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矛盾が見え隠れすれども、、、言い得て妙。。。
■今の若者はプライドが高すぎる
“戦う哲学者”中島 義道氏に聞く
長谷川 愛 :東洋経済 記者
中島 義道(なかじま・よしみち)
電気通信大学元教授・哲学塾カント主宰
1946年福岡県生まれ。77年東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了。83年ウィーン大学基礎総合学部哲学科修了、哲学博士。専門は時間論、自我論。2009年電気通信大学電気通信学部人間コミュニケーション学科教授を退官。現在は「哲学塾 カント」を主宰し、延べ650人が参加した。著書は『働くことがイヤな人のための本』『私の嫌いな10の人びと』『人生に生きる価値はない』(以上、新潮文庫)など約60冊を数える。
「イマドキの20代が何を考えているのかわからない」。ため息混じりでつぶやく先輩方をどの職場でもよく見かける。世代間ギャップの議論は今に始まったことではないが、「ゆとり世代」と言われる若手社員が特にわからない、と悩む人は多いようだ。2012年のHR総合調査研究所の調査によれば、企業の人事担当者が持つゆとり世代への印象は、6割が「受け身」、4割が「精神的に弱い」と答えている。積極的に動かず、傷つきやすいと思っている先輩社員が多いということだ。
当然、やる気に満ちあふれたスバラシイ20代の若手社員も多いに違いないが、20代の生態はますますナゾに包まれていると言っていいだろう。
そこでこの連載では、東洋経済の次世代を担う20代記者が集結し、イマドキの20代に関係するトピックを、いろいろな角度から取り上げてみようと思う。先輩方が20代を知るキッカケと、20代の気持ちを代弁していきたい。先輩、20代のこと、どう思いますか?
笑顔の絶えない人が嫌い、いつも前向きに生きている人が嫌い、自分の仕事に「誇り」を持っている人が嫌い。普通の日本人が無意識に無視している世の中の違和感と徹底的に対峙し、“戦う哲学者”の異名をとる中島義道氏。折り紙付きの人間嫌いでもある。
中島氏の哲学の根底にあるのは、「どうせ死んでしまう」というぞっとする理不尽だ。生きていくためには働かなくてはならないが、就活戦線や若手ビジネスパーソンが働く企業で求められるのは、「明るく、コミュニケーション能力が高い人」ばかり。「無用な人付き合いは避けたい」「無理に周りに合わせるのはもう嫌だ」という20代はどこに行けばいいのか。「どうせ死んでしまう」のに、どうして嫌な思いをしてまで働かなければならないのか。中島氏に聞いた。
――日本の会社についてどう思いますか。
私はアルバイト以外に一般企業で働いたことは1回もありませんが、すごくわがままなので、どこの企業でも勤まらないでしょう。私が日本社会で特に嫌いなのは、会社というものが家族のように丸抱え式になっていることです。私は大部屋で働くだけで嫌ですよ。教授は研究室が与えられているので、ずっと鍵を閉めて、そこで寝転がっていることもできた。ノックされたって、開けないかぎり、いないことになっているのでよかった。
会社を全部個室にしてしまえば?
プレハブでいいから会社を全部個室にして、ごくたまにほかの社員と一緒であるようにしたら、かなりの人が就職すると思います。いつも後ろ向きな暗い人だけでできている実験会社を作ってみるのも面白いですね。社員食堂も何もなくて、行事やレクリエーションも行きたい人だけ行けばよくて、ほかの社員が来ているかどうかもよくわからないような(笑)。
――家に閉じこもって、1人でできる仕事を目指すのはどうでしょうか。
作家のような1人でやる仕事を多くの人が望むのですが、難しいですよね。今、芥川賞を目指す人が10万人以上と言われています。みんな尊敬されるタイトルが欲しいんです。東大を出ても金持ちにはなれないことは知っているけれども、「この人は東大を出た」という「知的なもの」としての評価を求めているんです。ここに哲学をしに来る人のひとつの理由は、「私はヘーゲルやカントを読みます」と言うと、なんとなく人を見下せるから。そういう人の多くは、すぐ辞めてしまうのですが。
――多くの日本人は、毎日好きでもないものを売ったり、何のためにやっているのかわからない仕事をしなくてはなりません。仕事で満足感を得るには、どうしたらよいのでしょうか。
他人から尊敬されるとしても「人間としてはすばらしいけれども、仕事はまったくできない」というのではダメで、生活の糧を得ている仕事を通じて他人に尊敬されなければならない。しかも、その仕事が生きがいのあるものであるか、あるいは自分のとても好きなことをするかでないと、満足できない。
誰でもできることをしておカネをもらっても、そんなに満足感を覚えません。コンビニの店員を一生やるのは大変でしょ。組織で、何々会社の何々課長であるということを除いたら何もなくなっちゃう人や、誰ともすぐに交換できてしまう仕事はつまんない。「哲学塾 カント」は幸か不幸かほかのものとは交換できないから、ほかの人がここをやってもダメですよ(笑)。
私は若いときから、「自分だから」読んでくれる、「自分だから」評価されるという者にあこがれていました。三島由紀夫が書いたカフカ論だから読む、このニーチェ学者の書いたのならいい、この演奏家の演奏だから聴く、というように。昔は学者になろうと思っていたけど、どんな優れた学者でも何百人のカント研究者の1人では面白くないと考えるようになりました。
――「好きなことをする」のほうですが、好きなことが見つからない場合はどうしたらいいのでしょうか。
それは“好きなこと”を絞っているからですよ。人に尊敬されることとか、親が納得することとか。そんなこと言ったらできるわけないじゃないですか。本当にのんべんだらりと生きたかったら、それに邁進すればいいんじゃないですか?
