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己を知ることこそ勝利への第一歩Vol.3/そもそも日本代表にエースなど不要!!!真のチーム内競争があってこそ、日本代表は強くなる。。。

■日本代表での存在感。本田圭佑と中田英寿はここが似ている

編集部●文 益田佑一

 W杯イヤーの2014年、その言動に最も注目が集まる男。それが本田圭佑だ。

 ブラジルW杯出場を決めた翌日、日本代表の記者会見での本田圭佑の発言が話題を呼んだ。今後の課題を聞かれて「シンプルに言えば個だと思います」と切り出した本田は、川島、今野、長友、香川らチームメイトの名前を次々とあげ、”課題”を具体的に述べ立てた。淡々とした口調ではあったが、”お祝いムード”に包まれていた会見場の空気は一気に張り詰めた。

 その後の日本代表はコンフェデレーションズ杯で3戦全敗。親善試合でもウルグアイやセルビアといった強豪に敗戦を続け、本田の危機感が正当だったことが証明された。11月の欧州遠征ではオランダに引き分け、ベルギーに勝利と、ようやく結果を出した日本だが、本田は手綱を緩めない。「良い部分も出たが課題も出た。何が良くて何が悪かったかは冷静に分析したい」「(W杯まで)所属クラブに戻って個人のレベルを上げていくことが必要だと思います」……。それは一選手というより監督のコメントのようでもあった。

 それらの様子を見て、ある選手を思い出した人も多かったのではないか。かつての日本代表、中田英寿のことである。

「おれには『胸を借りる』なんて考えはぜんぜんないよ。サッカーはルールに従い、11人で戦う。条件は皆同じだ。だからこそ、ピッチでは何が起こるかわからない。初出場の日本だって優勝する可能性はゼロじゃないんだよ」(98年フランスW杯を前に)

「決勝リーグに進んだことは大きなステップだと思うよ。でも、トルコ戦は、不完全燃焼のまま終わってしまった。90分を戦った後、倒れて動けないとか、足がつって歩けないとか、そこまでやっていたかと言えば、答えはノー。最後の一滴までエネルギーを使い果たして戦えたとは、到底思えなかったんだ」(02年日韓W杯の後)

「このチームには熱意というものがない。いつも親善試合と一緒じゃないか! こんなゲームがもう一度でもあったら、ワールドカップなんて絶対にない」(04年、W杯予選シンガポール戦に苦戦して)

「僕にとって予選通過はあくまで通過点。このチームでは、本大会で戦って勝ち抜ける力はまだないと思います。この1年で個人個人が伸びてみんながレベルアップして、勝ち抜けるチームになることが必要。(そうすれば)3度目のワールドカップで初めて前へ行ける」(05年、ドイツW杯出場を決めて)

 日本が初めてW杯に出場した98年以降、ある時は強気に、またある時は危機感をあらわにしながら、チームに緊張感を与えてきたのが中田英寿だった。

 中田は98年W杯が終わるとセリエAペルージャに移籍。現在に至る日本人選手の海外クラブ移籍の流れを作ったとも言える存在だった。自国開催のため予選のなかった当時の日本代表は強豪国と対戦を重ねたが、チームの中心となっていたのが中田だった。一時期のトルシエジャパンは、実質的に中田ジャパンと言ってもいいようなチームだった。

「中田の選手としてのピークは2001年。ローマで優勝を経験し、まだ数少なかった海外組の中でも別格で、代表の中でもカリスマ性があった。一時の日本代表は何でもかんでも中田にボールを集めるようになっていました」と言うのはサッカーライターの杉山茂樹氏だが、そこには彼のプレイスタイルが関係するという。

「頼りがいがある。ひと言でいえば“倒れない”。肉体的な強さ、幹の太さのようなものがあり、キープ力があってドリブルやキックに重みがある。簡単にいえば強いシュートが打てる。日本には上手い選手は多いが、こういうタイプの選手が非常に少ないんです。相手が強くなればなるほど、そういう選手への依存度は高くなる。そいう意味では、現在の代表で本田が果たしている役割も似ています」

