« 理解し合い協調し合うこと、、、成長から成熟した自由競争社会づくりへの第一歩、、、セーフティーネットがあってこそ健全な自由競争社会は成立する。。。 | メイン | ますます加速する富の偏在。。。 »

話し合い分かち合うことこそ唯一の途、、、今確かにそこにある現実。。。

■北方領土を歩いてきた
ロシア人と一緒に領土問題を考える

 日本と国境を接する近隣諸国と、領有権を巡って緊張状態が続いている。そんな最中の8月下旬、私は北方領土への「ビザなし交流団」の一員として、択捉島を訪れた。

 北海道・根室港を出発、択捉島の北西部にある内岡(なよか)港へと向かう船旅には、今年春に新調されたばかりの4島交流のための専用船「えとぴりか」号が使われた。


0001.jpg


 根室・納沙布岬を右手に、その向うに歯舞諸島が見える。この海域には日露間の境界である「中間線」が引かれている。納沙布岬からそのラインまでたったの1850m。むろん、無許可の船がラインを超えるとロシア側から銃撃を受ける恐れがある。

 我々の船も中間線近くまでは、海上保安庁の巡視船が併走してくれるが、境界近くなると、くるりと向きを変えて帰っていってしまった。


0002.jpg


エトピリカの群れに遭遇

 航海の途中はイルカが船と並走し、日本では絶滅寸前の海鳥エトピリカの群れにも遭遇。海から見る国後島、択捉島は起伏に富み、日本の北限に残された未知の自然にうっとりした。携帯電話を取り出すと、すでにロシアの通信会社の電波に変わっていた。

 深夜0時過ぎ、錨を下ろす音がした。濃霧に包まれた択捉島の影を確認できたのは、翌朝だった。

 寝ぼけ眼の私を覚醒させたのは、船の前に停泊するロシアの国境警備船だった。よく見ると、甲板に大砲がついている。北方領土におけるロシアの実効支配の現実を、上陸前に見せつけられた気がした。


0007.jpg


 北方領土の開発の現状については、後日、本誌にて詳述する。ここでは少し、択捉島のロシア人の暮らしを紹介しながら、領土問題の解決の難しさについて、考察してみたい。

「北方領土」に住むロシア人の声を聞いた

 「ビザなし交流」は、ソ連崩壊後の1991年に日露両国が合意し、文字通り、双方の交流団が「パスポート・ビザなし」で訪問できる枠組みだ。平和条約が締結されるまでの間、現地ロシア人と様々な交流を通じて、相互理解を深め、民間レベルで領土問題解決の土台作りをしていくことを目的としている。

 さて、私たちが択捉島に到着した日の午後、別飛(べっとぶ)地区に住むスタリスカヤ・ナターリヤ・ニコラエブナさん(26歳)とナターシャさん(25歳)の家庭に招かれた。スタリスカヤさんは択捉島生まれの島民2世。ナターシャさんとはロシア本土で出会い、結婚して択捉島に戻ってきた。2人は、 20年ほど前に勃興した財閥系企業の子会社で働いている。


0008.jpg

0009.jpg

0010.jpg


 彼らの平屋建ての家は、赤いペンキの壁が映え、築35年の家とは思えぬほどモダン。スタリスカヤさんは、我々が到着するのを家の外に出て、待っていてくれた。

 柔和な表情で、細やかな気遣いができる若きロシア人。ウオッカの酔いも進んで、あっという間に打ち解けていった。

 部屋のインテリアや会話の隅々から、この島での暮らしぶりを感じ取ることができた。ふと、ナターシャさんがメモを取っていたノートに目がいった。私も使っているちょっとお洒落なフランス製のノート「RHODIA(ロディア)」だった。裏庭には、極東ウラジオストクで買って運んできたという ISUZU(いすゞ自動車)の四輪駆動車が置かれていた。

 「日本車は最高だよ。極東には韓国車も入っているけど、クリル(北方領土)の人は日本車びいき。韓国車は誰も買わないよ」

 こうして、3時間ほどの対話が始まった。

「マクドナルドが欲しい」

 記者「ケータイはいつ繋がったんですか?」

 スタリスカヤ「2007年頃だったと思う。択捉島にもケータイショップができた。でも、ノキア製ばかりでスマートフォンはこの島では手に入らない」

 記者「インターネットもできるんですか?」

 スタリスカヤ「できるよ。でも、通信速度はとても遅い。SNSもやっているよ。テレビはパソコンの回線を使って見ている」

 記者「不便なことはありますか? 飲食店をあまり見ないけど」

 スタリスカヤ「2〜3年ほど前に比べれば、格段に商品の数が増えて便利になっている。でも、ロシア本土に比べればまだまだ不便。若者が楽しめる娯楽施設がないのがちょっと…。せめて映画館がほしい。カフェもね」

 記者「カフェは1店もない?」

 スタリスカヤ「ちょっとした居酒屋はあるけど、若者が語り合えるような場所がない。マクドナルドとかスターバックスがほしい」

 記者「東京はどんなところか知っている?」

 スタリスカヤ「東京スカイツリーができたのは噂で知っている。ぜひ、見てみたいね」
北方領土に「色」がついた

 彼らが話すように、ここ2年ほどの間に北方領土で暮らす人々の生活は飛躍的に向上した。これは、メドヴェージェフ政権時に打ち出された「クリル諸島社会経済発展計画」(2007年〜2015年)によるもの。約550億円もの巨費が島に投入され、舗装道路や空港、港湾、学校、病院などが突貫工事で作られていった(空港と港湾は建設中)。すると急激に島の経済が回り始める。

