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彼の真意がどこにあれども、、、脱原発への影響力に期待。。。Vol.27

■都知事選 細川元首相、出馬へ 来週、正式表明、小泉氏とも会談

 東京都の猪瀬直樹前知事の辞職に伴う都知事選(23日告示、2月9日投開票)で、細川護煕元首相(75)が立候補を決断したことが10日午前、複数の関係者への取材で分かった。来週、正式表明する。「脱原発」を主張する小泉純一郎元首相と週明けに会談し、支援を取り付けたい意向だ。

 細川氏は10日、周辺に「出馬を決断する状況になった」と語り、都知事選出馬に向けた準備作業を本格化させる決意を明らかにした。

 細川氏は「脱原発」を争点に、幅広い支持を得たい意向とみられる。このため特定政党の推薦や支持を得ず、無所属で選挙戦を戦う方針だ。

 公約では「脱原発」や財政改革などを柱に訴える。細川氏は東日本大震災以降、脱原発の立場から発言を繰り返しており、年明けには、周辺に「東京都は東電の株式を多数保有している大株主だ。影響力は大きい」と話していた。

 細川氏は昨年、小泉氏と会食し、エネルギー問題で意見交換、脱原発で一致した。都知事選でも、有権者の注目度が高く、脱原発の立場を取る小泉氏の協力を得たい考えで、来週にも小泉氏と会談し、支援を要請する。

 細川氏は熊本県知事を2期務めた後、日本新党を結成。平成5年8月から6年4月まで首相として非自民8党派による連立内閣を率いた。10年に還暦を区切りに政界を引退し、陶芸家として活動していた。

 都知事選にはこれまでに、舛添要一元厚生労働相(65)や日弁連会前会長の宇都宮健児氏(67)、元航空幕僚長の田母神(たもがみ)俊雄氏(65)らが立候補の意思を表明している。

[産経新聞]


■細川氏、14日にも小泉氏と会談

 東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)への立候補の意向を固めた細川護熙元首相(75)が、「脱原発」で連携を模索する小泉純一郎元首相(72)と14日にも会談することが11日、分かった。支援を要請するとみられる。関係者が明らかにした。細川氏周辺には小泉氏の支援確約を立候補の条件にすべきだとの意見があり、会談が実現すれば正式表明に向けた環境整備が進む形になる。

 細川氏の陣営は既に都内に事務所を構えており、主要政策として脱原発のほか、社会保障の充実や海外との都市間交流促進などを盛り込んだ包括的な公約づくりに着手。2020年東京五輪の在り方についても考え方を示す方向だ。

 かつて細川氏の秘書を務めた日本維新の会国会議員団の松野頼久幹事長は11日、地元・熊本市内での会合で「細川氏が立候補するなら、はせ参じたい」と述べ、個人的に支援する考えを表明した。日本維新は石原慎太郎共同代表が元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)を支援しているが、党は自主投票を決めている。

 一方、細川氏を「最有力候補」と位置付ける民主党は11日の都連選対会議で、細川氏には推薦などを出さずに「勝手連」として支援する方向で調整を続ける方針を確認した。都連会長の松原仁国対委員長は「政策面でどのような関係をつくるかを詰めたい」と述べ、細川氏側の公約づくりを注視する意向を示した。

 都知事選には田母神氏のほか、自民、公明両党が支援する舛添要一元厚生労働相(65)、前日弁連会長の宇都宮健児氏(67=共産、社民推薦)と発明家のドクター中松氏(85=本名・中松義郎)らが立候補を表明している。(共同)

[日刊スポーツ]


■小泉「原発即ゼロ」要請は無視されたのか!?

田中秀征 [元経済企画庁長官、福山大学客員教授]

 経産省は12月6日に、中長期のエネルギー政策の方向を示す「エネルギー基本計画」の原案を発表。一部修正を経て年内に最終案を固め、年明けに新しいエネルギー基本計画を閣議決定するという。

 原発を「重要なベース電源」と規定した原案はその後「基盤となる重要なベース電源」と修正。事故以前の「基幹電源」の表現より原発重視が一段と強まった印象を受ける。また原案は「必要とされる規模を確保」として新増設を容認、原発依存を拡大する方向を示している。

 要するに、原発政策は原発事故以前の姿に戻ってしまったのだ。

 これに追い打ちをかけるように、17日、放射性廃棄物の最終処分に関する関係閣僚会議が新設され、首相官邸で初会合を開いた。

 この席で安倍晋三首相は「将来世代に先送りせず、関係閣僚が一丸となって(最終処分場の設置を)推進してほしい」と強調した。

 これは誰が見ても小泉純一郎元首相に向けたポーズに映る。それこそ、単に努力を偽装するもので、見えすいた先送り手法である。もちろんこんなことであの小泉氏が納得するはずがない。むしろ火に油を注ぐようなものになるだろう。