人生どうなるかわからないのに、初めから全部を決めてしまう変な青年がいて、「僕の理想には1000万円以上必要だから、辞めます」と言うんです。「なんでですか?」と聞くと、「東大を出て、博士課程まで行って、教授になるには1000万円かかるから」と言うんです。これはおかしいですよね。
今の若者はプライドが高い!
今の若者はものすごくプライドが高い。何の実績があるわけでもなくて高いんです。そのプライドはとても傷つきやすくて、20歳、30歳だったらまだかわいらしいけれど、40歳、50歳になっても何も評価されることをしていなくて、プライドだけ高くてもダメでしょう? 「プライドを持つな」と言うのは難しいから、どうしようもない。絶対に傷つかないで、プライドを満足させたいと思っている人が多いのです。
――好きなことはどうやって見つけたらいいですか。
私は考えたんです。(A)好きなことができるけれども、名誉も地位もカネも与えられない。あるいは、(B)好きなことはしてはいけないが、名誉も地位もカネもすべて与えられる。どちらを選ぶかと聞かれたら、私は(A)を選ぶ。それが「好きなこと」を知るひとつの試金石かな。好きなことができるのなら、ほかに何も求めないのだから、そのために挫折しても別にいいわけですよね。
65歳を過ぎた今、私は比較的好きなことをしています。優秀な若い哲学仲間(非常勤講師)が10人くらい来てくれる哲学の場があるのは、何にも代えられない宝ですね。初めから自分にそういう目標があったわけではなくて、「あれもだめだ、これもだめだ、それもだめだ」と思ってやってきているうちに絞られてきたんです。「哲学をやりたくてたまらない」と思っていましたが、この歳までとにかく続けてこられたのはまったくの偶然でしょう。
人を見ていると、好きなことをしている人は人間的に柔らかくて、とても気持ちがいい。一方、満ち足りていない人は、他人に害を加えるんですよ。「俺もできなかったんだから、お前もするな」「夢なんか持つな」となっちゃう。私は哲学をしたいという相談を受けたら、誰にでも「はいどうぞ、路上生活者になるかもしれませんがやってください」と言います。私は今、好きなことをしているから、他人があまりうらやましくない。確かに村上春樹みたいに売れたらいいと思いますよ。イチローだっていいけど、イチローみたいにはなりたくない。野球は大嫌いだし(笑)。
私は、自分が好きなことをして他人を喜ばせている人は、さらに褒美をあげなくてもいいと思っている。むしろ、危険な労働をしている人や人生でいわれのない苦しみを受けている人(たとえば被差別者、障害者など)に褒美をあげたほうがいい。ベストセラー作家や野球選手は、もう十分報われているから、そのうえ賞をあげることはない。
看護師や消防士の年収は1億円にすべき?
