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空爆…虐殺…横暴かつ残虐な手法にどうして世界の批判は集まらないのか、、、絶望的な気持ちに、、、殺人に正義はない。。。

■カダフィ氏、最後の8カ月間

(CNN) 42年間にわたってリビアを支配した独裁者カダフィ大佐が20日、死亡した。カダフィ派の最後の拠点の1つだったシルトが陥落した際、拘束され、カダフィ派と反カダフィ派の間で起きた銃撃戦に巻き込まれて死亡した。カダフィ大佐の最後の8カ月間を振り返る。

2月14日
エジプトのムバラク政権が崩壊してから3日後。交流サイト「フェイスブック」で、カダフィ政権にたいする平和的なデモを実施する呼びかけが登場。

2月16日
約200人が東部の港湾都市ベンガジで人権活動家の逮捕に抗議してデモを実施。警察と衝突するなか、デモ参加者のうち数人が逮捕された。リビア政権高官はCNNの取材に対し、「深刻なものではない。若者たちがけんかしただけだ」と語った。

2月18日
リビアの国営放送は、人々がカダフィ政権を支持するスローガンを叫び、旗を振り、カダフィ大佐が乗ったリムジンの周囲を歌いながら歩く様子を放送。

2月19日
抗議活動が暴力へと拡大したものの、死傷者の数は不明。ベンガジでは、兵士が催涙弾や銃弾によって流血ざたとなったとの目撃情報がよせられた。

2月20日
ベンガジで武力衝突が発生。反カダフィ派がベンガジを掌握。カダフィ大佐の次男セイフイスラム氏が国営テレビに登場し、反政府運動参加者に対し、デモをやめなければリビアが内戦に陥ると警告した。

2月22日
カダフィ大佐がテレビ出演し、国外へ逃亡したとのうわさを一蹴。カダフィ大佐は、リビアを去ることはないと言明し、「殉教者として死ぬだろう」と語った。国連安保理は、市民に対する暴力を非難する声明を発表した。

2月26日
国連安保理は、リビアに対する制裁決議を採択。安保理はまた、国際刑事裁判所(ICC)に対し、リビアでの人権侵害について調査することを求めた。

3月7日
北大西洋条約機構(NATO)がリビア上空の飛行監視を24時間態勢で開始。

3月17日
国連安保理はリビアの飛行禁止区域を設定。また、市民を守るためにあらゆる措置を執ることを決定。

3月19日
フランス、英国、米国の各軍は軍事行動を開始。110発以上のトマホークミサイルが発射された。

3月20日
カダフィ大佐は国営テレビで、リビアが「紛争地帯」で自国を防衛する権利は国連憲章によって保障されていると指摘。カダフィ大佐は「イスラム諸国、アフリカ、中南米、アジアのすべての人々よ。この武力侵攻に対抗するためリビアの人々とともに立て」と語った。

4月6日
カダフィ大佐はオバマ米大統領に対し、NATOによる空爆を阻止するよう呼びかけ。

4月29日
カダフィ大佐は演説で、NATOに対し、空爆停止の交渉を要請。また、リビアの石油生産施設を獲得するために、市民を殺害し、インフラを破壊していると非難した。

4月30日
NATOはトリポリの住宅にミサイル攻撃。この攻撃により、カダフィ大佐の息子と孫が死亡。

5月22日
EUは反体制派が掌握するベンガジに事務局を開設。

6月8~13日
スペインやドイツなど数カ国が、リビアの反体制派「国民評議会」を正統な政府として承認。

6月27日
国際刑事裁判所は、カダフィ大佐と次男のセイフイスラム氏らに対して逮捕状を発行。

7月15~27日
米国や英国も国民評議会を承認。

8月15日
カダフィ大佐はリビア国民に対し、反体制派と戦うよう呼びかけ。

8月16日
NATO高官は記者団に対し、反体制派が首都トリポリへの進路を確保しつつあると語った。

8月20日
反カダフィ派がトリポリ市内に進入。一方、カダフィ派は、トリポリは政府側が掌握していると主張。

8月21日
トリポリを防衛するために集結するよう呼びかけるカダフィ大佐の音声が国営テレビを通じて流される。反カダフィ派は息子2人を拘束したと発表した。

8月22日
反カダフィ派はトリポリを掌握したと発表。しかし、市内の一部では激しい戦闘が続く。反カダフィ派は息子3人を拘束したことを明らかにしたが、カダフィ大佐の行方はつかめず。

8月23日
拘束されていたはずの次男セイフイスラム氏が市内のホテルに登場。セイフイスラム氏はCNNの取材に対し、カダフィ大佐や家族は市内の安全な場所にいると語った。

9月1日
セイフイスラム氏は、シリアのテレビ局を通じ反カダフィ勢力に対する反撃を呼び掛けた。

9月3日
反カダフィ派は、カダフィ派に投降を呼びかけ、期日を1週間後に設定。

9月9~10日
期限を迎えても、カダフィ派は投降せず。カダフィ派の最後の拠点に対して攻撃が始まる。

9月20日
カダフィ派の最後の拠点の1つ、サブハ陥落。

10月6日
シリアの衛星テレビ局がカダフィ大佐のものとされる音声での声明を放送。リビアで新政権作りを目指す国民評議会に従わないよう市民に呼びかけた。

10月17日
拠点の1つ、バニワリド陥落。シルトが最後の拠点となる。

10月20日
シルト陥落。カダフィ大佐は拘束時に起きた銃撃戦で死亡した。

[CNN]


