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現実はこのコラムの論旨に沿ってなどいない。。。
■原発という『パンドラの箱』の正しい閉じ方
日本が進めるべき『原子力平和利用の輸出』
石川和男 [NPO法人 社会保障経済研究所代表]
エネルギー基本計画策定
未だ散見される感情論
既に忘れかけている読者も多いのではないだろうか。
昨年から新聞・テレビなど政治やマスコミが総出で大騒ぎしながら注目されていた「エネルギー基本計画」が4月11日に策定された。これは2002年6月に制定されたエネルギー政策基本法に基づき、少なくとも3年に一度の頻度で見直しの検討が行われることになっている。
2003年10月に第一次計画が策定された後、2007年3月に第二次計画、2010年6月に第三次計画が策定された。今回は第四次計画に当たる。
これに関する主要マスコミ各社の報道ぶりについて、速報の見出しはそれぞれ以下の通り。
・日経:政府、エネルギー基本計画を閣議決定 原発「重要な電源」
・産経:「原発ゼロ」から転換へ、活用方針明記 エネルギー基本計画を閣議決定
・毎日:エネルギー基本計画:「原発に回帰」閣議決定
・朝日:「原発は重要電源」閣議決定 エネルギー基本計画
・時事:エネルギー計画、閣議決定=電源別比率、明示見送り−原発活用に回帰
・東京:政権、原発ゼロ放棄 エネ計画、閣議決定
・BBC:Japan approves pro-nuclear energy plan
各紙の報道ぶりには、“原子力ゼロ”を掲げなかったことで、反原発から原発推進へ逆戻りだ! との批判論調も散見される。さすがに、原子力ムラの陰謀論だ! といったような極論を振り翳す全国紙はないが、それにやや近い感情論は一部で見られる。
話題を集める映画
『パンドラの約束』
反原発から原発推進への『転身』で話題になっていることがある。「パンドラの約束」という米国の映画だ。今、日本全国各地で公開されている。かつては反原発を訴えていたが、現在は原発推進へと考えを転じた知識人たちの声を集めたものだ。
ニューヨーク在住のドキュメンタリー映画監督であるロバート・ストーン氏が「原子力への意識の変革」をメッセージ・テーマとして自らカメラを回し、ノンフィクションで記録を振り返って制作したもの。彼は、かねてより一貫して環境保護の姿勢で汚染問題を取り上げ、ドキュメンタリー映画としてビキニ環礁での核実験を追った「ラジオ・ビキニ」(1987年、米アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート)を制作した実績がある。
「パンドラの約束」制作直後は、「どんなイカれた人間が原子力支援の映画を作ったのか」と批判されたという。しかし、昨年1月の米サンダンス映画祭上映で注目を集め、昨年6月には全米31都市において上映され、話題作となった。日本でも、今年4月から全国で上映されている。
エネルギー基本計画は、決して原発推進のためのものではない。エネルギー需給に関する施策の長期的・総合的・計画的な推進を図るために策定されるものだ。世の中から注目らしい注目をほとんど集めなかった前三回とは違って、今回の計画策定プロセスは大きな注目を浴びた。東日本大震災による福島第一原子力発電所の事故を契機として、エネルギー政策に国民的関心が高まっているためだろう。
原発は「ベースロード電源」
示された冷静かつ現実的な方向性
審議会での50回以上の議論を経て、昨年12月16日に原案がまとまった。今年1月6日までパブリックコメントにかけられ、1万9000、2万ページ以上の意見が寄せられた。その上で、自民・公明両党と事実上調整しつつ内容を確定させ、4月11日に閣議決定された。
エネルギー基本計画とは本来、原子力・石炭・天然ガス・石油・水力その他の再生可能エネルギーのベストミックスの姿を追求すべきものだ。今回は、原子力の位置付けに係る表現ぶりや、再生エネの数値目標を設定することの可否に関することで、相当に揉めた。
だが最終的には、原子力については「安全性の確保を大前提に、エネルギー需給構造の安定性に寄与する重要なベースロード電源」とし、「原発依存度については、(略)可能な限り低減させる。その方針の下で、(略)確保していく規模を見極める」とした。
