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放射能、黄砂やPM2.5、核ミサイル、、、何時何処から何が降ってくるやら一寸先は闇。。。Vol.2

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■原発再稼働に向け政府が乗り越えるべき「三つの壁」
国民は原子力行政が「いつか来た道」を走ることを恐れている
田坂 広志

 筆者は、東京電力福島第1原発事故を受け、内閣官房参与として2011年3月29日から9月2日まで、官邸において事故対策に取り組んだ。そこで、原発事故の想像を超えた深刻さと原子力行政の無力とも呼ぶべき現実を目の当たりにし、真の原発危機はこれから始まるとの思いを強くする。これから我が国がいかなる危機に直面するか、その危機に対して政府はどう処するべきか、この連載では田坂広志氏がインタビューに答える形で読者の疑問に答えていく。シリーズの 2回目。

—— 現在、定期検査で停止中の関西電力大飯原子力発電所3,4号機の再稼働の問題が注目されています。この再稼働について、田坂さんは、どう考えられますか?

田坂:福島原発事故の後の原発再稼働については、新著『官邸から見た原発事故の真実』(光文社新書)において、玄海原発の再稼働の問題を論じましたが、大飯原発についても、申し上げるべきことは同じです。

 すなわち、再稼働において最も大切なことは、「それで、国民が納得するか」ということです。

 そもそも、現在、原発の再稼働については、
(1) 電力会社がストレステストの1次評価を行い、再稼働の申請をする
(2) ストレステスト意見聴取会で専門家による意見聴取がなされる
(3) この専門家の意見を参考にして原子力安全・保安院が安全性を審査する
(4) 原子力安全・保安院の安全性審査結果を受け、原子力安全委員会がこれを確認する
(5) 地元の自治体が再稼働に同意し、受け入れる
(6) 政府の四大臣で協議して当該原発の再稼働の可否を最終判断する
という手続きで進められています。

「ストレステスト」と「原子力安全委員会」の手続き追加で、国民は納得するか

 この手続きは、基本的に従来の原発再稼働において定められてきた手続きですが、福島原発事故を受け、国民の安心と納得を得るために、政府が暫定的に次の三つの手続きを付け加えたものです。

 第一は、新たに「ストレステスト」を導入することであり、第二は、「原子力安全委員会」が安全性の確認をすることであり、第三は、総理大臣、官房長官、経産大臣、原子力行政担当大臣の「四大臣の協議」によって最終判断をすることです。

 すなわち、これらの再稼働に向けての手続きは、あくまでも「暫定的」なものであり、福島原発事故を踏まえて、再稼働の手続きそのものを「抜本的」に見直したものではありません。従って、今回の再稼働の問題は、「その暫定的な手続きで、はたして国民が納得するのか」ということです。

—— なぜ、田坂さんは、「その暫定的な手続きで、はたして国民が納得するのか」と考えられるのですか?

田坂:端的に言えば、「今回の福島原発事故という深刻な事故を防げなかった3月11日以前と同じ法律で、同じ組織で、同じような手続きで、原発の安全性を確認し、再稼働の判定をする」ことが、国民の納得を得られる方法なのかという問題です。

 もとより、3月11日の事故が起こったことによって、突然、法律が変わったわけではないので、「現在の法律とルールに基づけば、この手続きで再稼働は認められます」と言えば、その通りであり、特にそれが法令違反ではないのですが、「それで、国民が納得するか」ということを「国民の常識的感覚」に則して考えてみるべきだと思うのです。
まだ究明されていない「真の事故原因」

—— 「国民の常識的感覚」に則して考えてみるべき、という意味は?

田坂:例えば、原子力安全・保安院が、「再稼働に向けて原発の安全性を確認した」というわけですが、そもそも、今回の福島原発事故の原因については、まだ「真相究明」は終わっていないのです。

 具体的には、政府事故調査委員会も、国会事故調査委員会も、いずれも最終的な調査報告を出しておらず、「何が事故の真の原因であったか」が解明されていない段階なのです。

 そして、「福島原発事故の真の原因」が解明されなければ、「新たな事故を防ぐための改善策と解決策」も本当には分からないはずなのです。その状況において、いかなる論拠をもって「安全性を確認した」と言えるのか。そのことを、多くの国民は疑問に思っているわけです。

 たしかに、緊急安全対策においては、「津波対策」や「電源喪失対策」などについては、それなりの追加対策が取られていますが、現時点では、「今回の事故は、津波と電源喪失だけが原因であった」という客観的な最終結論は、いかなる権威ある中立調査機関からも出されていないのです。

 すなわちこれは、いわば、原子力安全・保安院による「安全性確認の見切り発車」と称すべき状況なのですが、そもそも、こうした「結論ありき」の「見切り発車」の姿勢こそが、今回の福島原発事故の背景にある「組織的問題」であることを、多くの国民は敏感に感じ取っているのです。

そもそも、「原発の安全性」とは何か?

—— 田坂さんは、新著『官邸から見た原発事故の真実』においても、「人的、組織的、制度的、文化的問題」ということを、強く指摘されていますね。それは、どういう意味なのでしょうか?

田坂:原子力安全・保安院や原子力安全委員会は「原発の安全性を確認した」という言葉を使い、政府も「原発の安全性を確保する」という言葉を使いますが、このとき我々が理解すべきは、「そもそも、原発の安全性とは何か」ということなのです。

 原子力安全・保安院も原子力安全委員会も、そして政府も、この「安全性」ということを、「地震対策」や「津波対策」「電源喪失対策」などの「技術的安全性」という意味に限定的に考える傾向がありますが、実は、多くの国民は、そうした「技術的安全性」だけでなく、「人的、組織的、制度的、文化的安全性」を含めて、「最高水準の安全性」を確保して欲しいと思っているのです。

現在の原子力行政は「国民が信頼して任せられる人材と組織、制度と文化」になっているか

—— その「人的、組織的、制度的、文化的安全性」とは、もう少し分かり易く言うと、どういうことでしょうか?

