« 電力は不足しない、、、また新たな電力も生まれる。。。 | メイン | いつでもどんなことでも起こりうる。。。 »

憎悪と虐殺の連鎖、、、さらに増大して己に還る。。。

■ビンラディン容疑者殺害:米軍ヘリ急襲、銃撃40分

 【ワシントン白戸圭一】国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)殺害について、米中央情報局(CIA)などの米情報当局は昨年8月、パキスタン国内での潜伏先に関する有力情報をつかみ、オバマ大統領が先月29日に急襲作戦を指示したという。容疑者が家族と潜伏していたのは、首都イスラマバードの北約60キロのアボッダバードにある建物で、4機のヘリコプターに乗り込んだ米軍特殊部隊が1日に急襲作戦を展開した。

AP通信は、容疑者の遺体は海に流す「水葬」にしたと伝えた。ロイター通信は、水葬は北アラビア海で行ったという。また、米国防総省高官は、遺体から検出されたDNAを分析した結果、本人に間違いないと確認した、と述べた。

 米政府高官によると、作戦は約40分間続き、抵抗したビンラディン容疑者側との間で銃撃戦となった。容疑者と息子、身の回りの世話をする男性2人、「盾」になった女性1人の計5人が死亡し、女性2人が負傷した。米CNNテレビによると、容疑者は頭を撃たれて死亡した。米側に負傷者はなかった。

 潜伏先の特定は容疑者の身の回りの世話をする男性の割り出しから始まった。身柄を拘束したアルカイダ要員らの供述などから、約4年前に男性の特定に成功。約2年前、男性が活動する地域を絞り込み、昨年8月、アボッダバードの富裕層地区の建物に住んでいることを突き止めた。

 米政府高官によると、05年建設の3階建ての建物は有刺鉄線付きの塀(高さ約3・6~5・4メートル)に囲まれ、敷地の広さは周辺の邸宅の約8倍もあった。警備が厳重な割に、電話やインターネットの通信回線が敷設されていないなど不審な点があった。CIAの無人機などが位置情報を確認することを防ぐ目的があったとみられる。

 情報当局は容疑者一家が潜伏している可能性を大統領に報告。今年3~4月にかけ計5回開催された国家安全保障会議で情報を精査し大統領が先月29日、急襲作戦を決断。米政府は機密保持を徹底し、パキスタン政府には作戦終了後に説明したという。

 大統領は容疑者殺害を発表した演説前、ブッシュ前大統領、クリントン元大統領に作戦結果を報告。ブッシュ氏は「テロとの戦いは続くが、米国は今夜、どれだけ時間がかかろうとも正義は成し遂げられる、との明白なメッセージを送った」との声明を出した。

 一方でオバマ大統領は在外公館などに「アルカイダが我々への攻撃を続けることは疑いない」とテロ警戒を求める一方、「米国はイスラム教と戦っているのではない」と、イスラム教徒に理解を求めた。米政府は海外に渡航する国民にも「報復テロ」への警戒を呼びかけた。

[毎日新聞]


■ビンラディン容疑者殺害:アルカイダ衰退狙い 米「唯一の指導者」

 ◇中東、暴力に支持なく

 【カイロ和田浩明】「ビンラディンの喪失は、アルカイダを衰退させる」。米特殊部隊によるウサマ・ビンラディン容疑者(54)殺害で米政府高官は2日、国際テロ組織アルカイダの影響力は低下すると断言した。チュニジア、エジプトで平和的な民衆蜂起が親米独裁政権を打倒した中東では、暴力に頼るアルカイダの方法論が支持を得るのは困難になりつつある。一方、同容疑者が主張した「反米の大義」は世界各地のアルカイダ系組織に受け継がれ、テロの思想的温床が無くなっていないのは確かだ。

 2日に電話会見した米政府高官は、ビンラディン容疑者が「全面的に受け入れられる権威を持った唯一の指導者だった」と指摘。後任と目されるエジプト人、アイマン・ザワヒリ容疑者(59)については、「メンバーの忠誠心を維持することが困難だろう」と分析した。

