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依存従属からの脱却がすべての始まり、、、副業、正確には並業・複業のすすめ。。。VOl.2

■初任給から始まる不幸 ~サラリーマンに会社の本質は見えにくい~
永松 和洋

・前置きです。

ポスドクの人間にとっては、就職氷河期は今に始まったわけではなく、っと続いたままです。ならば、学部を卒業して、大学院(修士課程2年、博士後期課程3年)になんて、学しなければいいじゃないかって、言われそうですが、それでも行く人は行きます(笑)。

好きなことを仕事にできるってすばらしいことなので、ある意味、夢を追いかけているという面があるかと思います。

もちろん、就職がないといっても、ゼロではありません。公募というものがあり、定員1人のところに、50人とか100人とかが応募してくるわけです。

それを通らないと、大学の教員や研究機関の一員にはなれません。更に、任期付のポスト(2年から5年程度)も多いので、任期が終われば、放り出されます。

サラリーマンも、会社にリストラされる、会社が倒産するという恐さは、常につきまとっているかもしれません。いつ来るかわからないという心配がありますが、その点、もしかしたら、ポスドクの任期付の方が、初めから明らかになっている分、よいのかもしれないという見方もできます。

いずれにしても、うまくいっているうちに、次の一手を考えたいものです。会社に組織に完全に人生を委ねてしまう前に。

ポスドクについての考えは、「ポスドクのいくつく先」というタイトルで以前に書かせていただきました。

・本題です。

これは、以前から疑問に思っていることです。新入社員として会社に入って、 すぐに給料がもらえるというのは全くおかしな話だと思います。新入社員は、平たく言えば、創業者なり、経営者が苦心して作り出した金儲けの仕方を教えていただく、その輪の中に入れていただく立場にいるわけで、中には即戦力としてすぐに仕事をばりばりできる方もいると思いますが、そうでない方が多いと思われます。

教えてもらう身分なのに、いきなり給料がもらえるってどういうことなのでしょうか?確かに景気を良くしていた時代には、良い人材を早々に確保すべく、当たり前のことだったかもしれませんが、これからは違うような気がしています。

なんとなく会社で時間を過ごして、収益を生み出している、いないにかかわらず、一律給料がもらえてしまう事実こそ、

会社にしがみついていれば、とりあえず、給料がもらえるという幻想、錯覚を与えてしまうことになるのではないでしょうか。

なので、自分でしっかりと、結果を出す(商品・サービスを提供して代金をいただく、もしくはその輪の中の一員となる)ようになれるまでは、給料がゼロか、むしろ、会社へ授業料を払ってもいい んじゃないでしょうか。

情報の取り方って、無料か、自分がお金を払うかによって、目の色が全くかわりますよね。

高校や大学へ行って習うことよりも、すぐに役立つことを会社は教えてくれるわけです。高校や大学には平気で学費を払っているわけですから、それ以上に役に立つことを教えてくれる会社に支払っても何ら不思議はないです。

医者や弁護士、フランチャイジーになろうと思ったら、その前段階が大変なわけで、当然、時間も費用も多くかかります。

本来ビジネスにおいて、結果が出なかった場合、どんなに頑張ったとしても1円にもならない。なのに、サラリーマンをしていると、結果がでなくても、給料がもらえてしまう。

不動産の仲介業者を見ていると、大変な仕事だといつも思います。確かに一発当たると大きいかもしれませんが、基本的には、0か1の商売ですね。どんなに色々動いて頑張ったとしても、売買成立まで辿りつかなければ、本当に1円にもならないわけです。

野球でピッチャーゴロを打って、一塁まで全力疾走したんだから、給料をもらえてしかるべき という考えをまず捨てなければいけないかもしれません。

また、たとえ自分がヒットで塁に出たとしても、後続のバッターが、自分をホームに帰してくれなければ(ホームスチールという手段もあるにはありますが)、点(結果)にはならないわけです。

そう思うと、会社って本当にありがたいですね。

自分がうまくいかない時や休んでいる時でも会社がカバーしてくれますし、更に、直接、結果に絡んでいない立場にいたとしても、
しっかり給料がもらえるわけで、そこがサラリーマンには見えにくいし、会社全体の中での自分の立ち位置というのも大企業になればなるほど、見えにくいのだと思います。

社長にならなくても会社全体を見渡せる、会社の仕組みがよくわかるという意味では、中小零細企業、ベンチャー企業の方が圧倒的によいように思います。

給料を上げてほしいと経営者に言ったとしますよね。これは、八百屋さんが、お客さんに向かって、うちの大根を100円じゃなくて、200円で買ってよ!と言っているのと同じだと思ったりもします。

サラリーマンは、労働力の 対価として、給料を受け取るわけで、会社に時間と労働を売っていることになるので、とりあえず、会社に 「毎度ありがとうございます」と言うところから始まるように思います。

飲みに行って、会社や上司の悪口を言っても始まりませんね。いやなら、他の会社へ行けばいいだけの話だと思います。私はいつも感謝でいっぱいです。

本来、会社が存続できる理由って、収益を生み出す仕組みを作り出す過程で、多くの失敗があり、その中から、うまくいったものがあるからこそ、存続できるわけで、商売がうまくまわっている輪(会社)の中にいきなり入ってしまうと、それが当たり前だとおもってしまうわけです。

