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悩んでいる時こそ前に踏み出すべき、、、自分自身で決めたことならどんなことでも自らの糧になる。。。

■放射能ストレスで前進する女と、立ち止まる男
1歩を踏み出せば、異なる風景が見えてくる
河合 薫

 目に見えない恐怖への“不安”が、未知なる将来への “決断”へと変わり始めた。母親たちが、「我が子」を守るために、家も、仕事も捨てて、新たな生活へと動き始めたという。

 「妻は仕事を辞めて引っ越そうと言い出した。僕の実家の近くに引っ越して、そこで新しい仕事を見つけてほしいと言うんです。今からあの田舎に帰って何をするって言うのか。我が家は家庭崩壊寸前です」

 以前、子供を持つ家庭、とりわけ母親の放射能に対する不安が大きいことはこのコラムでも取り上げた(関連記事:放射能という“目に見えない恐怖”がもたらすストレスの脅威)。この男性の妻も放射能に当初から大きな不安を抱いていたという。それは、夫の目から見れば、過剰に思えたそうだ。

 東京電力の福島第1原子力発電所の事故以来、週末だけは夫の実家のある中国地方に子供と出かけ、思う存分に外で遊ばせてきた。しかし今、「このままここ(東京郊外)に住み続けるのは危険」と思い立った妻が、生活の基盤をすべて中国地方に移そうと言い始めた。

 先述のコラムを書いて以来、「あの大手商社マンの家庭とうちとは全く同じ」というものだけなく、「西日本の支店に異動願いを出している」「妻と子供だけ、大阪に避難している」といった話をいろいろなところで耳にした。

 その中には、既に夫婦で仕事を辞め、引っ越しをした方もいた。家庭内の“出来事”なので、他人に話していない人も多い。放射能への恐怖は、終息に向かうというよりも、時間の経過とともに高まっているようにさえ思える。そもそもいつ終わるかも分からないし、今になって「ウソ!」と叫びたくなるような話が次々と出てきているのだ。

報道だけでなく口コミ情報でも不安が増幅

 メルトダウン(炉心溶融)が起こっていた、とか、「SPEEDI(スピーディ=放射性物質の拡散予測システム)」の計算結果が公開されていなかったとか、4月末に内閣参与を自ら辞任した小佐古敏荘氏(東京大学教授)が、「国の放射能の基準値は低すぎる」と指摘していたとか、まるで日替わりメニューのように報道される新事実。

 放射能楽観派の人たちだって、「マジ? 大丈夫なのかな?」と心配になるのだから、悲観派の方たちの不安感といったら、とてつもなく大きいものに違いない。加えて、文部科学省の子供の被曝線量への対応にも一貫性がない。子供を持つ母親たちの混乱は最高潮に達しているのだろう。

 おまけにいわゆるママ友たちの間には、さまざまな情報が錯綜している。

 「(プロテニスプレーヤーの)シャラポワの両親がアメリカへの移住を決断したのは、チェルノブイリ事故だったそうよ」といったテレビや雑誌の情報……。

 「○○さんのご主人の話では、報道できないくらいとんでもないことが起こっているって」  「○○さんのご主人って、あの××新聞の記者さんよね?」  「確か政治部だった」  「そう。だから奥さんだけ子供を連れて宮崎県の実家に戻るんですって」  「うちも主人と相談してみようかしら」  といった“ウワサ”などなど。

 情報が増えれば触れるほど、「取り残されないようにしなきゃ」と焦るママたちも少なくないという。

 そもそも人間は、何らかのストレスフルな環境にさらされると、そのストレスをどうにかしようと反作用を起こす動物である。自分が生き延びるために行動を取るのだ。そして、そこに“大切な人”がいた時、自分でも驚くような決断をしたり行動に出たりしてしまうことがある。

 今になって出てくるさまざまな事実や口コミ情報に、「どうにかしなきゃ」という気持ちが強まり、「だったら動くしかない」と、子供を守るために、生き方を変える決断を母親たちは始めたのだろう。