 エジプトのイスラム過激派の動きに詳しい専門家ヒシャム・ガーフル氏は、「アルカイダは、アラブ民衆蜂起が起きた時点で敗北した」と見る。アルカイダは、米国の後ろ盾を受けた中東諸政権もテロの標的にしたが、チュニジアとエジプトの独裁政権は民衆による平和的デモで排除されたからだ。その意味でテロによって目的を達成するアルカイダのやり方は、アラブ民衆に否定されたことになる。

 ビンラディン容疑者の死は出身国サウジアラビアやアルカイダ分派が活発なイエメン、アルジェリアやイラクにとっても朗報だ。しかし、そうした国々が政府の公式反応を出したのは英国などより遅い2日午後に入ってから。サウジ国営通信は、同容疑者殺害によって対テロ戦に良い影響が出ることへの期待を「公式筋」が表明したと報じたものの、イスラム国パキスタンでの米国の単独軍事作戦の称賛は避けた。中東で民主化騒乱が続く中、「親米色」を抑えようとする配慮がにじむ。

 ビンラディン容疑者という反米を象徴する人物は殺害されたが、イスラム諸国の反米感情が払拭(ふっしょく)されたわけではない。イラク戦争や米国の同盟国イスラエルのパレスチナ占領を受け、イスラム諸国には反米感情は潜在的に大きい。エジプトの退役軍人(59)は「ビンラディンには賛成しないが、逮捕し裁判を行うべきだった。(殺害強行は)イスラエルのようなやり方だ」と米国に強い反発を示した。

 アルカイダは、資金や要員の確保に、民衆に広がる反米感情を悪用してきた。ビンラディン容疑者が殺害されても、イスラム諸国に広がる、米国による抑圧感情は解消されていない。中東和平交渉は停滞しており、テロの温床になる可能性は残っている。中東民主化が失速すれば、力を盛り返す可能性もある。

 リーダーを失ったアルカイダだが、ガーフル氏は「影響は象徴的なもので、行動様式が変わるとは思えない」と指摘する。米政府高官も「今後もテロの脅威は続く。戦いは短距離走ではなくマラソンなのだ」と語っている。

[毎日新聞]


■ビンラディン容疑者殺害:「9・11」遺族、テロ根絶誓う

 世界を震かんさせた「9・11」から約10年。国際テロ組織アルカイダの最高指導者、ウサマ・ビンラディン容疑者(54)殺害のニュースが2日(日本時間)、世界中を駆け巡った。首謀者とされる人物がいなくなっても、遺族は心に区切りをつけることは難しく、報復を心配する声も出る。テロや戦争のない日々は訪れるのか。【太田誠一、ニューヨーク山科武司、カイロ斎藤義彦】

 「我々遺族の胸の中に区切りはない。子どもが帰るわけでもなく、悲しさや悔しさが増幅するだけです」。同時多発テロで、富士銀行(現みずほ銀行)ニューヨーク支店に勤務していた長男和重さん(当時35歳)を亡くした広島市安芸区の元銀行員、伊東次男さん(76)は、かみしめるように語った。

 2日昼、報道機関からの電話でビンラディン容疑者殺害を知った。米国が大変な犠牲を払った答えなのだろうと思うが、「同じ悲劇が蒸し返されるようなことはあってほしくない」と報復テロの活発化を心配する。

 テロから10年近くたつが、和重さんの遺体は見つかっていない。02年1月、ニューヨーク州の裁判所から死亡宣告を受けた。自宅には、今も形見のスーツとネクタイを大切にしまってある。

 度重なる訪米の世話になった知人から依頼されて約2年前、「原爆体験」を多くの人の前で語った。広島に生まれ、1945年8月6日の原爆投下で12歳の兄を失った経験を持つ。「息子の死」も重なり、平和への思いは募った。地元の中学校や原爆資料館で、平和の大切さを訴えている。「一方にとっての正義は、一方にとって悪である場合もある。どうしたら負の連鎖を断ち切れるのか。世界中の人に考えてほしい」と訴えた。

 ◇死を喜ぶ姿うろたえ

 世界貿易センター(WTC)で夫リチャードさん(当時54歳)を亡くしたコネティカット州のジュディ・キーンさん(64)は2日朝、毎日新聞に「うれしいと言えるかもしれないが、別の部分ではうれしいとは言いたくない。終わりに向けた一つのステップとは思う。人々が1人の死を喜ぶ姿には少しうろたえている」と心境を語った。