その仕組みなりノウハウの賞味期限がどんどん短くなってしまっているというのが現状であり、同じことをやっていて、儲けられる時代ではなくなってきているということですよね。なので、個人レベルでも、次の儲かる仕組みを考えていくという姿勢が大切なんだと思います。会社にしがみついていられるうちに。

既存の会社に就職するという行為は、楽をして所得を得ようという行為であり、その裏には、経営者の多くの失敗があり、その上に会社が成り立っているということを知る必要があると思います。

[誠ブログ]


■「失敗が悪」から「失敗しないが悪?」の時代へ
永松 和洋

小中学校で習った国語の科目の中で、大嫌いなことが2つあります。

一つは、「自然」の反対は「人工」
もう一つは、「成功」の反対は「失敗」

です。これは、どちらも うそ ですね。
後者について考えたいと思います。

最先端の科学(研究開発)の世界は、常に試行錯誤の連続です。
たとえ、1回たまたま成功したとしても、
次にはその再現性が問われます。

その再現性が問われた後は、
今度は、別の角度からの検証を行います。

更に、「いつ」「どこ」「誰」というファクターに
依存せずに、再現するかが問われます。

それで、ようやく科学になります。

従って、先の日本人のノーベル物理学賞の
小林・益川先生が論文を発表してから受賞までに、
30年以上もの年月を要するわけです。

なので、ビジネスの世界で、「法則」なんて
言葉が使われることには、強い違和感を覚えます。

お隣で、一日に、アンパンが1000個売れるとしても、
自分の家で同じようにアンパンをつくっても、
1000個売れないですよね。

さらに、今日、アンパンが1000個売れても、
明日も1000個売れる保証はどこにもありませんよね。

従って、ビジネスの世界に法則はありえません。
ありえるとすれば、
残るのはマインドくらいのものでしょうか。

法則とかノウハウとかいう言葉を使われる時には
ほとんど成功例しか示されず、失敗例が全然ないのか、
あるとすれば、その割合はどうなのかも示されないと
信憑性がありません。

「成功」の反対が「失敗」ということの他に、
「失敗は成功の元」という相反する言葉もありますね。
失敗すればするほど、成功にどんどん近づくわけです。
成功してないと思ったら、
それは、ひとえに、失敗が足りないのだと思います。

実際には、「成功」の反対は、「失敗」ではなく、
「成功」の反対は、「何もしない」 ですね。

我々は、子供の時から、「失敗は悪、間違いは悪」という
教育を常に受けてきましたし、そう信じてきました。

ところが、ビジネスの世界でも、最先端になると、
科学の世界と同じで、試行錯誤の連続なわけです。
答えなんて、わからないので、最初から正解は
原理的にありえません。
つまり、どんどん失敗をしないといけないわけで、
リスクを取る という意味にも通じると思います。

逆に、たまたまうまく行ってしまうと
疑いたくなります。何か見落としているのではないかと。

自分の場合は、不動産を通してなんとなく実感できます。
一方、1人で、try & error を実践できるので、
大家さんは、身軽な経営者だという面もあります。

ではなぜ、「失敗は悪」という文化が根付いて
しまっているのでしょうか。

それは、既に確立されたことについて習って、
それを教わった通り実践する場合、
失敗したら悪になるわけです。

生徒が学校で教わったこと、
サラリーマンが会社で教わったことを
そのまま実行する場合に相当します。

つまり、「失敗が悪」という立場の人が
多いからだと思います。

一方で、経営者は、次の新たなビジネスを
考えていかなければいけない立場にいるわけで、
サラリーマンとは正反対の資質が要求されます。

つまり、ひたすら、試行錯誤を繰り返し、
ビジネスを構築していく必要があります。
既存の収益システムが破綻する前に。

逆に言えば、
うまく収益が回っているシステムは
人任せにできるわけです。
そのシステムの中で生きているのが
サラリーマンですね。

ただ、サラリーマンがその立場から脱却し、
先のプログで述べた「時間」と「労働力」以外の
要素を新たに見つけようとすると、
積極的にリスクを取り、失敗をしていかないと
いけないことを意味します。

なので、「失敗が悪」ではばく、
「失敗しないが悪」
ということになるわけです。

もちろん、最初は、小さく失敗することが
肝要です。

このことは、研究開発の世界で、
まず、プロトタイプを作って試すということにも
通じます。

日本という国は、どうも
失敗について寛容でない
という面があると思いますが、
それは、サラリーマンの多さにも
依存していると思っています。

もう一つ、最先端の世界は、
政治の世界です。

政治の世界の難しさは、
最先端であるにもかかわらず、
試行錯誤をしずらいことです。

今回の米軍基地の問題もそうですね。

おそらく、どの人が首相になったとしても、
鳩山首相と同じような結論になってしまうのではと
思うのですがどうでしょうか?

日米関係、国際関係、様々な要因を
高いところから眺めて、考慮してもなお、
思い切った政策を取れるなら、
是非、その方に首相をお願いしたいです。

誰になんと言われても、政権を取っている間は
ご自身の信念を貫いていただきたいです。

選んだ方の責任でもあると思います。

後だしジャンケンのような批判はいくらでも
できますから。

失敗に対して寛容になること が
日本という国の将来を考える時に
重要な資質の一つだと思っています。

「うまくいった、いかない」は、一朝一夕には判断できませんね。

時間軸についての考えは、また書きたいと思います。

[誠ブログ]

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Posted by nob : 2013年12月01日 12:12