私の考えでは、看護師さんと消防士は年俸1億円。イチローは好きなことをやっているから500万円くらいでいい、それくらいの認識を持っています。私自身に関しても、名誉がついて回る仕事は全部やめようと思ってる。名誉教授も断ったし、すべての賞は辞退する。いかなる褒美もいらない。その代わり、他人が名誉あることで表彰されてもまったく無関心です。
――中島先生自身は4年前まで大学の哲学の教授として働いていらっしゃいましたが、就職する際に、絶対に譲れないと思った条件は何でしたか。
私は金持ちや有名にはならなくていいと思っていたのですが、自分の考えていることを言わせてくれないところはいやだと思ったんです。ほとんどの会社は言わせてくれない。 好きなことが言えるには哲学とか、文学とか、ある特権的な立場でないとダメでしょ。私が主宰する「哲学塾」では、少々身の危険がありますけれども、好き勝手なことが言えます。そういう言語が使えるということは、私にとっての「自由」のいちばん重要なところです。本当に自分が考えていることを言わないと、自分の言葉がなくなっていく。自分が何を考えているかもわからなくなってしまう。
最近は「絆」の大号令
現代日本は、疑いを持つにしても、みんなと同じ疑いしか受け入れてくれないし、ちょっと他人とずれると精神的にきつい。とても縛りが強くてストレスがたまる社会ですよね。特に最近は「絆」の大号令でしょ。「絆はいらない」とは言っちゃいけないんだよね(笑)。私はいわゆる「中二病」で、ある面であの頃から全然成長していない。だから私には若い人から「大人のくせにこういうことを言っていいのか」とか、「初めてはっきりと言ってくれる大人がいるのに驚いた」という手紙が来ることがあります。
ネット上で匿名で発言する人は、生身の体を張らずに、安全地帯で語っているから嫌い。私は匿名の言語はいっさい信じない。一方、作家はどんなバカな作家でも、私も含めて、刺されたり爆弾を仕掛けられたりするかもしれない。殺されないまでも、ものすごい失点を被るかもしれない。だからこそ、言語を発する権利があると思う。やくざの親分でも誰でも、名前を出して語るかぎり、匿名でどんなに立派なことを語る人より、批判も反発もされるから、えらいと思っています。
――好き勝手に言えることのほかに、仕事に求めていたことはありますか。
嫌な他人を拒絶できることですね。新入社員のように弱いと誰も拒絶できません。その人ににらまれて、会社での居心地が悪くなると思うから。「私はこういう信念で動いています」と言うためには、強くなくちゃいけない。そのためには、その会社が必要としている人であればいい。会社でうまくやるためには、できる社員になるしかないんです。そして社長になれば、「今日からみんな、“さん”づけにしましょう」など、かなり自分の好きなように変えられます。それまで、ある程度、耐えなくちゃいけない。
学問の世界でもそうですが、本当に誠実にやっている場合には、絶対に見ている人がいます。誠意を持って、仕事で能力を発揮してやっていると、少しずつ変えられるようになってくる。ホストクラブだって1番になればいい。1番のホストはかなり自由が利くと思う。でも100番とかではダメです。
昔から学校が大嫌い
――どのようにして、大学教授、そして物書きという仕事に納まったのですか。
私は子どもの頃からとても生きにくいと感じていました。学校が大嫌いでした。特に、運動会とか遠足とか掃除とか何とか大会とか、勉強以外のことはすべてなければいいと思っていた。自分の感受性が変わっていると気づいたのは、小学校2年生くらいじゃないかな。勉強はできましたが、すごくヘンな子でした。太った女の先生が、「皆さん笑う2年生になりましょう、ワッハッハ、ワッハッハ」と笑い出したときに、私は1人だけ笑わなかった。そうしたら先生が、「中島君、なんで笑わないの?」と聞いたので「バカらしいから」と答えました。嫌な子ですよね。
今だったら何とかかんとか症候群とか、いろいろ病名をつけられたと思いますよ。でも、勉強が好きで成績もよかったから、それでもっていたんでしょうね。
私は東大時代、文Ⅰから法学部に行かずに、クラス50人で1人だけ留年して、哲学をしようと思い教養学部教養学科(科学史科学哲学分科)に行きました。東大法学部卒だったら引く手あまたですけれども、そんなところに行ったってもちろん職なんか何もない。完全な落伍者じゃないですか。もちろん、親から何から、すべての人が反対しました。私自身も、法学部を捨てるということも、留年することも、親への初めての反発だったこともあって、天国から地獄に落ちるくらいの大ショックでした。でも、あれが自分の人生の正しい選択でしたね。
