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精神科医に限ったことではないけれど、、、「臨機応変」を実践できる人物の減少が本質的な問題。。。

■万人に通用する方法論はない。
「臨機応変」は果たして死語なのか

人間的治療から機械的治療への大転換

 2月12日、NHKスペシャル「ここまできた!うつ病治療」が放送されました。

 うつ病の診断と治療の最前線を紹介するというテーマで、番組では大きく分けて2つのトピックが語られます。

 一つは脳の血流が画像に表示される装置「光トポグラフィー」による診断です。

 何らかの言葉を復唱させた場合、躁うつ病に罹患している人は脳のある部分の働きが弱いといいます。この特性に目をつけ、光トポグラフィーで脳の血流量を測定して得られたデータに基づき、うつ病か否かを診断しようというものです。日本でも、神奈川県の病院などが装置を保有しています。

 もう一つは、磁気発生装置で脳に刺激を与える治療方法です。

 感情を司る扁桃体に刺激を与えて機能を回復させれば、うつ病患者の感情が爆発するのを抑えられるという理屈です。番組では、何十年にもわたって薬を飲み続けても治らなかったうつ病患者が、頭にヘッドギア状のものを装着してわずか30分ほどの治療を受けただけで症状が好転したとする事例が紹介されます。

 放送の翌日から、私の患者さんたちも口々に番組について語り始めました。

「光トポグラフィー検査をやっている病院を紹介してほしい」
「磁気刺激による治療はいつ日本に入ってくるのか」

 そう言われても、うつ病は番組で紹介されたような科学的な手法だけで診断できるものではなく、問診という医師と患者の人間的な関わりを踏まえる必要があります。しかもかつて機械的な治療、薬だけに頼った治療が主流だったころ、患者さんの多くがもっと心の通ったきめ細かい人間的な治療をしてほしいと訴えておられました。

 もちろん人間ですから、多少の矛盾はあって当然です。しかし、極端から極端に振れる危険性を感じざるを得ません。

被災者ケアでも起こる極端から極端への揺り戻し

 光トポグラフィー装置を持つ神奈川県の病院には、番組放送後から問い合わせの電話が殺到したそうです。

 その病院では、現在はまだ一般の治療には使われていません。まだ一部の人への使用の段階にすぎないので、要望には応えられないというコメントを出さざるを得なかったといいます。

 ただ、番組で紹介された装置は決して特殊なものではなく、民間の医療機器メーカーが製作したものなので、日本でも購入しようと思えば手に入ります。自費診療で診察に使う病院も遅かれ早かれ登場してくることでしょう。

 しかし、こうした極端な機械的診断と治療が普及したら、かつてのように「私たちは人間だ。ロボットのように扱わないでほしい」というもう一方の極端への揺り戻しが必ずやって来ると思います。

 極端から極端への揺り戻しは、災害被災者のケアの現場でも起こっています。

「被災者のこころの中にあるショックや悲しみを吐き出させるのが良いケアだ」

 日本では、およそ10年前にアメリカから入って来たこの「デブリーフィング」という考え方に基づいて災害ケアが進められてきました。1995年の阪神・淡路大震災のときに被災者支援に関する明確な指針がなかったので、何か作らなければならないと模索していたところにデブリーフィングという考え方が持ち込まれたのです。

 ところが、ちょうど日本に入って来たころ、9・11事件を経験したアメリカでその手法が有害だという研究結果が出てしまいます。過酷な体験を吐き出させることは、かえって記憶を定着させてしまうというのがその理由です。デブリーフィングを提唱した学者でさえ、自分の考えは誤っていたと公表したのです。

 それでも、入って来たばかりの手法が誤っているという情報は、しばらくの間日本では徹底されませんでした。そのため、今回の東日本大震災の被災者ケアは混乱を来たしてしまったのです。

状況を見て臨機応変に対処する姿勢を

 数年前の古い情報を基に勉強を積んだ人は、東日本大震災後に現地に入って被災者のこころの中にあるショックや悲しみを吐き出させようとしました。しかし、その行為に対していくつかの学会から「危険だからやめてくれ」と警鐘が鳴らされます。

 一方、アメリカでデブリーフィングを否定する学会が提唱するのは「サイコロジカル・ファーストエイド」と呼ばれる手法です。

 これは、災害によって受けたこころの傷には直接触れず、「そばに寄り添う」「毛布を与える」「現実的な情報を与える」などといった身の回りの世話が中心となるケアです。むしろ、専門家である必要はなく、誰でもできるごく当たり前の支援活動と言えるものです。

 名称には「サイコロジカル」という言葉を冠していますが、そこには心理的なケアの側面はほとんど含まれていません。つまり、デブリーフィングとはまったく正反対で、こころの内側の話を絶対にさせてはならないという考え方に基づいているのです。

 また、多くのボランティアが被災地の子どもたちに絵を描かせた行為に対し、日本心理臨床学会が「危険だからなるべくやらないように」という指針を出しました。

 ボランティアの方々としては、被災地では何も遊び道具がないので、子どもたちを楽しませようとお絵描きを始めたにすぎません。それなのに、指針が出たことによってボランティアの方々にも不安が広がってしまいました。

 もちろん、被災者にデブリーフィングを押しつけるのはナンセンスです。子どもたちが絵を描きたくないというのに無理に描かせるのも意味がありません。

 しかし「たいへんでしたね」と被災者に声をかけたとき、こころの中にある辛い感情を語り始めたのを無理にやめさせるというのもおかしな話です。子どもたちが無邪気に絵を描き始めたのに、無理にやめさせるのもかわいそうです。状況や人に応じて、もっと臨機応変に融通をきかせた対応をすればいいだけの話ではないでしょうか。

すべての人に通用する方法論などない

 アメリカの場合、誤った手法に基づくケアを受けたから悪い結果になったなどと訴訟問題に発展する可能性が非常に高くなります。それを避けるためには、ある一定のマニュアルを作る必要があるのでしょう。マニュアルに忠実な行動をとったという言い訳が訴訟リスクを下げるのです。

 私が主張するような臨機応変な対応によって、アメリカではむしろ莫大な損害賠償を抱えてしまう可能性は否定できません。しかし、果たしてそれでこころの通ったケアができるのでしょうか。

 日本でも、あらゆる人に通用する方法論を求めすぎているように感じられます。

 そもそも、すべての人に共通する方法論などあるのでしょうか。人によって、ある方法論が良い場合もあれば、良くないこともあると思います。

 診察室でも、多くの話を聞き出したほうがいい患者さんもいれば、何も聞かないほうがいい患者さんもいます。同じ患者さんでも、状況によって対応を変えなければならないケースは日常的に起こっています。それを見極めるには何回かおつきあいしなければならないと思います。対応を変えて相手の反応を見たうえでなければ、正しい判断は下せないと思っています。

 臨機応変。バランスをとる。こうした方法論は今や見向きもされません。

 これさえやれば治る、これさえやれば成長する、これさえやればうまくいく。その人に合っているかどうかわからないのに、極端な方法論しか受け入れられません。そしてその方法論は、やがて正反対の方向にある極端へと振れていきます。結局のところ、何を求めているのかわからないという釈然としない思いだけが残ってしまうのです。

[DIAMOND online/香山リカの「ほどほど論」のススメ]

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Posted by nob : 2012年03月25日 05:55