 そんな妻の決断に、少しばかりたじろいでいる夫たち(もちろんその逆もあるのだろうけど)──。たとえ「子供のため」とはいえ、自分の積み重ねてきたものを捨てるのだから、誰だって躊躇する。変わるのはそうそう簡単なことではないのだ。

 まぁ、冒頭の男性のような、ある意味、究極の選択を強いられる境遇に追い込まれている方がどれだけいるかは定かではない。しかしながら、震災や原発事故をきっかけに仕事へのかかわり方を見つめ直している人も多い。

 そこで今回は、「変える=チェンジ」ということについて、考えてみようと思う。

 「確かに心配と言えば、心配なんですけど、引っ越しをするとなると、話は簡単ではない。妻は私の顔を見れば、『早く仕事を探して』と急かすばかり。何だかなぁ~って感じですよ。だいたい地方の大変さを妻はいまひとつ分かってない。もちろん都会にはない、良いところもあります。でも、それ以上に煩わしさもありますからね」

 「地方は、確かに都会よりも地域のつながりがあります。でもね、生活をするってことは『親切ないい人』が突然、『うっとうしいややこしい人』になるってことも覚悟しなきゃダメ。どこで何を買っていたとか、そんなことまでウワサになりますから。それに、妻は『田舎の方が自然が多いから子供のためにもいい』と言いますけど、山があってのんびりした町は、退屈で不便な町ってことなんですよ」

 「それに最大の問題は、仕事です。知人に頼ればどうにか仕事を探せるとは考えています。でもね、正直、抵抗があるんです。あと10歳若ければ、人生の再スタートを切る勇気も持てたかもしれません。でも、もうすぐ40ですから、今さらって気持ちもある。ところが妻には、その気持ちが全く分からないみたいで。『あなたは結局、子育てから逃げてる』とののしられる始末です。最近、妻のことを見ていて、つくづく思うんですけど、女の人って何でああも潔ぎがいいんですかね。あれがいわゆる母性本能ってやつなんでしょうか」

 仕事を変える、ということは、ある意味、今の自分を形作っている属性のすべてを変えるということでもある。会社、肩書、収入……。そういった基本属性と呼ばれるもの、すべてだ。「変える」は、「それらを捨てる」ことでもある。そのことに男性は戸惑っていたのだろう。

子供を産んだ瞬間から女性は変わる

 と、その前に、「女の人って……」ということからお話ししようと思う。もちろん、私は子供もいなけりゃ、結婚もしていないので、100%母の気持ちになることはできない。でも、こんな私でも一応、少しばかりの母性本能なるものも持ち合わせているだろうから、何となくは想像することができる。

 つまり、何と言うか、女の人って、多かれ少なかれ、子供を産んだ瞬間から、それまで自分では考えもしなかった生き方、あるいは自分1人では「どうやったって無理」と信じていた生き方を歩き始めているんじゃないだろうか。いかなる不安も、ためらいも、産んだ瞬間に、“変える覚悟”に変わるんだと思うのだ。

 だって、自分のお腹の中に生命が宿るってことだけでもすごいことだし、10カ月もの間、一心同体の時を過ごすなんて、そりゃあ言葉にできないような、ものすごい経験に違いない。それまで見たこともない大きさにお腹が膨れ上がり、それまで感じたことのない鼓動を自分の内部から感じ、それまで味わったことのない痛みを誕生の瞬間に体験する。

 私の友人は、子供が産まれた瞬間に、「こんなしんどいことは、2度とやれない」と思ったそうだ。ところが、この苦しみが子供を育てることで喜びに変わる。そして、2人目を産む時に再び激痛を体験し、「あ~、またやってしまった。あの時にこんなの2度とゴメンと思ったのに」と自分1人で笑ってしまったそうだ。

 そんな思いまでして授かった子供であれば、どうしても大切なものの順位に変動が起こる。それまでどんなに大変な思いをして積み上げてきたキャリアであれ、どんなに愛していた夫であれ、ありとあらゆるものを押さえて子供がダントツに大切なもののトップに躍り出る。キャリアチェンジだろうと、ライフチェンジだろうと、子供のためなら怖くない。