 前夜に息子から知らされたジュディさんは「誰かが彼の地位を引き継ぐだろうし、米国の厳しい警戒は続くと思う」とも述べた。ジュディさんは夫の名前を冠した基金を設立して体育館を建設。子どもに9・11を語り継いでいる。

 ◇「USA」を連呼

  テロの現場となったニューヨークのWTC跡地(グラウンド・ゼロ)近くの道路には、オバマ大統領の声明を聞いてニューヨーク市民ら数百人が集まった。工事が続く跡地の隣で星条旗を振って「USA」を連呼。あちこちでバグパイプの演奏や「ゴッド・ブレス・アメリカ」の斉唱が流れた。

 マーク・バリントさん(49)は、義弟がWTCでテロに遭遇。幸い無事だったが今も強いストレスに襲われ仕事もままならない。「国内外にテロリストは存在する。テロとの戦いはまだ終わらない」と笑みはなかった。

 ◇「私たちに関係ない」

 エジプト・カイロの街角では、ビンラディン容疑者死亡を静かに受け止めている。特に、民衆革命で独裁者を倒し、自由を得た市民には、容疑者は「過去の人」と映るようだ。「ビンラディン? 私たちには関係ない」と会計士の男性(33)は首をすくめる。

[毎日新聞]


■ビンラディン容疑者:中東・アフリカを転々 その足跡は…

 国際テロ組織アルカイダの最高指導者ウサマ・ビンラディン容疑者は、旧ソ連のアフガン侵攻を機に武装闘争に身を投じ、反欧米思想を強めた。その足跡は「テロとの戦い」に突き進む米国と対峙(たいじ)しながら、中東・アフリカ地域を転々とした。

 ビンラディン容疑者の一族はもともと、イエメンのハドラマウト地方の出身。父親は大富豪のビジネスマンで、自身はサウジアラビアのリヤドで生まれた。同国の大学で経済などを学んだ上級階層の出であり、兄弟は50人以上もいるという。

 転機は79年の旧ソ連によるアフガン侵攻。ビンラディン容疑者は「イスラム義勇兵」として戦線に加わり、86年にはパキスタンのペシャワルに拠点を移して、武器を密輸しながら自ら義勇兵の一団を組織した。このグループを発展解消する形で90年ごろに創設したのがアルカイダだった。

 90年8月のイラクによるクウェート侵攻でサウジアラビアが米軍の国内常駐を承認すると、ビンラディン容疑者は母国を捨てスーダンなどへ向かった。イスラム教の聖地を抱えるサウジへの外国軍駐留に反発したものだった。98年8月にケニアとタンザニアで米大使館同時爆破テロが発生すると、米国はビンラディン容疑者を首謀者と位置づけ、アフガンとスーダンを拠点と見なし報復空爆した。

 そして、01年9月の米同時多発テロが起きた。ブッシュ米大統領(当時)は直後、米中央情報局(CIA)にアルカイダ幹部の暗殺を許可して「ビンラディン狩り」に乗り出した。ビンラディン容疑者は当時、米国の圧力でスーダンを追われ、アフガン東部トラボラ地区に潜伏していたとされる。01年10月にアフガン戦争に突入した米軍は、その約2カ月後にトラボラを急襲したが、パキスタンに逃げ込まれた。

 ビンラディン容疑者はアフガン・パキスタン国境付近の山岳地帯に潜伏。一帯は部族地域で、ビンラディン容疑者に共感する反政府勢力タリバンの支配下にあるため、所在情報の入手は困難を極めた。米国は、偵察専門だった無人機に攻撃能力を加えた無人攻撃機を開発し、暗殺作戦を本格化したが、決定打は見いだせなかった。

 ビンラディン容疑者には以前から健康不安説が付きまとい、真偽不明の「死亡情報」が流れたこともあった。しかし、ケニア南部モンバサでの同時自爆テロ(02年11月)やイラク戦争(03年3月)など節目ごとに、ビンラディン容疑者とされる肉声テープやビデオが放送されて、存在は「神格化」されていった。今年1月にも肉声テープが公表されたばかりだった。【前田英司、大治朋子】

[毎日新聞]

ここから続き

Posted by nob : 2011年05月03日 17:45