生活はできないけれどやりがいのある第2の仕事を見つけたり、あるいは家族のためだけに生きることに光を見いだし、仕事をそれらのライフを充実させるための手段と割り切ればいい。

 お金が人生のすべてになってしまっては、人生の真理も、自分の存在価値の真理も、見失うことになりかねない。だが、仕事は人生の大切な一部ではあるけれど、すべてではないと考え、仕事以外の部分に光を見いだすことさえできればいいのではないか。

 実際に若い世代はそういう価値観を持ち始めている。40代以上の世代も新しい価値観で仕事というものをとらえ、仕事以外の部分を充実させることで、「お金がすべて」というような、さもしい感覚を払拭することは可能だろう。

 仕事がお金のためになったとしても、人生がお金のためだけにならなきゃいいじゃないか。自分の人生を豊かにするために、自分の希望に向かうために、お金が必要ならば、お金のためだけに働いたって何ら恥じることはないし、誰に何と思われようとも、しがみつくだけしがみつけばいい。カッコ悪かろうか、何だろうが、満足のいく人生のための手段だと割り切ればいい。とことんしがみつけばいい。

 とはいえ、やはり一度でも仕事で「お金以上の価値あるもの」を体験してしまうと、その快感が忘れられないのもまた事実。できることなら、仕事で、かつてのストレスとは無縁だったお父さんたちがイキイキと働いていたような経験ができると、日本ももう少し元気になるんじゃないか、などと思ってしまうわけで。先人たちの、「働くことの大切さ」「働きがいのある仕事は、人生を最高にする」といった言葉を、いまだに信じたいと願う自分がいる。

 恐らくそんな私は、昔の価値観に引きずられているってことなのか、それとも欲張りなのか。仕事って悪くない。結構、楽しいよね。そんな風に言えたらいいなぁと、私自身はやはり願う。でも、なかなかそうならない現実がある以上、そう“思い込む”ことは、ストレスの雨を強めることになる。

 だから、今は「しがみつくだけしがみつけ」と言うほかない。時には、逃げるが勝ちということだってあるのだから、と。それでも、多くの人が仕事に働きがいを感じられるような職場づくりを、トップに期待してしまうのであった。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2010年12月12日 17:26