関連して、「高レベル放射性廃棄物の問題の解決に向け、国が前面に立って取り組む必要がある」、「使用済燃料の貯蔵能力の拡大を進める」、「核燃料サイクルについては、(略)再処理やプルサーマル等を推進する」など、冷静かつ現実的な方向性が示された。
さらにこの過程で、原発停止によるコスト増も含めて、日本を覆うエネルギーコスト問題が浮き彫りにされた。原発停止に伴い、火力発電に要する化石燃料輸入量が激増したことは周知のこと。マクロでは例えば、2013年の経常収支の黒字幅は過去最少の3兆3000億円となった。ミクロでは例えば、電気料金が2割も上昇したことについて、関東商工会議所連合会が東京電力管内の会員企業に行った調査では、「ほとんど価格転嫁できない」とする企業が95%以上、人員・人件費の削減などの事業縮小策を実施した企業が約3割を占め、企業経営に大きな影響が生じている。
原発は“発電=危険”
“停止=安全”ではない
これだけのことからしても、原発を停止したまま“塩漬け”にしておくことによる悪影響は、経済的にも社会的にも非常に大きいことがわかる。今回のエネルギー基本計画では、原発について、「いかなる事情よりも安全性を全てに優先させ、国民の懸念の解消に全力を挙げる前提の下、(略)原子力規制委員会により世界で最も厳しい水準の規制基準に適合すると認められた場合には、その判断を尊重し原子力発電所の再稼働を進める」とある。
前段は正論であるが、後段は正論とは思えない。「いかなる事情よりも安全性を全てに優先」させるために原発を停止し続けるというのは、甚だ変な話なのだ。原発を稼働させながらでも、「いかなる事情よりも安全性を全てに優先」させることは十分可能である。
原発は、“発電=危険”、“停止=安全”ではないのだ。原子力発電と同時並行で規制基準の適合性に係る審査をするよう、早期の運用改善が必須である。
これは既設原発の再稼働に関することだが、既設原発のリプレースや原発の新増設に係る言及がないのは残念なことだ。おそらく、既設原発の再稼動に目処が立っていないことや、福島事故の避難民の気持ちを斟酌するとリプレースや新増設のことまではとても書き込めなかったという精神的・感情的な配慮があったことが考えられる。これも今は仕方ない。
しかし、感情論を抜きにすれば、最適電源構成(エネルギー・ベストミックス)の目標を明確に掲げながらリプレースや新増設を具現化していくことは、原子力関連人材を確保し、日本の原子力技術を維持・向上させていくためにも不可欠だ。
最適電源構成について、茂木敏充経済産業相は「3年以内に目標を設定して10年以内に構築していく」と語っている。既設原発の活用は、それを具現化するための大前提だ。当面は、既設原発の動向が見通せないと電源構成は決まらない。
他方で、遅くとも来年12月までに、CO2排出目標を示すことが国際公約になっている。CO2排出目標の前提となる電源構成を決める時期としては、その期限ぎりぎりか、今年内か、いくつかの選択肢はある。“世界一厳しい規制”に拘泥している原子力規制委員会の審査動向が、電源構成の在り方に悪影響を与えかねない状況にあるということも付言しておきたい。
日本が原発輸出から脱落すれば
核不拡散防止の観点からも問題
リプレースや新増設に関する政府の考えはどうなのだろうか。
国内向けはともかくとして、外国への原発輸出には前向きだ。トルコやベトナムへの売り込みに前向きな点は国益に適う。
ただ、与党内に強い反対意見がある。先日の日本・トルコ原子力協定を巡る国会審議でも採決欠席など事実上の造反がいた。「2030年代に原発ゼロを目指す党方針と矛盾する」というのが典型的な理由だ。某元首相までがそれを声高に訴えている。
原発輸出への対応にも、福島事故の影響や、被災者が蒙った被害や苦痛への思いが絡んでいることは容易に想像される。だがこの問題には、国内的な視点で「一国平和・安全主義」の殻に閉じこもるのではなく、国際的・戦略的な視点から「積極平和・安全主義」を考えることが肝要であり、徒らに感情的な議論に走るべきではない。
福島事故後も、ドイツ、スイスなどごく一部の国を除いて、世界では原発推進・拡大の傾向は続いている(資料)。アジアや中東で顕著であり、ベトナムやトルコのように原発新設に乗り出した国も少なくない。フランス、ロシア、中国など原発輸出能力を持った国々が世界各国で他のインフラも含めた受注合戦を展開している。