 「子供のため」であれば、仕事を辞めることも、引っ越しをすることも、厭わない。どんなに周りから「やり過ぎだ」と批判されても関係ない。たとえ世界中の全員を敵に回すことになっても、子供を守る。どんなに他人に理解されなくとも、自分が「この子のために最善だ」と信じたことをやり遂げる。我が子への思いは、逆境になればなるほど強まるものなのだ。

 ちなみに私の友人は、40歳という年齢を迎える時、「どうしても私、変わりたいの」とシングルマザーになった。

 彼女がどう「変わりたかった」のか分からないし、どんなジレンマを抱えながら40歳を迎えたのかも分からない。いや、それ以上に「人生を変えたくて子供を産む」という選択には、おおいに異論反論があるに違いない。

 それについてとやかく言うつもりもないし、私自身が彼女の選択について、意見することも、同意することもしなかった。でも、きっと彼女がそんな無謀とも思える選択をしたのも、彼女も私同様、「子供を持つこと」で何が起こるかを、無意識に想像できたからだと思うのだ。

子供の存在は母親と父親とで異なる

 以前、子供を不慮の事故で亡くしたご両親のストレス調査をしたことがある。子供を亡くした方たちは、一様に「亡くした」ことへの喪失感と、「子供に済まないことをしてしまった」という自責の念を抱えながら、生きていらっしゃった。

 しかもその自責の念は、母親の方が強かった。「私があの子を産んだから、あの子を苦しめてしまった」と自分を責め、どんなに周りが「あなたのせいじゃない」と語りかけようとも、自分を責め続けた。そして、時間が経てば経つほど、その気持ちは弱まるどころか、強まっていたのである。

 やはり女性にとっての子供とは、男性のそれとは明らかに違うように思う。それは決して愛情が多い少ないとか、大切の度合いがどうだ、という類のものではない。言葉にするのも難しい、“何か”があって、その何かが、いわゆる母性なんじゃないだろうか。

 だから、男性にはなかなか理解できないこともあるし、「それってやりすぎじゃない?」と苦言を呈したくなる。“母”というのは、男も女も超えた、特別な生き物なのだ。

 いずれにしても、前述の男性の根本的な戸惑いは、妻に向けられたものではない。妻の「子供のために、仕事を辞めて引っ越しをしましょう」という提案に、真っ向から「ノー」とは言えない自分。「家族がバラバラになることだけは避けたい」という気持ち。

 そして、何よりも仕事を変える、ことへの不安が、彼を戸惑わせていた。

 自分のそれまでのキャリアを生かすキャリアアップを狙った転職でさえも不安になるのだから、全く異なる仕事へ、しかも他人から背中を押されて、となれば、誰だって戸惑う。未知なるものは怖いから。どうなるか分からないから。迷うのは当たり前だ。

 ただ、結論から言ってしまうと、悩んでいる時こそ前に踏み出すべきだと思う。

 だって、「あ~、あの時にやっておけばよかった」と思うくらいなら、やって失敗した方がいいし、時間は巻き戻すことはできないけど、失敗は取り返すこともできる。迷いは、次なる道のシグナルなのではないだろうか。

 「え~。でも、転職をして後悔する人って多いじゃないか」

 そう反論する人もいることだろう。

 確かに、「転職=バラ色の人生」ではない。2008年の調査ではあるが、ソフトバンク・ヒューマンキャピタルが行った『社会人の転職に関する調査』でも、32.1%の人が「後悔した」と回答し、当時「転職は慎重に!」との意見が巷を駆け巡ったこともあった。

 もちろん何でもかんでも転職をすればいいってもんじゃないし、 「今がイヤだから」と、逃避行動的に転職やキャリアチェンジをするのはいただけない。 仕事を辞めるのは、最後の切り札のようなもので、最後の最後で使えばいいとは思っている。

