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すべきこと、、、心の覚悟と(できる範囲での)実の準備だけ、、、いつでもどこでもなんでも起きるのだから。。。

■「4年以内に70パーセントの確率で起こる」
という問題をどう解釈するか

0でもなく100でもない発表に不安が広がる

 あなたには、これから結婚しようとしているパートナーがいるとします。このパートナーが占い師に見てもらったところ、「4年以内に70パーセントの確率で浮気をする」と言われました。果たしてあなたは、このパートナーと結婚しようと思いますか?

 不謹慎な喩えになってしまいました。東京大学地震研究所は1月23日、首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が4年以内に70パーセントの確率で発生する可能性があると公表しました。

 発表された数字をどのように受け取るかというのは難しい問題です。

 来月起こると言われれば、地震対策を万全に整えたり、別の地域に避難するという選択肢を考えるでしょう。その意味で「4年以内」というのは微妙な数字です。「明日起こるかも」と思いながら4年間も生活するのは、ストレスが多すぎます。

 確率が「70パーセント」というのも微妙です。降水確率が70パーセントと言われた場合、傘を持って行くかどうかは人によって判断が分かれるところです。

 地震規模の「マグニチュード7」という数字は、首都直下型だったらたいへんな災害になるかもしれません。ただ、東日本大震災のマグニチュード9という数字を聞いているだけに、これも受け取り方は人それぞれ異なるのではないでしょうか。

 東京大学地震研究所の発表を、危機が差し迫っていると受け取る人もいれば、地震が頻発する昨今では想定内と受け取る人もいるでしょう。

「でも、30パーセントも起きない可能性があるなら、起こらないんじゃない?」
「4年以内ということは、その間に自分は転勤して首都圏にはいないかもしれないし」
「マグニチュード7だったら、どうにか耐えられるんじゃない?」

 そう楽観視する人がいても、何ら不思議ではありません。

 とはいえ、起こるとも、起こらないとも確信できない状態に、得体の知れない不安が澱のように残る、居心地の悪さが続いています。

やっかいな問題が起こる可能性は身近にあふれている

 東京大学地震研究所の発表では、「4年以内にマグニチュード7の地震が70パーセントの確率で起こる」という具体的な数字が出ています。多くの人はそこにリアリティを感じるかもしれません。

 このように数字で示されることは珍しいものの、私たちの生活の中で、想定したくない問題が起こる可能性は、身近にもあふれているのではないでしょうか。

 自分が病になる確率、交通事故に遭遇する確率、子どもが問題を起こす確率、結婚相手が浮気する確率、リストラされる確率、親の介護が必要となる確率――。数え上げたらきりがありません。

 歩いていてビルからモノが落ちてきて命を失う、と言った滅多に起こりそうではないことを除いても、身の回りは、「やっかいな問題が起こる可能性」に囲まれています。それが私たちの生きる現実の世界です。

 私たちは普段、こうした問題が起こることを考えずに生きています。そんなことはたぶん起こらないだろう、自分の身には降りかからないだろうと。逆にいつ何が起こるかわからないとすべての可能性を警戒しながら生きていくのも、大変な労力になります。

 人生を板の上を歩くことに例えるならば、自分が乗っている板が本当は薄くて割れやすく、板の下に奈落が広がっていることを知ってしまうと、人間は恐怖に足がすくんで1歩も動けなくなってしまいます。しかし、板が分厚く、頑丈で安全なものだと信じてさえいれば、安心して前に進んで行けるのです。

 問題があることを知らなければ、その問題は「ない」ことと同じになります。

 一方で、東日本大震災を経験した以上、見たくない問題に囲まれて日々を生きていかなければならないということに、気づかされてしまったのではないでしょうか。

将来起こることをあらかじめ知って幸福になれるか

 医療の世界でも同じようなことが起きています。

 遺伝子のパターンを詳細に分析できるようになり、乳がんになりやすい遺伝子、アルツハイマーになりやすい遺伝子、統合失調症になりやすい遺伝子など、かなり正確に診断できるようになりました。

 アメリカでは、パーキンソン病を発症する遺伝子について、一般の医療で診断することが始まっています。有名なハリウッドスターのなかにも、診断の結果その遺伝子を持っていることが判明した人がいると聞いています。ただその遺伝子をもっているからと言って、100パーセント発症するというものではなく、またいつ発症するかもわからないのです。

 これも地震の確率と似ています。今日、明日に発症するというわけではなく「これから○年以内に○パーセントの確率で発症する」という話です。最先端の医療技術だからといってうっかり調べてしまうと、将来の自分に待ち受ける過酷な現実を知ってしまうことになります。

 遺伝子を調べることで予防や発症を遅らせることにつながるのであれば、これは大変有意義なことになります。しかし、予防する方法が見いだせていないのであれば、告知するだけで終わってしまいます。

 自分の将来に、やっかいな問題が起こることを知ると人はどういう反応を示すでしょうか。知って落ち込む人もいるでしょうし、生きる気力を失って発症する前に死んだほうがましだと考える人も出てくるかもしれません。現実をそのまま受け入れることは、この言葉通り実践することはとても難しいことです。

不安のなかでどのような人生観を持つか

 東京大学地震研究所の発表は、日本人に多くのことを示唆していると思います。

「病気になって初めて健康の有難味を知る」というように、本来、やっかいな問題がいつ起こるかわからないのに、ほとんどの人はそれを意識しないで生活しています。そこで、実際に事故や不幸に遭遇した人の多くは「まさか自分が」と口を揃えます。

 しかし、自分だけには起こらないだろうと思う「まさか」が起こってしまうのが現実です。この現実に対し、ないものだと自己暗示をかけて考えない人もいれば、不安をまともに感じて、日々苦しんでしまう人もいます。

 事故や災害であれば、何らかの方策を講じることで一定の被害を抑えることはできるかもしれません。それでも、すべてを完全に防ぐことは不可能です。自分の歩いている板が薄いこと、あと10歩歩けば板が割れることがわかっていながら元気に歩いていけるほど、人間はタフではありません。

 科学の進歩によって、将来のことが否応なく予知できる時代になりました。前向きなことはともかく、後ろ向きの現実も予知できてしまいます。そこに不安も生じることになります。

 この新たな不安から完全に逃れることはできません。

 現代は、これから起こるかもしれない不安を抱えたまま、どのように日々を生きるか考えなければならない局面に入ったのではないでしょうか。ないことにするのでもなく、敏感に意識するのでもない。人は、不安があるなかで自分なりの人生観を持つという新しいテーマが与えられているのだと思います。

「4年以内にマグニチュード7の地震が70パーセントの確率で起こる可能性」というような問題を、どう解釈したらいいのでしょうか。統計学的な解釈ではなく、人の認知の問題として考えた場合、正解のない問いではないでしょうか。

 また解釈の仕方やそれによる行動の変化は、人それぞれでしょう。気にしない人もいれば、敏感に反応する人もいます。このように、解釈の仕方が違う人同士が、どのように違いを違いとして受け止めて共存していくのかという課題も突きつけられているような気がします。

[香山リカの「ほどほど論」のススメ/DIAMOND online]

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Posted by nob : 2012年02月07日 12:59