それから紛争が始まったりして、大学院で留年し、退学し、さらに法学部に学士入学し、さらに大学院に再入学し修士論文を書いて、しばらく予備校教師をしていましたが……。ウィーンに私費留学したときはすでに33歳でした。1979年、ジャパンバッシングのさなかでしたが。そこで日本人学校の非常勤講師をしながら、4年半で博士号を取って東大の助手になりました。その後、仲間たちがどんどん有名大学にポストを得て、自分は全然ダメだと思っていたときに、『哲学の教科書』(講談社学術文庫)が売れて、次々に本を書くようになりました。なぜか知らないけどね。そのときはわからない。でも、いつの間にかかなり危険な決断をしてきていました。自信があったわけではなくて、いつもどうにかなると思って。
妹が高校生から大学生になって、結婚して子どもを生むまで、私はずっと大学生でした。自分はこれまで引きこもりとか、マイナスのことを全部やってきたんですけれども、ウィーンに行ってから今に至るまでに体験的に知ったことは宝です。こんな体験をすると、ほとんど何も怖くなくなる。4年前、定年を迎えずに大学を辞めました。知らなかったのだけど、途中で辞めたので退職金を800万円引かれちゃった(笑)。
若者よ、思い切ったことをしよう
――今の若い人たちも、安全なことばかりでなく、思い切った選択をすべきですか。
ゆとり世代の人は生活に困らないからこそ、かなり若いうちに身体を張って自分自身の好きなこと、あるいは特別に好きじゃなくても、何か自分が有意味だと思うことに対して邁進してみて、失敗すればいいと思いますよ(笑)。そのほうが、何もしないより「失敗という体験」が残ります。私は33歳でウィーンに行きましたけど、53歳じゃやっぱり行けませんよね。
わがままをしていると、必ず人と対立するし傷つきますが、それでもなるべくわがままをすべきだと思う。そしてうまくいかなくてもいいじゃないですか。自業自得ですから。わがままを抑えている人生なんてつまらないじゃないですか。若いときを振り返ればそれなりに懐かしいけど、大変でしたね。でもマイナス面には何かプラス面が必ずある。今となっては、本に恨みつらみを書けますからね。
作家たちもそうかもしれないけれども、表現者ってむしろマイナス面を生かしている形が多いわけですよね。私も今生きていることや、死ななくちゃいけないということが納得できないから書くわけです。これまでに60冊書きましたが、まだ本当に書きたいことを何も書いていませんよ。
昔はとても暗くて生きやすい時代だった
――そもそも働きたくない人はどうすればよいのでしょうか。
働きたくない人は、実はほとんどいないと思いますね。働かず、朝から晩まで寝ていても、遊んでいても、面白くないもん。ただ、若い人にとっては職場の人間関係が大変なんですよ。そして、今の若い人は人間関係に対するスキルを磨いていないから、たちまちくたびれてしまい、会社を辞めてしまう。
私たちの時代は、とても暗い時代で生きやすかった。ほとんどの人がしたいことができませんでした。大学に行けた人は当時2割くらいでしょうね。 1965年に東大に入ったのですが、授業料が月に1000円。それすら払えない人もいて、ほとんどの者はすごく貧しかった。夏には白いワイシャツと黒いズボンで3カ月通し、冬でもオーバーを着られないという学生もいました。まだ炭鉱事故があったし、東北では飢饉があって、貧乏ゆえの悲惨な事件がたくさんありました。
でも、そういうきつい時代は、今の時代のような不幸がないかもしれない。おカネを儲けるなど、毎日の生活を維持することが最高の価値ですから、それで気が紛れるんです。人生の目標は「どうやったら飢え死にしなくて生きていけるか」というイメージだったのです。今の社会では、すべての人が大学に行ける。おカネにも余裕があって、自分で車も買えるし、女の子たちを喜ばせるいろいろな物を獲得しうる。すべてチャンスは与えられている。だけど負ける人がいる。これはきついですよね。
今の若者が欲しているもの
こういう社会では、労働で勝ち得たものや努力して得たものには、比較的価値がなくなってしまう。われわれの世代は、豊かな生活とか、権力を持ちたいとか、有名になりたいという欲望が露骨にあったんですけれども、今の若い人は、車も液晶テレビも海外旅行も別に欲しいと思いません。
――今、価値があるものとは?