 もちろん相違点もある。例えば海外でプレイする選手がこれだけ増えた現在、当時の中田が持っていた、格上のクラブに所属することからくるカリスマ性のようなものは、もう本田にはないはすだ。だが、「代表チーム内での依存度は当時の中田より現在の本田のほうが高いのではないか」と、杉山氏は語る。

「理由のひとつは中田が右利きなのに対して、本田は左利きだから。本田は残り9人と違う角度でプレイすることができるんです。中田の場合は“非力な中田”に代えることもできたが、本田には代わりがいないということです。

 しかも本田の特徴は、いかにも左利き、という左利きではないこと。ボールを常に身体の中心に置いてプレイしているから、漠然と見ていたら右利きか左利きかよくわかりません。だから最初の一歩でどちらに行くかがわからず、ボールをとられにくいし、右サイドで縦に抜いていくというようなこともできる。これが攻撃の推進力につながるんです。ロッベンやラウルがそうなのですが、こういうタイプの日本人レフティは非常に少ない。二重の意味で、今の日本代表には本田の代わりがいないのです」

 そういえば、帰国したときの成田空港での注目のされ方や、独特のファッションへのこだわり、群れないイメージなど、ふたりにはピッチ外でも似たムードがある。南アフリカW杯の直前、テレビの番組で初めて対談した際には「思った通りの人だった」「似てるな」と、お互いの印象を語っていた。かつてふたりにインタビューをしたことのある杉山氏は、それぞれから受けた印象をこう語った。

「共通点はおしゃれなこと。自分をよく見せようという意識が強いとも言える。『ストレートにモノを言う』と言われますが、基本的にはお喋りが好きなんだと思います。ただ、中田に影があるように見えたのは、そういう自分の立ち位置に多少ストレスを感じていたからではないでしょうか。本田にストレスがあるようには見えません。明るいのは大阪の庶民性みたいなものがあるからかもしれませんね」

 ミラン入りで再びその周辺が騒がしくなりつつある本田圭佑。これからの半年、その言動からやはり目が離せそうもない。


■前園真聖が語る「本田圭佑と中田英寿との違い」

川端康生

「すごく努力してきたと思いますよ。ここまで来るのに」

 それが、前園真聖氏の第一声だった。引退からおよそ10年。自分と入れ替わるように現れた本田圭佑を、ピッチの外からつぶさに見つめてきたからこそ、その成長ぶりには目を見張るものがあるようだ。

 本田はもともとすごくテクニックがあるわけでもないし、スピードもありませんでした。2008年北京五輪のときもチームの”駒”のひとつという感じで、特別な選手ではなかった。しかも結果は3連敗(0-1アメリカ、1-2ナイジェリア、0-1オランダ)。本田だけではありませんが、あの大会では世界を相手にまったく歯が立ちませんでした。

 でも、オランダ(VVVフェンロ)でプレイするうちに、彼は大きく変わりました。一番はやはり、ゴールへの意識が強くなったこと。ゴールを決めるためにドリブルで仕掛けていくようになった。それまでは周りを使うプレイが中心で、自分で突破していく場面はそれほど見られませんでしたから。

 そんなふうに自ら仕掛けていくためには、相手に走り勝たなければいけません。そのために本田は、相当なトレーニングを積んだはずです。そうしてスピードが上がり、当たり負けしない身体の強さを手に入れたことで、彼のプレイの幅がとても広がりました。それでも、2010年の南アフリカW杯を迎える時点では、まだ日本代表の中心というような存在ではありませんでした。あのときの代表は”中村俊輔のチーム”でしたからね。

 ところが、大会直前の戦術変更で本田が抜擢されることになった。そして、初戦のカメルーン戦(1-0)でゴールを決めるわけです。このことをラッキーだと思う人もいるかもしれませんが、僕はそうは思いません。だって普通はできませんよ。それまでやったことのない1トップを突然「やれ」と言われてできるものじゃない。

