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幻想の民主主義、、、民主主義とは私達一人一人が自らの主義主張を持つことから、、、私達の未来を創るのは私達自身。。。
■山口県知事選の現場で感じた地方自治崩壊の危機
「脱原発の旗手」が県庁の闇にもたらした一筋の光
二井県政の継承を訴える山本候補
「人の熱気」は感じられない県庁前
こういう選挙を「県庁ぐるみ」というのではないか。そんな思いが募ってならなかった。山口県知事選挙を取材しての実感だ。
7月28日の午後7時すぎ、山口県庁前で待機した。周辺に人家はなく、閑散としていた。しばらくすると、車が次々に現れては県庁駐車場に吸い込まれていった。車から降りると皆、同じ方向へ歩き出し、一ヵ所に集まりだした。似たような服装の男性ばかりだった。
選挙戦の最終日となったこの日、山口市の最高気温は35.4度。夕暮れ時にもかかわらず、立っているだけで汗が滴り落ちる。100人ほど集まっただろうか。年配者が多く、いかにもお役人といった雰囲気が漂う人ばかりだ。顔見知りを見つけ、互いに挨拶を交わす光景がそこかしこで展開された。OBなど県の関係者と思われる。
日が沈み始めた頃、「山口に本気。」と書かれた幟が10本、登場した。準備が整うのを待っていたかのように選挙カーが県庁前に到着し、街頭演説が始まった。午後7時45分。自民党と公明党が推薦する山本繁太郎候補のマイク納めである。
「3月に立候補表明し、相手がわからない状況が続きましたが、6月に入って突然、3人(の候補)が出てこられました。厳しい戦いが続きましたが、ゴールはあとわずかです」
最初にマイクを握ったのは、山口県の二井関成知事。現職知事が目の前の県庁を指差しながら、こう演説した。その横に候補者が疲れた様子で立っていた。4期での勇退を決めた二井知事は山本氏を後継指名し、選挙カーに同乗するなど全面的に支援した。
続いて山本候補がマイクを握り、「山口県や県民を全否定する主張をしている人もいますが、つくり直すのではなく、積み重ねていくことです」と、二井県政の継承を訴えた。
そして、「県民の心を1つにして、山口を再起動します。希望に溢れる県政を実現します。県庁改革に全力を注ぎます」と、声を張り上げた。「継承」を掲げながら、「再起動」という言葉を何度も繰り返した。集まった聴衆から反応はそれほどなく、周囲は人の熱気ではなく、暑さで覆われていた。
山本候補のマイク納めは15分ほどで終了し、県庁前にできた人垣もあっという間に消えた。暑さや開会したばかりのロンドン五輪の影響もあっただろうが、これほど盛り上がりに欠けた最後の街頭演説に遭遇したことはない。県庁前に足を運んだのは、県関係者や取材関係者がほとんどだったのではないか。
自民党・官僚王国に起きた大波乱
待ったをかけた「脱原発の旗手」
山口県は、日本でも指折りの自民党・官僚王国だ。政権交代の嵐が吹き荒れた2009年の衆院選でも、県内4つの小選挙区のうち3つを自民党が押さえた。ちなみに自民党が落とした唯一の県内小選挙区(山口2区)の公認候補が、山本氏だった。
山口県では、知事ポストも自民党などが推すキャリア官僚のいわば指定席となっている。歴代5人の民選知事はいずれも中央官庁出身で、県の副知事などを経て(初代を除く)知事に就任している。
新知事は事実上、有権者が投票する前にどこかで決められていた。番狂わせが起きたことはなく、知事選の無風選挙が常態化し、投票率は3割台に低迷するようになった。今回も、そうなるものと見られていた。国土交通省出身の山本氏が後継指名され、そのまますんなりバトンタッチとなるはずだった。
ところが、告示直前になって大波乱が起きた。環境NPO代表の飯田哲也氏が出馬を表明し、知事ポストの禅譲に「待った」をかけたのだ。現状を打破するための政策を掲げ、有権者に争点を可視化させた。選択肢を提示し、実態的に失われていた投票権を復活させたのである。
「脱原発の旗手」として著名な飯田氏は、上関原発建設計画の白紙撤回を明言し、自然エネルギーを活用した地域活性化を掲げて「県政刷新」を訴えた。これに対し、山本氏はエネルギー問題にはあまり触れず、産業振興や雇用創出を掲げて「県政の継承」を主張した。
旧来型勢力 VS ボランティア
山本氏と飯田氏の戦い方は対照的
4人の候補の争いとなった山口県知事選は事実上、山本氏と飯田氏の一騎打ちとなったが、双方の戦い方も極めて対照的だった。山本陣営は、自民党や公明党、さらには100以上の業界団体の組織力を頼りにする旧来型選挙を展開した。
選挙対策本部長に自民党の県議会議長が就任し、自民党の旧56市町村の支部単位で地区ごとの選対を組織した。また、事務局スタッフには県のOBらが就任したという。
これに対し、飯田陣営は既成政党の支援を求めず、ボランティアによる選挙運動に徹した。全国各地から集まったボランティアの数は1000人を超えたという。
知事選の結果は、周知の通りだ。投開票日7月29日の午後8時にテレビ局が山本候補の「当選確実」で報じた。接戦になるかと思われたので、やや意外な感じがした。
山本氏が25万2461票に対し、飯田氏は18万5654票で、その差は6万6807票。組織戦を徹底した自民党と公明党が、出馬表明が最も遅かった飯田氏を振り切ったのである。
選挙結果を詳しく見ると、浮かび上がってくる点がいくつかある。1つは「保守王国」の土台の脆弱化だ。今回、有力対抗馬の出現に危機感を抱いた自民と公明の両党は組織を挙げて戦った。その結果として勝利を手にしたが、得票数はこれまでの知事選でワースト2位。絶対得票率も21%にとどまった。
近づく総選挙を意識して県内選出の国会議員も懸命に動き、県議や市町議もフル活動した。その上での得票数なので、保守地盤そのものが弱っていることを示したものと言える。
弱体化しているのは、県の存在も同様だ。原発の是非やオスプレイの岩国基地陸揚げといった国政の争点が重なり合い、山口県知事選挙の帰趨に全国的な関心が集まった。これまでの無風選挙と一転して激戦模様となったことから、投票率のアップが予想された。
話題に反して投票率はワースト4位
地方自治の危機に一石を投じた飯田氏
ところが、いざフタを開けてみたら、投票率は過去最低だった前回より8.11ポイント上回ったものの5割に満たず、45.32%にとどまった。山口県知事選挙史上でワースト4位の低さである。
県民にとって、県の存在が遠いものになっている現れと言える。「誰が知事になっても同じだ」と県政に関心をなくしている有権者が多い。地方自治の根底が崩れつつある危機的な状況だ。
地方選挙に風は吹きにくいと言われている。特に、外から風を呼び込むことは困難だ。選挙戦の終盤、「推薦者は山口県外の人ばかり。アーティスト・作家・経済評論家・女優・歌手……」「山口県のことは山口県人が決める!」などと書かれたチラシが大量に配布された。飯田陣営へのネガティブキャンぺーンである。
地元有権者の情緒に訴えるものだが、地方選挙ではこういう類が意外に効くのである。また、地方選挙では、投票権を持たない人たちが運動の前面に出過ぎるとよい結果につながりにくいというのも、通例だ。
しかし、出馬表明が遅れ、準備不足の中で、18万余りの票を獲得した飯田氏の奮闘ぶりは光る。山口県のみならず、日本全体を創り直さねばならない時期に来ているのは、間違いない。
[DIAMOND Online]
Posted by nob : 2012年08月13日 07:20