「トイレのないマンション」を流行語にして、最終処分場問題に関心を集中し、「原発即ゼロ」を唱えて譲らない小泉元首相には、四方八方から矢が浴びせられている。

 その中でも最も強い批判は、彼が「代案を示さない」ことであり、将来の経済や国民生活に「無責任で楽観的過ぎる」ということのようだ。

 これに対して彼は「必ず知恵のある人がいい案を作ってくれる」と言って押し返している。それに小泉氏はかなり具体策(『小泉純一郎の「原発ゼロ」』山田孝男著)も示して反論していることに驚く。

小泉純一郎と石橋湛山の共通点

 孤軍奮闘する小泉氏を見て、私は戦時中の石橋湛山元首相を思い出す。

 石橋湛山は、戦後昭和31年に首相に就任したが、病気のためわずか2ヵ月後に退陣した。

 戦前、彼は言論人として大正期から雑誌東洋経済を舞台に軍部に抗してまで堂々と論陣を張った。

 戦争末期の昭和19年になって当時の大蔵大臣は、密かに省内に「戦時経済調査室」を設置し、戦時ならぬ戦後の経済について経済専門家たちに検討させた。石橋湛山もそのメンバーであった。

 昭和20年に入るとヤルタ協定の内容が明らかになり、戦争に負けると国土が4つの島に限られることもはっきりしてきた。

 メンバー誰もが、国土狭小、資源欠乏、人口過密な日本が4つの島でやっていけるとは思わなかった中で、湛山だけは「4つの島になったら、4つの島で食っていくように工夫すべきであるし、やり方によってそれはできる」と強調した。

 同じくこの会のメンバーで、戦後一橋大学の学長を務めた中山伊知郎は、晩年になって戦時の湛山について語っている。

「正直なところ私にはどうしていいか分からなかった。4つの島で、この大きな人口を抱えて、これからどうしていくのか」

「4つの島での生き方を徹底的に考えていた石橋さんには歯が立たなかった。議論ですでに負けたし、その後の事実の進行では、いっそうはっきり負けた」

「日本の経済が、敗戦の焼け跡から立ち上がり、復興し、成長する各段階ごとに、私はこのことを思い出す」

 かつては第一級の学者が心底から「かなわない」と敬服する政治家もいたのである。

 湛山はそのための多くの条件を示しているが何よりも「国民の全力を学問技術の研究と産業の進歩にそそぐ」必要を説いた。

 小泉氏の「原発ゼロでやっていこう」という声は、「4つの島でやっていこう」という湛山の声と重なって聞こえる。そしてそれが可能であるとする根拠は共に、日本人の不屈の精神力、最先端の科学技術、優れた人材に対する確信にあるのではないか。

 小泉氏は、日本が敗戦のピンチをチャンスに変えたように、震災のピンチをチャンスに変えようと言っているのだ。日本人ならそれができると信じているのだろう。私もまたそれを信じている1人である。

 もう1つ小泉純一郎と石橋湛山の顕著な共通点は、大きな挑戦に際しても単騎出陣をいとわないところだ。

[DIAMOND online]


■「原発の講演、やるよ」 小泉純一郎元首相が自民党に 執行部は警戒

政界を引退した小泉純一郎元首相が、原発についての講演を、依頼されればやるとの意向を自民党に伝えていたという。朝日新聞デジタルが報じている。

「原発即時ゼロ」を訴えている小泉純一郎元首相が昨年12月、自民党の石破茂幹事長に「党から要請があれば、原発政策について講演をしてもいい」と伝えていたことがわかった。原発政策で古巣を揺さぶろうとする小泉氏の存在に、党執行部は頭を悩ませている。

(朝日新聞デジタル『「原発の講演、やるよ」 小泉元首相、自民に売り込み』より 2014/01/10 05:00)

小泉元首相は2013年、「原発推進は無責任」として、脱原発への姿勢を明確にしていた。東京都知事選に立候補するとされている細川護煕元首相も脱原発を主張しており、小泉元首相との連携を模索。動向が注目されている。

細川氏は、原発の再稼働や海外輸出を進める安倍政権を批判している。立候補した際には「脱原発」を最大の争点にする意向だ。このため、同じく「脱原発」を掲げる小泉氏との連携を重視。小泉氏からの支援を受けられるかどうか慎重に見極めている。

(朝日新聞デジタル「細川元首相、都知事選候補に浮上 「脱原発」争点に」より 2014/01/09 05:12)

[ハフィントンポスト]

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Posted by nob : 2014年01月12日 15:29