« 幸せとは、、、 | メイン | 愚かしさの極み。。。 »

現実を受け止めて真の対策を。。。

■福島の研究者・首長ら、チェルノブイリへ調査団

 1986年に発生したチェルノブイリ原発事故後の除染や現状を調べ、東京電力福島第1原発事故からの復興に役立てようと、福島県内の研究者や首長、自治体関係者らを中心とする調査団が31日午後、ウクライナや隣国ベラルーシに向け出発する。

 現地で約1週間にわたって旧原発施設のほか、事故対策を担当する行政機関や放射線に関する研究機関、中学校、病院などを視察する。

 調査団は、地方財政論が専門の清水修二福島大副学長が呼び掛けて結成。川内村の遠藤雄幸村長のほか南相馬市の除染担当者、浪江町の町議、県職員、農協や森林組合の関係者ら30人が参加した。

 現地では、事故当時の対応や除染の進め方のほか、避難した住民の帰還や農業の再生などについて意見交換する予定。

 清水氏は「チェルノブイリ事故の後、どのような活動が展開され放射能汚染に対処したかを学び、今後の行動の指針にしたい」と話している。〔共同〕

[日本経済新聞]


■チェルノブイリ25年後 住民去った町を歩く

写真:「ザリッシャ村、ザピッリャ村……」。チェルノブイリ市の中心にある広場には、原発事故で消えた村の名前が書かれた立て札が並ぶ。事故から25年となった2011年に作られた=日吉健吾撮影拡大「ザリッシャ村、ザピッリャ村……」。チェルノブイリ市の中心にある広場には、原発事故で消えた村の名前が書かれた立て札が並ぶ。事故から25年となった2011年に作られた=日吉健吾撮影

t_TKY201110300271.jpg


 1986年4月に大事故を起こしたウクライナ・チェルノブイリ原発の南東十数キロ。放射線モニタリングなどにあたる3千人ほどが働いている町、チェルノブイリ市を訪ねた。

 ウクライナ政府によると、事故の影響で168の村が消えた。市の中央広場には、その名が記された立て札がアルファベット順に並ぶ。事故から25年の今春完成した。

 市内には、放射線測定や生態系調査などを担う行政機関の拠点がある。市は、「ゾーン」と呼ばれる立ち入り規制区域の中にあるが、集中的に除染され、職員らは例外的に滞在が認められて月の約半分を市内の寮で暮らす。朝夕には、通勤バスが広場周辺を行き交い、少しだけにぎわう。商店や教会もある。

 市の中心を離れると、ゾーンの現実がわかる。市内の目抜き通りの両脇には木造の廃屋が並び、プリピャチ川沿いにはさびた廃船が係留されたままだ。

 市内を出て原発に向かう。原発の約2キロ手前の「コパチ村」跡。荒野に三つ葉の形の放射能標識と看板が立つ。「住民1114人が1986年5月3日に避難した」とある。

 家々は降り注いだ放射性物質で汚染され、壊されて埋められた。そばの道路で地上1メートルの空間線量を簡易装置で測ると、毎時0.7マイクロシーベルトほどだった。

[朝日新聞]

ここから続き

Posted by nob : 2011年10月31日 08:32