今、すべての人が欲しいのは、広い意味の「知的能力」でしょう。成熟した脱工業社会の日本では、もはやほとんどの人には大学に行って知的職業に就くしかありません。誰にとっても要求されることのレベルがものすごく高くて、英語もコンピュータもできるのが当然になってしまっている。ところが、人間は生物でそんなに急激には進化しないから、頭の悪い人はいっぱいいるでしょうし、基本的には変わらないんですよ。
結局は、頭がいいとか、育ちがいいとか、男ならかっこいいとか、女ならかわいいとか、素質的なものに価値が置かれるようになる。
――素質で勝負するようになると、もう能力差は最初から変えられないのでしょうか。
変えられないこともないけれども、どんな努力をしても歴然とありますね。中学、高校くらいになると必ず負け組ができるでしょう。とてもかわいらしくてみんなに好かれる子と、比較的嫌われる子が出てくる。これはもう、初めから勝負はついていますよね。
それ以上に、今はコミュニケーション能力が欠けていると、とても生きにくい社会です。今の若い人たちは大変だなあと思います。こういう社会に適応した人は楽だけれども、適応しない人はみじめでしょうね。
「便所飯」は何を表しているのか
――日本は高校までは強制的に集団生活ですが、大学は比較的自由です。それに慣れて、会社に入るとまた大変です。
大学はそうですね。でも、大学でもトイレで食事をする学生がいると聞きますが、ああなっちゃうのは困りますね。その背後には、やっぱりみんな一緒という雰囲気があると思います。口では「みんな違って、みんないい」と言いますが、実はこんなことは全然教えていない。日本人は集団性をものすごく尊びますが、もうあんまり実情と合わなくなってきている感じがします。
私の息子はウィーンで5年間暮らしたのですが、まず日本人学校にやったんです。うちの子は変な子だから、そこにうまく適応できなかった。先生が「ボランティア活動をしましょう」と命令すると、うちの子は「ボランティア(自由意志)だからしなくていいでしょ」と言って怒られる。スクールバスに乗らないと怒られる。ほかの子どもと一緒に食堂で食べないといけないし、サッカーの練習も1人でやってはいけない。
それで、半年後に生徒が70カ国くらいから来ているアメリカン・インターナショナル・スクールに転校させました。そこでも息子は同じことをしたんですよ。うちの子がパンを買ってどこかで一人で食べていても、先生たちは「なんでそれが問題なのですか?」と言うんですね。食事は食堂で食べてもいいし、弁当を持ってきてもいいし、食べなくてもいい。スクールバスに乗らなくてもかまわない。遠足にも行かなくてもいいんです。
選択肢がすごくあるから救われるんです。言いかえれば、多様性です。極端に言えば、「もう学校なんかなくなっていい」という意見もある。1日6時間も子どもたちを檻に入れるなんて、おかしいじゃないですか。高齢者介護のように、自宅に教師を派遣したっていいじゃないですか。
――今の若者は社会になじめないのか、仕事もすぐ辞めるし、弱いと言われます。
昔の人は体罰もあったし、皆から罵倒されたり、お互いけんかしたり、差別発言もいっぱいあったりする中で生きてきました。荒っぽかったけれども、誰もが若いときから、世の中は不合理で理不尽であることを学んでいました。どんなに勉強がしたくても、「ダメだ! 高校を出て働け!」と親から言われたり、「長男は東京に出ちゃいけない」と命令されたり。私のように、巧みに親をだましながら好きなことをやってきた人もいますが、大多数はあきらめました。社会と大人の圧力によって、虐げられていたのです。それは人類始まって以来、ごく普通のことなのですけれどね。
100万人以上の引きこもりは社会への抵抗
ところが、今は中学や高校の段階であきらめることができずに、こういう現実的なコミュニケーション能力を学んでこなかった人がかなりいます。これは 40歳からは学べません。しかられて鍛えられたことがないから、他人の顔色も読めず、今の雰囲気もわからない。バイトをしても勤まらない。ある青年は「店長に敬語を使いなさい」と言われると、「あなたも私に敬語を使いなさい!」と答えて、怒鳴られ、どうしていかわからなくて泣く。新入社員に対して上司がちょっと怒るとすぐ辞めてしまう、ということもよく言われています。
こうした現象はその人たちの責任ではなく、社会全体の責任かもしれない。私は100万人を軽く超える人数の引きこもりが家で寝ているというのは、こういう社会に対する「どうしてくれるんだ!」という抵抗だと思います。豊かになるとこうなるし、豊かじゃないときにはそれなりの不満があるし、つまりどうやってもダメなんですけれどね。
――迷える若い人が講演会や自己啓発本などから学べることはありますか。
私は他人の意見は何も参考にならないと思っている。各人それぞれ違うから。だから、わざわざそんなところによく行くなぁと思っています(笑)。講演会に行ってもしょうがないじゃないですか、他人のことなんだから。他人はちらっと参考にするくらいはいいけれども、自分に何の適性があるかは、自分自身でしか決められませんよ。
[東洋経済ONLINE]
Posted by nob : 2013年05月21日 07:28