 ライフスタイルにも変化が起きた。インターネットが使えるようになると、世界中からモノが届くようになった。人々のファッションはカラフルになり、表情も明るくなった。そもそもロシア人の美意識は高い。建物の外壁にはペンキで色が塗られ、ヨーロッパの小村のような佇まいに変わった。

 だが、たった3年ほど前は別世界だった。トタン屋根に褪せた壁、そして窓ガラスの替わりにビニールを貼った粗末な建物ばかり。褐色に支配され、「負」のイメージが漂う島だった。

 1945年8月に旧ソ連が日ソ中立条約を破棄し、北方4島を占領して67年が経過する。しかし、「戦勝国」の立場で北方領土に進出して以降は、ロシアの最果ての島は、モスクワから見放され続けた。北方領土で暮らすロシアの人々の暮らしは、苦難の連続だったに違いない。しかしそれも、近年の「クリル発展計画」による投資効果で、「過去の話」になりつつある。

消える「日本遺産」

 スタリスカヤさんは、この地が領土問題の渦中にあることを知っている。しかし、旧ソ連時代は、1945年まで日本人が暮らしていた事実すら知らない住民が多かった。「領土問題について、まだ何も知らずに暮らしている人もいる」(スタリスカヤさん)。

 それもそのはず、旧ソ連による占領後、日本建築物のほとんどは壊された。現時点で北方領土に残る戦前の日本の名残は、択捉島にある鉄筋コンクリート造りの地震観測所と、ソ連兵が侵略してきたことを打電した郵便局の2つだけ。その郵便局も私が訪れた時には、屋根や壁がなくなり、強風でも吹けば跡形もなく飛んでしまいそうな有様だった。


0016.jpg


 訪問団は今回、択捉島の地区長宛に、郵便局の保全を求めた。しかし、ロシア側から見れば、「日本遺産」はなくなってしまったほうが、「実効支配」を進めるうえで都合がよい。当然ながら、先方から明確な回答は得られなかった。

 紗那地区の林の中にある墓地も訪れた。かつて日本人が埋葬されていた墓地だ。しかし、現在はロシア人墓地となっている。そのロシア人もあまり訪れた形跡がない。

 草をかき分け、林の中に入ると、草に覆われたいくつかの墓石を見つけることができた。割れたり、土や草に埋もれているものもあったが、刻まれた戒名や「明治」「大正」の没年を確認することができた。


0017.jpg

0018.jpg


 私もうっかり倒れた墓石を踏んでしまったほど、ひどい有様だ。いずれ、ここも郵便局同様、完全に林に飲まれてしまうことだろう。島が豊かになればなるほど、ロシア色は濃くなり、同時に、日本の面影は失われてゆく。

 さて場面は、スタリスカヤさん宅に戻る。日本人墓地の存在について、彼は知らなかった。

 そこで、思い切って私は、領土問題についての考えを彼らにぶつけてみた。「あくまでも個人的な考え」と前置きした上で、以下のようなやりとりがあった。

領土返還は「悩ましい問題」

 記者「領土問題について、どう思っているか」

 スタリスカヤ「私達にはどうしようもない問題だ。政府間で交渉してもらうしなかない。日本とロシアは隣人同士。クリル(北方領土)はなおさら距離が近い。領土問題でもめているのは、好ましいことではない」

 記者「仮にここが日本に返還されたら?」

 スタリスカヤ「とても難しい質問だ。日本がここより豊かな場所だということは分かっている。日本人がこの島に来て、お隣さんになるというのは面白い考えだし、歓迎する。日本人は大好きだし、友人になれる。しかし、ここがロシアでなくなり、日本領になるということになると、それは想像できない。仮に我々が追い出されないとしても、悩ましい問題だ」

 記者「日本とパートナーになれれば、生活はどう変わると思う?」

 スタリスカヤ「想像できないくらい便利になるだろうね。大きなショッピングセンターや娯楽施設ができるといいね。今、大陸から多少は日本のモノが入ってきているけれど、日本で買う3倍くらいの値段がする。Meijiのチョコレートは美味しいけれど、300円くらいするからね」


0019.jpg


 択捉島訪問から2週間後の9月8、9日。ウラジオストクで、APEC(アジア太平洋経済協力会議)が開かれた。極東で、各国の首脳会談が行われるということの意味、それはロシアの目が「西側(欧米)」ではなく、完全に「東側(アジア)」に向いていることを表す。

 ウラジオストクは北方領土同様、かつては自国民ですら立ち入りが制限されていた。しかし、今や世界でも有数の大規模な橋が掛けられるなど、モスクワ、サンクトペテルブルクに次ぐ第3の都市に名乗りをあげようという勢いだ。

 北方領土も、やがては本格的な極東開発の流れに飲み込まれていくことだろう。世界中からモノやカネ、ヒトが、島に入っていく。その中で、日本は領土問題でにらみ合っている限り、かの地に立ち入ることすらできない。

 グローバルに飲み込まれていく北方領土。スタリスカヤさんのいう「日本人はよき隣人」の関係は、いつまで続くというのか。

 北方領土は、間もなく、長い冬眠から目覚めようとしている。

[日経ビジネス]

ここから続き

Posted by nob : 2012年09月20日 11:14