 でも彼は、見事にやって見せました。きっと、自分が何をしなきゃいけないのか、その役割を明確に理解していて、どういうプレイをすればいいか、具体的にイメージできていたんだと思います。だとしてもなかなかできるものじゃないですが、彼はそのイメージを実際にプレイで実践した。

 もしカメルーン戦のあの(先制)ゴールがなかったら、あの試合を勝つことはできなかっただろうし、あの大会でベスト16に進むこともなかったと思います。そして、本田の未来も違っていたかもしれない。キープ力をはじめとしたプレイ面と、戦術理解も含めたメンタル面の両方で準備ができていたからこそ、彼はチャンスをモノにすることができたわけです。

 特に感じるのは、精神的な部分ですね。突然の抜擢ではあったけど、プレイについてだけでなく、自分がチームの中心になっていくようなイメージを彼はもともと持ってゲームに臨んでいたと思います。だからチャンスがめぐってくるし、そのチャンスをモノにすることもできる。

 そして、結果を出すことで、自然とボールが集まってくるから、さらにいいプレイをすることができるようになる。大会が進んでいくにつれて、存在感がどんどん大きくなっていき、デンマーク戦(3-1)あたりでは彼自身も自信に満ちあふれていました。そうなると(1点目の)FKも入るし、(3点目の)岡崎慎司のゴールをアシストしたような余裕のあるプレイも出てきます。

 その後の彼の存在感についてはご存じのとおりです。今回のW杯に際しても「優勝」という言葉を彼は口にした。そんなことを言った選手は過去にいませんよ。

 もちろん、それを聞いたとき、初めは「さすがに無理だろう」と思いました。でも彼がそう言って、周りの選手もそれに呼応した。ついには、チーム全体がそんな意識を持ってやっているのを見ているうちに、「もしかしたら本当にやってくれるんじゃないか」と、僕らの意識まで引き上げられた。

 結果的には実現しませんでしたが、でも彼の言葉の持つ力はすごかった。プレイだけでなく、本田が発する言葉やメッセージが、チームに強い影響力を与えてきたし、また彼自身、それを意識して言葉を発していると思います。

「中田英寿」の名前を前園氏が口にしたのは、そんなふうに本田の影響力について語っているときだった。「チームの中での存在感と、発言が注目されるという意味ではヒデと似ているかもしれませんね」と。

 しかし、「立ち位置は似ていますが、でも……」と話は続く。

 ある時期まで本田はヒデを意識していたと思います。チームの中でのポジションの作り方とか、自分をプロデュースしていくやり方とか、ヒデに憧れていた面はあったと思う。

 でも、ロシア(CSKAモスクワ)でプレイするようになった頃から少し変わってきた。より明確なメッセージを発するようになったりして、ヒデとは別の“本田圭佑”を作り上げようとしているように、僕には見えました。

 そして、そんな本田を包む周囲もヒデの頃とは随分違っていました。ヒデは、チームの中でひとり突出していた。彼と同じ目線を持てる選手がいなかったということです。海外でプレイしている選手がいなかった僕らの時代はもちろん、ドイツW杯の頃でさえ、すでに海外組はいましたが、やっぱりヒデだけが特別だった。だから、ヒデの言葉に共感できる選手はほとんどいなかったはずです。ツネ(宮本恒靖)がそのギャップを埋めようとしていたけど、結局うまくいかず、チームもいい成績を残すことができなかった。

 でも、今の代表はそうじゃない。本田と周囲の選手の間にギャップはない。だから、彼の言葉も受け入れられる。それどころか、ライバル意識を持っている選手さえいます。

 そんなふうに考えると、時代の流れを感じますね。


[いずれもスポルティーバ]

ここから続き

Posted by nob : 2014年07月15日 17:10