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怖れずに付かず離れずうまく付き合っていけばいい。。。

■うつ病を経験した誰もが恐れる再発
100%の状態に戻ってからの復帰が重要

 過去14年にわたり毎年、3万人以上の人が自ら命を絶っている。厚生労働省“自殺・うつ病等対策プロジェクトチーム”の調査から、自殺既遂者は、うつ病等の気分障害が自殺の要因として特に重要であることが明らかになっている。現在の厚生労働省における自殺対策の中核となっているのが、うつ病対策だ。

 うつ病は心の風邪と言われる。風邪は休息と投薬などにより完治する。もちろん、うつ病も正しい対応や治療によっていつか治る。しかし、完治したかどうかの見極めが難しい。また、うつ病は再発しやすいことをご存じだろうか。うつ病を発症したほとんどの人が、再発を恐れていることも事実だ。

休職と復職を繰り返しついに自殺未遂

 今回は、10年以上独りでうつ病に苦しみ、その後産業カウンセラーYさんとの出会いで、新しい人生を歩み出すことになったKさんの事例を取り上げる。

 Kさん(女性、現在52歳)は独身である企業の総務部に勤務している。3人姉妹の末っ子で、母親にとても厳しく躾けられて育った。大学卒業後、会社へは親の縁故で入社した。入社当時は秘書課に配属され、女性らしく魅力的なKさんは、とても可愛がられたようだ。

 入社から5年後、地方への異動辞令が出て、地方都市で寮で暮らすことになった。

 「Kさんは、いじめられたと言っていましたね。彼女はずっとお嬢さん育ちされてきて、もしかしたら、ビジネスライクに言われたことを『否定された、嫌われた』と思い込んだのかもしれません。そして知らない土地で一人きりの暮らしになったことも重なった、どん底の精神状態のときにお母さんが突然亡くなってしまわれたのです」

 Kさんが30代前半の頃だ。産業カウンセラーのYさんは、Kさんの話を振り返りながら語ってくれた。

 Kさんは寮で、自殺を図った。発見が早かったため未遂で終わり、一命を取り留めたKさんは、地方都市の病院を受診する。病院でうつ病と診断され、会社を休職し半年間入院した。退院後、投薬を続けながら地方都市の職場に復帰するが、3か月後うつ病が再発した。精神状態を考慮した会社はKさんを本社へ戻し休職扱いにした。病院の診断で投薬を続けながら再び職場復帰したが、うつ病が再発し、また休職になった。その後何度も復職と休職を繰り返し、自殺未遂も起こした。

 何年にもわたり、休職と復職を繰り返すKさんに困惑した会社の上司は、企業の相談室に行くよう指示した。

 一般的に、メンタル面の悩みを抱えていても、同僚などに知られるのが嫌で相談室に行くことを躊躇する人が多い。だが、この相談室は別の建物にあったため、同僚などに相談室へ行っていることを知られることはなかった。また、カウンセラーには守秘義務があり、上司とはいえ面談内容を報告する義務はなかった。Kさんは初めて人目を気にせずに本音を言える場を得たわけだ。この相談室で出会ったのが、産業カウンセラーのYさんだった。Kさんが40代前半の頃だった。

 「死にたい。何のために生きているのかわからない」

 Kさんが最初に言った言葉だそうだ。発症から10年以上過ぎたにもかかわらず、うつ病は治っていなかった。通院、投薬を続けているのに、精神状態は非常に悪い状態だった。

 Yさんの初期のカウンセリングは、Kさんの言葉を傾聴し、受容し、共感することだった。Kさんは「死にたい」と繰り返し、泣きながら母親の話をした。母親が大好きだった。素晴らしい女性だった。母親が言うことはすべて正しい。言いつけは守らなくてはならない。でも死んでしまったので辛くてたまらない。

絶対的な母親の教育にしばられていた

 Kさんにとって母親は絶対だった。Kさんは母親の厳格な倫理観・世界観の中で生きていた。Kさんが目にする社会・周囲の人の言動は、母親から教わった倫理観を通して見ると、全てが良くないものに思えたようだ。社会はこうあるべき、女性はこうあるべき、社会人はこうあらねばならない。社会や周囲の人への不平・不満が心の中に渦巻き、蓄積されていった。しかし、誰にも言えなかった。

 どうしてか? 不平を言うことなど、恥ずかしいこと、みっともないことだと母親から教え込まれていたからだ。そんな価値観を持つKさんは、他人の見方も厳しかったが、同様に自分にも厳しかった。すべての否定的な思いを溜め込み続けた末に、価値の基準である母親が急にいなくなってしまった。心のバランスが壊れ、うつ病を発症した。どうやって生きたらいいのか分からなくなり、自殺未遂に至ったのだろうとYさんは分析する。

 Yさんは、Kさんの目標を“自己受容 Iam OK.”に設定し、まず自分を受け入れられるように導いた。

 まずやってみたのは、コラージュ療法だった。コラージュ療法は、1970年代に米国の作業療法士ジェーン(Jane.M)が考案した芸術療法だ。コラージュはフランス語で「糊付けする」という意味で、20世紀の初めにピカソやブラックなどが使った現代美術の技法だ。雑誌やパンフレットなど既成の写真や絵などをハサミで切り抜き再構成し台紙へ糊付け(コラージュ)し、独自の世界を表現する。
 
 コラージュで表現することで、様々な心理状態を把握できるが、YさんはKさんの心理状態を診断するというより、会社の中で自分(母親)の価値観でがんじがらめになり緊張状態で苦しんでいるKさんを、綺麗なものに触れさせて、緊張を緩めてあげたかったのだそうだ。