■カダフィ大佐を極秘埋葬へ=支持者の「聖地化」回避—リビア

【カイロ時事】42年間の独裁の末に20日死亡したリビアの元最高指導者カダフィ大佐の遺体は21日にも、極秘に埋葬される見通しだ。反カダフィ大佐派の連合体「国民評議会」は、大佐の墓所がカダフィ派の「聖地」となるのを懸念、場所を公表しないという。

 土葬するイスラム教の慣習では、死後24時間以内に遺体を埋葬しなければならない。独裁者といえども、カダフィ大佐を支持してきた部族や親族ら遺族感情を考慮し、速やかな葬儀を執り行うとみられる。 

[時事通信社/朝日新聞]


■カダフィ大佐 死因錯綜

 【チュニス(チュニジア首都)=今村実】リビアの元最高指導者カダフィ大佐(69)について、反カダフィ派「国民評議会」の首相格ジブリル氏は二十日、トリポリでの記者会見で、「拘束後に銃撃戦に巻き込まれ、死亡した」と語った。一方で、反カダフィ派の兵士に殺害されたとの指摘もあり、死亡時の経緯が論議を呼びそうだ。 

 カダフィ派最後の拠点シルト陥落を受け、「国民評議会」は同日「全土解放」を二十二日に宣言すると発表、暫定政府の発足を急ぐ方針だ。

 カダフィ氏は、北中部のシルト近郊で拘束された際は生存していたことが現場の映像で確認された。反カダフィ派の兵士に取り囲まれ、上半身が血まみれの状態でぼうぜんと歩く様子が映っていた。途中「生かしておけ」との声も録音されていたが、死亡の状況ははっきりしていない。

 AFP通信などが伝えたジブリル氏の説明によると、カダフィ氏は、現場の下水溝から小型トラックに連行された際、右腕を撃たれたという。

 さらに「車が動き始めた際、カダフィ派と反カダフィ派の間で起きた銃撃戦に巻き込まれ、頭を撃たれた。病院に到着する直前まで生存していた」と語った。

 一方、ロイター通信によると、国民評議会の別の当局者は「カダフィは連行の際に暴行され、反カダフィ派の兵士に殺害された」と指摘。現場にいた反カダフィ派の兵士は「カダフィは自分の護衛に撃たれた」と語るなど、情報は錯綜(さくそう)している。

 カダフィ氏はシルトを車列で脱出しようとして北大西洋条約機構(NATO)軍機の空爆に妨げられ、近くの下水溝に身を潜めた後、反カダフィ派に拘束されたとみられている。

 遺体が運ばれた西部ミスラタの医師によると、頭と腹部を撃たれていた。身元確認のDNA鑑定などを経て、近くミスラタ周辺で極秘に埋葬される。

[東京新聞]


■リビア:カダフィ大佐死亡 移送途中に銃殺 評議会幹部証言「一部兵士、暴行」

 【エルサレム花岡洋二】リビアの最高指導者だったカダフィ大佐(69)が20日殺害された状況について、現場で撮影された動画や反カダフィ派「国民評議会」関係者の証言などから、大佐が生きたまま拘束され、移送途中に一部兵士により銃殺された可能性が高まっている。評議会は22日にも「全土解放」を宣言する見通しだが、無抵抗の状態での殺害が明確となれば、大佐支持派らの反発は必至で、国内の混乱をさらに招きかねない。国際人権団体は、国際法における違法な「処刑」の可能性を指摘、評議会に殺害の経緯の徹底調査を求めている。

 ◇生きていた大佐

 反カダフィ派の兵士らが携帯電話などで撮影した動画はテレビやインターネットを通じ、世界中に報じられた。映像によると、生きているカダフィ大佐らしき男が複数の兵士に囲まれ、小型トラックの荷台に載せられた後、地面へ引きずり下ろされた。「生かしておけ」といった叫び声が続き、直後に銃声が響く。動画はその瞬間の男の様子をとらえていないが、間もなく男の遺体が映る。この際、大佐が「撃つな、撃つな」と懇願したとの情報もある。

 国民評議会の幹部はロイター通信の取材に「(カダフィ大佐を)生きたままつかまえ移送していたが、一部の人間が暴行を加え、殺した」と話した。

 一方、国民評議会はこれまでの公式発表で一貫して「大佐は銃撃戦で被弾し、死亡した」と説明している。

 国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」(本部ロンドン)は「新政権は(カダフィ時代のような)虐待の文化と決別しなければならない」と指摘。評議会に対し、殺害の詳しい経緯を情報公開し、民主政治の始まりにふさわしい適切な対応を取るよう求めている。

 ◇空爆契機に拘束

 大佐が拘束されたのは北中部シルトから西約3キロ付近。現場に入ったロイター通信の記者によると、6車線ある幹線道路から約20メートル外れた場所に、荷台に機関銃を備え付けた小型トラック15台が焼け焦げた状態で放置されていた。北大西洋条約機構(NATO)による正確な空爆を受けた可能性が高いという。

 また、現場にいた国民評議会の兵士によると、大佐は空爆を受けた後、近くの排水溝トンネルに逃げ込んだ。引きずり出すと「何が問題なのか。何が起きているんだ」と語った。足と背中を負傷しており、別の兵士が大佐から、黄金の銃を奪い取ったという。

[毎日新聞]

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Posted by nob : 2011年10月21日 20:38