田坂:分かり易く言えば、「技術的安全基準」が十分に満たされているかという問題以前に、その基準を設定し、安全性を審査する人材や組織、制度や文化が、国民から見て「信頼して任せられる人材と組織、制度と文化」になっているかという問題です。

 例えば、福島原発事故においては、想定を超える高さの津波が来る可能性については、東京電力は事前に知っており、原子力安全・保安院にも報告をしていました。また、全電源喪失の可能性についても、すでに、国会で議員からの質問がなされていました。それにもかかわらず、どちらも適切な対策が取られないで放置されてきた結果、この福島原発事故が起こったわけです。こうした問題にこそ、多くの国民は「不安」を抱き、「不信」を抱いているのです。

 従って、単に「技術的問題」を解決するだけでは「最高水準の安全性」を実現することはできないのです。政府が本当に「最高水準の安全性」を実現したいならば、現在の原子力行政と原子力産業の「人的、組織的、制度的、文化的問題」に果敢にメスを入れ、徹底的な改革をすることが求められるのです。

政府が「三つの壁」を越えなければ、国民の納得は得られない

—— では、この再稼働問題について「国民の納得」を得るために、政府は、何をするべきなのでしょうか?

田坂:少なくとも、次の「三つの壁」を乗り越えないかぎり、再稼働に向けて、「国民の納得」は得られないでしょう。

 第一は、「事故原因の徹底究明」です。
 これは、政府と国会の事故調査委員会の最終報告を踏まえ、今回の福島原発事故の原因を中立的、客観的な立場から徹底的に解明することです。ただし、先ほど述べたように、ここで言う「原因」とは、「技術的な原因」だけでなく、「人的、組織的、制度的、文化的な原因」を含めた原因の究明ということです。

 第二は、「責任の所在の明確化」です。
 福島原発事故から一年経っても、この事故を防げなかった行政としての責任が明らかにされていません。原因究明に伴って、責任の所在を明らかにし、しかるべき厳正な処分がなされるべきでしょう。その厳しい姿勢を政府が示さなければ、国民は、政府を信頼することができないでしょう。

 第三は、「原子力行政の徹底的な改革」です。
 事故原因の徹底究明に伴って、今回の福島原発事故の背景にある「人的、組織的、制度的、文化的な原因」が明らかにされていきます。その結果を踏まえ、これまでの原子力行政と原子力産業の徹底的な改革を行うことです。

 これら「三つの壁」を乗り越えないかぎり、本当の意味で、政府は国民からの信頼を取り戻すことはできないでしょう。そして、その信頼を取り戻さない限り、原発再稼働は、国民の納得を得られないでしょう。

国民が恐れているのは、原子力行政が「いつか来た道」を走ること

—— しかし、この「三つの壁」を乗り越えていくためには、かなり時間がかかると思うのですが、現実の電力需給の逼迫の問題と併せて、目の前にある再稼働問題に対処するにはどうすればよいのでしょうか?

田坂:いま申し上げたことは、原発再稼働に向けての政府の取り組みが「本来、どうあるべきか」という基本論です。

 すなわち、原発の再稼働の問題は、本来、福島原発事故の徹底的な原因究明がなされた後、原子力行政と原子力産業の抜本的な改革が行われ、新たに最高水準の安全基準が確立された後に、改めて問題にされるべきことなのです。

 そして、いかなる理由があろうとも、いかなる状況にあろうとも、政府は、この「本来、どうあるべきか」という基本論を、絶対に曖昧にしてはならないのです。

 なぜならば、政府が、この基本論を明確に理解し、遵守しようとする姿勢を示すことこそが、国民から政府への信頼を回復する唯一の道だからです。そして、その信頼が回復できれば、政府と国民の間に「現実を見据えた暫定的な方策」について対話をする余地が生まれてきます。その手順を誤ってはならないのです。

 逆に言えば、いま、多くの国民が最も懸念していることは、政界、財界、官界のリーダーの方々が、「そうは言っても、現実の電力需給は逼迫しているし、化石燃料のコスト増の問題もあるので」という理由により、「本来、どうあるべきか」の基本論を曖昧にしたまま、拙速な手続きで再稼働に走り込もうとしているように見えることなのです。

 いま、多くの国民が恐れているのは、再稼働した原発がすぐに重大事故を起こすかどうかという問題よりも、「本来、どうあるべきか」を曖昧にしたまま走る原子力行政が、また、「いつか来た道」を走り始めることなのです。

政府の「改革への姿勢」に注がれる国民の厳しい視線

 たしかに、電力需給の逼迫や化石燃料のコスト増などを考えると、原発再稼働の問題については、政府として、国民に対して「現実を見据えた暫定的な方策」について理解をお願いせざるを得なくなる可能性はあるでしょう。

 しかし、そのときに改めて問われるのは、原子力行政と原子力産業の改革に対する政府の姿勢です。

 国民は、政府が「本来、どうあるべきか」を明確に踏まえたうえで、敢えて現実的な問題への対処として「暫定的な方策」を語っているのか、「本来、どうあるべきか」を曖昧にしたまま、その場しのぎに「暫定的な方策」を進めようとしているのかを、しっかりと見ているのです。

 その国民の視線の厳しさを、いま、政府は理解されるべきでしょう。

(次回に続く)

[日経ビジネス]

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Posted by nob : 2013年04月15日 07:35