 「“枠”が狭かったですね。自分で作り上げた社会や人と接する時の“枠”がとても狭く硬いものでした。まずは、素の自分の時間を作ってほしかった。コラージュの時間は何も心配なものがなく安心できることを認識してもらいました。その中で信頼関係も育み、心がほどけていく時間になるよう心掛けました。そして目指したのが自己受容です」

 Yさんと時間を過ごすうちに、Kさんは自分の本音を語りだした。

 「他者批判、つまり周囲の人への文句、愚痴ばかりでした。自分の価値観が非常に厳しく、こうあらねばならないと思い込んでいますから、不平・不満が溜まっていたのです。もちろん、良い人、できる自分を演じ続けている自分へも非常に怒っている状態でした。しかし、まだ言いたいことは誰にも言えない状態でした」

 その状態の改善のために、次に始めたのがアサーション・トレーニングだ。このトレーニングの基礎を築いたのは米国の心理学者、ウォルピ(Wolpe,J.)とラザラス(Lazarus,A.A.)である。自分とともに相手も大切にする自己表現の仕方を訓練する。自分の感情や考え、要求などを適切に表現する能力を養うので、「言いたいことが言えない人」「対人関係で自己中心的な人」「引っ込み思案な人」などに有効とされる。

自分の気持ちを客観的に表現する訓練

 Yさんは、アサーション・トレーニングのDESCという手法を使った。

D(Describe)=自分が困っている客観的事実をできるだけ穏やかに話す
E(Explain)=その事実に対する自分の気持ちを話す
S(Specify)=その事実に対して可能な解決方法を話す
C(Choose)=相手がOKなら良いが、Not OKならほか他の方法を再提示する

 Yさんは、言いたいことが溜まっていたKさんに、毎回の面談で、アサーション・トレーニングの課題を出した。

 ある日の面談でKさんは、同僚に腹を立てていた。仕事をちゃんとやってくれないそうだ。しかし、注意をする(愚痴を言う)自分が許せないので注意できなかった。実際に注意の仕方が分からない。無性に腹が立つそうだ。そこで、アサーション・トレーニングのDESCの流れで、解決方法を探った。

D=仕事をしてくれないという客観的事実を話してもらう
E=仕事をしてくれない事実に対する自分の怒りの気持ちを話してもらう
S=解決方法を一緒に考え、提案する

 この場合の解決方法は、同僚に対して意見を言うことだ。同僚の仕事のやり方を見ていて、「私はこう思うが…」と気持ちを表現してみることを提案した。そして、次の面談までに実際に試すことを課題とした。

 この課題は、周囲の人へ意見を言えるようにすることから始まったが、成功した時は言えたことを確認し合いながら共に喜んだ。不成功の場合は、C=また違う解決方法を一緒に考え提案し、励ましながら次の課題の成功のために、根気強く進めた。成功する数が多くなるにつれて、Kさんは自信を持ち、話し方のスキルも身に着けたようだ。自分の意見を周囲の人に言えるようになったKさんは、変わっていった。

 人は簡単には変わらない。自分が変わればいい。自分を受け入れられるようになったKさんは、他人や社会に対する見方も変わっていった。Yさんと面談を始めて3年が過ぎた頃だった。

 「もう大丈夫だと思いました。自分を許すことも相手を許すこともできるようになっていましたから。もう相談室には来なくていいと言ったのですが、完治してからも3年間、私が担当だった時期は毎回相談室に来ていました。愚痴を聞いてほしかったそうです。でも、愚痴の相手にも意見できているわけですからガス抜きかな。その後の再発はなかったですね」

 Yさんは嬉しそうだ。

 再発を繰り返すうつ病について、Yさんは問題点を挙げてくれた。

70〜80%の状態で復職しない

 まず、リワークプログラムで100%職場復帰できる状態になってから職場に戻ってほしい。通常、うつ病などの気分障害で休職すると、病院で完治が認められた後に、民間のリワークプログラムに通って作業をこなしながら復職できる状態に戻していく。復職の際は主治医の診断書と産業医の承諾が必要だ。そして職場の管理者と話し合い、復職することになる。

 リワークプログラムが70〜80%の状態で復職してしまった場合にうつ病は再発しやすいとYさんは指摘する。うつ病などの気分障害は、回復とともに元気になり気分も高揚するので、やる気が起こる。早く仕事へ復帰したいという焦りもあるから、強く復職を希望する人が多い。医師や管理者が、早く仕事に戻すほうがいいと考え、まだ時間が必要なのに復職させてしまうケースも多い。本人と会社のために、状態を慎重に見極め、100%復職できる状態に戻してからの復職が望ましい。休職中は傷病手当が支給される。じっくりと時間をかけて、100%働ける状態になることだ。

 次に職場の受け入れ態勢も重要だ。Yさんは、受け入れる側の管理職の認識の甘さを指摘する。復職後すぐに、休職前と同じ量の仕事を何の説明もなしに渡して極度の緊張状態に追い込んだり、逆に極端に少ない量の仕事でモチベーションを下げたりする場合もある。もう完治したからと軽はずみな言動をとることは避けなければならないが、極端に気を遣い過ぎることもよくないだろう。

 「管理職はメンタル不調の社員が復職した時にどう接したらいいか、どんな点に気をつけたらいいかなどの学んでほしい。復職する人が安心して帰ることのできる会社の体制作りができるといいですね」

 産業カウンセラーYさんの希望は、日本の社会全体のリワークプログラムを早急に整備することだ。

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2012年03月08日 12:37