 だが、3人に1人が後悔しているということは、全体の半数以上の人が、「後悔してはいない」ということでもある。「良かった」とか、「最高!」とは思えなくても、自分の決断に納得している。歩き出したことを、以前とは変わったことを受け入れているのだ。

 新しい環境に適応することはストレスフルで、そこに行く前に抱いていた期待が裏切られることは多い。どんな仕事であれ、外から見るのと中に入って見える景色は全く違うから。「あ~、こんなはずじゃなかった」と天を仰ぎたくなることもあるだろう。

 でも、そこには思いがけない発見もある。新しい出会いや人間関係、新たな出来事。失うもの以上に、得るものがある。それまで見えていなかった景色が見えてくることで、新たな“自分”に出会うことだってある。

 人間って、人によって作られるというか、開拓される部分って多分にあると思うのだ。優しい人たちに囲まれれば、何となく自分も優しい人になれるし、イライラした集団に囲まれれば、自分も攻撃的になる。それにそれまで当たり前だと思っていたことを、新しく出会った人が、「それってすごくない?」と認めてくれることもあるかもしれない。

 仕事を変える、働く場を変える、人間関係を変える、ことは、想像しなかった自分を見つけるきっかけになる。

 頭であれこれ考えると、にっちもさっちも行かなくなって心は固まるばかりだ。まずは、1歩を踏み出す。ガチガチに固まった心を解きほぐすためにも、とにかく動く。自ら足を踏み出すことさえすれば、気持ちは必ずついてくる。

 それに、全く違う仕事であっても自分が一生懸命やってきたことは、不思議とつながるものでもある。私自身、「CA(客室乗務員)→お天気キャスター→そして今」と、まるで違う畑を歩いてきてはいるが、思いがけないところで、過去の経験が生かされる。

 例えば、民間の気象会社に入って日常でおなじみの気象の変化が生じている対流圏(空気の対流で風が吹いたり、雲ができたり、雨が降る)の高さが、赤道付近では中緯度よりも高いことを知ったのだが、冬場のアメリカ路線や南半球に向かうシドニー線で、まさしくそれを体感していた。

 その実体験は、天気を伝える時にも役に立った。また、今ストレスの話をする時、「ストレスは人生の雨」と例えているが、それもお天気の世界に携わった経験から考え出した言葉だ。

 それに、「仕事」ってその先にあるものにたどり着くための手段でしかないのではないか。

 例えば、米スターバックスの会長であるハワード・シュルツ氏は、「私たちはコーヒーを売っているのではなく、コーヒーを提供しながら人を喜ばすという仕事をしている」と豪語し、スターバックスは喜びを売る場であるとしている。

 恥ずかしながら私も、その先のものを追いかけていた結果、「CA(客室乗務員)→お天気キャスター→そして今」となっただけ。周りから見ると、「この人、いろいろやってる~」と思われるかもしれないけれど、本人にとっては“一本道”。たまたまいろいろやることになっただけなのだ。

いくつになっても、自分がいる意味は見いだせる

 おそらくどんな人であれ、どんな仕事に携わっている人であれ、職場や職種は、真の仕事をするための手段で、その先にその人なりの、仕事に求めていること、やりたいこと、があるんじゃないだろうか。

 それが、何か、ということさえ、自分で見つけることができれば、いくつになっても、いかなる新天地に行ったとしても、そこにいる意味を見いだすことができるはずである。

 “何か”はどんな環境に移ろうとも、捨てなくていいし、自分がしっかり持ち続ければいいだけだ。

 そして、歩き出す前には「つながるはずがない」と信じていた点と点がつながった途端、それは自分だけの強みになる。年を重ねていれば、重ねた分だけ点もたくさんあるのだから、若い時よりもその点がつながる可能性は高いことだろう。

 その点を結びつけようとする貪欲な気持ちさえ忘れなければ、変わる、ことは、進化すること。多分、子供を持った女性は、進化し続けているのかもしれない。ってことは、私はいったい……、少しばかり焦ったひとときであった。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2011年06月20日 12:41