そのような中で、原子力平和利用先進国である日本が一人脱落することは、日本の国益や原子力技術維持の観点のみならず、核不拡散防止の観点からも、あってはならないことだ。
4月18日、日本からトルコとアラブ首長国連邦(UAE)への原子力発電所の輸出を可能にする原子力協定の承認案が与党などの賛成多数で可決、承認された。早ければ今年夏に発効する見通しだ。東日本大震災での福島事故を経験した日本も、ようやくこれで原子力平和利用への貢献について『再稼働』できるようになる。
核兵器新型実験を進める米国
ウクライナの核武装論
日本の原発輸出に反対する人々は、日本の原発輸出が核拡散を助長すると言う。だが実態は逆で、日本が原発輸出を止めると、原発輸出国の殆どが核保有国となる。
核保有国は、平和利用の番人であるIAEAとの連携について消極的だ。IAEAが活躍する場を広げ、積極的な原子力平和利用の輪を広げていくためにも、以前にも増して日本の原発輸出・原子力平和外交の意義は大きい。
それを痛感するニュースが最近二つあった。一つは、ノーベル平和賞を5年前に受賞したオバマ米大統領が、核廃絶はおろか、核削減・核軍縮進展に何ら実績を残せないまま、新しいタイプの核兵器性能実験に使う「Zマシン」を稼動させ、核兵器の劣化度を調べる新型実験を繰り返しているというのだ。
もう一つは、ウクライナ南部クリミア半島で行われた住民投票の結果、ロシアへの同地域の編入が行われた、ウクライナで自衛のためと称する核武装論が浮上しているということ。こうしたニュースに接すれば誰しもが懸念を禁じえないだろう。だからこそ、「積極平和・安全主義」の重要性に共感が持たれるのではないか。
原発という「パンドラの箱」
正しい閉じ方は?
話は戻って、映画「パンドラの約束」。反原発活動のデモ風景で同映画は始まり、もともと反原子力の立場であった5人の著名な環境保護運動の活動家・作家へのインタビューとフィクションではない証言。この四半世紀、CO2排出問題に取り組みながら、何も解決できないでいるという率直な反省・苛立ちを軸にするとともに、福島・チェルノブイリ・スリーマイル島の原発事故現場のルポ取材映像・歴史映像。これらを繋ぎ合わせているだけに、強い説得力があり、今日的な原子力の有用性・重要性をじっくり考えされられる内容と思う。
ロバート・ストーン氏は「環境保護の人たちは最近、目的を見失っている。環境保護の目的は、化石燃料の使用を減らすことにある。それなのに、再生エネを増やすことだと誤解してしまっている」、「地球環境保護の観点や、他国への過度なエネルギー依存を避けるためにも、原発推進が必要であり、福島事故でリスクを学んだ日本にはそれを使った次世代技術で世界をリードすることを訴えたい」と強調している。
確かに、地球環境保全のためというのであれば再生エネは力不足であり、CO2削減にも大して資するものではないというのも事実だ。
原発推進にスタンスを転じたのは彼だけではない。英国の著名な環境ジャーナリストであるジョージ・モンビオ氏は、福島事故直後の2011年3月 21日に英ガーディアン紙に「なぜ私は福島第一原発の事故により心配するのをやめて原子力を愛するようになったか」を執筆し、原発支持を表明している。しかも「数万人が死傷した自然災害に遭いながら、死に至る線量を与えていない。私は原子力支持者になった」と語っている。
原子力について多様な議論が存在するのは承知しているが、原子力についてのこうした考え方の方々が一つの潮流となり、日本の原子力技術への評価と相俟って、日本製原発の輸出を求める世界の声にも繋がっているのではないか。そして、そうした期待に応えていくことは、原子力平和利用の先進国である日本の使命であろう。
原発は“パンドラの箱”なのだろうか。どうあれ、いったん開けられた箱であることは確かだ。それを閉じなければならない時は必ず来る。閉じ方を間違ってはいけない。入念かつ慎重に閉じていかないと、うまく閉じるものもうまく閉じない。
日本国内の既設原発の全てを正しい方法で廃炉工程に導いていくには、日本の原子力技術の維持・向上が不可欠であることは言うまでもない。原発輸出も含めて、原発推進の姿勢を続けることが、原子力世界平和利用への貢献と、日本国内にある既設原発全基の円滑な廃炉への前提となるはずだ。それが、「『パンドラの箱』の正しい閉じ方」であるに違いない。
[DIAMOND online]
Posted by nob : 2014年04月21日 09:59